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第2部3話」を以下のとおり復元します。
「剣を買いにいくわよ、イチロー!」 

それは、ある日の朝だった。 
ハルケギニアで虚無の曜日と呼ばれる休日の日の出来事である。 
ルイズは考えていた。 
ずっと、考えに考えていた。 
イチローを召喚したその日から、今日までひたすら考え抜いた。 
もしかして主人の私よりも、使い魔のイチローの方が目立ってないだろうか? 
いやいやそんな馬鹿な。 
と、否定したいが、どうしようもない事実だった。 
自分は未だ魔法がろくに使えない。 
それなのに、使い魔であるイチローはバットとかいう棒で竜巻すら発生させる。 
貴族であるギーシュにまで決闘で勝ってしまった。 
これではイチローと自分の、どっちが主人だか分からない。 
力関係が完全に逆転している。 
このままでは、私はイチローの影に埋もれてしまう。 
まずい、このままでは非常にまずい。 
そう思って、ずっと悩んでいた。 
何とか主人の威厳と尊厳を取り戻さなくてはいけない。 
幸いにも、イチローは今バットが壊れて困っているようだ。 
しかしあの使い魔の事だから、放っておけばそのうち自分で新しい物を用意してしまうだろう。 
なら、その前にこちらから先に代わりの物を用意してしまえばいい。 
そうすればイチローは私に感謝し、主人である自分の面目も立つ。 
でも、何を渡せばいいのか。 
ずっと悩んでいたが、今朝方唐突に結論に至った。 
そうだ。剣だ。 
剣しかない。 
剣を買おう、と。

「よく分からないんだけど、どうして僕に剣を?」 

困惑するイチローに、ルイズが得意気に言う。 

「だって、イチローはバットとかいう武器が壊れちゃったんでしょ? わ、私はあなたのご主人様として武器を用意する必要があるのよ!」 
「バットは別に武器ではないんだが……」 
「いいから買うの! 買うったら買うの! これはご主人様の決定なの!!」 
「まぁ、ルイズさんがそこまで言うならいいけど」 
「決定ね! なら善は急げよ! 行くと決まったら今すぐ行くわよ!」 

ルイズはイチローを引っ張って学院の外へと向かった。 
もちろん途中で馬を借りるのも忘れない。 
買い物をするトリスイテインの城下町は、徒歩で行くには少し遠すぎるのだ。 
馬を借りる手続きをして、さぁ準備万端といきたいルイズだったが、一つだけ問題があった。 

「何で借りられる馬が一頭だけしかいないのよ……」 

ぼやくルイズ。 
だが、それも仕方なのない事だった。 
ただでさえ休日で外出する者が多く、朝から馬は学院の生徒達にひっきりなしに借りられている。 
しかも魔法学院の厩舎は先日の騒ぎで一度全壊してしまっていて、その時多数の馬が逃げてしまっていたのだ。 
これでは一頭しか借りられないのもやむを得ない。

「まぁまぁ。一頭いれば十分だよ」 
「自分一人ならともかく、イチローを後ろに乗せていくのは無理よ」 

よほどゆっくり歩けばそれでも行けるとは思うが、そんな事をしていたら城下町との往復だけで日が暮れてしまう。 
馬に二人乗りしながらの早駆けは、意外と難しいのである。 

「心配はいらないよ、ルイズさん」 
「何でよ?」 
「忘れたのかい? 僕がどういった存在であるのかを」 
「イチローの事……?」 

ルイズが首を捻る。
はて、彼がどんな人間なのかと問われてルイズは考えた。 
一言で言えば、『すごい使い魔』である。 
そう思ったルイズは、そのまま考えを口に出した。 

「すごい使い魔」 
「うーん、そういう意味じゃないよ」 

どうやら外れのようだ。 

「じゃあ、何なのよ?」 
「いいかい、ルイズさん。よく聞くんだよ」 

そこで言葉を一旦止める。 
真剣なイチローの横顔に、思わずルイズは引き込まれそうになった。 

「僕は……メジャーリーガーさ」 

イチローが、堂々と自らを宣言した。

「……あ、うん」 

とりあえず、ルイズはそれだけ返事をした。 
他に返事のしようがなかった。 

「ほらほら、後ろに乗って、ルイズさん」 
「あ、ちょっとイチロー!?」 

いつの間にか馬に跨っているイチローの手に引かれ、ルイズは鐙に足をかけた。 
イチローが前に乗るというなら仕方ない。 
ルイズは渋々とイチローの背に周った。 
イチローの腰に手を回し、しっかりと落ちないように固定する。 

