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    <title>メニュー2</title>
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      [[万葉集１巻・２巻&gt;http://www21.atwiki.jp/kuhigasi/pages/14.html]]
[[万葉集３巻・４巻&gt;http://www21.atwiki.jp/kuhigasi/pages/15.html]]
[[万葉集５巻・６巻&gt;http://www21.atwiki.jp/kuhigasi/pages/16.html]]
[[万葉集７巻・８巻&gt;http://www21.atwiki.jp/kuhigasi/pages/17.html]]
[[万葉集９巻・１０巻&gt;http://www21.atwiki.jp/kuhigasi/pages/18.html]]
[[万葉集１１巻・１２巻&gt;http://www21.atwiki.jp/kuhigasi/pages/19.html]]
[[万葉集１３巻・１４巻&gt;http://www21.atwiki.jp/kuhigasi/pages/20.html]]
[[万葉集１５巻・１６巻&gt;http://www21.atwiki.jp/kuhigasi/pages/21.html]]
[[万葉集１７巻・１８巻&gt;http://www21.atwiki.jp/kuhigasi/pages/22.html]]
[[万葉集１９巻・２０巻&gt;http://www21.atwiki.jp/kuhigasi/pages/23.html]]
[[万葉集&gt;https://www.manyoshu-ichiran.net/]]






















































































７    </description>
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    <title>n1</title>
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    <description>
      20100118
寺田寅彦　どんぐり　子猫　

芥川龍之介　杜子春
菊池かん　恩讐の彼方に　を読む　


吻合（ふんごう）とは、外科手術における手技の一つで、血管と血管や神経と神経をつないだりすること。また、複数の事象が完全に一致するさまをしめす言葉



coincidence
【名】 1. 〔偶然｛ぐうぜん｝の〕一致｛いっち｝、合致｛がっち｝
          何という偶然でしょう！／奇遇ですね！
             ・What a coincidence! : すごい偶然ですね。
          夫婦がともに双子であったのは偶然の一致であった。
             ・It was a coincidence that the husband and wife were both twins. :
       2. 同時発生｛どうじ はっせい｝（の事件｛じけん｝）


asymptote発音〔ǽsimtòut〕
                   ━━ n. 【数】漸近線    </description>
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    <title>メニュー</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/kuhigasi/pages/2.html</link>
    <description>
      **メニュー
-[[トップページ]]
-[[プラグイン紹介&gt;プラグイン]]
-[[まとめサイト作成支援ツール]]
-[[メニュー]]
-[[メニュー2]]
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**更新履歴
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    <title>トップページ</title>
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更    </description>
    <dc:date>2010-01-17T21:02:54+09:00</dc:date>
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    <title>m10</title>
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    <description>
      巻第十九(とをまりここのまきにあたるまき)

天平勝宝(てむひやうしようはう)二年(ふたとせといふとし)三月(やよひ)の一日(つきたちのひ)の暮(ゆふへ)に、春の苑の桃李(ももすもも)の花を眺矚(み)て作(よ)める歌二首(ふたつ)
4139　春の苑紅にほふ桃の花下照(で)る道に出で立つ美人(をとめ)
4140　吾が園の李の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも

翻(と)び翔(かけ)る鴫(しぎ)を見てよめる歌一首(ひとつ)
4141　春設(ま)けて物悲(がな)しきにさ夜更けて羽振(ぶ)き鳴く鴫誰(た)が田にか食(は)む

二日(ふつかのひ)、柳黛(やなぎ)を攀ぢて京師(みやこ)を思(しぬ)ふ歌一首
4142　春の日に張れる柳を取り持ちて見れば都の大路(おほぢ)し思ほゆ

堅香子草(かたかご)の花を攀折(を)る歌一首
4143　もののふの八十(やそ)乙女らが汲み乱(まが)ふ寺井の上の堅香子の花

帰る雁を見る歌二首
4144　燕来る時になりぬと雁がねは本郷(くに)偲ひつつ雲隠り鳴く
4145　春設(ま)けてかく帰るとも秋風に黄葉(もみち)む山を越え来ざらめや 一ニ云ク、春されば帰るこの雁

夜裏(よる)千鳥の鳴くを聞く歌二首
4146　夜降(よぐた)ちに寝覚めて居れば川瀬尋(と)め心もしぬに鳴く千鳥かも
4147　夜降ちて鳴く川千鳥うべしこそ昔の人も偲ひ来にけれ

暁(あかとき)に鳴く雉(きぎし)を聞く歌二首
4148　杉の野にさ躍(をど)る雉いちしろく音(ね)にしも泣かむ隠(こも)り妻かも
4149　あしひきの八峯(やつを)の雉鳴きとよむ朝明(あさけ)の霞見れば悲しも

江(かは)を泝(のぼ)る船人(ふなひと)の唄を遥(はろばろ)聞く歌一首
4150　朝床に聞けば遥けし射水川(いみづがは)朝榜ぎしつつ唄ふ船人

三日(みかのひ)、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)にて宴する歌三首(みつ)
4151　今日のためと思ひて標(しめ)しあしひきの峯上(をのへ)の桜かく咲きにけり
4152　奥山の八峰の椿つばらかに今日は暮らさね大夫(ますらを)の輩(とも)
4153　漢人(からひと)も船を浮かべて遊ぶちふ今日そ我が背子花縵(かづら)せな

八日(やかのひ)、白大鷹(ましらふのたか)を詠める歌一首、また短歌(みじかうた)
4154　あしひきの　山坂越えて　往きかはる　年の緒長く
　　　しなざかる　越にし住めば　大王(おほきみ)の　敷きます国は
　　　都をも　ここも同(おや)じと　心には　思ふものから
　　　語り放(さ)け　見放くる人眼　乏(とも)しみと　思ひし繁し
　　　そこゆゑに　心なぐやと　秋づけば　萩咲きにほふ
　　　石瀬(いはせ)野に　馬だき行きて　をちこちに　鳥踏み立て
　　　白塗りの　小鈴(をすず)もゆらに　あはせ遣り　振り放け見つつ
　　　いきどほる　心のうちを　思ひ延べ　嬉しびながら
　　　枕付く　妻屋のうちに　鳥座(とくら)結ひ　据えてそ吾(あ)が飼ふ
　　　真白斑(ましらふ)の鷹
反(かへ)し歌
4155　矢形尾の真白の鷹を屋戸に据ゑ掻き撫で見つつ飼はくしよしも

鵜潜(うつか)ふ歌一首、また短歌
4156　あら玉の　年ゆきかはり　春されば　花咲きにほふ
　　　あしひきの　山下響(とよ)み　落ち激(たぎ)ち　流る辟田(さきた)の
　　　川の瀬に　鮎子さ走り　島つ鳥　鵜養(うかひ)伴なへ
　　　篝(かがり)さし　なづさひ行けば　吾妹子(わぎもこ)が　形見がてらと
　　　紅の　八入(やしほ)に染めて　おこせたる　衣の裾も　徹りて濡れぬ
反し歌
4157　紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく吾等(あれ)かへり見む
4158　毎年(としのは)に鮎し走らば辟田川鵜八つ潜(かづ)けて川瀬尋ねむ

季春三月(やよひ)の九日(ここのかのひ)、出挙(すいこ)の政に擬(よ)りて舊江(ふるえ)の村に行き、道の上(ほとり)に目を物花に属(つ)くる詠(うた)、また興の中によめる歌

澁谿(しぶたに)の埼を過ぎて、巌(いそ)の上(へ)の樹を見る歌一首 樹名つまま
4159　磯の上(へ)のつままを見れば根を延(は)へて年深からし神さびにけり

世間(よのなか)の常無きを悲しむ歌一首、また短歌
4160　天地(あめつち)の　遠き初めよ　世の中は　常無きものと
　　　語り継ぎ　流らへ来たれ　天の原　振り放け見れば
　　　照る月も　満ち欠けしけり　あしひきの　山の木末(こぬれ)も
　　　春されば　花咲きにほひ　秋づけば　露霜負ひて
　　　風交(まじ)り　もみち散りけり　うつせみも　かくのみならし
　　　紅の　色もうつろひ　ぬば玉の　黒髪変り
　　　朝の笑み　夕へ変らひ　吹く風の　見えぬがごとく
　　　行く水の　止まらぬごとく　常も無く　うつろふ見れば
　　　にはたづみ　流るる涙　とどめかねつも
反し歌
4161　言問はぬ木すら春咲き秋づけばもみち散らくは常を無みこそ 一ニ云ク、常なけむとそ
4162　うつせみの常無き見れば世の中に心つけずて思ふ日そ多き 一ニ云ク、嘆く日そ多き

予(あらかじ)めよめる七夕(なぬかのよ)の歌一首
4163　妹が袖われ枕かむ川の瀬に霧立ちわたれさ夜更けぬとに

勇士(ますらを)の名を振(ふる)ふを慕ふ歌一首、また短歌
4164　ちちの実の　父のみこと　ははそ葉の　母のみこと
　　　おほろかに　心尽して　思ふらむ　その子なれやも
　　　大夫(ますらを)や　空しくあるべき　梓弓　末振り起し
　　　投ぐ矢持ち　千尋(ちひろ)射わたし　剣大刀　腰に取り佩き
　　　あしひきの　八峯(やつを)踏み越え　差し任(まく)る　心障(さや)らず
　　　後の世の　語り継ぐべく　名を立つべしも
反し歌
4165　大夫は名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね
　　　　　右の二首は、山上憶良臣が作める歌に追ひて和(なぞら)ふ。

霍公鳥(ほととぎす)また時の花を詠める歌一首、また短歌
4166　時ごとに　いやめづらしく　八千種(やちくさ)に　草木花咲き
　　　鳴く鳥の　声も変らふ　耳に聞き　目に見るごとに
　　　打ち嘆き　萎(しな)えうらぶれ　偲ひつつ　有り来るはしに
　　　木晩(このくれ)の　四月(うつき)し立てば　夜隠(よごも)りに　鳴く霍公鳥
　　　古よ　語り継ぎつる　鴬の　現(うつ)し真子(まご)かも
　　　あやめ草　花橘を　をとめらが　玉貫(ぬ)くまでに
　　　あかねさす　昼はしめらに　あしひきの　八峯飛び越え
　　　ぬば玉の　夜はすがらに　暁(あかとき)の　月に向ひて
　　　往き還り　鳴き響(とよ)むれど　如何で飽き足らむ
反し歌二首
4167　時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも
4168　毎年に来鳴くものゆゑ霍公鳥聞けば偲はく逢はぬ日を多み 毎年、としのはト謂フ
　　　　　右、二十日(はつかのひ)、未だ時及ばずと雖も、興(こと)に依(つ)けて
　　　　　預(あらかじ)めよめる。

家婦(め)が京(みやこ)に在(いま)す尊母(ははのみこと)に贈らむ為に、誂(あつら)へらえてよめる歌一首、また短歌
4169　霍公鳥　来鳴く五月(さつき)に　咲きにほふ　花橘の
　　　かぐはしき　親の御言(みこと)　朝宵に　聞かぬ日まねく
　　　天ざかる　夷にし居れば　あしひきの　山のたをりに
　　　立つ雲を　よそのみ見つつ　嘆くそら　安けなくに
　　　思ふそら　苦しきものを　奈呉の海人の　潜(かづ)き取るちふ
　　　真珠(しらたま)の　見がほし御面　ただ向ひ　見む時までは
　　　松柏(まつかへ)の　栄えいまさね　貴き吾(あ)が君 御面、みおもわト謂フ
反し歌一首
4170　白玉の見がほし君を見ず久に夷(ひな)にし居れば生けるともなし

二十四日(はつかまりよかのひ)、立夏四月節(うつきたつひのとき)に応(あた)れり。此に因りて二十三日(はつかまりみかのひ)の暮(ゆふへ)、忽ち霍公鳥(ほととぎす)の暁(あかとき)に喧かむ声を思(しぬ)ひてよめる歌二首
4171　常人も起きつつ聞くそ霍公鳥この暁(あかとき)に来鳴く初声
4172　ほととぎす来鳴き響まば草取らむ花橘を屋戸には植ゑずて

京(みやこ)の丹比(たぢひ)が家に贈れる歌一首
4173　妹を見ず越の国辺に年経(ふ)れば吾(あ)が心神(こころど)の慰(な)ぐる日も無し

筑紫の太宰(おほみこともち)の時の春の苑の梅を追ひてよめる歌一首
4174　春のうちの楽しき竟(を)へば梅の花手折り持ちつつ遊ぶにあるべし
　　　　　右の一首は、二十七日(はつかまりなぬかのひ)、興(こと)に依(つ)けてよめる。

霍公鳥を詠める二首
4175　ほととぎす今来鳴きそむ菖蒲草(あやめぐさ)かづらくまでに離(か)るる日あらめや ものは三箇ノ辞闕ク
4176　我が門よ鳴き過ぎ渡る霍公鳥いやなつかしく聞けど飽き足らず ものはてにを六箇ノ辞闕ク

四月の三日、越前(こしのみちのくち)の判官(まつりごとひと)大伴宿禰池主に贈れる霍公鳥の歌、感旧の意(おもひ)に勝(た)へずて懐(おもひ)を述ぶる一首(ひとうた)、また短歌
4177　我が背子と　手携はりて　明けくれば　出で立ち向ひ
　　　夕されば　振り放け見つつ　思ひ延べ　見なぎし山に
　　　八峯には　霞たなびき　谷辺には　椿花咲き
　　　うら悲し　春の過ぐれば　霍公鳥　いやしき鳴きぬ
　　　独りのみ　聞けば寂(さぶ)しも　君と吾(あれ)　隔てて恋ふる
　　　礪波山(となみやま)　飛び越えゆきて　明け立たば　松のさ枝に
　　　夕さらば　月に向ひて　あやめ草　玉貫くまでに
　　　鳴き響め　安眠(やすい)し寝(な)さず　君を悩ませ
4178　吾(あれ)のみし聞けば寂しも霍公鳥丹生(にふ)の山辺にい行き鳴けやも
4179　ほととぎす夜鳴きをしつつ我が背子を安宿(やすい)な寝(な)せそゆめ心あれ

霍公鳥を感(め)づる心に飽かず、懐を述べてよめる歌一首、また短歌
4180　春過ぎて　夏来向へば　あしひきの　山呼び響め
　　　さ夜中に　鳴く霍公鳥　初声を　聞けばなつかし
　　　あやめ草　花橘を　ぬきまじへ　縵(かづら)くまでに
　　　里響(とよ)め　鳴き渡れども　なほし偲はゆ
反し歌三首
4181　さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし
4182　霍公鳥聞けども飽かず網捕りに捕りてなつけな離(か)れず鳴くがね
4183　霍公鳥飼ひ通せらば今年経て来向かふ夏はまづ鳴きなむを

京師(みやこ)より贈来(おこ)せる歌一首
4184　山吹の花取り持ちてつれもなく離(か)れにし妹を偲ひつるかも
　　　　　右、四月の五日(いつかのひ)、郷(さと)に留れる女郎(いらつめ)より送(おこ)せたるなり。

山振(やまぶき)の花を詠める歌一首、また短歌
4185　現身(うつせみ)は　恋を繁みと　春設(ま)けて　思ひ繁けば
　　　引き攀ぢて　折りも折らずも　見るごとに　心なぎむと
　　　繁山の　谷辺に生ふる　山吹を　屋戸に引き植ゑて
　　　朝露に　にほへる花を　見るごとに　思ひはやまず
　　　恋し繁しも
4186　山吹を屋戸に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ

六日(むかのひ)、布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧(あそ)びてよめる歌一首、また短歌
4187　思ふどち　大夫(ますらをのこ)の　木(こ)の晩(くれ)の　繁き思ひを
　　　見明らめ　心遣らむと　布勢の海に　小船(をぶね)連なめ
　　　真櫂かけ　い榜ぎ巡れば　乎布(をふ)の浦に　霞たなびき
　　　垂姫(たるひめ)に　藤波咲きて　浜清く　白波騒き
　　　しくしくに　恋はまされど　今日のみに　飽き足らめやも
　　　かくしこそ　いや年のはに　春花の　繁き盛りに
　　　秋の葉の　にほへる時に　あり通ひ　見つつ偲はめ
　　　この布勢の海を
反し歌
4188　藤波の花の盛りにかくしこそ浦榜ぎ廻(た)みつつ年に偲はめ

水烏(う)を越前判官大伴宿禰池主に贈れる歌一首、また短歌
4189　天ざかる　夷としあれは　そこここも　同(おや)じ心そ
　　　家離(ざか)り　年の経ぬれば　うつせみは　物思(も)ひ繁し
　　　そこゆゑに　心なぐさに　霍公鳥　鳴く初声を
　　　橘の　玉にあへ貫き　かづらきて　遊ばくよしも
　　　ますらをを　伴なへ立ちて　叔羅川(しくらがは)　なづさひ上り
　　　平瀬には　小網(さで)さし渡し　早瀬には　鵜を潜(かづ)けつつ
　　　月に日に　しかし遊ばね　愛(は)しき我が背子
反し歌二首
4190　叔羅川瀬を尋ねつつ我が背子は鵜川立たさね心なぐさに
4191　鵜川立て取らさむ鮎のしが鰭(はた)は吾等(あれ)にかき向け思ひし思(も)はば
　　　　　右、九日(ここのかのひ)、使に附けて贈れる。

霍公鳥また藤の花を詠める歌一首、また短歌
4192　桃の花　紅色に　にほひたる　面輪(おもわ)のうちに
　　　青柳の　細(くは)し眉根(まよね)を　笑み曲がり　朝影見つつ
　　　をとめらが　手に取り持たる　真澄鏡(まそかがみ)　二上山(ふたがみやま)に
　　　木(こ)の晩(くれ)の　茂き谷辺を　呼び響(とよ)め　朝飛び渡り
　　　夕月夜　かそけき野辺に　遙々(はろばろ)に　鳴く霍公鳥
　　　立ち潜(く)くと　羽触(はぶり)に散らす　藤波の　花なつかしみ
　　　引き攀(よ)ぢて　袖に扱入(こき)れつ　染(し)まば染むとも
反し歌
4193　霍公鳥鳴く羽触にも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花 一ニ云ク、散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花
　　　　　同じ九日よめる。

また霍公鳥の喧(な)くこと晩きを怨む歌三首
4194　霍公鳥鳴き渡りぬと告げれども吾(あれ)聞き継がず花は過ぎつつ
4195　吾(あ)がここだ偲(しぬ)はく知らに霍公鳥いづへの山を鳴きか越ゆらむ
4196　月立ちし日より招(を)きつつ打ち慕(しぬ)ひ待てど来鳴かぬ霍公鳥かも

京人(みやこひと)に贈れる歌二首
4197　妹に似る草と見しより吾(あ)が標(しめ)し野辺の山吹誰(たれ)か手(た)折りし
4198　つれもなく離(か)れにしものと人は言へど逢はぬ日まねみ思ひそ吾(あ)がする
　　　　　右、郷(さと)に留れる女郎の為に、家婦(め)に誂(あつら)へらえてよめる。
　　　　　女郎は、即ち大伴家持が妹(いろも)なり。

十二日(とをかまりふつかのひ)、布勢の水海に遊覧(あそ)び、多古(たこ)の湾(うら)に船泊(とど)め、藤の花を望見(み)て、各(ひとびと)懐(おもひ)を述べてよめる歌四首(よつ)
4199　藤波の影なる海の底清み沈(しづ)く石をも玉とそ吾(あ)が見る
　　　　　守大伴宿禰家持。
4200　多古の浦の底さへにほふ藤波を挿頭(かざ)して行かむ見ぬ人のため
　　　　　次官(すけ)内藏(うちのくら)忌寸(のいみき)繩麻呂(なはまろ)。
4201　いささかに思ひて来(こ)しを多古の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし
　　　　　判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩。
4202　藤波を借廬(かりほ)に作り浦廻(み)する人とは知らに海人とか見らむ
　　　　　久米朝臣繼麻呂(つぐまろ)。

霍公鳥の喧かぬを恨む歌一首
4203　家に行きて何を語らむあしひきの山霍公鳥一声も鳴け
　　　　　判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩。

攀折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首
4204　我が背子が捧げて持たる厚朴(ほほがしは)あたかも似るか青き蓋(きぬがさ)
　　　　　講師(かうし)僧(ほうし)恵行(ゑぎやう)。
4205　皇祖神(すめろき)の遠(とほ)御代(みよ)御代(みよ)はい敷き折り酒飲むといふそこの厚朴(ほほがしは)
　　　　　守大伴宿禰家持。

還る時に、浜の上(へ)にて月光(つき)を仰見(み)る歌一首
4206　澁谿(しぶたに)をさして吾(あ)が行くこの浜に月夜(つくよ)飽きてむ馬しまし止め
　　　　　守大伴宿禰家持。

二十二日(はつかまりふつかのひ)、判官久米朝臣廣繩に贈れる、霍公鳥の怨恨(うらみ)の歌一首、また短歌
4207　ここにして　背向(そがひ)に見ゆる　我が背子が　垣内(かきつ)の谷に
　　　明けされば　榛(はり)のさ枝に　夕されば　藤の繁みに
　　　遙々(はろばろ)に　鳴く霍公鳥　我が屋戸の　植木橘
　　　花に散る　時をまたしみ　来鳴かなく　そこは恨みず
　　　然れども　谷片付きて　家居れる　君が聞きつつ
　　　告げなくも憂し
反し歌
4208　吾(あ)がここだ待てど来鳴かぬ霍公鳥独り聞きつつ告げぬ君かも

霍公鳥を詠める歌一首、また短歌
4209　谷近く　家は居れども　木高(こだか)くて　里はあれども
　　　霍公鳥　いまだ来鳴かず　鳴く声を　聞かまく欲(ほ)りと
　　　朝(あした)には　門に出で立ち　夕へには　谷を見渡し
　　　恋ふれども　一声だにも　いまだ聞こえず
反し歌
4210　藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山霍公鳥などか来鳴かぬ
　　　　　右、二十三日、掾(まつりごとひと)久米朝臣廣繩が和(こた)ふ。

処女(をとめ)墓の歌に追ひて和(なぞら)ふる一首(ひとうた)、また短歌
4211　いにしへに　ありけるわざの　くすはしき　事と言ひ継ぐ
　　　血沼(ちぬ)壮子(をとこ)　菟原(うなひ)壮子の　うつせみの　名を争ふと
　　　玉きはる　命も捨てて　相共に　妻問ひしける
　　　処女らが　聞けば悲しさ　春花の　にほえ栄えて
　　　秋の葉の　にほひに照れる　惜身(あたらみ)の　盛りをすらに
　　　大夫(ますらを)の　語(こと)労(いとほ)しみ　父母に　申し別れて
　　　家離(さか)り　海辺に出で立ち　朝宵に　満ち来る潮の
　　　八重波に　靡く玉藻の　節(ふし)の間も　惜しき命を
　　　露霜の　過ぎましにけれ　奥つ城(き)を　ここと定めて
　　　後の世の　聞き継ぐ人も　いや遠に　偲ひにせよと
　　　黄楊(つげ)小櫛(をぐし)　しか刺しけらし　生ひて靡けり
反し歌
4212　処女らが後の表(しるし)と黄楊小櫛生ひ代り生ひて靡きけらしも
　　　　　右、五月の六日、興(こと)に依(つ)けて大伴宿禰家持がよめる。

4213　東風(あゆ)をいたみ奈呉の浦廻に寄する波いや千重しきに恋ひ渡るかも
　　　　　右の一首は、京の丹比(たぢひ)が家に贈る。

挽歌(かなしみうた)一首、また短歌
4214　天地の　初めの時よ　うつそみの　八十伴男(やそとものを)は
　　　大王(おほきみ)に　まつろふものと　定めたる　官(つかさ)にしあれば
　　　天皇(おほきみ)の　命畏み　夷ざかる　国を治むと
　　　あしひきの　山川隔(へな)り　風雲(かぜくも)に　言は通へど
　　　直(ただ)に逢はぬ　日の重なれば　思ひ恋ひ　息づき居るに
　　　玉ほこの　道来る人の　伝言(つてこと)に　吾(あれ)に語らく
　　　愛(は)しきよし　君はこの頃　うらさびて　嘆かひいます
　　　世間(よのなか)の　憂けく辛けく　咲く花も　時にうつろふ
　　　うつせみも　常無くありけり　たらちねの　母の命
　　　何しかも　時しはあらむを　真澄鏡　見れども飽かず
　　　玉の緒の　惜しき盛りに　立つ霧の　失せぬるごとく
　　　置く露の　消(け)ぬるがごとく　玉藻なす　靡き臥(こ)い伏し
　　　行く水の　留めかねきと　狂言(たはこと)や　人し言ひつる
　　　逆言(およづれ)か　人の告げつる　梓弓　爪引(つまび)く夜音(よと)の
　　　遠音(とほと)にも　聞けば悲しみ　にはたづみ　流るる涙
　　　留めかねつも
反し歌二首
4215　遠音にも君が嘆くと聞きつれば哭(ね)のみし泣かゆ相思(も)ふ吾(あれ)は
4216　世間の常無きことは知るらむを心尽くすな大夫(ますらを)にして
　　　　　右、大伴宿禰家持が、聟南の右大臣(みぎのおほまへつきみ)の家
　　　　　藤原の二郎(なかちこ)の喪慈母患(ははのも)弔(とぶら)へる。五月二十七日。

霖雨(ながめ)晴るる日、よめる歌一首
4217　卯の花を腐(くた)す長雨の始水(みづはな)に寄る木糞(こつみ)なす寄らむ子もがも

漁夫(あま)の火光(いざりひ)を見る歌一首
4218　鮪(しび)突くと海人の灯せる漁火の秀(ほ)にか出ださむ吾(あ)が下思(も)ひを
　　　　　右の二首は、五月。

4219　我が屋戸の萩咲きにけり秋風の吹かむを待たばいと遠みかも
　　　　　右の一首は、六月(みなつき)十五日(とをかまりいつかのひ)、芽子早花(わさはぎ)を見てよめる。

京師(みやこ)より来贈(おこ)せる歌一首、また短歌
4220　海(わたつみ)の　神の命の　み櫛笥(くしげ)に　貯ひ置きて
　　　斎(いつ)くとふ　玉にまさりて　思へりし　吾(あ)が子にはあれど
　　　うつせみの　世の理(ことわり)と　大夫(ますらを)の　引きのまにまに
　　　しなざかる　越道をさして　延(は)ふ蔦の　別れにしより
　　　沖つ波　撓(とを)む眉引(まよびき)　大船の　ゆくらゆくらに
　　　面影に　もとな見えつつ　かく恋ひば　老いづく吾(あ)が身
　　　けだし堪(あ)へむかも
反し歌一首
4221　かくばかり恋しくしあらば真澄鏡見ぬ日時なくあらましものを
　　　　　右の二首は、大伴氏坂上郎女が、女子(むすめ)の大嬢(おほいらつめ)に賜ふ。

九月(ながつき)の三日、宴の歌二首
4222　この時雨いたくな降りそ我妹子(わぎもこ)に見せむがために黄葉(もみち)採りてむ
　　　　　右の一首は、掾久米朝臣廣繩がよめる。
4223　青丹(あをに)よし奈良人見むと我が背子が標(し)めけむ黄葉(もみち)土に落ちめやも
　　　　　右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。
4224　朝霧の棚引く田(たゐ)に鳴く雁を留め得めやも我が屋戸の萩
　　　　　右の一首歌(ひとうた)は、吉野の宮に幸(いで)ましし時、藤原の皇后(おほきさき)の
　　　　　御作(よみませ)るなり。但し年月審詳(さだか)ならず。十月の五日、河邊(かはへの)
　　　　　朝臣東人(あそみ あづまひと)が伝へ誦めり。

4225　あしひきの山の黄葉にしづくあひて散らむ山道(やまぢ)を君が越えまく
　　　　　右の一首は、同じ月の十六日(とをかまりむかのひ)、朝集使(まゐうごなはるつかひ)少目(すなきふみひと)
　　　　　秦忌寸石竹(はたのいみきいはたけ)を餞(うまのはなむけ)する時、守大伴宿禰家持がよめる。

雪ふる日、よめる歌一首
4226　この雪の消(け)残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む
　　　　　右の一首は、十二月(しはす)、大伴宿禰家持がよめる。

雪の歌一首、また短歌
4227　大殿の　この廻(もとほ)りの　雪な踏みそね　しばしばも
　　　降らざる雪そ　山のみに　降りし雪そ　ゆめ寄るな
　　　人や　な踏みそね雪は
反し歌一首
4228　ありつつも見(め)したまはむそ大殿のこの廻りの雪な踏みそね
　　　　　右の二首歌(ふたうた)は、三形沙彌(みかたのさみ)が、贈左大臣(おひてたまへるひだりのおほまへつきみ)
　　　　　藤原の北の卿(まへつきみ)の語(こと)を承けて、作誦(よ)めり。聞き伝
　　　　　ふるは、笠朝臣子君(かさのあそみこきみ)なり。また後に伝へ読む者(ひと)は、
　　　　　越中国(こしのみちのなかのくに)の掾(まつりごとひと)久米朝臣廣繩なり。

天平勝宝三年(みとせ)

4229　新(あらた)しき年の初めはいや年に雪踏み平(なら)し常かくにもが
　　　　　右の一首歌は、正月(むつき)の二日、守の館にて集宴(うたげ)せり。
　　　　　その時零雪殊多(ゆきふりつむこと)、積尺(ひとさか)有(まり)四寸(よき)なりき。即ち主人(あろじ)
　　　　　大伴宿禰家持此の歌を作める。

4230　降る雪を腰になづみて参ゐり来し験(しるし)もあるか年の初めに
　　　　　右の一首は、三日、介内藏忌寸繩麻呂が館に会集(つど)ひ
　　　　　て宴楽(うたげ)せる時、大伴宿禰家持が作める。

その時、積もれる雪重なる巌(いはほ)の趣を彫(ゑ)り成し、奇巧(たくみ)に草樹の花を綵(いろど)り発(ひら)く。此に属(つ)きて掾(まつりごとひと)久米朝臣廣繩がよめる歌一首
4231　撫子は秋咲くものを君が家の雪の巌に咲けりけるかも

遊行女婦(うかれめ)蒲生娘子(かまふのいらつめ)が歌一首
4232　雪の島巌に殖(た)てる撫子は千世に咲かぬか君が挿頭(かざし)に

ここに、諸人(もろひと)酒酣(たけなは)にして、更深(よふけ)鶏(とり)鳴く。此に因りて主人内藏伊美吉繩麻呂がよめる歌一首
4233　打ち羽振(はぶ)き鶏(かけ)は鳴くともかくばかり降り敷く雪に君いまさめやも

守大伴宿禰家持が和(こた)ふる歌一首
4234　鳴く鶏(かけ)はいやしき鳴けど降る雪の千重に積めこそ吾(あ)が立ちかてね

太政大臣(おほきまつりごとのおほまへつきみ)藤原の家の縣犬養(あがたのいぬかひ)の命婦(ひめとね)が、天皇(すめらみこと)に奉れる歌一首
4235　天雲を散(ほろ)に踏みあたし鳴神(なるかみ)も今日にまさりて畏(かしこ)けめやも
　　　　　右の一首、伝へ誦(よ)めるは掾久米朝臣廣繩。

死(みまか)れる妻(め)を悲傷(かなし)む歌一首、また短歌 作主未詳
4236　天地の　神は無かれや　愛(うつく)しき　吾(あ)が妻離(さか)る
　　　光る神　鳴り波多(はた)娘子(をとめ)　手携ひ　共にあらむと
　　　思ひしに　心違(たが)ひぬ　言はむすべ　為むすべ知らに
　　　木綿(ゆふ)襷(たすき)　肩に取り掛け　倭文(しつ)幣(ぬさ)を　手に取り持ちて
　　　な離(さ)けそと　我は祈(の)めれど　枕(ま)きて寝し　妹が手本(たもと)は　雲に棚引く
反し歌一首
4237　うつつにと思ひてしかも夢(いめ)のみに手本巻き寝(ぬ)と見ればすべなし
　　　　　右の二首、伝へ誦めるは遊行女婦蒲生なり。

二月(きさらき)の三日、守の館に会集(つど)ひて宴して、よめる歌一首
4238　君が旅行(ゆき)もし久ならば梅柳誰(たれ)と共にか吾(あ)が蘰(かづら)かむ
　　　　　右、判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩、正税帳を以ちて、
　　　　　京師(みやこ)に入(のぼ)らむとす。仍(かれ)守大伴宿禰家持、此の
　　　　　歌を作(よ)めり。但越中(こしのみちのなか)の風土(くにざま)、梅花(うめ)柳絮(やなぎ)、
　　　　　三月(やよひ)咲き初む。

霍公鳥を詠める歌一首
4239　二上(ふたがみ)の峯(を)の上(へ)の繁(しじ)に籠りにし霍公鳥待てど未だ来鳴かず
　　　　　右、四月の十六日(とをかまりむかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。

春日(かすが)にて祭神之日(かみまつりせるほど)、藤原の太后(おほきさき)のよみませる御歌一首。即ち入唐大使(もろこしにつかはすつかひのかみ)藤原朝臣清河(きよかは)に賜ふ
4240　大船に真楫しじ貫(ぬ)きこの吾子(あご)を唐国(からくに)へ遣る斎(いは)へ神たち

大使(つかひのかみ)藤原朝臣清河が歌一首
4241　春日野に斎(いつ)く三諸(みもろ)の梅の花栄えてあり待て還り来むまで

大納言(おほきものまをすつかさ)藤原の卿(まへつきみ)の家にて、入唐使(もろこしにつかはすつかひ)等を餞(うまのはなむけ)する宴日(ひ)の歌一首 即チ主人卿ヨメリ
4242　天雲の往き還りなむものゆゑに思ひそ吾(あ)がする別れ悲しみ

民部少輔(たみのつかさのすなきすけ)丹治比(たぢひ)真人(まひと)土作(はにし)がよめる歌一首
4243　住吉(すみのえ)に斎(いつ)く祝(はふり)が神言(かむこと)と行くとも来(く)とも船は早けむ

大使藤原朝臣清河が歌一首
4244　あら玉の年の緒長く吾(あ)が思(も)へる子らに恋ふべき月近づきぬ

天平五年(いつとせといふとし)、入唐使に贈れる歌一首、また短歌 作主未詳
4245　そらみつ　大和の国　青丹よし　奈良の都ゆ
　　　押し照る　難波に下り　住吉の　御津に船(ふな)乗り
　　　直(ただ)渡り　日の入る国に　遣(つか)はさる　我が兄(せ)の君を
　　　懸けまくの　忌々(ゆゆ)し畏き　住吉の　吾(あ)が大御神
　　　船(ふな)の舳(へ)に　領(うしは)きいまし　船艫(ふなども)に　み立たしまして
　　　さし寄らむ　磯の崎々　榜ぎ泊(は)てむ　泊々(とまりとまり)に
　　　荒き風　波に遇はせず　平けく　率(ゐ)て還りませ　もとの国家(みかど)に
反し歌一首
4246　沖つ波辺(へ)波な立ちそ君が船榜ぎ還り来て津に泊つるまで

阿倍朝臣老人(おいひと)が、唐(もろこし)に遣はさるる時、母に奉れる悲別(かなしみ)の歌一首
4247　天雲のそきへの極み吾(あ)が思(も)へる君に別れむ日近くなりぬ
　　　　　右の件(くだり)の八首歌(やうた)は、伝へ誦める人、越中の大目(おほきふみひと)
　　　　　高安倉人種麻呂なり。但し年月の次(なみ)は、聞ける時の
　　　　　随(まにま)、載(あ)げたり。

七月(ふみつき)の十七日(とをかまりなぬかのひ)、少納言(すなきものまをすつかさ)に遷任(うつ)されて、悲別(かなしみ)の歌を作みて、朝集使(まゐうごなはるつかひ)掾久米朝臣廣繩が館に贈貽(おく)れる二首(ふたうた)
既に六載の期に満ち、忽ち遷替の運に値ふ。是に旧(ふりにしひと)に別るる悽(かな)しみ、心中に欝結(むすぼほ)れ、涕の袖を拭(のご)ふ。いかにか能く旱(かは)かむ。因(かれ)悲しみの歌二首を作みて、莫忘の志を遺せり。其の詞(うた)に曰く
4248　あら玉の年の緒長く相見てしその心引き忘らえめやも
4249　石瀬野(いはせの)に秋萩凌(しぬ)ぎ馬並(な)めて初鷹猟(はつとがり)だにせずや別れむ
　　　　　右、八月(はつき)の四日(よかのひ)贈れりき。

便ち大帳使を附(さづ)け、八月の五日に、京師に入(のぼ)らむとす。此に因りて四日、国の厨(くりや)の饌(もの)を介内藏伊美吉繩麻呂が館に設(ま)けて、餞(うまのはなむけ)す。その時大伴宿禰家持がよめる歌一首
4250　しなざかる越に五年(いつとせ)住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも

五日(いつかのひ)、平旦(つとめて)上道(みちだち)す。仍(かれ)国司(くにのつかさ)次官(すけ)より、諸の僚(つかさづかさ)まで、皆共(みな)視送りす。その時射水(いみづ)の郡(こほり)の大領(おほきみやつこ)安努君廣島(あぬのきみひろしま)が門の前の林の中(うち)に、預め饌餞(うまのはなむけ)の宴(まけ)を設(な)す。時に大帳使大伴宿禰家持が、内藏伊美吉繩麻呂が盞(さかづき)を捧ぐる歌に和ふる一首(ひとうた)
4251　玉ほこの道に出で立ち行く吾(あれ)は君が事跡(ことと)を負ひてし行かむ

正税帳使掾(まつりごとひと)久米朝臣廣繩、事畢りて退任(まけところにかへ)れり。越前国(こしのみちのくちのくに)の掾大伴宿禰池主が館に適(ゆ)き遇ひて、共に飲楽(うたげ)す。その時久米朝臣廣繩が、芽子(はぎ)の花を矚(み)てよめる歌一首
4252　君が家に植ゑたる萩の初花を折りて挿頭(かざ)さな旅別るどち
大伴宿禰家持が和ふる歌一首
4253　立ちて居て待てど待ちかね出でて来て君にここに逢ひ挿頭しつる萩

京(みやこ)に向(まゐのぼ)る路にて、興(こと)に依(つ)け預め作める、宴(とよのあかり)に侍りて詔を応(うけたま)はる歌一首、また短歌
4254　蜻蛉島(あきづしま)　大和の国を　天雲に　磐船(いはふね)浮べ
　　　艫(とも)に舳(へ)に　真櫂しじ貫(ぬ)き　い榜ぎつつ　国見しせして
　　　天降(あも)りまし　掃(はら)ひ平らげ　千代重ね　いや嗣ぎ継ぎに
　　　領(し)らし来る　天(あま)の日継と　神ながら　我が大皇(おほきみ)の
　　　天の下　治め賜へば　もののふの　八十伴男(やそとものを)を
　　　撫で賜ひ　整へ賜ひ　食(を)す国の　四方(よも)の人をも
　　　あぶさはず　恵み賜へば　古よ　無かりし瑞(しるし)
　　　度まねく　奏(まを)し賜ひぬ　手拱(てうだ)きて　事無き御代と
　　　天地　日月と共に　万代に　記し継がむそ
　　　やすみしし　我が大皇　秋の花　しが色々に
　　　見(め)し賜ひ　明らめ賜ひ　酒漬(さかみづ)き　栄ゆる今日の　奇(あや)に貴さ
反し歌一首
4255　秋の花種々(くさぐさ)なれど色ことに見(め)し明らむる今日の貴さ

左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の卿を寿(ことほ)かむと、預めよめる歌一首
4256　古に君が三代経て仕へけり我が王(おほきみ)は七代奏(まを)さね

十月(かみなつき)の二十二日(はつかまりふつかのひ)、左大弁(ひだりのおほきおほともひ)紀飯麻呂(きのいひまろ)の朝臣が家にて宴する歌三首
4257　手束弓(たつかゆみ)手に取り持ちて朝狩に君は立たしぬ棚倉の野に
　　　　　右の一首は、治部卿(をさむるつかさのかみ)船王(ふねのおほきみ)の伝へ誦める、
　　　　　久邇(くに)の京都(みやこ)の時の歌なり。作主(よみひと)しらず。
4258　明日香川川門(かはと)を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ
　　　　　右の一首は、左中弁(ひだりのなかのおほともひ)中臣朝臣清麻呂が伝へ
　　　　　誦める、古き京の時の歌なり。
4259　十月(かみなつき)時雨の降れば我が背子が屋戸のもみち葉散りぬべく見ゆ
　　　　　右の一首は、少納言大伴宿禰家持が、当時梨の黄葉(もみち)を
　　　　　矚(み)て、此の歌を作めり。

〔天平勝宝〕四年

壬申(みづのえさる)の年の乱(みだれ)、平定(たひ)らぎし以後(のち)の歌二首
4260　皇(おほきみ)は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ
　　　　　右の一首は、大将軍(おほきいくさのきみ)贈右大臣(おひてたまへるみぎのおほまへつきみ)
　　　　　大伴の卿の作みたまふ。
4261　大王は神にしませば水鳥の多集(すだ)く水沼(みぬま)を都と成しつ 作者未詳
　　　　　右の件の二首は、〔天平勝宝四年〕二月の二日に聞きて、
　　　　　茲(ここ)に載(あ)ぐ。

閏三月(のちのやよひ)、衛門督(ゆけひのかみ)大伴古慈悲(こじひ)の宿禰が家にて、入唐副使(もろこしにつかはすつかひのすけ)同(おや)じ胡麿の宿禰等を餞(うまのはなむけ)する歌二首
4262　唐国(からくに)に行き足らはして還り来むますら健男(たけを)に御酒(みき)奉る
　　　　　右の一首は、多治比真人鷹主が、副使(つかひのすけ)大伴胡麻呂
　　　　　の宿禰を寿(ことほ)く。
4263　櫛も見じ屋中(やぬち)も掃かじ草枕旅ゆく君を斎(いは)ふと思(も)ひて 作主未詳
　　　　　右の件の二首歌(ふたうた)伝へ誦めるは、大伴宿禰村上、
　　　　　同じ清繼等なり。

従四位上(ひろきよつのくらゐのかみつしな)高麗朝臣福信(こまのあそみふくしむ)に勅(みことのり)して、難波に遣はし、酒(おほみき)肴(さかな)を入唐使(もろこしにつかはすつかひ)藤原朝臣清河等に賜へる御歌(おほみうた)一首、また短歌
4264　そらみつ　大和の国は　水の上(へ)は　地(つち)ゆくごとく
　　　船(ふな)の上(へ)は　床(とこ)に居るごと　大神の　鎮(いは)へる国そ
　　　四つの船　船(ふな)の舳(へ)並べ　平らけく　早渡り来て
　　　返り言　奏(まを)さむ日に　相飲まむ酒(き)そ　この豊御酒(とよみき)は
反し歌一首
4265　四つの船早帰り来(こ)と白紙(しらが)付け朕(あ)が裳の裾に鎮(いは)ひて待たむ
　　　　　右、勅使ヲ発遣シ、マタ酒ヲ賜フ楽宴(ウタゲ)ノ日月、
　　　　　未ダ詳審(ツマビ)ラカニスルコトヲ得ズ。

詔を応(うけたまは)らむが為に、儲(あらかじ)めよめる歌一首、また短歌
4266　あしひきの　八峯(やつを)の上の　樛(つが)の木の　いや継ぎ継ぎに
　　　松が根の　絶ゆることなく　青丹よし　奈良の都に
　　　万代に　国知らさむと　やすみしし　我が大王の
　　　神ながら　思ほしめして　豊宴(とよのあかり)　見(め)す今日の日は
　　　もののふの　八十(やそ)伴の雄(を)の　島山に　赤る橘
　　　髻華(うず)に挿し　紐解き放(さ)けて　千年寿(ほ)き　ほさき響(とよ)もし
　　　ゑらゑらに　仕へまつるを　見るが貴さ
反し歌一首
4267　すめろきの御代万代にかくしこそ見(め)し明らめめ立つ年の端(は)に
　　　　　右の二首は、大伴宿禰家持がよめる。

天皇(すめらみこと)と太后(おほきさき)と、共に大納言(おほきものまをすつかさ)藤原の家に幸(いでま)しし日、黄葉(もみち)せる沢蘭(さはあらき)一株(ひともと)を抜き取りて、内侍佐佐貴山君(ささきやまのきみ)に持たしめ、大納言藤原の卿また陪従(みとも)の大夫等(まへつきみたち)に遣賜(たま)へる御歌(おほみうた)一首
命婦(ひめとね)が誦(とな)へて曰(い)へらく
4268　この里は継ぎて霜や置く夏の野に吾(あ)が見し草は黄葉(もみ)ちたりけり

十一月(しもつき)の八日(やかのひ)、太上天皇(おほきすめらみこと)、左大臣橘朝臣の宅(いへ)に在(いま)して、肆宴(とよのあかり)きこしめす歌四首
4269　よそのみに見つつありしを今日見れば年に忘れず思ほえむかも
　　　　　右の一首は、太上天皇の御製(おほみうた)。
4270　葎(むぐら)はふ賎しき屋戸も大王の座(ま)さむと知らば玉敷かましを
　　　　　右の一首は、左大臣橘卿。
4271　松陰の清き浜辺に玉敷かば君来まさむか清き浜辺に
　　　　　右の一首は、右大弁藤原八束朝臣。
4272　天地に足らはし照りて我が大王敷きませばかも楽しき小里(をさと)
　　　　　右の一首は、少納言大伴宿禰家持。 未奏。

二十五日(はつかまりいつかのひ)、新嘗会(にひなへまつり)の肆宴(とよのあかり)に、詔を応(うけたま)はる歌六首
4273　天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき
　　　　　右の一首は、大納言巨勢朝臣。
4274　天にはも五百(いほ)つ綱延(は)ふ万代に国知らさむと五百つ綱延ふ
　　　　　右の一首は、式部卿(のりのつかさのかみ)石川年足(としたり)朝臣。
4275　天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒(くろき)白酒(しろき)を
　　　　　右の一首は、従三位(ひろきみつのくらゐ)文屋(ふむやの)智努麻呂(ちぬまろの)真人(まひと)
4276　島山に照れる橘髻華(うず)に挿し仕へ奉(まつ)らな卿大夫(まへつきみ)たち
　　　　　右の一首は、右大弁藤原八束朝臣。
4277　袖(そて)垂れていざ我が苑に鴬の木伝(こづた)ひ散らす梅の花見に
　　　　　右の一首は、大和国守(おほやまとのくにのかみ)藤原永手(ながて)朝臣。
4278　あしひきの山下日蔭かづらける上にやさらに梅を賞(しぬ)はむ
　　　　　右の一首は、少納言大伴宿禰家持。

二十七日(はつかまりなぬかのひ)、林王の宅にて、但馬(たぢまの)按察使(あぜちし)橘奈良麻呂の朝臣を餞(うまのはなむけ)せる宴歌(うた)三首
4279　能登川の後は逢はめど暫(しま)しくも別るといへば悲しくもあるか
　　　　　右の一首は、治部卿船王。
4280　立ち別れ君がいまさば磯城島(しきしま)の人は我じく斎(いは)ひて待たむ
　　　　　右の一首は、右京少進(みぎのみさとつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰黒麻呂。
4281　白雪の降り敷く山を越え行かむ君をそもとな息の緒に思(も)ふ 左大臣尾ヲ換ヘテ云ク、いきのをにする。然レドモ猶喩シテ曰ク、前ノ如ク誦メト。
　　　　　右の一首は、少納言大伴宿禰家持。

五年(いつとせといふとし)正月(むつき)の四日(よかのひ)、治部少輔(をさむるつかさのすなきすけ)石上朝臣宅嗣(いそのかみのあそみいへつぐ)が家にて、宴する歌三首
4282　言(こと)繁み相問はなくに梅の花雪にしをれて移ろはむかも
　　　　　右の一首は、主人(あろじ)石上朝臣宅嗣。
4283　梅の花咲けるが中に含(ふふ)めるは恋や隠(こも)れる雪を待つとか
　　　　　右の一首は、中務大輔(なかのまつりごとのつかさのおほきすけ)茨田王(まむたのおほきみ)。
4284　新(あらた)しき年の初めに思ふ共(どち)い群れて居れば嬉しくもあるか
　　　　　右の一首は、大膳大夫(おほかしはでのつかさのかみ)道祖王(みちのやのおほきみ)。

十一日(とをかまりひとひのひ)、大雪落積(つ)もれること、尺有二寸(ひとさかまりふたき)。因(かれ)拙懐(おもひ)を述ぶる歌三首
4285　大宮の内にも外(と)にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し
4286　御苑生(みそのふ)の竹の林に鴬はしば鳴きにしを雪は降りつつ
4287　鴬の鳴きし垣内(かきつ)ににほへりし梅この雪にうつろふらむか

十二日(とをかまりふつかのひ)、内裏(おほうち)に侍(さもら)ひて、千鳥を聞きてよめる歌一首
4288　河渚(かはす)にも雪は降れれや宮の内に千鳥鳴くらし居むところ無み

二月(きさらき)の十九日(とをかまりここのかのひ)、左大臣橘の家の宴に、攀ぢ折(と)れる柳の條(えだ)を見る歌一首
4289　青柳(あをやぎ)の上枝(ほつえ)攀ぢ取りかづらくは君が屋戸にし千年寿(ほ)くとそ

二十三日(はつかまりみかのひ)、興(こと)に依(つ)けてよめる歌二首
4290　春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも
4291　我が屋戸の五十笹(いささ)群竹吹く風の音のかそけきこの夕へかも

二十五日(はつかまりいつかのひ)、よめる歌一首
4292　うらうらに照れる春日(はるひ)に雲雀あがり心悲しも独りし思へば
　　　　　春ノ日遅々(ウラウラ)トシテ、ヒバリ正ニ啼ク。悽惆ノ意、
　　　　　歌ニアラザレバ撥ヒ難シ。仍此ノ歌ヲ作ミ、式テ
　　　　　締緒ヲ展ク。但此ノ巻中、作者ノ名字ヲ称(イ)ハズ、
　　　　　徒(タダ)年月所処縁起ヲノミ録セルハ、皆大伴宿禰家持
　　　　　ガ裁作セル歌詞(ウタ)ナリ。


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.巻第二十(はたまきにあたるまき)

山村(やまむら)に幸行(いでま)しし時の歌二首(ふたつ)
先の太上天皇(おほきすめらみこと)、陪従(おほみとも)の王臣(おほきみおみ)に詔(みことのり)したまはく、夫諸王卿等(いましらもろもろ)、和(こた)へ歌を賦(よ)みて奏(まを)せと宣(の)りたまひて、即ち御口号(みうたよみ)したまはく
4293　あしひきの山行きしかば山人(やまびと)の我に得しめし山つとそこれ
舎人親王(とねりのみこ)、詔を応(うけたま)はりて和へ奉(まつ)れる御歌一首(ひとつ)
4294　あしひきの山にゆきけむ山人の心も知らず山人や誰(たれ)
　　　　　右、天平勝宝(てむひやうしようはう)五年(いつとせといふとし)の五月(さつき)、大納言(おほきものまをすつかさ)
　　　　　藤原朝臣(ふぢはらのあそみ)の家に在(いま)せる時、事を奏(まを)すに依りて請ひ
　　　　　問ふ間(ほど)、少主鈴(すなきすずのつかさ)山田(やまたの)史(ふみひと)土麿、少納言(すなきものまをすつかさ)
　　　　　大伴宿禰家持に語りけらく、昔(さき)に此の言(こと)を聞けりと
　　　　　いひて、即ち此の歌を誦(よ)めりき。

