寿司処魚六 SF支店
五代目当主 蔵 宇嘉
店長 田 逢蔡(Tah Ei-Xei)
【寿司処魚六の由来】
初代当主の蔵 一之助は、生粋の大阪人であります。
大阪という地は「天下の台所」と称され、この地で現在も「太閤さん」と慕われる豊臣秀吉の時代から、舌の肥えた人々を満足させておりました。
その大阪の地で寿司屋を開こうと決心し、明治という新しい時代の始まりに合わせて開業した次第であります。
店名は、開業時に懇意にしていた魚問屋「魚屋六兵衛」の親父さんの命名であります。魚屋六兵衛は京都御所にも鮮魚を献上する、たいへん有名な魚問屋でありました。
【沿革】
1868年 蔵 一之助が大阪、黒門市場に「魚六寿司」を開業。
1889年 フランス・パリ万国博覧会に出展。
1905年 日露戦争に際し、職人を従軍料理人として派遣。
1908年 一之助、満州・哈爾浜の地に魚六寿司二号店を開店。
蔵 源承斎が弱冠20歳で二代目当主を襲名。
1940年-1945年 第二次世界大戦の激化により、本店を一時閉店。
哈爾浜支店は閉店となる。
魚六寿司出身の職人、嵯武 楽之助が静岡に焼肉店「戦場乃カルビ」を開店。
1945年 日本の敗戦と同時に再度営業を開始。
「戦場乃カルビ」店舗が、GHQ静岡支部の食堂として接収される。
1948年 源承斎、病床に伏す。
本店当主を三代目 蔵 真佐雄が引き継ぐ。
1970年 大阪万博に出展。
1975年 山陽新幹線の開通を祝し、車内レストランに期間限定出店。
1988年 四代目当主を衛藤 禰流が襲名。
真佐雄は中国に渡り、黒竜江省・哈爾浜の地で魚六寿司を復活。
1990年 平成元年になると同時に屋号を現在の「寿司処魚六」に改名。
2009年 弱冠19歳で五代目当主を蔵 宇嘉が襲名。衛藤 禰流は哈爾浜支店に異動。
2010年 寿司処魚六の職人【有吉 隆昭】が妻【涼宮 哈爾浜】と共に広島県で焼豚専門店「SPECIAL PORK」を開業。
静岡県「戦場乃カルビ」跡地を買収、魚六の職人【柊 作部楽】が焼肉・冷麺専門店「戦場乃冷麺」を開業。
現在四店舗を構え、魚六ブランドのさらなる飛躍をめざします。
【注意】
もちろんすべてフィクションです。
寿司処魚六の元ネタは、某戦争FPSのエイプリルフールネタ「魚六4代目」です。
最終更新:2010年08月20日 02:35