「イチローって意外と……」 
「ん? 何か言ったかい?」 

鍛え上げられたイチローの広い背を間近で見たルイズは、思わず「背中が大きいのね」と言ってしまいそうになったが、途中で慌てて言葉を止めた。 

「べ、別に何でもないわよッ!? それよりも、あんた本当に乗馬できるんでしょうね!?」 

誤魔化して怒鳴るルイズに、イチローが温和な笑みで返す。 

「任せておいてくれ。メジャーリーガーに不可能はないよ。走る場所が芝だろうがダートだろうが関係ない。いざとなればドバイでも凱旋門賞でも余裕さ」 
「よ、よく分からないけど、そこまで言うなら任せるわ……」 

ルイズがこくりと頷く。

「ならまずは、これからだな」 

イチローは手綱を持ったまま前傾し、馬の頭の方に自分の顔を近づけた。 
そしてぼそぼそと何事かを呟く。 
馬の耳がぴくりと反応し、まるでイチローに返事をするかのように嘶いた。 

「えぇ!? い、今何をしたのイチロー!?」 
「何って、ちょっと馬と会話しただけだよ」 
「会話!? 馬と会話!? どうやって!?」 
「メジャーのチームは多国籍だからね。僕みたいにメジャーリーガークラスともなれば、言語が通じない者同士でも意思疎通が可能なんだよ。つまり、同じ生物である馬とだって簡単な会話くらいできるんだよ」 
「そうなの!? よく分からないけど、イチローの言うメジャーってそういう場所なの!?」 
「何言ってるんだい? メジャーリーガーならこのくらいは当然だよ。じゃあ、そろそろ行こうか」 

イチローが軽く手綱を引くと、馬は地を蹴って走り出した。 
それも、凄まじい勢いで。 
俗に言う、ロケットスタートというやつである。 

「イ、イ、イ、イ、イチロォオオオ!?」 
「ルイズさん、どうかしたのかい?」 
「は、速、速、速すぎるわよぉおおお!?」 
「そうかい?」 

ルイズの顔が風圧で歪んでいる。 
イチローだけが平然としていた。 

「僕が本気で走ったらもっと速いよ?」 
「あああ、あんたを基準にしないで!? か、顔が、顔が風で痛いッ!?」 

こうして本来なら馬で三時間はかかる距離を、 
イチローの究極的乗馬技術によって一時間足らずで走破していったのだった。


キュルケは昼前に目が覚めた。 
今日は休日である虚無の曜日である。 
いつものように起きてすぐに化粧をし、休日をどう過ごそうかと考える。 

「そうだわ。今日はダーリンをデートに誘って口説いてみましょう」 

もしかするとルイズが邪魔をするかもしれないが、そんなものは関係ない。 
キュルケは、生まれついての狩人である。 
一度獲物を狙ったからには、絶対に離さないのだ。 
化粧を終え、自分の部屋から出て真っ直ぐにルイズの部屋へと向かう。 
まずは扉を何度かノックしてみる。 
イチローの部屋はルイズの隣であるが、 
基本的にイチローは寝る時とトレーニングの時以外はルイズの部屋にいるらしい。 
下調べは万全だった。 
イチローが出てきたら、いきなり抱きついてキスでもしてやろうかしら。 
ルイズが出てきたら……まぁ、その時はその時ね。 
そんな事を考えながら扉が開くのを待つ。 
しかし、待っていてもノックの返事はなかった。 
開けようとしてみたが、鍵がかかっている。 
キュルケは何の躊躇いもなく『アンロック』の魔法をかけた。 
呆気なく鍵が開く。 
学院内で『アンロック』の魔法を唱えるのは校則違反であるが、キュルケは気にしなかった。 
恋の情熱はあらゆるルールに優越する。 
これがツェルプストー家の家訓である。 
だが部屋に入ってみると、そこはもぬけの殻だった。 
誰もいない。 
キュルケは辺りを見回してみた。 

「相変わらず、色気のない部屋ねぇ……」

ルイズの鞄がない。 
つまり、どこかへ出かけたということなのだろうか。 
窓の方に近寄り、外を見てみる。 
すると、学院の門から馬に乗って出ていく二人の姿があった。 
間違いない、イチローとルイズだ。 
同じ馬に二人で仲良く乗っているようだ。 
目を凝らしてみる。 
同じ馬……? 

