強がりに満ちた笑いの後は、現実に襲われる時間だった。 幻夜・フォン・ボーツスレーは死んだ。 ステルス鬼畜とサプライズパーティーの二人と共に。 その二人に勝利して放送を超えた後に、死んだ。 (……あれ?) ネコミミストは何か引っかかる物を感じた。 そう、それは確か……。 「……放送だ」 放送の時だ。 幻夜・フォン・ボーツスレーの名が呼ばれなかった、第二回定時放送。 だがそれだけではない。あの放送の死者の名には。 「第二回放送……ステルス鬼畜の名しか呼ばれてない!」 「まさか!」 それを聞いた666が死体に駆け寄る。 それは剣に刺し貫かれた岸田洋一の姿をした遺体だ。 脈を取り、傷の具合を診る。 結論はすぐに出た。666は首を振る。 「……いや、もう死んでいる。心臓を一突きにされたんだ、間違いなく即死していたよ」 「え……?」 その死体が、サプライズパーティーの筈だった。 ステルス鬼畜を仕留めたと高笑いを上げ、しかし逆に殺された男。 何か違和感を感じはしたが、残ったステルス鬼畜も間違いなく悪だと断じて、討った。 勝利の後に仲間との死別を経験する程の激闘によってだ。 だけど。 「じゃあ、どうして放送で呼ばれなかったんだ?」 何か致命的な見落としを予感させる、そんな不安が全身を蝕んでいた。 666は無言で立ち上がり、もう一つの同じ姿をした死体に歩み寄る。 ステルス鬼畜だと思われていた、ネコミミストにより顔面の半分と頸部を破壊された死体。 屈み込んで、その容態を診る。 そして言った。 「死んでいる。だがこちらは即死しなかったようだ」 「え…………?」 ネコミミストも死体に駆け寄り、そして息を呑んだ。 確かにその死体は、衝撃波により頸部の殆どが吹き飛ばされ抉れていた。 だが首輪が盾となったのだろう。 奇跡的に血管が、そして神経が、ズタズタになりながらも部分的に残っていたのだ。 「意識は保てなかっただろう。死も確実だった。だが、即死ではなかったようだ」 それはつまり。 「こっちの死体がサプライズパーティーだ」 「そんな……」 幻夜が危険人物だと言ったステルス鬼畜は、先に殺された方の男だった。 ステルス鬼畜は死の間際、サプライズパーティーに濡れ衣を掛けたのだ。 「それじゃ私が殺したのは誤解によって殺された……被害者……?」 「気にするべきではない。彼もまた危険人物だ」 666はそう言う。 どちらにせよ危険な相手だったのだから気にしてはいけないと。 「でも……もしかしたら話し合えて……そうしたら幻夜は……!」 それでもネコミミストは、素直にそれを受け容れる事が出来なかった。 人を殺した。誰かを傷つける者を。罪無き者を殺す者を殺した。 だけどそれが間違いだとしたら? 本当は悪人なんかではなくて、戦いを避ける方法が何処かにあって、 そして無理に討とうとしなければ、仲間が死なずに済んでいたとしたら? 「そうしたら幻夜は……むぐ」 「君は、良い子だな」 その嘆きを、666が抱き締めていた。 頭一つ分だけ大きな幼い体で抱き締めて、その罪を溶かしてしまう。 「ろ、666……」 666の指が、優しく髪を梳かした。 くすぐったい、柔らかな指の感触。 文字通り猫になったような不思議な気持ちになる。 「だが、保証は私がしよう。君はまだ道を誤ってはいないと。 君は正しいことをした事を、私が保証しよう。判断を間違えはしていないと」 「…………本当に?」 「本当だとも」 666は、優しい微笑みで応えて見せた。 「私を信じてくれ」 「666…………」 666はもう一度、ネコミミストを優しく抱き締めた。 罪への不安に震えるその小さな体から、やがてその震えが無くなるまで。 溢れる愛を篭めて、抱き締めていた。 ――そう、この痛みはもう要らない。既に与えてあるのだから。 666は捻れた愛を胸に秘め、優しくネコミミストを労り続ける。 ずっと、長いこと。 だけど、それでも。 確かに何時までも強がり笑いをしてはいられない。 でも、何時まで泣いてもいられないのだ。 やがてネコミミストは毅然と立ち上がり、地を踏みしめ拳を握り締める。 