悪夢の敗北から約一週間後、シレジア軍は軍勢の体を崩しながらも何とかリューベック城への撤退を終えた。しかし十万を越える兵が死傷、もしくは離脱し、貴重な戦力の1人である天馬騎士アイリスの離脱もシレジア軍に大きく影を落としている。傍から見れば、爽快になるくらいに一方的な戦いとなったフィノーラの奇襲戦だったが、シレジア軍の撤退後は再びナリを潜めることとなりそれがまた不気味であったりする。
 リューベックに着いてからというもの、残った天馬騎士セイラは多忙を極めた。ライトもセティも軍の建て直しに躍起になっているが、天馬騎士団はその特性からどうしても彼らにはできない仕事である。アイリスは主の失ったペガサスを懸命に宥め、落ち着かせて、それが終わってもまたシレジアから天馬騎士団の援軍を要請したりしなければならなく、また近くの山から人見知りのしないペガサスを連れてきて愛馬を失った天馬騎士に与えたりと、とにかく忙しいのであった。風魔道士団の建て直しが数日で終わったのに比べて、天馬騎士団の建て直しにほぼ一週間かかったことからもその苦労が伝わる。
 さて見事なまでの大敗を喫したライトは軍の建て直しを図る一方、これからの方策についてひたすら悩んでいた。明らかにイード軍とマリアンの実力を侮っていたのだが、これだけコテンパンにやられるとどうしても良い案が出てこないのである。とりあえずイード軍を再起不能までに叩き潰すか、マリアンを味方に誘うか葬るしかセーナに合流する術はない。しかしマリアンがいる以上、イード軍に致命的大打撃を与えるのは限りなく無理な話。ならば味方に誘う策もあるが、彼女こそいち早くマリク派を名乗ったほどであるためによもやこちらに付くとは思えない。となると残るは彼女を葬るしかない。だがこれもとにかく難しい。マリアンがいるのはイード砂漠南部にあるダーナ、対してライトは北部リューベック。その間には広大なイード砂漠にあり、そしてその中央には要害イード城もある。その間にイード軍の迎撃があるのは必至の状況なのは自明の理で、そこにマリアンが加わっていれば苦戦は免れない。とはいえ、今のライトにはこれしか手がなかった。セティにも訪ねたが、彼もまた打開策は出なかった。ただし彼は一言だけライトに向けて残した。
「奇を打ち破るのは奇のみ」と。

 一週間後、リューベックを南へ向けて出発し、深い砂の中をゆっくりと着実に、そして伏兵に気をつけながら進んでいった。フィノーラの時と同様にまた不気味なほどに順調に進軍が進んだために、ライトは念に念をいれて伏兵への警戒を強めた。するとしばらくしてイード城の西方にイード軍がシレジア軍を待ち構えている、という報せが入った。慣れない砂漠で、砂漠の民との戦ほど不利なものはない。確かにこの戦に勝てればグランベルへの道は開かれるが、砂漠の民と、彼らのホームグランドとも言えるこの砂漠で、しかもマリアンの指揮のもとで戦うとなるとどう見ても勝てるとは思えない。
 指揮官の不安は兵たちに伝わるとはよく言ったもので、ここまで万全の布陣で迎えられたシレジア軍の士気は下がる一方で戦う前というのにいつ逃亡する者がでてもおかしくない状態にまでなっている。辛うじてセイラら若手将校が懸命に鼓舞するも今を維持するのが精一杯なのが実状である。
 ライトはシレジア軍の布陣する近くの高台からイード軍の陣形を眺めていたが、今までのイード軍の動きをふまえて考えていると誰かの戦い方に似ていると薄々感じ始めていた・・・。

