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吉良吉影は動かない - (2023/03/19 (日) 20:43:14) のソース

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



【調査報告書】
【対象者氏名:吉良吉影】



『さて……結論から言わせてもらおう』


椅子に腰掛け、足を組み。
眼前の“面会相手”に向けて、彼は口を開く。


『私はもう降りるよ』


無機質で、殺風景な密室。
その中央に置かれた机を挟み、二人は向き合う。
杜王町の連続殺人鬼―――[[吉良吉影]]。
対峙するのは、一人の“平凡”な聴者。


『なに、“諦めがついた”というだけのことさ』


殺人鬼は、なんてこともなしに語る。
舞台から降りると受け入れた己の心情を、語り手として話す。
眼の前の“凡人”は、ただ何も言わず。
殺人鬼の独白へと、耳を傾けていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇



ホテルの部屋は、広々としていた。
室内には二つのベッドのみならず、上品なソファやテーブルが並べられた快適な空間が設けられていた。
リビングを思わせるゆったりとした内装は、安物のビジネスホテルとは訳が違う。

このホテルでの宿泊を選んだのはアサシンだった。
「私は金銭に余裕がある。君達の宿泊費も立て替えておくよ」――彼はそう言っていた。
まるで自分を気前良く見せるような振る舞いに思うところはあったものの、鳥子は一先ず彼の厚意に従った。
ゆったりと寛げる場所に泊まれること自体は、決して悪いことではない。

そんな部屋で、交流をしていた二人。
[[仁科鳥子]]と[[アビゲイル・ウィリアムズ]]の耳に、扉を叩くノック音が聞こえてくる。

夜分遅くにやってくる来訪者。
その心当たりは―――当然のように、一人しかいない。
念話を使っている以上、盗み聞きは有り得ない。
故に“聖杯戦争を打破できる可能性”の話を、あちらが察知した訳ではない。

あの人物に、わざわざ用事があるとすれば。
自身のマスターの件か。
あるいは、その裏に潜む“アルターエゴ・リンボ”の件か。
どちらにせよ、今後も彼と連携を取ることを避けられないのならば。
それを確かめる必要はある。

鳥子が立ち上がり、出入り口へと向かう。
アビゲイルもまた、彼女に付き添い。
そして、ゆっくりと。
恐る恐る、ノックされた扉を僅かに開いた。


「……なんですか」
「夜分遅くにすまない。私の使い魔から連絡が来た」


扉の隙間から、視線を向ける男。
整っていながらも平凡な顔立ちをしたその風貌は、とても英霊の一騎には見えない。
アサシンのサーヴァント、[[吉良吉影]]。
彼は唐突に、[[仁科鳥子]]の部屋を訪ねた。


「急用でね。そのことで君達に相談事があるんだ」


何処か真剣さを帯びた眼差しと共に、吉良はそう呟く。
急用―――恐らく、彼の使い魔から連絡が入ったのだろう。
鳥子がそう考えた矢先。


「中に入ってもいいかな?」


囁くような一言を前に。
鳥子は、一瞬の躊躇いを覚える。


「聖杯戦争の話を、誰かに聞かれたら困るからね」


続く言葉は、確かにその通りであり。
ほんの僅かな迷いを抱きつつ、鳥子はアビゲイルへと目配せする。
彼女もまた、僅かな疑心を抱いていることは目に見えていた。

しかし、こうして通路を挟んで聖杯戦争の話をする訳にも行かず。
これまでのアサシンの悠々とした態度からして、たった今から危害を加えてくる可能性も低いと考えた。
それ故に鳥子は、渋々と吉良を部屋の中へと招き入れる。
リビングへと案内して、一人がけのソファへと吉良を座らせた。


「フゥーーーー……」


溜め息を吐く吉良を、鳥子は訝しげに見つめる。
吉良と距離を置いて、彼女もまた別のソファへと腰掛けた。


「さて、どう話したものか……」


口元に手を当てながら、吉良は思案する。
鳥子の傍には、アビゲイルが立つ。
吉良の動きを見張り、牽制するように。


「リンボと通じていた私のマスターが、大層愚かな決断に走ってね」


そして、吉良は口を開いた。


「ま……一言で言えば、後が無くなったということだ」


取止めもない様子で、言葉を並べる。


「随分と困らされたよ、彼には。
 出来の悪い部下を押し付けられたような気分さ。
 頭はニブいし、聞き分けは悪いし、そのくせ自分の主張だけは一丁前……」


知りもしないマスターの陰口を聞かされて。
鳥子は、眉間に僅かな皺を寄せる。
結局のところ、アサシンのマスターとは何の接点もない。
アサシンとはどんな仲だったのかも、どんな経緯があって別離しているのかも、知る由はない。


「さて、君もそういった経験はないかね?
 何も職場じゃなくてもいい。アルバイトやサークル活動、あるいは学校行事などでね」


それでも尚、構わず吉良は話し続ける。
まるで世間話を振るかのように、鳥子を見据えながら。


「……結局、何が言いたいんですか」
「私は無能なマスターを切る」


吉良は、きっぱりと断言する。
マスターを切る。
その一言を前にして、鳥子達の警戒心が強まっていく。


「切る、って……それ貴方も脱落するじゃないですか」
「ああ、だから―――」
「言っておきますけど。私のサーヴァントは、この娘だけですからね」


乗り換えさせてくれ、なんて言われる前に。
鳥子は、予め先手を打った。
彼女のサーヴァントは、アビゲイルだけだ。
縁も絆もないアサシンのために鞍替えを受け入れることなど出来ないし。
ましてや、彼らの主従間の揉め事に対する尻拭いをする気もない。


「知ってるよ。君達の絆は本物だ」
「……分かってくれて何よりです」
「だから、説得するのは難しい」


それくらいのことは、アサシンも分かっている筈だ。
何も仲良しこよしをしたくて同盟を結んだのではない。
リンボという脅威に対処する為に、鳥子はアサシンと手を組んだのだから。
彼がそのことを理解していない訳が無い。
だからこそ―――今の彼の態度が、不気味で仕方ない。