天平勝宝五年八月(はつき)の十二日(とをかまりふつかのひ)、二三(ふたりみたり)の大夫等(まへつきみたち)、各(おのもおのも)壺酒(さかつぼ)を提(ひきさ)げて、高圓野(たかまとぬ)に登り、聊か所心(おもひ)を述べて作(よ)める歌三首(みつ)
4295　高圓の尾花(をばな)吹きこす秋風に紐ときあけな直(ただ)ならずとも
　　　　　右の一首(ひとうた)は、左京少進(ひだりのみさとつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰池主。
4296　天雲に雁そ鳴くなる高圓の萩の下葉はもみち堪(あ)へむかも
　　　　　右の一首は、左中弁(ひだりのなかのおほともひ)中臣清麿朝臣。
4297　をみなへし秋萩しぬぎさ牡鹿の露分け鳴かむ高圓の野そ
　　　　　右の一首は、少納言大伴宿禰家持。

六年(むとせといふとし)正月(むつき)の四日(よかのひ)、氏族人等(やからどち)、少納言大伴宿禰家持が宅(いへ)に賀集(つど)ひて、宴飲(うたげ)する歌三首
4298　霜の上(へ)に霰(あられ)飛走(たばし)りいや益しに吾(あれ)は参(まゐ)来む年の緒長く 古今未詳
　　　　　右の一首は、左兵衛督(ひだりのつはもののとねりのかみ)大伴宿禰千室(ちむろ)。
4299　年月は新た新たに相見れど吾(あ)が思(も)ふ君は飽き足らぬかも 古今未詳
　　　　　右の一首は、民部少丞(たみのつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰村上。
4300　霞立つ春の初めを今日のごと見むと思へば楽しとそ思(も)ふ
　　　　　右の一首は、左京少進大伴宿禰池主。

七日(なぬかのひ)、天皇(すめらみこと)、太上天皇(おほきすめらみこと)、皇太后(おほみおや)、東(ひむかし)の常宮(みや)の南の大殿に在(いま)して、肆宴(とよのあかり)きこしめす歌一首
4301　印南野(いなみぬ)の赤ら柏は時はあれど君を吾(あ)が思(も)ふ時はさねなし
　　　　　右の一首は、播磨(はりま)の国の守(かみ)安宿王(あすかべのおほきみ)奏(まを)したまへり。古今未詳。

三月(やよひ)の十九日(とをかまりここのかのひ)、家持が庄(なりところ)の門の槻(つき)の樹の下(もと)にて宴飲(うたげ)する歌二首
4302　山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつ挿頭(かざ)したりけり
　　　　　右の一首は、置始連長谷(おきそめのむらじはつせ)。
4303　我が背子が屋戸の山吹咲きてあらば止まず通はむいや年の端に
　　　　　右の一首は、長谷花を攀ぢ、壺を提(ひきさ)げて到来(きた)れり。因是(かれ)
　　　　　大伴宿禰家持、此の歌をよみて和(こた)ふ。

同(おや)じ月の二十五日(はつかまりいつかのひ)、左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の卿(まへつきみ)、山田御母(やまだのみおも)の宅に宴したまへる歌一首
4304　山吹の花の盛りにかくのごと君を見まくは千年(ちとせ)にもがも
　　　　　右の一首は、少納言大伴宿禰家持、時の花を囑(み)て
　　　　　よめる。但し未だ出(いだ)さざりし間(ほど)、大臣(おほまへつきみ)宴を
　　　　　罷(や)めたまへるによりて、詠み挙げせざりき。

霍公鳥(ほととぎす)を詠(よ)める歌一首
4305　木(こ)の暗(くれ)のしげき峯(を)の上(へ)をほととぎす鳴きて越ゆなり今し来らしも
　　　　　右の一首は、四月(うつき)、大伴宿禰家持がよめる。

七夕(なぬかのよひ)の歌八首(やつ)
4306　初秋風すずしき夕へ解かむとそ紐は結びし妹に逢はむため
4307　秋と言へば心そ痛きうたて異(け)に花になそへて見まく欲りかも
4308　初尾花(をばな)花に見むとし天の川へなりにけらし年の緒長く
4309　秋風になびく川廻(び)の和草(にこぐさ)のにこよかにしも思ほゆるかも
4310　秋されば霧たちわたる天の川石並(な)み置かば継ぎて見むかも
4311　秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ
4312　秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ
4313　青波に袖(そて)さへ濡れて榜ぐ舟のかし振るほとにさ夜更けなむか
　　　　　右、七月(ふみつき)の七日の夕(よひ)、大伴宿禰家持、独り天漢(あまのがは)を
　　　　　仰(み)てよめる。
4314　八千種(やちくさ)に草木を植ゑて時ごとに咲かむ花をし見つつ偲(しぬ)はな
　　　　　右の一首は、同じ月の二十八日(はつかまりやかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。
4315　宮人の袖付け衣秋萩ににほひよろしき高圓(たかまと)の宮
4316　高圓の宮の裾廻(すそみ)の野つかさに今咲けるらむ女郎花(をみなへし)はも
4317　秋野には今こそ行かめもののふの男女(をとこをみな)の花にほひ見に
4318　秋の野に露負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか
4319　高圓の秋野の上の朝霧に妻呼ぶ壮鹿(をしか)出で立つらむか
4320　ますらをの呼び立てませばさ牡鹿の胸(むな)分けゆかむ秋野萩原
　　　　　右の歌六首(むつ)は、兵部少輔(つはもののつかさのすなきすけ)大伴宿禰家持、独り
　　　　　秋の野を憶(しぬ)ひて、聊か拙懐(おもひ)を述べてよめる。

天平勝宝七歳(ななとせといふとし)乙未(きのとひつじ)二月(きさらき)、相替へて筑紫の諸国(くにぐに)に遣はさるる防人(さきもり)等が歌
4321　畏きや命(みこと)被(かがふ)り明日ゆりや加曳(かえ)が斎田嶺(いむたね)を妹(いむ)無しにして
　　　　　右の一首は、国造(くにのみやつこ)の丁(よほろ)、長下郡(ながのしものこほり)、物部秋持(もののべのあきもち)。
4322　我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影(かご)副(さ)へ見えて世に忘られず
　　　　　右の一首は、主帳(ふみひと)の丁、麁玉郡(あらたまのこほり)、若倭部身麿(わかやまとべのむまろ)。
4323　時々の花は咲けども何すれそ母とふ花の咲き出来(でこ)ずけむ
　　　　　右の一首は、防人、山名郡(やまなのこほり)、丈部(はせつかべの)眞麿(ままろ)。
4324　遠江(とへたほみ)白羽(しるは)の磯と贄(にへ)の浦と合ひてしあらば言も通(かゆ)はむ
　　　　　右の一首は、同じ郡の丈部川相(かはひ)。
4325　父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごてゆかむ
　　　　　右の一首は、佐野(さやの)郡(こほり)、丈部黒當。
4326　父母が殿の後(しりへ)の百代草(ももよぐさ)百代いでませ我が来たるまで
　　　　　右の一首は、同じ郡生玉部(いくたまべの)足國(たりくに)。
4327　我が妻も絵に描き取らむ暇(いつま)もか旅ゆく吾(あれ)は見つつ偲はむ
　　　　　右の一首は、長下郡、物部古麿(ふるまろ)。
　　　　　二月(きさらき)の六日(むかのひ)、防人部領使(ことりつかひ)遠江(とほつあふみ)の国の史生(ふみひと)坂本
　　　　　朝臣人上(ひとかみ)が、進(たてまつ)れる歌の数十八首(とをまりやつ)。但し拙劣(つたな)き
　　　　　歌十一首(とをまりひとうた)有るは取載(あ)げず。

4328　大王の命かしこみ磯に触り海原(うのはら)渡る父母を置きて
　　　　　右の一首は、某郡助丁(すけのよほろ)、丈部造(みやつこ)人麿。
4329　八十(やそ)国は難波に集ひ船(ふな)飾り吾(あ)がせむ日ろを見も人もがも
　　　　　右の一首は、足下郡(あしからのしものこほり)の上丁(かみつよほろ)、丹比部(たぢひべの)國人(くにひと)。
4330　難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷(まか)らむ見る母なしに
　　　　　右の一首は、鎌倉郡(かまくらのこほり)の上丁、丸子連(まるこのむらじ)多麿(おほまろ)。
　　　　　二月の七日、相模(さがむ)の国の防人部領使、守(かみ)従五位(ひろきいつつのくらゐの)
　　　　　下(しもつしな)藤原朝臣宿奈麿(すくなまろ)が進れる歌の数八首。但し拙劣(つたな)
　　　　　き歌五首(いつつ)は、取載(あ)げず。

防人の悲別(わかれ)の心を追痛(いた)みてよめる歌一首、また短歌(みじかうた)
4331　天皇(すめろき)の　遠の朝廷(みかど)と　しらぬひ　筑紫の国は
　　　賊(あた)まもる　鎮(おさ)への城(き)そと　聞こし食(を)す　四方の国には
　　　人多(さは)に　満ちてはあれど　鶏(とり)が鳴く　東男(あづまをのこ)は
　　　出で向かひ　かへり見せずて　勇みたる　猛(たけ)き軍卒(いくさ)と
　　　労(ね)ぎたまひ　任(まけ)のまにまに　たらちねの　母が目離(か)れて
　　　若草の　妻をも枕(ま)かず　あらたまの　月日数(よ)みつつ
　　　葦が散る　難波の御津に　大船に　真櫂しじぬき
　　　朝凪に　水手(かこ)ととのへ　夕潮に　楫引き撓(を)り
　　　率(あど)もひて　漕ぎゆく君は　波の間を　い行きさぐくみ
　　　真幸(まさき)くも　早く到りて　大王(おほきみ)の　命(みこと)のまにま
　　　大夫(ますらを)の　心をもちて　ありめぐり　事し終はらば
　　　恙(つつ)まはず　還り来ませと　斎瓮(いはひへ)を　床辺(とこへ)に据ゑて
　　　白妙の　袖折りかへし　ぬば玉の　黒髪しきて
　　　長き日(け)を　待ちかも恋ひむ　愛(は)しき妻らは
反(かへ)し歌
4332　大夫の靫(ゆき)取り負ひて出でて行(い)けば別れを惜しみ嘆きけむ妻
4333　鶏が鳴く東男(あづまをとこ)の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み
　　　　　右、二月の八日、兵部少輔大伴宿禰家持。
4334　海原(うなはら)を遠く渡りて年経(ふ)とも子らが結べる紐解くなゆめ
4335　今替る新(にひ)防人が船出する海原の上に波な開(さ)きそね
4336　防人の堀江榜ぎ出(づ)る伊豆手船楫取る間なく恋は繁けむ
　　　　　右の三首は、九日、大伴宿禰家持がよめる。

4337　水鳥(みづとり)の立ちの急ぎに父母に物言(は)ず来(け)にて今ぞ悔しき
　　　　　右の一首は、上丁(かみつよほろ)、有度部(うとべの)牛麿。
4338　畳薦(たたみけめ)牟良自(むらじ)が磯の離磯(はなりそ)の母を離れて行くが悲しさ
　　　　　右の一首は、助丁(すけのよほろ)、生部(いくべの)道麿。
4339　国めぐる当(あとり)か任(ま)けり行き巡り還(かひ)り来までに斎(いは)ひて待たね
　　　　　右の一首は、刑部(おさかべの)虫麿。
4340　父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬(みづ)く白玉取りて来までに
　　　　　右の一首は、川原虫麿。
4341　橘の美衣利(みえり)の里に父を置きて道の長道(ながち)は行きかてぬかも
　　　　　右の一首は、丈部足麿(たりまろ)。
4342　真木柱(まけばしら)讃めて造れる殿のごといませ母刀自(とじ)面(おめ)変はりせず
　　　　　右の一首は、坂田部(さかたべの)首麿(おびとまろ)。
4343　我(わ)ろ旅は旅と思(おめ)ほど恋にして顔持(こめち)痩すらむ我が身悲しも
　　　　　右の一首は、玉作部(たまつくりべの)廣目(ひろめ)。
4344　忘らむと野ゆき山ゆき我来れど我が父母は忘れせぬかも
　　　　　右の一首は、商長(あきをさの)首麿(おびとまろ)。
4345　我妹子(わぎめこ)と二人我が見し打ち寄(え)する駿河の嶺(ね)らは恋(くふ)しくめあるか
　　　　　右の一首は、春日部(かすかべの)麿。
4346　父母が頭(かしら)掻き撫で幸(さき)くあれて言ひし言葉そ忘れかねつる
　　　　　右の一首は、丈部稲麿(いなまろ)。
　　　　　二月の七日、駿河の国の防人部領使、守従五位下布勢(ふせの)朝臣
　　　　　人主(ひとぬし)、実(まこと)進(たてまつ)るは九日。歌の数二十首(はたち)。但し拙劣(つたな)き歌
　　　　　十首(とを)は、取載(あ)げず。

4347　家にして恋ひつつあらずは汝(な)が佩(は)ける大刀(たち)になりても斎(いは)ひてしかも
　　　　　右の一首は、国造の丁(よほろ)、日下部(くさかべの)使主(おみ)三中(みなか)が父の歌。
4348　たらちねの母を別れてまこと我旅の仮廬(かりほ)に安く寝むかも
　　　　　右の一首は、国造の丁、日下部使主三中。
4349　百隈(ももくま)の道は来にしを又更に八十(やそ)島過ぎて別れか行かむ
　　　　　右の一首は、助丁(すけのよほろ)刑部(おさかべの)直(あたへ)三野(みぬ)。
4350　庭中の阿須波(あすは)の神に小柴さし吾(あれ)は斎はむ還り来までに
　　　　　右の一首は、主帳(ふみひと)の丁(よほろ)、若麻續部(わかをみべの)諸人(もろひと)。
4351　旅衣八つ着重ねて寝(いぬ)れどもなほ肌寒し妹にしあらねば
　　　　　右の一首は、望陀郡(うまぐたのこほり)の上丁(かみつよほろ)、玉作部國忍(くにおし)。
4352　道の辺(べ)の茨(うまら)の末(うれ)に延(は)ほ豆のからまる君を離(はか)れか行かむ
　　　　　右の一首は、天羽郡(あまはのこほり)の上丁、丈部鳥。
4353　家風は日に日に吹けど我妹子が家言(いへごと)持ちて来る人も無し
　　　　　右の一首は、朝夷郡(あさひなのこほり)の上丁、丸子連大歳(おほとし)。
4354　立ち鴨(こも)の立ちの騒きに相見てし妹が心は忘れせぬかも
　　　　　右の一首は、長狭郡(ながさのこほり)の上丁、丈部與呂麿(よろまろ)。
4355　よそにのみ見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに
　　　　　右の一首は、武射郡(むざのこほり)の上丁、丈部山代(やましろ)。
4356　我が母の袖(そて)持ち撫でて我が故(から)に泣きし心を忘らえぬかも
　　　　　右の一首は、山邊郡(やまのべのこほり)の上丁、物部乎刀良(をとら)。
4357　葦垣の隈所(くまと)に立ちて我妹子が袖(そて)もしほほに泣きしそ思(も)はゆ
　　　　　右の一首は、市原郡の上丁、刑部直千國(ちくに)。
4358　大王の命かしこみ出で来れば我(わ)ぬ取り付きて言ひし子なはも
　　　　　右の一首は、種淮郡(すゑのこほり)の上丁、物部龍(たつ)。
4359　筑紫方(へ)に舳(へ)向かる船のいつしかも仕へまつりて国に舳向(へむ)かも
　　　　　右の一首は、長柄郡(ながらのこほり)の上丁、若麻續部羊(ひつじ)。
　　　　　二月の九日、上総(かみつふさ)の国の防人部領使、少目(すなきふみひと)
　　　　　従七位下(ひろきななつのくらゐのしもつしな)茨田(まむたの)連(むらじ)沙彌麿(さみまろ)が進る歌の
　　　　　数十九首(とをまりここのつ)。但し拙劣(つたな)き歌六首は、取載(あ)げず。

私拙懐(おもひ)を陳(の)ぶる一首、また短歌
4360　天皇(すめろき)の　遠き御代にも　押し照る　難波の国に
　　　天の下　知らしめしきと　今の緒に　絶えず言ひつつ
　　　かけまくも　あやに畏し　神(かむ)ながら　我ご大王の
　　　打ち靡く　春の初めは　八千種に　花咲きにほひ
　　　山見れば　見の羨(とも)しく　川見れば　見のさやけく
　　　ものごとに　栄ゆる時と　見(め)し賜ひ　明らめ賜ひ
　　　敷きませる　難波の宮は　聞こし食(を)す　四方の国より
　　　奉る　御調(みつき)の船は　堀江より　水脈(みを)引きしつつ
　　　朝凪に　楫引き泝(のぼ)り　夕潮に　棹さし下り
　　　あぢ群の　騒き競(きほ)ひて　浜に出でて　海原見れば
　　　白波の　八重折るが上に　海人小船(をぶね)　はららに浮きて
　　　大御食(おほみけ)に　仕へまつると　をちこちに　漁(いざ)り釣りけり
　　　そきだくも　おぎろなきかも　こきばくも　ゆたけきかも
　　　ここ見れば　うべし神代ゆ　始めけらしも
反し歌
4361　桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなべ
4362　海原のゆたけき見つつ葦が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ
　　　　　右、二月の十三日、兵部少輔大伴宿禰家持。

4363　難波津に御船下ろ据ゑ八十楫(やそか)貫(ぬ)き今は榜ぎぬと妹に告げこそ
4364　防人(さきむり)に立たむ騒きに家の妹が業(な)るべきことを言はず来(き)ぬかも
　　　　　右の二首は、茨城郡(うばらきのこほり)、若舎人部(わかとねりべの)廣足(ひろたり)。
4365　押し照るや難波の津より船装(ふなよそ)ひ吾(あれ)は榜ぎぬと妹に告ぎこそ
4366　常陸(ひたち)指し行かむ雁もが吾(あ)が恋を記して付けて妹に知らせむ
　　　　　右の二首は、信太郡(しだのこほり)、物部道足(みちたり)。
4367　吾(あ)が面(もて)の忘れもしだは筑波嶺(つくはね)を振り放け見つつ妹は偲(しぬ)はね
　　　　　右の一首は、茨城郡、占部(うらべの)小龍(をたつ)。
4368　久慈川は幸(さけ)くあり待て潮船に真楫しじ貫(ぬ)き我(わ)は還り来む
　　　　　右の一首は、久慈郡、丸子部(まろこべの)佐壯(すけを)。
4369　筑波嶺の早百合(さゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹そ昼も愛しけ
4370　霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみいくさ)に我は来にしを
　　　　　右の二首は、那賀郡(なかのこほり)の上丁(かみつよほろ)、大舎人部(おほとねりべの)千文(ちふみ)。
4371　橘の下吹く風のかぐはしき筑波(つくは)の山を恋ひずあらめかも
　　　　　右の一首は、助丁(すけのよほろ)、占部廣方(ひろかた)。
4372　足柄(あしがら)の　御坂た廻(まは)り　顧みず　吾(あれ)は越(く)え行く
　　　荒し男(を)も　立しや憚る　不破の関　越(く)えて我(わ)は行く
　　　馬(むま)の爪　筑紫の崎に　留(ち)まり居て　吾(あれ)は斎(いは)はむ
　　　諸々は　幸(さけ)くと申す　還り来まてに
　　　　　右の一首は、倭文部(しつりべの)可良麿(からまろ)。
　　　　　二月の十四日、常陸の国の部領防人使(ことりさきもりつかひ)、大目(おほきふみひと)
　　　　　正七位上(おほきななつのくらゐのかみつしな)息長(おきながの)真人(まひと)國島(くにしま)が進れる歌
　　　　　の数十七首。但し拙劣(つたな)き歌七首は、取載(あ)げず。

4373　今日よりは顧みなくて大王(おほきみ)の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ我は
　　　　　右の一首は、火長、今奉部(いままつりべの)與曽布(よそふ)。
4374　天地(あめつち)の神を祈りて幸矢(さつや)貫(ぬ)き筑紫の島を指して行(い)く我は
　　　　　右の一首は、火長、大田部荒耳(あらみみ)。
4375　松の木(け)の並(な)みたる見れば家人(いはびと)の我を見送ると立たりし如(もころ)
　　　　　右の一首は、火長、物部眞島(ましま)。
4376　旅ゆきに行くと知らずて母父(あもしし)に言申さずて今ぞ悔しけ
　　　　　右の一首は、寒川郡の上丁、川上巨老(おほおゆ)。
4377　母刀自(あもとじ)も玉にもがもや戴きて角髪(みづら)の中に合へ巻かまくも
　　　　　右の一首は、津守(つもり)宿禰小黒栖(をくるす)。
4378　月日(つくひ)やは過ぐは行けども母父(あもしし)が玉の姿は忘れせなふも
　　　　　右の一首は、都賀郡(つがのこほり)の上丁、中臣部足國(たりくに)。
4379　白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度(やたび)袖(そて)振る
　　　　　右の一首は、足利郡の上丁、大舎人部禰麿(ねまろ)。
4380　難波門(なにはと)を榜ぎ出て見れば神(かみ)さぶる生駒高嶺に雲そたなびく
　　　　　右の一首は、梁田郡(やなたのこほり)の上丁、大田部三成(みなり)。
4381　国々の防人集ひ船乗りて別るを見ればいともすべなし
　　　　　右の一首は、河内郡の上丁、神麻續部(かむをみべの)島麿。
4382　太小腹(ふたほがみ)悪しけ人なり疝病(あたゆまひ)我がする時に防人に差す
　　　　　右の一首は、那須郡の上丁、大伴部廣成。
4383　津の国の海の渚に船装ひ発(た)し出も時に母(あも)が目もがも
　　　　　右の一首は、塩屋郡の上丁、丈部足人(たりひと)。
　　　　　二月の十四日、下野(しもつけぬ)の国の防人部領使、正六位(おほきむつのくらゐの)
　　　　　上(かみつしな)田口朝臣大戸(おほと)が進れる歌の数十八首。但し拙劣(つたな)
　　　　　き歌七首は、取載(あ)げず。
4384　暁(あかとき)のかはたれ時に島陰(かぎ)を榜ぎにし船のたづき知らずも
　　　　　右の一首は、助丁(すけのよほろ)海上郡(うなかみのこほり)海上の国造、池田
　　　　　日奉直(ひまつりのあたへ)得大理(とこたり)。
4385　行(ゆ)こ先に波な音(と)動(ゑら)ひ後方(しるへ)には子をと妻をと置きてとも来ぬ
　　　　　右の一首は、葛餝郡(かづしかのこほり)私部(きさきべの)石島(いそしま)。
4386　我が門(かづ)の五本(いつもと)柳いつもいつも母(おも)が恋すな業(なり)ましつつも
　　　　　右の一首は、結城郡、矢作部(やはきべの)眞長(まなが)。
4387　千葉(ちは)の野の児手柏(このてかしは)の含(ほほ)まれどあやに愛(かな)しみ置きて発ち来ぬ
　　　　　右の一首は、千葉郡(ちはのこほり)、大田部足人。
4388　旅とへど真旅になりぬ家の妹(も)が着せし衣に垢付きにかり
　　　　　右の一首は、占部(うらべの)虫麿。
4389　潮舟の舳(へ)越そ白波急(には)しくも負ふせ賜(たま)ほか思はへなくに
　　　　　右の一首は、印波郡(いにはのこほり)、丈部直(はせつかべのあたへ)大歳(おほとし)。
4390　群玉(むらたま)の枢(くる)に釘刺し堅めとし妹が心は危(あよ)くなめかも
　　　　　右の一首は、サ島郡、刑部(おさかべの)志加麿(しかまろ)。
4391　国々の社(やしろ)の神に幣(ぬさ)奉(まつ)り贖(あが)乞ひすなむ妹が愛(かな)しさ
　　　　　右の一首は、結城郡、忍海部(おしぬみべの)五百麿(いほまろ)。
4392　天地(あめつし)のいづれの神を祈らばか愛(うつく)し母にまた言問はむ
　　　　　右の一首は、埴生郡(はにふのこほり)、大伴部麻與佐(まよさ)。
4393　大王の命にされば父母を斎瓮(いはひへ)と置きて参(まゐ)出来にしを
　　　　　右の一首は、結城郡、雀部(きさきべの)廣島。
4394　大王の命かしこみ夢(ゆみ)のみにさ寝か渡らむ長けこの夜を
　　　　　右の一首は、相馬郡、大伴部子羊(こひつじ)。
　　　　　二月の十六日、下総の国の防人部領使、少目従七位下
　　　　　縣犬養宿禰(あがたのいぬかひのすくね)浄人(きよひと)が進れる歌の数二十二首(はたちまりふたつ)。但し
　　　　　拙劣(つたな)き歌十一首は、取載(あ)げず。

独り龍田山の桜の花を惜しめる歌一首
4395　龍田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに
独り江水(え)に浮漂(うか)べる糞(こつみ)を見て、貝玉の依らざるを怨恨(うら)みてよめる歌一首
4396　堀江より朝潮満ちに寄る木糞(こつみ)貝にありせば苞(つと)にせましを
館(たち)の門(かど)にて、江南美女(をとめ)を見てよめる歌一首
4397　見渡せば向つ峯(を)の上(へ)の花にほひ照りて立てるは愛(は)しき誰が妻
　　　　　右の三首は、二月の十七日(とをかまりなぬかのひ)、兵部少輔大伴宿禰
　　　　　家持がよめる。

防人の情(こころ)に為りて思を陳べてよめる歌一首、また短歌
4398　大王の　命かしこみ　妻別れ　悲しくはあれど
　　　大夫の　心振り起し　取り装(よそ)ひ　門出をすれば
　　　たらちねの　母掻き撫で　若草の　妻は取りつき
　　　平らけく　我は斎(いは)はむ　好去(まさき)くて　早還り来(こ)と
　　　真袖もち　涙を拭(のご)ひ　むせびつつ　言問(ことどひ)すれば
　　　群鳥(むらとり)の　出で立ちかてに　とどこほり　かへり見しつつ
　　　いや遠に　国を来離れ　いや高に　山を越え過ぎ
　　　葦が散る　難波に来居て　夕潮に　船を浮けすゑ
　　　朝凪に　舳(へ)向け漕がむと　さもらふと　我が居(を)る時に
　　　春霞　島廻(み)に立ちて　鶴(たづ)が音の　悲しく鳴けば
　　　はろばろに　家を思ひ出　負征矢(おひそや)の　そよと鳴るまで　嘆きつるかも
反し歌
4399　海原に霞たなびき鶴(たづ)が音の悲しき宵は国方(くにへ)し思ほゆ
4400　家思ふと眠(い)を寝ず居れば鶴(たづ)が鳴く葦辺も見えず春の霞に
　　　　　右、十九日、兵部少輔大伴宿禰家持がよめる。

4401　唐衣(からころも)裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母(おも)なしにして
　　　　　右の一首は、国造、小縣郡(ちひさがたのこほり)、他田舎人(をさだのとねり)大島。
4402　ちはやぶる神の御坂に幣まつり斎ふ命は母父(おもちち)がため
　　　　　右の一首は、主帳、埴科郡(はにしなのこほり)、神人部(かむとべの)子忍男(こおしを)。
4403　大王の命かしこみ青雲(あをくむ)のとのびく山を越よて来ぬかむ
　　　　　右の一首は、小長谷部(をはつせべの)笠麿。
　　　　　二月の二十二日(はつかまりふつかのひ)、信濃の国の防人部領使、道にて
　　　　　病を得て来たらず。進れる歌の数十二首。但し拙劣(つたな)き
　　　　　歌九首は取載(あ)げず。

4404　難波道を行きて来(く)まてと我妹子が付けし紐が緒絶えにけるかも
　　　　　右の一首は、助丁(すけのよほろ)、上毛野(かみつけぬの)牛甘(うしかひ)。
4405　我が妹子(いもこ)が偲ひにせよと付けし紐糸になるとも我(わ)は解かじとよ
　　　　　右の一首は、朝倉益人(ますひと)。
4406　我が家(いは)ろに行(ゆ)かも人もが草枕旅は苦しと告げやらまくも
　　　　　右の一首は、大伴部節麿(ふしまろ)。
4407　ひな曇り碓日(うすひ)の坂を越えしだに妹が恋しく忘らえぬかも
　　　　　右の一首は、他田部(をさだべの)子磐前(こいはさき)。
　　　　　二月の二十三日、上野(かみつけぬ)の国の防人部領使、大目
　　　　　正六位下(おほきむつのくらゐのしもつしな)上毛野君駿河が進れる歌の数十
　　　　　二首。但し拙劣(つたな)き歌八首は取載(あ)げず。

防人の悲別(わかれ)の情(こころ)を陳ぶる歌一首、また短歌
4408　大王の　任(まけ)のまにまに　島守(さきもり)に　我が発ち来れば
　　　ははそ葉の　母の命は　御裳(みも)の裾　摘み上げ掻き撫で
　　　ちちの実の　父の命は　栲綱(たくづぬ)の　白髭の上ゆ
　　　涙垂り　嘆きのたばく　鹿子(かこ)じもの　ただ独りして
　　　朝戸出の　愛(かな)しき吾(あ)が子　あら玉の　年の緒長く
　　　相見ずは　恋しくあるべし　今日だにも　言問(ことどひ)せむと
　　　惜しみつつ　悲しびいませ　若草の　妻も子どもも
　　　をちこちに　さはに囲み居　春鳥の　声のさまよひ
　　　白妙の　袖泣き濡らし　たづさはり　別れかてにと
　　　引き留め　慕ひしものを　天皇(おほきみ)の　命かしこみ
　　　玉ほこの　道に出で立ち　岡の崎　い廻(たむ)むるごとに
　　　万(よろづ)たび　かへり見しつつ　はろばろに　別れし来れば
　　　思ふそら　安くもあらず　恋ふるそら　苦しきものを
　　　うつせみの　世の人なれば　玉きはる　命も知らず
　　　海原の　恐(かしこ)き道を　島伝ひ　い榜ぎ渡りて
　　　あり巡り　我が来るまでに　平らけく　親はいまさね
　　　つつみなく　妻は待たせと　住吉(すみのえ)の　吾(あ)が統神(すめかみ)に
　　　幣(ぬさ)まつり　祈り申(まう)して　難波津に　船を浮け据ゑ
　　　八十楫(やそか)貫(ぬ)き　水手(かこ)ととのへて　朝開き　我(わ)は榜ぎ出ぬと
　　　家に告げこそ
反し歌
4409　家人(いへびと)の斎へにかあらむ平らけく船出はしぬと親に申(まう)さね
4410　み空行く雲も使と人は言へど家苞(いへづと)遣らむたづき知らずも
4411　家苞に貝そ拾(ひり)へる浜波はいやしくしくに高く寄すれど
4412　島陰に我が船泊てて告げやらむ使を無みや恋ひつつ行かむ
　　　　　二月の二十三日、兵部少輔大伴宿禰家持。

4413　枕太刀腰に取り佩き真憐(まかな)しき夫(せ)ろが罷(ま)き来む月の知らなく
　　　　　右の一首は、上丁(かみつよほろ)、那珂郡、檜前舎人(ひのくまのとねり)石前(いはさき)が妻(め)、
　　　　　大伴眞足女(またりめ)。
4414　大王の命かしこみ愛(うつく)しけ真子が手離れ島伝ひ行く
　　　　　右の一首は、助丁(すけのよほろ)、秩父郡、大伴部小歳(をとし)。
4415　白玉を手に取り持(も)して見るのすも家なる妹をまた見てもやも
　　　　　右の一首は、主帳(ふみひと)、荏原郡(えはらのこほり)、物部歳徳(としとこ)。
4416　草枕旅ゆく夫汝(せな)が丸寝(まるね)せば家なる我は紐解かず寝む
　　　　　右の一首は、妻(め)椋椅部(くらはしべの)刀自賣(とじめ)。
4417　赤駒を山野に放(はか)し捕りかにて多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣らむ
　　　　　右の一首は、豊島郡の上丁、椋椅部荒虫(あらむし)が妻(め)、
　　　　　宇遲部(うぢべの)黒女(くろめ)。
4418　我が門の片山椿まこと汝(なれ)我が手触れなな土に落ちもかも
　　　　　右の一首は、荏原郡の上丁、物部廣足(ひろたり)。
4419　家(いは)ろには葦火(あしふ)焚けども住みよけを筑紫に至りて恋しけ思(も)はも
　　　　　右の一首は、橘樹郡(たちばなのこほり)の上丁、物部眞根(まね)。
4420　草枕旅の丸寝の紐絶えば吾(あ)が手と付けろこれの針(はる)持(も)し
　　　　　右の一首は、妻(め)、椋椅部弟女(おとめ)。
4421　我が行きの息づくしかば足柄の峰這(は)ほ雲を見とと偲(しぬ)はね
　　　　　右の一首は、都筑郡(つつきのこほり)の上丁、服部(はとりべの)於由(おゆ)。
4422　我が夫汝(せな)を筑紫へ遣りて愛(うつく)しみ帯は解かなな奇(あや)にかも寝も
　　　　　右の一首は、妻(め)服部呰女(あため)。
4423　足柄の御坂に立(た)して袖振らば家(いは)なる妹はさやに見もかも
　　　　　右の一首は、埼玉郡(さきたまのこほり)の上丁、藤原部等母麿(ともまろ)。
4424　色深(ぶか)く夫汝(せな)が衣は染めましを御坂廻(たば)らばまさやかに見む
　　　　　右の一首は、妻(め)物部刀自賣。
　　　　　二月の二十幾日(はつかまりいくかのひ)、武藏(むざし)の国の部領防人使、
　　　　　掾(まつりごとひと)正六位上安曇(あづみ)宿禰三國が進れる歌の数
　　　　　二十首。但し拙劣(つたな)き歌八首は取載(あ)げず。

4425　防人にゆくは誰が夫(せ)と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思(も)ひもせず
4426　天地(あめつし)の神に幣(ぬさ)置き斎ひつついませ我が夫汝(せな)吾(あれ)をし思(も)はば
4427　家(いは)の妹ろ我(わ)を偲(しの)ふらし真結(ゆす)びに結(ゆす)びし紐の解くらく思(も)へば
4428　我が夫汝(せな)を筑紫は遣りて愛(うつく)しみ帯(えび)は解かなな奇(あや)にかも寝む
4429　馬屋なる縄断つ駒の後(おく)るがへ妹が言ひしを置きて悲しも
4430　荒し男(を)のい小箭(をさ)手挟(だはさ)み向ひ立ちかなるましづみ出でてと吾(あ)が来る
4431　笹が葉のさやく霜夜に七重(ななへ)着(か)る衣に増せる子ろが肌はも
4432　障(さ)へなへぬ命(みこと)にあれば愛(かな)し妹が手枕離れあやに悲しも
　　　　　右の八首は、昔年(さきつとし)の防人の歌なり。主典(ふみひと)刑部(うたへのつかさの)
　　　　　少録(すなきふみひと)正七位上(おほきななつのくらゐのかみつしな)磐余(いはれの)伊美吉(いみき)諸君(もろきみ)が、
　　　　　抄写(かきつけ)て兵部少輔大伴宿禰家持に贈れり。

三月(やよひ)の三日(みかのひ)、防人を検校(かむが)ふる勅使(みかどつかひ)、また兵部(つはもののつかさ)の使人等(つかひども)、同(とも)に集ひて飲宴(うたげ)するときよめる歌三首
4433　朝な朝(さ)な上がる雲雀になりてしか都に行きて早還り来む
　　　　　右の一首は、勅使、紫微(しび)の大弼(おほきすけ)安倍沙美麿(さみまろ)の朝臣。
4434　雲雀あがる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく
4435　含(ふふ)めりし花の初めに来(こ)し我や散りなむ後に都へ行かむ
　　　　　右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持。

昔年(さきつとし)相替はれる防人が歌一首
4436　闇の夜の行く先知らず行く我をいつ来まさむと問ひし子らはも

先の太上天皇(おほきすめらみこと)の霍公鳥を御製(みよみ)ませる歌(おほみうた)一首
4437　霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな吾(あ)を音(ね)し泣くも
薩妙觀(さつめうくわむ)が詔を応(うけたま)はりて和へ奉れる歌一首
4438　霍公鳥ここに近くを来鳴きてよ過ぎなむ後に験(しるし)あらめやも

冬の日、靱負(ゆけひ)の御井(みゐ)に幸(いで)ましし時、内命婦(うちのひめとね)石川朝臣 諱曰邑婆 詔を応(うけたま)はりて雪を賦(よ)める歌一首 
4439　松が枝の土に着くまで降る雪を見ずてや妹が籠り居るらむ
　　　　　その時、水主内親王(みぬしのひめみこ)、寝膳安からず。累日参りたまはず。
　　　　　因(かれ)此の日太上天皇、侍嬬(みやをみな)等に勅(の)りたまはく、水主内親王
　　　　　の為に、雪を賦みて奉献(たてまつ)れとのりたまへり。是に諸(もろもろ)の
　　　　　命婦(ひめとね)等、作歌(うたよみ)し堪(か)ねたれば、此の石川命婦、独り此の歌
　　　　　を作(よ)みて奏(まを)せりき。
　　　　　右の件の四首(ようた)は、上総の国の大掾(おほきまつりごとひと)正六位上(おほきむつのくらゐのかみつしな)
　　　　　大原真人今城(いまき)伝へ誦(よ)めりき。年月未詳。

上総の国の朝集使(まゐうごなはるつかひ)大掾大原真人今城が京(みやこ)に向かへる時、郡司(こほりのつかさ)の妻女等(めら)が餞(うまのはなむけ)せる歌二首
4440　足柄の八重山越えていましなば誰をか君と見つつ偲はむ
4441　立ち萎(しな)ふ君が姿を忘れずば世の限りにや恋ひ渡りなむ

五月(さつき)の九日(ここのかのひ)、兵部少輔大伴宿禰家持が宅(いへ)にて集飲(うたげ)せる歌四首
4442　我が背子が屋戸の撫子日並べて雨は降れども色も変らず
　　　　　右の一首は、大原真人今城。
4443　久かたの雨は降りしく撫子がいや初花に恋しき我が兄(せ)
　　　　　右の一首は、大伴宿禰家持。
4444　我が背子が屋戸なる萩の花咲かむ秋の夕へは我を偲はせ
　　　　　右の一首は、大原真人今城。
4445　鴬の声は過ぎぬと思へども染(し)みにし心なほ恋ひにけり
　　　　　右の一首は、即ち鴬の哢(な)くを聞きてよめる。大伴宿禰家持。

同じ月の十一日(とをかまりひとひのひ)、左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の卿(まへつきみ)の、右大弁(みぎのおほきおほともひ)丹比國人真人が宅に宴したまふ歌三首
4446　我が屋戸に咲ける撫子幣(まひ)はせむゆめ花散るないやをちに咲け
　　　　　右の一首は、丹比國人真人が左大臣を寿(ことほ)く歌。
4447　幣しつつ君が生(お)ほせる撫子が花のみ問はむ君ならなくに
　　　　　右の一首は、左大臣の和へたまふ歌。
4448　あぢさゐの八重咲くごとく弥(や)つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ
　　　　　右の一首は、左大臣の、味狭藍(あぢさゐ)の花に寄せて詠みたまへる。

十八日(とをかまりやかのひ)、左大臣の、兵部卿(つはもののつかさのかみ)橘(たちばなの)奈良麿(ならまろの)朝臣(あそみ)が宅に宴したまふ歌一首
4449　撫子が花取り持ちてうつらうつら見まくの欲しき君にもあるかも
　　　　　右の一首は、治部卿(をさむるつかさのかみ)船王(ふねのおほきみ)。
4450　我が背子が屋戸の撫子散らめやもいや初花に咲きは増すとも
4451　愛(うるは)しみ吾(あ)が思(も)ふ君は撫子が花になそへて見れど飽かぬかも
　　　　　右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持が追ひてよめる。

八月(はつき)の十三日(とをかまりみかのひ)、内の南の安殿(やすみとの)にて、肆宴(とよのあかり)したまへるときの歌二首
4452　官女(をとめ)らが玉裳(たまも)裾曳くこの庭に秋風吹きて花は散りつつ
　　　　　右の一首は、内匠頭(うちのたくみのかみ)播磨守(はりまのかみ)兼(か)けたる正四位下(おほきよつのくらゐのしもつしな)
　　　　　安宿王(あすかべのおほきみ)奏(まを)したまへり。
4453　秋風の吹き扱(こ)き敷ける花の庭清き月夜(つくよ)に見れど飽かぬかも
　　　　　右の一首は、兵部少輔従五位上(ひろきいつつのくらゐのかみつしな)大伴宿禰家持。未奏。

十一月(しもつき)の二十八日(はつかまりやかのひ)、左大臣、兵部卿橘奈良麿朝臣が宅に集ひて、宴したまふ歌三首
4454　高山の巌(いはほ)に生ふる菅(すが)の根のねもころごろに降り置く白雪
　　　　　右の一首は、左大臣のよみたまへる。

天平(てむひやう)元年(はじめのとし)、班田(たあがつ)時の使葛城王(かづらきのおほきみ)の、山背の国より、薩妙觀(さつめうくわむ)の命婦(ひめとね)等が所(もと)に贈りたまへる歌一首 芹子(セリ)ノ髱(ツト)ニ副ヘタリ
4455　あかねさす昼は田賜(た)びてぬば玉の夜のいとまに摘める芹これ
薩妙觀の命婦が報贈(こた)ふる歌一首
4456　大夫と思へるものを大刀佩きて可尓波(かには)の田居に芹そ摘みける
　　　　　右の二首は、左大臣読みあげたまへり。

〔天平勝宝〕八歳(やとせといふとし)丙申(ひのえさる)、二月の朔(つきたち)乙酉(きのととり)二十四日(はつかまりよかのひ)戊申(つちのえさる)、天皇(すめらみこと)、太上天皇(おほきすめらみこと)、〔太〕皇太后(おほみおや)、河内(かふち)の離宮(とつみや)に幸行(いでま)して、信信(よよ)を経て、壬子(みづのえね)に難波の宮に伝幸(うつりいでま)し、三月(おやじつき)の七日(はつかまりなぬかのひ)、河内の国の仗人(くれの)郷(さと)の馬史國人(うまのふひとくにひと)が家にて、宴したまへるときの歌三首
4457　住吉の浜松が根の下延(ば)へて我が見る小野の草な刈りそね
　　　　　右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持。
4458　にほ鳥の息長川(おきながかは)は絶えぬとも君に語らむ言(こと)尽きめやも
　　　　　右の一首は、主人(あろじ)散位寮(とねのつかさ)の散位(とね)馬史國人。
4459　葦刈ると堀江榜ぐなる楫の音は大宮人の皆聞くまでに
　　　　　右の一首は、式部少丞(のりのつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰池主
　　　　　読みあぐ。即ち云へらく、兵部大丞(つはもののつかさのおほきまつりごとひと)
　　　　　大原真人今城、先つ日他所(あだしところ)にて読みあげし歌な
　　　　　りといへり。
4460　堀江榜ぐ伊豆製(て)の船の楫つくめ音しば立ちぬ水脈(みを)速みかも
4461　堀江より水脈さかのぼる楫の音(と)の間なくそ奈良ば恋しかりける
4462　舟競(ふなぎほ)ふ堀江の川の水際(みなきは)に来居つつ鳴くは都鳥かも
　　　　　右の三首は、江(え)の辺(べ)にてよめる。
4463　霍公鳥まづ鳴く朝明(あさけ)いかにせば我が門過ぎじ語り継ぐまで
4464　霍公鳥懸けつつ君を松陰に紐解き放くる月近づきぬ
　　　　　右の二首は、二十日、大伴宿禰家持興(こと)に依(つ)けてよめる。

族(やがら)を喩(さと)す歌一首、また短歌
4465　久かたの　天(あま)の門(と)開き　高千穂の　岳(たけ)に天降(あも)りし
　　　天孫(すめろき)の　神の御代より　梔弓(はじゆみ)を　手(た)握り持たし
　　　真鹿児矢(まかこや)を　手挟(たはさ)み添へて　大久米の　ますら健男(たけを)を
　　　先に立て　靫(ゆき)取り負ほせ　山川を　岩根さくみて
　　　踏み通り　国覓(ま)ぎしつつ　ちはやぶる　神を言向け
　　　まつろはぬ　人をも和(やは)し　掃き清め　仕へまつりて
　　　蜻蛉島(あきづしま)　大和の国の　橿原(かしばら)の　畝傍(うねび)の宮に
　　　宮柱　太知り立てて　天(あめ)の下　知らしめしける
　　　天皇(すめろき)の　天(あま)の日嗣(ひつぎ)と　次第(つぎて)来る　君の御代御代
　　　隠さはぬ　赤き心を　皇辺(すめらへ)に　極め尽して
　　　仕へくる　祖(おや)の職業(つかさ)と　事立(ことた)てて　授け賜へる
　　　子孫(うみのこ)の　いや継ぎ継ぎに　見る人の　語り継ぎてて
　　　聞く人の　鑑(かがみ)にせむを　惜(あたら)しき　清きその名そ
　　　疎(おほ)ろかに　心思ひて　虚言(むなこと)も　遠祖(おや)の名絶つな
　　　大伴の　氏と名に負へる　健男(ますらを)の伴
反し歌
4466　磯城島(しきしま)の大和の国に明らけき名に負ふ伴の男(を)心つとめよ
4467　剣大刀(つるぎたち)いよよ磨ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名そ
　　　　　右、淡海真人三船(あふみのまひとみふね)が讒言(よこ)せしに縁りて、出雲守大伴古慈悲(こじひの)宿禰
　　　　　任(つかさ)解けぬ。是以(かれ)家持此の歌をよめり。

臥病(や)みて常無きを悲しみ、修道(おこなひ)せまくしてよめる歌二首
4468　現身(うつせみ)は数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな
4469　渡る日の影に競(きほ)ひて尋ねてな清きその道またも会はむため

寿(いのち)を願ひてよめる歌一首
4470　水泡(みつぼ)なす仮れる身そとは知れれどもなほし願ひつ千年(ちとせ)の命を
　　　　　以前(かみ)の歌六首(むうた)は、六月(みなつき)の十七日(とをかまりなぬかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。

冬十一月(しもつき)の五日の夜、少雷起鳴(かみなり)、雪散覆庭(ゆきふれり)。忽懐感憐(かなしみて)よめる短歌(みじかうた)一首
4471　消(け)残りの雪にあへ照るあしひきの山橘を苞(つと)に摘み来な
　　　　　右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持。

八日、讃岐守(さぬきのかみ)安宿王(あすかべのおほきみ)等(たち)、出雲掾(いずものまつりごとひと)安宿奈杼麿(あすかべのなどまろ)が家に集ひて、宴したまふ歌二首
4472　大王の命かしこみ於保(おほ)の浦を背向(そがひ)に見つつ都へのぼる
　　　　　右の一首は、掾安宿奈杼麿。
4473　うち日さす都の人に告げまくは見し日のごとくありと告げこそ
　　　　　右の一首は、守(かみ)山背王(やましろのおほきみ)の歌なり。主人(あろじ)安宿奈杼麿(あすかべのなどまろ)
　　　　　語りけらく、奈杼麿朝集使(まゐうごなはるつかひ)に差され、京師(みやこ)に入(まゐ)て
　　　　　むとす。此に因りて餞(うまのはなむけ)する日、各(おのもおのも)歌をよみて、
　　　　　聊か所心(おもひ)を陳(の)ぶ。
4474　群鳥(むらとり)の朝立ち去(い)にし君が上はさやかに聞きつ思ひしごとく
　　　　　右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持、後日(のち)に出雲守山背王
　　　　　の歌に追ひて和ふる作(うた)。

二十三日(はつかまりみかのひ)、式部少丞(のりのつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰池主が宅に集ひて、飲宴(うたげ)する歌二首
4475　初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我は見つつ偲はむ
4476　奥山の樒(しきみ)が花の名のごとやしくしく君に恋ひ渡りなむ
　　　　　右の二首は、兵部大丞(つはもののつかさのおほきまつりごとひと)大原真人今城。

智努女王(ちぬのおほきみ)の卒(みうせ)たまへる後、圓方女王(まとかたのおほきみ)の悲傷(かなし)みてよみたまへる歌一首
4477　夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ

大原櫻井(さくらゐの)真人が、佐保川の辺(ほとり)を行く時、よめる歌一首
4478　佐保川に凍りわたれる薄氷(うすらび)の薄き心を我が思はなくに

藤原の夫人(おほとじ)の歌一首 浄御原ノ宮ニ御宇(アメノシタシロシメ)シシ天皇ノ夫人ナリ。字ヲ氷上大刀自(ヒガミオホトジ)ト曰ヘリ
4479　朝宵に音(ね)のみし泣けば焼き大刀の利心(とごころ)も吾(あれ)は思ひかねつも
4480　畏(かしこ)きや天(あめ)の朝廷(みかど)を懸けつれば音のみし泣かゆ朝宵にして
　　　　　右の件の四首、伝へ読むは兵部大丞大原今城。

〔勝宝〕九歳(ここのせといふとし)三月の四日、兵部大丞大原真人今城が宅にて、宴する歌二首
4481　あしひきの八峯(やつを)の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君
　　　　　右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持が植椿(つばき)を属(み)てよめる。
4482　堀江越え遠き里まて送り来(け)る君が心は忘らゆまじも
　　　　　右の一首は、播磨介藤原朝臣執弓(とりゆみ)、任(まけところ)に赴(ゆ)くときの
　　　　　別悲(わかれ)の歌なり。主人大原今城伝へ読めりき。

〔勝宝九歳〕六月の二十三日、大監物(おほきおろしもののつかさ)三形王(みかたのおほきみ)の宅にて、宴する歌一首
4483　移りゆく時見るごとに心痛く昔の人し思ほゆるかも
　　　　　右、兵部大輔(つはもののつかさのおほきすけ)大伴宿禰家持がよめる。

4484　咲く花は移ろふ時ありあしひきの山菅(やますが)の根し長くはありけり
　　　　　右の一首は、大伴宿禰家持が、物色(もの)の変化(うつ)ろへるを悲伶(かなし)みてよめる。

4485　時の花いや愛(め)づらしもかくしこそ見(め)し明らめめ秋立つごとに
　　　　　右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。

天平(てむひやう)宝字(はうじ)元年(はじめのとし)十一月(しもつき)の十八日、内裏(おほうち)にて肆宴(とよのあかり)きこしめす歌二首
4486　天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ
　　　　　右の一首は、皇太子(ひつぎのみこ)の御歌。
4487　いざ子ども狂行(たはわざ)なせそ天地の堅めし国そ大和島根は
　　　　　右の一首は、内相藤原朝臣奏(まを)したまふ。

十二月(しはす)の十八日、大監物三形王の宅にて、宴する歌三首
4488　み雪降る冬は今日のみ鴬の鳴かむ春へは明日にしあるらし
　　　　　右の一首は、主人三形王。
4489　打ち靡く春を近みかぬば玉の今宵の月夜霞みたるらむ
　　　　　右の一首は、大蔵大輔(おほくらのつかさのおほきすけ)甘南備(かむなびの)伊香(いかごの)真人。
4490　あら玉の年往き還り春立たばまづ我が屋戸に鴬は鳴け
　　　　　右の一首は、右中弁(みぎのなかのおほともひ)大伴宿禰家持。
4491　大き海の水底(みなそこ)深く思ひつつ裳引き平(なら)しし菅原の里
　　　　　右の一首は、藤原宿奈麿朝臣が妻(め)石川女郎(いしかはのいらつめ)が、
　　　　　薄愛離別(したしみおとろへてのち)、悲恨(かなし)みてよめる歌なり。年月未詳。

二十三日、治部少輔大原今城真人が宅にて、宴する歌一首
4492　月数(よ)めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか
　　　　　右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

