「はあ……」
ミストランタの中心―――要塞化した山の頂上に執務室を構える絶対王トルキュラは、
皿の上に横たわるクジラの一部を見て溜め息をついた。
皿の上に横たわるクジラの一部を見て溜め息をついた。
「流石に…こう毎日クジラの肉を食べていると…飽きが来ますわね」
かちゃん、と、食器の擦れる音が部屋に響く。
外では雨が窓を打ち付け、静かな一室に音を奏でている。
外では雨が窓を打ち付け、静かな一室に音を奏でている。
この雨を降らせている空に浮かぶクジラ、通称『スカイホエール』。
ミストランタの恵みの象徴であるはずのスカイホエールが、突如大災害としてミエルダ区に墜落したのももうひと月前。
ミストランタの恵みの象徴であるはずのスカイホエールが、突如大災害としてミエルダ区に墜落したのももうひと月前。
死因の究明という動機で始めたスカイホエールの解体及び調査は今も難を極めている。
興味本位で料理させた『クジラの肉』という珍味も、毎日食べ続けていれば珍しさの欠片も感じなくなるのは至極当然だった。
興味本位で料理させた『クジラの肉』という珍味も、毎日食べ続けていれば珍しさの欠片も感じなくなるのは至極当然だった。
もっとも、真に彼女が気にしているのはクジラの味などではない。その体内構造だ。
今まで人間を見下ろすばかりだったスカイホエールが、人の手の届く場所に墜ちてきたとなれば、調べない選択肢はない。
今まで人間を見下ろすばかりだったスカイホエールが、人の手の届く場所に墜ちてきたとなれば、調べない選択肢はない。
区の被害報告に涙を流すより、この謎多き生物を調査できることに心が躍る―――
彼女はそういう人間だった。
彼女はそういう人間だった。
トルキュラとクジラ肉のにらめっこは、執務室に響く小気味のいいノックの音に遮られた。
「失礼します!トルキュラ様、スカイホエールの調査報告書をお持ちしました!」
「入りなさい」
扉が開くと、少し背の低い痩せ型の男が、自分の頭半分ほどの高さはあるであろう書類を抱えて中に入ってきた。
トルキュラに付き従う下僕に近しい部下、ブレイスだ。
トルキュラに付き従う下僕に近しい部下、ブレイスだ。
体に模様を描かれてそのままダーツの的にされたり、喉が渇いたトルキュラの代わりに自身の尿を飲むことを強要されたりと、何故従っているのか分からないくらいに苦労の絶えない男である。
「このワタクシをこれだけ待たせたんですもの…当然、面白い話の一つや二つはあるんでしょうね?」
トルキュラの鋭い瞳が、ブレイスを突き刺す。
「それは…まずは目を通していただければと…」
積み上がった他の書類に、食べかけのクジラ肉。トルキュラが普段から向かうこの机にはこれ以上報告書を乗せるスペースはない。
トルキュラはブレイスの抱える分厚い書類一枚一枚を直接手に取り、目を通し始めた。
トルキュラはブレイスの抱える分厚い書類一枚一枚を直接手に取り、目を通し始めた。
「へぇ、あのクジラたちは特殊な器官を空気袋にして浮かんでるのね…この『ジャンパー』というのは?」
「それは…墜落した個体が生前、特徴的な動きをしていることから『ジャンパー』と、調査隊員たちが名前を付けたようで…」
内容に興味をそそられなかったのか、相槌も打たずに再び報告書を読み始めるトルキュラ。
やがて紙を捲る手を止めると、
やがて紙を捲る手を止めると、
「…腹部の傷口から推測された歯形が、スカイホエールのものと酷似している…?」
その一文には心当たりがあると言わんばかりにブレイスが口を開く。
「はい。空にはスカイホエールを除いて脅威となるものが見当たらないため、つい最近まで腹の傷口が何の生物によるものなのかは不明でした」
「そこで調査隊が記録したこの個体の歯形と傷口を照らし合わせたところ、その形も大きさもほとんど一致したとのことです」
「つまりこの…『ジャンパー』は別のクジラに襲われて墜落した、ということかしら?」
「恐らく、そういうことかと…」
報告書から顔を離したトルキュラは不敵な笑みを浮かべていた。
手に取った紙を適当な順にブレイスの手元に戻すと、彼女は窓辺に寄って呟いた。
手に取った紙を適当な順にブレイスの手元に戻すと、彼女は窓辺に寄って呟いた。
「フフ…やっと見つけましたわ。あのいけ好かないクジラを叩くきっかけを」
スカイホエールへの信仰に篤いミストランタで、これらを毛嫌いしているトルキュラのような存在は珍しかった。
空を我が物顔で泳ぎ回り、都市に大きな影を落とす―――
彼女は王になる前から、そんなクジラたちの存在が気に食わなかったのだ。