「それで、どうしたいんですか」
「そこでだ、[[仁科鳥子]]さん―――」


カチリ。
小さな音が響いた。


「たった今、私は『攻撃』をした」


それが一体何なのか。
鳥子とアビゲイルに、認識する暇は与えられなかった。


·



「『彼女は殺戮の女王(キラークイーン)』」



·


ただ一言、呟いた。
その次の瞬間。
ボンッ――――密室に、爆音が響く。
鳥子が、目を見開く。
その『右手首』が、爆ぜた。




◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



『英霊の座に召し上げられ、こうしてサーヴァントとして召喚されて……』


殺人鬼は、語る。
密室にて、眼前の平凡な聴者へと。


『改めて気付かされたことがあってね。
 “聖杯戦争とはこういうものなのだ”と。甘く見ていたよ、全く』


やれやれ、と。
わざとらしく両手を上げる素振りを見せる。
お手上げだ―――そう言わんばかりの態度だった。


『私の“完敗”さ。何もかも見縊っていた』


そして、殺人鬼は断言する。
己の敗退を、ただ有りの儘に伝える。


『町中での殺人ならば誰にも負けない、という自信はあったのだがね……いやはや恐れ入ったよ。
 “思い込む”というのは何よりも恐ろしい。私は自分を過信していたようだ』


自らを省みるような言葉を吐きながら。
それでも殺人鬼は、変わらず飄々とした態度を貫く。
起きてしまった不幸を「こんなこともあるさ」と水に流すかのように。


『だが、ま……悲嘆することはない』


それ故か。殺人鬼はそうやって言葉を続ける。
聴者である凡人は、表情を変えない。
窶れた虚無の眼差しで、ただ無言で殺人鬼を見据え続ける。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇



鳥子を説得しても、鞍替えなどしない。
それは二人の信頼関係からして明白だった。
ならば彼女達をここで『脅迫』する。
強引にでも再契約を結ばせる。
そのためにまず、『令呪が刻まれてない右手』を吹き飛ばした。
そう―――“触れたものを何でも爆弾に変える能力”によって。
とどのつまり、そういうことだった。

『透明な左手』はまだ奪わない。
令呪が刻まれているし、何より『最後のお楽しみ』なのだから。


「安心したまえ、傷口が『爆炎』で焼けるように工夫したさ。
 ここで失血死などされては困るからね」


床に倒れ込んで、片手の激痛でのたうち回る鳥子。
目を見開き、想像を絶する苦痛によって、言葉にならない声を吐き出し。
そんな彼女を見下ろしながら、吉良は淡々と言葉を吐く。


「ッ―――マスター!!!」


そして、アビゲイルがマスターの名を叫び。
即座に臨戦態勢に入った、直後。
彼女の身体は突如として吹き飛ばされる。
[[吉良吉影]]の側に立つ精神の化身――キラークイーンが、拳の乱打を放ったのだ。
近距離パワー型に類するその打撃は、サーヴァントにも通用するだけのスペックを持つ。

壁に叩きつけられたアビゲイルの身体が、そのまま壁面へと縫い付けられる。
瞬時に放たれた“空気の輪”が彼女の首に絡みつき、その動きを拘束したのだ。


「[[アビゲイル・ウィリアムズ]]。
 君は大人しくしていたまえ。
 この私を見倣い、謙虚になるといい」


―――『彼女を愛した猫草(ストレイ・キャット)』。
[[吉良吉影]]のスタンド、キラークイーンの腹部に収納された怪生物『猫草』。
その力を借り、空気を自在に操る能力を使役する宝具。
生前ならば光合成によって威力や規模に制限が課せられたが―――今の猫草は所謂“生前の記録から再現された現象”に過ぎない。
故にアサシンが操る上では、常に十全の能力を発揮できる。


「いつ『爆発の能力』を発動したのか、不思議かね?」


吉良は飄々と言葉を紡ぐ。
テーブルなどの煩わしい物体を、キラークイーンが腕力で払い除けつつ。
手首の爆発によって床に転がっていた鳥子の『右手』を拾い上げる。

そうして―――彼は『右手』に口づけをする。
彼女への忠誠を誓うかのように。
あるいは、彼女を自分のものとして支配する証を付けるように。
床に横たわる鳥子を他所に、殺人鬼は契りへの餞を送る。


「私を誰だと思っている。
 私はこの街に潜む『連続殺人鬼』さ。
 誰にも気づかれず、誰にも悟られず―――殺人を繰り返してきた」


勝ち誇ったように不敵な笑みを浮かべながら。
自らの能力の種明かしをするように、吉良は言葉を紡ぎ続ける。


「君が部屋のドアを開けて、右手を晒した一瞬……。
 その不意を突いて手首を『爆弾』に変えることなど、そう難しくはなかったというワケさ」


ああ、それはつまり。
“その気になれば、お前を殺すこともできた”。
そういう宣言なのだ。
吉良は自負する。吉良は驕る。
こと『殺人』という行為において、最も優れているのはこの“[[吉良吉影]]”なのだと。

[[吉良吉影]]のスキル『街陰の殺人鬼』は、サーヴァントとしてのあらゆる魔力の気配を遮断する。
例え宝具を発動したとしても、戦闘態勢に入らない限り効果は持続し続ける――『殺人』も『脅迫』も、彼にとっては戦いの内に入らない。
だからこそ、彼の『宝具発動』は誰にも察知できなかった。


「で、どうかな?」


苦痛に横たわり、肩で呼吸するように喘いでいた鳥子を一瞥し。
吉良は壁に拘束されているアビゲイルへと、改めて視線を向ける。


「アビゲイルくん……君が危険な存在であることは既に明白だ。
 リンボの魔の手が迫る前に、君自身が早々に『退場』すべきとは思わないかね」


まるで諭すような口振りだった。
幼い子供に世間の論理を説くかのように、彼は淡々と呟く。


「そう、君にとって大切な彼女のためにも……ね」


薄ら笑みと共に、吉良は顎でアビゲイルのマスターを示す。
そんな彼の態度に対し、部屋の隅で蹲る鳥子は。
迸る激痛と熱に苦しみながら、辛うじて息を整えていき。
そして―――吉良を見上げて、歯を食いしばりながらキッと睨み付けた。