「ずるいわよルイズ!? ダーリンと二人乗りだなんて、まるで恋人同士じゃないのッ!」 

キュルケはこうしてはいられないとばかりに、慌ててルイズの部屋を飛び出した。


タバサは、いつものように寮の自分の部屋で読書を楽しんでいた。 
青みがかった髪に、ブルーの瞳。 
ルイズよりも小柄な体型である。 
タバサは、メガネの奥をキラキラと宝石のように輝かせながら本の世界に夢中になっていた。 
読書はタバサにとっての唯一の趣味ともいえるものである。 
虚無の曜日のように、自分の時間を好きに使える休日はタバサにとって大切な時間であった。 
誰にも邪魔されず、一人本を読むことこそが彼女にとっての至福なのだ。 
そんな彼女の至福の一時を邪魔する者があった。 
ドンドンと部屋のドアが叩かれている。 
タバサにとっての他人とは、自分の世界に対する無粋な闖入者に他ならない。 
鬱陶しいので、とりあえず無視した。 
すると、ノックの音はどんどん激しくなっていった。 
タバサは立ち上がろうとせず、面倒くさそうに小さな唇を動かしてルーンを唱え、机に立てかけてあった自分の身長よりも大きな杖を振った。 
部屋から音がなくなった。 
全くの無音である。 
『サイレント』。風属性の魔法だ。 
タバサは火を得意とするキュルケとは違い、風の属性を得意とするメイジなのである。 
これで再び集中できると、満足して本に向かう。 
この一連の動作中、タバサの表情はぴくりとも変わらない。 
しかし、部屋のドアは勢いよく開かれた。 
タバサはそれに気付いたが、関係ないとばかりに本から目を離さなかった。 
入ってきたのは、どうやらタバサの数少ない友人のキュルケのようだった。 
大げさに何かを喚いているが、『サイレント』の魔法が効果を発揮しているので声は届かない。 
キュルケは自分の意図が伝わらないことに気付き、タバサの肩を掴んで強引に振り向かせた。 
その際に本を取り上げる事も忘れない。 
無表情にキュルケを見つめるタバサだったが、どことなく不機嫌そうだ。 
それでもキュルケは真剣な顔でタバサを見つめてくる。 
タバサは仕方なく『サイレント』の魔法を解いた。
その瞬間、怒涛のようにキュルケの口から言葉が飛び出す。 

「タバサ、出かけるわよ! 今すぐ支度をしてちょうだい!」 

タバサはぼそっと答えた。 

「虚無の曜日」 

それで十分とばかりに、タバサはキュルケの手から本を取り戻そうとする。 
キュルケは本を高く掲げて、それを邪魔する。 
キュルケは背が高いので、こうされるとタバサには手が届かない。 

「分かってる! 分かってるわ! あなたにとって虚無の曜日がどんな日かは、あたしは痛いほど知ってるわよ!でも、今はそんなことを言ってられないの。恋なのよ、恋! 聞いてる、タバサ!?」 
「聞いてる」 
「聞いてるなら分かったわよね! さぁ、行くわよ!」 

キュルケがタバサの腕を掴んだ。 
しかしタバサは動かず、黙って首を振った。

「あぁ、そうね。あなたは理屈をきちんと説明しないと動かないのよね。ああもう! あたしね、恋をしたの! でね、その人が今さっき、出かけたのよ。それもあのヴァリエールと馬の二人乗りで! こうなったら黙ってられないでしょ? どこに行くか突き止める必要があるの! 分かった?」 

タバサは、しばし考えた。 
確かルイズの使い魔はイチローという男だったはず。 
彼女が誰かと一緒に出かけたということは、恐らくその使い魔が相手だろう。
タバサはイチローの力に興味があった。 
ヴェストリの広場でのギーシュとの決闘で、不可思議な力で竜巻を発生させて勝利したイチロー。 
それに、ギーシュの体に治癒魔法らしきものをかけていたようにも見えた。 
もしかすると、彼は平民ではなくメイジかもしれない。 
だが、彼が持っていたのは杖でなくただの木の棒だった。 
ということは、メイジでない別の存在……? 
メイジでないとしたら、あの力は一体? 
きっと何か秘密があるに違いないと、そう思った。 
タバサもしっかりと決闘の一部始終を見ていたのである。 

「分かった。協力する」 
「ありがとう! じゃ、追いかけてくれるのね!」 

タバサは再び頷いた。 
ルイズの使い魔に興味もあるし、何よりキュルケはタバサの数少ない友人である。 
ルイズが馬に乗って出かけたということは、恐らく自分の使い魔でしか追いつけないのだろう。 
そのため、キュルケが自分を頼ってきた事も理解していた。 
タバサは立ち上がって窓を開け、口笛を吹いた。 
甲高い口笛の音が青空に吸い込まれていく。 
タバサはキュルケと共に窓枠をよじ登り、外に飛び降りた。 
落下していく二人を、大きな影が受け止める。
翼を力強くはばたかせ、二人を背に乗せたウィンドドラゴンが飛び上がった。 
このドラゴンこそが、タバサの使い魔であるウィンドドラゴンの幼生シルフィードである。 
風竜は上昇気流に乗り、一瞬で二百メイルほど駆け上る。 