二年(ふたとせといふとし)春正月(むつき)の三日、侍従(おもとひと)・堅子(ちひさわらは)・王臣等(おほきみたちおみたち)を召して、内裏(おほうち)の東(ひむかし)の屋の垣下(みかきもと)に侍(さもら)はしめ、玉箒(たまばはき)を賜ひて肆宴きこしめす。時に内相藤原朝臣勅(みことのり)を奉(うけたまは)りて、宣(のりたま)はく、諸王卿等(おほきみたちまへつきみたち)、随堪任意(こころのまにま)歌よみ詩(ふみ)賦(つく)れとのりたまへり。仍(かれ)詔旨(みことのり)のまにま、各(おのもおのも)心緒(おもひ)を陳(の)べて歌よみ詩(ふみ)賦(つく)れり。諸人ノ賦レル詩マタ作メル歌ヲ得ズ。
4493　初春の初子(はつね)の今日の玉箒(たまばはき)手に取るからに揺らく玉の緒
　　　　　右の一首は、右中弁(みぎのなかのおほともひ)大伴宿禰家持がよめる。
　　　　　但し大蔵(おほくらのつかさ)の政(まつりごと)に依りて、え奏(まを)さざりき。
4494　水鳥の鴨の羽(は)の色の青馬を今日見る人は限りなしといふ
　　　　　右の一首は、七日の侍宴(とよのあかり)の為に、右中弁大伴宿禰
　　　　　家持、此の歌を預(あらかじ)めよめり。但し仁王会(おがみ)の事に
　　　　　依り、六日(むかのひ)、内裏(おほうち)に諸王(もろもろのおほきみたち)卿等(まへつきみたち)を召し
　　　　　て、酒を賜ひ肆宴(とよのあかり)きこしめし、禄(もの)給へるに因りて
　　　　　奏さざりき。

六日、内庭(おほには)に仮に樹木(き)を植ゑて、林帷(かきしろ)と作(し)て、肆宴きこしめす歌一首
4495　打ち靡く春ともしるく鴬は植木の木間(こま)を鳴き渡らなむ
　　　　　右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。未奏。

二月の某日(それのひ)、式部大輔(のりのつかさのおほきすけ)中臣清麿朝臣が宅にて、宴する歌十首(とを)
4496　恨めしく君はもあるか屋戸の梅の散り過ぐるまで見しめずありける
　　　　　右の一首は、治部少輔大原今城真人。
4497　見むと言はば否(いな)と言はめや梅の花散り過ぐるまて君が来まさぬ
　　　　　右の一首は、主人中臣清麿朝臣。
4498　愛(は)しきよし今日の主人(あろじ)は磯松の常にいまさね今も見るごと
　　　　　右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4499　我が背子しかくし聞こさば天地の神を乞(こ)ひ祈(の)み長くとそ思ふ
　　　　　右の一首は、主人(あろじ)中臣清麿朝臣。
4500　梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしぬに君をしそ思ふ
　　　　　右の一首は、治部大輔(をさむるつかさのおほきすけ)市原王(いちはらのおほきみ)。
4501　八千種の花は移ろふ常盤(ときは)なる松のさ枝を我は結ばな
　　　　　右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4502　梅の花咲き散る春の長き日を見れども飽かぬ磯にもあるかも
　　　　　右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。
4503　君が家の池の白波磯に寄せしばしば見とも飽かむ君かも
　　　　　右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4504　うるはしと吾(あ)が思(も)ふ君はいや日日(ひけ)に来ませ我が背子絶ゆる日なしに
　　　　　右の一首は、主人中臣清麿朝臣。
4505　磯の裏に常呼び来棲む鴛鴦(をしどり)の惜しき吾(あ)が身は君がまにまに
　　　　　右の一首は、治部少輔大原今城真人。

興(とき)に依(つ)けて、各(おのもおのも)高圓(たかまと)の離宮処(とつみやところ)を思(しぬ)ひてよめる歌五首
4506　高圓の野の上(うへ)の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば
　　　　　右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4507　高圓の峰(を)の上(うへ)の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや
　　　　　右の一首は、治部少輔大原今城真人。
4508　高圓の野辺はふ葛(くず)の末つひに千代に忘れむ我が大王かも
　　　　　右の一首は、主人中臣清麿朝臣。
4509　延(は)ふ葛の絶えず偲はむ大王の見(め)しし野辺には標(しめ)結ふべしも
　　　　　右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4510　大王の継ぎて見(め)すらし高圓の野辺見るごとに音(ね)のみし泣かゆ
　　　　　右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。

山斎(しまのいへ)を属目(み)てよめる歌三首
4511　鴛鴦(をし)の棲む君がこの山斎(しま)今日見れば馬酔木(あしび)の花も咲きにけるかも
　　　　　右の一首は、大監物御方王(みかたのおほきみ)。
4512　池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を袖(そて)に扱入(こき)れな
　　　　　右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4513　磯影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも
　　　　　右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。

二月の十日、内相の宅にて、渤海(ぼかいに)大使(つかはすつかひのかみ)小野田守(たもりの)朝臣等(ら)を餞(うまのはなむけ)する宴の歌一首
4514　青海原(あをうなはら)風波なびき往くさ来(く)さ障(つつ)むことなく船は速けむ
　　　　　右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。未誦之。

七月の五日、治部少輔大原今城真人が宅にて、因幡守(いなばのかみ)大伴宿禰家持を餞(うまのはなむけ)する宴の歌一首
4515　秋風の末吹き靡く萩の花ともに挿頭(かざ)さず相か別れむ
　　　　　右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。

三年(みとせといふとし)春正月(むつき)の一日(つきたちのひ)、因幡の国の庁(まつりごととの)にて、国郡司等(つかさびとら)を賜饗(あへ)する宴の歌一首
4516　新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
　　　　　右の一首は、守(かみ)大伴宿禰家持がよめる。    </description>
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      巻第十七(とをまりななまきにあたるまき)

天平(てむひやう)二年(ふたとせといふとし)庚午(かのえうま)冬十一月(しもつき)、太宰帥(おほみこともちのかみ)大伴の卿(まへつきみ)の、大納言(おほきものまをすつかさ)に任(よ)さされ 帥を兼ねたまふこと旧の如し、京(みやこ)に上りたまふ時、陪従人(ともひと)ら、海路(うみつぢ)に別れて京に入(むか)へり。是に羇旅(たび)を悲傷(かなし)み、各(おのもおのも)所心(おもひ)を陳べてよめる歌十首(とを)
3890　我が背子を吾(あ)が松原よ見渡せば海人娘子(あまをとめ)ども玉藻刈る見ゆ
　　　　　右の一首(ひとうた)は、三野連石守(みぬのむらじいそもり)がよめる。
3891　荒津の海潮干潮満ち時はあれどいづれの時か吾(あ)が恋ひざらむ
3892　磯ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ磯の知らなく
3893　昨日こそ船出はせしか鯨魚(いさな)取り比治奇(ひぢき)の灘を今日見つるかも
3894　淡路島門(と)渡る船の楫間にも吾(あれ)は忘れず家をしそ思ふ
3895　玉はやす武庫の渡りに天伝ふ日の暮れ行けば家をしそ思ふ
3896　家にてもたゆたふ命波の上に浮きてし居れば奥処(おくか)知らずも
3897　大海の奥処も知らず行く我をいつ来まさむと問ひし子らはも
3898　大船の上にし居(を)れば天雲のたどきも知らずうたがた我が背
3899　海人娘子漁(いざ)り焚く火の朧(おほほ)しく角(つぬ)の松原思ほゆるかも
　　　　　右の九首(ここのうた)は、作者(よみびと)不審姓名(しらず)。

十年(ととせといふとし)七月(ふみつき)の七日(なぬか)の夜、独り天漢(あまのがは)を仰(み)て懐(おも)ひを述ぶる歌一首
3900　織女(たなばた)し船(ふな)乗りすらし真澄鏡(まそかがみ)清き月夜(つくよ)に雲立ち渡る
　　　　　右の一首(ひとうた)は、大伴宿禰家持がよめる。

十二年(ととせまりふたとせといふとし)十一月(しもつき)九日(ここのかのひ)、太宰(おほみこともち)の時の梅の花の歌を追ひて和(よ)める新歌(にひうた)六首
3901　御冬過ぎ春は来たれど梅の花君にしあらねば折る人もなし
3902　梅の花み山と繁(しみ)にありともやかくのみ君は見れど飽かにせむ
3903　春雨に萌えし柳か梅の花ともに後れぬ常の物かも
3904　梅の花いつは折らじと厭はねど咲きの盛りは惜しきものなり
3905　遊ぶ日の楽(たぬ)しき庭に梅柳折り挿頭(かざ)してば思ひ無みかも
3906　御苑生(みそのふ)の百木の梅の散る花の天(あめ)に飛び上がり雪と降りけむ
　　　　　右、大伴宿禰家持がよめる。

十二年(ととせまりみとせといふとし)の二月(きさらぎ)、三香原(みかのはら)の新都(にひみやこ)を讃むる歌一首、また短歌(みじかうた)	
3907　山背(やましろ)の　久迩(くに)の都は　春されば　花咲き撓(をを)り
　　　秋されば　黄葉(もみちば)にほひ　帯ばせる　泉の川の
　　　上つ瀬に　打橋渡し　淀瀬には　浮橋渡し
　　　あり通ひ　仕へまつらむ　万代までに
反し歌
3908　楯並(たたな)めて泉の川の水脈(みを)絶えず仕へまつらむ大宮所
　　　　　右、右馬頭(みぎのうまのつかさのかみ)境部宿禰老麿(さかひべのすくねおゆまろ)がよめる。

四月(うつき)の二日(ふつかのひ)、霍公鳥(ほととぎす)を詠める歌二首
3909　橘は常花(とこはな)にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ
3910　玉に貫(ぬ)く楝(あふち)を家に植ゑたらば山霍公鳥離(か)れず来むかも
　　　　　右、大伴宿禰書持が奈良の宅(いへ)より兄家持に贈る。

四月の三日(みかのひ)、和ふる歌三首
橙橘(たちばな)初めて咲き、霍公鳥嚶(な)き飜(かへ)る。此の時候(とき)に対(あた)りて、なぞも志を暢(の)べざらむ。因(かれ)三首(みつ)の短歌をよみて、欝結(おほほ)しき緒(おもひ)を散(や)るにこそ
3911　足引(あしひき)の山辺(やまへ)に居(を)れば霍公鳥木の間立ち潜(く)き鳴かぬ日はなし
3912　霍公鳥何の心そ橘の玉貫く月し来鳴き響(とよ)むる
3913　霍公鳥楝の枝にゆきて居(ゐ)ば花は散らむな玉と見るまで
　　　　　右、内舎人(うちとねり)大伴宿禰家持が久迩の京より弟(おと)書持に報送(こた)ふ。

霍公鳥を思(しの)ふ歌一首　田口朝臣馬長(たぐちのあそみうまをさ)がよめる
3914　霍公鳥今し来鳴かば万代に語り継ぐべく思ほゆるかも
　　　　　右ハ伝ヘテ云ク、一時交遊集宴セリ。此ノ日
　　　　　此処ニ霍公鳥喧カズ。仍チ件ノ歌ヲ作ミテ、
　　　　　思慕ノ意ヲ陳ベリト。但其ノ宴ノ所ト年月ハ、
　　　　　詳審ラカニスルコトヲ得ズ。

山部宿禰赤人が春鴬(うぐひす)を詠める歌一首
3915　足引の山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声
　　　　　右ハ年月所処、詳審カニスルコトヲ得ズ。但
　　　　　聞キシ時ノ随ニ茲ニ記載ス。

十六年(ととせまりむとせといふとし)四月の五日(いつかのひ)、独り平城(なら)の故宅(ふるへ)に居りてよめる歌六首
3916　橘のにほへる香かも霍公鳥鳴く夜の雨にうつろひぬらむ
3917　霍公鳥夜声なつかし網ささば花は過ぐとも離れずか鳴かむ
3918　橘のにほへる苑に霍公鳥鳴くと人告ぐ網ささましを
3919　青丹よし奈良の都は古りぬれどもと霍公鳥鳴かずあらなくに
3920　鶉鳴き古しと人は思へれど花橘のにほふこの屋戸
3921　かきつはた衣に摺り付け大夫(ますらを)の着装(きそ)ひ猟する月は来にけり
　　　　　右、大伴宿禰家持がよめる。

十八年(ととせまりやとせといふとし)の正月(むつき)、白雪(ゆき)多く零り地(つち)に積むこと数寸(ふかし)。時に左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の卿(まへつきみ)、中納言(なかのものまをすつかさ)藤原豊成朝臣と諸王(おほきみたち)諸臣(おみたち)とを率(ゐ)て、太上天皇(おほきすめらみこと)の御在所(みあらか)中宮西院 に参入(まゐ)りて、供(つか)へ奉(まつ)りて雪を掃(はら)ふ。是に詔(みことのり)して大臣(おほまへつきみ)参議(おほまつりごとひと)また諸王をば大殿の上(へ)に侍(さもら)はしめ、諸卿大夫(まへつきみたち)をば南の細殿に侍はしめて、酒(おほみき)賜ひて肆宴(とよのあかり)す。勅(みことのり)したまはく、汝(いまし)諸王卿等(おほきみたち、まへつきみたち)、此の雪を賦(よ)みて、各(おのもおのも)其の歌を奏(まを)せとのりたまへり。
左大臣橘宿禰の詔を応(うけたま)はる歌一首
3922　降る雪の白髪までに大皇(おほきみ)に仕へまつれば貴くもあるか
紀朝臣清人(きのあそみきよひと)が詔を応はる歌一首
3923　天の下すでに覆ひて降る雪の光りを見れば貴くもあるか
紀朝臣男梶(をかぢ)が詔を応はる歌一首
3924　山の峡(かひ)そことも見えず一昨日(をとつひ)も昨日も今日も雪の降れれば
葛井連諸會(ふぢゐのむらじもろあひ)が詔を応はる歌一首
3925　新(あらた)しき年の初めに豊の年表(しる)すとならし雪の降れるは
大伴宿禰家持が詔を応はる歌一首
3926　大宮の内にも外(と)にも光るまで降れる白雪見れど飽かぬかも
　　　　　藤原豊成朝臣、巨勢奈弖麻呂朝臣、大伴牛養宿禰、
　　　　　藤原仲麻呂朝臣、三原王、智奴王、船王、邑知王、
　　　　　小田王、林王、穂積朝臣老、小田朝臣諸人、小野
　　　　　朝臣綱手、高橋朝臣国足、太朝臣徳太理、高丘連
　　　　　河内、秦忌寸朝元、楢原造東人。右の件(くだり)の王(おほきみ)
　　　　　卿(まへつきみ)たち、詔を応はりてよめる歌、次(つぎて)の依(まにま)
　　　　　に奏(まを)せりき。登時(すなはち)其の歌の漏失(もれ)しをば記さず。
　　　　　但(ただ)秦忌寸朝元は、左大臣橘の卿の謔(たは)ぶれて曰(のたま)は
　　　　　く、歌を賦み堪(あ)へずば、麝(かほりけだもの)以ちて贖(あがな)へと
　　　　　のりたまへり。此に因りて黙止(もだ)りき。

大伴宿禰家持、天平十八年閏七月(のちのふみつき)、越中国(こしのみちのなかのくに)の守(かみ)に任(ま)けられ、即ち七月に任所(まけどころ)に赴(ゆ)く。時に姑(をば)大伴坂上郎女が家持に贈れる歌二首
3927　草枕旅ゆく君を幸(さき)くあれと斎瓮(いはひへ)据ゑつ吾(あ)が床の辺(べ)に
3928　今のごと恋しく君が思ほえば如何にかも為むするすべの無さ
また越中国に贈る歌二首
3929　旅に去(い)にし君しも継ぎて夢(いめ)に見ゆ吾(あ)が片恋の繁ければかも
3930　道の中国つ御神は旅ゆきもし知らぬ君を恵みたまはな

平群氏女郎(へぐりうぢのいらつめ)が越中守大伴宿禰家持に贈れる歌十二首(とをまりふたつ)
3931　君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも
3932　須磨ひとの海辺常去らず焼く塩の辛(から)き恋をも吾(あれ)はするかも
3933　ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ
3934　なかなかに死なば安けむ君が目を見ず久ならばすべなかるべし
3935　隠沼(こもりぬ)の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
3936　草枕旅にしばしばかくのみや君を遣りつつ吾(あ)が恋ひ居らむ
3937　草枕旅去(い)にし君が帰り来む月日を知らむすべの知らなく
3938　かくのみや吾(あ)が恋ひ居らむぬば玉の夜の紐だに解き放(さ)けずして
3939　里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし吾(あれ)そ悔しき
3940　万代と心は解けて我が背子が抓(つ)みしを見つつ忍びかねつも
3941　鴬の鳴くくら谷に打ち嵌めて焼けはしぬとも君をし待たむ
3942　松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ
　　　　　右ノ件ノ十二首ノ歌ハ、時々ニ便使ニ寄セテ
　　　　　来贈ル。一度ニ送レルニハ在ラズ。

八月(はつき)の七日(なぬか)の夜、守大伴宿禰家持が館(たち)に集ひて宴する歌
3943　秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折り来る女郎花(をみなへし)かも
　　　　　右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。
3944　女郎花咲きたる野辺を行き廻り君を思ひ出徘徊(たもとほ)り来ぬ
3945　秋の夜は暁(あかとき)寒し白布(しろたへ)の妹が衣袖(ころもて)着むよしもがも
3946　霍公鳥鳴きて過ぎにし岡傍(び)から秋風吹きぬよしもあらなくに
　　　　　右の三首は、掾(まつりごとひと)大伴宿禰池主がよめる。
3947　今朝の朝明(あさけ)秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも
3948　天ざかる夷(ひな)に月経ぬしかれども結ひてし紐を解きも開けなくに
　　　　　右の二首は、守大伴宿禰家持がよめる。
3949　天ざかる夷にある我をうたがたも紐解き放けず思ほすらめや
　　　　　右の一首は、掾大伴宿禰池主。
3950　家にして結ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも
　　　　　右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。
3951　晩蝉(ひぐらし)の鳴きぬる時は女郎花咲きたる野辺を行きつつ見べし
　　　　　右の一首は、大目(おほきふみひと)秦忌寸八千島(はたのいみきやちしま)。
古歌(ふるうた)一首 大原高安真人ノ作。年月審ラカナラズ。但聞キシ時ノ随ニ茲ニ記載ス。
3952　妹が家に伊久里(いくり)の杜の藤の花今来む春も常かくし見む
　　　　　右の一首、伝へ誦(よ)むは僧(ほうし)玄勝(げむしやう)なり。
3953　雁がねは使ひに来むと騒くらむ秋風寒みその川の辺(べ)に
3954　馬並(な)めていざ打ち行かな澁谿(しぶたに)の清き磯廻(いそみ)に寄する波見に
　　　　　右の二首は、守大伴宿禰家持。
3955　ぬば玉の夜は更けぬらし玉くしげ二上(ふたがみ)山に月かたぶきぬ
　　　　　右の一首は、史生(ふみひと)土師宿禰道良(はにしのすくねみちよし)。

大目秦忌寸八千島が館に宴する歌一首
3956　奈呉の海人の釣する船は今こそは船棚(ふなだな)打ちて喘(あべ)て榜ぎ出め
　　　　　右、館ノ客屋ハ居ナガラニシテ蒼海ヲ望ム。
　　　　　仍テ主人八千島此歌ヲ作メリ。

長逝(みまか)れる弟(おと)を悲傷(かなし)む歌一首、また短歌(みじかうた)
3957　天ざかる　夷治めにと　大王の　任(まけ)のまにまに
　　　出でて来(こ)し　我を送ると　青丹よし　奈良山過ぎて
　　　泉川　清き河原に　馬駐(とど)め　別れし時に
　　　好去(まさき)くて　吾(あれ)還り来む　平らけく　斎(いは)ひて待てと
　　　語らひて　来(こ)し日の極み　玉ほこの　道をた遠み
　　　山川の　隔(へな)りてあれば　恋しけく　日(け)長きものを
　　　見まく欲り　思ふ間に　玉づさの　使の来(け)れば
　　　嬉しみと　吾(あ)が待ち問ふに　妖言(およづれ)の　狂言(たはこと)とかも
　　　愛(は)しきよし　汝弟(なおと)の命(みこと)　何しかも　時しはあらむを
　　　はたすすき　穂に出(づ)る秋の　萩の花　にほへる屋戸を 言フハ、斯ノ人、為性(ヒトトナリ)花草花樹ヲ好愛(コノ)ミテ多ク寝院ノ庭ニ植ヱタリ。故レ花薫フ庭ト謂ヘリ。
　　　朝庭に　出で立ち平(なら)し　夕庭に　踏み平らげず
　　　佐保の内の　里を往き過ぎ 佐保山ニ火葬(ヤキハフリ)セリ。故レ佐保ノウチノサトヲユキスギト謂ヘリ。
　　　足引の　山の木末(こぬれ)に　白雲に　立ち棚引くと　吾(あれ)に告げつる
3958　好去(まさき)くと言ひてしものを白雲に立ち棚引くと聞けば悲しも
3959　かからむとかねて知りせば越の海の荒磯(ありそ)の波も見せましものを
　　　　　右、天平十八年秋九月(ながつき)の二十五日(はつかまりいつかのひ)、越中守大伴
　　　　　宿禰家持が遥かに弟の喪を聞き感傷(かなし)みてよめるなり。

相(あ)へるを歓ぶ歌二首
3960　庭に降る雪は千重敷くしかのみに思ひて君を吾(あ)が待たなくに
3961　白波の寄する磯廻を榜ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君
　　　　　右、天平十八年八月、掾大伴宿禰池主が大帳使に
　　　　　附きて、京師(みやこ)に赴向(おもむ)き、同じ年の十一月(しもつき)、本の任(つかさ)
　　　　　に還到(かへ)れり。仍(かれ)宴して弾琴(ことふえ)の飲楽(あそび)せり。時に白雪(ゆき)
　　　　　降りて、地(つち)に積むこと尺余(ひとさかあまり)なり。復(また)漁夫(あま)の船、
　　　　　入海に瀾(なみ)に浮かぶ。爰に守大伴宿禰家持が二つの
　　　　　ものを眺(み)て、聊か所心(おもひ)を裁(の)ぶ。

十九年(ととせまりここのとせといふとし)春二月(きさらぎ)の二十日(はつかのひ)、忽ち病ひに沈み、殆(ほとほと)みうせなむとす。仍(かれ)歌詞(うた)をよみて、悲緒(かなしみ)を申(の)ぶる一首(ひとうた)、また短歌
3962　大王の　任(まけ)のまにまに　大夫(ますらを)の　心振り起こし
　　　足引の　山坂越えて　天ざかる　夷に下り来
　　　息だにも　いまだ休めず　年月も　いくらもあらぬに
　　　うつせみの　世の人なれば　打ち靡き　床に転(こ)い伏し
　　　痛けくし　日に異(け)に増さる　たらちねの　母の命の
　　　大船の　ゆくらゆくらに　下恋に　いつかも来むと
　　　待たすらむ　心寂(さぶ)しく　愛(は)しきよし　妻の命も
　　　明けくれば　門に寄り立ち　衣袖(ころもで)を　折り返しつつ
　　　夕されば　床打ち払ひ　ぬば玉の　黒髪敷きて
　　　いつしかと　嘆かすらむそ　妹(いも)も兄(せ)も　若き子どもは
　　　をちこちに　騒き泣くらむ　玉ほこの　道をた遠(どほ)み
　　　間使(まつかひ)も　遺るよしも無し　思ほしき　言伝(つ)て遣らず
　　　恋ふるにし　心は燃えぬ　玉きはる　命惜しけど
　　　為むすべの　たどきを知らに　かくしてや　荒夫(あらしを)すらに　嘆き伏せらむ
3963　世間(よのなか)は数なきものか春花の散りの乱(まが)ひに死ぬべき思へば
3964　山川の極(そきへ)を遠み愛(は)しきよし妹を相見ずかくや嘆かむ
　　　　　右、越中国の守の館にて、病に臥し悲傷みて、
　　　　　此の歌をよめり。

二十年(はたとせといふとし)二月の二十九日(はつかまりここのかのひ)、守大伴宿禰家持が掾大伴宿禰池主に贈れる悲しみの歌二首
忽に病ひに沈み、累旬痛苦す。百神を祷ひ恃みて、且消損を得れども、由ほ身体疼(いた)み羸(つか)れ、筋力怯軟(よは)くして、未だ謝を展るに堪へず。係恋弥よ深し。方今(いま)春の朝春の花、春の苑に流馥(にほ)ひ、春の暮春の鴬、春の林に囀(な)く。此の節候に対(あた)りて、琴樽翫(もてあそ)びつべし。乗興の感有りと雖も、策杖の労に耐へず。独り帷幄の裏に臥して、聊か寸分の歌をよみて、軽(かろがろ)しく机下に奉り、玉頤を解かむことを犯す。其の詞に曰く、
3965　春の花今は盛りににほふらむ折りて挿頭(かざ)さむ手力(たぢから)もがも
3966　鴬の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折り挿頭さむ
　　　　　天平二十年二月二十九日、大伴宿禰家持。

三月(やよひ)の二日、掾(まつりごとひと)大伴宿禰池主が守大伴宿禰家持に報贈(こた)ふる歌二首
忽に芳音を辱(かたじけなく)す。翰苑雲を凌ぎ、兼て倭詩(うた)を垂(たまは)る。詞林錦を舒べ、吟(うた)ひ詠(なが)めて能く恋緒をのぞく。春の朝の和気、固より楽しむべく、春の暮の風景、最も怜(たぬし)むべし。紅桃灼々とし、戯蝶花を回りて舞ひ、翠柳依々として、嬌鴬葉に隠りて歌ふ。楽しきかも。淡交席を促して、意を得て言を忘る。楽しきかも、美(うるは)しきかも。幽襟賞(いつく)しむに足れり。豈(あに)慮(はか)りきや、蘭蕙叢を隔て、琴樽用(つか)はるること無けむと。空しく令節を過さば、物色人を軽(あなづ)らむ。怨むる所此に有り。然黙止することを能はず。俗語に云く、藤を以て錦に続ぐと云へり。聊か談咲に擬するのみ。
3967　山峡(かひ)に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ
3968　鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
　　　　　沽洗(やよひ)の二日、掾大伴宿禰池主。

三月の三日(みかのひ)、守大伴宿禰家持が更に贈れる歌一首、また短歌
含弘の徳、恩を蓬体に垂れ、不貲の思、陋心に報へ慰めしむ。来眷を載荷し、喩ふる所に堪ふること無し。但稚き時、遊藝の庭に渉らず、横翰の藻、自ら彫虫に乏し。幼年山柿の門に逕らず、裁歌の趣、詞を叢林に失ふ。爰に藤を以て錦に続ぐといふ言を辱(かたじけな)くす。更に石を将て瓊に同じくする詠を題(しる)す。固(まこと)に俗愚懐癖、黙止すること能はず。仍(かれ)数行を捧げて、式て嗤咲に酬ふ。其の詞に曰く、
3969　大王(おほきみ)の　任(まけ)のまにまに　しなざかる　越を治めに
　　　出でて来し　ますら我すら　世間(よのなか)の　常し無ければ
　　　打ち靡き　床に臥い伏し　痛けくの　日に異に増せば
　　　悲しけく　ここに思ひ出　苛(いら)なけく　そこに思ひ出
　　　嘆くそら　安けなくに　思ふそら　苦しきものを
　　　足引の　山来隔(へな)りて　玉ほこの　道の遠けば
　　　間使も　遣るよしも無み　思ほしき　言も通はず
　　　玉きはる　命惜しけど　為むすべの　たどきを知らに
　　　隠(こも)り居て　思ひ嘆かひ　慰むる　心はなしに
　　　春花の　咲ける盛りに　思ふどち　手折り挿頭さず
　　　春の野の　茂み飛び漏(く)く　鴬の　声だに聞かず
　　　娘子らが　春菜摘ますと　紅の　赤裳の裾の
　　　春雨に　にほひ湿(ひ)づちて　通ふらむ　時の盛りを
　　　いたづらに　過ぐし遣りつれ　偲はせる　君が心を
　　　うるはしみ　この夜すがらに　眠(い)も寝ずに　今日もしめらに　恋ひつつそ居る
3970　足引の山桜花一目だに君とし見てば吾(あれ)恋ひめやも
3971　山吹の茂み飛び漏く鴬の声を聞くらむ君は羨(とも)しも
3972　出で立たむ力を無みと隠(こも)り居て君に恋ふるに心神(こころど)もなし
　　　　　三月(やよひ)の三日(みかのひ)、大伴宿禰家持。

晩春(やよひ)の三日、遊覧する七言の詩(からうた)一首、また序(はしかき)
上巳の名辰、暮春の麗景、桃花瞼(まなぶた)を照して、紅を分つ。柳の色苔を含みて緑を競ふ。時に手を携へて曠く江河の畔を望(みや)り、酒を訪ひて迥かに野客の家に過ぐ。既にして琴樽性を得、蘭契光を和らぐ。嗟乎、今日恨むる所は、徳星已に少きか。若し寂含の章を扣(たた)かずは、何を以てか逍遥の趣を抒(の)べむ。忽に短筆に課して、聊かに四韻を勒すなり。
　　　余春の媚日怜賞すべし
　　　上巳の風光覧遊するに足れり
　　　柳陌江に臨みてゲン服を縟(まだら)にし
　　　桃源海に通ひて仙舟を泛(うか)ぶ
　　　雲罍(うんらい)桂を酌みて三清湛へ
　　　羽爵人を催(うなが)して九曲流る
　　　縦(ほしきまま)に酔ひ陶心彼我を忘れ
　　　酩酊処として淹しく留らざること無し
　　　　　三月の四日(よかのひ)、大伴宿禰池主。

掾大伴宿禰池主が報贈(こた)ふる歌二首、また短歌
昨日短懐を述べ、今朝耳目を汗(けが)す。更に賜書を承り、且不次を奉る。死罪々々謹み言(まを)す。下賎を遺(わす)れず、頻に徳音を恵む。英雲星気、逸調人に過ぎたり。智水仁山、既に琳瑯の光彩を韜(つつ)み、潘江陸海、自ら詩書の廊廟に坐す。思ひを非常に騁せ、情を有理に託(つ)け、七歩に章を成し、数篇紙に満つ。巧に愁人の重患を遣り、能く恋者の積思を除く。山柿の歌泉、此に比ぶるに蔑(な)きが如し。彫龍の筆海、粲然として看ることを得。方に僕の幸有ることを知りぬ。敬みて和ふる歌、其の詞に云く、
3973　大王の　命畏み　足引の　山野(やまぬ)障(さは)らず
　　　天ざかる　夷も治むる　大夫(ますらを)や　なにか物思(も)ふ
　　　青丹よし　奈良道(ならぢ)来通ふ　玉づさの　使絶えめや
　　　隠(こも)り恋ひ　息づきわたり　下思(したもひ)に　嘆かふ我が背
　　　古ゆ　言ひ継ぎ来らく　世間(よのなか)は　数なきものそ
　　　慰むる　こともあらむと　里人の　吾(あれ)に告ぐらく
　　　山傍(び)には　桜花(さくらばな)散り　容鳥(かほとり)の　間なくしば鳴く
　　　春の野に　すみれを摘むと　白布(しろたへ)の　袖折り返し
　　　紅の　赤裳裾引き　娘子らは　思ひ乱れて
　　　君待つと　うら恋すなり　心ぐし　いざ見にゆかな　ことはたな知れ
3974　山吹は日に日に咲きぬうるはしと吾(あ)が思(も)ふ君はしくしく思ほゆ
3975　我が背子に恋ひすべなかり葦垣(あしかき)の外(ほか)に嘆かふ吾(あれ)し悲しも
　　　　　三月の五日、大伴宿禰池主。

守大伴宿禰家持が、また報贈(こた)ふる詩(からうた)一首、また短歌
昨暮使を来(たまは)る。幸なるかも、晩春遊覧の詩を垂れ、今朝信を累ぬ。辱(かなじけな)きかも、相招望野の歌を賜はる。一たび玉藻を看て、稍欝結を写し、二たび秀句を吟ひて、已に愁緒をのぞく。此の眺翫にあらずは、孰(たれ)か能く心を暢べむ。但惟(ただ)下僕(あれ)、禀性彫(ゑ)り難く、闇神瑩(みが)くこと靡し。翰を握れば毫を腐し、研に対へば渇を忘る。終日因流して、綴れども能はず。所謂(いはゆる)文章の天骨、習へども得ず。豈字を探り韻を勒して、雅篇に叶和するに堪へむ。抑々鄙里の少児に聞く、古の人言酬いざるは無しと。聊か拙詠を裁りて、敬みて解咲に擬す。如今(いま)言を賦し韻を勒し、斯の雅作の篇に同じくす。豈石を将て瓊に同じくし、声遊の走曲に唱ふるに殊ならむ。抑小児の濫謡に譬ふ。敬みて葉端に写し、式て乱に擬すに曰く、
　　　　七言一首
　　　抄春の余日媚景麗し
　　　初巳の和風払ひて自ら軽し
　　　来燕泥を銜えて宇を賀きて入る
　　　帰鴻廬を引きて迥(はる)かに瀛(おき)に赴く
　　　聞く君が嘯侶新たに曲を流すことを
　　　禊飲爵を催して河の清きに泛ぶ
　　　此の良宴を追尋せむと欲すれども
　　　還りて知りぬ染懊して脚のレイテイすることを
短歌二首
3976　咲けりとも知らずしあらば黙(もだ)もあらむこの山吹を見せつつもとな
3977　葦垣の外(ほか)にも君が寄り立たし恋ひけれこそは夢に見えけれ
　　　　三月の五日、大伴宿禰家持が病み臥(こ)やりてよめる。

恋の緒(こころ)を述ぶる歌一首、また短歌
3978　妹も吾(あれ)も　心は同(おや)じ　たぐへれど　いやなつかしく
　　　相見れば　常初花(とこはつはな)に　心ぐし　目ぐしもなしに
　　　愛(は)しけやし　吾(あ)が奥妻　大王の　命畏み
　　　足引の　山越え野行き　天ざかる　夷治めにと
　　　別れ来(こ)し　その日の極み　あら玉の　年行き返り
　　　春花の　うつろふまでに　相見ねば　甚(いた)もすべ無み
　　　敷布(しきたへ)の　袖返しつつ　寝る夜おちず　夢には見れど
　　　うつつにし　直(ただ)にあらねば　恋しけく　千重に積もりぬ
　　　近くあらば　帰りにだにも　うち行きて　妹が手枕
　　　差し交へて　寝ても来(こ)ましを　玉ほこの　道はし遠(どほ)く
　　　関さへに　隔(へな)りてあれこそ　よしゑやし　よしはあらむそ
　　　霍公鳥　来鳴かむ月に　いつしかも　早くなりなむ
　　　卯の花の　にほへる山を　外(よそ)のみも　振り放け見つつ
　　　近江路(あふみぢ)に　い行き乗り立ち　青丹よし　奈良の吾家(わがへ)に
　　　鵺鳥(ぬえとり)の　うら嘆(な)げしつつ　下恋に　思ひうらぶれ
　　　門に立ち　夕占(ゆふけ)問ひつつ　吾(あ)を待つと　寝(な)すらむ妹を　逢ひて早見む
3979　あら玉の年返るまで相見ねば心も萎(しぬ)に思ほゆるかも
3980　ぬば玉の夢にはもとな相見れど直にあらねば恋ひやまずけり
3981　足引の山来隔(へな)りて遠けども心しゆけば夢に見えけり
3982　春花のうつろふまでに相見ねば月日数(よ)みつつ妹待つらむそ
　　　　　右、三月の二十日(はつか)の夜裏(よ)、忽ち恋の情(こころ)を起してよめる。
　　　　　大伴宿禰家持。

立夏四月(うつきたち)、既(はや)く累日(ひかず)を経て、由ほ霍公鳥の喧(こゑ)を聞かず。因れ恨みてよめる歌二首
3983　足引の山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ
3984　玉に貫く花橘を乏(とも)しみしこの我が里に来鳴かずあるらし
　　　　　霍公鳥は立夏(うつきたつ)日、必ず来鳴きぬ。又越中(こしのみちのなか)の
　　　　　風土(くにざま)、橙橘(たちばな)希なり。此に因りて大伴宿禰家持が懐
　　　　　を感発(かま)けて、此歌を裁(よ)めり。三月二十九日。

二上(ふたがみ)山の賦(うた)一首 此山ハ射水郡ニ在リ
3985　射水川(いみづがは)　い行き廻れる　玉くしげ　二上山は
　　　春花の　咲ける盛りに　秋の葉の　にほへる時に
　　　出で立ちて　振り放け見れば　神柄(かむから)や　そこば貴き
　　　山柄(やまから)や　見が欲しからむ　すめ神の　裾廻(すそみ)の山の
　　　澁谿(しぶたに)の　崎の荒磯(ありそ)に　朝凪に　寄する白波
　　　夕凪に　満ち来る潮の　いや増しに　絶ゆることなく
　　　古(いにしへ)ゆ　今の現在(をつづ)に　かくしこそ　見る人ごとに　懸けて偲はめ
3986　澁谿の崎の荒磯に寄する波いやしくしくに古思ほゆ
3987　玉くしげ二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり
　　　　　右、三月の三十日(つごもりのひ)、興(こと)に依(つ)けてよめる。大伴宿禰家持。

四月の十六日(とをかまりむかのひ)の夜裏(よ)、遥かに霍公鳥の喧(こゑ)を聞きて懐(おもひ)を述ぶる歌一首
3988　ぬば玉の月に向ひて霍公鳥鳴く音遥けし里遠(どほ)みかも
　　　　　右、大伴宿禰家持がよめる。

大目(おほきふみひと)秦忌寸八千島の館にて、守大伴宿禰家持を餞(うまのはなむけ)する宴の歌二首
3989　奈呉(なご)の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば
3990　我が背子は玉にもがもな手に巻きて見つつ行かむを置き去(い)かば惜し
　　　　　右、守大伴宿禰家持が正税帳を以ちて京師(みやこ)に入(まゐ)らむとす。
　　　　　仍(かれ)此歌をよみて、相別(わかれ)の嘆を陳ぶ。四月二十日。

布勢水海(ふせのみづうみ)に遊覧(あそ)べる賦(うた)一首、また短歌 此海ハ射水郡ノ舊江村ニ在リ
3991　物部(もののふ)の　八十伴男(やそとものを)の　思ふどち　心遣らむと
　　　馬並めて　彼此触(うちくちぶり)の　白波の　荒磯に寄する
　　　澁谿の　崎廻(たもとほ)り　松田江(まつだえ)の　長浜過ぎて
　　　宇奈比(うなひ)川　清き瀬ごとに　鵜川立ち　か行きかく行き
　　　見つれども　そこも飽かにと　布施の海に　舟浮け据ゑて
　　　沖へ榜ぎ　辺に榜ぎ見れば　渚には　あぢ群騒き
　　　島廻(しまみ)には　木末(こぬれ)花咲き　ここばくも　見のさやけきか
　　　玉くしげ　二上山に　延(は)ふ蔦の　行きは別れず 
　　　あり通ひ　いや毎年(としのは)に　思ふどち　かくし遊ばむ　今も見るごと
3992　布勢の海の沖つ白波あり通ひいや毎年(としのは)に見つつ偲はむ
　　　　　右、守大伴宿禰家持がよめる。四月廿四日。

布勢水海に遊覧びたまへる賦(うた)に敬和(こたへまを)す一首(うたひとつ)、また一絶(みじかうたひとつ)
3993　藤波は　咲きて散りにき　卯の花は　今そ盛りと
　　　足引の　山にも野にも　霍公鳥　鳴きし響(とよ)めば
　　　打ち靡く　心も撓(しぬ)に　そこをしも　うら恋しみと
　　　思ふどち　馬打ち群れて　携はり　出で立ち見れば
　　　射水川　水門(みなと)の渚鳥(すどり)　朝凪に 潟に漁りし
　　　潮満てば　嬬(つま)呼び交す　羨しきに　見つつ過ぎ行き
　　　澁谿の　荒磯の崎に　沖つ波　寄せ来る玉藻
　　　片縒(よ)りに　蘰(かづら)に作り　妹がため　手に巻き持ちて
　　　うらぐはし　布勢の水海に　海人船に　真楫(まかぢ)掻い貫(ぬ)き
　　　白布(しろたへ)の　袖振り返し　率(あども)ひて　我が榜ぎ行けば
　　　乎布(をふ)の崎　花散りまがひ　渚には　葦鴨(あしがも)騒き
　　　さざれ波　立ちても居ても　榜ぎ廻り　見れども飽かず
　　　秋さらば　黄葉(もみち)の時に　春さらば　花の盛りに
　　　かもかくも　君がまにまと　かくしこそ　見も明らめめ　絶ゆる日あらめや
3994　白波の寄せ来る玉藻世の間も継ぎて見に来む清き浜傍(び)を
　　　　　右、掾大伴宿禰池主がよめる。四月廿六日追和。

四月の二十六日(はつかまりむかのひ)、掾大伴宿禰池主が館にて、税帳使守大伴宿禰家持を餞(うまのはなむけ)する宴の歌、また古歌(ふるうた)四首
3995　玉ほこの道に出で立ち別れなば見ぬ日さまねみ恋しけむかも
　　　　　右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。
3996　我が背子が国へましなば霍公鳥鳴かむ五月(さつき)は寂(さぶ)しけむかも
　　　　　右の一首は、介(すけ)内藏忌寸繩麿(うちのくらのいみきなはまろ)がよめる。
3997　吾(あれ)なしとな侘び我が背子霍公鳥鳴かむ五月は玉を貫(ぬ)かさね
　　　　　右の一首は、守大伴宿禰家持が和(こた)ふ。
石川朝臣水通(みとほし)が橘の歌一首
3998　我が屋戸の花橘を花ごめに玉にそ吾(あ)が貫く待たば苦しみ
　　　　　右の一首、伝へ誦むは主人(あるじ)大伴宿禰池主なりき。

守大伴宿禰家持が館にて飲宴(さけのみするひ)の歌一首 四月二十六日
3999　都方(みやこへ)に立つ日近づく飽くまてに相見て行かな恋ふる日多けむ

立山(たちやま)の賦(うた)一首、また短歌 此山ハ新河郡ニ在リ
4000　天ざかる　夷に名懸かす　越の中　国内(くぬち)ことごと
　　　山はしも　繁(しじ)にあれども　川はしも　多(さは)にゆけども
　　　すめ神の　領(うしは)きいます　新川(にひかは)の　その立山に
　　　常(とこ)なつに　雪降り敷きて　帯ばせる　片貝川の
　　　清き瀬に　朝宵ごとに　立つ霧の　思ひ過ぎめや
　　　あり通ひ　いや毎年(としのは)に　外(よそ)のみも　振り放け見つつ
　　　万代の　語らひぐさと　いまだ見ぬ　人にも告げむ
　　　音のみも　名のみも聞きて　羨(とも)しぶるがね
4001　立山に降り置ける雪を常なつに見れども飽かず神(かむ)ながらならし
4002　片貝の川の瀬清くゆく水の絶ゆることなくあり通ひ見む
　　　　　四月の二十七日、大伴宿禰家持がよめる。

立山の賦に敬和(こたへまを)す一首(うたひとつ)、また二絶(みじかうたふたつ)
4003　朝日さし　背向(そがひ)に見ゆる　神(かむ)ながら　御名に負はせる
　　　白雲の　千重を押し分け　天(あま)進(そそ)り　高き立山
　　　冬夏と　別(わ)くこともなく　白布(しろたへ)に　雪は降り置きて
　　　古ゆ　在り来にければ　凝々(こご)しかも　巌(いは)の神さび
　　　玉きはる　幾代経にけむ　立ちて居て　見れども霊(あや)し
　　　峯高(だか)み　谷を深みと　落ち激(たぎ)つ　清き河内(かふち)に
　　　朝離(さ)らず　霧立ち渡り　夕されば　雲居たな引き
　　　雲居なす　心も萎(しぬ)に　立つ霧の　思ひ過ぐさず
　　　行く水の　音も清(さや)けく　万代に　言ひ継ぎゆかむ　川し絶えずは
4004　立山に降り置ける雪の常なつに消(け)ずてわたるは神(かむ)ながらとそ
4005　落ち激つ片貝川の絶えぬごと今見る人も止まず通はむ
　　　　　右、掾大伴宿禰池主が和ふ。四月廿八日。

京(みやこ)に入(まゐ)らむこと漸(やや)近く、悲しみの情(こころ)撥(はら)ひ難くて、懐(おもひ)を述ぶる歌一首、また一絶
4006　かき数(かぞ)ふ　二上山に　神さびて　立てる樛(つが)の木
　　　幹(もと)も枝(え)も　同(おや)じ常磐(ときは)に　愛(は)しきよし　我が背の君を
　　　朝離(さ)らず　逢ひて言問(ことど)ひ　夕されば　手携はりて
　　　射水川　清き河内に　出で立ちて　我が立ち見れば
　　　東風(あゆ)の風　甚(いた)くし吹けば　水門(みなと)には　白波高み
　　　嬬(つま)呼ぶと　渚鳥(すどり)は騒く　葦刈ると　海人の小舟(をぶね)は
　　　入江榜ぐ　楫の音高し　そこをしも　あやに羨(とも)しみ
　　　偲ひつつ　遊ぶ盛りを　天皇(すめろき)の　食(を)す国なれば
　　　御言持ち　立ち別れなば　後れたる　君はあれども
　　　玉ほこの　道ゆく我は　白雲の　棚引く山を
　　　岩根踏み　越え隔(へな)りなば　恋しけく　日(け)の長けむそ
　　　そこ思(も)へば　心し痛し　霍公鳥　声にあへ貫(ぬ)く
　　　玉にもが　手に巻き持ちて　朝宵に　見つつゆかむを　置きて去(い)かば惜し
4007　我が背子は玉にもがもな霍公鳥声にあへ貫き手に巻きてゆかむ
　　　　　右、大伴宿禰家持が掾大伴宿禰池主に贈る。四月卅日。

忽に入京述懐の作を見て、生きながら別るる悲しみ、腸を断つこと万回。怨緒禁(のぞ)き難し。聊か所心を奉(まを)す一首(うたひとつ)、また二絶(みじかうたふたつ)
4008　青丹よし　奈良を来離れ　天ざかる　夷(ひな)にはあれど
　　　我が背子を　見つつし居(を)れば　思ひ遣る　事もありしを
　　　大王(おほきみ)の　命畏み　食す国の　事執り持ちて
　　　若草の　脚帯(あゆひ)手装(たづく)り　群鳥(むらとり)の　朝立ち去なば
　　　後れたる　吾(あれ)や悲しき　旅にゆく　君かも恋ひむ
　　　思ふそら　安くあらねば　嘆かくを　留めもかねて
　　　見わたせば　卯の花山の　霍公鳥　音のみし泣かゆ
　　　朝霧の　乱るる心　言に出でて　言はば忌々(ゆゆ)しみ
　　　礪波(となみ)山　手向(たむけ)の神に　幣(ぬさ)まつり　吾(あ)が乞ひ祈(の)まく
　　　愛(は)しけやし　君が直香(ただか)を　真幸(まさき)くも　在り廻(たもとほ)り
　　　月立たば　時も易(か)はさず　撫子が　花の盛りに　相見しめとそ
4009　玉ほこの道の神たち幣(まひ)はせむ吾(あ)が思ふ君をなつかしみせよ
4010　うら恋し我が背の君は撫子が花にもがもな朝旦(あさなさな)見む
　　　　　右、大伴宿禰池主が報贈(こた)ふる和歌(うた)。五月二日。

放逸(そら)せる鷹を思(しぬ)ひ、夢(いめ)に見て感悦(よろこ)びよめる歌一首、また短歌
4011　大王(おほきみ)の　遠の朝廷(みかど)と　御雪降る　越と名に負へる
　　　天ざかる　夷にしあれば　山高(だか)み　川透白(とほしろ)し
　　　野を広み　草こそ茂き　鮎走る　夏の盛りと
　　　島つ鳥　鵜養(うかひ)が伴は　行く川の　清き瀬ごとに
　　　篝さし　なづさひ上る　露霜の　秋に至れば
　　　野も多(さは)に　鳥多集(すだ)けりと　大夫(ますらを)の　友誘(いざな)ひて
　　　鷹はしも　あまたあれども　矢形尾の　吾(あ)が大黒(おほくろ)に 大黒ハ蒼鷹ノ名ナリ
　　　白塗(しらぬり)の 鈴取り付けて　朝猟に　五百(いほ)つ鳥立て
　　　夕猟に　千鳥踏み立て　追ふ毎に　免(ゆる)すことなく
　　　手放(たばなれ)も　還(をち)も可易き　これをおきて　または在り難し
　　　さ並べる　鷹は無けむと　心には　思ひ誇りて
　　　笑まひつつ　渡る間に　狂(たぶ)れたる　醜(しこ)つ翁の
　　　言だにも　我には告げず　との曇り　雨の降る日を
　　　鳥猟(とがり)すと　名のみを告(の)りて　三島野を　背向(そがひ)に見つつ
　　　二上(ふたがみ)の　山飛び越えて　雲隠り　翔り去(い)にきと
　　　帰り来て　咳(しはぶ)れ告ぐれ　招(を)くよしの　そこに無ければ
　　　言ふすべの　たどきを知らに　心には　火さへ燃えつつ
　　　思ひ恋ひ　息吐(づ)きあまり　けだしくも　逢ふことありやと
　　　足引の　彼面此面(をてもこのも)に　鳥網(となみ)張り　守部(もりべ)を据ゑて
　　　ちはやぶる　神の社(やしろ)に　照る鏡　倭文(しづ)に取り添へ
　　　乞ひ祈みて　吾(あ)が待つ時に　少女(をとめ)らが　夢(いめ)に告ぐらく
　　　汝(な)が恋ふる　その秀(ほ)つ鷹は　松田江の　浜ゆき暮らし
　　　つなし捕る　氷見(ひみ)の江過ぎて　多古の島　飛び徘徊(たもとほ)り
　　　葦鴨の　多集(すだ)く舊江(ふるえ)に　一昨日(をとつひ)も　昨日もありつ
　　　近くあらば　いま二日だみ　遠くあらば　七日(なぬか)のうちは
　　　過ぎめやも　来(き)なむ我が背子　ねもころに　な恋ひそよとそ　夢(いめ)に告げつる
4012　矢形尾の鷹を手に据ゑ三島野に猟らぬ日まねく月そ経にける
4013　二上の彼面此面に網さして吾(あ)が待つ鷹を夢(いめ)に告げつも
4014　松反(がへ)りしひにてあれかもさ山田の翁(をぢ)がその日に求めあはずけむ
4015　心には緩(ゆる)ぶことなく須加の山すかなくのみや恋ひわたりなむ
　　　　　右、射水郡古江の村にて蒼鷹を取獲たり。形容
　　　　　美麗(うるは)しくて、雉を鷙(と)ること群に秀れたり。時に
　　　　　養吏(たかかひ)山田史君麿、調試節を失ひ、野猟候に乖く。
　　　　　風に搏る翅、高く翔り雲に匿る。腐鼠の餌、呼
　　　　　び留むるに験靡し。是に羅網を張り設けて非常
　　　　　を窺ひ、神祇に奉幣して虞らざるを恃む。粤(ここ)に
　　　　　夢裏(いめ)に娘子有り。喩して曰く、使君(きみ)苦念を作し
　　　　　て空に精神を費すこと勿れ。逸放(そら)せる彼の鷹、
　　　　　獲り得むこと未幾(ちかけむ)。須叟ありて覚寤して、懐に
　　　　　悦びて、因(かれ)恨みを却す歌をよみ、式て感信を旌
　　　　　す。守大伴宿禰家持。九月二十六日ニ作メリ。

高市連黒人が歌一首 年月審ラカナラズ
4016　婦負(めひ)の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ
　　　　　右、此の歌を伝へ誦むは三國真人五百國(いほくに)なり。