そんな彼女の態度を、吉良は意に介することもない。
サーヴァントの鞍替えを強要する以上、鳥子との関係が上手く行かないことなど想定内なのだから。
ならば初めから利害関係と割り切ればいいし、相手に関しても「アサシンと組まざるを得ない」ような状況に追い込めばいい。
どんなマスターにせよ、どれだけの不和を孕んでいたとしても。
あの無能な[[田中一]]よりは余程マシであることに変わりはないのだ。

そうして、吉良はゆっくりと歩き出す。
悠々とした態度を貫き、彼は床に横たわる鳥子へと近付かんとする。


瞬間、虚空より“門”が開かれた。
それは吉良を取り囲むように顕現し。
そして、次元の隙間から―――無数の“触手”が所狭しと殺到する。


されど、蠢く怪異の奔流が吉良を捕えることは出来ない。
吉良の四肢を掴む直前に、それらは“見えない壁”によって阻まれていた。
それから刹那、触手の群れは“爆散”する。
まるで吉良の周囲で爆炎が発生したように、焼け落とされていく。


「おいおい、君は随分と聞き分けの悪い子だな。
 セイレムでもそうやって『大人達』に迷惑を掛け続けたのかね?」


拘束されていたアビゲイルの攻撃を、難なくいなし。
吉良は相変わらず、冷淡な眼差しで笑みを浮かべる。

『猫草』を操り、自身の周囲に空気の壁を展開。
あらゆる死角から不意打ちが襲い掛かる可能性に備え、結果としてアビゲイルの攻撃を防いだのだ。
更には空気の壁をキラークイーンによって『爆弾化』し、爆炎によって触手の群れを吹き飛ばした。

アビゲイルの驚愕になんの興味も抱かず、吉良は鳥子の直ぐ側へと立つ。
鳥子が抵抗しようとする前に。アビゲイルが妨害の一手を放たんとする前に。
―――鳥子の細い首筋を、吉良の右手が勢い良く掴んだ。


「ま……どのみち君は従わざるを得ないよ、アビゲイルくん。
 君のマスターの安全の為にも、そしてこの私に迷惑を掛けない為にも」
「――――――ッ、ああ……っ!!」


しゃがみ込んだ吉良が鳥子の首筋を握り締め。
そのままゆっくりと、その手に力を込めていく。
徐々に握力を強めていく指が肌にめり込み、鳥子の喉から掠れた苦悶の声が溢れる。


「決心が付いたのなら、君のマスターに頼むといい。
 『自分を今すぐ令呪で自害させるように』と」


―――殺人鬼は、不敵に嘲る。
首を傾けて、“セイレムの罪人”を見やる。
苦痛に喘ぐ鳥子を見つめる少女は、焦燥と動揺を顔から滲ませ。
口を紡いだまま、苦々しい表情で[[吉良吉影]]を睨んだ。



◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



自分は確かに敗けた。
過信もあったに違いない。
だが、悲観することはない。
殺人鬼は自らの敗北を、執着も無さげに振り返る。

『聖杯を巡る英霊の戦いとは、きっと今回だけに限らない。
 座と接続する“願望器”がある限り、何度だって戦いは起こり得る』

それは、英霊へと召し上げられた彼が辿り着いた“一つの確信”だった。
聖杯戦争。奇跡の願望器を求め、古今東西の英霊を従えた主従が殺し合う。
この界聖杯によって齎された、渇望と生存を懸けた闘争。
されど、これはあくまで“数ある聖杯戦争のひとつ”でしかないのだろう。
あらゆる願望を成就する魔力を持つ器――その“役割”さえ果たせるものは全て“聖杯”と成り得るのだから。

此度の戦いに負けたマスターは、界聖杯によって“抹消”される。
戦争の終結と共に、内界に残された全存在は“処分”されるのだ。
聖杯を掴むにせよ、元の居場所へ帰るにせよ。
“生きる”ためにマスター達は戦わざるを得ない。

では―――サーヴァントは?
ただ“座”に還り、永劫の記憶の中へと再び幽閉されるだけだ。
敗北で死へと堕ちるマスターとは違う。


『私が何を言いたいのか……わかるかね?』


そして、改めて凡人に問いかける。
フッと笑みを浮かべながら、返答を聞くこともなく殺人鬼は続けて口を開く。


『座で待ち続けるとするよ、“次の機会”を』


“次の聖杯戦争を待つ”。
“別の聖杯の力に賭ける”。
つまるところ、そういうことだった。
その論理に至り、殺人鬼は界聖杯への執着を容易く捨てたのだ。

界聖杯は特別な聖杯であり、他の聖杯が願いを完全に叶えるとは限らない。
本戦開始当初、殺人鬼は確かにそう考えていたが―――聖杯戦争を見縊り、敗北したという事実は覆らない。
ならば眼の前の聖杯に対する執着は一旦捨てて、同等の軌跡を起こせる聖杯が現れるまで待てばいい。
殺人鬼は、そう結論付けた。


『お前さ』


―――沈黙を貫いていた凡人が、口を開いた。


『自分が言ってること、分かってるのか?』


冷ややかな眼差しで、殺人鬼を見据える。


『なあに、地獄のような苦しみは“英霊の座”でとうに経験してるよ。
 だからこそ……その時が来るまで“耐える”という覚悟は出来てるさ』
『なあ、おい。殺人鬼』


これから訪れる苦難など、訳もない。
次のチャンスが訪れるまで、幾らでも耐えてみせるさ。
そう言わんばかりの殺人鬼に、凡人は水を指すように呼びかける。


『なに格好つけてんだよ』


凡人の口から溢れたのは、そんな呆れたような一言。


『今回はいい勉強になった……マスターとの関係においても、サーヴァント同士の戦いにおいてもね。
 界聖杯でこそ“負け”はしたが、いずれはこの[[吉良吉影]]が“勝利”を掴む時が―――』


