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時ノ猟犬 - (2007/07/13 (金) 23:38:34) のソース

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<p><u>時ノ猟犬</u> 作者:見越入道</p>
<p> 僕は黒板を拭きながらため息をついた。<br>
 時刻は夕方五時過ぎ。七月に入ってもなお梅雨空は晴れず、どんよりと垂れ込める雨雲のせいで理科室の中はうっすらと闇が忍び寄っている。こんな時間に掃除をするハメになったんだから、ため息の一つも出るというものだろう。<br>
 黒板拭きを終わらせて振り返ると同級生のトシヤとコウジがのろのろと掃き掃除を続けている。トシヤはお調子者のひょうきん者。コウジは理屈っぽい言い回しが得意な理論派。どっちかというと引っ込み思案な僕を含めたこの三人は、不思議と気が合った。<br>
 「早く終わらせて帰ろうぜ」と僕が言えば、「誰だよー『ろ紙』ちらかした奴はよー」とトシヤ。すかさずコウジが「トシヤが散らかしたんだろ」と突っ込みを入れる。<br>
 コウジは手にしたシュロ箒で肩を叩きながら「しかしいまだに理解できん。こんな不当な扱いがあるか!?」と大げさに落胆するそぶりを見せた。<br>
 まあ、確かに「不当」かもしれないとは思うが・・・<br>
<br>
 事の起こりは二時間前にさかのぼる。<br>
 僕とトシヤとコウジの三人はいつものように放課後のクラブ活動に参加していた。クラブの名称は「近代科学部」<br>
 名前ばかりは一丁前だが、やってる事と言えば小学生の理科の実験に毛が生えた程度のことばかり。内申書に響くから・・・そんなどうでもいい理由で部に入ったのが運のつきか。<br>
 おまけに部の顧問の浅本という新人教師は進路指導が忙しいとかでさっぱり顔も出さない。確か四、五人はいたはずの三年生たちはもうのんびり部活なんてしてる時期でもないらしく誰も出てこない。<br>
 そんなわけで事実上、近代科学部の実権を握るのは僕たちと同級生で、我等が近代科学部副部長であらせられるカズコ様ということになっていた。<br>
 今日の実験は「ろ過」<br>
 「高校二年にもなって『ろ過』はねーよな」とはコウジの弁だ。当然、すぐに実験に飽きた僕たちは好き勝手に遊び始めていたが、この事がカズコ副部長様の逆鱗に触れてしまったらしい。<br>
 クラブ活動終了時刻の到来と同時にカズコは鬼の形相で僕ら三人に詰め寄り「掃除はあんたたち三人でやってよね」と言い放つと、彼女の「忠実なる部下」・・・下級生の女子を連れてさっさと出て行ってしまったのだ。<br>
<br>
 そんなことをつらつら思い出していたら、コウジが教壇横の理科準備室に通じるドアを開けて「なあ、ちょっと覗いてみようぜ」と言い出した。止める間もなくコウジは理科準備室の中へ。<br>
 「うっひょー!おもしろそー!」とトシヤも中に入っていく。<br>
 まったく、こいつら何考えてんだ?理科準備室といえば、ウサギの剥製やら、犬の心臓のホルマリン漬けやら、気味の悪いものばかり置いてあるってのに、何もこんな時間に入らなくても・・・<br>
 トシヤが満面の笑みを浮かべながら理科準備室の入り口で手招きしている。<br>
 「ほらほら、よーいち!犬の心臓♪」<br>
 わかったよ、トシヤン。入ればいいんでしょうが。<br>
<br>
 僕は入口のドアから首を突っ込んで覗いて見たが、薄暗くて中の様子はよくわからない。立ち並ぶ棚には、やはり薄気味悪い瓶詰めが所狭しと並んでいるのが暗がりでも分かる。手探りで壁に付いてるであろう電灯のスイッチを探し、それを押すと途端に部屋の中が明るくなり、それに合わせる様に戸棚の後ろからコウジが出てきた。その手には一本の古ぼけたビデオカセット。<br>
