ムコーニン◆Mmt/8IAU/k
三戦の革命児
人物
元は武田騎馬軍団スレ・朝倉スレに出没していた名無しだが、
自治荒らし学徒出陣が652のレス番を文字って名付け、コテハンデビュー(当時リアル工房)。
学徒が立ち上げた自治新党のお祭り騒ぎに参加し、痛すぎる発言や煽りを繰り返して叩かれまくる。
自治スレが乱立する中でそれでも新党にこだわり続け、よくわからないカリスマ性により新党党首に祭り上げられると、
その無駄な行動力を遺憾なく発揮、自治混乱に拍車をかける。
彼の執念が幸いしたのか、なぜか削除人が新党を三戦唯一の自治と認めるとしだいに良識者も根負けし、
あろうことか自治新党を三戦板唯一の自治スレにしてしまった。
その後運営のhicat氏から職務を渡され三戦板の三代目常駐まとめ人に就任。
ピッキーらが現れるまで新党の長期政権を樹立させている。
ピッキーら現行自治のクーデターに遭い、新党が自治の権限を失うと数ヶ月に及んで抵抗するが、
学徒の言を容れて降伏。2004.4活動の場を三国志NETに移す。
第二回板対抗三国志NETが開催されると三戦国君主に就任。親分肌の行動が注目され住民ならびに他板からも支持され、
「ムコしゃまばんじゃ~い」と叫ぶ信者集団まであらわれた。
自治荒らし学徒出陣が652のレス番を文字って名付け、コテハンデビュー(当時リアル工房)。
学徒が立ち上げた自治新党のお祭り騒ぎに参加し、痛すぎる発言や煽りを繰り返して叩かれまくる。
自治スレが乱立する中でそれでも新党にこだわり続け、よくわからないカリスマ性により新党党首に祭り上げられると、
その無駄な行動力を遺憾なく発揮、自治混乱に拍車をかける。
彼の執念が幸いしたのか、なぜか削除人が新党を三戦唯一の自治と認めるとしだいに良識者も根負けし、
あろうことか自治新党を三戦板唯一の自治スレにしてしまった。
その後運営のhicat氏から職務を渡され三戦板の三代目常駐まとめ人に就任。
ピッキーらが現れるまで新党の長期政権を樹立させている。
ピッキーら現行自治のクーデターに遭い、新党が自治の権限を失うと数ヶ月に及んで抵抗するが、
学徒の言を容れて降伏。2004.4活動の場を三国志NETに移す。
第二回板対抗三国志NETが開催されると三戦国君主に就任。親分肌の行動が注目され住民ならびに他板からも支持され、
「ムコしゃまばんじゃ~い」と叫ぶ信者集団まであらわれた。
(以上三戦wikiroomより抜粋)
称えられるカリスマ性
彼の人気がどこから来るのかという点は諸説あって的を射ない
彼自身特別な三戦知識を持ち合わせているわけでもなく
人を楽しませるようなネタの書ける職人でもない。言動は至って稚拙であり
横柄とも思われる態度は復活後も変わっていない
ではなぜ彼がかつて人気を博し、長いブランクにも関わらず復活した今でもレスが増えるのか
彼自身特別な三戦知識を持ち合わせているわけでもなく
人を楽しませるようなネタの書ける職人でもない。言動は至って稚拙であり
横柄とも思われる態度は復活後も変わっていない
ではなぜ彼がかつて人気を博し、長いブランクにも関わらず復活した今でもレスが増えるのか
彼を語るときに二つの現象が重要となる。すなわち自治新党の全盛(2003年)と
板対抗三国志NET(2004年)である
板対抗三国志NET(2004年)である
自治新党の全盛を成したのは他ならぬ彼の無駄な行動力であり
「すべてを受け入れる」という貪欲すぎる彼の懐の深さでもあった
元自治、自治に反対する人、荒らし、便乗厨はそんな彼を御輿に担ぎ
混乱の限りを尽くした三戦自治をただひた走りに駆け抜けていく
その結果新党は三戦自治の座を旧自治から奪い
運営に認められるという前代未聞の珍事を引き起こしたのだ
ただの烏合の衆が、意見や思想の壁を乗り越えて一つになり目に見える結果を
勝ち取った瞬間でもあった
「すべてを受け入れる」という貪欲すぎる彼の懐の深さでもあった
元自治、自治に反対する人、荒らし、便乗厨はそんな彼を御輿に担ぎ
混乱の限りを尽くした三戦自治をただひた走りに駆け抜けていく
その結果新党は三戦自治の座を旧自治から奪い
運営に認められるという前代未聞の珍事を引き起こしたのだ
ただの烏合の衆が、意見や思想の壁を乗り越えて一つになり目に見える結果を
勝ち取った瞬間でもあった