「もう、いいのかい?」 「うん……もう、大丈夫だ。ありがとう」 666の労りに感謝して、前に進むことを決意した。 666は安堵の息を吐いた。 「よし。行こう」 「ああ」 二人は立ち上がった。 前に進むために。だが。 「ONIICHAAAAAAAAAAAAAAAAAANNNNN!!!!」 彼女達の前には悪夢が立ち塞がる。 * * * デビル・シャリダム。コ・ホンブックから引き剥がされた悪夢の残滓。 校庭に現れた彼女は、ゆっくりと歩きだす。 その背中から翼のように伸びる触手が全てを包みこまんと大きく広がっていく。 夜の帳。悪夢の象徴。シャリダム自身もそれに覆われ姿を隠す。 それが、閉じた。 上から、左から、右斜め上方から、左上方から、正面から、右方から、前面全てから触手が襲い来る。 「たあぁっ!!」 叫びと共にネコミミストが右手の刀を振るう。サプライズパーティーの持っていた永遠神剣『冥加』だ。 正面下方から鋭く伸びる爪を持った触手を叩き斬り、返し上げる刀で右方から伸びた岩のような触手を打ち払う。 続けて伸び上がった右腋の隙を絡め取ろうと襲う無数の房を持った触手を左手から放った衝撃波で跳ね返す。 だが連続した右方からの攻撃に集中させた所に、左方から水気で膨れあがった触手が無数押し寄せる。 「こ、のお!」 無理矢理体をよじって触手の群を切り裂く。 しかし切り裂かれた触手は、バシャリと溜め込んだ水気をぶちまけた。 「…………ぁ」 万全の状態にある触手は色んな使い道が出来るのだ。甘く見たネコミミストの不覚。 ――ちなみに触手汁の主な効能は繊維質の分解、痺れ薬、媚薬、不妊治療、白くて滑って臭うだけなど物による。 「させはしない」 身を挺して666が割り込んだ。 降り注いだ触手汁はどうやら衣服溶解型だったらしく見る見るうちに666の燕尾服を腐食していく。 「666!」 「大したことはない」 ネコミミストは幸いにも殆ど影響を受けなかったが、前方からは更なる触手が押し寄せててきた。 次なる触手はスライム状。スライムもまた触手。薬液そのもののスライムが洪水のように襲い掛かる! (まずい――!) 息を呑むネコミミスト。その目前に投げられる何か。 「伏せなさい!」 666の声。咄嗟に反応したネコミミストはブックを押し倒して背後に伏せた。 次の瞬間、投げ込まれたそれは爆発した。 飛翔の蝙也の爆薬。割と地味なそれはこの場合に最も有効な手札だった。 ダメージの少ない、だが強く広い面の衝撃力を持った爆風が押し寄せるスライム状の触手を吹き飛ばす。 シャリダムに続く視界が、開いた。 「当たれ!」 間を空けず、666の手に握られたF2000Rから自動照準高速貫通ライフル弾が連射される。 放たれた無数の鉛玉がデビルシャリダムの肢体を穿つ。少女の体が衝撃で滑稽に踊る。 デビルシャリダムの少女の形は一瞬で蜂の巣にされて引き裂かれた。 「やったか!?」 ネコミミストの叫びを。 「いや、まだだ!」 666の叫びが否定する。 果たしてシャリダムは大したダメージを受けてはいなかった。 穿たれた無数の銃弾はぷつぷつと果物の種を吐き出すように排出される。 衝撃に引き裂かれた肉体が頭へと引きずられ元の場所に収められる。 「ONIICHAAAAAAAAAAAAAAAAAANNNNN!!!!」 見る見るうちに元の姿を取り戻したシャリダムは畏怖すべき咆哮を上げた。 ネコミミストは息を呑んだ。 「あの再生力はまさか……不死者、なのか?」 アニロワ2ndに登場する異能力の一つ、不死者。 不死の酒を呑んだ者がなる文字通り不老不死の存在。殺す方法は原作ではただ一つ。 「なら問題は解決だな。私達は既に切り札を持っている。いや、幻夜が持っていた」 「まさか……」 666はそう言ってデイパックからそれを取りだした。 幻夜すら未確認だった、ゲドー・ザ・マジシャンの未確認支給品。 ――不死の酒。 人を不死者に変える秘薬。起死回生の一手。 不死者を殺す方法は原作においてただ一つ。 同じ不死者が相手の額に右手を当てて心の底から『食べたい』と念じる事。 