二十一年(はたとせまりひととせといふとし)春正月(むつき)の二十九日(はつかまりここのかのひ)、よめる歌
4017　東風(あゆのかぜ) 越ノ俗語ニ東風ヲアユノカゼト謂ヘリ 甚(いた)く吹くらし奈呉の海人の釣する小舟榜ぎ隠る見ゆ
4018　水門(みなと)風寒く吹くらし奈呉の江に嬬(つま)呼び交し鶴(たづ)多(さは)に鳴く
4019　天ざかる夷とも著(しる)くここだくも繁き恋かも和(なぐ)る日もなく
4020　越の海の信濃 浜ノ名ナリ の浜をゆき暮らし長き春日(はるひ)も忘れて思へや
　　　　　右の四首(ようた)は、大伴宿禰家持。

礪波郡(となみのこほり)雄神河(をかみのかは)の辺(へ)にてよめる歌一首
4021　雄神川紅にほふ娘子らし葦付 水松ノ類 取ると瀬に立たすらし

婦負郡(めひのこほり)にて鵜坂河(うさかがは)を渡る時よめる歌一首
4022　鵜坂川渡る瀬多みこの吾(あ)が馬(ま)の足掻(あがき)の水に衣濡れにけり

潜鵜(うつかふ)人を見てよめる歌一首
4023　婦負川の早き瀬ごとに篝さし八十伴男(やそとものを)は鵜川立ちけり

新河郡(にひかはのこほり)にて延槻河(はひつきがは)を渡る時よめる歌一首
4024　立山の雪し消(く)らしも延槻の川の渡り瀬鐙(あぶみ)漬かすも

氣多の大神宮(おほかみのみや)に赴参(まゐ)るに、海辺を行く時よめる歌一首
4025　志雄路(しをぢ)から直(ただ)越え来れば羽咋(はくひ)の海朝凪したり船楫(ふねかじ)もがも

能登郡にて、香島の津より発船(ふなで)して、熊來(くまき)の村を射して徃く時よめる歌二首
4026　鳥総(とぶさ)立て船木(ふなき)伐るといふ能登の島山今日見れば木立繁しも幾代神(かむ)びそ 
4027　香島より熊來をさして榜ぐ船の楫取る間なく都し思ほゆ

鳳至郡(ふふしのこほり)にて饒石川(にぎしかは)を渡る時よめる歌一首
4028　妹に逢はず久しくなりぬ饒石川清き瀬ごとに水占(みなうら)はへてな

珠洲郡(すすのこほり)より発船(ふなで)して、太沼郡(おほみのさと)に還る時、長濱の湾(うら)に泊てて月光(つき)を仰見(み)てよめる歌一首
4029　珠洲の海に朝開きして榜ぎ来れば長濱の浦に月照りにけり
　　　　　右の件の歌詞(うた)は、春の出挙(すいこ)に依りて諸郡(こほりこほり)を巡行(めぐ)る。
　　　　　当時(すなはち)目に属(つ)く所(ごと)によめる。大伴宿禰家持。

鴬の晩哢(おそき)を怨む歌一首
4030　鴬は今は鳴かむと片待てば霞たな引き月は経につつ

造酒(みきたてまつる)歌一首
4031　中臣の太祝詞言(ふとのりとごと)言ひ祓へ贖(あが)ふ命も誰がために汝(なれ)
　　　　　右、大伴宿禰家持がよめる。


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.巻第十八(とをまりやまきにあたるまき)

天平(てむひやう)二十一年(はたとせまりひととせといふとし)、春三月(やよひ)の二十三日(はつかまりみかのひ)、左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の家の使者(つかひ)造酒司(さけのつかさ)の令史(ふみひと)田邊史福麿(たのべのふみひとさきまろ)を、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に饗(あへ)す。爰に新歌(にひうた)を作(よ)み、また古詠(ふるうた)を誦(うた)ひて、各(おのもおのも)心緒(おもひ)を述ぶ
4032　奈呉の海に舟しまし貸せ沖に出でて波立ち来やと見て帰り来む
4033　波立てば奈呉の浦廻(み)に寄る貝の間無き恋にそ年は経にける
4034　奈呉の海に潮の早干(ひ)ばあさりしに出でむと鶴(たづ)は今そ鳴くなる
4035　霍公鳥いとふ時なしあやめ草かづらにせむ日こゆ鳴き渡れ
　　　　　右の四首(ようた)は、田邊史福麿。
その時明日布勢(ふせ)の水海に遊覧(あそ)ばむと期(ちぎ)りき。かれ懐(おもひ)を述べて各(おのもおのも)作(よ)める歌
4036　いかにせる布勢の浦そもここだくに君が見せむと我を留むる
　　　　　右の一首(ひとうた)は、田邊史福麿。
4037　乎布(をふ)の崎榜ぎ廻(たもとほ)りひねもすに見とも飽くべき浦にあらなくに 一ニ云ク、君が問はすも
　　　　　右の一首は、守大伴宿禰家持。
4038　玉くしげいつしか明けむ布勢の海の浦を行きつつ玉藻拾(ひり)はむ
4039　音のみに聞きて目に見ぬ布勢の浦を見ずは上(のぼ)らじ年は経ぬとも
4040　布勢の浦を行きてし見てば百敷の大宮人に語り継ぎてむ
4041　梅の花咲き散る園に我ゆかむ君が使を偏(かた)待ちがてら
4042　藤波の咲きゆく見れば霍公鳥(ほととぎす)鳴くべき時に近づきにけり
　　　　　右の五首は、田邊史福麿。
4043　明日の日の布勢の浦廻の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも 一ニ頭云ク、ほととぎす
　　　　　右の一首は、大伴宿禰家持が和(こた)ふ。
　　　　　前の件の十首歌(とうた)は、二十四日(はつかまりよかのひ)の宴によめる。

二十五日(はつかまりいつかのひ)、布勢の水海に往く道中(みち)、馬にのりながら口号(よ)める二首(うたふたつ)
4044　浜辺より我が打ち行かば海辺より迎へも来ぬか海人の釣船
4045　沖辺より満ち来る潮のいや益しに吾(あ)が思(も)ふ君が御船かも彼
　　　　　右の一首は、大伴宿禰家持。
水海に至りて遊覧(あそ)ぶ時、各(おのもおのも)懐(おもひ)を述べて作める歌六首
4046　神(かむ)さぶる垂姫(たるひめ)の崎榜ぎめぐり見れども飽かずいかに我せむ
　　　　　右の一首は、田邊史福麿。
4047　垂姫の浦を榜ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ
　　　　　右の一首は、遊行女婦(うかれめ)土師(はにし)。
4048　垂姫の浦を榜ぐ舟楫間(かぢま)にも奈良の我家(わぎへ)を忘れて思へや
　　　　　右の一首は、大伴宿禰家持。
4049　疎(おろ)かにそ我は思ひし乎布の浦の荒磯(ありそ)のめぐり見れど飽かずけり
　　　　　右の一首は、田邊史福麿。
4050　めづらしき君が来まさば鳴けと言ひし山ほととぎす何か来鳴かぬ
　　　　　右の一首は、掾(まつりごとひと)久米朝臣廣繩(ひろなは)。
4051　多古(たこ)の崎木晩(このくれ)繁(しげ)に霍公鳥来鳴き響(とよ)まばはた恋ひめやも
　　　　　右の一首は、大伴宿禰家持。
　　　　　前の件の八首歌(やうた)は、二十五日よめる。

掾久米朝臣廣繩が館(たち)にて、田邊史福麿を饗(あへ)する宴の歌四首
4052　ほととぎす今鳴かずして明日越えむ山に鳴くとも験(しるし)あらめやも
　　　　　右の一首は、田邊史福麿。
4053　木晩(このくれ)になりぬるものを霍公鳥何か来鳴かぬ君に逢へる時
　　　　　右の一首は、久米朝臣廣繩。
4054　霍公鳥こよ鳴き渡れ灯し火を月夜(つくよ)になそへその影も見む
4055　鹿蒜廻(かへるみ)の道ゆかむ日は五幡(いつはた)の坂に袖振れ我をし思はば
　　　　　右の二首は、大伴宿禰家持。
　　　　　前の件の四首歌(ようた)は、二十六日よめる。

太上皇(おほきすめらみこと) 清足姫天皇なり 難波の宮に御在(いま)す時の歌七首
左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘宿禰の歌一首
4056　堀江には玉敷かましを大王(おほきみ)を御船漕がむとかねて知りせば
御製歌(みよみませるおほみうた)一首 和
4057　玉敷かず君が悔いて言ふ堀江には玉敷き満てて継ぎて通はむ 或ハ云ク、玉扱(こ)き敷きて
　　　　　右の件の二首歌(ふたうた)は、御船江より泝(のぼ)りて
　　　　　遊宴(うたげ)する日、左大臣の奏(まを)す歌、また御製(おほみうた)。
御製歌一首
4058　橘の殿の橘弥(や)つ代にも吾(あれ)は忘れじこの橘を
河内女王の歌一首
4059　橘の下照(で)る庭に殿建てて酒漬(さかみづ)きいます我が大王かも
粟田女王の歌一首
4060　月待ちて家には行かむ我が插せるあから橘影に見えつつ
　　　　　右の件の三首歌は、左大臣橘の卿(まへつきみ)の宅(いへ)に在(いま)
　　　　　して、肆宴(とよのあかり)きこしめす御歌(おほみうた)、また奏す歌。
4061　堀江より水脈(みを)引きしつつ御船さす賤男(しづを)の伴は川の瀬申せ
4062　夏の夜は道たづたづし船に乗り川の瀬ごとに棹さし上れ
　　　　　右の件の二首歌は、御船綱手を以(ひき)て江より泝(のぼ)り遊宴(うたげ)
　　　　　せる日作めり。伝へ誦(よ)む人は、田邊史福麿なり。
後に追ひて和(なぞら)ふる橘の歌二首
4063　常世物この橘のいや照りにわご大王は今も見るごと
4064　大王は常磐にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして
　　　　　右の二首は、大伴宿禰家持がよめる。

射水郡(いみづのこほり)の駅館(うまや)の屋柱(はしら)に題(か)き著くる歌一首
4065　朝開き入江榜ぐなる楫の音のつばらつばらに我家(わぎへ)し思ほゆ
　　　　　右の一首は、山上臣がよめる。名はしらず。或ひと云く、
　　　　　憶良の大夫(まへつきみ)の男(むすこ)といへり。但其の正名(な)さだかならず。

庭中(には)の牛麦(なでしこ)の花を詠める歌一首
4070　ひともとの撫子植ゑしその心誰(たれ)に見せむと思ひ始(そ)めけむ
　　　　　右、先の国師の従僧(ずそう)清見、京師(みやこ)に入(まゐのぼ)らむとす。
　　　　　因(かれ)飲饌(あるじ)を設(ま)けて饗宴(うたげ)す。時に主人(あろじ)大伴宿禰家持、
　　　　　此の歌詞(うた)を作みて、酒を清見に送れりき。
また作(よ)める歌二首
4071　しなざかる越の君のとかくしこそ柳かづらき楽しく遊ばめ
　　　　　右、郡司(こほりのつかさ)より下(しも)、子弟より上(かみ)、諸人此の
　　　　　会(つどひ)にあり。因(かれ)守大伴宿禰家持、此の歌を作める。
4072　ぬば玉の夜渡る月を幾夜経(ふ)と数(よ)みつつ妹は我待つらむそ
　　　　　右、此の夕、月の光遅く流れて、和やかなる風稍たちぬ。
　　　　　即ち目に属(ふ)るるに因りて、聊か此の歌を作めり。

越前国(こしのみちのくちのくに)の掾大伴宿禰池主が来贈(おく)れる歌三首
今月十四日を以ちて、深見の村に到来(いた)り、彼の北方を望拝す。常に芳徳を思ふこと、何れの日か能く休(や)まむ。兼(また)隣近に以(より)て、忽ちに恋緒を増す。加以(しかのみにあらず)、先の書に云はく、「暮春惜しむべし、膝を促(ちかづ)くることいつとかせむ」と。生別の悲しみ、それ復た何をか言はむ。紙に臨(むか)ひて悽断す。奏状不備。
一　古人(いにしへひと)の云へらく
4073　月見れば同じ国なり山こそは君があたりを隔てたりけれ
一　物に属(つ)きて思ひを発(の)ぶ
4074　桜花今そ盛りと人は言へど吾(あれ)は寂(さぶ)しも君としあらねば
一　所心歌(おもひをのぶるうた)
4075　相思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで
　　　　　三月(やよひ)の十五日(とをかまりいつかのひ)、大伴宿禰池主。
越中国の守大伴宿禰家持が報贈(こた)ふる歌四首
一　古人の云(うた)に答ふ
4076　あしひきの山は無くもが月見れば同じき里を心隔てつ
一　物に属きて思ひを発ぶに答へ、兼(また)遷し任(よ)さして旧りにし宅の西北(にしきた)の隅の桜の樹を詠める
4077　我が背子が古き垣内(かきつ)の桜花いまだ含(ふふ)めり一目見に来ね
一　所心(おもひをのぶ)に答ふ。即ち古人之跡(ふること)を今日の意(こころ)に代へたり
4078　恋ふと言ふはえも名付けたり言ふすべのたづきも無きは吾(あ)が身なりけり
一　また物に属きてよめる
4079　三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ
　　　　　三月の十六日、大伴宿禰家持。

四月(うつき)の一日(つきたちのひ)、掾久米朝臣廣繩が館にて宴せる歌四首
4066　卯の花の咲く月立ちぬ霍公鳥来鳴き響めよ含みたりとも
　　　　　右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。
4067　二上(ふたがみ)の山にこもれる霍公鳥今も鳴かぬか君に聞かせむ
　　　　　右の一首は、遊行女婦(うかれめ)土師(はにし)がよめる。
4068　居り明かし今宵は飲まむ霍公鳥明けむ朝(あした)は鳴き渡らむそ
　　　　　 二日ハ立夏ノ節ニ応(アタ)ル。故(カレ)明旦ハ喧カムト謂ヘリ。
　　　　　右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。
4069　明日よりは継ぎて聞こえむ霍公鳥一夜の故(から)に恋ひ渡るかも
　　　　　右の一首は、羽咋郡(はくひのこほり)の擬主帳(ふみひと)能登臣乙美がよめる。

姑(をば)大伴氏坂上郎女が、越中守大伴宿禰家持に来贈(おく)れる歌二首
4080　常人の恋ふといふよりは余りにて我は死ぬべく成りにたらずや
4081　片思ひを馬に太馬(ふつま)に負ほせ持て越辺に遣らば人詐(かた)はむかも
越中守大伴宿禰家持が報ふる歌二首
4082　天ざかる夷の奴(やつこ)に天人(あめひと)しかく恋せれば生ける験あり
4083　常の恋いまだやまぬに都より馬に恋来ば担ひ堪(あ)へむかも
別(こと)に心(おもひ)をのぶ一首(ひとうた)
4084　暁(あかとき)に名のり鳴くなる霍公鳥いやめづらしく思ほゆるかも
　　　　　右、四日(よかのひ)、使に附けて京師(みやこ)に贈上(おく)る。

天平感宝(てむひやうかむはう)元年(はじめのとし)五月(さつき)の五日(いつかのひ)、東大寺(ひむかしのおほてら)の占墾地使(はりところをしむるつかひ)の僧(ほうし)平榮等を饗(あへ)する時、守大伴宿禰家持が、酒を僧に送れる歌一首
4085　焼大刀(やきたち)を礪波(となみ)の関に明日よりは守部(もりべ)遣り添へ君をとどめむ

同(おや)じ月の九日(ここのかのひ)、諸僚(つかさづかさ)少目(すなきふみひと)秦伊美吉石竹(はたのいみきいはたけ)の館に会(つど)ひて飲宴(うたげ)す。その時主人(あろじ)、百合の花縵(はなかづら)三枚(みつ)を造りて、豆器(あぶらつき)に畳ね置き、賓客(まらひと)に捧贈(ささ)ぐ。各(おのもおのも)此(そ)の縵をよめる歌三首
4086　燈火(あぶらひ)の光に見ゆる我が縵早百合の花の笑まはしきかも
　　　　　右の一首は、守大伴宿禰家持。
4087　灯し火の光に見ゆる早百合花ゆりも逢はむと思ひそめてき
　　　　　右の一首は、介(すけ)内藏伊美吉繩麿(うちのくらのいみきなはまろ)。
4088　早百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかも睦(うる)はしみすれ
　　　　　右の一首は、大伴家持 和。

短歌(みじかうた) [ママ]
独り幄(あげはり)の裏(うち)に居て、霍公鳥の喧(ね)を聞きてよめる歌一首、また短歌(みじかうた)
4089　高御座(たかみくら)　天(あま)の日継(ひつぎ)と　すめろきの　神の命(みこと)の
　　　聞こし食(を)す　国のまほらに　山をしも　さはに多みと
　　　百鳥(ももとり)の　来居て鳴く声　春されば　聞きのかなしも
　　　いづれをか　別(わ)きて偲はむ　卯の花の　咲く月立てば
　　　めづらしく　鳴く霍公鳥　あやめぐさ　玉貫くまでに
　　　昼暮らし　夜わたし聞けど　聞くごとに　心うごきて
　　　打ち嘆き　あはれの鳥と　言はぬ時なし
反し歌
4090　行方なくありわたるとも霍公鳥鳴きし渡らばかくや偲はむ
4091　卯の花の咲くにし鳴けば霍公鳥いやめづらしも名のり鳴くなべ
4092　霍公鳥いと妬(ねた)けくは橘の花散る時に来鳴き響(とよ)むる
　　　　　右の四首は、十日、大伴宿禰家持がよめる。

英遠浦(あをのうら)に行くとき、よめる歌一首
4093　阿尾の浦に寄する白波いや益しに立ちしき寄せ来(く)東風(あゆ)をいたみかも
　　　　　右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。

陸奥国(みちのくのくに)より金(くがね)を出だせる詔書(みことのり)を賀(ことほ)く歌一首、また短歌
4094　葦原の　瑞穂の国を　天下り　知らしめしける
　　　すめろきの　神の命の　御代重ね　天の日継と
　　　知らし来る　君の御代御代　敷きませる　四方(よも)の国には
　　　山河を　広み厚みと　たてまつる　御調(みつき)宝は
　　　数へ得ず　尽くしもかねつ　然れども　我が大王の
　　　諸人(もろひと)を　誘(いざな)ひ賜ひ　善きことを　始め賜ひて
　　　金(くがね)かも　たのしけくあらむ　と思ほして　下悩ますに
　　　鶏(とり)が鳴く　東(あづま)の国の　陸奥(みちのく)の　小田なる山に
　　　金ありと　奏(まう)し賜へれ　御心を　明らめ賜ひ
　　　天地の　神相うづなひ　皇御祖(すめろき)の　御霊(みたま)助けて
　　　遠き代に　かかりしことを　朕(あ)が御代に　顕はしてあれば
　　　食(を)す国は　栄えむものと　神ながら　思ほしめして
　　　もののふの　八十(やそ)伴の雄を　まつろへの　むけのまにまに
　　　老人(おいひと)も　女童児(めのわらはこ)も　しが願ふ　心足らひに
　　　撫で賜ひ　治め賜へば　ここをしも　あやに貴み
　　　嬉しけく　いよよ思ひて　大伴の　遠つ神祖(かむおや)の
　　　その名をば　大来目主(おほくめぬし)と　負ひ持ちて　仕へし職(つかさ)
　　　海行かば　水漬(みづ)く屍(かばね)　山行かば　草生す屍
　　　大王の　辺(へ)にこそ死なめ　かへり見は　せじと異立(ことだ)て
　　　大夫(ますらを)の　清きその名を　古(いにしへ)よ　今の現(をつつ)に
　　　流さへる　祖の子どもそ　大伴と　佐伯の氏は
　　　人の祖(おや)の　立つる異立て　人の子は　祖の名絶たず
　　　大君に　まつろふものと　言ひ継げる　言の官(つかさ)そ
　　　梓弓　手に取り持ちて　剣大刀　腰に取り佩き
　　　朝守り　夕の守りに　大王の　御門の守り
　　　我をおきて　また人はあらじ　といや立て　思ひし増さる
　　　大王の　御言の幸(さき)の　聞けば貴み
反し歌三首
4095　大夫の心思ほゆ大王の御言の幸(さき)の聞けば貴み
4096　大伴の遠つ神祖(かむおや)の奥つ城(き)は著(しる)く標(しめ)立て人の知るべく
4097　すめろきの御代栄えむと東(あづま)なる陸奥山に金(くがね)花咲く
　　　　　天平感宝元年五月の十二日、越中国の守の館にて、
　　　　　大伴宿禰家持がよめる。

芳野の離宮(とつみや)に幸行(いでま)さむ時の為、儲(あらかじ)めよめる歌一首、また短歌
4098　高御座　天の日継と　天の下　知らしめしける
　　　すめろきの　神の命の　畏くも　始め賜ひて
　　　貴くも　定め賜へる　み吉野の　この大宮に
　　　あり通ひ　見(め)したまふらし　もののふの　八十伴の男も
　　　おのが負へる　おのが名名負ひ　大王の　任(まけ)のまにまに
　　　この川の　絶ゆることなく　この山の　いや継ぎ継ぎに
　　　かくしこそ　仕へまつらめ　いや遠長に
反し歌
4099　古を思ほすらしも我ご大王吉野の宮をあり通ひ見(め)す
4100　もののふの八十氏人も吉野川絶ゆることなく仕へつつ見む

京(みやこ)の家に贈らむが為、真珠(しらたま)を願(ほり)する歌一首、また短歌
4101　珠洲(すす)の海人(あま)の　沖つ御神に　い渡りて　潜(かづ)き取るといふ
　　　鮑(あはび)玉　五百箇(いほち)もがも　愛(は)しきよし　妻の命の
　　　衣手の　別れし時よ　ぬば玉の　夜床(よどこ)片さり
　　　朝寝髪　掻きも梳らず　出でて来し　月日数(よ)みつつ 
　　　嘆くらむ　心なぐさに　霍公鳥　来鳴く五月の
　　　あやめ草　花橘に　貫(ぬ)き交へ　縵(かづら)にせよと
　　　包みて遣らむ
反し歌四首
4102　白玉を包みて遣らなあやめ草花橘にあへも貫くがね
4103　沖つ島い行き渡りて潜くちふ鰒玉もが包みて遣らむ
4104　我妹子が心なぐさに遣らむため沖つ島なる白玉もがも
4105　白玉の五百(いほ)つ集ひを手にむすび遣(おこ)せむ海人は喜(むが)しくもあるか
　　　　　右、五月の十四日、大伴宿禰家持が興(こと)に依(つ)けてよめる。

史生(ふみひと)尾張少咋(をはりのをくひ)を教喩(さと)す歌一首、また短歌
七出の例(さだめ)に云はく、
但一条を犯せらば、即ち出(さ)るべし。七出無くて輙(すなは)ち棄(さ)らば、徒(みつかふつみ)一年半(ひととせまりむつき)。
三不去の例(さだめ)に云はく、
七出を犯すとも、棄(さ)るべからず。違へらば、杖一百。唯奸悪疾を犯せれば棄(さ)れ。
両妻の例に云はく、
妻有りて更に娶らば徒一年。女家は杖一百にして離(はな)て。
詔書に云はく、
義夫節婦を愍み賜ふ。
先(かみ)の件の数条(をどをぢ)を謹み案(かむが)ふるに、建法(のり)の基、化道(みち)の源(はじめ)なり。然れば則ち義夫の道、情存して別無く、一家財を同じくす。豈旧きを忘れ新しきを愛(うつく)しむる志あるべしや。所以(かれ)数行の歌を綴作(よ)み、旧きを棄(さ)る惑を悔いしむ。その詞に曰く、
4106　大汝(おほなむぢ)　少彦名(すくなひこな)の　神代より　言ひ継ぎけらく
　　　父母を　見れば貴く　妻子(めこ)見れば　愛(かな)しくめぐし
　　　うつせみの　世のことわりと　かくさまに　言ひけるものを
　　　世の人の　立つる異立て　ちさの花　咲ける盛りに
　　　愛(は)しきよし　その妻の子と　朝宵に　笑みみ笑まずも
　　　打ち嘆き　語りけまくは　とこしへに　かくしもあらめや
　　　天地の　神言寄せて　春花の　盛りもあらむと
　　　待たしけむ　時の盛りを　離(さか)り居て　嘆かす妹が
　　　いつしかも　使の来むと　待たすらむ　心寂(さぶ)しく
　　　南風(みなみ)吹き　雪消(け)溢(はふ)りて　射水川(いみづがは)　浮ぶ水沫(みなわ)の
　　　寄る辺無み　左夫流(さぶる)その子に　紐の緒の　いつがり合ひて
　　　にほ鳥の　二人並び居　奈呉の海の　奥(おき)を深めて
　　　惑(さど)はせる　君が心の　すべもすべなさ 佐夫流ト言フハ、遊行女婦ガ字(アザナ)ナリ
反し歌三首
4107　青丹よし奈良にある妹が高々に待つらむ心しかにはあらじか
4108　里人の見る目恥づかし左夫流子に惑(さど)はす君が宮出(みやで)後風(しりぶり)
4109　紅はうつろふものそ橡(つるはみ)のなれにし衣になほしかめやも
　　　　　右、五月の十五日、守大伴宿禰家持がよめる。

先(もと)の妻(め)、夫(せ)の君の喚(め)す使を待たず、自ら来たる時よめる歌一首
4110　左夫流子がいつぎし殿に鈴懸けぬ駅馬(はゆま)下れり里もとどろに
　　　　　同じ月の十七日、大伴宿禰家持がよめる。

橘の歌一首、また短歌
4111　かけまくも　あやに畏し　皇祖神(すめろき)の　神の大御代に
　　　田道間守(たぢまもり)　常世に渡り　八矛(やほこ)持ち　参ゐ出来(こ)しとふ
　　　時じくの　香久(かく)の木(こ)の実を　畏くも　残し賜へれ
　　　国も狭(せ)に　生ひ立ち栄え　春されば　孫枝(ひこえ)萌いつつ
　　　霍公鳥　鳴く五月には　初花を　枝に手折りて
　　　をとめらに　苞(つと)にも遣りみ　白妙の　袖にも扱入(こき)れ
　　　香ぐはしみ　置きて枯らしみ　熟(あ)ゆる実は　玉に貫きつつ
　　　手に巻きて　見れども飽かず　秋づけば　しぐれの雨降り
　　　あしひきの　山の木末(こぬれ)は　紅に　にほひ散れども
　　　橘の　なれるその実は　ひた照りに　いや見が欲しく
　　　み雪降る　冬に至れば　霜置けども　その葉も枯れず
　　　常磐なす　いや栄(さかは)えに　しかれこそ　神の御代より
　　　よろしなべ　この橘を　時じくの　香久の木の実と　名付けけらしも
反し歌一首
4112　橘は花にも実にも見つれどもいや時じくに猶し見が欲し
　　　　　閏五月(のちのさつき)の二十三日(はつかまりみかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。

庭中(には)の花を詠(み)てよめる歌一首、また短歌
4113　おほきみの　遠の朝廷(みかど)と　任(ま)きたまふ　官(つかさ)のまにま
　　　み雪降る　越に下り来　あら玉の　年の五年(いつとせ)
　　　敷妙の　手枕まかず　紐解かず　丸寝(まろね)をすれば
　　　いふせみと　心なぐさに　撫子を　屋戸に蒔き生ほし
　　　夏の野の　早百合引き植ゑて　咲く花を　出で見るごとに
　　　撫子が　その花妻に　早百合花　ゆりも逢はむと
　　　慰むる　心し無くば　天ざかる　夷に一日も　あるべくもあれや
反し歌二首
4114　撫子が花見る毎にをとめらが笑まひのにほひ思ほゆるかも
4115　早百合花ゆりも逢はむと下延(ば)ふる心し無くば今日も経めやも
　　　　　同じ〔閏五〕月の二十六日、大伴宿禰家持がよめる。

国の掾久米朝臣廣繩、天平二十年(はたとせといふとし)に、朝集使(まゐうごなはるつかひ)に附きて京(みやこ)に入(のぼ)り、その事畢(をは)りて、天平感宝元年閏五月(のちのさつき)の二十七日(はつかまりなぬかのひ)、本の任(つかさ)に還到(かへ)る。仍(かれ)長官(かみ)の館(たち)に詩酒宴(うたげ)楽飲(あそ)べり。その時主人(あろじ)守大伴宿禰家持がよめる歌一首、また短歌
4116　おほきみの　任(ま)きのまにまに　取り持ちて　仕ふる国の
　　　年の内の　事結(かた)ね持ち　玉ほこの　道に出で立ち
　　　岩根踏み　山越え野行き　都辺に　参ゐし我が兄(せ)を
　　　あら玉の　年ゆき返(がへ)り　月重ね　見ぬ日さまねみ
　　　恋ふるそら　安くしあらねば　霍公鳥　来鳴く五月の
　　　あやめ草　蓬かづらき　酒漬(さかみづ)き　遊びなぐれど
　　　射水川　雪消(ゆきけ)溢(はふ)りて　行く水の　いや益しにのみ
　　　鶴(たづ)が鳴く　奈呉江の菅の　ねもころに　思ひ結ほれ
　　　嘆きつつ　吾(あ)が待つ君が　事終り　帰り罷りて
　　　夏の野の　早百合の花の　花笑みに　にふぶに笑みて
　　　逢はしたる　今日を始めて　鏡なす　かくし常見む　面変りせず
反し歌二首
4117　去年(こぞ)の秋相見しまにま今日見れば面やめづらし都方人(みやこかたひと)
4118　かくしても相見るものを少なくも年月経れば恋ひしけめやも

霍公鳥の喧(ね)を聞きてよめる歌一首
4119　古よ偲ひにければ霍公鳥鳴く声聞きて恋しきものを

京(みやこ)に向(まゐ)でむ時、貴人(うまひと)を見、美人(をとめ)に逢ひて飲宴(うたげ)せむ日、懐(おもひ)を述べむ為、儲(あらかじ)めよめる歌二首
4120　見まく欲り思ひしなべに縵(かづら)掛け香ぐはし君を相見つるかも
4121　朝参(まゐり)の君が姿を見ず久に夷(ひな)にし住めば吾(あれ)恋ひにけり 一ニ云ク、愛(は)しきよし妹が姿を
　　　　　同じ〔閏五〕月の二十八日(はつかまりやかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。

天平感宝元年閏五月の六日(むかのひ)より小旱(ひでり)して、百姓(おほみたから)のうゑし田畝(た)稍(やや)凋める色あり。六月(みなつき)の朔日(つきたちのひ)に至りて、忽ちに雨雲之気(あまけのくも)を見、仍て作める歌一首 短歌一絶
4122　すめろきの　敷きます国の　天の下　四方の道には
　　　馬の爪　い尽くす極み　船(ふな)の舳(へ)の　い泊(は)つるまでに
　　　古よ　今の現(をつつ)に　万調(よろづつき)　奉る長上(つかさ)と
　　　作りたる　その農業(なりはひ)を　雨降らず　日の重なれば
　　　植ゑし田も　蒔きし畑も　朝ごとに　凋(しほ)み枯れゆく
　　　そを見れば　心を痛み 緑子の　乳(ち)乞ふがごとく
　　　天つ水　仰(あふ)ぎてそ待つ　あしひきの　山のたをりに
　　　この見ゆる　天の白雲　海神(わたつみ)の　奥津宮(おきつみや)辺に
　　　立ちわたり　との曇りあひて　雨も賜はね
反し歌一首
4123　この見ゆる雲ほびこりてとの曇り雨も降らぬか心足らひに
　　　　　右の二首は、六月の一日の晩頭(ゆふぐれ)、守大伴宿禰家持がよめる。

雨落(あめ)を賀(よろこ)ぶ歌一首
4124　我が欲りし雨は降り来ぬかくしあらば言挙げせずとも年は栄えむ
　　　　　右の一首は、同じ月の四日(よかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。

七夕(なぬかのよ)の歌一首、また短歌
4125　天照(あまで)らす　神の御代より　安の川(がは)　中に隔てて
　　　向ひ立ち　袖振り交はし　息の緒に　嘆かす子ら
　　　渡り守　舟も設(まう)けず　橋だにも　渡してあらば
　　　その上(へ)ゆも　い行き渡らし　携はり　項(うな)がけり居て
　　　思ほしき　ことも語らひ　慰むる　心はあらむを
　　　何しかも　秋にしあらねば　言問ひの　乏しき子ら
　　　うつせみの　世の人我も　ここをしも　あやに奇(くす)しみ
　　　往き更(かは)る　年のはごとに　天の原　振り放(さ)け見つつ
　　　言ひ継ぎにすれ
反し歌二首
4126　天の川橋渡せらばその上(へ)ゆもい渡らさむを秋にあらずとも
4127　安の川い向ひ立ちて年の恋日(け)長き子らが妻問の夜そ
　　　　　右、七月(ふみづき)の七日(なぬかのひ)、天漢(あまのがは)を仰見(み)て、
　　　　　大伴宿禰家持がよめる。

越前国(こしのみちのくちのくに)の掾(まつりごとひと)大伴宿禰池主が来贈(おく)れる戯歌(たはれうた)四首
忽ちに恩賜を辱(かたじけな)くす。驚き欣ぶこと已(すで)に深し。心の中に咲(ゑみ)を含み、独り座りて稍開けば、表裏同じからず。相違何ぞ異れる。所由(そのゆゑ)を推し量るに、率爾に策を作(な)す歟。明かに言の如きことを知りぬ。豈に他の意有らめや。凡そ本物を貿易(まうやく)する、其の罪軽(かろ)からず。正贓倍贓、急(すみや)けく并満すべし。今風雲に勒して、徴使を発遣(おく)る。早速返報したまへ。延回したまふべからず。
　勝宝元年十一月十二日。物貿易せらる下吏、謹みて
　貿易の人断る庁官司の　庁の下に訴ふ。
別に白(まを)す、可怜(うつくしみ)の意、黙止(もだ)り能(え)ず。聊か四詠(ようた)を述(よ)みて、唯睡覚に擬す。
4128　草枕旅の翁と思ほして針そ賜へる縫はむ物もが
4129　針袋取り上げ前に置き返さへばおのともおのや裏も継ぎたり
4130　針袋帯び続けながら里ごとに照らさひ歩けど人もとがめず
4131　鶏(とり)が鳴く東(あづま)をさして誇(ふさ)へしに行かむと思へどよしもさねなし
　　　　　　右の歌の返報歌(こたへうた)は、脱漏(も)れて探求(もと)め得ず。

更に来贈(おく)れる歌二首
駅使(はゆまつかひ)を迎ふる事に依りて、今月十五日、部下(くぬち)加賀の郡の境に到来(いた)る。面蔭射水の郷に見はれ、恋緒深海(ふかみ)の村に結ふ。身胡馬にあらねど、心北風を悲しめり。月に乗りて徘徊(たもとほ)り、曽て為す所無く、稍来封を開く。その辞に云く、「著者先に奉る書、返りて疑ひに度れることを畏る歟」とのりたまへり。僕(われ)嘱羅を作し、且使君を悩ます。夫れ水を乞ひて酒を得、従来能き口なり。論じて時理に合へり。何か強吏と題(しる)さめや。尋ねて針袋の詠を誦むに、詞泉酌めども渇(つ)きず。膝を抱(むだ)き独り咲(わら)ふ。能く旅愁をのぞき、陶然として日を遣る。何か慮(はか)らむ、何か思はむ。短筆不宣。
　勝宝元年十二月十五日。物を徴(はた)りし下司(かし)、謹みて
伏せぬ使君 記室に上(たてまつ)る。
　別(こと)に奉る云々歌二首
4132　竪(たた)さにもかにも横さも奴とそ吾(あれ)はありける主の殿戸(とのど)に
4133　針袋これは賜(たば)りぬすり袋今は得てしか翁(おきな)さびせむ

宴席(うたげのとき)、雪、月、梅の花を詠める歌一首
4134　雪の上に照れる月夜に梅の花折りて送らむ愛(は)しき子もがも
　　　　　右の一首は、十二月(しはす)、大伴宿禰家持がよめる。
4135　我が背子が琴取るなべに常人の言ふ嘆きしもいやしき増すも
　　　　　右の一首は、少目(すなきふみひと)秦伊美吉石竹が館の宴に、
　　　　　守大伴宿禰家持がよめる。

天平勝宝二年正月(むつき)の二日、国庁(くにのまつりごとどの)にて諸(もろもろ)の郡司(こほりのつかさ)等を給饗(あろじ)せる宴歌(うた)一首
4136　あしひきの山の木末のほよ取りて挿頭(かざ)しつらくは千年寿(ほ)くとそ
　　　　　右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。

判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩が館の宴の歌一首
4137　正月(むつき)立つ春の初めにかくしつつ相し笑みてば時じけめやも
　　　　　同じ月の五日(いつかのひ)、守大伴宿禰家持がよめる。

墾田(はりた)の地(ところ)を検察(みさだ)むる事に縁りて、礪波の郡の主帳(ふみひと)多治比部北里(たぢひべのきたさと)が家に宿れる時、忽ちに風雨(かぜあめ)起こり、え辞去(かへ)らずてよめる歌一首
4138　荊波(やぶなみ)の里に宿借り春雨に籠りつつむと妹に告げつや
　　　　　二月(きさらぎ)の十八日(とをかまりやかのひ)、守大伴宿禰家持がよめる。    </description>
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    <title>m8</title>
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      巻第十五(とをまりいつまきにあたるまき)


天平(てむひやう)八年(やとせといふとし)丙子(ひのえね)夏六月(みなつき)、新羅(しらき)の国に遣ひ使はさるる時、使人(つかひ)等、各(おのもおのも)別れを悲しみ贈り答へ、また海路(うみつぢ)にて情(こころ)を慟(かなし)み思ひを陳(の)べてよめる歌、また所につきて誦詠(うた)へる古き歌、一百四十五首(ももちまりよそいつつ)

3578　武庫(むこ)の浦の入江の洲鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし
3579　大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみ持ちて行かましものを
3580　君が行く海辺の宿に霧立たば吾(あ)が立ち嘆く息と知りませ
3581　秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆きしまさむ
3582　大船を荒海(あるみ)に出だしいます君障(つつ)むことなく早帰りませ
3583　ま幸(さき)くと妹が斎(いは)はば沖つ波千重に立つとも障(さは)りあらめやも
3584　別れなばうら悲しけむ吾(あ)が衣下にを着ませ直(ただ)に逢ふまてに
3585　我妹子(わぎもこ)が下にを着よと贈りたる衣の紐を吾(あれ)解かめやも
3586　我がゆゑに思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ
3587　栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日か明日かと斎ひて待たむ
3588　はろばろに思ほゆるかも然れども異(け)しき心を吾(あ)が思(も)はなくに
　　　　　右の十一首(とをまりひとつ)は、贈答(おくりこたへのうた)。
3589　夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてそ吾(あ)が来る妹が目を欲り
　　　　　右の一首(ひとうた)は、秦間滿(はたのはしまろ)。
3590　妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてそ吾(あ)が来る
　　　　　右の一首は、竊(ひそ)かに私家(いへ)に還りて思ひを陳(の)ぶ。
3591　妹とありし時はあれども別れては衣手寒きものにそありける
3592　海原に浮寝せむ夜は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに
3593　大伴の御津に船(ふな)乗り榜ぎ出てはいづれの島に廬りせむ我
　　　　　右の三首(みうた)は、発たむとする時よめる歌。
3594　潮待つとありける船を知らずして悔しく妹を別れ来にけり
3595　朝開き榜ぎ出て来れば武庫の浦の潮干の潟に鶴(たづ)が声すも
3596　我妹子が形見に見むを印南都麻(いなみづま)白波高みよそにかも見む
3597　わたつみの沖つ白波立ち来らし海人処女(あまをとめ)ども島隠る見ゆ
3598　ぬば玉の夜は明けぬらし玉の浦にあさりする鶴(たづ)鳴き渡るなり
3599　月読(つくよみ)の光を清み神島の磯廻(いそま)の浦ゆ船出す我は
3600　離れ磯(そ)に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも
3601　しましくも独りあり得るものにあれや島のむろの木離れてあるらむ
　　　　　右の八首(やうた)は、船乗りして海つ路に入(いづ)る時よめる歌。

所につきて誦詠(うた)へる古き歌
3602　青丹よし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも
　　　　　右の一首は、雲を詠める。
3603　青柳の枝伐り下ろし斎種(ゆたね)蒔き忌々(ゆゆ)しく君に恋ひ渡るかも
3604　妹が袖(そて)別れて久になりぬれど一日も妹を忘れて思へや
3605　わたつみの海に出でたる飾磨川(しかまがは)絶えむ日にこそ吾(あ)が恋やまめ
　　　　　右の三首は、恋の歌。
3606　玉藻刈る処女(をとめ)を過ぎて夏草の野島(ぬしま)が崎に廬りす我は
　　　　　柿本朝臣人麿ガ歌ニ曰ク、敏馬を過ぎて。又曰ク、船近づきぬ。
3607　白妙の藤江の浦に漁(いざ)りする海人とや見らむ旅ゆく我を
　　　　　柿本朝臣人麿ガ歌ニ曰ク、荒栲の。又曰ク、鱸(すずき)釣る海人
　　　　　とか見らむ。
3608　天離(あまざか)る夷(ひな)の長道を恋ひ来れば明石の門(と)より家のあたり見ゆ
　　　　　柿本朝臣人麿ガ歌ニ曰ク、やまと島見ゆ。
3609　武庫の海の庭よくあらしいざりする海人の釣船波のうへゆ見ゆ
　　　　　柿本朝臣人麿ガ歌ニ曰ク、けひの海の。又曰ク、刈薦(かりこも)の
　　　　　乱れて出づ見ゆ海人の釣船。
3610　安胡(あご)の浦に船乗りすらむ処女らが赤裳の裾に潮満つらむか
　　　　　柿本朝臣人麿ガ歌ニ曰ク、あみの浦。又曰ク、玉裳の裾に。

〔七夕歌一首〕
3611　大船に真楫しじ貫(ぬ)き海原(うなはら)を榜ぎ出て渡る月人壮士(つきひとをとこ)
　　　　　右、柿本朝臣人麿の歌。

備後国(きびのみちのしりのくに)水調郡(みつきのこほり)長井の浦に船泊てし夜、よめる歌三首
3612　青丹よし奈良の都に行く人もがも草枕旅ゆく船の泊り告げむに 旋頭歌なり。
　　　　　右の一首は、大判官(おほきまつりごとひと)。
3613　海原を八十(やそ)島隠り来ぬれども奈良の都は忘れかねつも
3614　帰るさに妹に見せむにわたつみの沖つ白玉拾(ひり)ひて行かな

安藝国(あぎのくに)風速(かざはや)の浦に舶(ふね)泊てし夜、よめる歌二首
3615　我がゆゑに妹歎くらし風速の浦の沖辺に霧たなびけり
3616　沖つ風いたく吹きせば我妹子が歎きの霧に飽かましものを

長門の島の磯辺に舶泊ててよめる歌五首
3617　石走(いはばし)る滝(たぎ)もとどろに鳴く蝉(せび)の声をし聞けば都し思ほゆ
　　　　　右の一首は、大石蓑麿(おほいそのにのまろ)。
3618　山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
3619　磯の間ゆたぎつ山川絶えずあらばまたも相見む秋かたまけて
3620　恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも
3621　我が命を長門の島の小松原幾代を経てか神(かむ)さびわたる

長門の浦より舶出(ふなで)せし夜、月光(つき)を仰観(み)てよめる歌三首
3622　月読の光を清み夕凪に水手(かこ)の声呼び浦廻(うらみ)榜ぐかも
3623　山の端に月かたぶけば漁(いざ)りする海人の燈し火沖になづさふ
3624　我のみや夜船は榜ぐと思へれば沖辺の方に楫の音すなり

古き挽歌(かなしみうた)一首、また短歌(みじかうた)
3625　夕されば　葦辺に騒き　明け来れば　沖になづさふ
　　　鴨すらも　妻とたぐひて　我が尾には　霜な降りそと
　　　白妙の　羽さし交へて　打ち掃ひ　さ寝(ぬ)とふものを
　　　行く水の　帰らぬごとく　吹く風の　見えぬがごとく
　　　跡も無き　世の人にして　別れにし　妹が着せてし
　　　馴れ衣　袖片敷きて　独りかも寝む
反(かへ)し歌一首
3626　鶴(たづ)が鳴き葦辺をさして飛び渡るあなたづたづし独りさ寝(ぬ)れば
　　　　　右、丹比大夫(たぢひのまへつきみ)が亡(みまか)れる妻(め)を悽愴(かなし)める歌。

物に属(つ)きて思ひを発(の)ぶる歌一首、また短歌
3627　朝されば　妹が手にまく　鏡なす　御津の浜びに
　　　大船に　真楫しじ貫き　韓国(からくに)に　渡り行かむと
　　　直向ふ　敏馬(みぬめ)をさして　潮待ちて　水脈(みを)びき行けば
　　　沖辺には　白波高み　浦廻より　榜ぎて渡れば
　　　我妹子に　淡路の島は　夕されば　雲居隠りぬ
　　　さ夜更けて　ゆくへを知らに　吾(あ)が心　明石の浦に
　　　船泊めて　浮寝をしつつ　わたつみの　沖辺を見れば
　　　いざりする　海人の処女は　小船(をぶね)乗り　つららに浮けり
　　　暁(あかとき)の　潮満ち来れば　葦辺には　鶴(たづ)鳴き渡る
　　　朝凪に　船出をせむと　船人も　水手(かこ)も声呼び
　　　にほ鳥の　なづさひ行けば　家島は　雲居に見えぬ
　　　吾(あ)が思(も)へる　心なぐやと　早く来て　見むと思ひて
　　　大船を　榜ぎ我が行けば　沖つ波　高く立ち来ぬ
　　　よそのみに　見つつ過ぎ行き　玉の浦に　船を留めて
　　　浜びより　浦磯を見つつ　泣く子なす　音のみし泣かゆ
　　　わたつみの　手纏(たまき)の玉を　家苞(つと)に　妹に遣らむと
　　　拾(ひり)ひ取り　袖には入れて　帰し遣る　使なければ
　　　持てれども　験(しるし)を無みと　また置きつるかも
反し歌二首
3628　玉の浦の沖つ白玉ひりへれどまたそ置きつる見る人を無み
3629　秋さらば我が船泊てむ忘れ貝寄せ来て置けれ沖つ白波

周防国(すはうのくに)玖河郡(くがのこほり)麻里布(まりふ)の浦に行く時、よめる歌八首(やつ)
3630　真楫貫き船し行かずば見れど飽かぬ麻里布の浦に宿りせましを
3631　いつしかも見むと思ひし粟島をよそにや恋ひむ行くよしを無み
3632　大船にかし振り立てて浜清(ぎよ)き麻里布の浦に宿りかせまし
3633　粟島の逢はじと思ふ妹にあれや安眠(やすい)も寝ずて吾(あ)が恋ひ渡る
3634　筑紫道の可太(かだ)の大島しましくも見ねば恋しき妹を置きて来ぬ
3635　妹が家路近くありせば見れど飽かぬ麻里布の浦を見せましものを
3636　家人は帰り早来(こ)と伊波比島(いはひしま)斎ひ待つらむ旅ゆく我を
3637　草枕旅ゆく人を伊波比島幾代経るまて斎ひ来にけむ

大島の鳴門を過ぎて再宿(ふたよ)経し後、追ひてよめる歌二首
3638　これやこの名に負ふ鳴門の渦潮に玉藻刈るとふ海人処女(あまをとめ)ども
　　　　　右の一首は、田邊秋庭(たのべのあきには)。
3639　波の上に浮き寝せし宵あど思(も)へか心悲しく夢(いめ)に見えつる

熊毛の浦に船泊てし夜、よめる歌四首
3640　都辺に行かむ船もが刈薦の乱れて思ふこと告げやらむ
　　　　　右の一首は、羽栗(はくり)。
3641　暁の家恋しきに浦廻より楫の音するは海人処女かも
3642　沖辺より潮満ち来らし韓(から)の浦にあさりする鶴(たづ)鳴きて騒きぬ
3643　沖辺より船人のぼる呼び寄せていざ告げやらむ旅の宿りを
　　　　　一ニ云ク、旅の宿りをいざ告げやらな。

佐婆(さば)の海にて、忽ち逆風(あらきかぜ)漲浪(たかきなみ)に遭ひて、漂流(ただよひ)宿(ひとよ)経て、のち順風(おひて)を得、豊前国(とよくにのみちのくち)下毛郡(しもつみけのこほり)分間(わくま)の浦に到着(つ)きぬ。ここに艱難(いたづき)を追ひ怛(いた)みて、よめる歌八首
3644　おほきみの命(みこと)畏(かしこ)み大船の行きのまにまに宿りするかも
　　　　　右の一首は、雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)。
3645　我妹子は早も来ぬかと待つらむを沖にや住まむ家附かずして
3646　浦廻より榜ぎ来し船を風速み沖つ御浦に宿りするかも
3647　我妹子がいかに思へかぬば玉の一夜もおちず夢にし見ゆる
3648　海原の沖辺に灯し漁(いざ)る火は明かして灯せ大和島見む
3649　鴨じもの浮寝をすれば蜷(みな)の腸(わた)か黒き髪に露そ置きにける
3650　久かたの天照る月は見つれども吾(あ)が思(も)ふ妹に逢はぬ頃かも
3651　ぬば玉の夜渡る月は早も出でぬかも海原の八十島の上ゆ妹があたり見む 旋頭歌なり。

筑紫の館(たち)に至り、本つ郷(くに)のかたを遥望(みさ)け、悽愴(かなし)みてよめる歌四首
3652　志賀(しか)の海人の一日もおちず焼く塩のからき恋をも吾(あれ)はするかも
3653　志賀の浦に漁(いざ)りする海人家人の待ち恋ふらむに明かし釣る魚
3654　可之布江(かしふえ)に鶴(たづ)鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来らしも
　　　　　一ニ云ク、満ちし来ぬらし。
3655　今よりは秋づきぬらしあしひきの山松蔭にひぐらし鳴きぬ

七夕(なぬかのよ)天漢(あまのがは)を仰観(みさ)け、各(おのもおのも)思ひを陳べてよめる歌三首
3656　秋萩ににほへる我が裳濡れぬとも君が御船の綱し取りてば
　　　　　右の一首は、大使(つかひのかみ)。
3657　年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我にまさりて思ふらめやも
3658　夕月夜影立ち寄り合ひ天の川榜ぐ船人を見るが羨(とも)しさ

海辺にて月を望(み)てよめる歌九首
3659　秋風は日に異(け)に吹きぬ我妹子はいつかと我を斎ひ待つらむ
　　　　　大使の第二男(おとむすこ)。
3660　神さぶる荒津の崎に寄する波間なくや妹に恋ひ渡りなむ
　　　　　右の一首は、土師稲足(はにしのいなたり)。
3661　風の共(むた)寄せ来る波にいざりする海人処女らが裳の裾濡れぬ
　　　　　一ニ云ク、海人のをとめが裳の裾濡れぬ。
3662　天の原振り放け見れば夜そ更けにけるよしゑやし独り寝(ぬ)る夜は明けば明けぬとも
　　　　　右ノ一首ハ、旋頭歌ナリ。
3663　わたつみの沖つ縄海苔来る時と妹が待つらむ月は経につつ
3664　志賀の浦にいざりする海人明け来れば浦廻榜ぐらし楫の音聞こゆ
3665　妹を思ひ眠(い)の寝らえぬに暁(あかとき)の朝霧ごもり雁がねそ鳴く
3666　夕されば秋風寒し我妹子が解き洗ひ衣(ごろも)行きて早着む
3667　我が旅は久しくあらしこの吾(あ)が着(け)る妹が衣の垢づく見れば