されど、殺人鬼は意に介さず。
あくまで余裕の態度を崩さないまま、自らの理屈を説く。
今回は負けてしまったが、いずれは必ず勝利を掴む日が来るだろう。


『あのなぁ』


勝ち誇るように語る殺人鬼。
そんな彼を見つめる凡人は。


《“負け惜しみ”だろ、それ》


侮蔑の感情を込めて、吐き捨てた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇



[[アビゲイル・ウィリアムズ]]という少女は。
かつてセイレムの地で“惨劇の引き金”となった。

心に狂気を。心に悪魔を。
この不条理は、日々の貧困と不幸は。
すべて魔女の仕業に違いない。
人々のそんな心の闇を映し出す鏡となり、魔女狩りの幕を開いた。
それ故に少女は空想より這い寄る“邪神”の依代となり、彼女は“門を開く鍵”と化した。

降臨の鍵穴となる“狂熱”が渦巻く土地。
神を降ろす為の“鍵”となった少女。
二つの条件が揃い、忌まわしき魔女狩りは呪われし儀式へと変わり。
そうしてアビゲイルは、虚無と混沌の巫女となった。

サーヴァントとして召喚された彼女には、巫女としての力がある。
未だ完全なる覚醒は迎えていないとはいえ。
その門が完全に開かれたとき、聖杯戦争は覆る。
この東京の地に地獄を顕現させるほどの呪いを、少女は背負っていた。

だからこそ。
アビゲイルは、何も言えなかった。
マスターにさえ危険を及ぼしかねない力。
リンボの魔の手が迫る中、いつ“それ”が目覚めてしまうかも分からない。

ならば―――自分は、この舞台から去るべきなのではないか。
この混沌と狂気に、大切なマスターを巻き込んではならない。
そんな思いが、彼女の胸の内からこみ上げてくる。

そうして、アビゲイルが。
口を開こうとした、その矢先。


「……ころ、せない、よ」


別の声が、零れた。
首筋に手を掛けられながら。


「あなたは……わた、しを」


掠れた言葉が、喉から絞り出される。
[[仁科鳥子]]の声が、溢れ出る。


「だって……そう、したら」


鳥子の眼差しは。
自身を見下ろす吉良へと向けられた。


「追いつめられるのは……あなたでしょ?」
「ああ。だが、このままではアビゲイルくんも私に攻撃できないさ。
 私の手の内に君がいる、この状況ではね」


そうして吉良は、なんてこともなしに答えた。
淡々と、さらりと受け流すかのように。


「それに、最悪道連れくらいはやるさ。
 そうなったら地獄だろうが何だろうが構わない。
 全てリンボにくれてやる。どうせ私はいなくなるのだから」


されど―――その瞳に宿るのは、決して余裕の色などではなく。
どろりと濁った殺意が、そこに揺らいでいた。

ああ、やっぱり。
鳥子は、それを悟る。
眼の前の殺人鬼が置かれた状況を、改めて理解する。

初めて出会った時から、殺人鬼の置かれた状況は奇妙だった。
これから同盟を組むというのに、一方的に存在が明かされない彼のマスター。
直後に訪れた“異変”。殺人鬼のマスターはあのリンボの手に落ちたという。
理解した。殺人鬼とそのマスターは、決定的に不仲だったのだと。
それ故に連携を取り合うことを殺人鬼が嫌い、目に付かない場所に押し込めていたのだと。

そして、不仲だからこそ。
殺人鬼は、自分のマスターを侮っていた。
取るに足らないし、その気になればいつでも制圧できる。
そうやって高を括っていたからこそ、ずっと余裕を保っていた。

しかし、今はどうだ。
殺人鬼が強引に鞍替えを迫り、場合によっては“道連れ”を覚悟していることを突きつけてきた。
それは脅し文句のつもりなのだろう。
相手の危機感を煽って、自身の思うように従わせようとしているのだろう。
けれど。つまるところ、殺人鬼は底を見せてしまったのだ。
掴み所のなかった“怪談”が、“実態”を伴った。

鳥子は、間違いなく理解をした。
このサーヴァントは、追い詰められるべくして追い詰められたのだと。
そんな輩に、自分たちは脅されているのだと。

ああ、きっと空魚もそうなんだろう。
“むかっ腹が立つ”時っていうのは、こんな気持ちなのだろう。
鳥子は、自身を見下ろす殺人鬼を見据えながら思う。


―――アビーちゃん。
鳥子は既に、念話を飛ばしていた。
これからやることの指示は出していた。
アビゲイルは、一瞬の躊躇いを覚えつつも。
その上で、敢えてそれを受け入れていた。
ほんの僅かにでも疑念を抱いた自分を恥じるように。
故に鳥子もまた、腹を括る。


「さあ、この私と心中など真っ平ごめんだというのなら。
 [[仁科鳥子]]くん、君も早く彼女を自害させ―――」


その言葉を吐き終える前に。
気力を振り絞った鳥子が、『左手』を動かした。
その透明な掌が、吉良の首元へと目掛けて迫る。

[[吉良吉影]]のステータスは、決して高くはない。
彼はあくまで殺人鬼であり、戦闘能力もまたキラークイーンのスペックと天性のセンスに依存している。
サーヴァントとなった今でもそれは変わらない。
彼自身には抜きん出て超人的な身体能力も無ければ、異常な反応速度も無い。
いわば、比較的常人に近い部類の英霊であり。
だからこそ、戦闘の訓練を受けて数多の場数を踏んできた鳥子がその不意を突くことが出来た。

鳥子は、幼い頃から両親より射撃やサバイバルの技術を叩き込まれている。
裏世界においてもそのスキルを活かし、空魚と共に数多の怪異と対峙してきた。
故に彼女は、ただ力を持っただけの常人などではない。
だからこそ、ほんの一瞬でも殺人鬼を出し抜くことが出来る。

そして―――ずぷりと、泥を掴むように。
殺人鬼の首筋を、左手が捉えてみせた。
そのまま彼の“魔力”ごと、動脈を握り潰さんとする。


「――――私を出し抜くつもりかね?」


されど、彼もまた腐ってもサーヴァント。
これしきの反撃を予想しない訳が無く。
そして、鳥子の『左手』に何らかの力があることも推察していた。
だからこそ咄嗟に彼女の腕を掴み、その動きを制止することが出来た。