それにより不死者は『喰われる』。 肉体は一片すら残らず呑み込まれ、知識と記憶と経験は喰った者に受け継がれる。 つまりこの酒を飲めば、シャリダムを『喰う』事が出来るのだ。 「ネコミミスト君、時間を稼いでくれ」 「ダメだ、666」 そう言う666をネコミミストが制止した。 「それをあなたに使わせるわけにはいかない。あなたがそれを使っちゃダメなんだ。 判ってるだろう、それを使うとその時点の怪我も保存され、永遠に痛み続けるんだ!」 「仕方ないだろう。これを使う以外に手はない」 666は脇腹の傷を押さえて苦笑いを零した。右目の傷はもう出血こそ止まったが鈍い痛みを送り続ける。 666がこれまでに受けた傷は致命的なものこそないが、気休めにも浅いとは言えないものだ。 「永遠に続くと思うと少し憂鬱だがなに、耐えられない痛みではない」 「ダメだ。それはわたしが使う。どう考えてもそれが一番良いんだから」 「…………判っているのかい? それが、何を見る事になるのか」 不死の酒のメリットとデメリット。 永遠に生き続けねばならない苦痛。 「わたしにとってはその位、どうという事は無い。この年齢のまま永遠を生きるなんてむしろ私好みな位さ。 だけど君は……そうじゃないだろう?」 「それは……」 666にとって自らの生は永遠でも構わないものだ。 666はそういう側に生きている。 ネコミミストはきっと、違う。666はそれを知っている。 だけど、と。ネコミミストは歯を噛み締めて言った。 「でもわたしは、仲間が傷付くのはもうイヤだ。 戦っても、危険に身を晒しても、わたしはあなたに護られて傷を押しつけてばかりいる! もうそんなのはイヤなんだ! わたしが不死者の恩恵と呪いを受け容れれば、もっと何かが出来るはずなんだ! だから……おねがいだ、666! ここはわたしに任せて! きっと、なんとかしてみせるから!」 666は少しだけ沈黙して。 「――わかった」 重々しく、頷いた。 666は、ネコミミストに不死の酒を手渡した。 「ONIICHAAAAAAAAAAAAAAAAAANNNNN!!!!」 その瞬間、シャリダムは弾かれたように動き出した。 シャリダムは不死の酒が自分に何をもたらすのか知っていたのだ。 無数の触手がネコミミストを目指して殺到し、同時に別の一本が脇へと伸びた。 それは埋葬すべく寝かされていた幻夜・フォン・ボーツスレーの死体を取り込んでいく。 「な、幻夜……!」 「君の役目を果たせ、ネコミミスト!」 ネコミミストの動揺と666の叱咤。 ネコミミストはハッとなり不死の酒の封に手を掛ける。 無数の触手はもう目前にまで迫っていた。 「ネコミミストは私が守る」 大小の吸盤を備えた歪な蛸の如き触手が666の振るう鉄板の剣ドラゴン殺しに斬り潰される。 ドラゴンころしを振り上げながら、螺旋を描き絡め取るように襲来した触手をわざと左手に絡ませて動きを止めて、 続いて押し寄せた絵にするとモザイクの掛かるような卑猥な触手ごと、右手一本で振り下ろして叩ききる。 ネコミミストは封を開けるのを省略して衝撃波で栓周辺を吹き飛ばした。栓の開いた酒瓶に口を付けて―― ガチガチに硬い触手を力いっぱい振り下ろしたドラゴン殺しで折り砕く。 だがその裏に待ちかまえたぬるぬると滑る触手がドラゴンころしの勢いを削いだ。 瞬時、まるで針金のような触手が666の握るドラゴンころしに絡みつく。 「ぐっ、うああぁ!?」 パチリ。音と共に666が呻く。 ハードな用途の放電触手である。流された電流が666から握力を奪いドラゴンころしを地に落とす。 邪魔が消えた瞬間を狙い、上空から迂回した三本の触手がネコミミストに襲い掛かる。 666は舌打ちと共にゲート・オブ・バビロンの扉を展開し、撃ちだした。 緩やかに沿った西洋刀が三本の触手を百舌のはやにえのように串刺した。 だが、三本目は先程と同じくたっぷりの薬液で膨れ上がった水風船のような触手だったのだ。 引き裂かれた触手から弾けた大量の触手汁は、そのまま真下のネコミミストに降り注ぐ――! ネコミミストは、不死の酒を一息に飲み干した。 