. ◆ 「つまりはさ、ぜんぶ何もかもぶち壊しちまえばいいんだろ?」 ◆ 「聖杯戦争というシステムに、私は可能性を感じている」 深淵の底。 あるいは宙の果て。 広がる光景はそう呼ぶに足る威光と荘厳、神秘に満ちていた。 「英霊……時代を問わず歴史に名を置いた戦士・豪傑・王侯・術師を招き、使い魔として使役する召喚術式。 それらを複数編成し競わせ、最後に勝ち残った者に奇跡と恩寵を与える儀式的闘争。 双方ともに、私が求める実力主義の世界に組み込むに易い、有益な要素だ。 千差万別の能力を有し、中には神霊に匹敵する規格外であろうとも、資質があれば規格に収められる。 国の鎮護を司るに申し分ないだろう」 黒い地面。 黒い空間。 一帯が奥行きも見通せない広さに見えるのは、地下空間故の光源が届いていないからではない。 一切の光見えなき黒洞々、空気なき深海、重力なき星空の暗き幕が地下を覆っているからではない。 むしろ逆。光はそこかしこにある。 しかし、照らすのは人口の電灯ではない。 新都市の施設地下には有り得べからざる荘厳と神秘が凝縮された光が、他を塗り潰しているに過ぎない。 「私の世界には悪魔と呼ばれる存在がいるが、あの枠組み(カテゴリ)にも過去の偉人、他宗教の神が含まれている。 悪魔召喚とは単なる言葉の綾か、真実あれらは信仰対象のアバターなのか……。 その呪法を授けた奴からして得体が知れないのだから、詮索は無意味といえばそうなのだろうがな」 天井に、巨大な幾何学模様が浮かんでいる。 差し込む光は外の陽光が差し込んでるのか、模様自体が煌々と光を発しているのか。 円形の中心に太陰大極図。それを囲み、補強するように精緻に書き込まれた梵字と記号の数々。 知識のある者が読めば、幾多の計算が並列して横並ぶ、ひとつの数式に映るのだろうか。 膨大、かつ複雑極まる難問。しかし計算は全て正しく合わさり、ひとつの解を導く為の標となっている、美しい式。 そして地面には、さらに巨大で、複雑な光芒が敷かれている。 基盤には、清浄なる青線の六芒星。その各頂点と、内部には円の図式。 内接円には都合8つの象徴的な記号が取り囲む。これもまた数学者であれば、一生をかけて解き明かす時間と意味を要すだけの公式が記されている。 上下の方陣は、この領域において法則であり、秩序である。 空間も、設備も、魔力も、全てがこの為に使用され、流れていく。 一歩出ればなんの意味のなくなる、しかし完成された世界。 全てが両の式に描かれた通りに運行する、極小の銀河。 それはマクロコスモスと呼ばれる、新世界のモデルケース。 人が掲げる至上の命題、真理に辿り着く、その階である。 「話が逸れたか。とにかく、英霊召喚と聖杯戦争という術式を、私は高く評価している。 私の理想の世界に基準システムとして置き、より人を高みに押し上げる為に使うだけの価値がある。 惜しむらくは、参加者の選定が粗雑な点だがな。術式が完成されているが故に、見合わぬ格が力だけを得る可能性がつきまとう。今回のようにな。 英霊に人格と自主性が備わっているのはその対策か。考案者はよく考えていると見える」 「あのさ。それ、誰に聞かせてんの?」 天地に敷かれた方陣を前に、聖杯戦争の解体・接収のプランを試案する[[峰津院大和]]に向かって、息も絶え絶えに蹲った[[紙越空魚]]は青褪めた顔で割り込んだ。 「ただの反芻だ。別に聞かせていただけではない。それに講義に耳を傾けていれば少しは気分も晴れるだろう」 「興味ない講義なんてのはね、聴いてるだけで頭が痛くなってくるの。大学行ったことないの?」 「教育機関にすら通った記憶もないな。自分より頭の劣る者に講義を受ける意味があるのか?」 抗議を止めた。 「吐くのなら隅にしろ。陣が汚されては敵わん」と部屋の端に追いやられ、喉元をせり上げる嘔吐感と脳幹がかき混ぜられた酩酊感と戦ってる最中だ。 いけ好かない同盟者の前で垂れ流す粗相がないよう、必死に乙女の尊厳を守っている空魚に、これ以上の反論(ツッコミ)の余裕はなかった。 ちなみに胃の中には、空魚の一週間分の食費にも届こうかという値の大和持ちの保存食(あさごはん)が入っている。台無しにするのは、もったいない。 東京タワー地下。 駐車場を引き払わせ、更に掘り進めた、地図上には存在しない未領域。 空魚は大和に連れられるままに降り、そこで巨大な魔法陣と引き合わされた。 かつて家庭を歪ませたカルト宗教さながらの、オカルトじみた仕掛け。 