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『現象学の視線』

最終更新:2011年06月14日 10:58

kameyama2011

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0.問題としての日常

  • 日常に問いを向け始めたときから、日常は自明性を失いだす。
 ここで、問うことと問われているものとの関係をめぐって、{日常性をめぐる}問いがいわばメタレヴェルで自己検証を開始するとしても、この第二階の問い{「日常をめぐる私の問いは充分に機能しているだろうか。私は問いとして対象化したい日常を、充分に対象化しきれているだろうか?」}が問われている日常との関係でやはり未発の爆薬に終わらぬ保証はどこにもない。日常は{第二階の-メタレヴェルの}問いそのものの内部にも容易に浸透してくるからだ。そして日常は、日常に向けられるどのような問いをもみずからの増殖の、あるいは編成替えの手がかりとするだろう。(p.20 { }内引用者付記)
+ 「問うことと問われているものがおたがいを構成しあう絡み合い」とは?
 p.20で提起されている「問うことと問われているものがおたがいを構成しあう絡み合い」という問題は、社会学においてはイデオロギー論として議論されることが多い。「ハーバーマス-ガダマー論争」が代表的。
例えば、しゃべっている人間がたえずあるイデオロギーに疑問を投げかけ、あるイデオロギーから独立しようとしているとする。しかし彼は、それをすればするほど、そのイデオロギーの否定・拒絶という形で、そのイデオロギーに深くコミットすることになる。また、イデオロギーは問いそのものの内部にも容易に浸透してくる。
つまり、コミュニケーションの現場で任意のイデオロギーを制御することはできない。イデオロギーを制御するには、その来歴を明かにするという別の作業を行わなければならないということになる。

  • 〈日常〉という主題系は、それが問題として収斂する地点が見えにくい。(p.23)
  • 〈日常〉と、なにか他のものを対立させ(〈日常〉と、予期せぬ出来事。歴史の書物に記入されることになるような出来事。……)、その構造を問題にしようとすると、とたんに両者の境界は曖昧になってしまう。
→問題としての〈日常〉は迷宮のようなものだ。(p.24)
  • 迷宮には迷宮なりの論じ方がある。むしろ、それこそ考えることなのだ。
コルネリュウス・カストリアディス(Cornelius Castoriadis, 1922 - 1993)
「考えるとは、洞窟から外へ出ることではないし、暗闇の不確かさを事物そのもののくっきりした輪郭に、ゆれ動く炎の光をほんとうの太陽光線に置き換えることでもない。それは迷宮のなかへ入ることであり、より正確に言えば、迷宮をあらしめ、出現させることなのだ。(……){袋小路のなかでの}回転運動が、突如、壁に通り抜け可能な裂け目を開けるまで。」(p.24)



1.〈日常〉とそのにせの外部

カレル・コシーク(Karel Kosík, 1926 - 2003)
「日常性は、親しいもの、よく知られたもの、身辺、《故郷》であるが、歴史は、逸脱として、日常性の進行の攪乱として、例外およびなにか疎遠なものとしてあらわれる。」(p.25)
+ コシークにとっての「歴史」とは?
 コシークが1967年発行の『具体性の弁証法』で語っている「歴史」とは、多分に“共産主義革命に向けての、輝かしい解放に向けての”歴史であることを、背景として理解すること。つまり、コシークが「日常/歴史」のスキームを批判するとき、「日常」が反革命的な-ブルジョワジー的な対象として、当時の学生に批判的にみなされていたことへの警鐘が、その遂行的なメッセージであることを理解すること。
 鷲田はコシークを参照しつつ、彼の主張の社会的意義よりもむしろ、日常の「親しいもの、よくしられたもの」としての側面に着目している。
→・一見、日常性は、はなはだしく非日常的なもの-外部の侵入(あるいは、歴史的な出来事)によって簡単にのみこまれてしまうように思える。
  • しかし、はなはだしく非日常的なもの-外部までも、規則的かつ反復的なリズムによって、親しんできた日常世界へと取りこまれてしまう。(私たちが「外部」として捉えることが可能なのは、少なからず日常生をおびた“偽の”外部である?)
→・日常の内部と外部を領域的に区別することはできない。両者はいつも浸透しあっているし、入れ替わりもする。「あらゆるものが日常的なものとなりうるし、また日常的なものでありうる。」(p.27)
  • 生を、歴史と日常性へと分断する思考法、日常の内部と外部(歴史的な出来事)を領域的に区別し、日常を歴史に対立させようとするような思考法は、歴史を「神秘化」し、日常を、歴史に比べれば惰性的で不活性なものとして「空虚化」する。
→・日常性とはむしろ、ひとびとの生が一定のリズムを手に入れ、一定のかたちへと組織されるときのその仕方を示すものであって、ひとつの対象領域を構成するものではない。〈様態〉(Modalitat)というカテゴリーでしか捉えられない、日常性という概念。(p.28)
 では結局のところ、日常性とは生のどのような編成を意味しているのか。だれもがそのなかにありながら、あらためて主題化しようとしたとたん対象としてのその輪郭をあいまいにしてしまう日常性のこのような見えにくさは、いったいどこからくるのだろうか。(p.28)