まるで滝のように、全身に触手汁が降り注ぐ。 今度の液体は衣服溶解型などという甘い物ではなかった。 一滴垂らすだけで貞淑な聖女でもとか無垢な乙女さえとか枕詞が付くアレである。 効能を発揮すればその時点で色々と規制的にヤバイ事この上無いアレである。 ていうか効き目有りすぎだろなんだあの夢のお薬是非一瓶下さいなってヤバ本音がいやいやとにかくアレである。 ネコミミストの全身に降り注いだそれは瞬時に全身の皮膚から浸透すると、 当然ながらこれまた瞬時にその色んな意味で危なすぎる効能を彼女へと発揮―― ;フラグが立っている場合は勝利ルートへ進む。 ;フラグが立っていない場合はBadEndへ進む。 ;※:大変申し訳有りませんが現在バグによりBadEndへ進む事が出来ません。 ; 有志によるパッチ制作をご期待ください。執筆元からの予定は有りません。 「………………」 ネコミミストは闘志に滾る瞳でシャリダムを見つめていた。 その意志は、汚されていない。 体は戦意で燃えている。 確かに、触手汁はネコミミストの全身に降り注いだ。 それは瞬時に全身の皮膚から浸透した。 その時点ではまだ、不死の酒も効能を発揮してはいなかった。 だがネコミミストの全身に浸透した薬液がネコミミストの神経を変異させるコンマ数秒前。 不死の酒は衝撃のネコミミストを不死者へと変えていた。 不死者となった肉体はその時点で保持される。 よって次の瞬間にネコミミストを作り替えんとした触手汁の効能は、不死の酒の再生効果で相殺された。 触手汁が肉体に変調をもたらす速度を、不死者の再生速度が上回った。 ネコミミストの戦意は今だ健在。闘志と戦意を瞳に燃やしシャリダムをじっと見つめている! 「ONIICHAAAAAAAAAAAAAAAAAANNNNN!!!!」 シャリダムが絶叫する。 目の前に生まれた脅威を肌で感じ、恐怖と怒りに満ちた叫びを上げる。 新たに生まれたのは無数の腕だった。 その全てが右手。先が右手型をした触手が数十と生え揃う。 それは人型を半端に残しているために完全な異形よりも尚おぞましい光景だった。 「喰らうつもりか」 666は呟く。 不死者は右手を相手の額に当てて『喰いたい』と念じれば、相手を喰う事が出来る。 つまりあの無数に生えた数十本の右腕触手が一本でもネコミミストの額に到達すれば、 ネコミミストは喰われ、彼女達は敗北してしまうのだ。 「666。……道は、作れる?」 「もちろんだ、任せてくれ」 666とネコミミストは見つめ合い、こくりと頷きあう。 「行け。君の道は私が護る」 「おねがい」 ネコミミストは一歩を踏み出した。 にちゃりと服に染み込んだ触手汁が粘り着く。かなり動きづらい。 「く……ふ、服なんて探せば幾らでもある!」 思い切って脱ぎ捨てた。べちゃっと重く地面に落ちる。 大体命の危機の前に恥ずかしいだのなんだの些事に過ぎない。 左手に永遠神剣『冥加』、右手は喰らう為に無手。装備は以上。 「世の中には女性は裸が一番美しいと言う男も居る。気にする事はない」 「あ、ありがとう」 赤くなりながらも666の言葉に頷いた。 そして改めて、一歩。 二歩、三歩。 ネコミミストは触手を密集させる悪夢に向けて、足から衝撃波を放ち特攻する。 666が必ずや彼女に道を作ってくれる事を確信して。 触手の津波に挑む、生まれたままの姿の少女。 「ONIICHAAAAAAAAAAAAAAAAAANNNNN!!!!」 シャリダムの咆哮と共に無数の右腕がネコミミストへと殺到する。 666が、叫ぶ。 「させん」 666の言葉と共に放たれたのは無数の矢だ。 何処からか射手に放たれた如き矢の雨は正確に触手の波を貫いた。 そのまま串刺しに射止めて再生まで遅らせる。 ネコミミストは見る見るうちにシャリダムへと肉薄していく。 「ONIICHAAAAAAAAAAAAAAAAAANNNNN!!!!」 だがシャリダムは尚も足掻く。自らの生存を賭けて蠢く。 ネコミミストの目前に、突如それは出現した。 