また板対抗三国志NETが開始されると、三戦住民参加者100人からなる大所帯を率い
君主として持ち前の度量の深さとよく解らない人気とで板論をまとめ
三戦躍進の原動力となった。また国が滅んだ他板の住人を積極的に受け入れ厚遇する態度により
板を越えて信奉するファン層を作り出した
君主として持ち前の度量の深さとよく解らない人気とで板論をまとめ
三戦躍進の原動力となった。また国が滅んだ他板の住人を積極的に受け入れ厚遇する態度により
板を越えて信奉するファン層を作り出した
この二つの奇妙な現象に共通することは、
有象無象の人々が訳も無く集い、その騒乱の中でそれぞれが反目しあるいは協力しつつ、
最終的には一つの目的を見つけそしてそれを成就していったということにある。
全く異なった時間と場所で起こった二つの現象の中で、
たまたま彼らは偶然にも同じ感覚を共有し、たまたま偶然同じ経験を分かち、
そしてその渦の中心に、たまたま偶然ムコーニンが居たということだろう。
だがこうして事実を知る者たちはこれが偶然ではないことを知っている。
有象無象の人々が訳も無く集い、その騒乱の中でそれぞれが反目しあるいは協力しつつ、
最終的には一つの目的を見つけそしてそれを成就していったということにある。
全く異なった時間と場所で起こった二つの現象の中で、
たまたま彼らは偶然にも同じ感覚を共有し、たまたま偶然同じ経験を分かち、
そしてその渦の中心に、たまたま偶然ムコーニンが居たということだろう。
だがこうして事実を知る者たちはこれが偶然ではないことを知っている。
彼の人気は彼の能力の中にはない。表裏なく計算もなく
直情的なキャラと馬鹿に輪をかけて解りやすい馬鹿さ加減
叩かれても叩かれても2レス目には忘れてしまう人なっこさが
彼を前にした人々の心のわだかまりを解いてしまい
気が付けば彼を受け入れてしまっているのである
直情的なキャラと馬鹿に輪をかけて解りやすい馬鹿さ加減
叩かれても叩かれても2レス目には忘れてしまう人なっこさが
彼を前にした人々の心のわだかまりを解いてしまい
気が付けば彼を受け入れてしまっているのである
よく劉邦に例えられるが、ムコーニンはせいぜい亭長どまりであろう
むしろ劉邦と言われて「誰それ?」と平気で聞き返しそうな勢いである
むしろ劉邦と言われて「誰それ?」と平気で聞き返しそうな勢いである
(以上三戦wikiroomより抜粋)
タイミングを逸した英雄
これまでは過去のムコーニンについて肯定的に話を進めたが、一度姿を隠したムコーニンが再び姿を現したのは2006年2月。
彼はその支持力で当時異常ともいえる勢力を誇っていた張春華の新党へ突如姿を現した。
当時、可児・魔玉らの影響でコテブームが再燃していた三戦住民(特に新参)にとって過去に凄まじいカリスマ性を発揮したムコーニンは神格化されていた人物であった。
神格化の背景にはぷらっとを初めとする、ムコーニンを持ち上げる古参住民の煽りがあった。
そのためムコーニンが復活した頃、彼は誰をも凌ぐ大カリスマへと住民へは植え付けられていたのである。
これが俗に言う「古参崇拝」の風潮であり、ムコーニンはその恩恵を最も被った者といえるだろう。
彼が新党へ姿を現し、アンチ春華を中心とした新党の住民達は一斉に彼へと群がる。媚び売りで有名な金宰陽、魔旦伍?ら小物コテも積極的にムコーニンへコンタクトを働きかける。
ムコーニンは改革を宣言し、住民の有無を言わさぬ支持もあり党首へ返り咲き、積極的に自治新党で三戦自治を行おうとする。
妹分ともいえる張春華も流れに逆らわず、ムコーニンへ党首の座を渡し傍観の立場に回る。
ところが三戦住民はしばらくするとムコーニンの政策に首を傾げることになる。彼はほとんど自分の全盛期である頃と変わらぬスタンスで新党に覇を唱えた。
しかしコテブームに疲れた住民、また張春華政権になんら不満のない住民(当時張春華政権では平和そのものであり特に揉め事が起こっていなかった。そのためムコーニンの復活は逆に火をつけてしまった形となる)らは彼の強引で稚拙な提案に反発、さらに2ちゃんねる全体で知識を見につけた住民が増えたことや、ルールが縛られてきたこともあり、ムコーニンはそれらに全くついていけない状況に陥る。