2.見えない基底


  • 日常は{もし対象化するとすれば}さしあたって、否定的にしか対象化できない。
ハイデッガー(Martin Heidegger, 1889- 1976)
「{この否定的にしか対象化できないというとまどいは、日常という}現象の固有性を告知する」。

  • 日常は「わざわざ問うまでもなく」「いつもすでに」明らかである、「ア・プリオリな完了態」にある。〈忘却〉されているということが日常の自明性の特質をなしている。
 →しかし、〈忘却〉は、生において、単に否定的な装置として機能しているわけではない。
●日常性はみずからが前提としているのを同時に覆い隠すことによって成り立っている。(p.30)
アルフレッド・シュッツ(Alfred Schütz, 1899 - 1959)
「自然的態度のエポケー」(p.30)
日常性の被覆の力は、日常性の基盤そのものをむしろ支えている、ポジティヴな力であると考えられる。
「{日常のなかに}没入しうるということはポジティヴな存在の可能性に基づいており、この可能性は非本来性というような欠損状態としては充分に捉えることができない」
●日常の自明性が「根底から奪い取られて」いるケースに着目する。(p.31)
ウォルフガング・ブランケンブルク(Wolfgang Blankenburg, 1928 - )(*2)
  • 症例アンネ・ラウ:破瓜型/単純型の分裂症者。(p.32)
「自然な自明性(ふつうに当たり前のこと)の喪失」が分裂病者の基礎的な障碍となるかを探る。
「『私に欠けているのは何でしょう。ほんのちょっとしたこと、ほんとにおかしなこと、大切なこと、それがなければ生きていけないようなこと……。』アンネが「ほんのちょっとしたこと」という言い方をしたとき、彼女の言いたかったことは明らかに、自分に駆けているものがまったく目立たない、結局はくだらないものだということであった。彼女はそんなくだらないものにこれほどまでの意味を与えることに抵抗して、『それはほんの取るにたらないことです。おまけのようなものです。それはもともと自明なことなのです。ほかにもそれよりずっと大切なことがあるのに……』と言う。」
+ 木村敏『あいだ』でも、症例アンネ・ラウは扱われている
木村敏『あいだ』、『人と人との間』でも同様に分裂病に関する考察がなされている。木村の考察は、狭い意味での精神医学の領域を超える射程を持つものとなっているが、とりわけ、分裂病を時間との関わりにおいて捉える考察は(「アンテ・フェストゥム=祭の前」という概念に文化史的な曖昧さがあるとしても)、彼独自のものであるように思われる。
  • アンネが喪失し(喪失(Verlust)しているが、欠如(Privation)しているわけではない)、離脱してしまっているところのものが、われわれの生にとって「基底的(basal)な性格」をもつものである。
 アンネが喪失しているものが、「基底的(basal)」であるというのは、それが①日常生活の〈背景〉として自明的なものとなり、②たえず流動する生の〈基盤〉として、生に一定のまとまりをもたらすように働くという、二つの契機による。
  • アンネにおける《自明性の喪失》は、この世界への着生の仕方(Einbau)、錨の下ろし方(Verankerung)における困難を示している。
→世界への、そして自己自身への関係としての生を隠れた仕方で支えている「超越論的な機構」そのものの障碍。(p.33)
 この「超越論的な機構」が生の〈背景〉および〈基盤〉として働く場合の、その様態とはどのようなものか?

 {日常を対象とする問いは、} 問われていることがらが、たえず問いをまぬがれるという仕方で、問うことの前提にもなっているのであるから、問うことそのものが問われている当のものにいつ足をすくわれないとも限らない。{p.20の引用文参照} 日常性への問いを可能にしている前提条件が、ここではその条件への問いをも可能にしているかぎりで認識されねばならない。{問いが、問いそのものの前提条件、問いの自明性を保証するものを無効にする可能性を常に持つ、ということを認識しなければならない。} この意味で問題はまさに自己関係的(selbstbezuglich)なのである。もう一度確認しておこう。日常は、生の見えない土台、見えない背景をなすからこそ日常なのだ。(p.34 { }内引用者付記)