けれどその効果は、意味は、詐欺や商法の胡散臭い書面とは断絶している。 裏世界。あの本物の異界と同種異類の気配が、目に見える正真正銘のかたちとして、光にあふれている。 何も言わずとも分かる。これが大和の言う霊地。 掴めば掴むだけ手に入る億万の財。他の陣営がこぞって求めて止まない金脈なのだと。 その要所に目前まで来たということは、ここで本格的に防衛の手を固めるものなのかと考えていたのだが。 陣の中心に立った大和は、空魚には聞こえない小声で何事かを呟き出した。 そして空魚にも陣の内に入るよう指示を出し、訝しりながらも従って足を入れた途端、方陣の光芒が輝きを増した。 そこからはもう、空魚の知覚を吹き飛ばす衝撃だけだ。例えるなら遊園地の絶叫系アクションをノンストップで敢行したような疾走感、浮遊感、墜落感。 光が収まって閉じた目を開けば、特別どこか変化もしてない。 何があったんだと大和に詰め寄ろうとして、胃液が逆流してくる気持ち悪さがこみ上げてきて……現在に至る。 「で。結局、何だったのアレ。東京タワーで新設したアトラクションですとか言ったら、流石に文句の領域を超えるところだけど」 ペットボトルのミネラルウォーターで口腔と食堂を洗い、息の調子も戻ってきたところで、ようやく空魚は本題を切り出した。 落ち着いて改めて見渡すが、銃刀法全無視の物騒な銃火器も、霊験あらたかな雰囲気の遺物も見当たらない。 御大層な魔法陣から、タワーを越える身の丈の怪獣が咆哮と共に飛び出したりもしなかった。 果たして大和は何をしたのか? 「ここは東京タワーではない」 「はい?」 答えの代わりに、前提から食い違ってるぞという指摘を、大和は言った。 「地図アプリを見てみろ。それで分かる」 「……?」 何が何だか分からないと、しぶしぶスマホで地図アプリを起動する。地下なのに電波の通りは妙に良い。 程なく地図上に現在位置を示すマーカーが打たれ、詳細な住所が表記されるが。 「……スカイツリー?」 空魚の脳は再び混乱に見舞われた。 出てきた地名は「東京都墨田区押上1-1-2」。 番地まで正確に記憶してるわけじゃないが、自分がいた場所……東京タワーが港区にあるぐらいの知識は当然ある。 電波が狂ってるぐらいしか思いつく答えが浮かばない中、答え合わせをするように大和が口を開いた。 「ターミナル……と言っても君は知らんか。平たく言えば転送装置だ。 私の世界にあった技術を界聖杯で再現したものだ。機材も技師もいないが、運用の知識なら私も把握している。 そもそもアレは峰津院に伝わるオーパーツが基盤となっているからな。機械部分は安定の為の補助に過ぎん」 「……………………なんて?」 何の気なしに、平然と「東京タワーからスカイツリーまで瞬間移動した」と言い出した大和に、空魚の目が点になった。 「何を驚く。たかだか直線で8kmだ。車なら20分もかからん。 本来の、日本全国にある支部のターミナル同士での運用に比べれば児戯にも等しい距離だ。 ふたつの龍脈を掌握した私を介して、レイラインの流れに沿ったまま移動した、いわば川遊びのようなものでしかない。 裏世界なる異界で、帰還時に距離を隔てた転移をした君にしてみれば、瞠目するに値はしないだろう」 とても満足のいかない、苛立ちの混じった口調。 十分だいそれた行為をしたように映るが、それは空魚の側から見た話であって、大和の中では「この程度」でしかないのだ。 もっとやれる筈なのに、もっと上の結果を出せるのに、制限を課されて全力を出せない状態に対して、怒りにも近い憤りを感じている。 天才なりの苦労。 持つ者が故の責。 実力主義。成果至上。隣に座るようになってよく耳にする、大和の掲げる願いの大義。 どれひとつ持たない空魚が共感することのない環境。 まさしく住む世界が違いすぎるのだろう。【裏世界】に潜む怪異共とベクトルの向きさえ違えど、危険度度合いでいうなら大差はない。 理解できない無秩序の法則で襲ってくる怪異より、明確に知識と思考を持っている分、大和の方が数段もヤバイ気すらある。 化け物よりも人間こそが真に恐ろしい────。 生態からして違う怪物よりも、同じ種族からの殺意にこそ恐れを抱くのだと。 フィクションでさんざ使い倒された陳腐な文句を、やはり空魚は間違ってると抱く。 だって。化け物でもなく、人間でもなく。 化け物じみた力を持った人間が、一番恐いに決まってるだろ。 