797 名前:今帰さんと将来像 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/02/15(日) 23:11:07 ID:fcL8yYcU [2/6] 「お菓子、作ってきたの」 生徒会室に入るなり、彼女はそう言った。 鞄から可愛らしくラッピングされた包みを取り出してくる。 ああそうか、昨日の下校中、今帰さんが作ったお菓子を食べたいって言わされ……言ったっけ。 それにしても昨日の今日とは、行動が早い。 リア充はこのあたりがすごいよなー。行動力が違う。 善は急げ。まったくもってそのとおり。その言葉の正しさは 、何もかも後回しにしてきた結果であるところの今の僕のぐずぐずな人生が証明している。 彼女が包みから出してきたのは、切り株というか、小型の丸サボテンのような形状をした茶色の焼き菓子だった。 「これは……?」 「カヌレだよ」 「かぬ……なんて?」 「カヌレだよ。下手……かな?」 今帰さんは申し訳なさ気に言うが、申し訳なさそうにされても困る。 「いや下手とか以前に、聞いたこと無くてさ。僕のお菓子ボキャブラリなんてクッキーとかプリンとかケーキとかシュークリームくらいだからね」 そう、こんなおしゃれなお菓子が出てくるなんて想像だにしていなかった。まるでもってぼっちに似つかわしくないおしゃれさだ。 お菓子を作ってくると言っても、てっきりクッキーくらいのものだと思っていた。今帰さんが写メで送ってきていたのもそんな感じだったし。 ……いや、正直、よく見てないから分からなかっただけで、本当は結構凝ったお菓子の写メも送ってきていたのかもしれない。後で確認してみよう。 「そうなんだ。お菓子……嫌いだった?」 「いやいやとんでもない! 単に機会が無かっただけだよ!」 男一人でこじゃれたケーキ屋に行くなんて軽い拷問だ。出来るわけがないからね。 僕は誤解されないよう、慌てて今帰さんが作ってきたカヌレをほおばった。 外は結構カリカリというかしっかりしていて、中はふわふわというかしっとりしている。 独特の食味だけどおいしい。 「おいしい! 初めて食べたけどおいしいよ! こんな難しそうなお菓子も作れるなんて、さすが今帰さん!」 「そうかなー、えへへ」 「そうだよ! 今後の僕のカヌレの基準は今帰さんの作ったカヌレになっちゃったよ」 「それ、褒めてる?」 「褒めてる褒めてる! 今帰さんが僕の世界の中心だよ!」 「ありがと」 今帰さんは頬を軽く赤く染めて照れている。可愛い。 あれ、今帰さん普通に喜んでるぞ。褒めすぎだと軽く引くところなんじゃないかこれは。 まあ僕も引かせたいわけじゃないからいいんだけど。 「愛情たっぷり篭めたんだから、まずかったら困るよー」 水筒からお茶を注ぎながら、今帰さんはますます顔を赤くしている。 ……口の中にあったカヌレの粘度が急に増したような気がした。喉に詰まりそうだ。 今帰さんがお茶を勧めてくる。 これを見越してお茶を用意するとは、今帰さんは天才か。 慣れないハーブティーの妙な香りが、僕の口に広がった。 宿題も終わり、進路志望の紙を書いていた。 地元の国立大学を第一志望とするのはいいとして、どの学部のどの科を選ぼうかと頭を悩ませていた。 「今帰さんはもう出した?」 「うん。阿賀君は悩んでいるの?」 「大学は地元の国立でいいんだけど、学部とか学科とかどうしようかと思ってさ」 「阿賀君は将来、何になりたいの?」 798 名前:今帰さんと将来像 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/02/15(日) 23:12:35 ID:fcL8yYcU [3/6] それは本当に何気ない言葉だったんだろう。何になりたいか決まればどこに行きたいかも決まるという、大人たちが言うような至極単純な論理。 だがその言葉は僕にとってはとても重いものだ。 何に。 僕が一体何になれるというんだ。 答えは、何にもなれない。 「……無難だったら何だっていいかなあ。やりたいこともないし、かといってバリバリ仕事するなんて、僕にはとても無理そうだ」 無難に仕事するのも正直言って無理そうだけど、それを直視しちゃうと人生に関わるから見ない振りをしている。 刺身の上にタンポポの載せる仕事すら、僕にはまともに勤まりそうに無い。 「阿賀君って結構仕事できそうだと思うなー。何があっても平常心で」 今帰さんは誤解している。 苦痛に顔を歪めない奴隷がいたとして、それは優秀なのとは違うし仕事が出来るのとも違う。 