3.〈わたしの辺縁〉


 われわれがいつもそこに浸って生きているありふれた自明性の世界、これまでの準備的な議論をふまえ、日常をさしあたってこのように定義しておこう。途切れることのない経験の流れのなかでどこからともなくひとりでに湧きだしてくる親和性の意識、〈わたし〉の意識の背後で、あるいは辺縁で、あたかもそれに寄り添いそれを包みこむかのように受動的に発生してくるだれのものでもないような意識、日常はそのようなものとしてわれわれの経験に現象してくる。日常とはまずは経験の〈地平〉現象にほかならない。(p.36)

●経験の地平とは何か?
 ―→ある何ものかが対象として立ち現れてくるとき、われわれがその何ものかを「対象」として捉えられるのは、われわれがその何ものかを経験として、あらかじめ知っていた、あるいは知りつつあるからである。という事態。(p.36)
エトムント・フッサール(Edmund Husserl, 1859 - 1938)
「われわれを触発してくるものは、(……)絶対的に未知な与件なのではない。それどころか未知性は同時に、既知性の一様態である。」(p.37)
→経験はそのつどゼロからはじまるのではなく、いつも先行的に構造化されつつ生起する。われわれに与えられた、あるいはわれわれを触発するものは、あらかじめある類型的な一般性において、枠どられる。
→「先行的枠取り」(Vorzeichnung)

●経験の地平について、注意すべき二つの点
Ⅰ.対象として何かが与えられる、という事態は、それがすでに与件以上のものと関係がある{その対象を認識する単位の、意味構造のうちに、それが「内存在」(Inexistenz)している}ことではじめて可能となる。(p.38)
→「意味の超越」(Sinnes-transzendez)

Ⅱ.何かを対象として受け取るという、事態に常に先行する「先行的枠取り」は、匿名的な主観の働きであり、〈わたし〉の働きではない。(p.38)
→主観性の働きが、主観性自身の反省をまぬがれている状態。
→・〈わたし(経験するもの)〉と〈世界(経験されるもの)〉の相関は、匿名的の主観の働きであるだけでなく、もう一つの匿名的な主観の働きとのなかで間主観的に発生する。
この、もう一つの匿名性の主観は、〈わたし〉の構成的機能を(そしてその構成的機能を〈わたし〉に自覚させる反省の働きを)成り立たせる基盤として、受動的に送りこまれてくる。
→《受動的な共同性》
 日常性を、いまわれわれは{あらかじめ知られた、知られつつある}経験における《受動的な共同性》の地平的現象として捉えなおしたわけだが、反省も一つの経験であるかぎり、この《受動的な共同性》は反省のなかにも匿名的な仕方でしのびこんでいる。(p.40)
①反省が反省それ自身へと反省的に{“反省”という行為を自然性に没入させないように}遡及していく過程
②日常が日常それ自身を{日常性の外部へと}超えていく過程
 この、①と②はひとつに収斂するのではないか?

5.忘却と覚醒の絡み合い


●「日常が日常論によってではなく、日常そのものによって盗まれていくプロセス」(p.49)とはなにか?
  • 日常は、経験の母胎・地盤としてあるまとまりをもった安定的なものである。その一方で、それは不安定であり、壊れやすい一面と背中合わせになっている。
  • 日常は異質なもの、新奇なものを併合しながらたえず変形していく可塑的な運動である。その一方で、それらの運動は忘れられ、「変わることのない普遍的で自然的な基礎」とみなされる。
カレル・コシーク(Karel Kosík, 1926 - 2003)
「日常の宗教(的疎外)」:日常それ自身の歴史性の忘却。
  • なぜこのような「日常の宗教(的疎外)」は起こるのか?
ⅰ〈理想的なもの〉が〈現実的なもの〉を隠す。(マルクス、フッサール)
ⅱ〈現実的なもの〉として析出されたはずのものが、〈(真に)現実的なもの〉を隠す。
 世界のなかの一対象領域ではなく、みずからを編むと同時に編みなおしてもいく力動的なプロセスとしての日常が、しかもプロセスとしてのみずからの在り方をたえず忘却し、隠蔽していくという、そのような様態(Modus)が、なぜ日常にとって不可避的なものであるのか、その点が問われなければならない。(p.51)

