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ドイツ軍・政治 関係者 - (2006/10/27 (金) 03:46:25) の編集履歴(バックアップ)


ドイツ軍・政治 関係者

50音順にドイツ軍・政治関連の登場人物を説明します。



アドルフ・ヒトラー

作中においての名前は判明していない。
伍長殿、彼、人種主義者、等ぼかして呼ばれる時は大抵この人。
公式サイトによるライスヴィアの説明の項では、政権をとっていないとあるが、作中では一度政権を取ったのち暗殺されたようである。

ヴィリー・メッサーシュミット

ドイツの戦闘機Bf109シリーズの設計者にして、メッサーシュミット社の社長。

エーリッヒ・フォン・マンシュタイン

ドイツの第二次世界大戦中の陸軍元帥であり、最も有能な戦略家の一人。

エルンスト・レーム

ドイツの軍人・右翼活動家。第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約に反対してナチ党の突撃隊(SA)ほか多くの準軍事団体を組織したが、自身の突撃隊を正規軍とする事を望み、国防軍は次第にSAを脅威と感じるようになった。
国防軍との連携が必要なヒトラーによって粛清される。
粛清の理由は突撃隊による反乱の計画を捏造されてのもの。

カール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツ

プロイセン王国の軍事理論家で戦略・戦術に関する古典的名著「戦争論」の著者。

カール・リープクネフト

プロイセンの国会議員だが、第一次世界大戦が勃発した時にこれに反対。
党を離脱してローザ・ルクセンブルクとともにスパルタクス団を組織し、革命運動を指導した。
反戦デモの煽動者として投獄されたが、ドイツ革命で釈放。
ローザ・ルクセンブルグ同様、翌1919年に蜂起したさいに射殺される。

クルト・フォン・シュライヒャー

ドイツの軍人でワイマール共和国の最後の首相。
長いナイフの夜で粛清される。

グレゴール・シュトラッサー

「ナチス左派」と呼ばれる同党左派の流れを代表する人物
長いナイフの夜で粛清される。

ハインツ・グデーリアン

ドイツの軍人。
第二次世界大戦の緒戦の大勝利を飾った電撃作戦の生みの親であり、またそれを実践した最高級の野戦軍指揮官。
戦車部隊の集中運用により、第二次世界大戦でドイツに大勝利をもたらした。
最終階級は上級大将。

ハインリヒ・ヒムラー

ドイツの政治家。親衛隊全国指導者。
親衛隊とドイツ警察機関全てを統括し、1,100万人にも及ぶユダヤ人、ロマ、ポーランド人、カトリック聖職者、ロシア人捕虜の虐殺に責任を負う。
長いナイフの夜に、親衛隊で粛清を実行する。

パウル・バイスバイラー

作中のみの人物?
究極の兵士を目指して、装甲猟兵の教育を行った。

パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス

ドイツの政治家。ナチ党政権下のドイツでプロパガンダを任務とする国民啓蒙・宣伝大臣を務めた。
当時の宣伝中隊の元締め。
作中では1942年には既にいない様子。史実では戦後まで生きて自殺する。

パウル・ルートヴィヒ・フォン・ベネッケンドルフ・ウント・フォン・ヒンデンブルク

(1847-1934)元軍人、第2代ワイマール共和国大統領。
ヒトラーを嫌っていたが、ナチス勢力を抑えることはできず1933年ヒトラーを首相に指名する。
34年の病死によって、ヒトラーは大統領を兼任する。

ハンス・フォン・ゼークト少将

第一次世界大戦後厳しいヴェルサイユ条約の下でドイツ陸軍を再建した中興の祖である。
装備・火力・交通を重視し、一正面の防御作戦の実施に耐え得る軍の創設に努力した。

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世

(1688~1740年)プロイセン国王(在位1713~1740)
粗暴で無教養だったが財政・軍制の改革によってプロイセンの強大化に努め、兵隊王とあだ名された。
「ポツダム巨人軍」と呼ばれる近衛連隊を組織したことは有名。

フリードリヒ・エーベルト

一次大戦敗戦後の臨時政府の指導者になる。
労働者の暴動を義勇軍を使って暴力的に抑制した。
のちのワイマール共和国の初代大統領。

ヘルマン・ゲーリング

ドイツ空軍元帥。
史実ではナチ政権下のドイツにおいてヒトラーにつぐ権力の持ち主であったが、『ケルベロス・サーガ』の世界においては“伍長殿”失脚後にJu52でアルプスを越えようとしたが(イタリアに移動中か?)、墜落。その命を失った。
作中では「あのデブ」と呼ばれる

ローザ・ルクセンブルグ

ポーランドに生まれドイツで活動したマルクス主義の政治理論家、哲学者、革命家。女性。
彼女はポーランド王国社会民主党の理論家であり、ドイツ社会民主党になどに関わった。
ベルリンでドイツ革命に続いて武装蜂起を指導するが、国防軍の残党やフライコールとの衝突の中で数百人の仲間とともに逮捕、虐殺される。
同じく虐殺された盟友のカール・リープクネヒトとともに革命の象徴的存在とされている。