「な――!」 幻夜・フォン・ボーツスレー。 シャリダムの触手に取り込まれたその死体がひび割れた巨大な剣ミロクを振り上げて――。 紅い一線が走った。 振り下ろされようとした剣に食い込んだ小さな紅い宝石。 それは砕け散り、輝きと共に力を解放する。 大剣巳六は死して尚酷使された幻夜の腕と共に、塵と化していた。 「やれ、ネコミミスト!」 666の叫び。 ネコミミストは一瞬のそのまた一瞬だけ死して尚利用された仲間を悼み。 「すまない。――おやすみ、幻夜!」 それを終わらせる為に、幻夜の胴を両断した。 両断された胴の向こうに、シャリダムの本体が見えた。 「はああああああああああああぁっ!!」 断、と。 右手をデビルシャリダムの額に叩きつけた。 (――喰いたい) ぞぶりという音がした。 ネコミミストの右掌がシャリダムを呑み込んでいく。 肉体を。 精神を。 シャリダムがネコミミストの一部になっていく。 シャリダムの全てが……ネコミミストの中に…………。 「あ」 * * * ネコミミストはいつの間にか森の中に立つ自分に気付いた。 周囲は暗闇に塗り潰され、うっすらとしか見えない。 「ここは……一体……?」 戸惑うネコミミストに言葉が掛けられた。 「あら? そこにいるのはもしかしてアニロワ2ndの書き手さんじゃないですか?」 「誰だ?」 声のした方を振り返る。 見るとそこには、闇よりも尚昏い漆黒の仮面が浮かんでいた。 「おまえは……誰だ?」 「それ、アニタちゃんの格好ですよね? だったらアニロワ2ndの書き手さんなんじゃないかなーって思うんですけど」 「……何を言っているんだ?」 返答は要領を得ない。 ネコミミストの姿はアニタ・キングの姿と合致しない。 だが人影はそれには応えず、言葉を続ける。 「――? ああ、ごめんなさい。コレじゃあ、誰だかわからないですよね」 人影は漆黒の仮面を外した。そこには先程までとは対照的なまでに白い、女の顔が浮かび上がった。 「こんばんわ。私は◆AZWNjKqIBQ――いや、ここでだとマスク・ザ・ドSだね。よろしく♪」 噛み合わない会話とその名前にネコミミストはようやく理解した。 その名は昼の放送で呼ばれていた。つまりこれは過去で、今が夜なのは開幕直後を意味する。 「ここは……コ・ホンブックの記憶なのか?」 デビル・シャリダム。 元はコ・ホンブックだった、コ・ホンブックから分離された狂気の澱。 その精神と、そこに繋がる経緯。 暴走するコ・ホンブックから初期状態のコ・ホンブックを取り除いた後に残された物。 それはつまり。 * * * 突如、びくんとネコミミストの体が震えた。 驚愕と動揺に目が見開かれる。 「…………ぅ」 微かな声が漏れた。 その右掌はシャリダムを呑み込んでいく。 * * * 「や、やめろ、来るな!」 ドSに向けて衝撃波を放とうとした。だが。 「――出ない!?」 当然だ、これは既に過ぎた事なのだから。 その内容を追体験しているに過ぎない。全ての経緯は既に確定した事。 ひうんひうん――と。風を切る不可視の獣が走る様な、そんな奇妙な音が聞こえた。 「あぐっ」 宙を舞った無数の糸がネコミミストを背後の樹に縛り付けた。 かつてコ・ホンブックがされたのと同じように。 だがこれは『記憶であって記憶ではなかった』。 何故ならコ・ホンブックは暴走していた頃の記憶を残しているのだから。 記憶という情報は既にコ・ホンブックが持ち去っている。 ならばこれはなんなのか? 「普通の人間が糸を操るなんてできるはずがないじゃないですか。――けど私は『ニンジャ』ですから」 ドSの指がゆっくりと、動く。 その度に鋼線は、舐めるように白い肌を伝い、嬲るように柔らかい肌へと食い込んでいく。 木々の間に張り巡らされた鋼線がギィン……と弦を弾く様な音を静寂の中に響かせる。 「う……あ…………」 全身の肌で感じる鋼線の感覚がネコミミストの記憶へと刻み込まれていく。 体験していく。 「暴れないで下さいね……怪我をしますから。じゃあ――」 ソレ。小さな掛け声が響いた。 