●なぜ「日常がそれ自身を隠していくプロセス」は不可避的なものであるのか?
  • プロフィール(かたちGestalt)をもたない世界といってものは考えられない。
  • だから、ある水準で世界aが現れているときには、その世界aを現すための、ある一定の関係様式a(=プロフィール(かたちGestalt))が、われわれのうちに恒常的に成立しつづけている。
→このような関係様式の成立はしばしば、《…が~として現出する》《…を~として経験する》というふうに現れ〔ないしは経験〕の〈意味〉による媒介構造の成立として定式化され、《~として》の部分が忘れられることで、「日常がそれ自身を隠していくプロセス」が起こる、と説明される。
しかしそのような説明を〈わたし〉〔主体項〕と〈世界〉〔客体項〕の関係が〈意味〉によって媒介されているというふうに読めば、プロセスとしての日常のあり方はむしろ曖昧にされてしまう。


●《…が~として現出する》《…を~として経験する》というのはあくまでも動的なプロセスである。(cf.p.55 ウィリアム・ジェイムズからの引用文)
何かが「何か」として現れること〔=覚醒・注意〕と、等しからざるものが「等しいもの」として再来すること〔=忘却〕とが絡み合った、両義的な運動性は、前者が後者に裏打ちされつづけることで成立する。(cf. フッサール「類型的一般性」「規定された特殊性」pp.56-57)

6.日常は二度盗まれる

+ 「盗まれていく」ということばのニュアンスに注意すること。
あるものが「盗まれる」ということは、盗まれたものが消え去ることということでも、損せられたということでもなく、「不当なやり方のせいで正しい場所に置かれていない、正しく所有されていない」ということであり、それが「気づかないうちに」行われたということである。

●現れ〔経験〕が、かたち(Gestalt)のある【世界】となるためには、さまざまな解釈系が必要となる。
  • 対象的な【世界】とは、分節され、命名されたものの総体である。
①切れ目のない現れ〔経験〕が、ある不連続な切断線によって、分割される(つまり、分節され、命名される)。
②離ればなれになった諸断片が、相互に連結しあい、ひとつの〔プロフィール、かたち(Gestalt)をもった〕【世界】となる。
  • ①→②の枠組み、あるいは格子として機能するのが、さまざまな解釈系。
(ex.言語形式、色彩の等級や音階、生物の分類、親族体系、服装の規則…)

●匿名的=共同的な〈物語〉によって、さまざまな解釈系は幾重にも織り合わされたり、交叉したりしている。
  • 解釈系は「相互に矛盾しないながらも、排除し、排斥しあう」。
  • その一方で、【世界】との関係に安定した定点をもとめる経験の動性は、さまざまな解釈系のあいだに、一義的な意味の連関を打ち立てようとする。
→異質な由来をもつ異質な諸解釈系は、解読可能なひとつのストーリー、ひとつの〈物語〉のなかに組み込まれる。そうしないと【世界】への関わりを様式化すること=経験が不可能になってしまうから。
  • 異質な諸解釈系を、ひとつの〈物語〉へと組み込む経験の匿名的=共同的なプロセスこそが、われわれが日常として規定しようとしているものに他ならない。
+ 〈物語〉、あるいは神話の力とは、なにか?
〈物語〉、あるいは神話の力とは、矛盾しあう、あるい排斥しあう諸物をその内部で隣りあわせ、折り合いをつけさせるところにある。ただし、矛盾や排斥の作用そのものが解消されるわけではない。詳しくは「分散する理性」の章のp.216~を参照のこと。


●ある種のコラージュとしての日常
  • コラージュの特徴 …
ⅰ諸断片の配置関係が、特定の意味を現すということ。
ⅱ同じ諸断片が別の配置をされることで、まったく別の意味が出現することがありうること。
→(ある種のコラージュとしての)日常は、全体としても個々の現れの場においても、いつも「別様の日常」の影とともにあり、その存立の恣意性を払拭することができない。(「なぜ世界(の解釈)aを採用して、世界(解釈bを採用しなかったのか?)という問いかけ)
  • (ある種のコラージュとしての)日常は、みずからの恣意的な存在性格を隠蔽することで、はじめて経験の恒常的な地盤となる。
無根拠性〔恣意性〕を自明性〔必然性〕へ、歴史を自然へ、仮構性を事実性へ、形象を事象へと密かに転位させることによってひとつの現実が可能となる。(p.63)

→日常的現実は図式化、類型化といった解釈=変形〔歪曲〕を介して構成されるものであるかぎり、イデオロギー現象は常に現実に内在している。
(cf.コシーク「物象化」、ロラン・バルト「神話作用」、ルフェーブル「神秘化」)

+ コラージュとしての日常、アッサンブラージュとしての日常
 実際のところ、日常はある種のコラージュ(collage)というより、むしろある種のアッサンブラージュ(assemblage)だと言える。つまり、新聞、楽譜、布きれなどや針金、ビーズを「糊づけする」(collage)まえに、無数の諸断片をゆるい統一性のもとに「寄せ集める」(assemble)ことが、そして寄せ集められた諸断片に影響されながら、それらを恣意的に(そしてその恣意性を自らで覆い隠すように)組み立てるプロセスが、鷲田の言う日常の動性の感覚に近いのではないだろうか。
→博物学的世界観

