第10章 憲法(国制)の変遷

阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)     第Ⅰ部 統治と憲法   第10章 憲法(国制)の変遷    本文 p.66以下

<目次>

■1.憲法変遷の意義と変遷の要件


[47] (1) 憲法変遷の意義


成文憲法をもつ国家において、ある国家機関のプラクティス(反復継続される定型的行態)不文の実質的憲法を生み出すことを、憲法の変遷という。
「憲法の変遷」にいう「憲法」とは、憲法典のことではない。

第9章でふれた憲法の改正が、 憲法に明文化された改正手続に従って、改正権者が幾つかの選択肢のなかから新しいルールを選び出す顕示的行為であるのに対して、
憲法変遷は、 国家機関が特定のプラクティスに従事していると、新しいルールが国制のなかに次第に生まれ出てくることをいう(新しいルールの法的性質については、すぐ後の[50]でふれる)。

実定憲法は、国家機関の統治活動を統制するために存在するにも拘わらず、そしてまた、実定憲法の内容が簡単に変更されないよう硬性憲法とされることも多いにも拘わらず、“憲法変遷が生ずる”と論じて良いものだろうか?
この疑問に解答するためには、人のプラクティスがどのような条件を満たしたとき、“法となるか”という法哲学的な課題をまずクリアしなければならない。
変遷論を本格的に唱えたといわれるG. イェリネックは、この課題を次のように考えた。

法は、実効性(efficacy)と妥当性(validity)というふたつの要素からなる。
実効性とは「現に、ある規範が適用され遵守されていること」をいい、妥当性とは「規範として拘束力をもつこと」をいう。
実効性は、人々の継続反復する活動(プラクティス)のなかに現れ、そのパターンが人々の心理のなかに定着したとき、妥当性が生まれる(この考え方は、“慣習が人々の法的確信に支えられたとき、慣習法となる”と説明されるのと、よく似ている)。
あるプラクティスが、妥当性をもつに至ったとき、それは法となる。

以上が、“事実の反復継続が規範を生む”という、いわゆる「事実の規範力説」である。

[48] (2) 変遷の成立場面


変遷の例を一、二挙げれば、変遷論の説くところが理解しやすくなろう。
例1:  ある憲法典が「君主は、議会を一年に一度召集する」と規定しているとしよう。
この明文規定にもかかわらず、統治に無関心な君主(または議会嫌いの君主)が、長年にわたって召集しなかった。
そこで、業を煮やした議員たちは、期日を決めて自主的に議会に集合しえ活動し始め、今日に至っている。
このプラクティスは、上の規定を凌駕する効力を持っている。
例2:  ある憲法典は、内閣を国家機関のひとつであると定めておきながら、内閣における意思決定方法については何も規定していないとしよう。
長年の閣議のなかで、“内閣が意思決定するためには、閣僚の全員一致を要し、そのことを確認するために閣僚の署名を要する”とされてきた。
現在の内閣の構成員も、その慣行に拘束されるべきものと考えて、それに実際に従っている。
この慣行は、閣議の議事ルールとして効力をもっており、憲法典の空白部分を補充している。

上の例1は、憲法典正文に意味の変化をもたらす変遷であり、例2は、憲法正文に欠ける部分を補充する変遷である。

我が国憲法学者の相当数は、9条と自衛隊との関係を念頭において、“憲法典の正文にもかかわらず、国家機関がそれに違反するプラクティスを為すとき、変遷は成立するか”という問の立て方をしている。
この問題設定は正しくない(その設定自体に“憲法正文である9条を破る変遷などあってはならない”という結論が私には透けてみえる)。

変遷論は、違憲事実の反復継続の場面だけに限って説かれているわけでもなければ、憲法典正文の意味変化だけを念頭に置いているわけでもないのだ。

憲法変遷には、
(ア) 憲法典正文の意味を補充・発展させるもの、
(イ) 憲法典の欠缺部分を埋めるもの、
(ウ) 憲法典の正文を凌駕するもの、
がある。

また、その成立の契機としては、
(a) 憲法典正文についての公権的解釈の変更、
(b) 国家機関による特定事実の反復、
(c) 国家機関による特定権能の相当期間の不行使
等が考えられる。


■2.憲法変遷の法的性質


[49] (1) 後法は前法を破る?