「そしてもう一度言おう。この程度で驚くな」 東京タワーでなきスカイツリー地下。 場所が置き換わろうと、変わらず東京の支配者である峰津院大和は告げる。 「これで場打てするようなら……この先からは、戦う前に魂が消し飛ぶぞ」 全てを終わらせる戦いの狼煙を。 全てが始まる降誕の宣誓を。 ◆ 暗転。 点灯。 暗転。 点灯。 起動。 停止。 起動。停止。 液晶パネルが発光して知らせる画面は、一分前と変わらない。 待機画像やアイコンまで自分好みにデコレーションしたディスプレイ。 新着の通知、なし。 新着の電話、なし。 指を離して、更新がされるのを今か今かと願い待って、数十秒経って明かりが落ちる。 暗転した画面に映るのは、派手に染めた紫色。結わえたふたつ房。誰にでも見つけてもらえるアイコン。でも今は見つけて欲しくない。誰にも。 せっかくのオシャレとメイクが、ぜんぶ台無しにしてしまうぐらい酷い、酷い顔をしてるから。 表情が死んでます。生気が抜けてます。正直言って限界です。 枯れた喉に代わって、そんな訴えを起こしてる気がする顔筋を忌々しく思って起動ボタンを押す。 光に塗りつぶされた画面は、1分前と変わらない。通知なし。電話なし。 だたいまメランコリー付与中。毎ターン5%ずつメンタルが減少する状態です。解除まではあと3ターンお待ちください。 もう通知を待ってるのか、自分の顔を見るのがいやなのか、どっちなんだろうかもあやふやで。 タップ。点灯。点かず、離れず。 着信。 「……!」 指で掴んだ四角に圧力がこもる。 映し出される受話器のマーク。流れ出すメロディーに目を這わす。 名前欄に表記、なし。 番号に憶えもない。今しがた繋げた連合の番号とも違う。 知らない番号からの電話。指は止まり、受信のタップまで伸ばされず。 バベルシティ・グレイスはサビのクライマックスに差しかかる。 座っていたにちかは困惑に目を逸らす。 息抜きに全員分の飲み物を用意していた真乃はびっくりして立ち尽くす。 目を合わせてくれたのは、銀灰の髪の青年。にちかのサーヴァントであるライダーが、無言で首肯する。 スライドを、合わせる。 「……はい」 耳を当て、返事を待つ。 顔が見えず、声もまた知らない相手からの最初の反応を、ひとつも聞き逃すまいと。 沈黙はおよそ一秒。 躊躇うような、考え込むような息遣いが耳を打ち。 「………………摩美々ちゃん?」 「──────ん、霧子ー。知らない番号だから誰かと思ったぁ」 「あ……ごめんね……! 心配かけさせちゃって……!」 ほんとは呼気だけでもう気づけたけど。 名前を呼ぶ声を聞いて、そこまで待ってやっと声をかけてあげる。 憔悴した空気を吐かないで、焦って語気を見出したりしないで。 いつものように、話を聞いてあげる。 「ほんとはもっと早く……連絡しなきゃって……思ってたんだけど……その、電話……壊れちゃって……」 「んー。いいってー。それより霧子は? 危ない目に、遭ったりしてないー?」 「うん……大丈夫……。怪我もしてないし……危ない人も……ここにいないよ……」 本人が言うなら、そうなのだろう。こういう時、霧子は嘘をついたりしない。健康管理が第一な子だから。 空いた指で[[ピースサイン]]を作ってみんなに見せる。揃って深く安堵の息をついて、空気が弛緩していく。 中にはまだ会ってもない人もいるのに。お人好し。 「ていうかぁ、霧子よくうちの番号知ってたねー」 「……えっとね……ここに来てからなんだけど……。何かあったらって……みんなの番号……見直してたんだ……」 「ふふー、さっすがB判定ー」 「ふふっ…………。 …………………あの、摩美々ちゃん……?」 「ん?」 「摩美々ちゃん達は……大丈夫……?」 「────────────、あ……」 しくった。 咄嗟に、かわす言葉を出せなかった。 こうなるって予想はしていたのに。 答え方だって、ちゃんと考えていたのに。 「あ…………みんなになにか……あったの……?」 「……うん、ちょっとね。や。違うな。ちょっとじゃない。これはナイナイ」 即刻訂正。 霧子に心配をかけたくない、まっとうな理由だとしても。 あれを「ちょっと」だけで済ませるなんて、嘘でも言いたくはない、ので。 「───あったよ。ぜんぜん。色々あった」 「……!」 動揺と不安。 良い意味で受け取れるトーンではないから、傷負う事があったと思うしかない。 失敗した。話にすべき順序を取り違えてしまった。 