「[[仁科鳥子]]くん、私は君を賢い女性だと信じているんだよ。
 期待を裏切らないでくれ。だから……」


そのまま、間髪入れず。
鳥子の左腕を掴んだまま、もう片方の手で彼女の顔面を殴打する。


「私を苛つかせるなよ」


何度も、何度も――――拳を叩きつける。
積み重なる苛立ちを、吐き出すかのように。
彼女の白い肌に、整った顔立ちに、ただ無機質な暴力を浴びせる。


「さあ―――言うことを聞くんだよ、小娘どもッ!!
 さっさと『自害しろ』と令呪で命じるんだ!!」


やがて一頻りの殴打を済ませて、再び鳥子の首に左手を掛ける。
無論、右手で鳥子の『透明な腕』を押さえつけたまま。
声を激しく荒らげて、鳥子達を怒鳴りつけ。
そして鳥子は、殺人鬼を見上げたまま――観念したように、口を開く。



「『令呪を以て、命ずる』」


鳥子の透明な左手。
その手の甲に刻まれた紋様が、光り出す。
それを確認して、殺人鬼は勝ち誇った笑みを浮かべる。

そして殺人鬼は、鳥子を見下ろした。
鳥子がキッと睨みつけていたことに、彼は気付いた。
まるで、捨て身の攻撃を叩き込まんとしているような。
そんな彼女の眼差しに、殺人鬼は不意を突かれる。



「『宝具ぶちかまして、アビーちゃん』―――!!」



迷いもせず―――彼女は、そう唱えた。
思わず殺人鬼は目を見開く。
なんの躊躇もない命令に、一瞬の動揺が生まれる。
お前たちの命は自分が握っている。
そんな脅しを前にして、二人は全速力でエンジンを踏んてきたのだ。

動揺の隙を付いて、鳥子が自身の左手への拘束を振り払う。
そして吉良に締め付けられる己の首筋へと目掛け、左手を伸ばし―――『喉元』へと触れて。
しかし吉良もまた咄嗟に右手を振るい、鳥子の透明な左手を弾く。
そのまま両手で鳥子の首を締め付けることで、その動きを封じる。
殺さない程度の力を、手のひらに込めていた。

吉良も予想だにしない、宝具使用のための令呪消費。
リンボとの敵対をしている以上、彼女達は全力を出せない。
[[アビゲイル・ウィリアムズ]]の力を引き出すことは、奴の思惑へと順調に進むことになるのだから。
吉良はそう思っていた。だからこそ、アビゲイルは退場を受け入れると考えていた。
だが、それは違った。

アビゲイルを止めるために、令呪を使うのではない。
アビゲイルと共に敵を全力で倒すために、令呪を使う。
[[仁科鳥子]]は、つまるところ。
殺人鬼をぶん殴りに行ったのだ。


―――私は、最後までアビーちゃんと戦いたいと思ってる。


鳥子は、アビゲイルへとそう告げた。
例え何が起ころうと、自分がアビゲイルを支えると。
例えアビゲイルが災厄になったとしても、自分が全力で止めると。
鳥子は確かに、そう決意したのだ。
その言葉に嘘偽りがないことを、アビゲイルも受け取った。


「―――了解したわ、マスター」


だからこそ、迷わなかった。
だからこそ、アビゲイルも受け入れた。
この人の為なら―――私は、力を使う。
首筋を拘束していた『空気の輪』が、彼女の身体から弾け出た無数の蝙蝠によって霧散する。


「『猫草(ストレイ・キャット)』ッ!!」


キラークイーンが即座に身構え。
此方へと迫らんとしたアビゲイルへと複数の『空気弾』を発射する。
広々とした部屋とはいえ、所詮は屋内。
敵と敵を結ぶ距離は余りにも短く―――故に吉良は、サーヴァントへの対処を優先する。

スタンドの利点は、本体から独立して動けること。
マスターである鳥子を制圧したまま、キラークイーンがアビゲイルへと対応することが出来る。
そして『爆弾化』もまた、キラークイーンが一度発動すれば永続的に効果を発揮する。
そう、爆弾が着火しない限りは。

次々にアビゲイルへと迫る空気弾。
それらの攻撃を、魔力の籠もった人形によって振り払う。
令呪のブーストが掛かった反撃が、吉良の能力を掻き消していく。


「[[アビゲイル・ウィリアムズ]]―――私は既に彼女の『喉』を爆弾に変えているッ!
 さあ、私と[[仁科鳥子]]の『道連れ』を引き換えに攻撃をするか!?」


アビゲイルとキラークイーンが攻撃の応酬を繰り広げる中で、殺人鬼は叫んだ。
既に鳥子の喉元に対して『爆弾化』を発動している。
スイッチを押しさえすれば、鳥子をいつでも始末することができる。

そう、これは最終通告だ。
抵抗を続けるのなら―――ここで[[仁科鳥子]]を爆殺する。
歯を食いしばり、吉良はアビゲイルを見据えた。

彼女は未だに、キラークイーンとの交戦を辞めない。
殺人鬼の宣告を聞いても尚、その手を止めることはない。
これよりマスターを殺すという脅しに、何の躊躇いも見せない。

ああ、そうか。
それが君の答えか。
堪忍袋の緒が切れるように、吉良は決断する。
彼女達は心底愚かだったことを認識した。
ならば、もう構わない。

死ね、[[仁科鳥子]]。
そして、さようなら。
[[吉良吉影]]は、殺意を剥き出しにして。



――――カチリ。



スイッチを押した。
されど、訪れたのは沈黙。
爆弾は、作動しなかった。



「――――何?」


吉良は、唖然とする。
そして、視線を動かした。

鳥子の透明な左手。
その掌の中に――――黒く淀んだ『魔力の塊』が握られていた。
先程の記憶が蘇る。
鳥子が令呪で宝具開放を指示し、吉良の動揺を誘った一瞬。
その隙を付いて、彼女は左手で自分の首筋へと触れていた。


「触れたものを、爆弾に変えるんでしょ?」


苦痛を感じながらも、ニッと不敵に笑い。
鳥子は、その塊を左手で見せつけて。


「起爆装置、見つけたよ。手探りでね」


そして―――それを、握り潰した。
その時吉良は、初めて僅かな動揺を見せた。
彼女が何をしたのか。その左手で、何を行ったのか。
それを理解したからだ。


(キラークイーンの爆弾を、解除した……!?)


