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性道徳・結婚道徳Ⅰ第一部第一章 旧約聖書 - (2007/05/30 (水) 21:52:15) のソース

人間論道徳学

 PARTE POSITIVA

 第一部 聖書にみる性と結婚
  第一章 旧約聖書
   I. 制度的側面
    1. 家父長制と女の役割
    2. ポリガミーと妾制
    3. 生殖
    4. レヴィラート婚
    5. 離婚(夫から妻への)
    6. 姦通の意味
    7. 儀礼的清浄
   II. 解釈的側面
    1. 創世記第二章における男と女の創造
    2. 創世記第一章における男と女の創造
    3. 始祖の罪
    4. 性の非神話化
    5. 預言者と結婚
    6. 知恵の書

旧約聖書にみる性と結婚。近隣民族と共有する面を前半で、イスラエルの宗教に固有の面を後半で。

I. 近隣民族との共通の制度、まずは家父長制。異教の神の名「バアル(主)」や「アドン(家父)」もこれを反映する。裏側としての“女嫌い”の性格は旧約には知恵の書に強い。こうした社会にあって、結婚は家と家の契約であり、愛の制度ではない。
さらなる共通制度、ポリガミーと妾制。聖書の世界では、アブラハムに正妻1+妾1、ヤコブに正妻2+妾2。エサウに妻3。頂点は、士師記、列王記の時代。妻妾に囲まれたダヴィデ、700人の妻と300人の妾を持つサロモン。たくさんの妻はたくさんの子供を、すなわち経済力、軍事力を意味した。預言者の時代に批判おこり、バビロン捕囚後は衰退。
子だくさんは良いことだ。跡取りづくりは大切だ。そこからレヴィラート婚制度(未亡人が夫の兄弟、親戚と交わって夫の子を残す制度)。イスラエルにおける実体は必ずしも明かでないが、この制度に背くことは大変なスキャンダルとされた。たとえば、兄の未亡人と寝ながら、孕ませないように種を地に流して主の怒りを買ったオナン。この制度もやがて消える。
離縁は夫→妻のみ。レヴィ記、民数記をへて、申明記で整備された法制度の目的は、夫の恣意的な離縁に制限を設ける目的が強かった。日本の三行半みたいなもんだな。いずれにせよ残る不公平に預言者マラキの批判。
“姦通”は夫、婚約者を持つ女の不義を意味する。自由恋愛における浮気は該当しないらしい。
夢精、月経、性交、出産をめぐるタブーいろいろ、今となっては理解できないもの多し。

II. イスラエルの宗教における性と結婚観。創世記に二つの人間創造神話。紀元前十世紀成立の第二章は、ヤハヴィストの伝統。男、肋骨から女を作ってもらって大喜び。「こうして...二人は一つの肉となる」(Gen 2,24)とは、性的結合と、人と人としての結びつきの両方を意味する。二人の全裸は性交の自由。愛のあかし。この話において女は一言も語らない。要するに、これは男が女を自分に還元する物語。
紀元前六世紀成立の第一章は、祭司の伝統。創造主は、あれこれ創った後、自分に象って男と女を一度の機会に創り、「産めよ、殖えよ、地に満ちて地をしたがわせよ」と言った。男と女は二人で平等に「人」であり、創造の頂点である。一章、二章の結論として、男と女は共に尊く神の象りであり、交わりと豊壌の計画を担うものである。って、こんな別々の話、まとめちゃっていいのか?
神の計画は、人の罪によりひっくり返る(第三章)。多くの教父や思想家が始祖の罪を性的なものと考えたが、知恵の書の影響を考えれば、まず命令違反の罪と考えるべきだと。あと、女に責任をなすりつけるな。男もいやだって言ってないじゃん。二人で食べたんだから二人の罪だ、と。目が開いて裸であることへの羞恥。男と女は互いに対象物となる。交わりと一致のために創られた両性が、諍いと分離の場所となる。つづく章で罪は子孫に広がり、レメクのポリガミーや、ソドムの頽廃に象徴される。しかし、神はアダムとエバに子を授け、ノアに「産めよ、殖えよ」と言っている。神はつねに人を祝福している、と。
その神話の性格上、イスラエルでは性が非神話化された。男神と女神の交わりに表される他宗教の神性に対して、イスラエルの神は性を超越して一。性は良いものだが、それ自体としては神ではない。結果、結婚が世俗化される。性が、我彼失うエクスタシーではなく、相手との関係において己を識るものと認識される。一方、宗教儀式に性的な要素が拒絶される。ただし、神と民の関係を結婚に喩えるのはあり。預言者ホセア、エレミヤ、エゼキエル、第二イザヤ、マラキ。一方、知恵の書は結婚と家族の喜びを語る。トビア記、雅歌。人の愛の中に見る宗教的価値。


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