空を我が物顔で泳ぎ回り、都市に大きな影を落とす―――
彼女は王になる前から、そんなクジラたちの存在が気に食わなかったのだ。
ミストランタの民から"神の使い"とも形容されるスカイホエールだが、今回の大災害によりその信仰を疑う者も増えた。
そしてそれがスカイホエールの"共食い"によって起きた可能性があるとすれば、それは人間の脅威になり得る。
そしてそれがスカイホエールの"共食い"によって起きた可能性があるとすれば、それは人間の脅威になり得る。
執務室の気まずい沈黙を破ったのは二度目のノックの音だった。
ただし、今度はトルキュラの一声を待たずに扉が開かれた。
ただし、今度はトルキュラの一声を待たずに扉が開かれた。
「失礼します。"例の飛空艇"の整備が完了致しました」
「コ、コラ!勝手に中に入――」
「貴方は黙っていて」
不躾な訪問者を一喝しようとしたブレイスをトルキュラが制止する。
中へ入ってきた大柄な男はミストランタ輸送部隊の指揮を務める隊長、サダルだった。
中へ入ってきた大柄な男はミストランタ輸送部隊の指揮を務める隊長、サダルだった。
「整備が完了…ということはもう飛行は可能なのかしら?」
「はい。いつでも準備はできております」
「ようやく、ですのね。輸送隊の人員をそちらに回した甲斐がありましたわ」
ミストランタ輸送部隊―――ミストランタでは最も規模の大きい部隊で、都市内の物資を運搬するのが主な任務だ。
トルキュラが王に選ばれてからは、物資の運搬は都市内だけに留まらず、調査隊が発見した未知領域に存在する島々にまで及んだ。
トルキュラが王に選ばれてからは、物資の運搬は都市内だけに留まらず、調査隊が発見した未知領域に存在する島々にまで及んだ。
そして、彼らに与えられた任務はそれだけではなかった。
未だ報告書を抱えて立ち尽くすブレイスは、何のことか分からないといった風にトルキュラとサダルを交互に見つめる。
「あの…"例の飛空艇"とは…?」
「閉鎖していたドックを開放し、機動隊と調査隊を招集なさい」
「…かの災害を招いたクジラを探し出し、討伐しますわ」
ミストランタ南部 ミエルダ区
任務を終えた飛空艇エアロドルフィンは、途中から降り出した楽園都市を覆う恵みの雨を一身に浴びながら帰投した。
ミエルダ区に未だ横たわる痛々しい死骸は辺り一面に腐敗臭をまき散らし、活き活きとしていたかつてのミエルダ区を死の街たらしめていた。
ミエルダ区に未だ横たわる痛々しい死骸は辺り一面に腐敗臭をまき散らし、活き活きとしていたかつてのミエルダ区を死の街たらしめていた。
「よーお、アルフェルグ!随分と遅かったが、クジラの肉でもつまみ食いしてたんじゃねえだろうな?」
飛空艇を降りる調査隊一行に真っ先に声をかけたのは、機動隊員のサマカーだった。
騒がしいのに見つかった…とあからさまに嫌な顔をするアルフェルグ。
騒がしいのに見つかった…とあからさまに嫌な顔をするアルフェルグ。
「…わざわざお出迎えとは、機動隊はよっっっぽど暇なんだな…」
「バーカ、うちの優秀な部隊はもうとっくに任務を終わらせてんだよ!そ・れ・に!オレサマはお前じゃなくて、シーちゃんを出迎えにきたのさ!」
意に介さず艇を降りる調査隊隊長レヴァティ。自分たちは蚊帳の外?と困り顔の副隊長マーズ。
アルフェルグの後に続いてアルレシアが呆れた顔で返す。
アルフェルグの後に続いてアルレシアが呆れた顔で返す。
「またこんなところで油売って…クラット隊長に見つかったらドヤされるよ?」
「大丈夫大丈夫!隊長は今頃任務の報告に――」
「あぁーッ!見つけたぞサマカー!」
遠くから息を切らしながら人影が走ってくる。
機動隊の隊長であり、アルフェルグの父―――クラットだ。
機動隊の隊長であり、アルフェルグの父―――クラットだ。
「どこへ行ったかと思ったらお前…探したぞ、全く!」
「げ、隊長…!報告はいいのかよ?それに探したって…」
クラットの後ろに続々と他の隊員たちが続く。
息を整えたクラットは、調査隊にこう告げた。
息を整えたクラットは、調査隊にこう告げた。
「魔女…あいや、トルキュラ様が機動隊と調査隊に招集命令をお出しだ」
両部隊がざわつく。悪名高いトルキュラの招集に、皆不安を隠せないようだ。
「招集場所は中央要塞にあるどでかいドックらしい」
少し離れた場所で腕を組んでいたレヴァティが、噤んでいた口を開く。
「…任務の内容は?」
「伝えられたのは招集命令だけで任務内容までは俺にも分からん。とにかく、俺たちは先に中央へ向かうぜ」
そう言うとクラットは機動隊員たちを引き連れ、ミエルダ区を後にした。