霧子の声で心から安心して、緩んだ気持ちが、次に来る話題の耐性も緩めてしまった。 隠せることじゃないし、ちゃんと話しておくべきなのはわかってるけど。 霧子はいい子で、頭もよくて、いっつも周りの人の心配をしちゃうから。それを聞いたら、責任を背負っちゃうような子だから。 アンティーカはそんな風に、皆(だれか)を背負おうとしちゃう子ばっかりだから。 こういうのは、こっちから切り出すべきで、その役回りは自分しかいないっていうのに。 「今はなんとかやってるから、そこまで心配しないでね。真乃も、にちかも一緒にいるしー」 「え……? 真乃ちゃん……? にちかちゃんは……ふたりとも……そっちにいるの……?」 「…………あー……そっかー。そっからだったねー……」 最後に霧子と話をしたのは、確かかのにち会談の頃か。 世田谷区も壊れず、黒い悪魔とドルにちのライダーとが滅茶苦茶やらかしもせず。 真乃のアーチャー、只人の七草にちか、アサシンがいなくなるよりも前だ。 真乃が新たに加わったのはともかく、二人のにちかの交錯の結果すら、何も伝えられてない。 ……何より言わなきゃいけない、[[プロデューサー]]の話に関しては、おそらく今も一切知らないままだ。 それどころかプロデューサー自身、霧子がマスターという事実を知らないんじゃないだろうか。 あの場所にはサーヴァントしか来なかったけど。その人にしろ、後ろに控えてる海賊にしろ、霧子の存在にまったく言及してこなかったから。 そのすれ違いは是正しなきゃ、このまま放置したままでいたら、誰にとっても不幸な結末を与える気がしてならない。 「霧子。今からこっちって来れる?」 一気に情報を与えすぎちゃって、液晶の向こうで疑問符をたくさん浮かべた霧子の顔が目に浮かぶ。 向こうも向こうで、順風満帆な雰囲気というわけでもなさそうで。霧子しか知らない物語も目にしているだろうし。 共有すべき前提、突き合わせていくべき話は、きっと多い。 ……別に、これ以上霧子と連絡が取れないままでいるのに耐えられない、なんて私情は、特に否定もしない。 第一、これから途轍も無い大作戦が開始されようとしているんだから、合流するべきなのも正しいだろうし。うん、理論武装。 「うん……! 私も……。摩美々ちゃんに……早く会いたいなって……思ってて……。 話したいこと……伝えなきゃいけないこと……いっぱい……あるの……!」 「……ふふー」 くしゃりと、右房が揺れる。 ストレートにシンプルに言われるのは、やっぱりけっこう効くもので。素直にもらっておく。 「でも今は……ちょっとばたばたしてて……。 連合……さん? の人が来てて……鳥子さんと……おでんさんが……一緒に行くって言ってて……。 あ……二人のことも……伝えないと……だよね……」 「え──────連合?」 ……聞き捨てならない単語に、全身に総毛が立つ思いがした。 因縁深い対立関係。最終レース前まで競り合う予定の対戦者。 睨み合いという名の同盟締結をしたばかりの名前が、思ってもいないタイミングで出てきた。 何でそこで連合が来るのか。 しかも、しかもだ。よりにもよって霧子の口から語られるぐらい、近い距離で。 『M』からも、[[死柄木弔]]からも、霧子の話題なんて出ていない。 まさかあれだけ啖呵きって取り決めておいて、舌の根も乾かぬうちに弱みを握りにきたというのだろうか。 早すぎる手回しに愕然とするが、やるかと言えば、残念なことに……やる側なのだ、あっちは。 如何にもな悪のボスとその参謀……実際に言葉の応酬を終えた後に印象の更新はあれど、人の嫌がることは大好きと言い切った人達だから。 さっきとは打って変わった、デフォルトの簡易なメッセの着信音が横で鳴る。 持ち主のライダーはすぐさま内容を確認するなり、眉間に皺を寄せ、清爽な顔立ちに厳しさが表れた。 画面をこっちに向けて見せてくれ、届いた文面が、現在進行形で聞いてる霧子に置かれた状況と一致していることに、同じように眉間をきゅっとした。 ……隠し立てするほど、向こうも悪辣ではなかったというわけらしい。 文章には、霧子の発見はあくまで偶然という注釈がついており、予想だにしないブッキングに早急に伝達することで、要らぬ反感を与えたくない思惑を感じる。 反感とか悪感情とか、今更そこ気にするー? と思いもしたけど。 まあそこの詰め方は、真っ先に電話をかけてくれてるライダーにお任せしても平気だろう。 