 さてそんなシレジア軍に対峙するイード軍の本陣にワープにてとある人物が訪れた。盲目のハンデを背負っているものの、その分魔力に対しての感覚がずば抜けているマリアンはワープで来る前にその人物の波動を察知して、周りの者を離して本陣にて1人っきりとなった。やがて光の魔法陣が降臨してきて、そこから 1人の蒼髪の女性が出てきた。マリアンが唯一真の主君と仰ぐ者、セーナであった。
「お久しぶりね、マリアン。ずっと心配していたけど、元気そうで何よりだわ!」
仮にも敵陣の中に飛んできたというのにセーナは気さくに話し掛ける。それもそのはずマリアンはセーナの深謀に乗ってマリク派に付いたに過ぎない。ただ彼女の場合はフィーリアの例と比べてもかなり複雑である。何よりもすでにセーナ派筆頭ともいえるシレジア軍を完膚なきままに叩きのめし、そしてさらに今もシレジア軍に敵対している。実をいうとこれはセーナがマリアンに託した、夫ライトに課せられた巨大な試練であったのだ。セーナはこの戦を勝利で終えた後、自ら陣頭に立ってユグドラルの再建をしようとは思っていない。それはなんと言っても女性というのが重要な要因なのかもしれない。セーナ自身の活躍で女性の立場は急速に改善されていったがそれでもまだ差別は根強く残っており、そして男の中でもそういう見方をするのも少なくないのが現実だった。ここでセーナがユグドラルのトップに立ったところで混乱がすぐに収まるとは思えない。もちろんそれだけが原因ではなく、他にも出産・子育てなどの責務もあるのでユグドラル執政という激務と並行して行うのは不可能ということもある。そこでセーナは夫ライトを擁立しようと思っているのだが、やはりライトはただの好人物に過ぎず穏健的なシレジア一国ならともかく、悪名高いバーハラ貴族や政争の絶えないグランベルを治めるには荷が重過ぎるのだ。とはいえライトをユグドラルの皇帝にするには一朝一夕では不可能な話であるが、一つだけ手がある。この大戦において謀略戦を戦い抜くことで、権謀術数を逞しくすることだ。しかしマリク派には策士が非常に少ない。強いてあげるならフィーリアだろうが、彼女は何度も言うようだがセーナに内応している。この深謀はセーナがリーベリアに発つ前に出来ていたのだが、やはりライトを成長させる【当て馬】がいないければ機能しない。これを察知して協力を申し出てきたのが、セーナの目の前にいるマリアンだったのだ。
「これほど自分のやりたいように戦えるのもセーナ様のおかげです!」
戦場というのにマリアンの声は弾んでいた。彼女は己の才能を戦にて芸術に昇華させることを生きがいとしている。さすがに全能力を出せばライトなど一溜まりもないために多少は加減こそしているが、それでもマリアンは自分の采配で存分に戦えることを喜んでいるのがよくわかる。
「ライト様の次の手が楽しみです!」
マリアンが失明をしたのは3年前のこと。不治の病にかかり倒れたマリアンだったが、この病は伝染するという真偽さだからぬ噂が広まっていたために誰にも看病されずにいた。懸命にシスターや医学の心得を持つ者を探すダーナ領主だったが、しばらく現れず彼女の死は不可避の状態になっていった。ここで彼女を懸命に介護したのがセーナであった。ミカと共にイザークの奥地に生える薬草を調合してこれを与えながら数日寝ずの看病をした結果、マリアンは奇跡的に命を取り留めたのだがその代償として失明したのだ。これを契機にマリアンはセーナに畏敬の念を抱き、己の智嚢を彼女に捧げるようになり、さらには知らぬ間にグリューゲル将兵のように命をも彼女に捧げるようになっている。だが快復したとはいえ不治の病は完治してはいなかった。その後もマリアンの体を蝕み続け、その余命ももうあまり長くない。だからこそ今回のセーナの深謀に協力したのだ。
『どうせ死ぬのならセーナ様のために』
渋るセーナにこう言って迫ったマリアンはついにマリク派に身を寄せることになったのだ。
「ライトのこと、単純に攻めてくるか、それともまたリューベックに撤退するでしょうね。」
この地まで単純に進んできた時点でまだライトの姿勢に変化はない。そう判断したセーナはため息交じりにマリアンに言った。その状況を想像したのかマリアンがクスクス笑いながら言った。
「それならそれでまた叩き潰しますので!」
本当に味方とは思えない会話である。
「ただアイリスさんにはお気の毒なことをして・・。」
フィノーラの奇襲戦においてマリアンはライトの素質が開花した時に手勢をフルに活用してもらえるように、シレジア軍の将を殺すつもりも傷つけようとも思っていなかった。しかし図に乗ったイード諸侯の1人が命令を無視し、撤退中のシレジア軍に襲い掛かりアイリスを負傷させてしまったのだ。
「戦には多少の手違いはあるもの、起きてしまったことは仕方ないわ。」
それは己にも言い聞かせているかのような口調でもあった。やはりまだエバンスのことを引きずっているのだ。しかし実はまだイードにはエバンスのことはシレジア、イード両軍にも届いていなかった。とはいえ心の動きに敏感なマリアンは何かあったと悟り、急に話題を変えた。
「それにしてもセーナ様のグリューゲルの武名は凄いですね。私もこの戦いが終わったらぜひグリューゲルの一人として加えてください!」
一見、微笑ましい会話のように見えるが、マリアンはこの戦いで勝っても負けても死ぬと確信している。そして天上の世界で作られるであろう新しいグリューゲルに加わることがマリアンの最後の願いであった。すぐにセーナも返す。
「そんなことを言わないで!それならグリューゲルに幾分か空きがあるからすぐに入れてあげるわ。マリアンならすぐに十勇者に名を連ねられるでしょうし。」
事実、リーベリアの戦いや、エバンスの戦いで100名近い欠員が出ているが、これはガルダ聖戦からのものであるから恐ろしく低い欠落率であった。これなら世界最強といわれるのも納得できる。セーナの言葉を受けてマリアンは美しい笑顔をセーナに向けていった。
「その時を楽しみにしてます!」
 それからは久々の再会に話が進んだが、さすがに長時間話をしていてはイード諸侯に不審がってくるのでセーナがリターンリングを使ってユングヴィに戻ろうとした時、マリアンが一つセーナに頼んだ。
「この戦い、どう考えても最終的にはセーナ様が勝つことでしょう。そして私の命もついえるでしょう。そこでお願いがあります。私が死んだ後、私の配下の者をグリューゲルに入れていただけませんか?彼らがグリューゲルの一員として頑張ってくれれば、私としても悔いを残さないでしょう。」
せっかくの再会だったので極力「死」という話題を振らないようにしていたセーナだったが、マリアンの覚悟の前についにこの重い話題に踏み込んで決断した。
「わかったわ、約束します。」
その言葉にマリアンは今回最高の笑顔をセーナに対して浮かべた。それが彼女にできる精一杯の感謝の意だったのだ。それを受けて思わずセーナも言葉に詰まった。そしてなぜマリアンが不治の病に冒されてしまったのか、心から運命を呪った。涙を流しながらセーナは最後の挨拶を伝えて、リターンリングを発動させた。

 そんな2人の思いも知らずにライトは砂塵の舞う地で苦悩を続けていた。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 19:20