イギリスの先行社会主義思想家トマス・モア(1478-1535)、ジョン・ベラーズ(1654-1726)とオーウェンの思想的継承関係をどうみるかという問題については、土方直史が『ロバート・オウェン』(研究社、2003年、81-82頁)で、以下のような見解を提示している。
『ラナーク州への報告』のプロトタイプをなす1817年の「労働貧民救済委員会への報告」で誕生した「オーウェン的社会主義」は、外からのヒントなしにオーウェンによって構想されたわけではない。たまたま友人フランシス・プレイスが17世紀末のクエーカーの博愛主義者ジョン・ベラーズの『産業学校設立提案』(1695年)をみつけてオーウェンに紹介したことが飛躍の機縁となったのである。
ベラーズの『産業学校』は、産業の担い手を教育する施設として考案されていたが、16世紀のトマス・モア以来のユートピア思想を継承し、それをオーウェンに伝える媒介の役割を果たすことになった。モアの『ユートピア』(1516年)では、全員労働、すなわち職を失った浮浪者や乞食たち、あるいは女性たちが労働に参加することによって、生産力が大幅に向上し、1日6時間労働でも貨幣を用いることなく、無償で潤沢な物資の交換が可能となるとしていた。また、ここの人びとは、農村と都市とで交互に生活し、農業と手工業の両部門の労働に参加することになって
いた。宗教的にも寛容で、教養を重んじ、精神的な快楽の追求が最高の幸福とされ、有徳人による全島一家族となるよう期待されていた。貨幣経済への批判を契機とするモアの思想は、オーウェニズムの先駆だと位置づけられる。
『ラナーク州への報告』のプロトタイプをなす1817年の「労働貧民救済委員会への報告」で誕生した「オーウェン的社会主義」は、外からのヒントなしにオーウェンによって構想されたわけではない。たまたま友人フランシス・プレイスが17世紀末のクエーカーの博愛主義者ジョン・ベラーズの『産業学校設立提案』(1695年)をみつけてオーウェンに紹介したことが飛躍の機縁となったのである。
ベラーズの『産業学校』は、産業の担い手を教育する施設として考案されていたが、16世紀のトマス・モア以来のユートピア思想を継承し、それをオーウェンに伝える媒介の役割を果たすことになった。モアの『ユートピア』(1516年)では、全員労働、すなわち職を失った浮浪者や乞食たち、あるいは女性たちが労働に参加することによって、生産力が大幅に向上し、1日6時間労働でも貨幣を用いることなく、無償で潤沢な物資の交換が可能となるとしていた。また、ここの人びとは、農村と都市とで交互に生活し、農業と手工業の両部門の労働に参加することになって
いた。宗教的にも寛容で、教養を重んじ、精神的な快楽の追求が最高の幸福とされ、有徳人による全島一家族となるよう期待されていた。貨幣経済への批判を契機とするモアの思想は、オーウェニズムの先駆だと位置づけられる。