筑前国(つくしのみちのくちのくに)志麻郡の韓亭(からとまり)に舶(ふね)泊てて三日(みか)経ぬ。時に夜月(つき)の光、皎々流照(てりわたれり)。奄(たちま)ち此の華(けはひ)に対(よ)りて、旅の情(こころ)を悽噎(かなし)み、各(おのもおのも)心緒(おもひ)を陳(の)べてよめる歌六首(むつ)
3668　おほきみの遠の朝廷(みかど)と思へれど日(け)長くしあれば恋ひにけるかも
　　　　　右の一首は、大使(つかひのかみ)。
3669　旅にあれど夜は火灯し居る我を闇にや妹が恋ひつつあるらむ
　　　　　右の一首は、大判官(おほきまつりごとひと)。
3670　からとまり能古(のこ)の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし
3671　ぬば玉の夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来(こ)ましを
3672　久かたの月は照りたり暇(いとま)なく海人の漁火(いざり)は灯し合へり見ゆ
3673　風吹けば沖つ白波かしこみと能古の泊にあまた夜そ寝(ぬ)る

引津(ひきづ)の亭(とまり)に舶泊てし時よめる歌七首
3674　草枕旅を苦しみ恋ひ居れば可也(かや)の山辺にさ牡鹿鳴くも
3675　沖つ波高く立つ日に遭へりきと都の人は聞きてけむかも
　　　　　右の二首は、大判官。
3676　天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都にこと告げやらむ
3677　秋の野をにほはす萩は咲けれども見る験(しるし)なし旅にしあれば
3678　妹を思ひ眠(い)の寝らえぬに秋の野にさ牡鹿鳴きつ妻思ひかねて
3679　大船に真楫しじ貫き時待つと我は思へど月そ経にける
3680　夜を長み眠(い)の寝らえぬにあしひきの山彦とよめさ牡鹿鳴くも

肥前国(ひのみちのくちのくに)松浦郡(まつらのこほり)狛島の亭(とまり)に舶泊てし夜、海浪(うなはら)を遥望(みさ)け、各(おのもおのも)旅の心を慟(かなし)みてよめる歌七首
3681　帰り来て見むと思ひし我が屋戸の秋萩すすき散りにけむかも
　　　　　右の一首は、秦田滿(はたのたまろ)。
3682　天地の神を乞ひつつ吾(あれ)待たむ早来ませ君待たば苦しも
　　　　　右の一首は、娘子(をとめ)。
3683　君を思ひ吾(あ)が恋ひまくはあら玉の立つ月ごとに避(よ)くる日もあらじ
3684　秋の夜を長みにかあらむなそここば眠(い)の寝らえぬも独り寝(ぬ)ればか
3685　たらし姫御船泊てけむ松浦の海妹が待つべき月は経につつ
3686　旅なれば思ひ絶えてもありつれど家にある妹し思ひ悲(がな)しも
3687　あしひきの山飛び越ゆる雁がねは都に行かば妹に逢ひて来(こ)ね

壹岐(ゆき)の島に到りて、雪連宅滿(ゆきのむらじやかまろ)が、忽ち鬼病(えやみ)にて死去(みまか)れる時よめる歌〔一首、また短歌〕
3688　すめろきの　遠の朝廷と　から国に　渡る我が背は
　　　家人の　斎(いは)ひ待たねか　ただ身かも　過ちしけむ
　　　秋さらば　帰りまさむと　たらちねの　母に申して
　　　時も過ぎ　月も経ぬれば　今日か来む　明日かも来むと
　　　家人は　待ち恋ふらむに　遠の国　いまだも着かず
　　　大和をも　遠く離(さか)りて　岩が根の　荒き島根に　宿りする君
反し歌二首
3689　石田野(いはたぬ)に宿りする君家人のいづらと我を問はばいかに言はむ
3690　世の中は常かくのみと別れぬる君にやもとな吾(あ)が恋ひゆかむ
　　　　　右三首は、姓名がよめる挽歌(かなしみうた)。
3691　天地と　共にもがもと　思ひつつ　ありけむものを
　　　愛(は)しけやし　家を離れて　波のうへゆ　なづさひ来にて
　　　あら玉の　月日も来経ぬ　雁がねも　継ぎて来鳴けば
　　　たらちねの　母も妻らも　朝露に　裳の裾ひづち
　　　夕霧に　衣手濡れて　幸(さき)くしも　あるらむごとく
　　　出で見つつ　待つらむものを　世の中の　人の嘆きは
　　　相思はぬ　君にあれやも　秋萩の　散らへる野辺の
　　　初尾花　仮廬(かりほ)に葺きて　雲離(ばな)れ　遠き国辺の
　　　露霜の　寒き山辺に　宿りせるらむ
反し歌二首
3692　愛(は)しけやし妻も子供も高々(たかたか)に待つらむ君や島隠(がく)れぬる
3693　もみち葉の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも
　　　　　右の三首は、葛井連子老(ふぢゐのむらじこおゆ)がよめる挽歌。
3694　わたつみの　恐(かしこ)き道を　安けくも　なく悩み来て
　　　今だにも　凶(も)なく行かむと　壱岐(ゆき)の海人の　秀(ほ)つ手の占(うら)へを
　　　肩焼きて　行かむとするに　夢(いめ)のごと　道の空路に　別れする君
反し歌二首
3695　昔より言ひけることの韓国のからくもここに別れするかも
3696　新羅(しらき)へか家にか帰る壱岐の島行かむたどきも思ひかねつも
　　　　　右の三首は、六鯖(むさば)がよめる挽歌。

對馬島(つしま)の淺茅の浦に舶泊てし時、順風(おひて)を得ず、停(とど)まりて五箇日(いつか)を経き。ここに物華を瞻望(みや)りて、各(おのもおのも)慟心(おもひ)を陳べてよめる歌三首
3697　百船の泊つる對馬の淺茅山しぐれの雨にもみたひにけり
3698　天ざかる夷にも月は照れれども妹そ遠くは別れ来にける
3699　秋されば置く露霜に堪(あ)へずして都の山は色づきぬらむ

竹敷(たかしき)の浦に舶泊てし時、各心緒(おもひ)を陳べてよめる歌十八首(とをまりやつ)
3700　あしひきの山下光るもみち葉の散りのまがひは今日にもあるかも
　　　　　右の一首は、大使。
3701　竹敷の黄葉(もみち)を見れば我妹子が待たむと言ひし時そ来にける
　　　　　右の一首は、副使(つかひのすけ)。
3702　竹敷の浦廻の黄葉われ行きて帰り来るまて散りこすなゆめ
　　　　　右の一首は、大判官(おほきまつりごとひと)。
3703　竹敷の上方山(うへかたやま)は紅の八しほの色になりにけるかも
　　　　　右の一首は、小判官(すなきまつりごとひと)。
3704　もみち葉の散らふ山辺ゆ榜ぐ船のにほひに愛でて出でて来にけり
3705　竹敷の玉藻靡かし榜ぎ出なむ君が御舟をいつとか待たむ
　　　　　右の二首は、對馬娘子、名は玉槻(たまつき)。
3706　玉敷ける清き渚を潮満てば飽かず我行く帰るさに見む
　　　　　右の一首は、大使。
3707　秋山の黄葉を挿頭(かざ)し我が居れば浦潮満ち来(く)いまだ飽かなくに
　　　　　右の一首は、副使。
3708　物思(も)ふと人には見えじ下紐の下ゆ恋ふるに月そ経にける
　　　　　右の一首は、大使。
3709　家づとに貝を拾(ひり)ふと沖辺より寄せ来る波に衣手濡れぬ
3710　潮干なばまたも我来むいざ行かむ沖つ潮騒高く立ち来(き)ぬ
3711　我が袖は手本とほりて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ
3712　ぬば玉の妹が干すべくあらなくに我が衣手を濡れていかにせむ
3713　もみち葉は今はうつろふ我妹子が待たむと言ひし時の経ゆけば
3714　秋されば恋しみ妹を夢にだに久しく見むを明けにけるかも
3715　独りのみ着寝(ぬ)る衣の紐解かば誰かも結はむ家遠(どほ)くして
3716　天雲のたゆたひ来れば九月(ながつき)の黄葉の山もうつろひにけり
3717　旅にても凶(も)なく早来(こ)と我妹子が結びし紐は褻(な)れにけるかも

筑紫の海つ路に回(かへ)り来て、京(みやこ)に入(まゐ)らむと播磨国家島に到れる時よめる歌五首
3718　家島は名にこそありけれ海原を吾(あ)が恋ひ来つる妹もあらなくに
3719　草枕旅に久しくあらめやと妹に言ひしを年の経ぬらく
3720　我妹子を行きて早見む淡路島雲居に見えぬ家附くらしも
3721　ぬば玉の夜明かしも船は榜ぎ行かな御津の浜松待ち恋ひぬらむ
3722　大伴の御津の泊に船泊てて龍田の山をいつか越えいかむ


中臣朝臣宅守(やかもり)が蔵部(くらべ)の女(め)に娶(あ)ひて、狹野茅上娘子(さぬのちかみをとめ)を娉(よば)へる時、勅(みことのり)して流す罪に断(さだ)めて、越前国(こしのみちのくちのくに)に配(はな)ちたまへり。ここに夫婦(めを)別れ易く会ひ難きを嘆き、各(おのもおのも)慟(かな)しみの情を陳べて、贈り答ふる歌、六十三首(むそちまりみつ)

3723　あしひきの山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし
3724　君が行く道の長手を繰り畳み焼き滅ぼさむ天(あめ)の火もがも
3725　我が背子しけだし罷(まか)らば白妙の袖を振らさね見つつ偲はむ
3726　この頃は恋ひつつもあらむ玉くしげ明けて後(をち)よりすべなかるべし
　　　　　右の四首は、別れむとして娘子(をとめ)が悲しみよめる歌。

3727　塵泥(ちりひぢ)の数にもあらぬ我ゆゑに思ひ侘ぶらむ妹が悲しさ
3728　青丹よし奈良の大道は行き良けどこの山道は行き悪しかりけり
3729　愛(うるは)しと吾(あ)が思(も)ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかるらむ
3730　畏みと告(の)らずありしを御越道(みこしぢ)の峠(たむけ)に立ちて妹が名のりつ
　　　　　右の四首は、中臣朝臣宅守が上道(みちだち)してよめる歌。

3731　思ふゑに逢ふものならばしましくも妹が目離(か)れて吾(あれ)居らめやも
3732　あかねさす昼は物思(も)ひぬば玉の夜はすがらに音のみし泣かゆ
3733　我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし
3734　遠き山関も越え来ぬ今更に逢ふべきよしの無きが寂(さぶ)しさ 一ニ云ク、さびしさ
3735　思はずもまことあり得むやさ寝(ぬ)る夜の夢にも妹が見えざらなくに
3736　遠くあれば一日一夜も思はずてあるらむものと思ほしめすな
3737　人よりは妹そも悪しき恋もなくあらましものを思はしめつつ
3738　思ひつつ寝(ぬ)ればかもとなぬば玉の一夜もおちず夢にし見ゆる
3739　かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹をば見ずそあるべくありける
3740　天地の神なきものにあらばこそ吾(あ)が思(も)ふ妹に逢はず死にせめ
3741　命をし全(また)くしあらば珠衣(ありきぬ)のありて後にも逢はざらめやも 一ニ云ク、ありての後も
3742　逢はむ日をその日と知らず常闇(とこやみ)にいづれの日まて吾(あれ)恋ひ居らむ
3743　旅といへば言にそ易き少なくも妹に恋ひつつすべ無けなくに
3744　我妹子に恋ふるに吾(あれ)は玉きはる短き命も惜しけくもなし
　　　　　右の十四首(とをまりようた)は、配所(はなたえしところ)に至りて中臣朝臣宅守がよめる歌。

3745　命あらば逢ふこともあらむ我がゆゑにはたな思ひそ命だに経ば
3746　人の植うる田は植ゑまさず今更に国別れして吾(あれ)はいかにせむ
3747　我が屋戸の松の葉見つつ吾(あれ)待たむ早帰りませ恋ひ死なぬとに
3748　他国(ひとくに)は住み悪しとそ言ふ速(すむや)けく早帰りませ恋ひ死なぬとに
3749　他国に君をいませていつまてか吾(あ)が恋ひをらむ時の知らなく
3750　天地の極(そこひ)の裡(うら)に吾(あ)がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ
3751　白妙の吾(あ)が下衣失はず持てれ我が背子ただに逢ふまてに
3752　春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつ顕(うつ)しけめやも
3753　逢はむ日の形見にせよと手弱女の思ひ乱れて縫へる衣そ
　　　　　右の九首(ここのうた)は、娘子が京(みやこ)に留まり、悲傷(かなし)みてよめる歌。

3754　過所(ふた)なしに関飛び越ゆる霍公鳥(ほととぎす)我が身にもがも止まず通はむ
3755　愛(うるは)しと吾(あ)が思(も)ふ妹を山川を中にへなりて安けくもなし
3756　向ひ居て一日もおちず見しかども厭はぬ妹を月わたるまて
3757　吾(あ)が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを
3758　刺竹(さすだけ)の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるらむ 一ニ云ク、今さへや
3759　たちかへり泣けども吾(あれ)は験なみ思ひ侘ぶれて寝(ぬ)る夜しそ多き
3760　さ寝(ぬ)る夜は多くあれども物思(も)はず安く寝(ぬ)る夜はさねなきものを
3761　世の中の常のことわりかく様に成り来にけらし据ゑし種から
3762　我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし
3763　旅と言へば言にそ易きすべも無く苦しき旅も娘(こ)らにまさめやも
3764　山川を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹(わぎも)
3765　真澄鏡懸けて偲へと奉(まつ)り出す形見のものを人に示すな
3766　うるはしと思ひし思はば下紐に結ひ付け持ちてやまず偲はせ
　　　　　右の十三首(とをまりみうた)は、配所より中臣朝臣宅守が贈れる歌。

3767　魂は朝夕(あしたゆふへ)に霊(たま)振れど吾(あ)が胸痛し恋の繁きに
3768　この頃は君を思ふとすべも無き恋のみしつつ音のみしそ泣く
3769　ぬば玉の夜見し君を明くる朝(あした)逢はずまにして今そ悔しき
3770　味真野(あぢまぬ)に宿れる君が帰り来む時の迎へをいつとか待たむ
3771　家人(いへびと)の安眠(やすい)も寝ずて今日今日と待つらむものを見えぬ君かも
3772　帰りける人来たれりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて
3773　君が共(むた)行かましものを同じこと後れて居れどよきこともなし
3774　我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな
　　　　　右の八首は、娘子が和贈(こた)ふる歌。

3775　あら玉の年の緒長く逢はざれど異(け)しき心を吾(あ)が思(も)はなくに
3776　今日もかも都なりせば見まく欲り西の御厩(みまや)の外(と)に立てらまし
　　　　　右の二首は、中臣朝臣宅守がまた贈れる歌。

3777　昨日けふ君に逢はずてするすべのたどきを知らに音のみしそ泣く
3778　白妙の吾(あ)が衣手を取り持ちて斎(いは)へ我が背子直に逢ふまてに
　　　　　右の二首は、娘子が和贈(こた)ふる歌。

3779　我が屋戸の花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに
3780　恋ひ死なば恋ひも死ねとや霍公鳥物思(も)ふ時に来鳴き響(とよ)むる
3781　旅にして物思(も)ふ時に霍公鳥もとなな鳴きそ吾(あ)が恋まさる
3782　雨ごもり物思(も)ふ時に霍公鳥我が住む里に来鳴き響もす
3783　旅にして妹に恋ふれば霍公鳥我が住む里にこよ鳴き渡る
3784　心なき鳥にそありける霍公鳥物思(も)ふ時に鳴くべきものか
3785　霍公鳥間(あひだ)しまし置け汝(な)が鳴けば吾(あ)が思(も)ふ心いたもすべなし
　　　　　右の七首は、中臣朝臣宅守が花鳥(はなとり)に寄せて
　　　　　思ひを陳べてよめる歌。


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.巻第十六(とをまりむまきにあたるまき)


有由縁(よしあるうた)、また雑歌(くさぐさのうた)

昔娘子(をとめ)有りけり。字(な)をば櫻兒(さくらのこ)と曰ふ。時に二(ふたり)の壮子(をとこ)有りて、共に此の娘(をとめ)を誂(と)ふ。生(いのち)を捐(す)てて格競(あらそ)ひ、死を貪りて相敵(いど)みたりき。ここに娘子、なげきけらく、「古(いにしへ)よりこの方、一(ひとり)の女(をみな)の身、二(ふたり)の門(をとこのいへ)に往適(ゆ)くといふことを聞かず。方今(いま)、壮子の意(こころ)、和平(にき)び難し。妾(あれ)死(みまか)りて相害(あらそ)ふこと永(ひたぶる)に息(や)めなむには如かじ」といひて、すなはち林に尋入(い)りて、樹に懸(さ)がり経(わた)き死にき。両(ふたり)の壮子、哀慟血泣(かなしみ)に敢(た)へず、各(おのもおのも)心緒(おもひ)を陳べてよめる歌二首(ふたつ)
3786　春さらば挿頭(かざし)にせむと吾(あ)が思(も)ひし桜の花は散りにけるかも
3787　妹が名に懸かせる桜花咲かば常にや恋ひむいや年のはに

或ひとの曰く、昔三(みたり)の男(をとこ)有りて、同(とも)に一(ひとり)の女(をみな)を娉(つまど)ひき。娘子(をとめ) 字(な)をば縵兒(かづらのこ)と曰ふ 嘆息(なげ)きけらく、「一(ひとり)の女の身、滅(け)易きこと露の如し。三(みたり)の雄(をとこ)の志(こころ)、平(にき)び難きこと石(いは)の如し」。すなはち池の上(ほとり)に彷徨(たちもとほ)り、水底に沈没(しづ)みき。時に壮士(をとこ)等、哀頽之至(かなしみ)に勝(た)へず、各(おのもおのも)所心(おもひ)を陳べてよめる歌三首(みつ)
3788　耳成(みみなし)の池し恨めし我妹子(わぎもこ)が来つつ潜(かづ)かば水は涸れなむ
3789　あしひきの山縵の子今日行くと我に告(の)りせば早く来(こ)ましを 
3790　あしひきの山縵の子今日のごといづれの隈(くま)を見つつ来にけむ

昔老翁(おきな)有り、竹取(たかとり)の翁(をぢ)といふ。此の翁、季春之月(やよひばかり)に、丘に登りて遠望(くにみ)するとき、羮(あつもの)を煮る九箇(ここの)女子(をとめ)に値(あ)へりき。百(もも)の嬌(こび)儔(たぐ)ひ無く、花の容(すがた)止(ならび)無し。時に娘子等、老翁(をぢ)を呼び、嗤ひて「叔父来て此の鍋火(ひ)を吹け」と曰ふ。ここに翁、「唯々(をを)」と曰ひて、漸(やや)ゆきて、座(しきゐ)の上(ほとり)に著接(つ)きたりき。しまらくありて娘子等、皆共に含咲(したゑ)み、相推し譲りけらく、「誰(たれ)そ此の翁を呼びし」。すなはち竹取の翁のいふ、「非慮(おもひ)の外に神仙(ひじり)に偶逢(あ)ひ、迷惑(まど)へる心敢(た)へがたし。近く狎れし罪、謌を以(もち)て贖(あがな)ひまをさむ」。即ち作(よ)める歌一首(ひとつ)、また短歌(みじかうた)
3791　緑子の　若子(わくご)髪には　たらちし　母に抱(うだ)かえ
　　　すきかくる　這ふ子が身には　木綿肩衣　純裏(ひつら)に縫ひ着
　　　頚(くび)つきの　童(わらは)が身には　結ひはたの　袖つけ衣　着し我を
　　　吾(あ)に寄る子らが　同輩(よち)には　蜷(みな)の腸(わた)　か黒し髪を
　　　真櫛持ち　肩にかき垂れ　取り束(たが)ね　上げても纏(ま)きみ
　　　解き乱し　童に成しみ　紅の　丹つかふ色に
　　　馴付(なつ)かしき　紫の　大綾の衣
　　　住吉(すみのえ)の　遠里(をり)の小野の　真榛(はり)もち　にほしし衣に
　　　高麗(こま)錦　紐に縫ひつけ　ささへ重なへ　なみ重ね着
　　　打麻(うつそ)やし　麻続(をみ)の子ら　あり衣の　宝の子らが
　　　打栲(うつたへ)　延へて織る布　日さらしの　麻手作りを
　　　重裳(しきも)なす　重(しき)に取り敷き　ほころへる　稲置娘子(いなきをとめ)が
　　　妻問ふと　吾(あ)にそ賜(たば)りし　彼方(うきかた)の　二綾下沓(ふたやしたくつ)
　　　飛ぶ鳥の　飛鳥壮士(をとこ)が　長雨(ながめ)忌み　縫ひし黒沓(くりくつ)
　　　さし履きて　庭に立ち　往きもとほれば　母刀自(おもとじ)の　守(も)らす娘子が
　　　ほの聞きて　吾(あ)にそ賜りし　水縹(みはなだ)の　絹の帯を
　　　引帯(ひこび)なす　韓帯(かろび)に取らし　わたつみの　殿の甍に
　　　飛び翔ける　すがるの如き　腰細に　取り飾らひ
　　　真澄鏡　取り並め懸けて　おのが顔　還らひ見つつ
　　　春さりて　野辺を廻(めぐ)れば　面白み　吾(あれ)を思へか
　　　さ野つ鳥　来鳴き翔らふ　秋さりて　山辺を行けば
　　　なつかしと　吾(あれ)を思へか　天雲も　い行き棚引き
　　　還り立ち　路(おほち)を来(け)れば　うち日さす　宮女(みやをみな)
　　　刺竹(さすだけ)の　舎人壮士も　忍ふらひ　還らひ見つつ
　　　誰が子そとや　思はれてある　かくそしこし
　　　古の　ささきし吾(あれ)や　はしきやし　今日やも子らに
　　　いさにとや　思はれてある　かくそしこし
　　　古の　賢しき人も　後の世の　鑑(かがみ)にせむと
　　　老人(おいひと)を　送りし車　持ち帰り来(こ)し
反し歌二首
3792　死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪(しろかみ)子らに生ひざらめやも
3793　白髪し子らも生ひなばかくのごと若けむ子らに罵(の)らえかねめや
娘子ら和(こた)ふる歌九首(ここのつ)
3794　はしきやし老夫(おきな)の歌におほほしき九(ここの)の子らや感(かま)けて居らむ
3795　恥を忍ひ恥を黙(もだ)りて事もなく物言はぬさきに吾(あれ)は寄りなむ
3796　否(いな)も諾(を)も欲(ほ)りのまにまに許すべき貌(かたち)は見えや吾(あれ)も寄りなむ
3797　死にも生きも同じ心と結びてし友や違(たが)はむ吾(あれ)も寄りなむ
3798　何すとか違ひは居らむ否も諾も友の並々吾(あれ)も寄りなむ
3799　あにもあらぬおのが身のから人の子の言も尽くさじ吾(あれ)も寄りなむ
3800　旗すすき穂には出でじと思(しぬ)ひたる心は知れつ吾(あれ)も寄りなむ
3801　住吉の岸の野榛(ぬはり)に染(にほ)へれどにほはぬ吾(あれ)や媚(にほ)ひて居らむ
3802　春の野の下草靡き吾(あれ)も寄りにほひ寄りなむ友のまにまに

昔壮士(をとこ)と美女(をとめ)と有りき 姓名不詳。二親(ちちはは)に告(しら)せずて、竊(しぬ)ひ交接(あ)ひたりき。時に娘子の意(こころ)に、親に知らせまく欲(おも)ひて、歌詠みて、其の夫(せ)に送れるその歌
3803　隠(こも)りのみ恋ふれば苦し山の端ゆ出で来る月の顕さば如何に
　　　　　右、或ヒトノ云ク、男答ヘ歌有リトイヘリ。未ダ探リ求ムルコトヲ得ズ。

昔壮士(をとこ)有りけり。新たに婚礼(よばひ)して、幾時(いくだ)もあらぬに、忽ちに駅使(はゆまつかひ)と為りて、遠き境に遣はさる。公事(おほやけごと)限り有り。会ふ期(とき)日無し。ここに娘子、感慟悽愴(かなし)みて、疾病(やまひ)に沈臥(こや)れりき。年累(へ)て後、壮士還り来て、覆(かへりこと)命(まを)し了(を)へて、乃ち詣(ゆ)き相視るに、娘子の姿容(かほ)、疲羸甚異(いたくみつれ)て、言語(こととひ)哽咽(むせ)びき。時に壮士、哀嘆流涙(かなし)みて、裁歌口号(うたよみ)せる、其の歌一首
3804　かくのみにありけるものを猪名川の奥(おき)を深めて吾(あ)が思(も)へりける
娘子臥しながら夫(せ)の君の歌を聞きて、枕より頭を挙げて声に和ふる歌一首
3805　ぬば玉の黒髪濡れて沫雪(あわゆき)の降るにや来ますここだ恋ふれば
　　　　　今按フニ、此ノ歌、其ノ夫使ハサレテ、既ニ累載ヲ経、
　　　　　還ル時ニ当テ、雪落ル冬ナリキ。斯ニ因テ娘子此ノ沫雪
　　　　　ノ句ヲ作メルカ。

娘子が夫(せ)に贈れる歌一首
3806　事しあらば小泊瀬山の石城(いしき)にも隠(こも)らば共にな思ひ我が背
　　　　　右伝云(いひつて)けらく、時(むかし)女子(をみな)有りけり。父母に知らせずて
　　　　　壮士(をとこ)に竊(しぬ)ひ接(あ)ひたりき。壮士その親の呵嘖(ころび)をかしこみ
　　　　　て、稍(やや)猶予(いざよふ)の意(こころ)有り。此に因りて娘子斯の歌を裁作(よ)
　　　　　みて、其の夫に贈与(おく)れりといへり。

前(さき)の采女(うねべ)が詠める歌一首
3807　安積山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心を吾(あ)が思(も)はなくに
　　　　　右の歌は伝云(いひつて)けらく、葛城王、陸奥(みちのく)の国に
　　　　　遣はさえし時、国司(くにのみこともち)あへしらふこと緩怠(おろそか)
　　　　　なりければ、王(おほきみ)の意(こころ)に悦びず、怒色顕面(おもほでり)
　　　　　まして、飲饌(みあへ)を設(ま)けしかども宴楽(うたげ)をもしたま
　　　　　はざりき。ここに前(さき)の采女風流(みさを)娘子有りて、左の
　　　　　手に觴(さかづき)を捧げ、右の手に水を持ち、王の膝(みひざ)に
　　　　　撃ちて、此の歌を詠みき。ここに王の意(こころ)解脱(なご)みて、
　　　　　終日(ひねもす)に楽飲(うたげあそ)びきといへり。

鄙(いや)しき人のよめる歌一首
3808　住吉の小集楽(をづめ)に出でて正目(まさめ)にもおの妻すらを鏡と見つも
　　　　　右伝云(いひつて)けらく、昔鄙しき人あり 姓名未詳也 。
　　　　　時に郷里(さと)の男女(をとこをみな)、衆集(つど)ひて野の遊びせり
　　　　　き。是の会集(つどひ)の中(うち)に、鄙しき人夫婦(めを)有り。
　　　　　其の婦(め)容姿(かほ)端正(きらきらし)きこと衆諸(もろひと)に秀れたり。
　　　　　すなはち彼の鄙人(をとこ)の意(こころ)、妻(め)を愛(うつく)しむの情(こころ)
　　　　　弥(いや)増さりて、斯の歌をよみて美貌(きらきらしき)を讃嘆(ほ)
　　　　　めたりき。

娘子が恨みよみて献れる歌一首
3809　商(あき)返し領(し)らせとの御法(みのり)あらばこそ吾(あ)が下衣返し賜(たば)らめ
　　　　　右伝云(いひつて)けらく、時(むかし)幸(うるはしみ)せらえし娘子有り 姓名未詳 。
　　　　　寵薄(こころうつろへ)る後、寄物(かたみ)を還し賜りき 俗ニかたみト云フ 。こ
　　　　　こに娘子、怨恨(うら)みて聊か斯の歌をよみて献上(たてまつ)りき。

娘子が恨みてよめる歌一首
3810　味飯(うまいひ)を水に醸み成し吾(あ)が待ちし代(かひ)はかつて無し直(ただ)にしあらねば
　　　　　右伝云(いひつて)けらく、昔娘子有り。其の夫(せ)に相別(わか)れ、
　　　　　年を経て恋ひわたりき。さる間に夫の君、更に
　　　　　他妻(あだしつま)を娶(え)て、正身(みづから)は来ずて、徒(ただ)に苞(つと)を贈(おこ)せ
　　　　　りき。此に因り娘子(をとめ)、此の恨みの歌を作みて、
　　　　　還し酬(おく)れりき。

娘子が夫の君を恋ふる歌一首、また短歌
3811　さ丹づらふ　君が御言と　玉づさの　使も来ねば
　　　思ひ病む　吾(あ)が身ひとつそ　ちはやぶる　神にもな負ほせ
　　　卜部(うらべ)座(ま)せ　亀もな焼きそ　恋(こほ)しくに　痛き吾(あ)が身そ
　　　いちしろく　身に染みとほり　むら肝の　心砕けて
　　　死なむ命　にはかになりぬ　今更に　君か吾(あ)を呼ぶ
　　　たらちねの　母の御言か　百(もも)足らず　八十(やそ)の衢(ちまた)に
　　　夕占(ゆふけ)にも　卜(うら)にもそ問ふ　死ぬべき吾(あ)がゆゑ
反し歌
3812　卜部をも八十の衢も占問へど君を相見むたどき知らずも
　　　　　或ル本ノ反シ歌ニ曰ク、
　3813　吾(あ)が命は惜しくもあらずさ丹づらふ君によりてそ長く欲りせし
　　　　　　右伝云けらく、時(むかし)娘子有り 姓ハ車持氏ナリ。
　　　　　　其の夫(せ)年を逕(へ)て徃来(かよ)はず。時に娘子、息の緒に
　　　　　　恋ひつつ、痾疾(やまひ)に沈臥(こや)れりき。日に異(け)に痩羸(みつ)れ
　　　　　　て、忽ち臨泉路(みまか)りなむとす。ここに使を遣はし
　　　　　　て、其の夫の君を喚ぶ。来て乃ち歔欷(なげ)きつつ斯
　　　　　　の歌を口号(よ)みて、登時(すなはち)逝没(みまか)りき。

壮士(をとこ)が娘子の父母に贈れる歌一首
3814　真珠(しらたま)は緒絶(をだえ)しにきと聞きしゆゑにその緒また貫(ぬ)き吾(あ)が玉にせむ
答ふる歌一首
3815　真珠の緒絶はまこと然れどもその緒また貫き人持ち去(い)にけり
　　　　　右伝云けらく、時(むかし)娘子有り。夫の君に棄てらえて
　　　　　他氏(ひとのいへ)に改め適(ゆ)きき。時に壮士有りて、改め適くを
　　　　　知らずて、此の歌を贈遣(おく)りて、女(をみな)の父母(おや)に請誂(こ)ひき。
　　　　　ここに父母の意(おも)ひけらく、壮士委曲(つばら)なる旨(さま)を聞(し)らじ
　　　　　とおもひて乃ち彼の歌に報送(こた)へがてり、改め適きし
　　　　　縁(よし)を顕はせりきといへり。

穂積親王の誦(うた)はせる歌一首
3816　家にありし櫃(ひつ)に鍵さし蔵めてし恋の奴のつかみかかりて
　　　　　右の歌一首は、穂積親王の宴したまふ時、いつも斯の歌を
　　　　　誦(うた)ひて恒賞(あそびくさ)と為たまへり。

河村王の誦ひたまへる歌二首
3817　柄臼(かるうす)は田廬(たぶせ)のもとに我が背子はにふぶに笑みて立ちませり見ゆ 田廬ハたぶせノ反
3818　朝霞鹿火屋(かひや)が下に鳴くかはづ偲ひつつありと告げむ子もがも
　　　　　右の歌二首は、河村王の宴せる時、琴弾きて、即ち先づ
　　　　　此の歌を誦(よ)みて、常行(あそびくさ)と為たまひき。

小鯛王(をたひのおほきみ)の吟(うた)ひたまへる歌二首
3819　夕立の雨うち降れば春日野の尾花が末(うれ)の白露思ほゆ
3820　夕づく日さすや川辺に作る屋の形(かた)をよろしみうべそ寄り来る
　　　　　右の歌二首は、小鯛王の宴の日、琴を取る登時(すなはち)
　　　　　必先(まづ)此の歌を吟詠(うた)ひたまひき。
　　　　　小鯛王ハ、更(マタ)ノ名ハ置始多久美(オキソメノタクミ)トイフ、斯ノ人ナリ。

兒部女王(こべのおほきみ)の嗤(あざ)けりの歌一首
3821　うましものいづく飽かじを尺度(さかど)らし角のふくれにしぐひ合ひにけむ
　　　　　右、時(むかし)娘子有りき 姓ハ尺度氏ナリ。此の娘子、
　　　　　高姓(たふとき)美人(うましをとこ)の誂(つまと)ふを聴かず、下姓(いやしき)醜士(しこを)の誂
　　　　　ふを許(き)きき。ここに兒部女王、此の歌を裁作(よ)み
　　　　　て、彼(そ)の愚(かたくなし)きを嗤咲(あざ)けりたまふ。

古歌(ふるうた)に曰く
3822　橘の寺の長屋に吾(あ)が率(ゐ)寝し童女(うなゐ)放髪(はなり)は髪上げつらむか
　　　　　右ノ歌、椎野連長年ガ説ニ曰ク、夫レ寺家ノ屋ハ、俗人
　　　　　ノ寝処ニアラズ。亦若冠ノ女ヲ称(イ)ヒテ放髪丱(ウナヰハナリ)ト曰ヘリ。
　　　　　然レバ腰ノ句已ニ放髪丱ト云ヘレバ、尾ノ句重ネテ著冠
　　　　　ノ辞ヲ云フベカラザルカトイヘリ。改メテ曰ク、
　3823　橘の照れる長屋に吾(あ)が率ねし童女放髪に髪上げつらむか

長忌寸意吉麻呂が歌八首(やつ)
3824　さす鍋に湯沸かせ子ども櫟津(いちひつ)の桧橋(ひはし)より来む狐(きつ)に浴(あ)むさむ
　　　　　右の一首は、伝云(いひつて)けらく、ある時衆(ひとびと)集ひて宴飲(うたげ)す。
　　　　　時に夜ふけて狐の声聞こゆ。すなはち衆諸(ひとびと)奥麿を誘(いざな)
　　　　　ひけらく、此の饌具雑器(くさぐさのうつはもの)、狐の声、河橋等の物に
　　　　　関(か)けて、歌よめといへり。即ち声に応(こた)へて此の歌を作
　　　　　めり。
3825　食薦(すこも)敷き青菜煮持ち来(こ)梁(うつはり)に行騰(むかはき)懸けて休むこの君
　　　　　右の一首は、行騰(むかはき)、蔓菁(あをな)、食薦(すこも)、屋の梁(うつはり)を詠める歌。
3826　蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは芋(うも)の葉にあらし
　　　　　右の一首は、荷葉(はちすば)を詠める歌。
3827　一二(ひとふた)の目のみにあらず五つ六つ三つ四つさへあり双六(すぐろく)のさえ
　　　　　右の一首は、双六(すぐろく)の頭子(さえ)を詠める歌。
3828　香(こり)焚ける塔にな寄りそ川隈の屎鮒(くそふな)食(は)める甚(いた)き女奴(めやつこ)
　　　　　右の一首は、香、塔、厠、屎、鮒、奴を詠める歌。
3829　醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗き合(か)てて鯛願ふ我にな見せそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)
　　　　　右の一首は、酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠める歌。
3830　玉掃(たまばはき)刈り来(こ)鎌麻呂室の木と棗(なつめ)が本を掻き掃かむため
　　　　　右の一首は、玉、掃、鎌、天木香(むろ)、棗を詠める歌。
3831　池神の力士舞かも白鷺の桙(ほこ)啄(く)ひ持ちて飛び渡るらむ
　　　　　右の一首は、白鷺の木を啄ひて飛ぶを詠める歌。

忌部首が数種(くさぐさ)の物を詠める歌一首
3832　からたちと棘原(うまら)刈り除(そ)け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自(とじ)

境部王の数種の物を詠みたまへる歌一首 穂積親王ノ子ナリ
3833　虎に乗り古屋を越えて青淵に蛟龍(みつち)捕り来む剣大刀もが

作主(よみひと)しらざる歌一首
3834　梨棗(なつめ)黍(きみ)に粟つぎ延ふ葛(くず)の後も逢はむと葵(あほひ)花咲く

新田部親王に献れる歌一首
3835　勝間田(かつまた)の池は吾(あれ)知る蓮(はちす)無ししか言ふ君が鬚なき如し
　　　　　右或る人つたへけらく、新田部親王、堵(みさと)に
　　　　　出遊(いでま)して、勝間田の池を見(め)して、御心の中に
　　　　　感(め)でたまひ、彼(そ)の池より還りまして、忍ひか
　　　　　ねて、婦人(をみな)に語りたまはく、今日ゆきて、勝
　　　　　間田池を見しに、水みちたたへて、蓮花(はちす)灼(て)り
　　　　　かがやけり。その怜(おもしろ)さかぎりなし。ここに
　　　　　婦人、此の戯歌(たはれうた)を作みて、すなはち吟詠(うた)ひ
　　　　　きといへり。

侫人(ねぢけびと)を謗(そし)れる歌一首
3836　奈良山の児手柏(このてかしは)の両面(ふたおも)にかにもかくにも侫人の徒(とも)
　　　　　右の歌一首は、博士消奈公行文(せなのきみゆきふみ)の大夫(まへつきみ)がよめる。

荷葉(はちすば)を詠める歌一首
3837　久かたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む
　　　　　右の歌一首は、伝云(いひつて)けらく、右の兵衛(つはもののとねり)有り
　　　　　姓名未詳。 歌作みすることに能(た)へたり。時に府(つかさ)
　　　　　の家酒食(さけさかな)を備設(ま)け、府官人等(つかさびとたち)を饗宴(あへ)す。ここに
　　　　　饌食(け)を盛るに、皆荷葉(はちすば)を用ふ。諸人酒酣(たけなは)にして、
　　　　　歌ひ舞ひ、駱駅兵衛(つはもののとねり)を誘ひて、其の荷葉に
　　　　　関(か)けて、歌を作めといへり。すなはち声に応(こた)へて
　　　　　斯の歌を作めり。

心の著(つ)く所無き歌二首
3838　我妹子が額(ぬか)に生ひたる双六(すぐろく)の事負(ことひ)の牛の倉の上(へ)の瘡
3839　我が背子が犢鼻褌(たふさき)にせるつぶれ石の吉野の山に氷魚(ひを)そ下がれる 懸有ハ、反シテ云ク、さがれる
　　　　　右の歌は、舎人親王、侍座(もとこびと)に令(のりご)ちたまはく、もし
　　　　　由(よ)る所無き歌を作む者有らば、銭帛(ぜにきぬ)を賜(たば)らむとのり
　　　　　たまへり。時に大舎人安倍朝臣子祖父、乃ち斯の歌
　　　　　を作みて献上(たてまつ)る。登時(すなはち)募る所の銭二千文(ふたちち)給へりき。

池田朝臣が大神朝臣奥守を嗤(あざけ)る歌一首
3840　寺々の女餓鬼(めがき)申さく大神(おほみわ)の男餓鬼賜(たば)りてその子産まはむ
大神朝臣奥守が報へ嗤ける歌一首
3841　仏造る真朱(まそほ)足らずば水溜まる池田の朝臣(あそ)が鼻の上(へ)を掘れ
或ヒト云ク、
平群朝臣が穂積朝臣を嗤咲(あざ)ける歌一首
3842　小児(わくご)ども草はな刈りそ八穂蓼(やほたで)を穂積の朝臣が腋草を刈れ
穂積朝臣が和ふる歌一首
3843　いづくにそ真朱掘る丘薦畳(こもたたみ)平群の朝臣が鼻の上を掘れ

土師宿禰水通(はにしのすくねみみち)が、巨勢朝臣豊人が黒色を嗤咲ける歌一首
3844　ぬば玉の斐太(ひだ)の大黒(おほくろ)見るごとに巨勢の小黒(をくろ)し思ほゆるかも
巨勢朝臣豊人が答ふる歌一首
3845　駒造る土師(はし)の志婢麻呂(しびまろ)白くあればうべ欲しからむその黒色を
　　　　　右の歌は、伝云けらく、大舎人土師宿禰水通といふひと有り。
　　　　　字(あざな)をば志婢麻呂と曰へり。時に大舎人巨勢朝臣豊人、字(あざな)を
　　　　　ば正月麻呂(むつきまろ)と曰へり、巨勢斐太朝臣名字ハ忘レタリ。島村大夫ノ
　　　　　男ナリ。両人(ふたり)みな貌(かほ)黒かりき。ここに土師宿禰水通、斯の歌を
　　　　　作みて嗤咲けりぬ。かくて巨勢朝臣豊人これを聞きて、即ち
　　　　　和への歌を作みて酬(むく)い咲(あざ)けりきといへり。

戯れに僧(ほうし)を嗤ける歌一首
3846　法師らが鬚の剃り杭馬繋ぎいたくな引きそ法師半(なか)ら欠(か)む
法師が報ふる歌一首
3847　壇越(だむをち)や然もな言ひそ里長(さとをさ)らが課役(えつき)徴(はた)らば汝(なれ)も半ら欠む

夢(いめ)の裡(うち)によめる歌一首
3848　新墾田(あらきた)の猪鹿田(しした)の稲を倉にこめてあなひねひねし吾(あ)が恋ふらくは
　　　　　右の歌一首は、忌部首黒麿(いみべのおびとくろまろ)が、夢の裡に此の恋の歌を
　　　　　作みて友に贈り、覚めて誦習(うた)はしむるに前(もと)の如しといふ。


世間(よのなか)の常無きを厭ふ歌三首
3849　生き死にの二つの海を厭はしみ潮干の山を偲ひつるかも
3850　世の中の醜(しき)借廬(かりいほ)に住み住みて至らむ国のたづき知らずも
3852　鯨魚(いさな)取り海や死にする山や死にする死ねこそ海は潮干(ひ)て山は枯れすれ
　　　　　右の歌三首は、河原寺の仏堂(ほとけどの)の裡の倭琴(やまとこと)の面(おも)に在り。

藐姑射(はこや)の山の歌一首
3851　心をし無何有(むがう)の郷(さと)に置きてあらば藐姑射の山を見まく近けむ
　　　　　右の歌一首は、作主(よみひと)未詳(しらず)。

痩人(やせひと)を嗤咲ける歌二首
3853　石麻呂(いはまろ)に吾(あれ)物申す夏痩によしといふものそ鰻(むなぎ)取り食(め)せ 反シテ云ク、めせ
3854　痩す痩すも生けらば在らむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな
　　　　　右、吉田連老といふひと有り。字をば石麻呂と曰へり。
　　　　　所謂仁教の子なり。其の老、為人身体(かたち)甚(いた)く痩せたり。
　　　　　多く喫飲(のみくら)へども、形飢饉(うゑひと)のごとし。此に因りて大伴
　　　　　宿禰家持、聊か斯の歌を作みて戯咲(あざけり)す。

高宮王の数種(くさぐさ)の物を詠める歌二首
3855　葛英爾延ひおほとれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕へせむ
3856　婆羅門(ばらもむ)の作れる小田を食む烏瞼(まなぶた)腫れて幡桙(はたほこ)に居り

夫(せ)の君を恋ふる歌一首
3857　飯食めど　美味くもあらず　歩けども　安くもあらず
　　　茜さす　君が心し　忘れかねつも
　　　　　右の歌一首は、伝云けらく、佐為王(さゐのおほきみ)、近習婢(まかたち)有り。
　　　　　時に宿直(とのゐ)遑(いとま)なく、夫の君遇ひ難し。感情(こころ)いたく結
　　　　　ぼれ、係恋(おもひ)実(まこと)に深し。ここに宿(とのゐ)に当たる夜、夢
　　　　　の裡に相見る。覚寤(おどろ)きて探抱(かきさぐ)れども手にも触れず。
　　　　　すなはち哽咽歔欷(かなし)み、高く此の歌を吟詠(うた)ひき。因(かれ)
　　　　　王聞かして、哀慟(あはれ)みたまひ、永へに侍宿(とのゐ)することを
　　　　　免(ゆる)しき。

恋の歌二首
3858　この頃の吾(あ)が恋力記し集(つ)め功(くう)に申さば五位の冠(かがふり)
3859　この頃の吾(あ)が恋力賜(たば)らずば京職(みさとつかさ)に出でて訴(うた)へむ
　　　　　右の歌二首は、作者未詳。

筑前国(つくしのみちのくちのくに)志賀(しか)の白水郎(あま)が歌十首(とを)
3860　おほきみの遣はさなくに情進(さかしら)に行きし荒雄ら沖に袖(そて)振る
3861　荒雄らを来むか来じかと飯(いひ)盛りて門に出で立ち待てど来まさず
3862　志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすかの山と見つつ偲はむ
3863　荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼(たぬ)は寂(さぶ)しからずや
3864　官(つかさ)こそ差しても遣らめさかしらに行きし荒雄ら波に袖振る
3865　荒雄らは妻子(めこ)の業(なり)をば思はずろ年の八年を待てど来まさず
3866　沖つ鳥鴨とふ船の帰り来ば也良(やら)の崎守(さきもり)早く告げこそ
3867　沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎廻(た)みて榜ぎ来と聞こえ来ぬかも
3868　沖行くや赤ら小船(をぶね)に苞(つと)遣らばけだし人見て解き開け見むかも
3869　大船に小船引き添へ潜(かづ)くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも
　　　　　右、神亀の年中(とし)、太宰府(おほみこともちのつかさ)、筑前国宗像郡の
　　　　　百姓(おほみたから)、宗形部津麻呂を差して、對馬の粮(かて)を送る
　　　　　舶の柁師(かぢとり)に充(あ)つ。時に津麻呂、滓屋(かすや)郡志賀村の白
　　　　　水郎、荒雄が許に詣(ゆ)きて語りけらく、「僕(あれ)小事(こと)あり。
　　　　　もし許さじか」。荒雄答へけらく、「僕郡(こほり)異(かは)れど
　　　　　も、船に同(あひの)ること日久し。志兄弟(はらから)より篤し。殉死(ともにし)
　　　　　ぬとも、なぞも辞(いな)まむ」。津麻呂が曰く、「府官(つかさ)僕(あれ)
　　　　　を差して對馬の粮(かて)を送る舶の柁師(かぢとり)に充(あ)つ。容歯(よはひ)衰老(おとろ)
　　　　　へ海つ路(ぢ)に堪へず。故(かれ)来たりて祇候(さもら)ふ。願はくは相
　　　　　替りてよ」。ここに荒雄、許諾(うべな)ひて遂に彼(そ)の事に従ひ、
　　　　　肥前国松浦県美弥良久(みみらく)の埼より発舶(ふなだち)して、直に對馬
　　　　　を射して海を渡る。すなはち天(そら)暗冥(くらが)り、暴風(よこしまかぜ)雨に
　　　　　交じり、竟に順風(おひて)無くして、海中(うみ)に沈没(しづ)みき。因斯(かれ)妻(め)
　　　　　子(こ)等、特慕(しぬ)ひかねて此の謌を裁作(よ)めり。或ひは、筑前
　　　　　国守山上憶良臣、妻子の傷みを悲感(かなし)み、志を述べて此
　　　　　の歌を作めりといへり。

無名歌六首
3870　紫の粉潟(こかた)の海に潜(かづ)く鳥玉潜き出ば吾(あ)が玉にせむ
　　　　　右の歌一首。
3872　吾が門の榎(え)の実もり食(は)む百千鳥(ももちどり)千鳥は来れど君そ来まさぬ
3873　吾が門に千鳥しば鳴く起きよ起きよ我が一夜夫(ひとよづま)人に知らゆな
　　　　　右の歌二首。
3871　角島(つぬしま)の瀬戸の若布は人の共(むた)荒かりしかど吾(あ)が共(むた)は和海藻(にきめ)
　　　　　右の歌一首。
3874　射ゆ鹿(しし)を認(つな)ぐ川辺の和草(わかくさ)の身の若かへにさ寝し子らはも
　　　　　右の歌一首。
3875　琴酒を　押垂(おしたる)小野ゆ　出づる水　ぬるくは出でず
　　　寒水(ましみづ)の　心も潔(けや)に　思ほゆる　音の少なき
　　　道に逢はぬかも　少なきよ　道に逢はさば　汝(いろ)着(け)せる
　　　菅笠(すががさ)小笠(をがさ)　吾(あ)がうなげる　玉の七つ緒　取り替へも
　　　申さむものを　少なきよ　道に逢はぬかも
　　　　　右の歌一首。

豊前国(とよくにのみちのくち)の白水郎(あま)が歌一首
3876　豊国の企救(きく)の池なる菱の末(うれ)を摘むとや妹が御袖濡れけむ

豊後国(とよくにのみちのしり)の白水郎が歌一首
3877　紅に染めてし衣雨降りてにほひはすとも移ろはめやも

能登の国の歌三首
3878　梯立(はしたて)の　熊来(くまき)のやらに　新羅斧　落し入れわし
　　　懸けて懸けて　な泣かしそね　浮き出づるやと　見むわし
　　　　　右の歌一首は、伝云けらく、或る愚人(かたくなひと)、斧の
　　　　　海底(うみ)に堕ちて、鉄(かね)沈(しづ)きて浮かばざることを解(さと)ら
　　　　　ざりしかば、聊か此の歌をよみて喩(さと)せりき。
3879　梯立の　熊来酒屋に　ま罵(ぬ)らる　奴わし
　　　さすひ立て　率(ゐ)て来(き)なましを　ま罵らる　奴わし
　　　　　右一首。
3880　香島嶺(ね)の　机の島の　小螺(したたみ)を　い拾(ひり)ひ持ち来て
　　　石もち　つつき破(はふ)り　早川に　洗ひ濯ぎ
　　　辛塩に　ここと揉み　高坏(たかつき)に盛り　机に立てて
　　　母に奉(まつ)りつや　女(め)つ児の刀自　父に奉りつや　み女つ児の刀自

越中国(こしのみちのなかのくに)の歌四首
3881　大野道は繁道(しげち)の森径(もりぢ)繁くとも君し通はば道は広けむ
3882　澁谿(しぶたに)の二上山(ふたかみやま)に鷲ぞ子産(む)といふ翳(さしは)にも君が御為に鷲ぞ子産といふ
3883　伊夜彦(いやひこ)おのれ神さび青雲の棚引く日すら小雨そほ降る 一ニ云ク、あなに神さび
3884　伊夜彦の神の麓に今日らもか鹿(か)の伏せるらむ皮衣着て角つけながら

乞食者(ほかひひと)の詠(うた)二首
3885　愛子(いとこ)　汝兄(なせ)の君　居り居りて　物にい行くと
　　　韓国(からくに)の　虎といふ神を　生け捕りに　八つ捕り持ち来
　　　その皮を　畳に刺し　八重畳　平群(へぐり)の山に
　　　四月(うつき)と　五月(さつき)の間(ほと)に　薬猟　仕ふる時に
　　　あしひきの　この片山に　二つ立つ　櫟(いちひ)が本に
　　　梓弓　八つ手挟(たばさ)み　ひめ鏑(かぶら)　八つ手挟み
　　　獣(しし)待つと　吾(あ)が居る時に　さ牡鹿の　来立ち嘆かく
　　　たちまちに　吾(あれ)は死ぬべし　おほきみに　吾(あれ)は仕へむ
　　　吾(あ)が角(つぬ)は　御笠の栄(は)やし　吾が耳は　御墨の坩(つぼ)
　　　吾が目らは　真澄の鏡　吾が爪は　御弓の弓弭(ゆはず)
　　　吾が毛らは　御筆の栄(は)やし　吾が皮は　御箱の皮に
　　　吾が肉(しし)は　御膾(みなます)栄やし　吾が肝も　御膾栄やし
　　　吾が屎(みぎ)は　御塩の栄やし　老いはてぬ　我が身一つに
　　　七重花咲く　八重花咲くと　申し賞(は)やさね　申し賞やさね
　　　　　右の歌一首は、鹿の為に痛(おもひ)を述べてよめり。

