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ひょーりみ

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ひょーりみ ◆7rAzqBFcf.

最年少皇帝



可児の弟分

三戦板在住のコテハン。出現当初の名前は日和見宰相。現在でも「日和見」の愛称で呼ばれる。
2005年春、可児率いるコテ軍団の一人として出現。
当時、2ちゃんねらーとして煽り耐性も出来てなかった彼は早速多くの叩きを食らい、
多くの失態を晒し、恥を掻くこともしばしばであった。
しかし可児派最年少コテとして可児、野武士らに支えられつつ成長、可児の弟分と呼ばれるようになる。


可児の引退、愚痴新党党首へ

月日は経ち、可児が引退し、ラモスの乱以後大量増殖したコテが三戦板から引退、
外部板への移動などで消えていく中、彼は三戦に留まり続けた。
実質的に可児派のコテの代表格となった彼だが、その存在感※から自治新党の党首へとの声があがる。
だが党首の座は魔玉派のまあcに譲り、彼はあくまで可児派の代表として顔を出し続けた。

※この頃三戦の一部に普及した「三戦志」では彼を三大勢力(戯触護)のうち戯の君主とみなしている。
それも原因し、三戦では彼を君主格にした扱いが随所に見られた。

まあcが新党党首になるも党首として全く機能しない。
その隙に自治新党終身名誉党首である学徒出陣が直々に張春華を党首に指名し、
張春華はそれに応えまあcを追放、新党党首として名を挙げる。
だが、張春華はその不可解な行為や他人を小ばかにする態度から人々の反感を買っていた。
そして張春華が牛耳った新党から張春華に対する一部の党員達の怒りが爆発。
彼らは暴走の果てに新党に抗う新たな勢力として愚痴新党を設立する。
そして初代党首にはあの日和見が祀り上げられたのであった。

しかし、一時の感情と新党への恨みだけで立てた愚痴新党が長続きはしなかった。
そもそも名前からして愚痴を吐き出す場所だったのだが、
意外にも張春華政権が住民の団結を呼び、春華も以前までの党首と違い、威張るようなことをしなかったため
反発が少なく、三戦に平和が戻ってきたのであった。
そして愚痴を吐き出す必要がなくなったため、さらに削除人による削除もあり愚痴新党は自然に解体される。
日和見も「俺は剣だ。平和な時代にはお蔵入りだ」と言ったとか言わないとかで特に気にせず解散を受け入れる。


三戦志の主役格の日和見

以上の新党・愚痴の争いは現在ある三戦志の終盤のエピソードとして創作アレンジしてある。
戯帝日和見と簒奪を目論む猛達春華姉妹の対立、それに介入する触の帝王魔玉との駆け引き、
さらに復活を果たしたムコーニンが登場するところで物語りは一旦区切られ、
この中でも若年の日和見は可児の遺志を継ぎ、蕎序らの謀反を治め、さらに巨悪と戦うヒーロー的な存在になっている。
三戦志では日和見は非常においしいポジションなのだ。


2006年の日和見

2006年になり、目立った動きはないが、日和見は5月現在未だ三戦に顕在中である。
新党はムコーニンが党首となっているが事実上張春華が最有力の党首的存在として君臨している。
もちろん多くの反発を招いているので、同盟関係にあるとはいえ、日和見には何かしら一つ華を咲かせてもらいたいところである。

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