そしてそういう奴隷は案外あっさりぽっくりと死ぬ。 「今帰さんは、弁護士目指してるんだっけ」 「あれ、わたし阿賀君にそんなこと言った?」 「いや、多分聞いてない。誰かが噂してたよ」 「単なる教師向けのいい子アピールなんだけどね」 僕は驚いて今帰さんの顔を見る。 い、今帰さん!? けろっとしている。本当になんとも思っていない様子だ。 僕が唖然と彼女の顔を見ていると、彼女はそれに気づいて、いたずらっぽい笑顔で僕の顔を見る。 「ねえ阿賀君。私の本当の夢、教えてあげようか」 そう言った直後、今帰さんは不愉快気に顔を歪めた。 「そんな露骨に興味なさそうな顔しないでよ、傷つくなぁ」 僕は自分の顔を触る。 めんどくさいことになりそうだ、と思ったのが顔に出ていたのか? そんな僕を見て、今帰さんが手を伸ばしてきたので、僕は反射的に椅子を引いた。 今帰さんは少し悲しげな顔をする。 今帰さんは少し悲しげな顔のまま、どこか遠くを見るように言う。 「私ね、誰かと二人で幸せになりたいの」 あまりにも唐突なその言葉を、冗談か本気か僕には判断しかねて、僕はフリーズした。 誰かと幸せになる。 僕にとってはとんでもなく難しい(というか不可能だろう)命題だが、今帰さんにとっては簡単なことのはずだ。 それを態々こんな持って回った言い方するってことはつまり…… 「……なんか言ってよ。恥ずかしいじゃん」 「ええ……っと、それって、つまり……」 「そう、要するにお嫁さんになりたいの」 彼女は頬を染める。 僕は再び絶句する。 お嫁さん? 今日日幼稚園児でもそんな幼稚こと言わねえぞ。 いや、非婚、晩婚化が取り出さされる昨今、案外結婚というものは年を取れば取るほど難しくなるものだ。つまり幼稚園児より高校生のほうが難しく、さらに年を取ればなお難しくなるのが必定。 ということは、一見幼稚に見えるこの願望も、現代の世相を鑑みた極めて妥当な夢なのではないだろうか。 2chでも、生涯の伴侶は高校や大学あたりで見つけとけ、といったアドバイスを見たような覚えがある。 「だから、何か言ってよ」 数秒、何か気の利いたことを言おうとして、結局何も思い浮かばず、何も言えない。 「阿賀君はどう思う? 好きな人いる? 結婚したい?」 今帰さんが僕のほうに向き直る。 799 名前:今帰さんと将来像 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/02/15(日) 23:13:47 ID:fcL8yYcU [4/6] 宝石のような双眸に、僕の姿が捉えられる。 頭の中まで射抜かれるような視線にとても耐えられず、僅かに体を引く。 今帰さんの桜色の唇が僅かに開き、呼気が漏れる。 僕は口を開く。 君が好きだ。 そう言い掛けて、止まる。 そう言ったら、一体どうなるだろうか。 ……どうもならないだろう。 彼女は可愛くて人気者だ。 そんなことは言われなれている。 そもそも、好きな人とか、結婚したいかだとか、それらは僕にはなんら関係の無いことだ。 だって僕はコミュ障だ。 そういった人並みの幸せは手に入らない。 だって僕は正常な人間じゃないから。 「結婚……なんて考えたことも無かったよ。僕、もてないし、性格的にも誰かと一緒にいることに向いてないし」 「そんなこと無いよ。私、阿賀君と一緒にいるときが一番楽しいよ」 彼女はほんの少し。ほんの少しだけ、体を僕に寄せる。 や、やめろ! そんなこと言われると惚れてしまうやろ! ぼっちの人生を狂わせてどうするつもりだ! 何の利益がある! 僕は何も答えることが出来ない。身じろぎすら出来ない。 「おじいさんとおばあさんがさ、二人並んで歩いてるのとか、素敵だと思わない?」 彼女はそう言いながらさらさらと、デフォルメされたおじいさんとおばあさんが手をつないで幸せそうにしている絵を、僕の進路志望のプリントの余白に描く。 おいそれ提出するんだぞ。消せばいいとはいえ。 「僕の人生、一人乗りだから」 「じゃあ改造しちゃおう!」 やめてくれ。 「そんなことしたら壊れちゃうよ」 「大丈夫! 壊れても直してあげる!」 この子は諦めるということを知らんのか。 それに、壊したの君だよね。 「最初から、触らなければ壊れないよ」 たしかに、一般人から見たら壊れてるように見えるかもしれないけどさ。 これはこれで案外快適なものなんだよ。おすすめは出来ないけどね。 思わず苦笑いする。 「だって、一人なんて寂しいよ」 彼女は何気なく言う。