残された調査隊は、皆一様に顔を合わせる。
残された調査隊は、皆一様に顔を合わせる。
「いつもどこで何してるんだか分からない絶対王からの招集だなんて…」
アルレシアの不安そうな呟きに呼応するかのように、三人が装着しているブレスレット『DXクジライザー』が淡い光を放つ。
三つのクジライザーが放つ光から現れたのは、掌サイズに収まったイカの化け物もとい、世界の守り神カブレラだった。
三つのクジライザーが放つ光から現れたのは、掌サイズに収まったイカの化け物もとい、世界の守り神カブレラだった。
「くっ…やはりこれだけ場所が遠いとこの姿に収まるのが限界か…」
「イ…イカが喋ったーッ!?」
事情を知らないマーズが驚きの声をあげ、尻もちをついた。
「失礼な…我はイカではなく守り神だ。しかしすまないな、クジライザーは訳あって今は三つしかないのだ。お前にはやれん」
カブレラの言葉は、一切マーズの頭に入ってはいなかった。
そんなマーズを尻目にカブレラが話し始める。
そんなマーズを尻目にカブレラが話し始める。
「光の戦士たちよ…どうやらこの世界の危機は空にあるようだ」
「空に?」
「うむ。大きくうねる何かが近づいてきている…そして――」
「この都市にもう一つのクジライザーの波長を感じる…」
そう溢すカブレラの目は、どこか遠くを見つめていた。
が、すぐにこちらに向き直ると、
が、すぐにこちらに向き直ると、
「心してかかれ、光の戦士たちよ。我はいつもお前たちと共にある…」
力強い一言を残すと、カブレラは光の粒となって消えていった。
余韻に浸っている間もなく、アルフェルグが招集命令のことを思い出す。
余韻に浸っている間もなく、アルフェルグが招集命令のことを思い出す。
「危機が近づいているっていうのは気になるけど、今は中央ドックに急ごう!」
事態を飲み込めていないマーズを引き摺るようにして、調査隊一行は中央要塞に向かった。
中央要塞 ドック
ドックに集められた隊員たちは、まずそこに収められていた大型の飛空艇に息を呑んだ。
巨大な魚の口を模した船首に、鱗模様の船体。魚のヒレを模った翼と舵。
そしてその大きさたるや、巡視艇のアオナギを上回るほどだ。
巨大な魚の口を模した船首に、鱗模様の船体。魚のヒレを模った翼と舵。
そしてその大きさたるや、巡視艇のアオナギを上回るほどだ。
愕然とする隊員たちの前に、絶対王トルキュラが優雅な足取りで現れる。
「全員!整列!」
ブレイスが執務室にいた時とは打って変わって毅然とした態度で号令を掛ける。
隊員たちの整列が終わらぬ内にトルキュラが口を開いた。
隊員たちの整列が終わらぬ内にトルキュラが口を開いた。
「皆さん、よく集まってくれましたわ」
「あれが…絶対王トルキュラ…」
「魔女…!」
ざわつく隊員たちにも"魔女"という呼称にも反応せずトルキュラは続ける。
「初めましての方が多いとは思いますが、挨拶は省きますわ」
「ひと月前にミエルダ区を襲った大災害…あの災害がクジラの共食いによって起きたものだと判明しました」
「クジラの共食いって…!」
声をあげたのはアルレシア。
アルフェルグは心配そうに彼女の横顔を見つめていた。
アルフェルグは心配そうに彼女の横顔を見つめていた。
「今回皆さんを招集したのは、ミエルダ区に墜ちたクジラ『ジャンパー』を襲った狂暴なクジラを討伐してもらうためです」
「クジラを討伐」。その一言に隊員たちは勿論、隊長であるクラットとレヴァティも動揺を隠せなかった。
ミストランタの民が信仰の対象としているスカイホエールに手を下すなど、都市中に知れ渡れば暴動ものだろう。
ミストランタの民が信仰の対象としているスカイホエールに手を下すなど、都市中に知れ渡れば暴動ものだろう。
「"ワタクシたち"が討伐に向かっている間、未知領域の探索と洋上投棄任務はミストランタに残る部隊に任せます」
「ト、トルキュラ様!?何を――」
彼女が放った驚愕の一言をブレイスは聞き逃さなかった。
絶対王の身でありながら彼女も討伐作戦に加わるつもりなのだ。
絶対王の身でありながら彼女も討伐作戦に加わるつもりなのだ。
トルキュラはたじろぐブレイスを無視して話を続ける。
「我々で討伐隊を編成し、荷を積み込んですぐにでも出発しますわよ。クジラ討伐を夢見て造り始めたこの大型飛空艇――」
「『フォーマルハウト』でね!」
「光の戦士たちは絶対王と共に空へ発ったか…」
水晶玉を通して調査隊を覗き見る一つの人影。
「占いに出たあの女が王に相応しいかどうか…」
腕には色褪せたブレスレットと―――
「この目で見定めさせてもらおう」
占い師のメダルが握られていた。