なのでこっちは、こっちで済ますべき事を。 「摩美々ちゃん……?」 「悪いけど霧子、そこの人達に、ちょっと待ってもらえるよう言ってくれない? 連合さんとうちらのマネージャーで、リスケとかしとかなきゃなんでー」 「え……? う、うん……!」 「その間にー、霧子とはもうちょっと話をしよっかぁ。 あんまり長話もできないから……まずは近況からだけど」 さあ。ソロ活動はここいらでお開き。 ここからは、アンティーカの再始動のお時間だ。 ◇ 「───話は分かったよ。つまりそっちの進行は[[仁科鳥子]]の捜索及び保護で、[[幽谷霧子]]さんとの接触は完全に偶然だってことでいいんだな?」 『そういうことサ。しかも例の"義侠の風来坊"まで伴ってるとは完全に予想外だったよ。 目撃情報は幾らも出てくる割に神出鬼没だからね、彼は』 行き違いは、早々に解消に向かっていた。 連合の手の者が283プロダクションのアイドルの幽谷霧子に接触している事態。 同盟締結、曲がりなりにも共同して事に当たろうとした段に、関係を決裂させかねない選択を取るとはどういうことだ詰問する腹積もりでいたアシュレイは、多少なりとも肩透かしを食らった気分だ。 『この件について、我々は君達が危惧する手段を取る意図は皆無だったと通す。 幽谷女史がマスターである可能性は認識していたが、例の新宿事変以降に痕跡はぱったりと途絶えていたからね。 率直に言って、そこで脱落したものと半ば打ち捨てていたところだよ。私にとってもこれは寝耳に水だ』 「死人を人質にする算段を立てるわけもない、か。 安否については、今の今まで確認が取れなかったのはこっちも同じだ。そういう意味で連絡の渡りをつけてくれたのには、まあ感謝している面もあるよ」 『連合』は霧子を害するどころか所在すら認知していなかったと申し開き、アシュレイもそこに虚偽はないものとして見た。 寝首を掻くタイミングは当然試算してはいるとしても、それが『ここ』なのは余りに杜撰極まる。 方舟が勝利に上向き、希望に辿り着く安堵と歓喜に心を委ねる、その寸前の刹那。 最高のタイミングで横合いから殴りつける、その瞬間に差し込んでくる───そう予測するアシュレイですら欺いた最悪の瞬間にこそ、悪の華は毒々しく開く。 Wと同等の知能の持ち主に、自分が策で上回れる自信は持てない。せめて何が来るかは想起できずとも、何かが来るという心構えだけは解いてはいけないと引き締め直す。 『ああ、認知をしたから確保に舵を切ろうと考えはしないか、という不安も考えなくていいよ。というか、不可能だ。 サーヴァントが三騎も揃い踏みしてる布陣でマスターを掠め取る隙など見つけられやしない。現に派遣したエージェントは、そのマスターに制圧されている。 即興で張った巣など一振りで飛ばされるさ』 「[[光月おでん]]、か。そこは率直に同情するよ」 『おや、名前までは公表してはいない筈だが?』 「ちょうど当人と手合わせしたサーヴァントがいてね。今言った同情云々もその人からの感想だよ。『ああ、そういうのしちゃいそうだなあおでんさん』だってさ」 だからこれは、不幸な事故で処理される。 互いに望んでないまま、偶発的な要因が知らず折り重なって出来た接触事故。 本命を前にしての些細な行き違いを摘めてよかったと、心からアシュレイは安心して。 『ともあれ、これで誤解は解けてくれたと思っていいかネ?』 「ああ、もう異論はない。痛くもない腹をつつく真似をして悪かったな」 『律儀だねェ。私なら更に詰めに詰めて無から賠償金を生み出すぐらいはしたのに。剣を取るより他国同士の折衝とかが向いてるよ』 「このまま事務仕事で済ませられる人生であればと常々思ってはいたさ。剣を取った事自体に後悔はないけどな。 ─────────それで改めて聞くけど、彼女達をどうする気だ?」 『だから』。 ここからはまた別件の、詰めるべき議題だ。 『どうもこうもない。 私が何を言おうとも、幽谷女史がいる以上、彼女達は方舟側の戦力に加わる。光月おでんとも協力を取り付けてるなら、尚の事止められない』 「止められるものなら留めおきたい、という風にも聞こえたけどな」 『必要ないとも。君達に加わるなら『我々』の共有戦力だろう? 黙っていても持ち駒が増えるんだったら、欲目を出す意味がない。 もうそちらにも伝わってるかもだが、光月おでんは[[カイドウ]]───海賊同盟の頭目の片割れと生前からの因縁があり、仁科女史のサーヴァントはアルターエゴ・リンボに付け狙われている。 