本当に、他意なんて無いように。 ……僕の人生、ずっと独りだったんだけど。 「でも、気楽だよ」 今帰さんは不敵に笑う。 「もう二度と阿賀君の人生に安息は訪れないよ?」 「君は魔王か何かか。安らかに眠らせてくれ」 「我が腕の中で息絶えるがいい?」 「趣旨変わってるよ今帰さん」 「私の腕の中で息絶えてみる?」 口調じゃなくて内容の問題だよ今帰さん。 「いやだ、と言いたいけれど、人間どうせ死ぬんだから、それも悪くないのかもね」 なんでもないようにおどけてみせる。本当は、すごく冷めているのに。 今帰さんはおもむろに立ち上がる。 怒らせたか? 今帰さんは僕の背後に立つ。どうしたのか、と振り向く前に、今帰さんが後ろから僕に腕を回してきた。 「い、今帰さん?」 「私の腕の中、どう?」 肩甲骨の辺りに、何か感触を感じる。こ、これはおっぱ―― 「どうしたのさ突然!」 僕は慌てて今帰さんの腕の中から抜け出そうとする。 それを抑えるように少し、ほんの少しだけ、今帰さんの両腕に力が篭められる。 ほんの僅かに、首が絞まる。 「く、苦しいよ今帰さん」 「言ったよね? 私の腕の中で息絶えてみる? って」 800 名前:今帰さんと将来像 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/02/15(日) 23:14:13 ID:fcL8yYcU [5/6] 「じょ、冗談だよね?」 「このまま、もう少しだけ腕の力を強めたら、阿賀君はもうどこにも行かないよね?」 彼女は、僕の問いには答えない。 その声におどけた様子は無い。しかし本気とも取りかねた。 「阿賀君、すぐどこか行っちゃうんだもん。私、結構怒ってるんだからね」 僅かに、締め付けが強まる。僕を逃がさないためか、それとも。 「僕はどこにも行けなくなるけれど、その代わり、今帰さんが刑務所に行っちゃうよ」 努めて軽い調子で彼女をなだめる。 彼女は何も答えない。 今帰さんの熱を感じているはずなのに、僕は悪寒を感じた。 彼女の言葉に、殺意や害意は感じられない。 それでも、このまま、本当に殺されるんじゃないかって思ってしまった。 僕が悪寒を感じたと同時に、今帰さんの腕が僕から離れる。 「それはダメ。私が隣にいないと意味が無いもの」 ひらひらとゆれるように歩きながら、彼女は室内を一回りする。 僕はただ呆然を彼女を見る。 怒ればいいのか、恐怖すればいいのか、それすら図りかねる。 今帰さん、君は…… 「ごめんね、変なことして」 「あ、ああうん、ちょっと驚いたかな」 「ごめん。もうやらないから」 「うん」 その後、僕たちには会話も無く、二人並んで無言で帰った。 ――――――――――――――――――――――――――― 今帰さんの行動はどんどんエスカレートしている。 すっかり忘れていたが、今帰さんと会話することとか、二人で話したりするってことからそもそも異様な状況だ。 それを、だんだんと疑問に思うことが出来なくなってきている。 慣らされている。 彼女は一歩ずつ地面を踏み固めるように、ゆっくりと、だが着実に僕の傍に踏み込んできている。 さすが優等生だ。彼女は努力が苦痛であるという概念を持ってないんじゃないだろうか。 努力の結果、彼女には一体なにが手に入る? 頑張ってお金をゴミに変えるような、そんな不毛な努力をよくやるものだ。 このままだと、僕はどうなってしまうのか。ここ最近の異様な様子からして、遠からず身に危険が及ぶことは想像に難くない。少なくとも、今までのような人生は送れなくなる。低燃費低性能低価格がウリな一人乗りの阿賀号の大破は免れ得ない。 彼女が逃がさないというのなら、僕はそろそろ、真剣に逃亡の必要性について検討しなければならないのかもしれない。 ――――――――――――――――――――――――――― 阿賀君を後ろから抱きしめたとき、すごくしっくり来た。 収まるべきところに収まるものが収まったという実感。あるものがあるべき形になったという確信。 阿賀君は最初からここにいるべきだったのだ。 ああ、私の不安も、悲しさも、苦しさも、全て納得がいった。 阿賀君だ。 阿賀君がここにいなかったのがいけなかったんだ。 ずっと、私の手の中に納まっていればいいのに。 気づいてしまえば、もうそう思わずにはいられない。 そこにいない彼を怨まずにはいられない。 阿賀君は、ここにいるべきなのだから。それが正しさなのだから。 もし、もしも阿賀君が、そこから逃げようとするなら、私は……