 「なにそれ、なにそれ」とトシヤもそれを覗き込む。<br>
 「お前ら、あの噂、知らないのか?」とコウジ。<br>
 知らないはずは無かった。僕たちが通うこの霧生ヶ谷南高等学校には、いくつか奇妙な噂が存在する。そのうちの一つ「理科準備室の恐怖の実験ビデオ」だ。噂によると、ビデオを見た生徒は恐怖のあまり卒倒するというものだ。<br>
 噂があまりにも大きくなったので、ある時教員たちがそのビデオテープを探し出して処分したとか、処分する前に事の真偽を確かめるべく、職員室でそれを流したら見ていた教員が全員卒倒したとか。いかにも眉唾物の噂である。<br>
<br>
 そのビデオテープには「催眠状態における時間移動実験」と書かれたラベルが貼ってある。随分年代物らしく、ラベルは変色して黄ばんでおり、文字のインクも色が飛んで薄くなっている。<br>
 「コウジ、まさかこれ・・・見るつもり?」<br>
 トシヤの問いに答えず、コウジは真っ直ぐ教壇の反対側に据え付けられたビデオデッキに向かった。<br>
 「一度呪いのビデオっての、見てみたかったんだ」<br>
 コウジは僕たち二人を振り返ってニヤリと笑うとテープを入れ、ビデオデッキの再生ボタンを押した。<br>
 僕とトシヤも興味半分でテレビの前に椅子を持っていって座り、固唾をのんで画面を見つめた。<br>
<br>
 黒い画面にややノイズが混じった後、どこか、広い部屋が映し出された。<br>
 画面は全体的にひどく青みがかり、時折ノイズが混じる。映し出されたその部屋は、無闇にだだっ広いが、どうやらどこか学校の教室かなにかのように見えた。部屋の中央には、椅子が一つ置かれており、そこに一人の男が座っている。男は、どうやら黒人らしく、黒い肌に、白いTシャツを着ており、両手をヒザの上において座っていた。<br>
 そこへ、画面外からもう一人の人物が現れた。<br>
 その人物は、白衣を着ており、どうやらかなり年がいっているらしく、白髪で頭の上は禿げ上がっていた。その白衣の人物は黒人のところへよたよたと歩み寄ると、水の入っているらしいコップと何か錠剤のようなものを渡し、ぼそぼそと話しかけているようだ。<br>
 黒人の男がその錠剤とコップの中の水を飲んで白衣の老人に返すと、白衣の老人はよたよたとした妙な足取りで画面外へと消えていく。<br>
 すると画面が大きくズームして男のアップに切り替わった。<br>
<br>
 30歳代くらいに見えるその黒人の男は、固く目をつぶり、額に汗をにじませていた。<br>
 別の男の声が聞こえてきた。<br>
 「静かに。ゆっくりと息を吸って」<br>
 声の主は画面に映っていないが、年を取っているらしいしわがれた声だ。画面に見える黒人の男はその声にしたがい、深呼吸をする。声はさらに続けて「ゆっくり、リラックスして。暗闇に溶け込むつもりで・・・」<br>
 テープのラベルにもあったように、どうやら催眠術を使っているらしい。もっとも、催眠術と言っても雰囲気は随分古典的な感じで、いかにもいかがわしい感じのものだが。<br>
 やがて男が落ち着いたのを見計らい、しわがれた声は質問を始めた。<br>
 「なにか、見えるかね」<br>
 男が答える。<br>
 「良く見えないが・・・何かぼんやりしている」<br>
 先ほどのしわがれた声が続ける。<br>
 「もっとゆっくり・・・・ゆっくり近づいてみてくれ」<br>
 「海だ。海が見える」と男が答える。<br>
 「そこは、キミの出発点だ」としわがれた声。<br>
 男は少し眉をひそめる。<br>
 「出発点?この海がそうなのか?」<br>
<br>
 ここで大きくノイズが走る。スピーカーからはザーザーと雑音が飛び出し、画面を砂嵐が覆ったが、しかしすぐにそれも消え去り、元の画面に戻った。<br>
<br>
 しわがれた声が続ける。<br>
