核実験によるフォールアウト(セシウム・ストロンチウム)
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「セシウム」タグが付いている記事 |
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核実験があった1960〜70年代 日本にもセシウム等が降り注いだ
世界中で核実験を行った1960〜70年代、日本人のセシウム-137体内量は非常に高い状態でした。
放射性降下物(フォールアウト)の詳細については、ページ最下部にて後述。
果たして、その時代の日本と今の日本はどれくらい違うのか
核実験時代の摂取量、体内量(内部被曝量)と、現在を比べてみましょう。
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福島県のストロンチウム・プルトニウムの摂取量調査 |
福島県のストロンチウム・プルトニウムの摂取量調査
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放射性セシウムは核実験時代には今より内部被曝していた
核実験時代のセシウム摂取
原発事故後の福島県民のセシウム摂取
原発事故後の福島県民のセシウム摂取は:1日に1ベクレル【以下】
平均で一日0.3Bq程度とされている。
核実験時代のセシウム、ストロンチウムの体内量
かつて核実験が世界各地で行われた時代では、日本人の体内セシウム量が数百Bqが測定されていました。
日本人セシウム137体内量の推移
セシウム137・ストロチウムの摂取量
尿中のセシウム137
核実験時代の放射性物質についてのTogetter まとめ
Togetter -みんな被曝していた・・・核実験で死者は増えたか
原発事故の前から、自然放射線だけでなく核実験由来の放射線、放射性物質に囲まれていました。食品もかまわず食べていました
Togetter:現在の福島県民と、核実験やっていた時代の内部被曝の比較
資料:体内のセシウムについて(核実験時代)
資料:人体中の放射能
環境放射線データベースより
環境放射線データベース(
http://p.tl/kB-M )から1963~65年の日常食中のCsデータをDLしてグラフを作ってみた。一番酷い1963年で平均値:2.13Bq/人日 中央値:2.03 最大値:4.41 最小値:0.47
放射性降下物(フォールアウト)
【世界の核実験地図】
核実験によるフォールアウト
1950年代末期から1960年代にかけて、世界各地で大型の大気圏内原水 爆実験が相次ぎ、いろいろな放射性同位元素が大気中に放出されました。 これらは気流に乗って全地球上に広がり、雨などに混じって地上に降って きて環境の放射線を増す原因となりました。これを放射性降下物(フォー ルアウト)と呼んでいま?す。
現在でも、私たちが日常食べている食品にはこの放射性降下物による放 射性物質が微量ですが含まれています。
有名なセシウム-137(137Cs)の例を見てみましょう。下の図は東京で測定 したセシウムー137の月間降下量と国産穀物中のセシウム-137の量を表わし たものです。セシウム-137の降下量が増えるとその後収穫される米や麦な ど穀物の中のセシウム-137の量も大きく増加することがわかります。
当然、食品を経由して人間の体内に含まれるセシウム-137の量も増えて いきます。下の図はヒューマンカウンタで体内のセシウム-137含有量を調 べたものです。1962年で米ソの大気圏内での核実験が停止したので、環境 中のセシウム-137の量が減り、それにともなって、体の中のセシウム-137 も減ってきています。
セシウム-137と並んで重要なのは、ストロンチウム-90です。半減期が 短いものは空から地上に落ちてくる前に放射線を放出して安定同位元素に 変化してしまい、直接私たちに影響を与えることはありません。しかし、 セシウム-137は30年、ストロンチウム-90は28年と半減期が長いため、こ の二つは長期にわたって空から降り続け、環境を汚染することになります。
1982年の国連科学委員会の報告書ではこれらの放射性降下物が全人類に 与える影響は自然放射線源の約3年分に相当すると推定されています。