「どっち?」 

タバサが短くキュルケに尋ねた。
キュルケが、「あ」と声にならない声を上げた。 

「たぶんあっちの方……だと思う。でも分かんないわ。慌ててたから」 
「そう」 

キュルケの指さす方を見て、タバサが怒ることもなく答える。 
シルフィードの力なら、上空から馬を探して見つけ出すくらいたやすいからだ。 

「あら? でも、あそこに何か見えるわね……。何、あれ……?」 

果たしてその方向には、大地を爆走する一頭の馬の姿があった。 
信じられないようなスピードだ。 
土煙を狼煙のように上げ、馬とは思えない速度で駆けている。 

「も、もしかして、あれ……かしら……?」 

キュルケの戸惑ったような声に、タバサが小さく頷いてウィンドドラゴンに命じた。 

「馬一頭。食べちゃだめ」 

ウィンドドラゴンは短く鳴いて了承の意を伝えると、青い鱗を陽光に煌かせて飛翔する。 
力強く振った翼は巨体を軽々と大空へと運び、やがて風に乗って急降下していった。


トリステインの城下町にイチローとルイズは到着していた。 
魔法学院からここまで乗ってきた馬は、町の門の側にある駅に預けてある。 
ルイズは、内股になりながら奇妙な足取りで歩いていた。 

「お、お尻が痛い……」 

そう言いながら、ひょこひょこと歩く。 
イチローは苦笑しながらルイズを見つめた。 

「ごめんごめん。軽く走らせたつもりだったんだけど、ルイズさんには少し辛かったみたいだね」 
「じ、自分が情けないわ……。これでも乗馬には自信あったのに……」 
「次はもっと手加減するから、安心してくれ」 
「あれ、絶対馬の動きじゃないわよ。普通の馬はあんな変な動きしないわよ……」 
「そうかい? まぁ、馬も少し疲れてたみたいだけど」 
「少しどころじゃないわよ!? あの馬、死にかけ寸前まで疲労してたわよ!?」 

ルイズが怒鳴る。 

「おかげで、帰る時あの馬使えないかもしれないじゃない。このままじゃ、馬を駅に預けて学院まで歩いて戻るしかないわよ……」 
「ま、その時はその時さ。どうにかなるよ」 
「うぅ……。憂鬱だわ……」 

ルイズは涙目になりながら、イチローと共に歩いていった。 
イチローは物珍しそうに辺りを見回している。 
白い石造りの城下町を歩いていると、まるで中世の世界に迷い込んだような気分になってくる。 
イチローの興味を刺激するには十分だった。 
道端には露店商も多く、活気のある街であることが伺える。 
道には商人以外にも、もちろん老若男女様々な人間がいた。

「しかし、少し道が狭いな」 
「狭いって、これでも大通りなんだけど?」 
「これでかい?」 

道幅は五メートルもない。 
そこを大勢の人間が行き来しているので、歩くだけでも一苦労である。 

「まるで広島市民球場だな」 
「ひろ……しま?」 
「狭いってことさ」 

イチローが笑って答えた。 
ルイズは頭の中で疑問符を浮かべながらも、何も言わずに歩き続けた。 
途中、イチローは頻繁に露店の前で立ち止まった。 
何か珍しい商品を見つける度、興味深そうに眺めるのだ。 

「イチロー。珍しいのは分かるけど早く行きましょう。この辺はスリも多くて危ないのよ」 
「ん? スリ?」 
「そうよ。貴族から身をやつして傭兵とか犯罪者になって、魔法を使ってスリをしたりもするのもいるの。 
魔法を使われたら、さすがのイチローでも一発でしょ? イチローに預けてある財布は大丈夫なの?」 

ルイズは、財布は使い魔が持つ物だ、と言って、そっくりイチローに渡していた。 
中にはぎっしりと重い金貨が詰まっている。 

「あぁ、そうか。さっきのあれは、魔法使いがスリをやってたのか」 
「……え?」 

ルイズは耳を疑った。

「イ、イチロー? 今、何て……?」 
「ん? だからさっきの人は、魔法使いのスリだったのかなって」 
「いや、そうじゃなくて!? あんたもしかしてスラれてたの!?」 

ルイズが激しい剣幕で詰め寄る。 
だが、イチローはのんびりと答えた。 

「いや、スラれたりしてないよ。ほら、あそこ」 
「あそこ?」 

イチローの視線の先に目を向けると、道の隅にボロ雑巾のようになった男が倒れていた。 
ゴミにまみれ、白目を剥いて痙攣している。 

「なななな!? 何あれ!? あんた何したの!?」 
「いや、何だか突然僕の財布を持っていこうとしたようだったから、軽くお仕置きをしてあげたんだよ」 
「……もういいわ。いちいちツッコむのも疲れたわ。……行きましょう」 