 「リラックスして・・・。次にキミは、その海の中へと沈んでいく」<br>
 男は静かにうなずく。<br>
<br>
 「次は何が見えるかね」しわがれた声が問う。<br>
 「巨大な・・・石柱が見える」男が答えた。<br>
 「それは海底にあるのかね?」<br>
 「ああ。海の底に建っている。何本も、何本も。まるで・・・ローマの古代都市のように・・・いや・・・何か違う。いびつで・・・柱には何か彫ってあるようだが」<br>
 「それを見ることはできるかね?」<br>
 「ああ。おかしなものが彫り込んである・・・蛸かなにかのようだが・・・」<br>
 ここで男は妙な感じに、囁き声を出したが、その声は日本語でも無ければ英語というわけでも無いようだった。<br>
 「カトゥルー・・・カトゥルー・・・」<br>
 しかし、しわがれた声はそれには気づかなかったのか、質問を続けた。<br>
 「それで・・・その海中都市には入り込めそうかね」<br>
 と、男が少し後ろのほうを気にしながら囁いた。<br>
 「見られている」<br>
<br>
 突然画面がノイズに埋め尽くされ、画面を黒い線が縦に一本走った。スピーカーからも凄い音量でザーザーという音が溢れ出したので僕たち三人は飛び上がらんばかりに驚いてしまった。驚くと同時に、あたりはすっかり薄暗くなっている事に気がついた。どうやらまた雨が降り出したらしい。<br>
 ノイズ音はあまりにも大きかったのでテレビのボリュームを下げようとトシヤが片耳に指を突っ込みながらテレビに近づこうとした時、スピーカーからノイズに混じり、しかしノイズとは明らかに違う「ゴルルル」というような唸り声が流れてきた。トシヤも思わず後ずさりしたが、画面を覆うノイズはたちまち消え去り、音量も低くなったので「なんだよ」とつぶやいて、また元の席に座りなおした。<br>
<br>
 黒人の男は少し寒そうに震えて「寒い・・・窓を閉めてくれないか」と言い出した。それに答えたしわがれた声は、しかし、窓を閉める気配は無く「周りの様子はどうかね」と質問を続けた。<br>
 「かろ・・かなり寒い・・・あろ・・・」<br>
 男は、ろれつが回らなくなってきているらしい。しわがれた声はまるで囁くように問いかける。<br>
 「リラックスしたまえ。周りの様子を教えてくれるかね」<br>
 「寒い・・・イトツクヨウダ・・・ナヌカ居ル・・・人間かもしれない・・・」<br>
 「それは、人間なのかね」<br>
 「ヌンゲン・・犬・・・イムダ」<br>
 「イム?犬なのか?」<br>
 「あれが犬なものか!!」<br>
 突然、男が大声を上げた。<br>
 「アレは・・・アレは・・・クッチヲミテル・・・こっちに来るぞ!」<br>
 ここでまたひどいノイズが現れ、次に画面を黒い線が縦に二、三本走り、いよいよビデオがいかれたかと思った時、一番後ろに座って見ていたコウジが椅子を動かす音が聞こえたので、僕もトシヤもちょっと振り向いた、その時。<br>
<br>
 ガチャン!<br>
<br>
 突然画面から聞こえてきた金属音に振り返った。同時に「うあああ」という苦しそうなうめき声が響いてきた。<br>
 カメラが横倒しになったらしく、画面が90度傾いている。画面には床と、椅子から転がり落ちて痙攣している男が映っており、カメラの周りを走り回っているらしい何人もの足音と、「担架だ」とか「水を持ってこい」といった、怒号が聞こえる。<br>
 男に走り寄る白衣の男達。その足元から、黒人の男の姿がちらちらと見える。画面からは、男の上半身しか見えないが、男がひどい痙攣を起こしているのが分かった。<br>
 突然、白衣の男のうちの一人がぎょっとしたように画面奥を凝視し、後ずさりをして画面から消えた。それに気づいた他の者も、画面の奥へと視線を向けた。<br>
<br>
 画面の奥。<br>
 その大きな部屋の隅。<br>