彼女たちのサーヴァントの編成について、聞いているかね?』 「……セイバークラスが二騎と、エクストラクラスが一騎だとは」 『その通り。そして君から送られた情報(マトリクス)にも、セイバークラスが一騎いるね。 本戦から今日まで生き残ってきたセイバークラスは、恐らくこの三騎で全員だろう。おまけに光月おでんはサーヴァントと比べて遜色ない力量と聞き及ぶ』 『今や彼女の一団は、対海賊、対峰津院陣営に対抗する最強戦力だ。 出来るなら最大限に活用したい』 ……四肢にまとわりつく感触がある。 それは細く、柔らかく、気のせいだと思えばまるで問題がないくらい目に見えない繊維。 故に、気づいた時には、関節を絡め取り、自由を奪い、首を噛み千切られる瞬間を待ち受けるしかない見えざる毒手。 「……戦いに駆り出す事に異議があるわけじゃない。出し渋ってる余裕なんてないしな。 運用や配置だってアンタの方がずっと上手いものだって理解している。経験者(リピーター)っていうなら尚更無碍にもできない」 『おや、『W』はそこまで言付けをしていたのかね? 恥部(ウィークポイント)をつついてしまったから墓まで持っていってるとてっきり』 「遺してあった書類の隅に走り書きしてあったよ。字体が他のと比べて少しブレてたから、書くかどうか少し迷っていたのかもしれないな」 『プライバシーよりも味方の勝利の確率を上げる方を選んだか。まあ身から出た錆だし、文句というほどのものもないが』 「そっちの要求にも出来る限り応えられるだけはしたい。けれど共有と付けた以上は、俺達にも噛ませるのが筋じゃないのか」 『わかってるとも。作戦の説明と参加の説得は君の方にこそ向いている。 言っただろう? 何も言わずとも彼女達は君達の味方をしてくれる。 聖杯戦争以前、戦争の過程で構築した信頼関係が実を結び、長き苦難の雨風に晒されてきた方舟が今こそ出航の汽笛を鳴らし出したのだ。 これ以上の吉報はないだろう。君達の計画が成功する確率は、ここに来て最大値にまで上昇してきているといって言い』 『M』の評価は、決して過大評価でも、臆病風に吹かれた杞憂でもない。 サーヴァント・クラスの説明にて「最優」の判子が押されているセイバーが二騎。 更にはその列位に食い込む生身のマスターまでもが参列する期待が持てた。 残るエクストラクラスは詳細が不明だが、あのリンボが標的に定めてるというだけでも、底知れない脅威を秘めているのは歴然。 使い方次第で自分の首を締めかねないが、逆に適切に用いる事が出来ればこの戦局を覆すジョーカーに成り得る。 方舟の乗組員に最も欠けていた「剣」───訴えを届ける為の力が、期せずして4つも転がり込んできたこの状況。 いざとなればお前を脅かせるとぞいう抑止は、対話のテーブルにつかせる第一段階を相手に踏ませられる。 誇張でもなんでもなく、これはアシュレイの界奏運用、敵対勢力の打倒、あるいは交渉に現実味を持たせられる、最大級の加勢なのだ。 「────────」 そしてそこまでを理解すれば、『M』のこの不審な姿勢にも筋が通ってくる。 何故ならば方舟に強力な味方が増えるのは、そのまま連合にとって───。 「……ああ、そうか。合点がいった。 戦力が一気に集まってきて、俺達だけでもなんとかなるかもしれなくなったから、『あんた達とはこれまでだ』と手を切る可能性が生まれてしまったんだな」 方舟(ぜん)と敵連合(あく)が手を結ぶ、この異質の同盟の前提は、慢性的な戦力不足にこそある。 決して交わらない平行線同士でも、矢印の向きは同じで、同じ障害が双方の道を塞いでいる。だからこその呉越同舟。 最期の一瞬まで荒れ地を舗装を続け、途上で潰えながらも道筋を残してくれた『M』にも、悪による悪の蜘蛛に力を貸すことは断腸の思いだった筈。 霧子は勿論として、光月おでんも、出会えさえすれば友好を交わし、共に戦える関係になれただろうに。 巡り合いの歯車が噛み合うまでに、悪による善の蜘蛛が張る巣は持ち堪えられなかったのは、無念の極みだ。 「そんな不義理は犯さない……と言ったって、簡単に信じちゃくれないか。 『それ以外手がないから仕方なく関係を続ける』と『いつでも手を切れるけどまだ役に立つから関係を維持する』じゃ、プレッシャーの差が違いぎるもんな」 「君の人柄、誠意については既に把握している。他のサーヴァント、アイドルについても似たりよったりだろう。 