変遷論が提唱された時代は、法実証主義の時代だった。
法実証主義によれば、憲法典は改正手続の加重された法形式である点だけに特徴をもつ。
法主体による意思の発動形式(手続)に着眼する法実証主義にとって、法形式の中に効力の軽重があると論ずることはもともと背理だったのだ。

そうなると、国家機関が憲法の予定せざる意思の発動形式を反復継続的に示していれば、その形式に着目して「それも法だ」という結論となる。
ここでは、ふたつの形式 - 憲法の予定していたものと予定せざるもの - が並存するわけだが、その競合関係は、「後法は前法を破る」という法の一般原則によって解決される。
憲法変遷論は、かような法実証主義の考えに従って提唱されたのである。

ところが、法実証主義の衰退した今、それも、憲法保障の具体的方策として形式的効力についてであれ最高法規性を憲法典中に宣明し、なおかつ、違憲審査制までをも導入してきた今日、上のごとき捉え方が従来と同じように成立することはないだろう。
なるほど、憲法の法源(*注1)には、不文のものも当然に存在するとはいえ([10]をみよ)、“ある国家行為の反復継続が最高法規である憲法典の条文と同じ地位を獲得する”と軽々に承認することは出来ない。
かといって、数世代前に制定された憲法典のすべての条規が、その後の経済・政治・文化等々の変化から超然として、そのままのかたちで妥当する、ということも前世代の専制である。
“その専制を避けるために改正規定があるのではないか”という反論も勿論あるだろう。
が、憲法変遷は、憲法を支える事実が徐々に徐々に変化するからこそ、生ずるのだ。
変遷は、改正権者が明示的な選択をしないところに生ずる、といってもよい。

(*注1)法源について
法源とは、①法を法たらしめる論拠は何か、②何が法とされているか、を知る手掛かり、つまり、如何なるかたちで法が存在しているか、を指す。
本文でいう「法源」とは②の意味である。
この場合の「法源」には、「成文/不文」「法律/命令」といった区別がある。

[50] (2) 学説の対立


我が国の学説は、憲法変遷の法的性質をどのようにみているのか。
学説は次のような3つの対立を示している。

第一は、 “ある国家機関が一定の活動を反復継続し、さらに国民の法的(規範的)確信がそれを支えるに至ったとき、その部分について変遷が成立する”とみる立場である。
この説にいう「成立する」とは、“実効性と妥当性が獲得されて憲法成文を凌駕することもある”ということを指している。
これは、イェリネックさながらの全面的肯定説である。
ところが、この説に対しては、
(ア) 改正権者の顕示的な選択よりも慣行の法力を優先させてよいか(何のための成文・成典・硬性憲法だったのか)、
(イ) 慣行が人々の確信を通して法となるという思考は正しいか、
(ウ) 憲法変遷論は、関係国家機関の法的確信を論じているはずで、「国民の確信」をここで持ち出すことは筋違いではないか、
等、疑問は絶えることがない。
第二は、 “国家機関によるプラクティスは習律(convention)を作る”とする見解である。
これは、「限定的否定説または習律説」と呼ばれることがある。
この説にいう「習律」とは、統治に携わる人々が義務的なものとして受け入れる行為規範ではあるものの、裁判所による裁定の論拠とはならないものをいう。
これを「法以前 pre-legal のルール」と表現する論者もいる。
この説によれば、変遷は国家機関を拘束する規範的力を生むが、憲法典の正文を破る法力までは持ち得ない。
なぜなら、法以前のルールが、明文の法的ルールを破るほどの妥当性をもつことはあり得ないからである。
この習律説は、変遷の問題領域を的確に捉えているばかりでなく、憲法と憲法典との区別を意識しつつ憲法の法源には不文のものもあることを指摘している点で、正当である。
第三は、 変遷とは、国家機関による違憲のプラクティス領域にかかわる問題であるとの限定的な変遷観を前提に、“違憲事実が幾ら集積されても、それはあくまで違憲事実の積み重ねに過ぎず、その種のプラクティスが憲法典正文を破るということはあり得ない”、とする見解である。
全面的否定説」と呼ばれることがある。
この説の根底には、変遷を肯定するとなると恒常的に制憲権が発動される状態を容認することになって、硬性憲法典の論理からしても、その事態はあり得べくもない、との見方が横たわっている。
政治的な事実の集積と法とは別種のはずだ、というわけだろう。
この説に対しては、
(a) 変遷の概念が限定的過ぎる、
(b) 「違憲」事実の集積という場合、「違憲」であるとの評価は論者による結論の先取りに過ぎない、
(c) この説を徹底すれば、憲法の法源は憲法典正文のみということになる、
といった疑問が残る。


※以上で、この章の本文終了。
※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。


■用語集、関連ページ


阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第八章 憲法の保障と憲法の変動

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最終更新:2013年03月22日 16:04