3886　押し照るや　難波の小江(をえ)に　廬(いほ)作り　隠(なま)りて居る
　　　葦蟹を　おほきみ召すと　何せむに　 吾(あ)を召すらめや
　　　明らけく　吾(あ)は知ることを　歌人(うたひと)と　我(わ)を召すらめや
　　　笛吹きと　 我を召すらめや　琴弾きと　我(わ)を召すらめや
　　　かもかくも　命(みこと)受けむと　今日今日と　飛鳥に至り
　　　置かねども　置勿(おきな)に至り　つかねども　都久野(つくぬ)に至り
　　　東(ひむかし)の　中の御門ゆ　参り来て　命受くれば
　　　馬にこそ　絆(ふもだし)掛くもの　牛にこそ　鼻縄はくれ
　　　あしひきの　この片山の　百楡(もむにれ)を　五百枝(いほえ)剥き垂り
　　　天照るや　日の日(け)に干し　さひづるや　柄臼(からうす)に舂き
　　　庭に立つ　磑子(すりうす)に舂き　押し照るや　難波の小江の
　　　初垂(はつたれ)を　辛く垂り来て　陶人(すゑひと)の　作れる瓶(かめ)を
　　　今日行きて　明日取り持ち来　我が目らに　塩塗り給ひ
　　　もちはやすも　もちはやすも
　　　　　右の歌一首は、蟹の為に痛(おもひ)を述べてよめり。

怕(おどろ)しき物の歌三首
3887　天なるや神楽良(ささら)の小野に茅草(ちかや)刈り草(かや)刈りばかに鶉を立つも
3888　沖つ国領(し)らす君が染(し)め屋形黄染めの屋形神が門(と)渡る
3889　人魂(ひとたま)のさ青(を)なる君が唯独り逢へりし雨夜は久しく思ほゆ    </description>
    <dc:date>2010-01-17T19:54:30+09:00</dc:date>
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    <title>m7</title>
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    <description>
      巻第十三(とをまりみまきにあたるまき)


雑歌(くさぐさのうた) 是中長歌十六首

3221　冬こもり　春さり来れば　朝(あした)には　白露置き
　　　夕へには　霞棚引く　泊瀬のや　木末(こぬれ)が下に　鴬鳴くも
　　　　　右一首(ひとうた)。

3222　三諸(みもろ)は　人の守(も)る山　本辺(もとへ)は　馬酔木(あしび)花咲き
　　　末辺(すゑへ)は　椿花咲く　うらぐはし山そ　泣く子守る山
　　　　　右一首。

3223　天霧(あまぎ)らひ　渡る日隠し　九月(ながつき)の　時雨の降れば
　　　雁がねも　乏(とも)しく来鳴く　神奈備の　清き御田屋(みたや)の
　　　垣つ田の　池の堤の　百(もも)足らず　斎槻(いつき)が枝に
　　　瑞枝(みづえ)さす　秋のもみち葉　まき持たる　小鈴(をすず)もゆらに
　　　手弱女(たわやめ)に　吾(あれ)はあれども　引き攀ぢて　枝もとををに
　　　打ち手折り　吾(あ)は持ちてゆく　君が挿頭(かざし)に
反(かへ)し歌
3224　独りのみ見れば恋しみ神奈備の山のもみち葉手折りけり君
　　　　　右二首(ふたうた)。

3225　天雲の　影さへ見ゆる　隠国(こもりく)の　泊瀬の川は
　　　浦無みか　船の寄り来(こ)ぬ　磯無みか　海人の釣せぬ
　　　よしゑやし　浦はなくとも　よしゑやし　磯はなくとも
　　　沖つ波　競(きほ)ひ漕入(こぎ)り来(こ)　海人の釣船
反し歌
3226　さざれ波たぎちて流る泊瀬川寄るべき磯の無きが寂(さぶ)しさ
　　　　　右二首。

3227　葦原の　瑞穂の国に　手向(たむけ)すと　天降(あも)りましけむ
　　　五百万(いほよろづ)　千万(ちよろづ)神の　神代より　言ひ継ぎ来たる
　　　神奈備の　三諸の山は　春されば　春霞立ち
　　　秋ゆけば　紅にほふ　神奈備の　三諸の神の
　　　帯にせる　明日香の川の　水脈(みを)速み　生(む)し溜めがたき
　　　岩が根に　苔生すまでに　新夜(あらたよ)の　幸(さき)く通はむ
　　　事計り　夢(いめ)に見せこそ　剣大刀　斎(いは)ひ祭れる　神にしませば
反し歌
3228　神奈備の三諸の山に斎ふ杉思ひ過ぎめや苔生すまでに
3229　斎串(いくし)立て神酒(みわ)据ゑまつる神主(かむぬし)の髻華(うず)の山影見ればともしも
　　　　　右三首(みうた)。

3230　帛(ぬさ)まつり　奈良より出でて　水蓼(みづたで)　穂積(ほづみ)に至り
　　　鳥網(となみ)張る　坂手を過ぎ　石走(いはばし)る　神奈備山に
　　　朝宮に　仕へ奉りて　吉野へと　入ります見れば　古へ思ほゆ
反し歌
3231　月日はゆき変はれども久に経(ふ)る三諸の山の離宮(とつみや)ところ
　　　　　右二首。 
3232　斧取りて　丹生(にふ)の桧山(ひやま)の　木伐(こ)り来て　筏に作り
　　　真楫(まかぢ)貫(ぬ)き　磯榜ぎ廻(た)みつつ　島伝ひ　見れども飽かず
　　　み吉野の　滝(たぎ)もとどろに　落つる白波
反し歌
3233　み吉野の滝もとどろに落つる白波留(とど)めにし妹に見せまく欲しき白波
　　　　　右二首。

3234　やすみしし　我ご大王(おほきみ)　高光る　日の御子の
　　　聞こしをす　御食(みけ)つ国　神風の　伊勢の国は
　　　山見れば　高く貴し　川見れば　さやけく清し
　　　水門(みなと)なす　海も広し　見渡す　島も高し
　　　そこをしも　うらぐはしみか　ここをしも　まぐはしみかも
　　　かけまくも　あやに畏き　山辺(やまへ)の　五十師(いし)の原に
　　　内日さす　大宮仕へ
　　　朝日なす　まぐはしも　夕日なす　うらぐはしも
　　　春山の　艷(しな)ひ栄えて　秋山の　色なつかしき
　　　百敷の　大宮人は　天地と　日月とともに　万代にもが
反し歌
3235　山辺の五十師の御井はおのづから成れる錦を張れる山かも
　　　　　右二首。

3236　そらみつ　大和の国　青丹よし　奈良山越えて
　　　山背(やましろ)の　綴喜(つつき)の原　ちはやぶる　宇治の渡(わたり)
　　　滝(たぎ)の屋の　阿後尼(あごね)の原を　千年に　欠くることなく
　　　万代に　あり通はむと　山科の　石田(いはた)の森の
　　　皇神(すめかみ)に　幣(ぬさ)取り向けて　吾(あれ)は越え行く　逢坂山を
　　　　　右一首。

3237　青丹よし　奈良山過ぎて　もののふの　宇治川渡り
　　　処女(をとめ)らに　逢坂山に　手向種(たむけぐさ)　幣取り置きて
　　　我妹子(わぎもこ)に　淡海(あふみ)の海の　沖つ波　来寄す浜辺を
　　　くれくれと　独りそ吾(あ)が来し　妹が目を欲り
反し歌
3238　逢坂をうち出て見れば淡海の海(み)白木綿花(しらゆふはな)に波立ち渡る
　　　　　右三首。

3239　近江の海(み)　泊(とまり)八十(やそ)あり　八十島の　島の崎々
　　　あり立てる　花橘を　ほつ枝に　黐(もち)引き懸け
　　　中つ枝に　鵤(いかるが)懸け　しづ枝に　比米(しめ)を懸け
　　　己(し)が母を　取らくを知らに　己が父を　取らくを知らに
　　　戯(いそば)ひ居るよ　鵤と比米と
　　　　　右一首。

3240　大王の　命畏み　見れど飽かぬ　奈良山越えて
　　　真木積む　泉の川の　速き瀬に　棹さし渡り
　　　ちはやぶる　宇治の渡の　滾(たぎ)つ瀬を　見つつ渡りて
　　　近江道の　逢坂山に　手向して　吾(あ)が越え行けば
　　　楽浪(ささなみ)の　志賀の唐崎　幸(さき)くあらば　またかへり見む
　　　道の隈(くま)　八十隈(やそくま)ごとに　嘆きつつ　吾(あ)が過ぎ行けば
　　　いや遠に　里離(さか)り来ぬ　いや高に　山も越え来ぬ
　　　剣大刀　鞘ゆ抜き出て　伊香山(いかこやま)　いかが吾(あ)がせむ　行方知らずて
反し歌
3241　天地を嘆き乞ひ祈(の)み幸くあらばまた反り見む志賀の唐崎
　　　　　右二首。

3242　ももづたふ　美濃(みぬ)の国の　高北の　泳(くくり)の宮に
　　　月に日に　行かまし里を　ありと聞きて　我が通ひ道(ぢ)の
　　　大吉蘇山(おきそやま)　美濃の山　靡けと　人は踏めども
　　　かく寄れと　人は衝(つ)けども　心なき　山の　大吉蘇山　美濃の山
　　　　　右一首。

3243　処女らが　麻笥(をけ)に垂れたる　続麻(うみを)なす　長門の浦に
　　　朝凪に　満ち来る潮の　夕凪に　寄せ来る波の
　　　その潮の　いやますますに　その波の　いやしくしくに
　　　我妹子に　恋ひつつ来れば　阿胡(あご)の海の　荒磯(ありそ)の上に
　　　浜菜摘む　海人処女ども　うながせる　領布(ひれ)も照るがに
　　　手に巻ける　玉もゆららに　白妙の　袖振る見えつ　相思(も)ふらしも
反し歌
3244　阿胡の海の荒磯の上のさざれ波吾(あ)が恋ふらくはやむ時もなし
　　　　　右二首。

3245　天橋(あまはし)も　長くもがも　高山も　高くもがも
　　　月読(つくよみ)の　持たる変若水(をちみづ)　い取り来て　君に奉りて
　　　変若(をち)得しむもの
反し歌
3246　天照るや日月のごとく吾(あ)が思(も)へる君が日に異(け)に老ゆらく惜しも
　　　　　右二首。

3247　沼名川(ぬなかは)の　底なる玉　求めて　得し玉かも
　　　拾(ひり)ひて　得し玉かも　惜(あたら)しき　君が　老ゆらく惜(を)しも
　　　　　右一首。


相聞(したしみうた) 此中長歌二十九首。

3248　磯城島(しきしま)の　大和の国に　人さはに　満ちてあれども
　　　藤波の　思ひまつはり　若草の　思ひつきにし
　　　君が目に　恋ひや明かさむ　長きこの夜を
反し歌
3249　磯城島の大和の国に人二人ありとし思(も)はば何か嘆かむ
　　　　　右二首。

3250　蜻蛉島(あきづしま)　大和の国は　神柄(かみから)と　言挙げせぬ国
　　　然れども　吾(あ)は言挙げす　天地の　神も甚だ
　　　吾(あ)が思ふ　心知らずや　往影乃　月も経ゆけば
　　　玉かぎる　日も重なりて　思へかも　胸安からず
　　　恋ふれかも　心の痛き　末つひに　君に逢はずば
　　　我が命の　生けらむ極み　恋ひつつも　吾(あれ)は渡らむ
　　　真澄鏡　直目(ただめ)に君を　相見てばこそ　吾(あ)が恋やまめ
反し歌
3251　大舟の思ひ頼める君ゆゑに尽す心は惜しけくもなし
3252　久かたの都を置きて草枕旅ゆく君をいつとか待たむ
　　　　　柿本朝臣人麿が歌集(うたのふみ)の歌に曰く、
3253　葦原の　瑞穂の国は　神ながら　言挙げせぬ国
　　　然れども　言挙げぞ吾(あ)がする　言幸く　ま幸くませと
　　　障(つつ)みなく　幸くいまさば　荒磯波　ありても見むと
　　　五百重波(いほへなみ)　千重波しきに　言挙げぞ吾(あ)がする
反し歌
3254　磯城島の大和の国は言霊(ことたま)の佐(たす)くる国ぞ真福(まさき)くありこそ
　　　　　右五首(いつうた)。

3255　古よ　言ひ継ぎ来(く)らく　恋すれば　安からぬものと
　　　玉の緒の　継ぎては言へど　処女らが　心を知らに
　　　そを知らむ　よしの無ければ　夏麻(なつそ)びく　思ひなづみ
　　　刈薦(かりこも)の　心もしぬに　人知れず　もとなそ恋ふる　息の緒にして
反し歌
3256　しばしばに思はず人はあらめどもしましくも吾(あ)は忘らえぬかも
3257　直(ただ)に来ずこよ巨勢道(こせぢ)から石橋(いはばし)踏みなづみぞ吾(あ)が来し恋ひてすべなみ
　　　　　或ル本、此歌一首ヲ以テ、紀ノ国ノ浜ニ寄ルチフ鮑玉
　　　　　拾(ヒリ)ヒニト言ヒテ行キシ君イツ来マサム、チフ歌ノ反歌
　　　　　ナリトス。具ニハ下ニ見エタリ。但シ古本ニヨリテ亦
　　　　　茲ニ累載ス。
　　　　　右三首。

3258　あら玉の　年は来去りて　玉づさの　使の来ねば
　　　霞立つ　長き春日を　天地に　思ひ足らはし
　　　たらちねの　母の飼ふ蚕(こ)の　繭隠(まよごも)り　息づき渡り
　　　吾(あ)が恋ふる　心のうちを　人に言はむ　ものにしあらねば
　　　松が根の　待つこと遠み　天伝ふ　日の暮れぬれば
　　　白妙の　我が衣手も　通りて濡れぬ
反し歌
3259　かくのみし相思(も)はざらば天雲の外(よそ)にそ君はあるべくありける
　　　　　右二首。

3260　小治田(をはりた)の　年魚道(あゆち)の水を
　　　間無くそ　人は汲むちふ　時じくそ　人は飲むちふ
　　　汲む人の　間無きがごと　飲む人の　時じきがごと
　　　我妹子に　吾(あ)が恋ふらくは　やむ時もなし
反し歌
3261　思ひ遣るすべのたづきも今は無し君に逢はずて年の経ぬれば
或る本(まき)の反し歌に曰く
3262　瑞垣(みづかき)の久しき時よ恋すれば吾(あ)が帯緩ぶ朝宵ごとに
　　　　　右三首。

3263　隠国(こもりく)の　泊瀬(はつせ)の川の
　　　上つ瀬に　斎杭(いくひ)を打ち　下つ瀬に　真杭を打ち
　　　斎杭には　鏡を懸け　真杭には　真玉を懸け
　　　真玉なす　吾(あ)が思(も)ふ妹も　鏡なす　吾(あ)が思(も)ふ妹も
　　　ありと　いはばこそ　国にも　家にも行かめ　誰が故か行かむ
　　　　　古事記ヲ検ルニ曰ク、件ノ歌ハ、木梨之輕太子、自ラ
　　　　　死(ミマカ)レル時ニ作メリト。
反し歌
3264　年渡るまてにも人はありちふをいつの間(あひだ)そも吾(あれ)恋ひにける
或る書(ふみ)の反し歌に曰く
3265　世の中を憂(う)しと思ひて家出せる吾(あれ)や何にか還りてならむ
　　　　　右三首。

3266　春されば　花咲き撓(をを)り　秋づけば　丹の秀(ほ)に黄葉(もみ)つ
　　　味酒(うまさけ)を　神奈備山の　帯にせる　明日香の川の
　　　速き瀬に　生ふる玉藻の　打ち靡き　心は寄りて
　　　朝露の　消(け)なば消ぬべく　恋ふらくも　しるくも逢へる
　　　隠(こも)り妻かも
反し歌
3267　明日香川瀬々の玉藻の打ち靡き心は妹に寄りにけるかも
　　　　　右二首。

3268　三諸(みもろ)の　神奈備山ゆ　との曇り　雨は降り来ぬ
　　　天霧(あまぎ)らひ　風さへ吹きぬ　大口の　真神の原ゆ
　　　思(しぬ)ひつつ　帰りにし人　家に至りきや
反し歌
3269　帰りにし人を思ふとぬば玉のその夜は吾(あれ)も眠(い)も寝かねてき
　　　　　右二首。

3270　点(さ)し焼かむ　小屋(をや)の醜屋(しきや)に　かき棄(う)てむ　破薦(やれこも)を敷きて
　　　打ち折らむ　醜(しこ)の醜手(しきて)を　さし交(か)へて　寝(ぬ)らむ君ゆゑ
　　　あかねさす　昼はしみらに　ぬば玉の　夜はすがらに
　　　この床の　ひしと鳴るまで　嘆きつるかも
反し歌
3271　我が心焼くも吾(あれ)なり愛(は)しきやし君に恋ふるも我が心から
　　　　　右二首。

3272　うちはへて　思ひし小野は　遠からぬ　その里人(さどひと)の
　　　標結ふと　聞きてし日より　立たまくの　たづきも知らず
　　　居らまくの　奥処(おくか)も知らず　親(にき)びにし　吾(あ)が家すらを
　　　草枕　旅寝のごとく　思ふそら　安からぬものを
　　　嘆くそら　過ぐし得ぬものを　天雲の　ゆくらゆくらに
　　　葦垣の　思ひ乱れて　乱れ麻(を)の　麻笥(をけ)を無みと
　　　吾(あ)が恋ふる　千重の一重も　人知れず　もとなや恋ひむ　息の緒にして
反し歌
3273　二つなき恋をしすれば常の帯を三重結ぶべく我が身はなりぬ
　　　　　右二首。

3274　白たへの　我が衣手を　折り返し　独りし寝(ぬ)れば
　　　ぬば玉の　黒髪敷きて　人の寝(ぬ)る　味眠(うまい)は寝ずて
　　　大舟の　ゆくらゆくらに　思ひつつ　吾(あ)が寝(ぬ)る夜らを
　　　数(よ)みもあへむかも
反し歌
3275　一人寝(ぬ)る夜を数へむと思へども恋の繁きに心神(こころと)もなし
　　　　　右二首。

3276a あしひきの　山田の道を　敷妙の　愛(うつく)し妻と
　　　物言はず　別れし来れば　早川の　行方も知らず
　　　衣手の　帰るも知らに　馬じもの　立ちてつまづき
3276b 為むすべの　たづきを知らに　もののふの　八十の心を
　　　天地に　思ひ足らはし　魂(たま)合はば　君来ますやと
　　　吾(あ)が嘆く　八尺(やさか)の嘆き　玉ほこの　道来る人の
　　　立ち止り　いかにと問はば　言ひ遣らむ　たづきを知らに
　　　さ丹頬(にづら)ふ　君が名言はば　色に出て　人知りぬべみ
　　　あしひきの　山より出づる　月待つと　人には言ひて　君待つ我を
反し歌
3277　眠(い)をも寝ず吾(あ)が思(も)ふ君はいづくへに今宵いませか待てど来まさぬ
　　　　　右二首。

3278　赤駒の　厩(うまや)立て　黒駒の　厩立てて
　　　そを飼ひ　吾(あ)が行くごとく　思ひ妻　心に乗りて
　　　高山の　峯のたをりに　射目(いめ)立てて　鹿猪(しし)待つごとく
　　　常(とこ)しくに　吾(あ)が待つ君を　犬な吠えそね
反し歌
3279　葦垣の末かき分けて君越ゆと人にな告げそ事はたな知れ
　　　　　右二首。

3280　我が背子は　待てど来まさず　天の原　振り放け見れば
　　　ぬば玉の　夜も更けにけり　さ夜更けて　あらしの吹けば
　　　立ち待つに　我が衣手に　降る雪は　凍りわたりぬ
　　　今更に　君来まさめや　さな葛　後も逢はむと
　　　慰むる　心を持ちて　み袖もち　床打ち払ひ
　　　うつつには　君には逢はじ　夢にだに　逢ふと見えこそ　天の足り夜に
或る本の歌に曰く
3281　我が背子は　待てど来まさず　雁が音も　響(とよ)みて寒し
　　　ぬば玉の　夜も更けにけり　さ夜更くと　あらしの吹けば
　　　立ち待つに　我が衣手に　置く霜も　氷(ひ)に冴えわたり
　　　降る雪も　凍りわたりぬ　今更に　君来まさめや
　　　さな葛　後も逢はむと　大舟の　思ひ頼めど
　　　うつつには　君には逢はじ　夢にだに　逢ふと見えこそ　天の足り夜に
反し歌
3282　衣手にあらしの吹きて寒き夜を君来まさずは独りかも寝む
3283　今更に恋ふとも君に逢はめやも寝(ぬ)る夜を落ちず夢に見えこそ
　　　　　右四首。

3284　菅の根の　ねもころごろに　吾(あ)が思(も)へる　妹によりてば
　　　言の忌みも　無くありこそと　斎瓮(いはひへ)を　斎ひ掘り据ゑ
　　　竹玉(たかたま)を　間なく貫(ぬ)き垂り　天地の　神をそ吾(あ)が祈(の)む
　　　いたもすべなみ
反し歌
3285　たらちねの母にも告(の)らず包めりし心はよしゑ君がまにまに
或る本の歌に曰く
3286　玉たすき　懸けぬ時なく　吾(あ)が思(も)へる　君によりてば
　　　倭文幣(しづぬさ)を　手に取り持ちて　竹玉を　繁(しじ)に貫き垂り
　　　天地の　神をそ吾(あ)が乞ふ　いたもすべなみ
反し歌
3287　天地の神を祈りて吾(あ)が恋ふる君に必ず逢はざらめやも
或る本の歌に曰く
3288　大船の　思ひ頼みて　松が根の　いや遠長く
　　　吾(あ)が思(も)へる　君によりてば　言の故も　なくありこそと
　　　木綿(ゆふ)たすき　肩に取り懸け　斎瓮(いはひへ)を　斎(いは)ひ掘り据ゑ
　　　天地の　神にそ吾(あ)が祈(の)む　いたもすべなみ
　　　　　右五首。

3289　御佩(みはかし)を　剣の池の　蓮葉(はちすば)に　溜まれる水の
　　　行方無み　吾(あ)がせし時に　逢ふべしと　卜(うら)へる君を
　　　な寝(いね)そと　母聞こせども　我が心　清隅(きよすみ)の池の
　　　池の底　吾(あれ)は忘れじ　直に逢ふまでに
反し歌
3290　いにしへの神の時より逢ひけらし今心にも常忘らえず
　　　　　右二首。

3291　み吉野の　真木立つ山に　繁(しじ)に生ふる　山菅の根の
　　　ねもころに　吾(あ)が思(も)ふ君は　大皇(おほきみ)の　任(まけ)のまにまに
　　　夷離(ひなざか)る　国治めにと　群鳥(むらとり)の　朝立ちゆけば
　　　後れたる　吾(あれ)か恋ひなむ　旅ならば　君か偲はむ
　　　言はむすべ　せむすべ知らに　あしひきの　山の木末(こぬれ)に
　　　はふ蔦の　別れのあまた　惜しくもあるかも
反し歌
3292　うつせみの命を長くありこそと留(とま)れる吾(あれ)は斎ひて待たむ
　　　　　右二首。

3293　み吉野の　御金(みかね)の嶽(たけ)に　間(ま)なくぞ　雨は降るちふ
　　　時じくそ　雪は降るちふ　その雨の　間(ま)なきがごと
　　　その雪の　時じきがごと　間(ま)もおちず　吾(あれ)はそ恋ふる
　　　妹が正香(ただか)に
反し歌
3294　み雪降る吉野の嶽に居る雲のよそに見し子に恋ひ渡るかも
　　　　　右二首。

3295　うちひさつ　三宅の原ゆ　直土(ひたつち)に　足踏みつらね
　　　夏草を　腰になづみ　如何なるや　人の子ゆゑそ
　　　通はすも吾子(あご)　うべなうべな　母は知らず
　　　うべなうべな　父は知らず　蜷(みな)の腸(わた)　か黒き髪に
　　　真木綿(まゆふ)もち　あざさ結ひ垂り　大和の　黄楊(つげ)の小櫛を
　　　抑へ刺す　敷妙の子は　それそ吾(あ)が妻
反し歌
3296　父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の夏野の草をなづみ来(け)るかも
　　　　　右二首。

3297　玉たすき　懸けぬ時なく　吾(あ)が思(も)へる　妹にし逢はねば
　　　あかねさす　昼はしみらに　ぬば玉の　夜はすがらに
　　　眠(い)も寝ずに　妹に恋ふるに　生けるすべ無し
反し歌
3298　よしゑやし死なむよ我妹生けりともかくのみこそ吾(あ)が恋ひ渡りなめ
　　　　　右二首。

3299　見渡しに　妹らは立たし　この方に　吾(あれ)は立ちて
　　　思ふそら　安からなくに　嘆くそら　安からなくに
　　　さ丹(に)塗りの　小舟(をぶね)もがも　玉巻きの　小楫(をかぢ)もがも
　　　榜ぎ渡りつつも　語らはましを
　　　　　或ル本ノ歌ノ頭句ニ云ク、こもりくの　泊瀬の川の
　　　　　彼方(をちかた)に　妹らは立たし　この方に　我は立ちて。
　　　　　右一首。

3300　押し照る　難波の崎に　引き上る　赤(あけ)のそほ舟
　　　そほ舟に　綱(つな)取り懸け　引こづらひ　あり否(な)みすれど
　　　言ひづらひ　あり否みすれど　あり否み得ずぞ　言はれにし我が身
　　　　　右一首。

3301　神風(かむかぜ)の　伊勢の海の　朝凪に　来依る深海松(ふかみる)
　　　夕凪に　来寄る俣海松(またみる)　深海松の　深めし吾(あれ)を
　　　俣海松の　また行き帰り　妻と　言はじとかも　思ほせる君
　　　　　右一首。

3302　紀の国の　牟婁(むろ)の江の辺(べ)に　千年に　障(つつ)むことなく
　　　万代(よろづよ)に　かくしもあらむと　大舟の　思ひ頼みて　出立ちの　清き渚に
　　　朝凪に　来依る深海松　夕凪に　来依る縄海苔(なはのり)
　　　深海松の　深めし子らを　縄海苔の　引かば絶ゆとや
　　　里人(さどひと)の　行きの集ひに　泣く子なす　行き取り探り
　　　梓弓　弓腹(ゆはら)振り起し　しのき羽を　二つ手挟(たばさ)み
　　　放ちけむ　人し悔しも　恋ふらく思(も)へば
　　　　　右一首。

3303　里人(さどひと)の　吾(あれ)に告ぐらく　汝(な)が恋ふる　愛(うつく)し夫(つま)は
　　　もみち葉の　散り乱れたる　神奈備の　その山辺から
　　　ぬば玉の　黒馬(くろま)に乗りて　川の瀬を　七瀬渡りて
　　　うらぶれて　夫(つま)は逢へりと　人そ告げつる
反し歌
3304　聞かずして黙(もだ)もあらましを何しかも君が正香(ただか)を人の告げつる
　　　　　右二首。


問答(とひこたへのうた)

3305　物思(も)はず　道行きなむも　春山を　振り放け見れば
　　　躑躅花　にほひ処女(をとめ)　桜花　 栄え処女
　　　汝(な)をそも　吾(あ)に寄すちふ　吾(あ)をそも　汝に寄すちふ
　　　荒山も　人し寄すれば　寄そるとぞいふ　汝が心ゆめ
反し歌
3306　如何にして恋やむものぞ天地の神を祈れど吾(あ)は思ひ益す
3307　しかれこそ　年の八年(やとせ)を　切る髪の　我が肩を過ぎ
　　　橘の　ほつ枝を過ぎて　この川の　下にも長く　汝が心待て
反し歌
3308　天地の神をも吾(あれ)は祈りてき恋ちふものはかつて止まずけり
柿本朝臣人麿が集(うたのふみ)の歌に云く
3309　物思(も)はず　道行きなむも　春山を　振り放け見れば
　　　躑躅花(つつじはな)　にほえ処女(をとめ)　桜花　栄え処女
　　　汝(な)をぞも　吾(あ)に寄すちふ　吾(あ)をぞも　汝に寄すちふ
　　　汝は如何に思(も)ふや　思へこそ　年の八年(やとせ)を
　　　切る髪の　吾(あ)が肩を過ぎ　橘の　ほつ枝を過ぐり 
　　　この川の　下にも長く　汝が心待て
　　　　　右五首。

3310　隠国(こもりく)の　泊瀬の国に　さよばひに　吾(あ)が来れば
　　　たな曇り　雪は降り来ぬ　さ曇り　雨は降り来ぬ
　　　野つ鳥　雉(きぎし)は響(とよ)む　家つ鳥　鶏(かけ)も鳴く
　　　さ夜は明け　この夜は明けぬ　入りて吾(あ)が寝む　この戸開かせ
反し歌
3311　隠国の泊瀬小国(をくに)に妻しあれば石は踏めども猶し来にける
3312　隠国の　泊瀬小国　よばひせす　吾が背の君よ
　　　奥床に　母は寝たり　外床(ととこ)に　父は寝たり
　　　起き立たば　母知りぬべし　出で行かば　父知りぬべし
　　　ぬば玉の　夜は明けゆきぬ　ここだくも　思はぬごとく　隠(しぬ)ふ妻かも
反し歌
3313　川の瀬の石踏み渡りぬば玉の黒馬(くろま)の来(く)夜は常にあらぬかも
　　　　　右四首。

3314　つぎねふ　山背道(やましろぢ)を　人夫(づま)の　馬より行くに
　　　己夫(おのづま)の　徒歩(かち)より行けば　見るごとに　哭(ね)のみし泣かゆ
　　　そこ思(も)ふに　心し痛し　たらちねの　母が形見と
　　　吾(あ)が持たる　まそみ鏡に　蜻蛉領巾(あきづひれ)　負ひ並め持ちて
　　　馬買へ我が背
反し歌
3315　泉川渡り瀬深み我が背子が旅行き衣(ごろも)裳(も)濡らさむかも
或る本(まき)の反し歌に曰く
3316　真澄鏡持てれど吾(あれ)は験(しるし)無し君が徒歩よりなづみ行く見れば
3317　馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも吾(あ)は二人行かむ
　　　　　右四首。

3318　紀の国の　浜に寄るちふ　鮑玉(あはびたま)　拾(ひり)はむと言ひて
　　　妹の山　背の山越えて　行きし君　いつ来まさむと
　　　玉ほこの　道に出で立ち　夕卜(ゆふうら)を　吾(あ)が問ひしかば
　　　夕卜の　吾(あれ)に告(の)らく　我妹子や　汝(な)が待つ君は
　　　沖つ波　来依す白玉　辺つ波の　寄する白玉
　　　求むとそ　君が来まさぬ　拾(ひり)ふとそ　君は来まさぬ
　　　久ならば　いま七日(なぬか)ばかり　早からば　いま二日ばかり
　　　あらむとそ　君は聞こしし　な恋ひそ我妹
反し歌
3319　杖衝き衝かずも吾(あれ)は行かめども君が来まさむ道の知らなく
3320　直(ただ)に行かずこゆ巨勢道(こせぢ)から石瀬踏み求めそ吾(あ)が来し恋ひてすべなみ
3321　さ夜更けて今は明けぬと戸ひらきて紀へ行く君をいつとか待たむ
3322　門に居(を)る娘子(をとめ)は内に至るともいたくし恋ひば今帰り来む
　　　　　右五首。


譬喩歌(たとへうた)

3323　しなたつ　筑摩(つくま)狭額田(さぬかた)　息長(おきなが)の　越智の小菅
　　　編まなくに　い刈り持ち来(き)　敷かなくに　い刈り持ち来て
　　　置きて　吾(あれ)を偲はむ　息長の　越智の小菅
　　　　　右一首。


挽歌(かなしみうた)

3324　かけまくも　あやに畏(かしこ)し　藤原の　都しみみに
　　　人はしも　満ちてあれども　君はしも　多くいませど
　　　往き易(かは)る　年の緒長く　仕へ来し　君の御門を
　　　天のごと　仰ぎて見つつ　畏けど　思ひ頼みて
　　　いつしかも　我が大王の　天の下　しろしいまして
　　　望月の　満(たたは)しけむと　吾(あ)が思(も)へる　皇子の尊は
　　　春されば　植槻(うゑつき)が上の　遠つ人　松の下道(したぢ)ゆ
　　　登らして　国見遊ばし　九月(ながつき)の　しぐれの秋は
　　　大殿の　砌(みぎり)しみみに　露負ひて　靡ける萩を
　　　玉たすき　懸けて偲はし　み雪降る　冬の朝(あした)は
　　　刺し柳　根張り梓を　大御手に　取らし賜ひて
　　　遊ばしし　我が大王を　煙(けぶり)立つ　春の日暮らし
　　　真澄鏡(まそかがみ)　見れど飽かねば　万代に　かくしもがもと
　　　大船の　頼める時に　吾(あ)が涙　目かも惑はす
　　　大殿を　振り放け見れば　白たへに　飾りまつりて
　　　内日さす　宮の舎人は　栲(たへ)の秀(ほ)の　麻衣(あさきぬ)着(け)るは
　　　夢かも　現前(うつつ)かもと　曇り夜の　惑へるほとに
　　　麻裳よし　城上(きのへ)の道ゆ　つぬさはふ　磐余(いはれ)を見つつ
　　　神葬(かむはふ)り　葬りまつれば　行く道の　たづきを知らに
　　　思へども　験(しるし)を無み　嘆けども　奥処(おくか)を無み
　　　御袖もち　触(ふ)りてし松を　言問はぬ　木にはあれども
　　　あら玉の　立つ月ごとに　天の原　振り放け見つつ
　　　玉たすき　懸けて偲はな　畏かれども
反し歌
3325　つぬさはふ磐余の山に白たへに懸かれる雲は大君ろかも
　　　　　右二首。

3326　磯城島の　大和の国に　如何さまに　思ほしめせか
　　　連れもなき　城上(きのへ)の宮に　大殿を　仕へ奉りて
　　　殿隠(とのごも)り　隠(こも)りいませば　朝(あした)には　召して遣はし
　　　夕へには　召して遣はし　遣はしし　舎人の子らは
　　　行く鳥の　群れて侍(さもら)ひ　あり待てど　召し賜はねば
　　　剣大刀　磨ぎし心を　天雲に　思ひ散(はふ)らし
　　　臥(こ)いまろび　ひづち哭けども　飽き足らぬかも
　　　　　右一首。

3327　百小竹(ももしぬ)の　三野(みぬ)の王(おほきみ)　西の厩　立てて飼ふ駒
　　　東(ひむかし)の厩　立てて飼ふ駒　草こそは　取りて飼ひなめ
　　　水こそは　汲みて飼ひなめ　何しかも　葦毛の馬の　嘶(いば)え立ちつる
反し歌
3328　衣手を葦毛の馬の嘶(いば)ゆ声心あれかも常ゆ異(け)に鳴く
　　　　　右二首。

3329a 白雲の　棚引く国の　青雲の　向伏(むかぶ)す国の
　　　天雲の　下なる人は　吾(あ)のみかも　君に恋ふらむ
　　　吾(あれ)のみし　君に恋ふれば
3329b 天地に　満ち足らはして　恋ふれかも　胸の病める
　　　思へかも　心の痛き　吾(あ)が恋ぞ　日に異(け)にまさる
　　　いつはしも　恋ひぬ時とは　あらねども　この九月を
　　　我が背子が　偲ひにせよと　千代にも　偲ひ渡れと
　　　万代に　語り継がへと　始めてし　この九月の
　　　過ぎまくを　いたもすべなみ　あら玉の　月の変れば
　　　せむすべの　たどきを知らに　岩が根の　こごしき道の
　　　岩床の　根延(は)へる門に　朝(あした)には　出で居て嘆き
　　　夕へには　入り居恋ひつつ
3329c ぬば玉の　黒髪敷きて　人の寝(ぬ)る　味寝(うまい)は寝ずに
　　　大船の　ゆくらゆくらに　思ひつつ　吾(あ)が寝(ぬ)る夜らは
　　　数(よ)みもあへぬかも
　　　　　右一首。

3330　隠国の　泊瀬の川の　上つ瀬に　鵜を八つ潜(かづ)け
　　　下つ瀬に　鵜を八つ潜け　上つ瀬の　鮎を食はしめ
　　　下つ瀬の　鮎を食はしめ　麗(くは)し妹に　副(たぐ)ひてましを
　　　投ぐるさの　遠ざかり居て　思ふそら　安からなくに
　　　嘆くそら　安からなくに　衣こそは　それ破(や)れぬれば
　　　縫ひつつも　またも合ふといへ　玉こそは　緒の絶えぬれば
　　　縛(くく)りつつ　またも合ふといへ　またも　逢はぬものは　妹にしありけり
3331　隠国の　泊瀬の山　青陸田(あをはた)の　忍坂(をさか)の山は
　　　走出(わしりで)の　宜しき山の　出立ちの　妙(くは)しき山ぞ
　　　惜(あたら)しき　山の　荒れまく惜しも
3332　高山と　海とこそは　山ながら　かくも現(うつ)しく
　　　海ながら　しかも直(ただ)ならめ　人は　花ものそ　うつせみの世人
　　　　　右三首。

3333　大王の　命畏み　蜻蛉島　大和を過ぎて
　　　大伴の　御津の浜辺ゆ　大舟に　真梶しじ貫(ぬ)き
　　　朝凪に　水手(かこ)の声喚び　夕凪に　梶の音(と)しつつ
　　　行きし君　いつ来まさむと　幣(ぬさ)置きて　斎(いは)ひ渡るに
　　　狂言(たはこと)や　人の言ひつる　我が心　筑紫の山の
　　　もみち葉の　散り過ぎにしと　君が正香(ただか)を
反し歌
3334　狂言や人の言ひつる玉の緒の長くと君は言ひてしものを
　　　　　右二首。

3335　玉ほこの　道行く人は　あしひきの　山行き野行き
　　　直(ただ)渡り　川行き渡り　鯨魚(いさな)取り　海道に出でて
　　　畏きや　神の渡は　吹く風も　和(のど)には吹かず
　　　立つ波も　 疎(おほ)には立たず　敷波の　立ち塞(さ)ふ道を
　　　誰が心　いとほしとかも　直渡りけむ
3336　鳥が音も　聞こえぬ海に　高山を　隔てになして
　　　沖つ藻を　枕になして　蜻蛉羽(あきづは)の　衣だに着ずに
　　　鯨魚取り　海の浜辺に　心(うら)もなく　寝(いね)たる人は
　　　母父(おもちち)に　愛子(まなご)にかあらむ　若草の　妻かあるらむ
　　　思ほしき　言伝てむやと　家問へば　家をも告らず
　　　名を問へど　名だにも告らず　泣く子なす　言だに問はず
　　　思へども　悲しきものは　世の中にあり
反し歌
3337　母父も妻も子どもも高々に来むと待つらむ人の悲しさ
3338　あしひきの山道は行かむ風吹けば波の立ち塞ふ海道は行かじ
或る本の歌
備中国(きびのみちのなかのくに)神島の浜にて調使首(つきのおみ)が屍(しかばね)を見てよめる歌一首(ひとつ)、また短歌(みじかうた)
3339　玉ほこの　道に出で立ち　あしひきの　野行き山行き
　　　直(ただ)渉り　川行き渡り　鯨魚取り　海道に出でて
　　　吹く風も　おほには吹かず　立つ波も　のどには立たず
　　　恐(かしこ)きや　神の渡の　敷波の　寄する浜辺に
　　　高山を　隔てに置きて　浦沙(うらす)を　枕に巻きて
　　　うらもなく　臥やせる君は　母父の　愛子にもあらむ
　　　若草の　妻もあらむと　家問へど　家道も言はず
　　　名を問へど　名だにも告らず　誰が言を　いとほしみかも
　　　敷波の　恐き海を　直渉りけむ
反し歌
3340　母父も妻も子どもも高々に来むと待つらむ人の悲しさ
3341　家人の待つらむものを連れもなき荒磯を枕(ま)きて伏せる君かも
3342　浦沙(うらす)に臥(こ)やせる君を今日今日と来むと待つらむ妻し悲しも
3343　浦波の来寄する浜に連れもなく臥(こ)やせる君が家道知らずも
　　　　　右九首(ここのうた)。

3344　この月は　君来まさむと　大舟の　思ひ頼みて
　　　いつしかと　吾(あ)が待ち居れば　もみち葉の　過ぎて行きぬと
　　　玉づさの　使の言へば　蛍なす　ほのかに聞きて
　　　天地を　乞ひ祈(の)み嘆き　立ちて居て　行方も知らに
　　　朝霧の　思ひ惑ひて　杖足らず　八尺(やさか)の嘆き
　　　嘆けども　験(しるし)を無みと　いづくにか　君がまさむと
　　　天雲の　行きのまにまに　射ゆ鹿猪(しし)の　行きも死なむと
　　　思へども　道の知らねば　独り居て　君に恋ふるに　哭(ね)のみし泣かゆ
反し歌
3345　葦辺行く雁の翼を見るごとに君が帯ばしし投矢(なぐや)し思ほゆ
　　　　　右二首。但シ或ヒト云ク、此ノ短歌ハ防人ノ妻ガ作メル也。然レバ長歌モ亦
　　　　　此ノ同作ナリト知ルベシ。

3346　見さくれば　雲居に見ゆる　愛(うるは)しき　十羽(とは)の松原
　　　童(わらは)ども　いざわ出で見む　こと避(さ)かば　国に離(さ)かなむ
　　　こと避(さ)かば　家に離(さ)かなむ　天地の　神し恨めし
　　　草枕　この旅の日(け)に　妻離(さ)くべしや
反し歌
3347　草枕この旅の日(け)に妻離(さか)り家道思ふに生かむすべ無し
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、旅の日(け)にして。
　　　　　右二首。


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.巻第十四(とをまりよまきにあたるまき)


東歌(あづまうた)

雑歌(くさぐさのうた)

3348　夏麻(なつそ)びく海上潟(うなかみがた)の沖つ洲に船は留めむさ夜更けにけり
　　　　　右の一首(ひとうた)は、上総(かみつふさ)の国の歌。
3349　葛飾(かづしか)の真間の浦廻(うらみ)を榜ぐ船の船人騒く波立つらしも
　　　　　右の一首は、下総(しもつふさ)の国の歌。
3350　筑波嶺(つくはね)の新桑繭(にひぐはまよ)の衣はあれど君が御衣(みけし)しあやに着欲しも
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、たらちねの。又云ク、あまた着欲しも。
3351　筑波嶺に雪かも降らる否諾(いなを)かも愛(かな)しき子ろが布(にぬ)干さるかも
　　　　　右の二首(ふたうた)は、常陸の国の歌。
3352　信濃(しなぬ)なる菅(すが)の荒野(あらの)にほととぎす鳴く声聞けば時過ぎにけり
　　　　　右の一首は、信濃の国の歌。

相聞(したしみうた)

3353　あら玉の伎倍(きへ)の林に汝(な)を立てて行きかつましも寝(い)を先立たね
3354　伎倍人の斑衾(まだらぶすま)に綿さはだ入りなましもの妹が小床(をどこ)に
　　　　　右の二首は、遠江(とほつあふみ)の国の歌。
3355　天の原富士の柴山木(こ)の暗(くれ)の時ゆつりなば逢はずかもあらむ
3356　富士の嶺(ね)のいや遠長き山道をも妹がりとへば気(け)に吟(よ)ばず来ぬ
3357　霞居る富士の山びに我が来なばいづち向きてか妹が歎かむ
3358　さ寝(ぬ)らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　ま愛(かな)しみ寝(ぬ)らくしまらくさならくは伊豆の高嶺の鳴沢なすよ
　　　　　一本ノ歌ニ曰ク、
　　　　逢へらくは玉の緒しけや恋ふらくは富士の高嶺に降る雪なすも
3359　駿河の海磯辺(おしへ)に生ふる浜つづら汝(いまし)を頼み母にたがひぬ 一ニ云ク、親にたがひぬ。
　　　　　右の五首(いつうた)は、駿河の国の歌。
3360　伊豆の海に立つ白波のありつつも継ぎなむものを乱れ始(し)めめや
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、白雲の絶えつつも継がむと思へや乱れそめけむ。
　　　　　右の一首は、伊豆の国の歌。
3361　足柄の彼面此面(をてもこのも)にさす罠のか鳴る間静み子ろ吾(あれ)紐解く
3362　相模嶺(さがむね)の小峯見過(そ)ぐし忘れ来る妹が名呼びて吾(あ)を音(ね)し泣くな
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　武藏嶺(むざしね)の小峰見隠し忘れ行く君が名懸けて吾(あ)を音し泣くる
3363　我が背子を大和へ遣りて待つ慕(した)す足柄山の杉の木の間か
3364　足柄(あしがら)の箱根の山に粟蒔きて実とはなれるを逢はなくもあやし
　　　　　或ル本ノ歌ノ末ノ句ニ曰ク、延ふ葛(くず)の引かり寄り来ね下なほなほに。
3365　鎌倉の見越の崎の石崩(いはくえ)の君が悔ゆべき心は持たじ
3366　ま愛(かな)しみさ寝に我(わ)は行く鎌倉の美奈の瀬川よ潮満つなむか
3367　百(もも)づ島足柄小舟歩き多み目こそ離(か)るらめ心は思(も)へど
3368　足柄(あしがり)の土肥(とひ)の河内に出づる湯の世にもたよらに子ろが言はなくに
3369　あしがりの麻萬(まま)の子菅(こすげ)の菅枕(すがまくら)あぜか纏(ま)かさむ子ろせ手枕(たまくら)
3370　あしがりの箱根の嶺(ね)ろのにこ草の花妻なれや紐解かず寝む
3371　足柄(あしがら)の御坂かしこみ曇り夜の吾(あ)が下延(ば)へを言出(こちで)つるかも
3372　相模道(さがむぢ)の餘綾(よろき)の浜の真砂(まなご)なす子らは愛(かな)しく思はるるかも
　　　　　右の十二首(とをまりふたうた)は、相模の国の歌。
3373　多摩川に曝す手作りさらさらに何そこの子のここだ愛(かな)しき
3374　武藏野(むざしぬ)に占(うら)へ肩焼き真実(まさて)にも告(の)らぬ君が名占に出にけり
3375　武藏野の小岫(をぐき)が雉(きぎし)立ち別れ去にし宵より夫(せ)ろに逢はなふよ
3376　恋しけば袖(そて)も振らむを武藏野のうけらが花の色に出(づ)なゆめ
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　いかにして恋ひばか妹に武藏野のうけらが花の色に出ずあらむ
3377　武藏野の草葉もろ向きかもかくも君がまにまに吾(あ)は寄りにしを
3378　入間道(いりまぢ)の大家(おほや)が原のいはゐづら引かばぬるぬる我(わ)にな絶えそね
3379　我が背子をあどかも言はむ武藏野のうけらが花の時なきものを
3380　埼玉(さきたま)の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね
3381　夏麻びく菟原(うなひ)をさして飛ぶ鳥の至らむとそよ吾(あ)が下延へし
　　　　　右の九首(ここのうた)は、武藏の国の歌。
3382　馬来田(うまぐた)の嶺ろの笹葉の露霜の濡れて我(わ)来なば汝(な)は恋ふばそも
3383　馬来田の嶺ろに隠り居かくだにも国の遠かば汝が目欲りせむ
　　　　　右の二首は、上総(かみつふさ)の国の歌。
3384　葛飾(かづしか)の真間の手兒名(てこな)をまことかも我に寄すとふ真間の手兒名を
3385　葛飾の真間の手兒名がありしかば真間の磯辺(おすひ)に波もとどろに
3386　にほ鳥の葛飾早稲(わせ)を饗(にへ)すともその愛(かな)しきを外(と)に立てめやも
3387　足(あ)の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ
　　　　　右の四首(ようた)は、下総(しもつふさ)の国の歌。
3388　筑波嶺(つくはね)の嶺ろに霞居過ぎかてに息づく君を率(ゐ)寝て往(や)らさね
3389　妹が門いや遠そきぬ筑波山隠れぬほとに袖は振りてな
3390　筑波嶺にかか鳴く鷲の音(ね)のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに
3391　筑波嶺に背向(そがひ)に見ゆる葦穂山悪しかる咎(とが)もさね見えなくに
3392　筑波嶺の岩もとどろに落つる水世にもたゆらに我が思はなくに
3393　筑波嶺の彼面此面(をてもこのも)に守部(もりべ)据ゑ母は守(も)れども魂(たま)そ逢ひにける
3394　さ衣(ごろも)の小筑波嶺(をづくはね)ろの山の崎忘らえ来(こ)ばこそ汝(な)を懸けなはめ
3395　小筑波(をづくは)の嶺ろに月(つく)立し逢ひし夜は多(さはだ)なりぬをまた寝てむかも
3396　小筑波の茂き木の間よ立つ鳥の目ゆか汝を見むさ寝ざらなくに
3397　常陸なる浪逆(なさか)の海の玉藻こそ引けば絶えすれあどか絶えせむ
　　　　　右の十首(とうた)は、常陸の国の歌。
3398　人皆の言は絶ゆとも埴科(はにしな)の石井の手児が言な絶えそね
3399　信濃道(しなぬぢ)は今の墾道(はりみち)刈株(かりばね)に足踏ましなむ沓はけ我が背
3400　信濃なる千曲(ちぐま)の川の細石(さざれし)も君し踏みてば玉と拾はむ
3401　中麻奈(なかまな)に浮きをる船の榜ぎ出なば逢ふこと難し今日にしあらずは
　　　　　右の四首は、信濃の国の歌。
3402　日の暮(ぐれ)に碓氷(うすひ)の山を越ゆる日は夫汝(せな)のが袖もさやに振らしつ
3403　吾(あ)が恋はまさかも悲し草枕多胡(たこ)の入野の奥も悲しも
3404　上毛野(かみつけぬ)安蘇の真麻屯(まそむら)かき抱(むだ)き寝(ぬ)れど飽かぬをあどか吾(あ)がせむ
3405　上毛野小野(をど)の多杼里(たどり)が川路にも子らは逢はなも独りのみして
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　上毛野小野(をぬ)の多杼里が川路にも夫汝は逢はなも見る人なしに
3406　上毛野佐野の茎立(くくたち)折りはやし吾(あれ)は待たむゑことし来ずとも
3407　上毛野真桑(まぐは)島門(しまど)に朝日さし眩(まきら)はしもな在りつつ見れば
3408　新田山(にひたやま)嶺にはつかなな我(わ)に寄そり間(はし)なる子らしあやに愛(かな)しも
3409　伊香保ろに天雲い継ぎ鹿沼(かぬま)づく人とおたはふいざ寝しめとら
3410　伊香保ろの傍(そひ)の榛原ねもころに奥をな兼ねそまさかし良かば
3411　多胡の嶺に寄せ綱延へて寄すれどもあに来(く)や沈石(しづし)その顔よきに
3412　上毛野久路保(くろほ)の嶺ろの葛葉がた愛(かな)しけ子らにいや離(ざか)り来も
3413　利根川の川瀬も知らず直(ただ)渡り波に逢ふのす逢へる君かも
3414　伊香保ろの八尺(やさか)の堰塞(ゐて)に立つ虹(ぬじ)の顕(あら)はろまてもさ寝をさ寝てば
3415　上毛野伊香保の沼に植ゑ小水葱(こなぎ)かく恋ひむとや種求めけむ
3416　上毛野可保夜(かほや)が沼のいはゐつら引かば靡(ぬ)れつつ吾(あ)をな絶えそね
3417　上毛野伊奈良の沼の大藺草(おほゐぐさ)よそに見しよは今こそまされ 柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出ヅ。
3418　上毛野佐野田の苗の群苗(むらなへ)にことは定めつ今は如何にせも
3419　伊香保夫(せ)よ奈可中次下思ひどろくまこそしつと忘れせなふも
3420　上毛野佐野の舟橋取り離し親は放(さ)くれど我(わ)は離(さか)るがへ
3421　伊香保嶺に雷(かみ)な鳴りそね我が上(へ)には故は無けども子らによりてそ
3422　伊香保風吹く日吹かぬ日ありと言へど吾(あ)が恋のみし時なかりけり
3423　上毛野伊香保の嶺ろに降ろ雪(よき)の行き過ぎかてぬ妹が家のあたり
　　　　　右の二十二首(はたちまりふたうた)は、上野(かみつけぬ)の国の歌。
3424　下毛野(しもつけぬ)三鴨の山の子楢(こなら)のす目妙(まぐは)し子ろは誰が笥(け)か持たむ
3425　下毛野安蘇(あそ)の川原よ石踏まず空ゆと来(き)ぬよ汝(な)が心告(の)れ
　　　　　右の二首は、下野(しもつけぬ)の国の歌。
3426　会津嶺の国をさ遠み逢はなはば偲(しぬ)ひにせむと紐結ばさね
3427　筑紫なるにほふ子ゆゑに陸奥(みちのく)の片依(かとり)処女(をとめ)の結ひし紐解く
3428　安太多良(あだたら)の嶺(ね)に伏す鹿猪(しし)のありつつも吾(あれ)は至らむ寝処(ねど)な去りそね
　　　　　右の三首は、陸奥の国の歌。