今度はひゅるひゅると見えない蛇が空を泳ぐような音がし、続けて森の中に無数の白い破片が飛び散った。 澄んだ森の空気の中を舞い月光を跳ね返して雪の様に降り注ぐ、白いワンピースだったもの。 ネコミミストは冷ややかな夜気に晒された白い肌を震わせて、羞恥と恐怖に歯を噛み締めた。 体験を経た記憶がネコミミストに刻み込まれていく。 そう。 シャリダムの中に残されていたこれは、コ・ホンブックの軌跡だった。 体験する者という代行者が抜け落ちた、体験そのものだった。 * * * 背中が丸まる。何かに怯え身を守ろうとするように。 歯が震える。噛み締めてそれでもカチカチという音が残る。 「ぎ、ひっ…………」 その瞳に、恐怖が浮かんだ。 その右掌はシャリダムを呑み込んでいく。 * * * 「動かないほうがいいですよ。その糸、砥いでありますから引っ張ると喰いこみます」 「うぐ……っ」 ネコミミストはかつてのブックと同じように動き、後ろ手に縛られた親指を傷つけてしまった。 ブックが解放されて置いていった、ブックの味わったものと同じ苦痛。 「抗うと辛くなるばかりですよ。幸せは受け入れることから始まるんです。前を向いてください――」 漆黒の皮手袋に包まれた両手が、ネコミミストの白い顎を持ち上げる。 ブックはこの時、もう恐怖に怯えた瞳しか出来なかった。 だけどネコミミストは恐怖を噛み潰し、必死にドSを睨みつけてみせた。 記憶と体験の違い。 「不安な気持ちは忘れて、楽しい未来を思い描きましょう」 どんな心構えをしていても、感覚は同じように襲い掛かる。 ドSの手は顎から離れ、冷たく這いずる蛇の様にネコミミストの肌を伝い始める。 猫の肌を蛇がしゅるしゅると舐っていく。 「く、くそ……やめ…………あ……やっ…………!!」 屈辱を覚え、羞恥に怒り、不安に怯え、恐怖を感じながら。 ネコミミストはシャリダムに残された体験に耐え続ける。 * * * 歯の震えは最早はっきりがちがちと音を鳴らしている。 瞳に浮かんだ怯えは気丈な意志を徐々に呑み込んでいく。 666はネコミミストへ向けて駆け出した。 その僅かな距離が、余りにも遠い。 ネコミミストの右掌は尚もシャリダムを呑み込んでいく。 * * * 「く……そ…………」 全身を嬲りつくす指の蹂躙が過ぎ去る。 ネコミミストは恐怖と不安を必死に堪えて耐えていた。 「……~一筆書き、☆の絵には~。5つのトンガリがあるでしょう~♪ ……と、出来た」 見るとドSは意味不明な歌を歌いながら、メモに星を基調とした複雑な模様を描いていた。 その上には銀色の鋏が一つ。 間もなくそれは火花と煙を散らして奇妙な金属塊へと姿を変えた。 「錬金術……?」 「普通の人間である私が錬金術を使える訳ないじゃないですか。――コレは忍法『金遁の術』ですよ」 一瞬ドSが返事をした様に錯覚し、すぐに否定する。 恐らくはただの偶然だ。 ドSはその金属片を摘みあげ、ネコミミストの目の前まで持ってくる。 それは3センチ足らずの小さな、骨組みだけの傘のような形をしていた。 ネコミミストは寒気と胸騒ぎを同時に感じる。 (なんだこのサイズ……見覚えが……) ドSはすぐにその答えを教えてくれる。 「コレ見えます? 今からコレをあなたに刺すんですけど、見ての通り『返し』がついてて、引っ張って抜くと☆型に肉が抉れるんです♪」 「な…………っ!!」 全身の体毛が逆立った。 そして気付いた。シャリダムの胸に、丁度そんな大きさの傷が無数についていた事を。 何故、この『体験』がシャリダムの中に残されていったのか。 その理由は言うまでもない。 コ・ホンブックは情報としての記憶だけを持って救われた。 そう、救われたのだ。 そしてブックの心を壊したのは体験、言うならば感情としての記憶の積み重ねであり、 それを持っていってしまえばブックの心はまた壊されてしまう。 だから残された。 つまり言うならばこの記憶は――。 「や、やめ……う…………ッ……」 プスリ。 ネコミミストの視線の先で金属塊が胸の柔肌を突き刺した。 