7.日常性の転位


●分散した水準の関係系としての、日常
  • イデオロギーや科学は、日常を編成している〈物語〉を完結した解釈体系へと精密化し、日常のなかで日常を超えるべく案出してきたものに他ならない。
  • しかし、イデオロギーや科学も日常はその内部へと包含してしまう。そしてその日常は完結した-閉じた体系ではなく、部分的には明晰であってもさまざまな矛盾を含んでいる。
そこでは、われわれの経験は異なった主題に、異なった水準に分散したままになっている。日常とはその意味で(…)緊密な結合態ではなくて、可塑的な凝集態――であると言える。

●〈わたし〉の内なる外部としての日常
  • 反省する〈わたし〉という存在の辺縁で、〈わたし〉の内部へと取り込めない、〈わたし〉よりも古い思考-非人称の思考が働いている。そして、〈わたし〉よりも古い思考-非人称の思考こそが、それぞれの経験の地平を形成している。
 だから、反省する〈わたし〉にとって日常は内なる外部であり、反省は決してそれに追いつくことができない。
日常の藪のなかで日常に批判的=反省的にかかわること、それはもちろん日常を外部から批判することではない。そのような批判の根拠地は日常の外部にはない。(……)ここでわれわれはまず何よりも、一義的な批判基準でもって日常の総体をひとつの批判されるべき対象へと変形してしまうような、あまりにも性急な全体的批判のまなざしに抵抗しなければならない。それは日常を一元化し、日常のなかのさまざまな場所で蠢きだしている日常が日常そのものを超えていく運動をかえって封じ込めてしまう。そしてそれは、批判そのものを侵食してくる日常性への反省を欠くがゆえに、遠からず日常そのものによって呑みこまれ、報復されるであろう。
これに対して、日常批判はむしろ日常の内部から紡ぎだされなければならない。これまで何度も強調してきたように、日常は同じことのくり返しのように見えながら、実際にはたえず変化している。そしてこの変化に批判がいかにかかわるかがいまや問題なのである。(pp.67-68)

●日常の変化にかかわる日常批判-反省とはなにか?
  • ある日常は、ある日常を可能にする規定の解釈系から漏れ落ちるもの(その秩序における無秩序・反秩序)によって、内側からひび割れていく。=〔転位〕
  • この転位が共同体的=イデオロギー的によって、われわれの解釈によって歪曲させられたとき、日常は停滞し、硬直し、〈物語〉によって定型化される。
  • 日常批判-反省は、この日常の歪曲、偽造の先を越すことである。
→「創造的裂開の瞬間」(p.69)

8.日常のかたさ/日常のもろさ


●日常の内部からなされる日常批判-反省も、常にポジティヴなものではない。
  • 不断に自己を乗り越えていく日常の運動は、「創造的裂開の瞬間」ともなる一方で、全面的な日常の閉鎖・瓦解へと至ることもある。

●日常の閉鎖・瓦解は、日常の徹底した硬化というかたちをとる。
  • 日常の硬化の二つのベクトル …
①何ひとつ自明なものが存在しない世界
②あらゆるものが自明であるような世界
→非自明性と自明性との相互補完的な関係性(Bezogenheit)の均衡が維持されなくなり、「破綻」をきたしている。
  • どのような場合に「破綻」をきたすのか?
  • 「《自然な自明性の喪失》とはすなわち、現存在{生きている世界}における自明性と非自明性との弁証法が、後者の側に引き寄せられて解離するということ以外のなにものでもない」(p.73)
  • ただし、「自明性の喪失それ自体は病的なものではなく、全体としての現存在を統合する契機の一つである」(同)
  • 《自明性の喪失》に対応している「自明性の過剰」が、ともに《不自然な自明性》というかたちで独り歩きをはじめるときに、それまでの日常を構成することが不可能になる。

9.日常がそれ自身を超える場所


しかしここでの問題はイデオロギーや科学による日常的現実の隠蔽にあるのではない。われわれはまさにそのような隠蔽に対する批判的視点の可能性をめぐって、日常性の日常それ自身による隠蔽の構造へと遡ったのであり(cf.5章)、問題は、世界を開くことがそのまま世界を閉じてしまうことにつながるような日常の両義的なプロセスそのもののうちにあって、なおかつそれに批判的=反省的に関わることがおよそ可能かどうかという点にある。(p.64)

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