譬喩歌(たとへうた)

3429　遠江(とほつあふみ)引佐細江(いなさほそえ)のみをつくし吾(あれ)を頼めて浅(あ)さましものを
　　　　　右の一首は、遠江の国の歌。
3430　志太(しだ)の浦を朝榜ぐ船はよしなしに榜ぐらめかもよ寄し来ざるらめ
　　　　　右の一首は、駿河の国の歌。
3431　足柄(あしがり)の安伎奈(あきな)の山に引こ船(ぶね)の後(しり)引かしもよここば来難(こがた)に
3432　足柄のわをかけ山の穀(かづ)の木の我(わ)を拐(かづ)さねもかづさかずとも
3433　薪伐(こ)る鎌倉山の木垂(こだ)る木をまつと汝が言はば恋ひつつやあらむ
　　　　　右の三首は、相模の国の歌。
3434　上毛野安蘇山黒葛(つづら)野を広み延(は)ひにしものをあぜか絶えせむ
3435　伊香保ろの傍(そひ)の榛原(はりはら)我が衣(きぬ)に着(つ)き宜(よら)しもよ絹布(たへ)と思へば
3436　しらとほる小新田山(をにひたやま)の守(も)る山のうら枯れせなな常葉(とこは)にもがも
　　　　　右の三首は、上野の国の歌。
3437　陸奥の安太多良(あだたら)真弓弾(はじ)き置きて撥(せ)らしめきなば弦(つら)著(は)かめかも
　　　　　右の一首は、陸奥の国の歌。


雑歌(くさぐさのうた)

3438　都武賀野(つむがぬ)に鈴が音(おと)聞こゆ上志太(かむしだ)の殿の仲子(なかち)し鳥猟(とがり)すらしも
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、美都我野(みつがぬ)に。又曰ク、若子(わくご)し。
3439　鈴が音(ね)の早馬駅(はゆまうまや)の堤井の水を賜へな妹が直手(ただて)よ
3440　この川に朝菜洗ふ子汝(なれ)も吾(あれ)も同輩児(よち)をそ持てるいで子賜(こたば)りに 一ニ云ク、汝(まし)も吾(あれ)も。
3441　ま遠くの雲居に見ゆる妹が家(へ)にいつか至らむ歩め吾(あ)が駒
　　　　　柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ曰ク、遠くして。又曰ク、歩め黒駒。
3442　東道(あづまぢ)の田子の呼坂(よびさか)越えかねて山にか寝むも宿りは無しに
3443　うらもなく我が行く道に青柳の張りて立てれば物思(も)ひ出(で)つも
3444　伎波都久(きはつく)の岡の茎韮(くくみら)我摘めど籠(こ)にも満たなふ夫汝(せな)と摘まさね
3445　湊のや葦が中なる玉小菅刈り来(こ)我が背子床(とこ)の隔(へだ)しに
3446　妹なろが使ふ川津のささら荻葦と一如(ひとごと)語り宜(よら)しも
3447　草陰の安努野(あぬな)行かむと墾(は)りし道安努は行かずて荒草(あらくさ)だちぬ
3448　花散らふこの向つ峰(を)の小名(をな)の峰(を)のひじにつくまて君が代もがも
3449　白妙の衣の袖を真久良我(まくらが)よ海人榜ぎ来(く)見ゆ波立つなゆめ
3450　乎久佐男(をくさを)と乎具佐好男(をぐさずけを)と潮舟の並べて見れば乎具佐勝ちめり
3451　左奈都良(さなつら)の岡に粟蒔き愛(かな)しきが駒は揚(た)ぐとも我(わ)はそとも追(は)じ
3452　おもしろき野をばな焼きそ古草に新草まじり生ひは生ふるがに
3453　風の音(と)の遠き我妹(わぎも)が着せし衣袂の行(くだり)まよひ来にけり
3454　庭にたつ麻布小衾(あさてこぶすま)今宵だに夫(つま)寄しこせね麻布小衾

相聞(したしみうた)

3455　恋しけば来ませ我が背子垣内柳(かきつやぎ)末(うれ)摘み刈らし我立ち待たむ
3456　うつせみの八十言(やそこと)のへは繁くとも争ひかねて吾(あ)を言成すな
3457　うち日さす宮の我が夫(せ)は大和女(やまとめ)の膝枕(ま)くごとに吾(あ)を忘らすな
3458　汝兄(なせ)の子や鳥の岡道(おかぢ)し中手折(だを)れ吾(あ)を音(ね)し泣くよ息(いく)づくまてに
3459　稲舂けば皹(かか)る吾(あ)が手を今宵もか殿の若子(わくご)が取りて嘆かむ
3460　誰(たれ)そこの屋の戸押そぶる新嘗(にふなみ)に我が夫(せ)を遣りて斎(いは)ふこの戸を
3461　あぜと言へか実(さね)に逢はなくに真日暮れて宵なは来(こ)なに明けぬ時(しだ)来る
3462　あしひきの山澤人(やまさはびと)の人多(さは)に愛(まな)と言ふ子があやに愛(かな)しさ
3463　ま遠くの野にも逢はなむ心なく里のみ中に逢へる夫汝(せな)かも
3464　人言の繁きによりて真小薦(まをごも)の同(おや)じ枕は我(わ)は纏(ま)かじやも
3465　高麗錦紐解き放けて寝(ぬ)るが上(へ)にあどせろとかもあやに愛(かな)しき
3466　ま憐(かな)しみ寝(ぬ)れば言に出(づ)さ寝なへば心の緒ろに乗りてかなしも
3467　奥山の真木の板戸(いたと)をとどとして我が開かむに入り来て寝(な)さね
3468　山鳥の尾ろのはつ尾に鏡懸け唱ふべみこそ汝(な)に寄そりけめ
3469　夕占(ゆふけ)にも今宵と告(の)らろ我が夫汝(せな)はあぜそも今宵依(よし)ろ来まさぬ
3470　相見ては千年やいぬる否をかも吾(あれ)やしか思(も)ふ君待ちがてに 柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出ヅ。
3471　しまらくは寝つつもあらむを夢(いめ)のみにもとな見えつつ吾(あ)を音(ね)し泣くる
3472　人妻とあぜかそを言はむ然らばか隣の衣を借りて着なはも
3473　佐野山に打つや斧音(をのと)の遠かども寝もとか子ろが面に見えつる
3474　植竹の本さへ響(とよ)み出でて去(い)なばいづし向きてか妹が嘆かむ
3475　恋ひつつも居らむとすれど木綿間山(ゆふまやま)隠れし君を思ひかねつも
3476　うべ子汝(な)は我(わ)ぬに恋ふなも立と月(つく)の流(ぬが)なへ行けば恋(こふ)しかるなも
　　　　　或ル本ノ末ノ句ニ曰ク、ぬがなへ行けど我ぬ行がのへば
3477　東道の田子の呼坂越えて去なば吾(あれ)は恋ひむな後は逢ひぬとも
3478　遠しとふ故奈(こな)の白嶺(しらね)に逢ほ時(しだ)も逢はのへ時(しだ)も汝にこそ寄され
3479　安可見山(あかみやま)草根刈り除(そ)け逢はすが上(へ)争ふ妹しあやに愛(かな)しも
3480　大王(おほきみ)の命(みこと)かしこみ愛(かな)し妹が手枕離れ徭役(よだ)ち来(き)ぬかも
3481　あり衣のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来にて思ひ苦(ぐる)しも 柿本朝臣人麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。上ニ見エタルコト已ニ記セリ。
3482　韓衣(からころも)裾の打交(うちかへ)逢はねども異(け)しき心を吾(あ)が思(も)はなくに
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　韓衣裾の打交(うちかひ)逢はなへば寝なへのからに言痛(ことた)かりつも
3483　昼解けば解けなへ紐の我が夫汝(せな)に相依るとかも夜解けやする
3484　麻苧(あさを)らを麻笥(をけ)に多(ふすさ)に績(う)まずとも明日来(き)せざめやいざせ小床に
3485　剣大刀(つるぎたち)身に添ふ妹を取り見がね音をそ泣きつる手児(てこ)にあらなくに
3486　愛(かな)し妹を弓束(ゆづか)並(な)べ向(ま)き如己男(もころを)のこととし言はばいや勝たましに
3487　梓弓末にたままきかくすすそ寝なな成りにし奥を兼ぬ兼ぬ
3488　大楚(おふしもと)この本山の真吝(ましは)にも告らぬ妹が名兆(かた)に出でむかも
3489　梓弓欲良(よら)の山辺の繁(しが)かくに妹ろを立ててさ寝処(ねど)払ふも
3490　梓弓末は寄り寝むまさかこそ人目を多み汝を間(はし)に置けれ 柿本朝臣人麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。
3491　柳こそ伐(き)れば生えすれ世の人の恋に死なむを如何にせよとそ
3492　小山田の池の堤にさす柳成りも成らずも汝と二人はも
3493　遅速(おそはや)も汝をこそ待ため向つ峰(を)の椎の小枝(こやで)の逢ひは違(たけ)はじ
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　遅速も君をし待たむ向つ峰の椎のさ枝の時は過ぐとも
3494　兒持山(こもちやま)若鶏冠木(わかかへるで)の黄葉(もみ)つまて寝もと我(わ)は思(も)ふ汝はあどか思(も)ふ
3495　伊香保(いはほ)ろの傍(そひ)の若松限りとや君が来まさぬ心許(うらもと)無くも
3496　橘の古婆(こば)の放髪(はなり)が思ふなむ心愛(うつ)くしいで吾(あれ)は行かな
3497　川上の根白高草(ねじろたかがや)あやにあやにさ寝さ寝てこそ言に出にしか
3498　海原(うなはら)の萎柔(ねやはら)子菅あまたあれば君は忘らす我忘るれや
3499　岡に寄せ我が刈る草(かや)のさ萎草(ねかや)のまこと柔(なご)やは寝ろと言(へ)なかも
3500　紫草(むらさき)は根をかも終ふる人の子のうら愛(がな)しけを寝を終へなくに
3501　安波峰(あはを)ろの峰(を)ろ田に生はるたはみづら引かばぬるぬる吾(あ)を言な絶え
3502　我が目妻人は放(さ)くれど朝顔の年副(さ)へこごと我(わ)は離(さか)るがへ
3503　安齊可潟(あせかがた)潮干の寛(ゆた)に思へらばうけらが花の色に出めやも
3504　春へ咲く藤の末葉(うらば)の心安(うらやす)にさ寝(ぬ)る夜そ無き子ろをし思(も)へば
3505　うちひさつ美夜能瀬川(みやのせがは)の容花(かほばな)の恋ひてか寝(ぬ)らむ昨夜(きそ)も今宵も
3506　新室(にひむろ)の蚕時(こどき)に至ればはたすすき穂に出し君が見えぬこの頃
3507　谷狭(せば)み峰に延(は)ひたる玉かづら絶えむの心我が思(も)はなくに
3508　芝付(しばつき)の御浦崎なるねつこ草あひ見ずあらば吾(あれ)恋ひめやも
3509　栲衾(たくぶすま)白山(しらやま)風の寝なへども子ろが襲着(おそき)の有ろこそ善(え)きも
3510　み空ゆく雲にもがもな今日行きて妹に言問ひ明日帰り来む
3511　青嶺(あをね)ろに棚引く雲のいさよひに物をそ思ふ年のこの頃
3512　一嶺ろに言はるものから青嶺ろにいさよふ雲の寄そり妻はも
3513　夕さればみ山を去らぬ布雲(にのぐも)のあぜか絶えむと言ひし子ろはも
3514　高き嶺に雲の著(つ)くのす我さへに君に著きなな高嶺と思(も)ひて
3515　吾(あ)が面(おも)の忘れむ時(しだ)は国溢(はふ)り嶺に立つ雲を見つつ偲(しぬ)はせ
3516　對馬の嶺は下雲あらなふ上(かむ)の嶺に棚引く雲を見つつ偲はも
3517　白雲の絶えにし妹をあぜせろと心に乗りてここば悲しけ
3518　岩の上(へ)にいがかる雲のかぬまづく人そおたはふいざ寝しめとら
3519　汝が母に嘖(こ)られ吾(あ)は行く青雲の出で来(こ)我妹子相見て行かむ
3520　面形(おもかた)の忘れむしだは大野ろに棚引く雲を見つつ偲はむ
3521　烏とふ大嘘鳥(おほおそどり)の真実(まさて)にも来まさぬ君を子ろ来(く)とそ鳴く
3522　昨夜(きそ)こそは子ろとさ寝しか雲の上ゆ鳴きゆく鶴(たづ)の間遠く思ほゆ
3523　坂越えて阿倍の田の面(も)に居る鶴(たづ)のともしき君は明日さへもがも
3524　真小薦(まをごも)の結(ふ)のみ近くて逢はなへば沖つ真鴨の嘆きそ吾(あ)がする
3525　水久君沼(みくくぬ)に鴨の匍(は)ほのす子ろが上に言おろ延へていまだ寝なふも
3526　沼二つ通は鳥が巣吾(あ)が心二行くなもとな思はりそね
3527　沖に住も小鴨のもころ八尺鳥(やさかどり)息づく妹を置きて来ぬかも
3528　水鳥の立たむ装(よそ)ひに妹のらに物言はず来にて思ひかねつも
3529　鳥矢(とや)の野に兎(をさぎ)ねらはりをさをさも寝なへ子ゆゑに母に嘖(ころ)ばえ
3530　さ牡鹿の臥すや草叢見えずとも子ろが金門(かなど)よ行かくしえしも
3531　妹をこそ相見に来しか眉引(まよびき)の横山辺ろの獣(しし)なす思へる
3532　春の野に草食(は)む駒の口やまず吾(あ)を偲ふらむ家の子ろはも
3533　人の子の愛(かな)しけ時(しだ)は浜洲鳥足悩(あなゆ)む駒の惜しけくもなし
3534　赤駒が門出をしつつ出でかてにせしを見立てし家の子らはも
3535　己が男(を)をおほにな思ひそ庭に立ち笑ますがからに駒に逢ふものを
3536　赤駒を打ちてさ緒引き心引きいかなる夫汝(せな)か我許(わがり)来むと言ふ
3537　垣(くへ)越しに麦食む駒のはつはつに相見し子らしあやにかなしも
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　馬柵(うませ)越し麦食む駒のはつはつに新肌触れし子ろしかなしも
3538　飜橋(ひろはし)を馬越しかねて心のみ妹がり遣りて我(わ)はここにして
　　　　　或ル本ノ歌ノ発句ニ曰ク、小林(をはやし)に駒を馳ささげ。
3539　崖(あず)の上に駒を繋ぎて危(あや)ほかど人妻子ろを息に我がする
3540　左和多里(さわたり)の手児にい行き逢ひ赤駒が足掻きを速み言問はず来(き)ぬ
3541　崖辺(あずへ)から駒の行このす危(あや)はども人妻子ろをまゆかせらふも
3542　さざれ石に駒を馳させて心痛み吾(あ)が思(も)ふ妹が家のあたりかも
3543　むろがやの都留(つる)の堤の成りぬがに子ろは言へどもいまだ寝なくに
3544　飛鳥川下濁れるを知らずして夫汝(せな)なと二人さ寝て悔しも
3545　飛鳥川塞(せ)くと知りせばあまた夜も率寝(ゐね)て来(こ)ましを塞くと知りせば
3546　青柳の波良(はら)ろ川門に汝を待つと清水(せみど)は汲まず立ち処(ど)平(なら)すも
3547　あぢの棲む須沙の入江の隠沼(こもりぬ)のあな息づかし見ず久にして
3548　鳴瀬ろに木積(こつ)の寄すなすいとのきて愛(かな)しけ夫(せ)ろに人さへ寄すも
3549　手結潟(たゆひがた)潮満ちわたるいづゆかも愛しき夫(せ)ろが我許(わがり)通はむ
3550　押して否と稲は舂かねど波の穂のいたぶらしもよ昨夜(きそ)独り寝て
3551　味鎌(あぢかま)の潟に咲く波平瀬にも紐解くものか愛(かな)しけを置きて
3552　麻都(まつ)が浦に騒(さわ)ゑうら立ち真他言(まひとごと)思ほすなもろ我が思(も)ほのすも
3553　味鎌の可家(かけ)の湊に入る潮の言痛(こてた)けくもか入りて寝まくも
3554　妹が寝(ぬ)る床のあたりに岩泳(ぐく)る水にもがもよ入りて寝まくも
3555　真久良我(まくらが)の許我(こが)の渡の柄楫(からかぢ)の音高(だか)しもな寝なへ子ゆゑに
3556　潮船の置かれば悲しさ寝つれば人言繁し汝をどかもしむ
3557　悩ましけ人妻かもよ榜ぐ舟の忘れはせなないや思(も)ひ増すに
3558　逢はずして行かば惜しけむ真久良我(まくらが)の許賀(こが)榜ぐ船に君も逢はぬかも
3559　大船を舳(へ)ゆも艫(とも)ゆも堅めてし許曾(こそ)の里人あらはさめかも
3560　真金(まかね)吹く丹生(にふ)の真朱(まそほ)の色に出て言はなくのみそ吾(あ)が恋ふらくは
3561　金門田(かなとだ)を新掻(あらがき)まゆみ日が照(と)れば雨を待とのす君をと待とも
3562　荒磯辺(ありそへ)に生ふる玉藻の打ち靡き独りや寝(ぬ)らむ吾(あ)を待ちかねて
3563　比多潟(ひたがた)の磯の若布の立ち乱え我(わ)をか待つなも昨夜(きそ)も今宵も
3564　小菅ろの浦吹く風のあどすすか愛(かな)しけ子ろを思ひ過ごさむ
3565　彼の子ろと寝ずやなりなむ旗すすき浦野の山に月片寄るも
3566　我妹子に吾(あ)が恋ひ死なば其(そこ)をかも神に負ほせむ心知らずて

防人の歌

3567　置きて行かば妹はま悲し持ちて行く梓の弓の弓束(ゆつか)にもがも
3568　後れ居て恋ひば苦しも朝猟の君が弓にもならましものを
　　　　　右の二首は、問答(とひこたへのうた)。
3569　防人に立ちし朝明(あさけ)の金門出(かなとで)に手放(たばな)れ惜しみ泣きし子らはも
3570　葦の葉に夕霧立ちて鴨が音の寒き夕へし汝をば偲はむ
3571　己の妻を人の里に置きおほほしく見つつそ来ぬるこの道の間

譬喩歌(たとへうた)

3572　あど思(も)へか阿自久麻山(あじくまやま)の弓絃葉(ゆづるは)の含(ふふ)まる時に風吹かずかも
3573　あしひきの山葛蘿(やまかづらかげ)ましはにも得がたき蘿(かげ)を置きや枯らさむ
3574　小里なる花橘を引き攀ぢて折らむとすれど末(うら)若みこそ
3575　美夜自(みやじ)ろの岡辺に立てる貌が花な咲き出でそね隠(こ)めて偲はむ
3576　苗代の子水葱(こなぎ)が花を衣に摺り馴るるまにまにあぜか愛(かな)しけ

挽歌(かなしみうた)

3577　かなし妹をいづち行かめと山菅の背向(そがひ)に寝しく今し悔しも
　　　　　以前ノ歌詞、未ダ国土山川ノ名ヲ勘ヘ知ルコトヲ得ズ。    </description>
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    <title>m6</title>
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      巻第十一(とをまりひとまきにあたるまき)


古今相聞往来歌類上

相聞(したしみうた) 旋頭歌〔十七首。十二首、人麿集。五首、古歌集。〕

2351　新室(にひむろ)の壁草刈りにいましたまはね草のごと寄り合ふ処女(をとめ)は君がまにまに
2352　新室を踏み鎮む子が手玉(たたま)鳴らすも玉のごと照らせる君を内へと申せ
2353　泊瀬の斎槻(ゆつき)がもとに吾(あ)が隠せる妻あかねさし照れる月夜(つくよ)に人見てむかも
2354　ますらをの思ひたけびて隠せるその妻天地(あめつち)に通り照るともあらはれめやも
2355　息の緒に吾(あ)が思(も)ふ妹は早も死ねやも生けりとも吾(あれ)に寄るべしと人の言はなくに
2356　高麗錦紐の片方(かたへ)ぞ床(とこ)に落ちにける明日の夜し来(き)なむと言はば取り置きて待たむ
2357　朝戸出の君が足結(あゆひ)を濡らす露原早く起きて出でつつ吾(あれ)も裳の裾濡れな
2358　何せむに命をもとな長く欲りせむ生けりとも吾(あ)が思(も)ふ妹にやすく逢はなくに
2359　息の緒に吾(あれ)は思へど人目多みこそ吹く風にあらばしばしば逢ふべきものを
2360　人の親の処女児(をとめこ)据ゑて守山辺(もるやまへ)から朝な朝(さ)な通ひし君が来ねば悲しも
2361　天なる一つ棚橋何か障(さや)らむ若草の妻がりと言はば足結し立たむ
2362　山背の久世(くせ)の若子(わくご)が欲しと言ふ吾(あ)をあふさわに吾(あ)を欲しと言ふ山背の久世
　　　　　右ノ十二首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。

2363　岡の崎廻(た)みたる道を人な通ひそありつつも君が来まさむ避道(よきみち)にせむ
2364　玉垂(たまたれ)の小簾(をす)の隙(すけき)に入り通ひ来(こ)ねたらちねの母が問はさば風と申さむ
2365　うち日さす宮道に逢ひし人妻ゆゑに玉の緒の思ひ乱れて寝(ぬ)る夜しそ多き
2366　真澄鏡(まそかがみ)見しがと思ふ妹に逢はめかも玉の緒の絶えたる恋の繁きこの頃
2367　海原の道に乗れれや吾(あ)が恋ひ居りて大船のゆたにあるらむ人の子ゆゑに
　　　　　右ノ五首ハ、古歌集ノ中ニ出ヅ。


正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶ〔百四十九首。四十七首、人麿集。百二首、人麿集外。〕

2368　たらちねの母が手離れかくばかりすべなきことはいまだせなくに
2369　人の寝(ぬ)る味寐(うまい)は寝ずてはしきやし君が目すらを欲りて嘆くも
2370　恋ひしなば恋ひも死ねとや玉ほこの道行き人に言も告げなき
2371　心には千たび思へど人に言はず吾(あ)が恋ふ妹を見むよしもがも
2372　かくばかり恋ひむものそと知らませば遠く見つべくありけるものを
2373　いつはしも恋ひぬ時とはあらねども夕かたまけて恋ふはすべなし
2374　かくのみし恋ひし渡れば玉きはる命も知らず年は経につつ
2375　吾(あれ)ゆ後生まれむ人は吾(あ)がごとく恋する道に逢ひこすなゆめ
2376　ますらをの現心(うつしこころ)も吾(あれ)はなし夜昼といはず恋ひし渡れば
2377　何せむに命継ぎけむ我妹子に恋ひざる先にも死なましものを
2378　よしゑやし来まさぬ君を何せむにいとはず吾(あれ)は恋ひつつ居らむ
2379　見渡しの近き渡りを廻(たもとほ)り今や来ますと恋ひつつそ居る
2380　はしきやし誰が障(さ)ふれかも玉ほこの道見忘れて君が来まさぬ
2381　君が目の見まく欲しけみこの二夜千年(ちとせ)のごとも吾(あ)が恋ふるかも
2382　うち日さす宮道を人は満ち行けど吾(あ)が思(も)ふ君はただ一人のみ
2383　世の中は常かくのみと思へども半手不忘なほ恋ひにけり
2384　我が背子は幸(さき)くいますと度まねく吾(あれ)に告げつつ人も来ぬかも
2385　あら玉の年は経れども吾(あ)が恋ふる跡なき恋のやまぬあやしも
2386　巌(いはほ)すら行き通るべきますらをも恋ちふことは後悔いにけり
2387　日暮れなば人知りぬべみ今日の日の千年のごとくありこせぬかも
2388　立ちて居てたどきも知らず思へども妹に告げねば間使も来ず
2389　ぬば玉のこの夜な明けそ赤らびく朝行く君を待てば苦しも
2390　恋するに死にするものにあらませば我が身は千たび死にかへらまし
2391　ぬば玉の昨日の夕へ見しものを今日の朝(あした)に恋ふべきものか
2392　なかなかに見ざりしよりは相見ては恋しき心いよよ思ほゆ
2393　玉ほこの道行かずしてあらませばねもころかかる恋には逢はじ
2394　朝影に我が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去にし子ゆゑに
2395　行けど行けど逢はぬ妹ゆゑ久かたの天の露霜に濡れにけるかも
2396　たまさかに我が見し人をいかならむよしをもちてかまた一目見む
2397　しましくも見ぬば恋しき我妹子を日に日に来れば言の繁けく
2398　玉きはる世まで定めて恃めたる君によりてし言の繁けく
2399　赤らびく肌も触れずて寝たれども異(け)しき心を吾(あ)が思(も)はなくに
2400　いで如何にねもころごろに利心(とごころ)の失するまで思(も)ふ恋ふらくのゆゑ
2401　恋ひ死なば恋ひも死ねとや我妹子が我家(わぎへ)の門を過ぎて行くらむ
2402　妹があたり遠くし見ればあやしくも吾(あれ)はそ恋ふる逢ふよしを無み
2403　山背の久世の川原にみそぎして斎(いは)ふ命は妹がためこそ
2404　思ひ寄り見寄りしものを何すとか一日へだつて忘ると思はむ
2405　垣ほなす人は言へども高麗錦(こまにしき)紐解き開けし君ならなくに
2406　高麗錦紐解き開けて夕へだに知らざる命恋ひつつあらむ
2407　百積(ももつみ)の船漕ぎ入るる八占(やうら)さし母は問ふともその名は告(の)らじ
2408　眉根掻き鼻鳴(ひ)紐解け待てりやもいつかも見むと思ひし我君(わぎみ)
2409　君に恋ひうらぶれ居れば怪しくも吾(あ)が下紐の結ふ手たゆしも
2410　あら玉の年は果つれど敷妙の袖交へし子を忘れて思へや
2411　白妙の袖をはつはつ見しからにかかる恋をも吾(あれ)はするかも
2412　我妹子に恋ひすべなかり夢に見むと吾(あれ)は思へどい寝らえなくに
2413　故もなく吾(あ)が下紐そ今解くる人にな知らせ直に逢ふまで
2414　恋ふること心遣りかね出で行けば山も川をも知らず来にけり
　　　　　右ノ四十七首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。

2517　たらちねの母に障(さは)らばいたづらに汝(いまし)も吾(あれ)も事成るべしや
2518　我妹子が吾(あれ)を送ると白妙の袖漬(ひ)づまでに泣きし思ほゆ
2519　奥山の真木の板戸を押し開きしゑや出で来ね後は如何にせむ
2520　苅薦(かりこも)の一重を敷きてさ寝(ぬ)れども君とし寝(ぬ)れば寒けくもなし
2521　かきつはた丹頬(にづら)ふ君をいささめに思ひ出でつつ嘆きつるかも
2522　恨みむと思ひなづみてありしかば外(よそ)のみぞ見し心は思(も)へど
2523　さ丹頬ふ色には出でじ少なくも心のうちに吾(あ)が思(も)はなくに
2524　我が背子に直(ただ)に逢はばこそ名は立ため言の通ふに何かそこゆゑ
2525　ねもころに片思(かたもひ)すれかこの頃の吾(あ)が心どの生けるともなき
2526　待つらむに至らば妹が嬉しみと笑まむ姿を行きて早見む
2527　誰(たれ)そこの我が屋戸に来呼ぶたらちねの母に嘖(ころ)ばえ物思(も)ふ吾(あれ)を
2528　さ寝ぬ夜は千夜もありとも我が背子が思ひ悔ゆべき心は持たじ
2529　家人は道もしみみに通へども吾(あ)が待つ妹が使来ぬかも
2530　あら玉の寸戸(きへ)が竹垣(たかかき)網目よも妹し見えなば吾(あれ)恋ひめやも
2531　我が背子がその名のらじと玉きはる命は捨てつ忘れたまふな
2532　おほかたは誰が見むとかもぬば玉の吾(あ)が黒髪をぬらして居らむ
2533　面忘れいかなる人のするものそ吾(あれ)はしかねつ継ぎてし思(も)へば
2534　相思はぬ人のゆゑにかあら玉の年の緒長く吾(あ)が恋ひ居らむ
2535　おほかたの行(わざ)とは思(も)はじ我ゆゑに人に言痛(こちた)く言はれしものを
2536　息の緒に妹をし思(も)へば年月の行くらむ別(わき)も思ほえぬかも
2537　たらちねの母に知らえず吾(あ)が持たる心はよしゑ君がまにまに
2538　独り寝(ぬ)と薦朽ちめやも綾莚緒になるまでに君をし待たむ
2539　相見ては千年やいぬるいなをかも吾(あれ)やしか思(も)ふ君待ちかてに
2540　振分けの髪を短み春草を髪にたくらむ妹をしぞ思ふ
2541　徘徊(たもとほ)りゆきみの里に妹を置きて心空なり土は踏めども
2542　若草の新手枕(にひたまくら)をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに
2543　吾(あ)が恋ひしことも語らひ慰めむ君が使を待ちやかねてむ
2544　うつつには逢ふよしもなし夢にだに間なく見え君恋に死ぬべし
2545　誰そ彼と問はば答へむすべをなみ君が使を帰しつるかも
2546　思はぬに至らば妹が嬉しみと笑まむ眉引(まよびき)思ほゆるかも
2547　かくばかり恋ひむものそと思はねば妹が手本(たもと)をまかぬ夜もありき
2548　かくだにも吾(あれ)は恋ひなむ玉ほこの君が使を待ちやかねてむ
2549　妹に恋ひ吾(あ)が泣く涙敷妙の枕通りて袖さへ濡れぬ
2550　立ちて思ひ居てもそ思ふ紅の赤裳裾引き去にし姿を
2551　思ふにし余りにしかばすべをなみ出でてそ行きしその門を見に
2552　心には千重しくしくに思へども使を遣らむすべの知らなく
2553　夢のみに見るすらここだ恋ふる吾(あ)はうつつに見てばましていかにあらむ
2554　相見ては面隠さるるものからに継ぎて見まくの欲しき君かも
2555　朝戸遣(あさとやり)を早くな開けそうまさはふ愛(め)づらし君が今宵来ませり
2556　玉垂の小簾(をす)の垂簾(たれす)を引きあげて寝(い)は寝(な)さずとも君は通はせ
2557　たらちねの母に申さば君も吾(あれ)も逢ふとはなしに年そ経ぬべき
2558　愛(うつく)しと思へりけらしな忘れと結びし紐の解くらく思(も)へば
2559　昨日見て今日こそ隔て我妹子がここだく継ぎて見まくし欲しも
2560　人もなき古りにし里にある人をめぐくや君が恋に死なせむ
2561　人言の繁き間(ま)守(も)りて逢へりともはた吾(あ)が上に言の繁けむ
2562　里人の言寄せ妻を荒垣の外(よそ)にや吾(あ)が見む憎からなくに
2563　人目守る君がまにまに吾(あれ)さへに早く起きつつ裳の裾濡れぬ
2564　ぬば玉の妹が黒髪今宵もか吾(あ)が無き床に靡(ぬ)らして寝(ぬ)らむ
2565　花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ
2566　色に出でて恋ひば人見て知りぬべみ心のうちの隠(こも)り妻はも
2567　相見ては恋慰むと人は言へど見て後にもそ恋まさりける
2568　おほろかに吾(あれ)し思はばかくばかり難き御門を罷り出めやも
2569　思ふらむその人なれやぬば玉の夜ごとに君が夢にし見ゆる
2570　かくのみに恋ひば死ぬべみたらちねの母にも告げつ止まず通はせ
2571　大夫(ますらを)は友の騒きに慰むる心もあらむ吾(あれ)そ苦しき
2572　偽りも似つきてそするいつよりか見ぬ人恋ふに人の死にする
2573　心さへ奉(まつ)れる君に何しかも言はずて言ひしと吾(あ)がぬすまはむ
2574　面忘れだにもえせむやと手(た)握りて打てど障(さや)らず恋の奴(やつこ)は
2575　めづらしき君見むとこそ左手の弓取る方の眉根(まよね)掻きつれ
2576　人間(ひとま)守(も)り葦垣越しに我妹子を相見しからに言そ沙汰(さだ)多き
2577　今だにも目な乏(とも)しめそ相見ずて恋ひむ年月久しけまくに
2578　朝寝髪吾(あれ)は梳らじ愛(うつく)しき君が手枕触(ふ)りてしものを
2579　早ゆきていつしか君を相見むと思ひし心今ぞ凪ぎぬる
2580　面形(おもかた)の忘れてあらばあぢきなく男じものや恋ひつつ居らむ
2581　言に言へば耳にたやすし少なくも心のうちに吾(あ)が思(も)はなくに
2582　あぢきなく何の狂言(たはこと)今更に童言(わらはこと)する老人(おいひと)にして
2583　相見ずて幾ばく久もあらなくに年月のごと思ほゆるかも
2584　ますらをと思へる吾(あれ)をかくばかり恋せしむるはからくそありける
2585　かくしつつ吾(あ)が待つ験(しるし)あらぬかも世の人皆の常ならなくに
2586　人言を繁みと君に玉づさの使も遣らず忘ると思(も)ふな
2587　大原の古りにし里に妹を置きて吾(あれ)い寝かねつ夢に見えこそ
2588　夕されば君来まさむと待ちし夜のなごりそ今もい寝かてにする
2589　相思はず君はあるらしぬば玉の夢にも見えずうけひて寝(ぬ)れど
2590　岩根踏み夜道は行かじと思へれど妹によりては忍びかねつも
2591　人言の繁き間守ると逢はずあらばつひにや子らが面忘れなむ
2592　恋死なむ後は何せむ我が命の生けらむ日こそ見まく欲りすれ
2593　敷妙の枕動きてい寝らえず物思(も)ふ今宵早も明けぬかも
2594　行かぬ吾(あ)を来むとか夜も門閉(さ)さずあはれ我妹子待ちつつあらむ
2595　夢にだに何かも見えぬ見ゆれども吾(あれ)かも惑ふ恋の繁きに
2596　慰むる心はなしにかくのみし恋ひやわたらむ月に日に異(け)に
2597　いかにして忘れむものそ我妹子に恋は益されど忘らえなくに
2598　遠くあれど君にそ恋ふる玉ほこの里人皆に吾(あれ)恋ひめやも
2599　験なき恋をもするか夕されば人の手まきて寝なむ子ゆゑに
2600　百代しも千代しも生きてあらめやも吾(あ)が思(も)ふ妹を置きて嘆かむ
2601　うつつにも夢にも吾(あれ)は思はずき旧(ふ)りたる君にここに逢はむとは
2602　黒髪の白髪までと結びてし心一つを今解かめやも
2603　心をし君に奉(まつ)ると思へればよしこの頃は恋ひつつをあらむ
2604　思ひ出でて音には泣くともいちしろく人の知るべく嘆かすなゆめ
2605　玉ほこの道行きぶりに思はぬに妹を相見て恋ふる頃かも
2606　人目多み常かくのみし伺(さもら)はばいづれの時か吾(あ)が恋ひざらむ
2607　敷妙の衣手離(か)れて吾(あ)を待つとあるらむ子らは面影に見ゆ
2608　妹が袖別れし日より白妙の衣片敷き恋ひつつそ寝(ぬ)る
2609　白妙の袖はまよひぬ我妹子が家のあたりをやまず振りしに
2610　ぬば玉の吾(あ)が黒髪を引き靡(ぬ)らし乱れて吾(あれ)は恋ひ渡るかも
2611　今更に君が手枕まき寝めや吾(あ)が紐の緒の解けつつもとな
2612　白妙の袖(そて)触れてより我が背子に吾(あ)が恋ふらくは止む時もなし
2613　夕卜(ゆふけ)にも占(うら)にも告れる今宵だに来まさぬ君をいつとか待たむ
2614　眉根(まよね)掻き下いふかしみ思へるに古へ人を相見つるかも
　　　　　或ル本(マキ)ノ歌ニ曰ク、
　　　　眉根掻き誰をか見むと思ひつつ日長く恋ひし妹に逢へるかも
　　　　　一書ノ歌ニ曰ク、
　　　　眉根掻き下いふかしみ思へりし妹が姿を今日見つるかも
2615　敷妙の手枕まきて妹と吾(あれ)寝(ぬ)る夜はなくて年そ経にける
2616　奥山の真木の板戸を音速み妹があたりの霜の上(へ)に寝ぬ
2617　あしひきの山桜戸を開き置きて吾(あ)が待つ君を誰か留むる
2618　月夜(つくよ)よみ妹に逢はむと直道(ただち)から吾(あれ)は来つれど夜そ更けにける


物に寄せて思ひを陳(の)ぶ〔二百八十二首。 九十三首、人麿集。百八十九首、人麿集外。〕

2415　処女(をとめ)らを袖布留(ふる)山の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひ来(こ)し吾(あ)は
2416　ちはやぶる神に祈れる命をば誰(たれ)がためにか長く欲りする
2417　石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神さびて恋をも吾(あれ)は更にするかも
2418　いかならむ名負へる神に手向(たむけ)けせば吾(あ)が思(も)ふ妹を夢にだに見む
2419　天地(あめつち)といふ名の絶えてあらばこそ汝(いまし)と吾(あれ)と逢ふことやまめ
2420　月見れば国は同(おや)じそ山隔(へな)り愛(うつく)し妹は隔りたるかも
2421　参道(まゐりぢ)は岩踏む山の無くもがも吾(あ)が待つ君が馬つまづくに
2422　岩根踏み隔(へな)れる山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひ渡るかも
2423　道の後(しり)深津島山しましくも君が目見ねば苦しかりけり
2424　紐鏡能登香(のとか)の山は誰ゆゑそ君来ませるに紐開けず寝む
2425　山科の木幡(こはた)の山を馬はあれど徒歩(かち)ゆ吾(あ)が来し汝(な)を思ひかね
2426　遠山に霞たなびきいや遠に妹が目見ねば吾(あれ)恋ひにけり
2427　この川の瀬々に敷く波しくしくに妹が心に乗りにけるかも
2428　ちはや人宇治の渡の速き瀬に逢はずありとも後は吾(あ)が妻
2429　はしきやし逢はぬ子ゆゑにいたづらにこの川の瀬に裳の裾濡れぬ
2430　この川に水泡(みなわ)さかまき行く水の事かへさずそ思ひ染めてし
2431　鴨川の後瀬静けし後は逢はむ妹には吾(あれ)は今ならずとも
2432　言に出でて言はば忌々(ゆゆ)しみ山川のたぎつ心を塞(せ)かへたりけり
2433　水の上(へ)に数書くごとき我が命妹に逢はむと祈(うけ)ひつるかも
2434　荒磯(ありそ)越えほかゆく波の外心(ほかごころ)吾(あれ)は思はじ恋ひて死ぬとも
2435　淡海(あふみ)の海(み)沖つ白波知らねども妹がりといへば直(ただ)に越え来ぬ
2436　大船の香取の海にいかり下ろし如何なる人か物思(も)はざらむ
2437　沖つ藻を隠さふ波の五百重波(いほへなみ)千重しくしくに恋ひ渡るかも
2438　人言の繁けき我妹綱手引く海ゆまさりて深くしぞ思(も)ふ
2439　淡海の海沖つ島山奥まけて吾(あ)が思(も)ふ妹が言の繁けく
2440　淡海の海沖榜ぐ船にいかり下ろし隠れて君が言待つ吾(あれ)ぞ
2441　隠沼(こもりぬ)の下よ恋ふればすべをなみ妹が名告(の)りつ忌むべきものを
2442　大地(おほつち)も取らば尽きめど世の中に尽き得ぬものは恋にしありけり
2443　隠津(こもりづ)の沢泉なる岩根をも通してぞ思(も)ふ吾(あ)が恋ふらくは
2444　白真弓石辺(いそへ)の山の常磐なる命なれやも恋ひつつ居らむ
2445　淡海の海沈(しづ)く白玉知らずして恋ひつるよりは今ぞまされる
2446　白玉を巻きてぞ持たる今よりは吾(あ)が玉にせむ知れる時だに
2447　白玉を手に巻きしより忘れじと思ふ心はいつか変はらむ
2448　白玉のあひだ空けつつ貫(ぬ)ける緒もくくり寄すれば後あふものを
2449　香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも
2450　雲間よりさ渡る月のおほほしく相見し子らを見むよしもがも
2451　天雲の寄り合ひ遠み逢はずとも異(あだ)し手枕吾(あれ)まかめやも
2452　雲だにもしるくし立たば心遣り見つつし居らむ直に逢ふまでに
2453　春柳葛木山に立つ雲の立ちても居ても妹をしそ思(も)ふ
2454　春日山雲居隠りて遠けども家は思はず君をしそ思(も)ふ
2455　吾(あ)がゆゑに言はれし妹は高山の嶺の朝霧過ぎにけむかも
2456　ぬば玉の黒髪山の山菅に小雨降りしきしくしく思ほゆ
2457　大野らに小雨降りしく木(こ)のもとに時々寄り来(こ)吾(あ)が思ふ人
2458　朝霜の消(け)なば消ぬべく思ひつつ待つにこの夜を明かしつるかも
2459　我が背子が浜吹く風のいや早に早事なさばいや逢はざらむ
2460　遠妹(とほづま)の振り放け見つつ偲ふらむこの月の面(おも)に雲な棚引き
2461　山の端に照り出(づ)る月のはつはつに妹をぞ見つる後恋ひむかも
2462　我妹子し吾(あれ)を思はば真澄鏡照り出(づ)る月の影に見え来ね
2463　久かたの天照る月の隠ろひぬ何になそへて妹を偲はむ
2464　三日月のさやにも見えず雲隠り見まくぞ欲しきうたてこの頃
2465　我が背子に吾(あ)が恋ひ居れば我が屋戸の草さへ思ひうらがれにけり
2466　浅茅原小野に標(しめ)結ひ空言(むなこと)をいかなりと言ひて君をし待たむ
2467　道の辺の草深百合の後(ゆり)にちふ妹が命を吾(あれ)知らめやも
2468　湖葦(みなとあし)に交じれる草のしり草の人皆知りぬ吾(あ)が下思ひ
2469　山ぢさの白露繁みうらぶるる心を深み吾(あ)が恋やまず
2470　湊に根延ふ小菅のねもころに君に恋ひつつありかてぬかも
2471　山背の泉の小菅おしなみに妹を心に吾(あ)が思(も)はなくに
2472　味酒(うまさけ)の三室の山の巌菅(いはほすげ)ねもころ吾(あれ)は片思(かたもひ)ぞする
2473　菅の根のねもころ君が結びてし吾(あ)が紐の緒を解く人はあらじ
2474　山菅の乱れ恋のみせしめつつ逢はぬ妹かも年は経につつ
2475　我が屋戸の軒のしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず
2476　打つ田にも稗(ひえ)はあまたに有りといへど選えし吾(あれ)ぞ夜一人寝(ぬ)る
2477　あしひきの山の山菅ねもころに君し結ばば逢はざらめやも
2478　秋柏(あきかしは)潤和川辺の小竹(しぬ)の群(め)の人に忍(しぬ)へば君に堪(た)へなく
2479　さね葛(かづら)後は逢はむと夢(いめ)のみに誓(うけ)ひわたりて年は経につつ
2480　道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ吾(あ)が恋ふる妻
2481　大野らにたづきも知らず標結ひてありぞかねつる吾(あ)が恋ふらくは
2482　水底(みなそこ)に生ふる玉藻の打ち靡き心を寄せて恋ふるこの頃
2483　敷妙の衣手離(か)れて玉藻なす靡きか寝(ぬ)らむ我(わ)を待ちかてに
2484　君来ずは形見にせよと吾(あ)と二人植ゑし松の木君を待ち出ね
2485　袖振るが見ゆべき限り吾(あれ)はあれどその松が枝に隠(かく)りたるらむ
2486　茅渟(ちぬ)の海の浜辺の小松根深めて吾(あ)が恋ひ渡る人の子ゆゑに
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　茅渟の海の潮干の小松ねもころに恋ひや渡らむ人の子ゆゑに
2487　平山の小松が末(うれ)のうれむぞは吾(あ)が思(も)ふ妹に逢はず止みなむ
2488　磯の上(へ)の立てるむろの木ねもころに如何で深めて思ひそめけむ
2489　橘の本に吾(あれ)立ち下枝(しづえ)取り成りぬや君と問ひし子らはも
2490　天雲に羽打ちつけて飛ぶ鶴(たづ)のたづたづしかも君しまさねば
2491　妹に恋ひい寝ぬ朝明(あさけ)に鴛鴦(をしどり)のこよ飛び渡る妹が使か
2492　思ふにし余りにしかば鳰鳥(にほどり)の足濡れ来(こ)しを人見けむかも
2493　高山の嶺行く鹿猪(しし)の友を多み袖振らず来ぬ忘ると思(も)ふな
2494　大船に真楫しじ貫き榜ぐ間だにねもころ恋ひし年にあらばいかに
2495　たらちねの母が養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよごも)り隠(こも)れる妹を見むよしもがも
2496　貴人(うまひと)の額髪(ぬかかみ)結へる染木綿(しめゆふ)の染みにし心吾(あれ)忘れめや
2497　隼人(はやひと)の名に負ふ夜声(よこゑ)いちしろく吾(あ)が名は告りつ妻と恃ませ
2498　剣大刀(つるぎたち)諸刃の利きに足踏みて死ににも死なむ君によりてば
2499　我妹子に恋ひし渡れば剣大刀名の惜しけくも思ひかねつも
2500　朝づく日向かふ黄楊櫛(つげくし)古りぬれど何しか君が見るに飽かざらむ
2501　里遠み恋ひうらぶれぬ真澄鏡床の辺去らず夢に見えこそ
2502　真澄鏡手に取り持ちて朝な朝(さ)な見れども君は飽くことも無し
2503　夕されば床の辺去らぬ黄楊枕何しか汝(なれ)が主待ちがたき
2504　解き衣の恋ひ乱れつつ浮草の浮きても吾(あれ)は恋ひ渡るかも
2505　梓弓引きてゆるさずあらませばかかる恋には逢はざらましを
2506　言霊(ことたま)を八十(やそ)の衢(ちまた)に夕占(ゆふけ)問ふ占(うら)まさに告(の)れ妹に逢はむよし
2507　玉ほこの道行き占(うら)に占なへば妹に逢はむと吾(あれ)に告りてき
　　　　　右ノ九十三首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。