魔法を使ったスリにどうやって気付いたとか、どう対抗したとかはあえて聞かない。 
ルイズは諦めたような顔で、イチローに先を促した。 

「ところで、あの瓶の形をした看板は何だい?」 

イチローは露店商の次は、看板に夢中になっていた。 

「あれは酒場よ」 
「あのバツ印のは?」 
「衛士の詰め所」 
「なるほど。やはり興味深いな」 
「もういいでしょ、行くわよイチロー」

ルイズはイチローを引っ張ってどんどん進んでいく。 
イチローに付き合っていたら、時間がいくらあっても足りない。 

「おいおい、急かさないでくれよルイズさん」 
「いいから早く行くの!」 

ルイズは狭い路地裏に入っていく。 
悪臭が鼻をつく。 
ゴミや汚物が、道のあちこちにまみれていた。 

「ここは衛生状態が悪いようだね」 
「だから私はあんまり来たくないのよ……」 
「少し掃除しておこうか」 

イチローが軽く手を振って道を扇いだ。 
イチローの手が空気を押し出し、その圧力は大きな風となる。 
路地裏に散乱していたゴミや汚物は、全て風に乗って吹き飛んでいった。 

「……もうツッコまない。私は何も言わない。私は何も見なかった。私は何も知らない」 
「どうしたんだい、ルイズさん?」 

ブツブツ言いながらルイズは歩いて行く。 
見ざる、言わざる、聞かざるに徹するルイズ。 
イチローは首を捻りながらその後を追った。 
やがて、二人は四辻に出た。 
ルイズは立ち止まると、辺りをきょろきょろと見回す。

「ピエモンの秘薬屋の近くだったから、この辺のはずなんだけど……」 
「あっちじゃないかな?」 

イチローがルイズを先導して歩き出した。 

「ちょっとイチロー!? 場所も分からないのに勝手に先に行かないで!」 
「心配いらないよ、ルイズさん」 
「……何でよ? 迷子になったらどうすんのよ?」 
「いいかい。バッターというものは、狙い球を絞る時は勘に頼る事もある」 
「……よく分からないけど、それが何?」 
「つまり、メジャーリーガーともなると、勘だけで地理くらいは把握できるってわけさ」 
「いくら何でも勘だけで店が見つかる訳がないでしょう!?」 

さすがのルイズもイチローに反論した。 
しかし、そのすぐ後。 

「あ。あった。あれじゃないかな?」 
「嘘ォッ!?」 

二人の目の前には、剣の形をした看板がぶら下がった店があった。 

「ほら、行くよルイズさん」 
「……色々、すごく、とても、非常に納得いかないけど、分かったわ」 

イチローとルイズは石段を登り、羽扉を開け、店の中へと入っていった。


店の中は昼間だというのに薄暗く、ランプの明かりだけが頼りなく辺りを照らしていた。 
壁や棚には、所狭しと剣や槍が乱雑に並べられ、立派な甲冑が飾ってあった。 
店の奥では人相の悪い五十絡みの親父が、入ってきたイチロー達を見つめていた。 
すぐにルイズの紐タイ留めに描かれた五芒星に気付くと、パイプを離してドスの利いた声を上げた。 

「貴族の奥様! うちは真っ当な商売をしてますぜ! お上に目を付けられような事は、これっぽっちもありやせんよ」 
「私は客よ」 

ルイズは腕を組んで言った。 

「こりゃおったまげた! 貴族の方が剣を!」 
「どうして?」 
「いえ、若奥様。坊主は聖具を振る、兵隊は剣を振る、陛下はバルコニーで手をお振りになって、あっしは時々、娼館で腰を振ると言った具合で……」 
「あんた、ちょっと下品よ」 

ルイズが顔をしかめた。 

「へぇ、すいません」 
「まぁいいわ。それより剣を使うのは私じゃないわ。使い魔よ」 
「あぁ、忘れておりました。昨今は貴族の使い魔も剣を振るようで」 

主人は愛想を崩さない。 
そして、じろじろとイチローを眺めた。 

「剣をお使いになるのは、こちらの方で?」 

ルイズは頷いた。

「確かにガタイは中々いいようですが、平民の方が使い魔たぁ、こいつは珍しい」 

イチローが、ぴくりと反応した。 
聞き捨てならない言葉だったからだ。 

「ご主人。訂正させてもらおうか。僕は平民じゃないよ」 
「へぇ? と、申しますと?」 
「僕は、メジャーリーガーさ」 
「はぁ?」 
「メジャーリーガーとは、選ばれた存在だよ」 
「はぁ……?」 

主人はぽかんとしていたが、すぐに気を取り直して、 

「忘れておりました。昨今では、めじゃありいがあも剣を振るようで」 

と、またお愛想を言った。 

「で、若奥様。どんな剣にいたしやしょう?」 
「私は剣の使い方は分からないから、適当に選んでちょうだい」 
「僕はバットがあればいいんだけど」 
「はぁ、バット……? とにかく、少々お待ちください」 