差し込まれた針の末尾には鋼糸が結ばれ、その糸はドSの手の中へと繋がっている。 ほんの僅かに指が震え、ゼロコンマ数ミリだけ糸が引かれた。 「――――ッ!」 歯を食いしばる。目を見開く。息が荒くなる。心臓が早鐘のように脈打つ。 全身が汗を吹き出し、まるで鋼鉄と化したように体が固まる。 世界が止まったような錯覚を覚えた。 …………プスリ。…………プスリ。…………プスリ。 「…………ふっ………………ぅっ! う…………きゅっ…………」 世界の音が消え去って、静かすぎる耳鳴りが聞こえ始めた。 口の中の唾が冷え切って冷たさを主張し始める。 …………プスリ。…………プスリ。…………プスリ。…………プスリ。 「…………いっ………………っ………………きっ………………ひゅっ…………」 漏れているのは声なのか、それとも吐息なのか判らなかった。 必死に落ち着け、意識を逸らせ、痛みに備えろと言い聞かせる。 鼓動は乱れ、意識は集中させられ、心構えすら出来ずに感覚が続く。 …………プスリ。…………プスリ。…………プスリ。…………プスリ。 「ひ…………ぁっ……ぁ…………きっ、ひ……いぁっ……ぁ……かっ」 噛み締めていたはずの歯はいつの間にか浮いていた。 生け簀から上げられた魚みたいにぱくぱくと口を開いて閉じて痛みを逃す。 「身体を固くしているとよけい痛いですからね。 リラックスしてください。リラックス。脱力ですよ。身体が水みたいになったってイメージするんです」 ドSは凍り付くほどに優しい口調でそう言うと、片手でネコミミストの頭を撫でる。 猫耳が撫でられ、思わずぴくんと体が震えた。 「きぁっ」 視界が真っ白に染まる激痛に硬直する。 ドSはそれに頓着せず、認識した様子もなくもう片方の手で糸を絞る。 「そしたら痛くないですから。とっても気持ちいいですから…………」 「や……やめ…………やめ……て…………」 ネコミミストの前髪をかき上げてびっしりと汗ばむ額にキスをあげると、ドSは持っていた糸を力の限りに引き絞った――。 ――詰まるところこの記憶は、追体験するだけで少女の心を容易く壊す地獄そのものなのだ。 * * * 恐怖に満たされた瞳の焦点は中空を結ぶ。 口が開いた。舌が伸び、喉が震えた。そして。 「ぎ、ひっ、あがっあああぁあああぎゃあああああああぁあぁあぁああああああああああああ」 ネコミミストは、身も凍るような悲鳴を吐き出していた。 ネコミミストの右掌は尚もシャリダムを呑み込んでいく。 * * * 「――………………………………………………!!!!!!!!!!」 体験の中ではネコミミストはブックと同じように、悲鳴を上げる事すら出来なかった。 ショックで死んだと思うほどの激痛を味わって、それでも死ぬ事は出来ない。 そもそもショック死と言われる物は、主に出血性ショックによる死亡なのだ。 元から心臓が弱ってでもいないかぎり、痛みで死ぬことは出来ない。 詰まるところ肉体が傷付く事の無いこの追体験では、どんな体験をしても死ぬ事は無い。 痛みが激しすぎて、意識を失う事すら出来なかった。 「あ、がっあが、あかっかはっがっああ……が……あぎゃっきああああぁあぁ……かっ」 開けっ放しの口は意味不明な呻きと共に涎を垂れ流し、眼からはぼろぼろと涙が零れていた。 「あ…………」 その視線の先にはドSの手があった。 手には無数の長い針が握られていた。 「大丈夫。大丈夫。ここから先はとても素敵だよ。とぉっても気持ちよくなれるよ……」 「や……いや、だ…………そんなの……は…………ああああ!!」 いやいやと首を振るネコミミストの腹部にドSは、針を突き刺した。 肝臓を貫き通すように何本も、何本も。 通常のものとは違う重くてゆっくりと染み入る痛みと、異物の挿入感。 乗り物酔いを何百何千倍にしたこの様な感覚。 身体が内側から引っくり返り内蔵が口から飛び出すような錯覚。 それは極上の苦痛だった。かつてブックが味わった、誰も望まない最高品質の痛みだった。 * * * 666の手の中で、小さな手鏡が何か映像を映しだしていた。 それは長い内容だったが、ほんの僅かな時間で上映は終わりを告げる。 