1.二つの時代
今回取り上げる文献には2層の時代背景、時代の叫びがあるように思う。もちろん、これらは断絶された時代ではなく、根源には同じものがあるが。一つ目の時代は彼が精力的にフィールドワークを行っていたという昭和初め、特に太平洋戦争前まで、である。二つ目の時代は今回の文献が世に出ることになった1990年初めである。
それぞれの時代における希求に注目しながら、近代以降の我々が抱える問題というのを考えていきたいと思う。
今回取り上げる文献には2層の時代背景、時代の叫びがあるように思う。もちろん、これらは断絶された時代ではなく、根源には同じものがあるが。一つ目の時代は彼が精力的にフィールドワークを行っていたという昭和初め、特に太平洋戦争前まで、である。二つ目の時代は今回の文献が世に出ることになった1990年初めである。
それぞれの時代における希求に注目しながら、近代以降の我々が抱える問題というのを考えていきたいと思う。
2、昭和初期
大阪で治安維持法に触れた彼は故郷である兵庫県加西郡に帰り、1934年(P85においては1933年)から1939年の間、その辺りの地域を駆け回り、研究と反戦活動に励んでいたという(P:15)。ここで一度、この時代の歴史について簡単に振り返っておくと
大阪で治安維持法に触れた彼は故郷である兵庫県加西郡に帰り、1934年(P85においては1933年)から1939年の間、その辺りの地域を駆け回り、研究と反戦活動に励んでいたという(P:15)。ここで一度、この時代の歴史について簡単に振り返っておくと
1922年:全国水平社結成
1925年:日ソ国交樹立、治安維持法公布
1929年:世界恐慌
1931年:満州事変
この辺りからナショナリズムの気運が高まる+農山漁村経済更生運動
1932年:五・一五事件
1933年:ヒトラー内閣成立
1934年:日本製鉄会社発足
1936年:二・二六事件
1937年:盧溝橋事件、国民精神総動員運動
1938年:国家総動員法、電力(国家)管理法
1939年:第二次世界大戦
1941年:真珠湾攻撃
1925年:日ソ国交樹立、治安維持法公布
1929年:世界恐慌
1931年:満州事変
この辺りからナショナリズムの気運が高まる+農山漁村経済更生運動
1932年:五・一五事件
1933年:ヒトラー内閣成立
1934年:日本製鉄会社発足
1936年:二・二六事件
1937年:盧溝橋事件、国民精神総動員運動
1938年:国家総動員法、電力(国家)管理法
1939年:第二次世界大戦
1941年:真珠湾攻撃
このような時代の中で、赤松は「戦時体制下の村落社会の矛盾と相克の中でいかにして反戦の思想と行動を貫くか」を課題として活動していた。近代国家の成立に伴い、壊されていく農村、共同体、人のつながりに危機感を抱いた赤松は、それをどう克服するか、その象徴として戦争を取り上げ運動を展開していたのだろう。
一方で、もちろん研究もしていくわけであるが、その動機のひとつとなったのが、柳田をはじめとする民俗学者が「常民」というコンセプトをつくりだし、遍歴する人々や天皇制、夜這いなど彼らにとって都合の悪いもの(「あるがまま」のもの)をみず、「自分たちの倫理観や政治思想」にとって都合のいいものを切り貼りすることに対する不満であったと思われる。
未来に向けた視点と過去に向けた視点、どちらにしろ、そこにあるのはありのまま広がっている世界が無残に切り捨てられていくことへの抵抗であると思う。
それはこの時代に起きた様々な事件の中からも読み取れる気がする。阿部定事件(1936年)や津山事件(1938年)、鬼熊事件(1926年)など。そこからは、貞操観念の導入、徴兵制度、警察などの行政・官僚制度の導入などがもたらしたものの片鱗が見える気がする。現在生きる私たちが描くような、ネガティブな共同体のイメージは実は、既存の共同体にシステムが明治以降導入された結果のものであるのではないか。
3.1990年代初め
赤松が夜這いに関する今回の文献を発表した1990年前後についてまとめると
1984年:風営法改正
→ノーパン喫茶の取り締まり、テレクラの誕生
→援助交際が問題に
1997年:神戸連続児童殺傷事件
一方で、もちろん研究もしていくわけであるが、その動機のひとつとなったのが、柳田をはじめとする民俗学者が「常民」というコンセプトをつくりだし、遍歴する人々や天皇制、夜這いなど彼らにとって都合の悪いもの(「あるがまま」のもの)をみず、「自分たちの倫理観や政治思想」にとって都合のいいものを切り貼りすることに対する不満であったと思われる。
未来に向けた視点と過去に向けた視点、どちらにしろ、そこにあるのはありのまま広がっている世界が無残に切り捨てられていくことへの抵抗であると思う。
それはこの時代に起きた様々な事件の中からも読み取れる気がする。阿部定事件(1936年)や津山事件(1938年)、鬼熊事件(1926年)など。そこからは、貞操観念の導入、徴兵制度、警察などの行政・官僚制度の導入などがもたらしたものの片鱗が見える気がする。現在生きる私たちが描くような、ネガティブな共同体のイメージは実は、既存の共同体にシステムが明治以降導入された結果のものであるのではないか。
3.1990年代初め
赤松が夜這いに関する今回の文献を発表した1990年前後についてまとめると
1984年:風営法改正
→ノーパン喫茶の取り締まり、テレクラの誕生
→援助交際が問題に
1997年:神戸連続児童殺傷事件
ここでも、性の揺らぎというものが見えると思う。それと同時にみえるのは道徳崩壊でではないか。売春はだめだと国民道徳が命じる一方で、売春は世間に認知されている。子供は性行為をしてはいけないという一方で、子供同士では許容、学校では性教育がなされる。現実の世界は矛盾に満ちていて、しかし、線引き社会はそこに矛盾があることをみようとせず、矛盾は認めない。これは赤松による柳田批判にも通じる。かつては矛盾があることを認めた上で、しかし人々の行動、考えの指標となる基準やベクトルとなるものがあったわけで、それがなくなり、虚構の国民道徳は子供の疑問に答えられなくなっていった。なぜ人を殺してはいけないのか、など、そこに答えなどないはずである。しかしそこに答えがあるかのように振舞い、それが絶対であると言い押し付ける。あるがままの現実を生きるのにそれが役に立たないことを知ったとき、人はどうなってしまうのか。何もない中で生きることなどできるのか。それは現代に突きつけられた課題であると思う。
そして、その課題を察知し、回答もしくは道しるべを示そうと思ったのが赤松であり、当時の赤松ブームのひとつの要因であると思う。
上野は男女共同参画社会がどうとかフェミニズムがどうとか言うが、おそらく、もっと深い希求が赤松を求めたのではないか。
そして、その課題を察知し、回答もしくは道しるべを示そうと思ったのが赤松であり、当時の赤松ブームのひとつの要因であると思う。
上野は男女共同参画社会がどうとかフェミニズムがどうとか言うが、おそらく、もっと深い希求が赤松を求めたのではないか。
課題
なぜ貞操観念は受け入れられたのか。夜這いされないインテリが積極的に肯定していったから?
夜這いのネガティブな面にも注目。また、少女の売買
なぜ貞操観念は受け入れられたのか。夜這いされないインテリが積極的に肯定していったから?
夜這いのネガティブな面にも注目。また、少女の売買