主人はいそいそと奥の倉庫へ消えた。 
その際、小声で、 

「こりゃ素人の集まりみたいだな。せいぜい高く売りつけてやろう」 

と呟いた。 
イチローは、無言でその背中を見送っていた。
しばらくして、主人は一メイルほどの長さの、細身の剣を持って現れた。 
片手用の剣のようだ。 

「最近、貴族の方々の間で下僕に剣を持たすのが流行っておりやしてね。その際にお選びになるのが、このような扱いやすいレイピアでさぁ」 

煌びやかな模様がついた、美しい剣である。 
なるほど、貴族が使うというのも頷ける外装であった。 

「貴族の間で剣を持たすのが流行ってるってどういうこと?」 

ルイズが尋ねると、主人は恭しく頷いた。 

「何でも、最近トリステインの城下町を盗賊が荒らしておりまして……」 
「盗賊?」 
「そうでさ。何でも『土くれ』のフーケとかいうメイジの盗賊が、貴族のお宝を散々盗みまくってるって噂で。貴族の方々は用心のために、下僕達に剣を持たせる始末で。へえ」 
「ふーん。盗賊だって。イチロー、あんたは知ってる?」 

ルイズが店の端で黙って立っているイチローに声をかけた。 

「ん? 盗賊? 悪いが知らないな。盗塁なら得意なんだが。何なら、僕の盗塁技術をルイズさんに教えてあげようか?」 
「よく分からないけど、それは遠慮しておくわ……」 

ルイズは首を振って断った。 
盗塁の意味は分からないが、イチローに教わるときっとただではすまない。 
そんな予感がひしひしとしていた。
 
「で、このレイピアはどういたしやしょうか?」 
「そうね……」 

主人の言葉に、ルイズがじっと剣を見つめた。 
剣はすぐに折れてしまいそうなほど細い。 
これでは、バットを振っただけで部屋を揺るがすイチローの馬鹿力に耐えられそうにない。 

「もっと大きくて太いのがいいわ」 
「お言葉ですが、剣には相性ってもんが……」 
「いいから持ってきて! 私は大きくて太いのがいいって言ってるのよ!」 
「へえ、分かりました」 

ペコリと頭を下げると、主人が奥に消えていった。 

「このド素人が!」 

ルイズ達に聞こえないように、そう小さく呟くのも忘れない。 
今度は立派な剣を油布で拭きながら、主人は現れた。 

「これなんかいかがでしょう? うちの店一番の品でさあ」 

一・五メイルはある見事な大剣だった。 
柄は両手で持てるように長く、立派な拵えである。 
そこら中に宝石が散りばめられ、鏡のように磨かれた等身が光っている。 
ルイズは一目見て気に入った。 
これなら見た目も素晴らしいし、貴族の従者が持つのに相応しい。 
それに、これだけ大きいならきっと頑丈なはずだ。 
どれだけ振り回しても簡単には壊れないだろう。 
イチローにぴったりだと思った。

「どうです? こいつはかの有名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー公が鍛えたものですぜ。魔法もかかってるから、鉄だって一刀両断。店一番の業物の名にふさわしい剣でさあ」 

主人は柄に刻まれた銘を見せ付けるように、ルイズの前に剣を出す。 
カウンターに置かれた大剣は、魅力的に輝いていた。 

「おいくら?」 
「へえ、こいつは……」 
「ちょっと待った」 

主人が値段を告げようとした瞬間、イチローの声が割って入ってきた。 

「何よイチロー。この剣が気に入らないっていうの?」 
「その通り。この剣は、ナマクラだね」 
「なッ……!?」 

主人が絶句する。 
ルイズも驚いてイチローを見ている。 

「旦那、突然何をおっしゃるんで!? いくら貴族の従者の方でも、言っていい事と悪い事がありやすぜ!?」 
「僕は嘘は言わないよ」 

イチローが淡々と、しかし自信に満ち溢れた表情で答えた。

「本当なの、イチロー……?」 

ルイズが不安そうな目でイチローを見上げてきた。 

「ああ、間違いない。まぁ、見ていてくれ」 

イチローはつかつかとカウンターまで歩いてくると、無造作に剣を取った。 

「ふッ!」 

軽く気合を込め、剥き出しの刀身を素手で握る。 
普通なら手が切れるだろうが、イチローは皮膚もメジャー級である。 
並の刀剣程度では、簡単に傷など付かない。 
甲高い金属音が店に響いた。 
大剣は、あっさりと折れていた。 