現実の姿、ネコミミストにゆっくりと呑み込まれていくシャリダムの姿に重なった。 制限でも掛かっているのか、それとも酢飯細胞という異分子のせいか、捕食はとても遅かった。 それでもシャリダムは一切抵抗できずに呑み込まれていく。 * * * (痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い 痛い痛い痛い痛い痛いいたい痛い痛いイタイ痛いいたい痛い痛いイタイ痛いいたいイタイ いたいイタイイタイ痛い痛いいたい痛イ痛いイタい痛いイたイいイタイ痛イいたイイタい イタイいたイイタいいたいイタイいタいイタいいたイいたい痛痛痛痛痛痛痛痛――――) 純粋な痛みの塊。 手を動かすのは痛い事。立っているのは痛い事。座り込むのは痛い事。音を聞くのは痛い事。 何かを見るのは痛い事。匂いは痛い。味は痛い。感触は痛い。思うは痛い。考えるは痛い。 痛い。痛いから痛い。痛いのも痛い。痛いけど痛いから痛くて痛むのが痛い痛い痛い…………。 思考を、閉ざすべきだったのだろう。 あるいは狂うべきだったのかもしれない。コ・ホンブックのように。 だけど幾つもの出会いと別れの中で、死に行く者達と666から多くの物を与えられたネコミミストは、 かつてのコ・ホンブックよりほんの少しだけ強かった。 痛みに全てを塗り潰された中でコ・ホンブックの軌跡は乖離剣エアを振り上げる。 (痛い痛いイヤだ痛いのはこんな痛いイヤだ痛いイタイ助け痛いイヤ痛い痛いこんな誰かイタイ助け 痛いどうにか痛い痛いイタイイタイお願いだから痛いイタイ痛いイタイやめ痛いそれはイタイ痛い 痛い痛いイタイイタイ殺しちゃ痛いいけないイタイイタイ痛いその人達は痛い悪くな痛い痛い痛い 痛いイタイイヤイタイイタイダメイタイダメ痛いダメイタイ止まって痛い痛いやめイタイ痛い痛い おねがい止めて――――!) 涙を流そうとも止まらない。痛いだけ。 逃げてと叫ぼうとしても声は出ない。痛いだけ。 助けてと願おうとしても考えられない。痛いだけ。 目をふさぐ事も考えを止める事も出来ない。痛いだけ。 全て痛みに塗り潰された中で。 コ・ホンブックの軌跡は、フォルゴレの姿をした書き手と、王ドロボウジンの姿をした書き手を殺害した。 * * * 「愛がなければこんなことはできない。あなたは正しいよ、ドS。……だが」 666はゆっくりと呑み込まれていくシャリダムの、切り離されている部分を抱き上げる。 シャリダムに取り込まれた幻夜・フォン・ボーツスレーの死体、その上半身だ。 シャリダムの一部といっても差し支えない、ゆっくりと再生しシャリダムと繋がろうとしているそれを。 「私は少しだけ、アプローチの仕方が違うんだ」 シャリダムを呑み込んでいくネコミミストの右掌に、押しつけた。 * * * (痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいイタイイタイイタイイタイ……) 激痛に埋め尽くされた風景が。 「……ただの見世物ならばな。 だがこれは紛れもなく我々の前に突きつけられた現実だ。笑ってばかりもいられまい」 激変した。 (え…………これ……は…………?) |218:[[Blitzkrieg――電撃戦 (後編)]]|投下順に読む|219:[[さよならは言わないで。だって――(後編)]]| ||時系列順に読む|219:[[さよならは言わないで。だって――(後編)]]| |198:[[かくて勝者は不敵に笑う]]|衝撃のネコミミスト|219:[[さよならは言わないで。だって――(後編)]]| |198:[[かくて勝者は不敵に笑う]]|派手好き地獄紳士666|219:[[さよならは言わないで。だって――(後編)]]| |182:[[第二次スーパー書き手大戦 第182話 了承!!]]|デビルシャリダム|219:[[さよならは言わないで。だって――(後編)]]|
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