[[仁科鳥子]]の『透明な左手』は、あらゆる怪異へと干渉する。
その対象は、物理的な範囲に留まらない。
形なき怪異を実体として捉えることも出来る。
現実と裏世界の接点を切り開くことも出来る。
怪異に由来する力の根源を、掴み取ることすら出来る。


「左手を奪えなかったのは、失敗だったね」


その左手が、サーヴァントに由来する魔術さえも捉えてみせたのだ。
令呪の発動によって吉良の意識がアビゲイルの方へと向いた一瞬。
その隙を付いて、鳥子は自らの左手を動かしていた。

彼女は、アサシンによって爆弾化されたであろう喉元に触れて。
その奥底にある『魔力の根源』――いわば『起爆装置』を手探りで見つけた。
そのまま強引に掴み取り、それを握り潰してみせた。
あの東方仗助でさえ行わなかった『爆弾化の解除』を、[[仁科鳥子]]は実行したのだ。


「知ってる?殺人鬼さん。
 この左手、『愛の証』なんだよ」


まるで婚約指輪を見せつけるように。
鳥子は、眼前の殺人鬼へと言い放つ。


「あんたなんかにくれてやるもんじゃない」


それは、誓いの言葉。
それ故の、拒絶の宣言。

その手が誰の為にあるのか。
たった一人の相棒と、結び付く為だ。
[[紙越空魚]]の右目と、[[仁科鳥子]]の左手。
裏世界での絆を象徴する、二人の力。
そう、それこそが彼女達のエンゲージリング。
薄汚れた殺人鬼に捧げるものなどでは、断じて無い。


「あなたが切ろうとしてるマスターも、これから組もうとしてた私も一緒。
 結局あなたは―――他人に興味なんか無いんでしょ」


[[仁科鳥子]]も。[[紙越空魚]]も。
心に隙間を抱え、孤独を埋め合わせるものを希求し。
そして、“共犯(あい)”によって引かれ合った。
けれど。眼前の殺人鬼は、違う。
孤独を満たすことなど、初めから考えていない。
誰かと繋がることに、一欠片の興味もない。
彼にとって他人など、道端の石ころにも等しいのだから。


「誰も信じなかったし、誰も頼らなかった。
 だからあなたは、これから敗けるの」


そう断言する、鳥子の眼差しは。
毅然と、真っ直ぐに、殺人鬼を貫く。
[[吉良吉影]]の脳裏に、ほんの一瞬。
“とある女性の顔”が浮かんだ。

たった一度だけ守ろうとして、そして無事であることに安堵した女性。
“新たな日常”の中で、自分が知りもしない想いを抱きかけた女性。
彼女は、私を信じてたのだろうか。
私は、彼女を信じようとしてたのだろうか。


―――どうでもいい。
―――全ては過ぎたことだ。
―――そう。終わったのだ。


[[吉良吉影]]の感傷は、風に吹かれるように消え去っていく。
そして、彼の意識は高速で『現在』へと巻き戻る。
研ぎ澄まされる魔力の匂いを悟った殺人鬼は。
鳥子ではなく―――アビゲイルの方へと、視線を向けた。


「我が、父なる神よ」


キラークイーンの拳が、アビゲイルの腹部に叩きつけられる。
しかし、胴体を覆うように召喚された『触手』がそれを防ぎ。


「薔薇の眠りを超え――――」


矢継ぎ早に放たれた右手の手刀で、眼の前の少女を『爆弾』に変えようとする。
されど、その一撃もまた死角からの触手によって絡め取られる。
キラークイーンは、迷わず左手による打撃を放とうとする。

殺人鬼は、気付いていない。
ほんの僅かな異変に、気付かない。
スキルによる精神干渉への耐性を持つが故に、却ってそれを察知することが遅れた。
彼は、微かに冷静さを欠いていた。
宝具を開放するセイレムの少女――そこから漏れ出る“異界の念”によって、細やかな“動揺”を抱いていた。
それは、戦闘におけるほんの一瞬の致命打と成り得るもので。


「いざ、窮極の門へと至らん」


―――少女が、殺戮の女王へと迫った。
全身から溢れ出た触手で、背伸びするようにその身を突き出し。
そして左手の一撃が叩き込まれるよりも先に。
女王の身体へと、幾つもの触手が殺到する。
猫草が再び『空気の壁』を作り出さんとする。
されど、間に合わない――そして女王が、無数の触手に抱擁された。
女王は猫草を制御し、咄嗟にアビゲイルへと空気弾を叩き込む。
腹部に衝撃を与えられながらも、少女は決して女王を引き離さない。
触手を絡ませ、がっちりとその肉体を固定する。

[[仁科鳥子]]を、爆弾に―――出来ない。
一度点火した以上、キラークイーンの指が再び触れない限り能力は発動できない。
そして殺戮の女王は、今まさにアビゲイルへの対処で封じられている。
吉良が鳥子を縊り殺すよりも先に、相手の宝具は『発動』する。

少女と女王の顔が、数センチの距離へと肉薄する。
まるで口吻を交わす直前のように。
その白く幼い貌で、無機質で冷徹な表情を見据える。

·



「『光殻湛えし虚樹(クリフォー・ライゾォム)』―――ッ!!」



·

その額――――浮かび上がる『鍵穴』。
這い寄る混沌。迫り来る闇。
殺戮の女王は、『未知』を視た。



◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



『――負け惜しみ、か』


“負け惜しみだろ、それ”。
凡人から吐き捨てられた一言によって、殺人鬼の表情が真顔へと変わる。

自分が“敗北した”という実感は、確かに殺人鬼の胸に刻まれていた。
これから自分が退場していくことも、理解している。
だから彼は、こうして事実を粛々と受け入れている。
それを“負け惜しみ”と断じられることは、プライドに関わることだ。