「ああああああッ!? 何て事しやがるッ!? いくら貴族の従者でも許さねぇぞ!?」 

主人が血走った目で、口から泡を飛ばして騒ぐ。 

「メジャーリーガーの選球眼と判断に、何か文句でも?」 
「うッ……」 

イチローが一睨みすると主人は静かになった。 
本能的に、生物として死の恐怖を感じたのだ。 
逆らったら確実に殺される。 
そんな予感に主人は何も言えなくなってしまった。 
ルイズは黙り込んだ主人を冷ややかな目で見つめていた。

「どうして気付いたの、イチロー?」 
「僕は昔、王さんに習って日本刀で素振りをしていた事があってね。これでも刀剣類には詳しいんだよ。あの剣が表面にメッキをしただけなのは一目見て理解できたよ」 
「そ、そうなの……? よく分からないけど、とにかく買う前にナマクラだって分かってよかったわ……」 

その時、乱雑に積み上げられた剣の中から声がした。 
低い、男の声だった。 

「おでれーた! 気に入ったぜ旦那!」 

イチローとルイズは声のした方に振り向いた。 

「旦那、俺を買いな! そんなナマクラより俺の方がよっぽど使えるぜ!」 
「どこ? どこから声がしてるの?」 

ルイズが辺りを見回す。 
店にはルイズを覗いてイチローと、頭を抱えている主人以外には誰もいない。 
イチローは一直線に声の方向へと進んでいった。 
そして、積み上げられた剣の中に手を入れた。 

「イチロー? 何してんの?」 
「どうやら、こいつが喋っていたようだね」 

イチローの手には、錆の浮いたボロボロの剣が握られていた。 

「おでれーた! 俺の事を一発で見抜くとは、こいつはおでれーた!」 
「剣が喋るとは、やはり異世界はファンタスティックだな」 

イチローの手の中で、ボロ剣が騒いでいた。

「それって、もしかしてインテリジェンスソードじゃないの?」 

ルイズが困惑した声を上げた。 

「インテリジェンスソード?」 
「そうよ。意思を持って喋る魔剣よ。どこかの魔術師が作ったんだとは思うけど……。まぁ、かなり珍しい品である事は間違いないわね」 

イチローは頷いて、興味深そうに剣を眺めた。 

「なるほど、珍しいのか。つまり、赤バットとか青バットとか、そんな感じか」 
「そ、それはよく分からないけど違うんじゃない……?」 
「そうなのかい?」 

喋る剣とは、何とも面白い代物だった。 

「旦那、旦那! 俺はデルフリンガーってんだ。よかったら俺を……あれ?」 

突然剣が黙った。 
じっと、イチローを観察するかのように黙り込んだ。 
それからしばらくして、剣は小さな声で話し出した。 

「更におでれーた。旦那を見損なってた。旦那、あんた『使い手』か」 
「『使い手?』」 
「い、いや? それだけじゃねーな。何だこれ? 何か変な力が……。旦那、あんた何者だ……?」 
「僕かい? 僕の名はイチロー。メジャーリーガーさ」 
「めじゃありいがあ? まぁいい。旦那、俺を買ってくれ」 
「オーケー。ルイズさん。この剣が気にいった。買ってくれないかい?」 

イチローはあっさりと決めた。

「決断早ッ!? そ、そんな汚い剣でいいの? もっと綺麗で喋らないのにすればいいのに」 
「まぁまぁ。喋る剣なんて面白いじゃないか」 
「イチローがそう言うならいいけど……」 

ルイズは渋々承諾した。 
イチローが気にいったと言うのなら仕方がない。 
主人に向かって尋ねてみる。 

「あの剣、おいくら?」 

ルイズがカウンターに剣を出す。 

「え? あ、あぁ、デルフのやつですかい……。あれなら、金貨百枚で結構でさ……」 
「あら、安いわね。買ったわ」 

イチローはルイズの言葉に懐から財布を取り出すと、金貨百枚をカウンターの上に置いた。 
主人は遠い目をしながら、 

「……まいどあり。……どうしてもうるさいと思ったら、こうやって鞘に入れれば大人しくなるんで……」 

と、ぼそぼそ小さな声で言った。 
イチローは頷いて、デルフリンガーという名の剣を主人から受け取った。


魂の抜けたような顔をしている主人を後に、イチローとルイズは武器屋を出た。 

「いい買い物をしたね、ルイズさん」 
「そう? でも、本当にそんな汚い剣でよかったの?」 
「あぁ。この剣の長さ、重さ、どれを取っても完璧だよ」 

イチローは鞘からデルフリンガーを取り出すと、嬉しそうに掲げる。 

「いい事言うじゃねぇか旦那! さすがは新しい相棒だぜ! そうさ、俺様は完璧よ。旦那は分かってるねぇ!」 
「完璧? その汚い剣のどこが?」 

声を上げて喜ぶデルフリンガーと、胡散臭そうな目でそれを見るルイズ。 

「だって、この剣はマスコットバットを作るのにぴったりなんだよ、ルイズさん」 
「……え?」 
「……おい。旦那。今何て言ったんだ?」 

ルイズとデルフリンガーが聞き返す。 

「ん? だからマスコットバットだよ。練習用の。いやぁ、愛用のバットが壊れて困ってたから丁度よかったな。帰ったらこの剣に木をはめ込んで早速作らないと」 
「ちょ、ちょっと待ってくれ旦那!? 練習用とか、冗談だよな!? &u(){}あの、俺は普通に剣として使ってもらえると嬉しいんだけど……」 