そこから導かれる『裏切り返し』の確率は、現実的には低いものだ。 しかし可能性は生じてしまった。0に等しかった数字が、一桁を超えるか否かの分水嶺まで上がってしまった。数学者の見地からこの値は見過ごせない」 戦力の拡充を拒む理由はない。 しかし丸ごと方舟側に組み込まれる事態は避けたく、さりとて危害や人質の扱いは関係に軋轢を生む。 『M』の憂慮は尤もだ。予期せぬ出来事が持ち込むものは、善因だけとは限らない。 今すぐ決裂を考えるのは早計だろう。戦力を補充できたとはいえ、それで勝てる保証がつくものでもない。 まだまだ敵は多いのだから、味方につけておくのに越したことはない──────。 戦略上妥当な判断。しかしそれではただの打算だ。 それ「ありき」の関係を了承して呑み込んでるとはいえ、方舟の帆である御旗の誠意と正当性を欠いてしまう。 アイドルが憂いなく、胸を張って空を見上げていけるようにする配慮は、目的達成と同等の優先事項なのだ。 握手した逆の手で銃を握り、膝から下でお互いの脛を蹴り合いから始まって、じわじわと高まる不満分子。 その結末は? 言うまでもない。 限界まで膨張(インフレーション)して破裂する先は、晴れて教科書に箇条書きで羅列される紛争の末席入りだ。 「……要するに、これまでの方針と声明が、票田集めのハッタリじゃないと証明してみせればいいわけだろ?」 ───そんな事にはさせない。絶対に。 比翼の信頼を、星の光を、灰になった誰かの応援を、託してくれた緋色の遺産を。 苦境と絶望、涙と怒りを乗り越えて方舟を走らせた先の漂着先を、誰も何も得るもののない最悪の終わり(バッドエンド)で終わらせるわけにはいかない。 醜く陰惨で、歴史上の何処にでもありふれた人類の業が、ここまで懸命に生きた彼女達の終着駅(ゴール)だなんて。 それではあまりにも───こんな自分を信じてくれた彼らが、報われないではないか。 「残念にも疑心を得てしまった私の信頼を取り戻せるプランを、今から用意できると?」 「っていうか、これからしようとしてたプランに修正をかける、だな。 元から最初に決めておかなきゃならない予定だったんだから前倒しですらない。すぐにでも実行できる。 その為に頼みがあるんだが───幽谷さん達と接触したっていう人の番号を教えて欲しい。 田中さんのを借りてもいいけど……彼女達も大事な話をしてるみたいだからさ」 「それは構いはしないが、彼に……いや、用向きはそこにいる誰かかね?」 故にこそ、今一度この身に炎を灯して羽撃こう。 赫怒なく、憎悪なく、空を飛び立つ助走を、強く地を蹴り上げて駆け上がる。 一切合切の悪を、己を薪に焚べて灰燼に帰するのではなく。 海洋に伸びる地平線の彼方、光と灰の境界線に手を届かせるため。 「ああ。光月おでんと、話がしたい」 ◆ 東京タワー地上。 電波塔の役割をスカイツリーに譲った今でも、東京の代表的な名所に選ばれる赤き尖塔の下に、峰津院大和は立っている。 独りだ。 供回りはいない。護衛もいない。 給仕、運転手、付き人、秘書。 財閥の運営全権をその五指に握る俊英の周りには、御曹司の世話役、公務の補佐を任ずる人間の姿が何処にも見当たらない。 否。見当たらないのは役員のみではない。 朝を迎え、界聖杯の都市には光が満ちようとている。 早番の会社員が、朝帰りの若者が、保育園に我が子を預けに自転車を回す母が。 往来を出歩き始め、ぽつぽつと人の雨が洪水と押し寄せる前触れになる時間になっても。 社員は、来なかった。 若者は、帰らなかった。 母は、通らなかった。 日は昇っても、港区の朝は凍りついていた。 時計の針が丑三つ時より進んでいない。いや、どのような時分でも人一人姿を見せない瞬間が、大都市の中央に訪れるわけがない。 ならば港区はやはり時の牢獄に囚われているのか。人が姿を消したのは鎖に繋がれた冥府の番犬の腹を満たしたためなのか。まさか。 これは権力だ。峰津院の権威。影から国の行く末を定め差配してきた機関の、その名残りだ。 行政のあらゆる部門に幅を利かせ、その意には都知事すら口を挟めず、総理すら無碍には扱えない。 その峰津院が東京都民に指示を下した。東京タワー及び東京スカイツリー付近に近づくことを禁ずると。 当該施設に務める職員に暇を出し、通行には迂回のルートを辿るよう交通規制をかけ、出入りを封鎖した。 規制ラインの境界線に身を乗り上げて中を窺おうとする、マスコミと野次馬の群れすら見当たらない。 