年表

「年表」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

年表 - (2012/06/24 (日) 15:33:18) のソース

このページでは、アニメ「氷菓」についてのできごとなど年表にて詳細に紹介していきます。 
初見さんにでも理解できるよう、解説などを交えながら紹介します。 
多少のネタバレがあります。 
加筆・修正・編集大歓迎。 

>&bold()&color(black){原作の時系列は「現在」で2000年が基準になっています。}

>*現在の年表は『氷菓』一部『遠まわりする雛』までとなっています。

|西暦|時系列|関連作品|できごと|
|1967年6月頃|45年前|『氷菓』|神山高校にて校長が文化祭縮小を打診。これに学生運動が過熱。縮小計画白紙へ|
|同年同月頃|同年|『氷菓』|活動の際に用いた火が格技場へ燃え移り半壊。責任と体裁の為、運動の名目上リーダである「関谷純」は文化後退学処分へ。退学時期は運動のほとぼりが冷めた文化祭の10月頃に決定|
|1967年10月頃|同年|『氷菓』|「関谷純は創刊号となる古典部文集の題字を決めて退学|
|1968年|44年前|『氷菓』|郡山養子が古典部部長へ。文集「氷菓」第二号出版|
|2002年頃|10年前|『氷菓』|関谷純はマレーシアへ渡航|
|2005年頃|7年前|『氷菓』|関谷純がインドのベンガル地方で行方不明になる|
|2010年3月頃|2年前|『氷菓』|折木奉太郎の姉、折木供恵が神山高校を卒業|
|2012年4月頃|現在以下同文|『氷菓』|折木達、古典部メンバーが神山高校入学|
|2012年4月末頃|ーー|『氷菓』|折木供恵からの手紙で奉太郎は古典部に入部するも、千反田えると遭遇。福部里志も交えて千反田の閉じ込めの謎を解決。里志も加えて古典部員3人となる|
|20012年5月上旬|ーー|『遠まわりする雛』|作文課題を忘れた折木が里志「音楽室のお化け」の七不思議を聞きながら片していると、きっと千反田はくると踏み、別の怪談で千反田を誘導(女郎蜘蛛の会)。千反田を納得させ、里志と帰路につくが、今回のやり方は奉太郎らしくないといわれる。拒絶でもない、なら保留したいんだねという里志の言葉がぴったり当てはまった|
|20012年5月中旬|ーー|『氷菓』|千反田から文化祭に文集を出そうと促されバックナンバーを見るため図書室へ。伊原摩耶花と会う。図書の返却の謎を解決。文集は見つからず。摩耶花も里志を追いかけて古典部へ入部|
|20012年6月頃|ーー|『遠まわりする雛』|授業中、千反田が数学教師尾道に怒った。その理由について推理することになった折木だが教科書のメモと授業進度で解き明かした|
|2012年7月中頃|ーー|『氷菓』|折木が千反田の呼び出しを受けて喫茶店「パイナップルサンド」へ。伯父の件について協力することを了承する|
|2012年7月中頃|ーー|『氷菓』|供恵からの手紙で文集の在り処が判明。遠垣内より古典部文集のバックナンバーを手に入れるも、創刊号だけがないことが発覚。折木の説得で里志と摩耶花にも協力を申し出、二人とも了承|
|2012年7月末頃|ーー|『氷菓』|文集から伯父に何があったのか、それぞれ推定し、千反田家へ集合。折木が全員の仮定と推理によってほぼ正当な過去の出来事を仮定付ける。しかしなぜ当時のえるが泣いたのかは不明|
|2012年7月末頃|ーー|『氷菓』|プリシュティナに入った供恵からの電話によって折木が先ほど解いたのは真実ではないことに気付く。改めて真実を見抜くため資料を漁る|
|2012年7月末頃|ーー|『氷菓』|千反田家での謎解きの翌日、折木が『補足』を行うため他のメンバーを高校に集める。司書の糸魚川養子に当時の話を聞き、折木が真相を話した|
|2012年8月上旬頃|ーー|『遠まわりする雛』|「氷菓事件」で世話になったと千反田企画、伊原提供で温泉旅行に行くことになった。その温泉宿で「首吊りの影」の謎に直面。宿の善名姉妹を絡め、奉太郎が謎を解いて、仲の良い姉妹を発見する|
|2012年同秋頃|ーー|『氷菓』|文化祭を目前にして文集「氷菓」は着々と製作されていた。折木はサラエヴォにいる姉への手紙執筆。千反田は関谷純の墓参り。へいったはずだったのだが、弓道部で気になることがあり舞い戻ってくる|


- アニメ準拠に改変。  -- L  (2012-06-18 04:07:37)
- 遠まわりする雛、やるべきことなら手短に追加  -- L  (2012-06-21 01:47:33)
#comment()