イチローは黙ってデルフリンガーを鞘に戻した。

「じゃあ、戻ろうかルイズさん」 
「イチロー、あんたとことんマイペースね……。それはそうと、もしかして歩いて帰るの……?」 
「うーん。歩くと時間がかかりそうだしね。僕がルイズさんを背負って学院まで走ろうか?」 
「それは絶対嫌ッ!?」 

ルイズが即座に拒否した。 
イチローの自己申告を信じるなら、その速度は馬よりも速い事になる。 
冗談抜きで死んでしまう。 
使い魔の背で風圧によって死ぬ貴族など、聞いた事がない。 
想像するだけでも寒気がする。 

「お願いだから、それ以外にして!? 走る以外なら何でもいいから!?」 

ルイズはそう叫んで、断固としてイチローとの疾走を拒否した。 

「仕方ないな。走るのが駄目となると……」 

イチローは腕を組んで考える。 

「なら、もっと簡単な方法を使おう」 
「簡単な方法……?」 
「そうだよ。ちょっと失礼」 
「え……? きゃッ!?」 

イチローはルイズを抱え上げ、いわゆるお姫様抱っこをした。 

「あ、あ、あ、あんた!? 突然何すんのよ!?」 
「まぁまぁ、落ち着いて」 

照れと羞恥心で顔を真っ赤にして騒ぐルイズを他所に、イチローは涼しい顔をしている。
そしておもむろに片手を離して、左手だけでルイズを支えた。 

「ちょ、ちょっと……? 何する……の……? その、すごく、嫌な予感が……」 
「こうするのさ」 

イチローは右手でデルフリンガーを鞘から引き抜くと、前方の空へと向かって放り投げた。 

「嫌ぁあああああああああああああッ!? 俺、飛んでる!? 俺って飛んでるゥッ!?」 

デルフリンガーが叫び声を残して空の彼方に消えていく。 
イチローは再びルイズを両手でしっかり抱き止めると、デルフリンガーを投げた方へ向かって駆け出した。 

「イ、イ、イ、イチロー!?」 
「舌噛むよ。今は黙ってて」 
「……うぅ」 

イチローは目にも止まらぬ速さで町を駆けると、思い切り地を蹴って跳躍した。 
まるでその様子は人間ミサイル。 
大空を切り裂いてイチローは跳んだ。 
そして……。 

「よっと」 

空中でデルフリンガーに追いつき、器用にバランスを取って両足を刀身の上に乗せた。 

「懐かしい感覚だな」 

投げたバットに飛び乗ってスタンドまで行くというパフォーマンスは、イチローにとってはメジャー時代からの手馴れたものであった。 
こうやっていると、かつてのスタジアムの歓声が今にも耳に聞こえてきそうな気がした。

「これで、あと一分もすれば学院に戻れるはずだよ。あれ、ルイズさん?」 

大空の上、空気を切り裂く風圧を物ともせずにイチローはルイズへと話かけた。 

「……きゅう」 

呻き声一つ。
それ以降、返事はない。 
ルイズはただの屍のようだ。 

「もしかして寝ちゃったのかな? まぁいいか」 

本当は気絶しているだけなのであるが、知らぬが華である。 

「俺、飛んでる? 飛んでるの? 飛んで飛んで飛んで飛んで、回って回って回って……」 

イチローは気絶したルイズと、テンパってブツブツ呟くデルフリンガーと共に学院へと帰還した。 
──そしてその頃。 

「ちょっとー!? ダーリンはどこー!? タバサ分かる?」 
「私に聞かれても困る」 
「そうよねぇ。ダーリーン! ルイズー!!」 

トリステインの城下町で、誰かがイチローとルイズを呼ぶ声が響いていたという。 
ちなみにこの話には余談がある。 
放り投げた剣に飛び乗って学院へと戻ったイチロー達を見て、城下町の住人の間では奇妙な噂がたった。 
棒に乗って空を飛ぶ謎の怪人の噂である。 
この話は『土くれ』のフーケの話題と並び、まことしなやかに噂され続ける事となる。 
これが後に『ハルケギニアの怪人流れ星』と呼ばれる都市伝説となった事は、誰も知るよしもなかった
























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