 その隅から、なにか黒いものが染み出している。<br>
 まるで墨汁が壁の角から染み出てきたように、黒いシミは見る見る床に広がり、その真っ黒なシミの中からおかしなものが這い出してきた。<br>
 白衣の男達は、明らかにそれに怯えたように、痙攣する男を置いて画面外へと逃げていく。<br>
<br>
 黒いシミから這い出してきた、真っ黒な犬のように見えるそれは一度身震いし、首を左右にゆっくりと振った後、少し身を屈めたかと思うと凄い速さで画面を横切って画面外へ飛び出していく。<br>
 「あああ」「くるぞ!」<br>
 「逃げろ!早く!」<br>
 画面からは、怒号、絶叫、物が倒れる音、ビンが割れる音、そして、絶対に犬などではない、得体の知れない唸り声と金切り声が響き渡った。しかしそれは長くは続かず、ほんの数秒で静かになり、あとに残ったのは横倒しのまま痙攣している黒人の男の「うう・・・うううう」という苦しげな声だけ。<br>
 ほんの少しの時間の後、妙な足音が聞こえてきた。<br>
<br>
 ひた。<br>
 ひた。<br>
 人間のものなどでは決して無い足音だ。<br>
 と、痙攣を続けている黒人の男が、突然足の方から引きずられるように画面外へ消え、今まで聞いた事も無いような、ぞっとするような叫び声が響びいた。<br>
 やがてそれが「あぐ・・・あが・・・」という、もだえるような声に変わり、そして途切れ、恐ろしいほどの沈黙が訪れた。<br>
<br>
 ひた。<br>
 ひた。<br>
 沈黙の中を、あの足音が響く。足音は徐々に大きくなり、画面に例の黒い犬のように見える何かが映った。<br>
 がたり、とトシヤが椅子を動かすのが聞こえ、まるでそれを聞きつけたようにその犬がカメラ、いや、こっちを振り向いた。そのとき僕は画面の中のその犬と目があったような気がして寒気がした。犬は、こちらに向かって歩み寄ってくる。<br>
 僕は僕の少し前、僕よりもテレビに近い位置にいるトシヤの肩に手をかけようとした。これ以上このビデオを見るのは、このビデオを再生するのは止めた方がいいと思ったからだ。犬の顔が画面いっぱいに迫り、僕はトシヤの肩に手をかけた。驚いてトシヤが振り返る。<br>
<br>
 そこで画面が、ストップした。<br>
 そして画面には白い文字でテロップが現れた。<br>
<br>
 「ティンダロスの猟犬。彼らは時間の片隅にうずくまり、不注意な旅行者に襲いかかる。時間旅行の際は、くれぐれもご用心」<br>
<br>
 あっけにとられる僕。その僕を見て、画面を振り返るトシヤ。後ろからはコウジが声を上げて笑うのが聞こえた。<br>
 と、テロップが消えて画面が動き出すと、犬はカメラをぺろぺろとなめ始めた。<br>
 突然沸き起こる拍手。<br>
 カメラが置きなおされると、画面には白衣を着た男達とあのハゲ頭の老人、さらに他数十名の若者が二列に並んで映っている。<br>
 と、うちの学校の制服を着た女子生徒が、黒い犬を連れて画面内に入り、列の中央に犬と共に座った。黒い犬は舌を出してうれしそうに尻尾を振っている。<br>
 若者達は声を合わせて言った。<br>
 「霧生ヶ谷南高等学校近代科学部、六十一年度卒業作品!」<br>
 犬がウオンと吠え、そして拍手。拍手。拍手。<br>
<br>
 どうやら僕達は、十数年も前の先輩達に一杯食わされたようだ。<br>
<br>
 翌日、早速このビデオを近代科学部の下級生共々、カズコに見せることになった。<br>
 例の犬が画面に近づいてきた時、カズコが思わずテレビのスイッチを切ろうとしたのを見てコウジは「近代科学部の副部長らしいや」と笑ったものである。<br>
 その後、僕たち近代科学部が新たなる「卒業ビデオ」作成に入ったのは、言うまでも無い。</p>
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