当時の住民は「たまに現れる自分を党首にしろ、と喚く小物コテと同じ」と酷評し、さらに張春華、魔玉、ひょーりみらには存在感、格の違いを見せ付けられ、
最高の後援者であったぷらっとにさえ愛想をつかれるほど能力が現状についていけないほど当時のままであった。
そんなこんなでムコーニンは新党に帰参しながら非常に居心地の悪い思いをする。たまにムコーニンを立てることで政権を狙う金宰陽に祀り上げられたりすることもあるが逆効果に終わる。
こうしてついに党首の任期から一ヶ月ほどしてムコーニンは逃亡し、姿を現さなくなる。
約三ヶ月ほどムコーニン党首の名で新党は機能するが痺れを切らした金宰陽らが党首候補に名乗り出るなど三戦は再び混沌とし始める。
さらにムコーニンの失敗と張春華の治世を称える風潮が強くなり、佐倉広夢らアンチ春華を刺激し、彼らと春華信者の戦いが始まることになった。
党首の座はひょーりみが学徒出陣?から任命されることで長期政権を発足する。
それと同時期に姿を消したムコーニンが戦国板設立と共に再び姿を現し、戦国板に自治新党スレを立てる。
しかし住民からは受け入れられず、逆に罵られそれに怒ったムコーニンは戦国板を重複スレなどで荒らし始める。
三戦板では彼の没落に嘲笑と同情の声が出たが、戦国板にいたムコーニンは戻ることなくそのまま姿を消したのであった。
彼はその支持力で当時異常ともいえる勢力を誇っていた張春華の新党へ突如姿を現した。
当時、可児・魔玉らの影響でコテブームが再燃していた三戦住民(特に新参)にとって過去に凄まじいカリスマ性を発揮したムコーニンは神格化されていた人物であった。
神格化の背景にはぷらっとを初めとする、ムコーニンを持ち上げる古参住民の煽りがあった。
そのためムコーニンが復活した頃、彼は誰をも凌ぐ大カリスマへと住民へは植え付けられていたのである。
これが俗に言う「古参崇拝」の風潮であり、ムコーニンはその恩恵を最も被った者といえるだろう。
彼が新党へ姿を現し、アンチ春華を中心とした新党の住民達は一斉に彼へと群がる。媚び売りで有名な金宰陽、魔旦伍?ら小物コテも積極的にムコーニンへコンタクトを働きかける。
ムコーニンは改革を宣言し、住民の有無を言わさぬ支持もあり党首へ返り咲き、積極的に自治新党で三戦自治を行おうとする。
妹分ともいえる張春華も流れに逆らわず、ムコーニンへ党首の座を渡し傍観の立場に回る。
ところが三戦住民はしばらくするとムコーニンの政策に首を傾げることになる。彼はほとんど自分の全盛期である頃と変わらぬスタンスで新党に覇を唱えた。
しかしコテブームに疲れた住民、また張春華政権になんら不満のない住民(当時張春華政権では平和そのものであり特に揉め事が起こっていなかった。そのためムコーニンの復活は逆に火をつけてしまった形となる)らは彼の強引で稚拙な提案に反発、さらに2ちゃんねる全体で知識を見につけた住民が増えたことや、ルールが縛られてきたこともあり、ムコーニンはそれらに全くついていけない状況に陥る。
当時の住民は「たまに現れる自分を党首にしろ、と喚く小物コテと同じ」と酷評し、さらに張春華、魔玉、ひょーりみらには存在感、格の違いを見せ付けられ、
最高の後援者であったぷらっとにさえ愛想をつかれるほど能力が現状についていけないほど当時のままであった。
そんなこんなでムコーニンは新党に帰参しながら非常に居心地の悪い思いをする。たまにムコーニンを立てることで政権を狙う金宰陽に祀り上げられたりすることもあるが逆効果に終わる。
こうしてついに党首の任期から一ヶ月ほどしてムコーニンは逃亡し、姿を現さなくなる。
約三ヶ月ほどムコーニン党首の名で新党は機能するが痺れを切らした金宰陽らが党首候補に名乗り出るなど三戦は再び混沌とし始める。
さらにムコーニンの失敗と張春華の治世を称える風潮が強くなり、佐倉広夢らアンチ春華を刺激し、彼らと春華信者の戦いが始まることになった。
党首の座はひょーりみが学徒出陣?から任命されることで長期政権を発足する。
それと同時期に姿を消したムコーニンが戦国板設立と共に再び姿を現し、戦国板に自治新党スレを立てる。
しかし住民からは受け入れられず、逆に罵られそれに怒ったムコーニンは戦国板を重複スレなどで荒らし始める。
三戦板では彼の没落に嘲笑と同情の声が出たが、戦国板にいたムコーニンは戻ることなくそのまま姿を消したのであった。