そうしようという認識を、外されている。 大和の表側の力が権威であれば、裏側には古の魔導あり。 そこに向かう目的意識を靄にかけ無意識に遠ざけさせる、結界としては初歩的な人避けの術ですら、大和が扱えば世界を騙す幻術の域に立つ。 今の全東京民は、東京タワーとスカイツリーという単語を脳裏に浮かび上がらせすらしない程、記憶に封をかけられていた。 何も知らない都民は、連日の怪異と未曾有の災害の対処に追われた峰津院が、ついに抜本的な解決に向けて動き出したのだと、期待を抱くだろうか。 聖杯戦争を知るマスターとサーヴァントは、程なく起こる霊地を懸けた決戦に、無辜の民を巻き込まいとする配慮に見えただろうか。 愚か。 愚かだ。愚昧にも程がある。 大和は否と突きつける。無知の民も浅慮なマスターも共に侮蔑する。 人を遠ざけたのは、惨事に群がる衆愚の混乱が目障りだからでしかない。 喚き泣き叫び、峰津院と見るや声高に救出を催促する雑音が耳障りだからでしかない。 自国の民でなき、現実の情報を掠め取って似せただけの人形に気配りを回すなぞ、思う事すら煩わしい。 それが大和の判断の全てだった。 必要であれば、界聖杯全ての住民を残らず鏖殺して己のランサーに食わせることに、何の呵責も湧きはしなく。 必要でないのだから、喧しく羽音を鳴らす蝿なぞ締め出して、食い合わせるに足る獅子を見繕えばいい。 調査員も誰もいない。大和と、大和が選んだ者しか存在を許されない聖なる神域。 精神集中の瞑想(メディテーション)のために両目を閉じ、心象内の刃の研ぎに当てる。敵を待つ間ですら大和の中では戦いが開始されている。 存在を補足した敵を仮想し、能力を推し量る。得手不得手を読み解き、戦闘方法を先読みする。 どこを突くのが弱いか、どう攻めるのが勝ち筋なのか、保有する選択肢は十分か、解釈に揺らぎはないか。 掲げる理想を身を以て体現せねば、下に示しがつかない。 実力主義、自己を研鑽し才を発揮さえすれば誰もが正しく生きられる世界。 懐いた志は信念に根ざし、生活の一部として溶け込んだ常態と化した。 後はこの理念を、物質界における法則に組み込むだけ。 永きに渡る回廊の頂上、そこに待つ扉の存在に実感を持ちながら、逸らず、精神を乱さず。 やがて訪れる敵の影を見咎めるまで、少年の瞑想は続けられた。 「──────ほう」 そして──────。 ─────────開け放たれる両眼。 「鼻息を荒くして来るのはあの『青龍』かと思ったが……意外な先客だ。 リンボなる、卑しい呪詛師の佇まいとも思えんが」 「その『青龍』だけど、少し後ろで待たしてもらっている。ここに来たのは俺だけだ」 無人の道路に立つ、白い影。 刀を携え、魔力を漲らせ、しかし戦士の気風を抱かせない穏やかな佇まいをしている。 「スカイツリーの方にも手は打ってある。遠くから姿を見たが、それで正解だったと思う。あんなのが暴れだしたら本当に最後まで止まりそうもないからな。 腸が煮えくり返る思いだろうけど、どうにか我慢してくれそうだったよ」 その青年には覇気がなかった。 徹底的に戦闘用に調整して、単分子の刃にまで研ぎ澄まされた大和の精神が、毒気を抜かれかけてしまうほどに。 これより戦い、お前を殺すという意思が、欠片も見当たらない。 なのにそこに軟弱さは見られない。背筋は堂々と、深く雄々(やさ)しい海を思わせる瞳は怯えと無縁と大和と交差し、ひとつも逸らさない。 「時間は取らせない。どうか俺の話を聞いて欲しい。 皆(だれか)の願い全てを取り零さず、何もかも丸く収まる為の話を」 戦いの始まりは静かなもの。 界聖杯の運命を決する時間。 英雄にも、悪鬼にも、神にも当て嵌まらない。 生きるに能わぬと切り捨てるよう断じた弱者が、大和の前に立つ───最初の相手だった。 ◆ 「これより同盟の名を告げる」 「発案者は私、連合の『M』と、方舟の『W』」 「我らは共に不倶戴天。相容れぬ善と悪」 「されど共にこの箱庭を超えんとする者」 「例え道を違えることが決まった平行線でも、果てしなく線を伸ばした先に交点があると見出した者」 「善なる者は、方舟によって聖杯という定められた地平を飛び越える事から」 「悪たる者は、世界を平らに均した地平線を聖杯の上から見下ろす事から」 「この同盟、ひいては作戦名を『地平聖杯戦線』と呼称する」 「各自、奮戦を期待する」 ◆ [[→>地平聖杯戦線 ─RED LINE─(2) ]]