『違うね。前向きに物事を捉えているのさ』
『いつまで格好付けてんだよ》


ただ幸福に生きるべく、建設的に考えるだけだ。
そう言わんばかりの態度で反論するが、凡人は変わらず冷ややかな眼差しを向け続ける。


《お前結局、負けるべくして負けてんだよ。
 自分のミスをどうにも出来なかったから、このザマになってんだろ】


そして。
殺人鬼――[[吉良吉影]]は、“違和感”を覚える。
ほんの僅かに感じ取った、奇妙な感覚。


❴❴❴それを他人事みたいに開き直って、“想定内の出来事でした”みたいな顔で言い訳して。
 そのくせあんたは他人を見下し続ける。俺が俺を見下すのと同じように]]]


凡人の声が“揺らいでいる”。
ノイズが掛かるように。
別の電波が混線するかのように。
何かが歪んで、淀み出す。


❲❲❲やる気がなかった癖に余裕ぶって、自分のメンツだけは保ちたいんだよな〙〙〙


歪な声で、凡人は殺人鬼を詰る。
その本質的な過ちを抉り出すように。
淡々と、そして黙々と、苛んでいく。
殺人鬼は、僅かながらも眉間に皺を寄せる。
怠惰な若造が―――そうやって相手に言い返すことも出来たが。
そんな無駄な労力を使う気にもなれなかった。

ああ、それにしても。
&ruby(・・・・・・・){そもそも此処は}、&ruby(・・・・・){どこなのか}。
私は一体、何を見ているのか。
殺人鬼は、ふいに疑問を抱く。


“““お前さ―――間違いなく、俺のサーヴァントだったよ。
 だってお前、自分以外になんの興味も持ってないんだから”””


何故、こうして“取材”を受けている?
何故、こうして“敗北”の宣言をしている?
何故、こうして“凡夫”から説教されている?
何故、こうして“密室”に居座っている?

不可解極まりない。
幾ら考えようとしても、答えは出ない。
敢えて推察するとしたら。
これは死の間際に見る、夢のようなものなのだろうか。
ある種の走馬灯のように、自らを省みてるのではないか。


『……さようなら、マスター。この1ヶ月間、久々に日常を楽しめたよ』


煩わしい話を打ち切るように、殺人鬼は席を立つ。
取材は終わり。最早話すことも、聞くこともない。
彼はただ、舞台から降りていくだけだ。

久々に日常を楽しめた。
殺人鬼の本心は、結局それだ。
止まらない欲望を満たし、久しい“生活”を謳歌する。
彼がこの聖杯戦争に参加した究極の動機は、つまるところそれだけに過ぎず。
勝利を求めながら、聖杯を求めながら。
心の奥底では―――「例え勝てなくても、次がある」と高を括っていた。

だから[[吉良吉影]]は、敗けた。
自らの渇望と勝利に全力を尽くさなかったのだから。
己の信念を突き進み、勝利へと邁進する英傑になどなれなかったのだ。
結局は目先の快楽に耽り、退き際にばかり目を配る“臆病者”でしかない。
戦いに命を懸けることを放棄した殺人鬼に、万物の奇跡など齎される筈がない。



『そう―――お前は《罪深いあなたは、敗けてしまう》』



いあ、いあ――――。
凡人は囁く。
声が揺れて、重なる。


『……何?』


いあ、いあ――――。
殺人鬼が、眉を顰めた。
ほんの僅かに感じていた“違和感”が。
形を伴った“異変”へと変わっていく。

いあ、いあ――――。
凡人の姿が歪み、ひび割れて。
やがて一人の“魔女”の姿が顕になる。


《あなたは、変わらない》


いあ、いあ――――。
魔女は、囁き続ける。
殺人鬼の心象世界へと干渉し。

いあ、いあ――――。
彼の記憶を基に、“凡人”の虚像を生み出し。
そして無意識下に眠っていた本質を抉り出す。

くとぅるふ、ふたぐん―――。
これから去り行く殺人鬼に、夢を見せる。
彼が背負う罪を洗い出すかのように。


《ずっと、繰り返すのよ》


それは“変わらない平穏”ではなく。
言うなれば、“終わらない閉塞”だ。
あの凡夫が味わってきたものと、同じ絶望。
そう―――彼の未来は、動かない。


《永遠に、永遠に、廻り続ける》


だから、魔女は告げる。
呪いの言葉を、淡々とぶつける。
あの凡夫の日々が無価値であったように。
貴方の戦いには、なんの価値もないと。
貴方は、罪に焚かれていくのだと。


《それが、貴方が背負った罪の炎。
 永遠にその身を焚き続ける、無限の業火》


故に魔女は、歪な憐れみを向ける。
赦されぬ魂を、淀んだ瞳で見つめる。


《嗚呼、哀しいわ。もはや貴方の咎を裁く者はいない》


そう、ここは“杜王町”ではないのだから。
これは善悪さえも超越する“輪廻”なのだから。
そんな彼を慈しむような眼差しと共に。
魔女は、まるで聖母のように微笑み。
そして、悪魔のようにせせら笑う。


《だから、罪深き私が救わなければならないの》


密室が、蝕まれていく。
コンクリートの壁が、天井が、朽ちていく。
崩壊する世界の亀裂から、眩い光が無数に射す。
光が。光が、光が、光が、光が―――――。

殺人鬼は、目を見開いた。
ああ、あれは何だ。“あの手”は何だ。
この名伏し難き悪夢は、いったい何なのだ。

ほんの微かに。
されど、確かに“門”は開かれてしまった。
人理とは相容れぬ異界の念は、あらゆる者の精神と肉体を蝕む。
それは、呪われし殺人鬼でさえも例外ではない。
そう、何者にも止められない。
この狂気と混沌は、やがて全てを飲み込む――。



《さあ―――共に“お父様”へ祈りましょう?》



イグナ、イグナ―――トゥフルトゥクンガ。
やがて世界は、何かに“埋め尽くされた”。
白き虚無の光と、黒く果てなき闇の中。
祈りの声だけが、響き渡る。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆



息を、整えていた。
両手を床に付き、俯いていた。
ホテルの一室は、再び静寂に包まれる。

押し寄せてくる疲弊感。
溢れんばかりの嘔吐感。
途方も無い不安と恐怖。
そして、己の霊基が蝕まれつつあった感覚。
[[アビゲイル・ウィリアムズ]]の胸中に、あらゆる熱病がこみ上げる。

“僅か”にでも“門”を開いて、改めて認識した。
自らが宿す“外なる神の巫女”としての力の片鱗を。
あの怪僧が目を付ける程の“災厄の素質”を。

その混沌を、敵に向けた時。
それは―――何よりも恐ろしい武器となる。
そして。その力は、やがて己自身さえも蝕む。
アビゲイルは、否応無しにそれを理解した。

彼女は、顔を上げて。
周囲を見渡して、魔力の気配を探った。
あのアサシンは―――跡形もなく“消えていた”。

逃亡を果たしたのか。否、決して違う。
殺人鬼は、もうこの世界には存在していない。
あの混沌と虚無の果てへと放逐され。
そして、聖杯戦争という舞台から消え失せた。
それだけが、確かな真実だった。
異界へと繋がるアビゲイルは、その事実を“認識”していた。


「マスター!」


そして、アビゲイルは床に横たわるマスターの元へと向かう。
[[仁科鳥子]]―――彼女の容態を、すぐさま確認した。

消耗と疲弊によって糸が切れたのか、気を失っていた。
呼吸はしている。心臓も動いている。
恐らく、命に別条はない。
そのことに安堵を覚えたものの、深い傷を負っていることに変わりはない。
右手首から先が、あのアサシンの“爆発”によって欠損しているのだから。
火傷によって出血は起こしていないものの、体力の消耗は間違いなく大きい。

そして、残された彼女の“透明な左手”へと視線を移した。
その手に宿る紋様―――三角の令呪が、一部欠けている。
先程、鳥子は令呪を切った。
あの殺人鬼を倒すために、アビゲイルへと指示を出した。

鳥子から“令呪を使ってあいつを倒す”と念話が入った時。
アビゲイルは、一欠片も迷わなかった。
“アビーちゃんが嫌なら――”。
そう告げられても尚、アビゲイルは受け入れることを決めた。

もしも何かあった時には、私があなたを止めるから。
真っ直ぐにそう伝えてくれた鳥子を、信じたから。
この一ヶ月間、家族のように接してくれた鳥子の想いを疑うことなど有りえなかった。

彼女は、私を信じる。
私は、彼女のために戦う。
だからこそ。
“巫女”としての力の片鱗を、鳥子のために解き放った。


――――決して死なせない。
――――あなたは、私を信じてくれたのだから。


例え、この忌まわしき“鍵”が。
地獄への門を叩くのだとしても。
それでも、あなたを守るために。
私は最後まで、私でありたい。
清廉なる少女は、祈る。
大いなる父か―――あるいは、己自身にか。
その答えは、彼女のみが知る。


【文京区(豊島区の区境付近)・ホテル/二日目・未明】

【[[仁科鳥子]]@裏世界ピクニック】
[状態]:気絶、体力消耗(大)、顔面と首筋にダメージ(中)、右手首欠損(火傷で止血されてる)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]基本方針:生きて元の世界に帰る。
0:アビゲイルの“真の力”について知る。
1:アルターエゴ・リンボを打倒したい。
2:私のサーヴァントはアビーちゃんだけ。だから…これからもよろしくね?
3:この先信用できる主従が限られるかもしれないし、空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
4:できるだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
5:もしも可能なら、この世界を『調査』したい。できれば空魚もいてほしい。
6:アビーちゃんがこの先どうなったとしても、見捨てることだけはしたくない。
[備考]※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。
※透明な手がサーヴァントにも有効だったことから、“聖杯戦争の神秘”と“裏世界の怪異”は近しいものではないかと推測しました。


【フォーリナー([[アビゲイル・ウィリアムズ]])@Fate/Grand Order】
[状態]:体力消耗(中)、肉体にダメージ(中)、精神疲労(大)、魔力消費(大)、決意
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスターのことは、絶対に守る。
1:鳥子に自身のことを話す。
2:アルターエゴ・リンボを打倒したい。
3:マスターにあまり無茶はさせたくない。
4:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。


◆




彼は、どこにもいない。
この街の影となり、雑踏に溶け込む。
欲望のままに、犯行を繰り返し。
自らの罪さえも完璧に覆い隠し。
実態なき“噂”として、社会を彷徨う。

その姿に、形などない。
何者にも捉えられない霧のように。
“個”を捨てて、“都市伝説”と化したのだから。

無数に茂る雑草のように。
己の素性を葬り、夥しい人混みの一部となる。
だから彼は、誰でもあり。
そして彼は、誰にもなれない。
物語に関わらない、名もなき不特定多数。
ただ群衆へと混ざり合い、消え去っていく。
結局彼は、それだけの存在でしかない。

それは、彼が望んだこと。
それは、彼が求めたこと。
それは、彼が齎したこと。
自らが撒いた種だ。
己の因果を、ただ順当に背負っただけのこと。

激しい喜びもない。
深い絶望もない。
彼は、変わらない。
彼は、誰にも見つからない。
道端の植物のように、見過ごされる。

この街は。この都市の喧騒は。
[[吉良吉影]]という男を、知る由もない。
彼がこの街を生きた証は、何処にもない。
ただ、それだけのことだった。
彼という男は、混沌という藪の中へ―――。




&color(red){【アサシン(吉良吉影)@ジョジョの奇妙な冒険 消滅】}



**時系列順
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**投下順
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|113:[[僕の戦争(後編)]]|CENTER:アサシン(吉良吉影)|&color(red){LOST}|
|113:[[僕の戦争(後編)]]|CENTER:仁科鳥子|119:[[Give a Reason]]|
|~|CENTER:フォーリナー([[アビゲイル・ウィリアムズ]])|~|