各国概略史その15・バングラデシュ
大戦後、東パキスタンとして
インドより分離独立。
本家
パキスタン同様、やはりインドに肩入れする日本を快くは思っていなかった。
しかしより日本に近い位置にある飛び地、ということが東パキスタンの運命を変えた。
独立後しばらくして、本国との確執が増してきたのである。
本国の統治方針は武力による弾圧だった。
欧州連合の介入によって亜細亜屈指の反日勢力に変貌したパキスタンにとって、
東の飛び地を日本勢力から守るにはその道しかなかったのであるが、多くの歴史が証明するように、いつか破局を迎える道だった。
ロシアのアフガン侵攻によって本国の注意が西に向いたその時、ついにたがは外れた。
本国からの独立を求める民衆が蜂起したのである。
そして力無き民衆が頼れる相手は好むと好まざるに関わらず、日本だけだった。
同胞亜細亜の援助を受けた民衆は数年に及ぶ長く苦しい内戦の末、ついに独立を勝ち取る。
ベンガル人の国、バングラデシュの誕生だった。
なお、この東パ内戦はアフガンの地にも重大な影響をもたらさずにはおかなかった。
亜細亜反日の砦パキスタンを見捨てるわけにはいかず、欧州連合は膨大な援助をパキスタンに送った。
当然そのツケはアフガンにまわってくる。
当初の「クリスマスまでには戦闘終結」という楽観的な予測はものの見事に裏切られ、ゲリラとの神経をすり減らす長期戦に移行した。
東西2箇所で泥沼の消耗戦が始まったのである(ただし欧州連合が介入した結果、パキスタンにはお目付け役がついたことになり、
「核の暴発」という最悪の事態だけは抑制された)。
結局、
アフガニスタンはロシア軍を追い払うことに成功した。
だがこれでめでたしめでたしとはいかないのが国際政治の複雑怪奇たる所以である。
パキスタンは東パに注力した結果、アフガンに直接介入はしなかった(当初計画では露・パ二国の共同作戦だったらしい)。
それ故アフガン民衆の反発を受けることもなく、ロシア軍撤退後の群雄割拠状態だったアフガンにおいて諸勢力の間を上手く取り持ち、
最終的に彼らの盟主のような立場に収まることに成功したのである。
言わばパキスタンは「バングラを捨ててアフガンを獲った」のであった。結果としてアフガンは西側勢力の傘下に収まったのである。
もっともこれが最悪の未来を呼び込むとは、当時誰にも予測できなかったのだが。
(言うまでも無く同時多発テロとアフガン攻撃に伴う世界からの孤立である)
最終更新:2011年06月09日 20:23