2619　朝影に我が身はなりぬ韓衣(からころも)裾のあはずて久しくなれば
2620　解き衣の思ひ乱れて恋ふれどもなそ汝がゆゑと問ふ人もなし
2621　摺り衣着(け)りと夢見つうつつには誰しの人の言か繁けむ
2622　志賀(しか)の海人の塩焼き衣狎(な)れぬれど恋ちふものは忘れかねつも
2623　紅の八しほの衣朝な朝(さ)な狎(な)るとはすれどいや愛(め)づらしも
2624　紅の深染(こそめ)の衣色深く染みにしかばか忘れかねつる
2625　逢はなくに夕占を問ふと幣(ぬさ)に置くに我が衣手はまたそ継ぐべき
2626　古衣(ふるころも)打棄(うつ)てし人は秋風の立ち来る時に物思(も)ふものそ
2627　羽根蘰(はねかづら)今する妹がうら若み笑みみ怒りみ付けし紐解く
2628　古の倭文機(しつはた)帯を結び垂れ誰ちふ人も君には益さじ
　　　　　一書ノ歌ニ曰ク、
　　　　古の狭織(さおり)の帯を結び垂れ誰しの人も君には益さじ
2629　逢はずとも吾(あれ)は恨みじこの枕吾(あれ)と思ひてまきてさ寝ませ
2630　結へる紐解きし日遠み敷妙の我が木枕(こまくら)は苔生しにけり
2631　ぬば玉の黒髪敷きて長き夜を手枕の上(へ)に妹待つらむか
2632　真澄鏡直(ただ)にし妹を相見ずは吾(あ)が恋やまじ年は経ぬとも
2633　真澄鏡手に取り持ちて朝な朝な見む時さへや恋の繁けむ
2634　里遠み恋ひ侘びにけり真澄鏡面影去らず夢に見えこそ
　　　　　右ノ一首ハ、上ニ柿本朝臣人麿ノ歌集ノ中ニ見エタリ。
　　　　　但シ句々相換レルヲ以テ、茲ニ載セタリ。
2635　剣大刀身に佩き添ふる大夫(ますらを)や恋ちふものを忍(しぬ)ひかねてむ
2636　剣大刀諸刃の上に行き触れて殺(し)せかも死なむ恋ひつつあらずは
2637　咽(しはぶか)ひ鼻をそ嚔(ひ)つる剣大刀身に添ふ妹が思ひけらしも
2638　梓弓陶(すゑ)の原野(はらぬ)に鳥狩(とがり)する君が弓弦(ゆづら)の絶えむと思(も)へや
2639　葛城の襲津彦(そづひこ)真弓荒木にも頼めや君が吾(あ)が名のりけむ
2640　梓弓引きみ弛(ゆる)べみ来ずは来ず来(こ)ば来(こ)そをなど来ずは来ばそを
2641　時守の打ち鳴(な)す鼓数(よ)み見れば時にはなりぬ逢はなくもあやし
2642　燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ
2643　玉ほこの道行き疲れ稲莚(いなむしろ)しきても君を見むよしもがも
2644　小墾田(をはりた)の坂田の橋の崩れなば桁より行かむな恋ひそ我妹
2645　宮材(みやき)引く泉の杣(そま)に立つ民の憩ふ時なく恋ひ渡るかも
2646　住吉(すみのえ)の津守(つもり)網引(あびき)の浮(うけ)の緒の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは
2647　横雲の空よ引き越し遠みこそ目言離(か)るらめ絶ゆと隔つや
2648　かにかくに物は思はず飛騨人の打つ墨縄のただ一道(ひとみち)に
2649　あしひきの山田守(も)る翁(をぢ)が置く蚊火(かひ)の下焦れのみ吾(あ)が恋ひ居らく
2650　殺板(そぎた)もち葺ける板目の合はざらば如何にせむとか吾(あ)が寝そめけむ
2651　難波人葦火焚く屋の煤(す)してあれどおのが妻こそ常愛(め)づらしき
2652　妹が髪上竹葉野(かみたかはぬ)の放ち駒荒(あら)びにけらし逢はなく思(も)へば
2653　馬の音(と)の轟(とど)ともすれば松陰に出でてぞ見つるけだし君かと
2654　君に恋ひい寝ぬ朝明に誰が乗れる馬の足音(あのと)そ吾(あれ)に聞かする
2655　紅の裾引く道を中に置きて吾(あれ)や通はむ君や来まさむ
2656　天飛ぶや軽の社の斎槻(いはひつき)幾代まであらむ隠(こも)り妻そも
2657　神奈備に神籬(ひもろき)立てて斎(いは)へども人の心はまもりあへぬもの
2658　天雲の八重雲隠り鳴神の音のみにやも聞きわたりなむ
2659　争へば神も憎ますよしゑやしよそふる君が憎からなくに
2660　夜並べて君を来ませと千早ぶる神の社を祈(の)まぬ日はなし
2661　霊(たま)ちはふ神も吾(あれ)をば打棄(うつ)てこそしゑや命の惜しけくもなし
2662　我妹子にまたも逢はむと千早ぶる神の社を祈まぬ日はなし
2663　千早ぶる神の斎籬(いがき)も越えぬべし今は我が名の惜しけくもなし
2664　夕月夜暁(あかとき)闇の朝影に我が身はなりぬ汝を思ひかねて
2665　月しあれば明くらむ別(わき)も知らずして寝て吾(あ)が来しを人見けむかも
2666　妹が目の見まく欲しけく夕闇の木の葉隠れる月待つごとし
2667　真袖もち床打ち払ひ君待つと居りし間に月かたぶきぬ
2668　二上に隠ろふ月の惜しけども妹が手本を離るるこの頃
2669　我が背子が振り放け見つつ嘆くらむ清き月夜に雲な棚引き
2670　真澄鏡清き月夜のゆつりなば思ひはやまじ恋こそ益さめ
2671　この夜らの有明の月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし
2672　この山の嶺に近しと吾(あ)が見つる月の空なる恋もするかも
2673　ぬば玉の夜渡る月のゆつりなば更にや妹に吾(あ)が恋ひ居らむ
2674　朽網山(くたみやま)夕居る雲の立ちていなば吾(あれ)は恋ひむな君が目を欲り
2675　君が着(け)る三笠の山に居る雲の立てば継がるる恋もするかも
2676　久かたの天飛ぶ雲になりてしか君を相見む落つる日なしに
2677　佐保の内よ下風(あらし)吹ければ立ち還りせむすべ知らに嘆く夜そ多き
2678　はしきやし吹かぬ風ゆゑ玉くしげ開きてさ寝し吾(あれ)そ悔しき
2679　窓越しに月おし照りてあしひきのあらし吹く夜は君をしそ思(も)ふ
2680　川千鳥棲む沢の上(へ)に立つ霧のいちしろけむな相言ひそめてば
2681　我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつそ見し雨の降らくに
2682　韓衣君にうち着せ見まく欲り恋ひそ暮らしし雨の降る日を
2683　彼方(をちかた)の赤土(はにふ)の小屋に小雨降り床(とこ)さへ濡れぬ身に添へ我妹
2684　笠無みと人には言ひて雨障(あまつつ)み留まりし君が姿し思ほゆ
2685　妹が門行き過ぎかねつ久かたの雨も降らぬかそを由にせむ
2686　夕占問ふ我が袖に置く白露を君に見せむと取れば消(け)につつ
2687　桜麻(さくらあさ)の苧原(をふ)の下草露しあれば明かしていませ母は知るとも
2688　待ちかねて内には入らじ白妙の我が衣手に露は置きぬとも
2689　朝露の消(け)やすき我が身老いぬともまた変若(をち)かへり君をし待たむ
2690　白妙の我が衣手に露は置けど妹には逢はずたゆたひにして
2691　かにかくに物は思はじ朝露の我が身ひとつは君がまにまに
2692　夕凝(ゆふこり)の霜置きにけり朝戸出に跡踏みつけて人に知らゆな
2693　かくばかり恋ひつつあらずは朝に日に妹が踏むらむ土ならましを
2694　あしひきの山鳥の尾の一峯(ひとを)越え一目見し子に恋ふべきものか
2695　我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ
2696　荒熊の住むちふ山のしはせ山責めて問ふとも汝が名は告らじ
2697　妹が名も吾(あ)が名も立てば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつわたれ
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　君が名も我が名も立てば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつも居れ
2698　行きて見て来れば恋ひしき朝香潟山越しに置きてい寝かてぬかも
2699　安太人(あだひと)の梁(やな)打ち渡す瀬を速み心は思(も)へど直に逢はぬかも
2700　玉かぎる岩垣淵の隠(しぬ)ひには恋ひて死ぬとも汝が名は告らじ
2701　明日香川明日も渡らむ石橋(いはばし)の遠き心は思ほえぬかも
2702　飛鳥川水行きまさりいや日異(け)に恋のまさらばありかてましも
2703　真薦(まこも)刈る大野川原の水隠(みごも)りに恋ひ来し妹が紐解く吾(あれ)は
2704　あしひきの山下響(とよ)み行く水の時ともなくも恋ひ渡るかも
2705　はしきやし逢はぬ君ゆゑいたづらにこの川の瀬に玉裳濡らしつ
2706　泊瀬川速み早瀬を掬(むす)び上げて飽かずや妹と問ひし君はも
2707　青山の岩垣沼の水隠りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ
2708　しなが鳥猪名山響み行く水の名のみ寄せてし隠(こも)り妻はも
2709　我妹子に吾(あ)が恋ふらくは水ならばしがらみ越えて行くべくそ思(も)ふ
2710　犬上の鳥籠(とこ)の山なる不知哉川(いさやがは)いさとを聞こせ我が名のらすな
2711　奥山の木の葉隠りて行く水の音に聞きしよ常忘らえず
2712　言急(と)くは中は淀ませ水無川(みなしがは)絶ゆちふことをありこすなゆめ
2713　明日香川ゆく瀬を速み早見むと待つらむ妹をこの日暮らしつ
2714　もののふの八十(やそ)宇治川の速き瀬に立ち得ぬ恋も吾(あれ)はするかも
2715　神奈備の折り廻(た)む隈の岩淵に隠(こも)りてのみや吾(あ)が恋ひ居らむ
2716　高山よ出で来る水の岩に触(ふ)り破(わ)れてそ思ふ妹に逢はぬ夜は
2717　朝東風(あさこち)に井堤(ゐて)越す波のさやかにも逢はぬ子ゆゑに滝(たぎ)もとどろに
2718　高山の岩もとたぎち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも
2719　隠沼(こもりぬ)の下に恋ふれば飽き足らず人に語りつ忌むべきものを
2720　水鳥の鴨の棲む池の下樋(したひ)無みいふせき君を今日見つるかも
2721　玉藻刈る井堤のしがらみ薄みかも恋の淀める吾(あ)が心かも
2722　我妹子が笠の借手の和射見野(わざみぬ)に吾(あれ)は入りぬと妹に告げこそ
2723　あまたあらぬ名をしも惜しみ埋れ木の下よそ恋ふる行方知らずて
2724　秋風の千江の浦廻(み)の木糞(こつみ)なす心は寄りぬ後は知らねど
2725　白真砂(しらまなご)御津の黄土(はにふ)の色に出でて言はなくのみそ吾(あ)が恋ふらくは
2726　風吹かぬ浦に波立ち無き名をも吾(あれ)は負へるか逢ふとはなしに
2727　酢蛾島(すがしま)の夏身の浦に寄する波間も置きて吾(あ)が思(も)はなくに
2728　淡海の海沖つ島山奥まへて吾(あ)が思(も)ふ妹が言の繁けく
2729　霰降り遠つ大浦に寄する波よしゑ寄すとも憎からなくに
2730　紀の海の名高の浦に寄する波音高きかも逢はぬ子ゆゑに
2731　牛窓の波の潮騒島とよみ寄せてし君に逢はずかもあらむ
2732　沖つ波辺波(へなみ)の来寄る佐太(さだ)の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも
2733　白波の来寄する島の荒磯にもあらましものを恋ひつつあらずは
2734　潮満てば水泡に浮かぶ真砂(まなご)にも吾(あれ)は生けるか恋ひは死なずて
2735　住吉の岸の浦廻(み)にしく波のしばしば妹を見むよしもがも
2736　風をいたみいたぶる波のあひだ無く吾(あ)が思(も)ふ君は相思(も)ふらむか
2737　大伴の御津の白波あひだ無く吾(あ)が恋ふらくを人の知らなく
2738　大船のたゆたふ海にいかり下ろし如何にせばかも吾(あ)が恋やまむ
2739　みさご居る沖の荒磯に寄する波ゆくへも知らず吾(あ)が恋ふらくは
2740　大船の舳(へ)にも艫(とも)にも寄する波寄すとも吾(あれ)は君がまにまに
2741　大海に立つらむ波は間あらむ君に恋ふらく止む時もなし
2742　志賀の海人の煙(けぶり)焼き立てて焼く塩のからき恋をも吾(あれ)はするかも
　　　　　右ノ一首ハ、或ヒト云ク、石川君子朝臣ガヨメル。
2743　なかなかに君に恋ひずは比良の浦の海人ならましを玉藻刈りつつ
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　なかなかに君に恋ひずは田児の浦の海人ならましを玉藻刈る刈る
2744　鱸(すずき)獲る海人の灯火よそにだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこの頃
2745　湊入りの葦分け小舟(をぶね)障(さは)り多み吾(あ)が思(も)ふ君に逢はぬ頃かも
2746　庭清み沖へ榜ぎ出(づ)る海人舟の楫取る間なき恋をするかも
2747　あぢかまの塩津をさして榜ぐ船の名は告(の)りてしを逢はざらめやも
2748　大舟に葦荷刈り積みしみみにも妹が心に乗りにけるかも
2749　駅路(はゆまぢ)に引舟渡し直(ただ)乗りに妹が心に乗りにけるかも
2750　我妹子に逢はず久しも甘美物(うましもの)安倍橘の苔生すまでに
2751　あぢの住む須佐(すさ)の入江の荒磯松吾(あ)を待つ子らはただ一人のみ
2752　我妹子を聞き都賀野辺(つがぬへ)のしなひ合歓木(ねぶ)吾(あ)は忍ひ得ず間無くし思へば
2753　波の間よ見ゆる小島の浜久木久しくなりぬ君に逢はずして
2754　秋柏(あきかしは)閏八川辺の小竹(しぬ)の群(め)の偲ひて寝(ぬ)れば夢に見えけり
2755　浅茅原仮標(かりしめ)指して空言(むなこと)も寄せてし君が言をし待たむ
2756　月草の仮なる命なる人をいかに知りてか後も逢はむちふ
2757　大王(おほきみ)の御笠に縫へる有馬菅ありつつ見れど言無し我妹
2758　菅の根のねもころ妹に恋ふるにし大夫心(ますらをこころ)思ほえぬかも
2759　我が屋戸の穂蓼(ほたで)古幹(ふるから)摘み生(おほ)し実になるまでに君をし待たむ
2760　あしひきの山沢ゑぐを摘みに行かむ日だにも逢はむ母は責むとも
2761　奥山の岩本菅の根深くも思ほゆるかも吾(あ)が思(も)ふ妻は
2762　葦垣の中の和草(にこぐさ)にこよかに吾(あれ)と笑まして人に知らゆな
2763　紅の浅葉の野らに刈る草(かや)の束の間も吾(あ)を忘らすな
2764　妹がため命残せり刈薦の思ひ乱れて死ぬべきものを
2765　我妹子に恋つつあらずは刈薦の思ひ乱れて死ぬべきものを
2766　三島江の入江の薦を刈りにこそ吾(あれ)をば君は思ひたりけれ
2767　あしひきの山橘の色に出て吾(あ)は恋ひなむを人目忌ますな
2768　葦鶴(たづ)の騒く入江の白菅の知られむためと言痛(こちた)かるかも
2769　我が背子に吾(あ)が恋ふらくは夏草の刈り除(そ)くれども生ひしくごとし
2770　道の辺の五柴原(いつしばはら)のいつもいつも人の許さむ言をし待たむ
2771　我妹子が袖を頼みて真野の浦の小菅の笠を着ずて来にけり
2772　真野の浦の小菅を笠に縫はずして人の遠名を立つべきものか
2773　刺竹(さすだけ)の葉隠(ごも)りてあれ我が背子が吾許(あがり)来(き)せずは吾(あれ)恋ひめやも
2774　神奈備の浅篠原のしみみにも吾(あ)が思(も)ふ君が声のしるけく
2775　山高み谷辺に延(は)へる玉葛絶ゆる時なく見むよしもがも
2776　道の辺の草を冬野に踏み枯らし吾(あれ)立ち待つと妹に告げこそ
2777　畳薦へだて編む数通はさば道の柴草生ひざらましを
2778　水底に生ふる玉藻の生ひ出でずよしこの頃はかくて通はむ
2779　海原の沖つ縄海苔(なはのり)打ち靡き心もしぬに思ほゆるかも
2780　紫の名高の浦の靡き藻の心は妹に寄りにしものを
2781　海(わた)の底奥(おき)を深めて生ふる藻のもはら今こそ恋はすべなき
2782　さ寝かねば誰とも寝めど沖つ藻の靡きし妹が言待つ吾(あれ)を
2783　我妹子が如何にとも吾(あ)を思はねばふふめる花の穂に咲きぬべし
2784　隠(こも)りには恋ひて死ぬともみ苑生(そのふ)の韓藍(からゐ)の花の色に出でめやも
2785　咲く花は過ぐ時あれど吾(あ)が恋ふる心のうちは止む時もなし
2786　山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ
2787　天地の寄り合ひの極み玉の緒の絶えじと思ふ妹があたり見つ
2788　息の緒に思ふは苦し玉の緒の絶えて乱れな知らば知るとも
2789　玉の緒の絶えたる恋の乱れには死なまくのみそまたも逢はずして
2790　玉の緒のくくり寄せつつ末つひに行きは別れず同(おや)じ緒にあらむ
2791　片糸もち貫(ぬ)きたる玉の緒を弱み乱れやしなむ人の知るべく
2792　玉の緒の現心(うつしこころ)や年月の行きかはるまで妹に逢はざらむ
2793　玉の緒の間も置かず見まく欲り吾(あ)が思(も)ふ妹は家遠くありて
2794　隠津(こもりづ)の沢泉なる岩根ゆも通してそ思ふ君に逢はまくは
2795　紀の国の飽等(あくら)の浜の忘れ貝吾(あれ)は忘れじ年は経ぬとも
2796　水潜(くく)る玉に交じれる磯貝の片恋のみに年は経につつ
2797　住吉(すみのえ)の浜に寄るちふうつせ貝実なき言もち吾(あれ)恋ひめやも
2798　伊勢の海人の朝な夕なに潜(かづ)くちふ鮑(あはび)の貝の片思(かたもひ)にして
2799　人言を繁みと君を鶉鳴く人の古家(ふるへ)に語らひて遣りつ
2800　暁(あかとき)と鶏(かけ)は鳴くなりよしゑやし独り寝(ぬ)る夜は明けば明けぬとも
2801　大海の荒磯の洲鳥朝な朝(さ)な見まく欲しきを見えぬ君かも
2802　思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長き永夜を一人かも寝む
2803　里中(さとぬち)に鳴くなる鶏(かけ)の呼び立てていたくは泣かぬ隠(こも)り妻はも
2804　高山にたかべさ渡り高々に吾(あ)が待つ君を待ち出なむかも
2805　伊勢の海ゆ鳴き来る鶴(たづ)の音驚(おとどろ)も君が聞こえば吾(あれ)恋ひめやも
2806　我妹子に恋ふれにかあらむ沖に棲む鴨の浮寝の安けくもなし
2807　明けぬべく千鳥しば鳴く敷妙の君が手枕いまだ飽かなくに


問答(とひこたへのうた)〔二十九首。九首、人麿集。二十首、人麿集外。〕

2508　皇祖(すめろき)の神の御門を畏みとさもらふ時に逢へる君かも
2509　真澄鏡見とも言はめや玉かぎる岩垣淵の隠(こも)りたる妻
　　　　　右二首(ふたうた)。
2510　赤駒の足掻(あがき)速けば雲居にも隠(かく)り行かむそ袖振れ我妹
2511　隠国(こもりく)の豊泊瀬道(とよはつせぢ)は常滑のかしこき道そ汝(な)が心ゆめ
　　　　　右二首。
2512　味酒(うまさけ)の三諸(みもろ)の山に立つ月の見が欲し君が馬の足音(あと)そする
　　　　　右二首。
2513　雷神(なるかみ)の光動(とよ)みてさし曇り雨も降れやも君を留めむ
2514　雷神の光動みて降らずとも吾(あれ)は留まらむ妹し留めば
　　　　　右二首。
2515　敷妙の枕動(うご)きて夜(よ)もい寝ず思ふ人には後逢ふものを
2516　敷妙の枕に人は言問へやその枕には苔生しにたり
　　　　　右二首。
　　　　　以前ノ九首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。

2808　眉根(まよね)掻き鼻嚔(び)紐解け待てりやもいつかも見むと恋ひ来(こ)し吾(あれ)を
　　　　　右、上ニ柿本朝臣人麿ノ歌集ノ中ニ見エタリ。
　　　　　但シ問答ノ故ヲ以テ、茲(ココ)ニ累載ス。
2809　今日しあれば鼻嚔(び)し鼻嚔(び)眉(まよ)かゆみ思ひしことは君にしありけり
　　　　　右二首。
2810　音のみを聞きてや恋ひむ真澄鏡直(ただ)に相見て恋ひまくも多く
2811　この言を聞かむとならし真澄鏡照れる月夜も闇のみに見つ
　　　　　右二首。
2812　我妹子に恋ひてすべなみ白妙の袖返ししは夢(いめ)に見えきや
2813　我が背子が袖返す夜の夢ならしまことも君に逢へりしごとし
　　　　　右二首。
2814　吾(あ)が恋は慰めかねつま日(け)長く夢に見えずて年の経ぬれば
2815　ま日長く夢にも見えず絶えぬとも我が片恋は止む時もあらじ
　　　　　右二首。
2816　うらぶれて物な思ひそ天雲のたゆたふ心吾(あ)が思(も)はなくに
2817　うらぶれて物は思はじ水無瀬川ありても水は行くちふものを
　　　　　右二首。
2818　かきつはた佐紀沼(さきぬ)の菅を笠に縫ひ着む日を待つに年そ経にける
2819　押し照る難波菅笠(すがかさ)置き古し後は誰着む笠ならなくに
　　　　　右二首。
2820　かくだにも妹を待ちなむさ夜更けて出で来し月のかたぶくまでに
2821　木(こ)の間より移ろふ月の影を惜しみ立ち廻(もとほ)るにさ夜更けにけり
　　　　　右二首。
2822　栲領布(たくひれ)の白浜波の寄りもあへず荒ぶる妹に恋ひつつそ居る
2823　かへらまに君こそ吾(あれ)に栲領巾の白浜波の寄る時もなき
　　　　　右二首。
2824　思ふ人来むと知りせば八重葎(むぐら)覆へる庭に玉敷かましを
2825　玉敷ける家も何せむ八重葎覆へる小屋(をや)も妹と居りてば
　　　　　右二首。
2826　かくしつつあり慰めて玉の緒の絶えて別ればすべなかるべし
2827　紅の花にしあらば衣手に染め付け持ちて行くべく思ほゆ
　　　　　右二首。


譬喩(たとへうた)〔十三首。人麿集外。〕

2828　紅の深染(こそめ)の衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも
2829　衣しも多(さは)にあらなむ取り替へて着せばや君が面(おも)忘れたらむ
　　　　　右の二首(ふたうた)は、衣に寄せて思ひを喩(たと)ふ。
2830　梓弓弓束巻き替へ中見判さらに引くとも君がまにまに
　　　　　右の一首(ひとうた)は、弓に寄せて思ひを喩ふ。
2831　みさごゐる洲に居る舟の夕潮を待つらむよりは吾(あれ)こそ益さめ
　　　　　右の一首は、船に寄せて思ひを喩ふ。
2832　山川に筌(うへ)を伏せ置きて守(も)りあへず年の八年(やとせ)を吾(あ)を竊(ぬす)まひし
　　　　　右の一首は、魚に寄せて思ひを喩ふ。
2833　葦鴨のすだく池水溢(はふ)るとも儲溝(まけみぞ)の方(へ)に吾(あれ)越えめやも
　　　　　右の一首は、水に寄せて思ひを喩ふ。
2834　大和の室生(むろふ)の毛桃本繁く言ひてしものをならずはやまじ
　　　　　右の一首は、菓(このみ)に寄せて思ひを喩ふ。
2835　ま葛延ふ小野の浅茅を心よも人引かめやも吾(あれ)無けなくに
2836　三島菅いまだ苗なり時待たば着ずやなりなむ三島菅笠
2837　み吉野の水隈(みぐま)が菅を編まなくに刈りのみ刈りて乱りなむとや
2838　川上に洗ふ若菜の流れ来て妹があたりの瀬にこそ寄らめ
　　　　　右の四首(ようた)は、草に寄せて思ひを喩ふ。
2839　かくしてや猶や成りなむ大荒木の浮田の社の標(しめ)ならなくに
　　　　　右の一首は、標に寄せて思ひを喩ふ。
2840　いくばくも降らぬ雨ゆゑ我が背子が御名のここだく滝(たぎ)もとどろに
　　　　　右の一首は、滝に寄せて思ひを喩ふ。


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.巻第十二(とをまりふたまきにあたるまき)


古今相聞往来歌類下

正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶ〔百十一首。十一首、人麿集。百首、人麿集外。〕

2841　我が背子が朝明(あさけ)の姿よく見ずて今日の間を恋ひ暮らすかも
2842　吾(あ)が心息づき思(も)へば新夜(あらたよ)の一夜もおちず夢(いめ)にし見ゆる
2843　愛(うつく)しと吾(あ)が思(も)ふ妹を人皆の行くごと見めや手に纏(ま)かずして
2844　この頃の寝(い)の寝らえぬは敷妙の手枕(たまくら)まきて寝まく欲りこそ
2845　忘るやと物語して心遣り過ぐせど過ぎずなほそ恋しき
2846　夜も寝ず安くもあらず白妙の衣も脱かじ直(ただ)に逢ふまでに
2847　後に逢はむ吾(あ)をな恋ひそと妹は言へど恋ふる間に年は経につつ
2848　直に逢はずあるは諾(うべ)なり夢にだに何しか人の言の繁けむ
2849　ぬば玉の夜の夢にを見え継ぐや袖(そて)乾す日なく吾(あれ)は恋ふるを
2850　うつつには直に逢はなく夢にだに逢ふと見えこそ吾(あ)が恋ふらくに
2944　人言を繁みと妹に逢はずして心のうちに恋ふるこの頃
　　　　　以上ノ十一首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。 

2864　我が背子を今か今かと待ち居るに夜の更けぬれば嘆きつるかも
2865　玉くしろ纏(ま)き寝(ぬ)る妹もあらばこそ夜の長けくも嬉しかるべき
2866　人妻に言ふは誰が言狭衣のこの紐解けと言ふは誰が言
2867　かくばかり恋ひむものそと知らませばその夜はゆたにあらましものを
2868　恋ひつつも後に逢はむと思へこそおのが命を長く欲りすれ
2869　今は吾(あ)は死なむよ我妹(わぎも)逢はずして思ひ渡れば安けくもなし
2870　我が背子が来むと語りし夜は過ぎぬしゑや更々しこり来めやも
2871　人言の讒(よこ)すを聞きて玉ほこの道にも逢はず絶えにし我妹
2872　逢はなくも憂しと思へばいや益しに人言繁く聞こえ来るかも
2873　里人も語り継ぐがねよしゑやし恋ひても死なむ誰が名ならめや
2874　確かなる使を無みと心をそ使に遣りし夢に見えきや
2875　天地に少し至らぬ大夫(ますらを)と思ひし吾(あれ)や雄心(をごころ)も無き
2876　里近く家や居るべきこの吾(あ)が目の人目をしつつ恋の繁けく
2877　何時はしも恋ひずありとはあらねどもうたてこの頃恋の繁きも
2878　ぬば玉のい寝てし宵の物思(も)ひに割れにし胸はやむ時もなし
2879　み空行く名の惜しけくも吾(あれ)はなし逢はぬ日まねく年の経ぬれば
2880　うつつにも今も見てしか夢のみに手本(たもと)まき寝(ぬ)と見れば苦しも
2881　立ちて居てすべのたどきも今は無し妹に逢はずて月の経ぬれば
2882　逢はずして恋ひ渡るとも忘れめやいや日に異(け)には思ひ増すとも
2883　よそ目にも君が姿を見てばこそ命に向ふ吾(あ)が恋やまめ
2884　恋ひつつも今日はあらめど玉くしげ明けむ明日の日いかで暮らさむ
2885　さ夜更けて妹を思ひ出敷妙の枕もそよに嘆きつるかも
2886　人言はまこと言痛(こちた)くなりぬともそこに障(さは)らむ吾(あれ)ならなくに
2887　立ちて居てたどきも知らず吾(あ)が心天つ空なり地は踏めども
2888　世の中の人の言葉と思ほすなまことそ恋ひし逢はぬ日を多み
2889　いで如何に吾(あ)がここだ恋ふる我妹子(わぎもこ)が逢はじと言へることもあらなくに
2890　ぬば玉の夜を長みかも我が背子が夢に夢にし見えかへるらむ
2891　あら玉の年の緒長くかく恋ひばまこと我が命全(また)からめやも
2892　思ひ遣るすべのたどきも吾(あれ)はなし逢はぬ日まねく月の経ぬれば
2893　朝(あした)ゆきて夕へは来ます君ゆゑに忌々(ゆゆ)しくも吾(あ)は嘆きつるかも
2894　聞きしより物を思へば吾(あ)が胸は破(わ)れて砕けて利心(とこころ)もなし
2895　人言を繁み言痛み我妹子に去(い)にし月よりいまだ逢はぬかも
2896　うたがたも言ひつつもあるか吾(あれ)しあれば土には落ちじ空に消(け)ぬとも
2897　いかにあらむ日の時にかも我妹子が裳引(もびき)の姿朝に日(け)に見む
2898　独り居て恋ふれば苦し玉たすき懸けず忘れむ事計(はか)りもが
2899　なかなかに黙(もだ)もあらましをあぢきなく相見そめても吾(あれ)は恋ふるか
2900　我妹子が笑まひ眉引(まよびき)面影にかかりてもとな思ほゆるかも
2901　あかねさす日の暮れぬればすべを無み千たび嘆きて恋ひつつそ居る
2902　我が恋は夜昼わかず百重なす心し思(も)へばいたもすべ無し
2903　いとのきて薄き眉根をいたづらに掻かしめにつつ逢はぬ人かも
2904　恋ひ恋ひて後も逢はむと慰むる心し無くば生きてあらめやも
2905　いくばくも生けらじ命を恋ひつつそ吾(あれ)は息づく人に知らえず
2906　他国(ひとくに)に婚(よば)ひに行きて大刀(たち)が緒もいまだ解かねばさ夜そ明けにける
2907　大夫(ますらを)の聡き心も今は無し恋の奴(やつこ)に吾(あれ)は死ぬべし
2908　常かくし恋ふれば苦ししましくも心休めむ事計りせよ
2909　おほろかに吾(あれ)し思はば人妻にありちふ妹に恋ひつつあらめや
2910　心には千重に百重に思へれど人目を多み妹に逢はぬかも
2911　人目多み目こそ忍(しぬ)ふれ少なくも心のうちに吾(あ)が思(も)はなくに
2912　人の見て言とがめせぬ夢に吾(あれ)今宵至らむ屋戸(やと)閉(さ)すなゆめ
2913　いつまでに生かむ命そ大方は恋ひつつあらずは死なむまされり
2914　愛(うつく)しと吾(あ)が思(も)ふ妹を夢に見て起きて探るに無きが寂(さぶ)しさ
2915　妹と言ふは無礼(なめ)し畏ししかすがに懸けまく欲しき言にあるかも
2916　玉かつま逢はむと言ふは誰(たれ)なるか逢へる時さへ面隠しする
2917　うつつにか妹が来ませる夢にかも吾(あれ)か惑へる恋の繁きに
2918　おほかたは何かも恋ひむ言挙げせず妹に寄り寝む年は近きを
2919　二人して結びし紐を一人して吾(あれ)は解きみじ直に逢ふまでは
2920　死なむ命ここは思はず唯にしも妹に逢はなくことをしそ思(も)ふ
2921　紐の緒の同(おや)じ心にしましくも止む時もなく見なむとそ思(も)ふ
2922　夕さらば君に逢はむと思へこそ日の暮るらくも嬉しかりけれ
2923　直(ただ)今日も君には逢はめど人言を繁み逢はずて恋ひ渡るかも
2924　世の中に恋繁けむと思はねば君が手本をまかぬ夜もありき
2925　緑児(みどりこ)のためこそ乳母(おも)は求むと言へ乳(ち)飲めや君が乳母求むらむ
2926　悔しくも老いにけるかも我が背子が求むる乳母に行かましものを
2927　うらぶれて離(か)れにし袖をまた巻かば過ぎにし恋や乱れ来むかも
2928　おのがじし人死なすらし妹に恋ひ日に異(け)に痩せぬ人に知らえず
2929　宵々に吾(あ)が立ち待つにけだしくも君来まさずば苦しかるべし
2930　生ける世に恋ちふものを相見ねば恋ふるうちにも吾(あれ)そ苦しき
2931　思ひつつをれば苦しもぬば玉の夜になりなば吾(あれ)こそ行かめ
2932　心には燃えて思へどうつせみの人目を繁み妹に逢はぬかも
2933　相思はず君はまさめど片恋に吾(あれ)はそ恋ふる君が姿を
2934　うまさはふ目には飽けどもたづさはり言問はなくも苦しかりけり
2935　あら玉の年の緒長くいつまでか吾(あ)が恋ひ居らむ命知らずて
2936　今は吾(あ)は死なむよ我が背恋すれば一夜一日も安けくもなし
2937　白妙の袖(そて)折り返し恋ふればか妹が姿の夢にし見ゆる
2938　人言を繁み言痛(こちた)み我が背子を目には見れども逢ふよしもなし
2939　恋と言へば薄きことなり然れども吾(あれ)は忘れじ恋ひは死ぬとも
2940　なかなかに死なば安けむ出づる日の入る別(わき)知らぬ吾(あれ)し苦しも
2941　思ひ遣るたどきも吾(あれ)は今はなし妹に逢はずて年の経ぬれば
2942　我が背子に恋ふとにしあらし稚(わか)き子の夜泣きをしつつい寝かてなくは
2943　我が命を長く欲しけく偽りをよくする人を捕ふばかりを
2945　玉づさの君が使を待ちし夜のなごりそ今もい寝ぬ夜の多き
2946　玉ほこの道に行き逢ひて外目(よそめ)にも見れば良き子をいつとか待たむ
2947　思ふにし余りにしかばすべを無み吾(あれ)は言ひてき忌むべきものを
　　　思ふにし余りにしかば門に出でて吾(あ)が臥(こ)い伏すを人見けむかも
2948　明日の日はその門行かむ出でて見よ恋ひたる姿あまた著(しる)けむ
2949　うたて異(け)に心いふせし事計りよくせ我が背子逢へる時だに
2950　我妹子が夜戸出(よとで)の姿見てしより心空なり土は踏めども
2951　海石榴市(つばいち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に立ち平(なら)し結びし紐を解かまく惜しも
2952　我が齢(よはひ)の衰へぬれば白妙の袖の狎れにし君をしそ思(も)ふ
2953　君に恋ひ吾(あ)が泣く涙白妙の袖さへ濡れぬせむすべもなし
2954　今よりは逢はじとすれや白妙の吾(あ)が衣手の干(ひ)る時もなき
2955　夢かと心惑ひぬ月まねく離(か)れにし君が言の通ふは
2956　あら玉の年月かねてぬば玉の夢にそ見ゆる君が姿は
2957　今よりは恋ふとも妹に逢はめやも床の辺(べ)去らず夢に見えこそ
2958　人の見て言咎めせぬ夢にだに止まず見えこそ吾(あ)が恋やまむ
2959　うつつには言絶えにけり夢にだに継ぎて見えこそ直に逢ふまでに
2960　うつせみの現心(うつしこころ)も吾(あれ)はなし妹を相見ずて年の経ぬれば
2961　うつせみの常の言葉と思へども継ぎてし聞けば心惑ひぬ
2962　白妙の袖離(か)れて寝(ぬ)るぬば玉の今宵は早も明けば明けなむ
2963　白妙の手本ゆたけく人の寝(ぬ)る味寐(うまい)は寝ずや恋ひ渡りなむ


物に寄せて思ひを陳(の)ぶ〔百五十首。十三首、人麿集。百三十七首、人麿集外。〕

2851　人見れば表衣(うへ)を結びて人見ねば下紐開けて恋ふる日ぞ多き
2852　人言の繁けき時に我妹子し衣にありせば下に着ましを
2853　真玉つく遠近(をちこち)兼ねて思へれば一重の衣一人着て寝ぬ
2854　白妙の我が紐の緒の絶えぬ間に恋結びせむ逢はむ日までに
2855　新墾(にひばり)の今作る道さやかにも聞きにけるかも妹が上のことを
2856　山背(やましろ)の石田(いはた)の杜に心鈍(おそ)く手向(たむけ)したれや妹に逢ひがたき
2857　菅の根のねもころごろに照る日にも干(ひ)めや吾(あ)が袖妹に逢はずして
2858　妹に恋ひい寝ぬ朝明(あさけ)に吹く風し妹にし触(ふ)らば吾(あ)が共(むた)に触れ
2859　飛鳥川高川避(よ)かし越ゑ来しをまこと今宵を明けずやらめや
2860　八釣川(やつりがは)水底(みなそこ)絶えず行く水の継ぎてそ恋ふるこの年ごろを
2861　磯の上(へ)に生ふる小松の名を惜しみ人に知らえず恋ひ渡るかも
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　岩の上(へ)に立てる小松の名を惜しみ人には言はず恋ひ渡るかも
2862　山川(やまがは)の水隠(みこもり)に生ふる山菅の止まずも妹が思ほゆるかも
2863　浅葉野(あさはぬ)に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰ゆゑ吾(あ)が恋ひなくに
　　　　　右ノ十三首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。

2964　かくのみにありける君を衣ならば下にも着むと吾(あ)が思(も)へりける
2965　橡(つるはみ)の袷(あはせ)の衣の裏しあらば吾(あれ)強ひめやも君が来まさぬ
2966　紅の薄染衣(あらそめころも)浅らかに相見し人に恋ふる頃かも
2967　年の経ば見つつ偲(しぬ)へと妹が言ひし衣の縫目見れば悲しも
2968　橡の一重衣の裏もなくあるらむ子ゆゑ恋ひ渡るかも
2969　解き衣の思ひ乱れて恋ふれども何のゆゑそと問ふ人もなし
2970　桃染めの浅らの衣浅らかに思ひて妹に逢はむものかも
2971　大王(おほきみ)の塩焼く海人の藤衣馴るとはすれどいやめづらしも
2972　赤絹の純裏(ひつら)の衣長く欲り吾(あ)が思(も)ふ君が見えぬ頃かも
2973　真玉つく彼方此方(をちこち)兼ねて結びつる吾(あ)が下紐の解くる日あらめや
2974　紫の帯の結びも解きもみずもとなや妹に恋ひ渡りなむ
2975　高麗錦(こまにしき)紐の結びも解き放(さ)けず斎(いは)ひて待てど験なきかも
2976　紫の吾(あ)が下紐の色に出でず恋ひかも痩せむ逢ふよしを無み
2977　何ゆゑか思はずあらむ紐の緒の心に入りて恋しきものを
2978　真澄鏡(まそかがみ)見ませ我が背子吾(あ)が形見持たらむ君に逢はざらめやも
2979　真澄鏡直目(ただめ)に君を見てばこそ命に向ふ吾(あ)が恋やまめ
2980　真澄鏡見飽かぬ妹に逢はずして月の経ぬれば生けるともなし
2981　祝部(はふり)らが斎ふ三諸(みもろ)の真澄鏡懸けて偲ひつ逢ふ人ごとに
2982　針はあれど妹がなければ付けめやと吾(あれ)を悩まし絶ゆる紐が緒
2983　高麗剣我が心ゆゑ外(よそ)のみに見つつや君を恋ひ渡りなむ
2984　剣大刀名の惜しけくも吾(あれ)はなしこの頃の間の恋の繁きに
2985　梓弓末はし知らず然れどもまさかは君に寄りにしものを
　　　　　一本ノ歌ニ曰ク、
　　　　梓弓末のたづきは知らねども心は君に寄りにしものを
2986　梓弓引きみ緩(ゆる)べみ思ひみてすでに心は寄りにしものを
2987　梓弓引きて緩さぬ大夫(ますらを)や恋ちふものを忍(しぬ)ひかねてむ
2988　梓弓末の中ごろ淀めりし君には逢ひぬ嘆きはやまむ
2989　今更に何しか思(も)はむ梓弓引きみ緩べみ寄りにしものを
2990　娘子(をとめ)らが績麻(うみを)のたたり打麻(うちそ)懸け倦む時なしに恋ひ渡るかも
2991　たらちねの母が飼ふ蚕(こ)の繭隠(まよごも)りいふせくもあるか妹に逢はずて
2992　玉たすき懸けねば苦し懸けたれば継ぎて見まくの欲しき君かも
2993　紫のまだらの蘰(かづら)花やかに今日見る人に後恋ひむかも
2994　玉かづら懸けぬ時なく恋ふれども如何でか妹に逢ふ時もなき
2995　逢ふよしの出で来むまでは畳薦(たたみこも)重ね編む数夢にし見てむ
2996　白香(しらか)つく木綿(ゆふ)は花もの言こそは何時のまさかも常忘らえね
2997　石上(いそのかみ)布留(ふる)の高橋高々に妹が待つらむ夜そ更けにける
2998　湊入りの葦別小舟(あしわけをぶね)障り多み今来む吾(あれ)を淀むと思(も)ふな
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、
　　　　湊入りに葦別小舟障り多み君に逢はずて年そ経にける
2999　水を多み高田(あげ)に種蒔き稗(ひえ)を多み選らえし業(わざ)そ吾(あ)が独り寝(ぬ)る
3000　魂(たま)し合へば相寝しものを小山田の鹿猪田(ししだ)守(も)るごと母し守らすも
3001　春日野に照れる夕日の外のみに君を相見て今そ悔しき
3002　あしひきの山より出づる月待つと人には言ひて妹待つ吾(あれ)を
3003　夕月夜(ゆふづくよ)暁(あかとき)闇のおほほしく見し人ゆゑに恋ひ渡るかも
3004　久かたの天つみ空に照れる日の失せなむ日こそ吾(あ)が恋止まめ
3005　十五日(もち)の夜に出でにし月の高々に君をいませて何をか思はむ
3006　月夜よみ門に出で立ち足占(あうら)して行く時さへや妹に逢はざらむ
3007　ぬば玉の夜渡る月のさやけくはよく見てましを君が姿を
3008　あしひきの山を木高(こたか)み夕月をいつかと君を待つが苦しさ
3009　橡の衣解き洗ひ真土山本つ人には猶しかずけり
3010　佐保川の川波立たず静けくも君にたぐひて明日さへもがも
3011　我妹子に衣春日の宜寸川(よしきがは)よしもあらぬか妹が目を見む
3012　との曇り雨布留(ふる)川のさざれ波間なくも君は思ほゆるかも
3013　我妹子や吾(あ)を忘らすな石上袖布留川の絶えむと思(も)へや
3014　神山(かみやま)の山下響(とよ)み行く水の水脈(みを)の絶えずは後も吾(あ)が妻
3015　神のごと聞こゆる滝(たぎ)の白波の面知る君が見えぬこの頃
3016　山川の滝にまされる恋すとそ人知りにける間なくし思へば
3017　あしひきの山川水の音に出でず人の子ゆゑに恋ひ渡るかも
3018　巨勢(こせ)なる能登瀬の川の後に逢はむ妹には吾(あれ)は今ならずとも
3019　洗ひ衣取替川(とりかひがは)の川淀の淀まむ心思ひかねつも
3020　斑鳩(いかるが)の因可(よるか)の池のよろしくも君が言はねば思ひそ吾(あ)がする
3021　隠沼(こもりぬ)の下よは恋ひむいちしろく人の知るべく嘆きせめやも
3022　行方なみ隠(こも)れる小沼(をぬ)の下思(も)ひに吾(あれ)そ物思(も)ふこの頃のあひだ
3023　隠沼の下よ恋ひ余り白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
3024　妹が目を見まく堀江のさざれ波しきて恋ひつつありと告げこそ
3025　石(いは)走る垂水の水のはしきやし君に恋ふらく吾(あ)が心から
3026　君は来ず吾(あれ)は故なみ立つ波のしばしば侘びしかくて来じとや
3027　淡海(あふみ)の海(み)浜(へた)は人知る沖つ波君をおきては知る人もなし
3028　大海の底を深めて結びてし妹が心は疑ひもなし
3029　佐太(さだ)の浦に寄する白波間なく思ふを如何で妹に逢ひがたき
3030　思ひ出でてすべなき時は天雲の奥処(おくか)も知らに恋ひつつそ居る
3031　天雲のたゆたひやすき心あらば吾(あれ)をな頼め待てば苦しも
3032　君があたり見つつも居らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも
3033　なかなかに如何で知りけむ春山に燃ゆる煙(けぶり)のよそに見ましを
3034　我妹子に恋ひすべなかり胸を熱み朝戸開くれば見ゆる霧かも
3035　暁の朝霧隠(ごも)り帰りしに如何でか恋の色に出でにける
3036　思ひ出づる時はすべなみ佐保山に立つ雨霧の消(け)ぬべく思ほゆ
3037　殺目山(きりめやま)行き交ふ道の朝霞ほのかにだにや妹に逢はざらむ
3038　かく恋ひむものと知りせば夕へ置きて朝(あした)は消ぬる露ならましを
3039　夕へ置きて朝(あした)は消ぬる白露の消ぬべき恋も吾(あれ)はするかも
3040　後つひに妹に逢はむと朝露の命は生けり恋は繁けど
3041　朝な朝(さ)な草の上白く置く露の消なば共にと言ひし君はも
3042　朝日さす春日の小野に置く露の消ぬべき吾(あ)が身惜しけくもなし
3043　露霜の消やすき我が身老いぬともまた変若(をち)かへり君をし待たむ
3044　君待つと庭にし居れば打ち靡く我が黒髪に霜そ置きにける
3045　朝霜の消ぬべくのみや時なしに思ひ渡らむ息の緒にして
3046　ささ波の波越す畔(あぜ)に降る小雨間も置きて吾(あ)が思(も)はなくに
3047　神さびて巌(いはほ)に生ふる松が根の君が心は忘れかねつも
3048　み狩りする猟路(かりぢ)の小野の櫟柴(ならしば)の馴れはまさらず恋こそまされ
3049　桜麻(さくらあさ)の麻生(をふ)の下草早生ひば妹が下紐解けざらましを
3050　春日野に浅茅(あさち)標結(しめゆ)ひ絶えめやと吾(あ)が思(も)ふ人はいや遠長に
3051　あしひきの山菅の根のねもころに吾(あれ)はそ恋ふる君が姿を
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、吾(あ)が思(も)ふ人を見むよしもがも。
3052　かきつはた佐紀沢(さきさは)に生ふる菅の根の絶ゆとや君が見えぬこの頃
3053　あしひきの山菅の根のねもころに止まずし思(も)はば妹に逢はむかも
3054　相思はずあるものをかも菅の根のねもころころに吾(あ)が思(も)へるらむ
3055　山菅のやまずて君を思へかも我が心神(こころと)のこの頃は無き
3056　妹が門行き過ぎかねて草結ぶ風吹き解くなまた還り見む
　　　　　一ニ云ク、直に逢ふまでに。
3057　浅茅原茅生(ちふ)に足踏み心ぐみ吾(あ)が思(も)ふ子らが家のあたり見つ
　　　　　一ニ云ク、妹が家のあたり見つ。
3058　うち日さす宮にはあれど月草の現心(うつしこころ)を吾(あ)が思(も)はなくに
3059　百(もも)に千(ち)に人は言へども月草のうつろふ心吾(あれ)持ためやも
3060　忘れ草我が紐に付く時となく思ひ渡れば生けるともなし
3061　暁(あかとき)の目覚まし草とこれをだに見つついまして吾(あれ)と偲はせ
3062　忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜(しこ)の醜草なほ恋ひにけり
3063　浅茅原小野に標結ひ空言(むなこと)も逢はむと聞こせ恋のなぐさに
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、来むと知志君をし待たむ。
　　　　　又見柿本朝臣人麿歌集、然落句小異耳。
3064　人皆の笠に縫ふちふ有間菅ありて後にも逢はむとそ思(も)ふ
3065　み吉野の秋津の小野に刈る草(かや)の思ひ乱れて寝(ぬ)る夜しそ多き
3066　妹が着(け)る三笠の山の山菅の止まずや恋ひむ命死なずば
3067　谷狭(せば)み峯辺(みねへ)に延(は)へる玉かづら延へてしあらば年に来ずとも
　　　　　一ニ云ク、石蔦(いはつな)の延へてしあらば。
3068　水茎の岡の葛葉(くずば)を吹き返し面知る子らが見えぬ頃かも
3069　赤駒のい行きはばかる真葛原何の伝言(つてごと)直にし吉(え)けむ
3070　木綿畳(ゆふたたみ)田上山(たなかみやま)のさな葛ありさりてしも今ならずとも
3071　丹波道(たにはぢ)の大江の山の真玉葛(またまづら)絶えむの心吾(あ)が思(も)はなくに
3072　大崎の荒磯の渡(わたり)延ふ葛(くず)の行方もなくや恋ひ渡りなむ
3073　木綿畳田上山のさな葛後も必ず逢はむとそ思(も)ふ
　　　　　或ル本ノ歌ニ曰ク、絶エムト妹ヲ吾(ア)ガ思ハナクニ。
3074　はねず色のうつろひやすき心あれば年をそ来経(ふ)る言は絶えずて
3075　かくしてそ人の死ぬちふ藤波のただ一目のみ見し人ゆゑに
3076　住吉(すみのえ)の敷津(しきつ)の浦の名告藻(なのりそ)の名は告りてしを逢はなくも怪し
3077　みさご居る荒磯(ありそ)に生ふる名告藻(なのりそ)のよし名は告らせ親は知るとも
3078　波の共(むた)靡く玉藻の片思(も)ひに吾(あ)が思(も)ふ人の言の繁けく
3079　わたつみの沖つ玉藻の靡き寝む早来ませ君待てば苦しも
3080　わたつみの沖に生ひたる縄海苔の名はかつて告らじ恋ひは死ぬとも
3081　玉の緒を片緒に縒(よ)りて緒を弱み乱るる時に恋ひざらめやも
3082　君に逢はず久しくなりぬ玉の緒の長き命の惜しけくもなし
3083　恋ふることまされる今は玉の緒の絶えて乱れて死ぬべく思ほゆ
3084　海人娘子潜(かづ)き採るちふ忘れ貝世にも忘れじ妹が姿は
3085　朝影に我が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去にし子ゆゑに
3086　なかなかに人とあらずは桑子(くわこ)にも成らましものを玉の緒ばかり
3087　真菅(ますが)よし宗我(そが)の川原に鳴く千鳥間なし我が背子吾(あ)が恋ふらくは
3088　韓衣(からころも)着奈良の山に鳴く鳥の間なく時なし吾(あ)が恋ふらくは
3089　遠つ人猟道(かりぢ)の池に住む鳥の立ちても居ても君をしそ思(も)ふ
3090　葦辺ゆく鴨の羽音の音のみを聞きつつもとな恋ひ渡るかも
3091　鴨すらもおのが妻どちあさりして後るる間(ほと)に恋ふちふものを
3092　白真弓斐太(ひだ)の細江の菅鳥(すがとり)の妹に恋ふれや寝(い)を寝かねつる
3093　小竹(しぬ)の上(へ)に来居て鳴く鳥目を安み人妻ゆゑに吾(あれ)恋ひにけり
3094　物思(も)ふとい寝ず起きたる朝明(あさけ)には侘びて鳴くなり鶏(にはつとり)さへ
3095　朝烏早くな鳴きそ我が背子が朝明の姿見れば悲しも
3096　馬柵(うませ)越しに麦食む駒の罵(の)らゆれど猶し恋ふらく思(しぬ)ひかねつも
3097　さ桧隈(ひのくま)桧隈川に馬とどめ馬に水飼へ吾(あれ)よそに見む
3098　おのれゆゑ罵らえて居れば葦毛馬の面高(おもたか)斑(ぶた)に乗りて来べしや
　　　　　右ノ一首ハ、平群文屋朝臣益人伝ヘテ云ク、昔聞ク
　　　　　紀皇女竊カニ高安王ニ嫁(ア)ヒテ責メラレシ時、此ノ歌
　　　　　ヲ御作レリト。但高安王ハ左降シテ、伊与ノ国守ニ
　　　　　任(マ)ケラル。
3099　紫草(むらさき)を草と別(わ)く別(わ)く伏す鹿の野は異にして心は同(おや)じ
3100　思はぬを思ふと言はば真鳥住む雲梯(うなて)の杜の神し知らさむ


問答(とひこたへ)の歌〔二十六首。人麿集外。〕

3101　紫は灰さすものそ海石榴市(つばいち)の八十の衢に逢ひし子や誰(たれ)
3102　たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰と知りてか
　　　　　右二首(ふたうた)。
3103　逢はなくはしかもありなむ玉づさの使をだにも待ちやかねてむ
3104　逢はむとは千たび思へどあり通ふ人目を多み恋つつそ居る
　　　　　右二首。
3105　人目多み直(ただ)に逢はずてけだしくも吾(あ)が恋ひ死なば誰が名ならむも
3106　相見まく欲しけくあれば君よりも吾(あれ)そまさりていふかしみする
　　　　　右二首。
3107　うつせみの人目を繁み逢はずして年の経ぬれば生けるともなし
3108　うつせみの人目繁くはぬば玉の夜の夢にを継ぎて見えこそ
　　　　　右二首。
3109　ねもころに吾(あ)が思(も)ふ妹を人言の繁きによりて淀む頃かも
3110　人言の繁くしあらば君も吾(あれ)も絶えむと言ひて逢ひしものかも
　　　　　右二首。
3111　すべもなき片恋をすとこの頃に吾(あ)が死ぬべきは夢に見えきや
3112　夢に見て衣を取り着装(よそ)ふ間に妹が使そ先立ちにける
　　　　　右二首。
3113　ありありて後も逢はむと言のみを堅く言ひつつ逢ふとはなしに
3114　極めて吾(あれ)も逢はむと思へども人の言こそ繁き君なれ
　　　　　右二首。
3115　息の緒に吾(あ)が息づきし妹すらを人妻なりと聞けば悲しも
3116　我がゆゑにいたくな侘びそ後つひに逢はじと言ひしこともあらなくに
　　　　　右二首。
3117　門立てて戸も閉(さ)したるをいづくよか妹が入り来て夢に見えつる
3118　門立てて戸は閉したれど盗人(ぬすひと)の穿(ゑ)れる穴より入りて見えしを
　　　　　右二首。
3119　明日よりは恋ひつつあらむ今宵だに早く初夜(よひ)より紐解け我妹
3120　今更に寝めや我が背子新夜(あらたよ)の一夜もおちず夢に見えこそ
　　　　　右二首。
3121　我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつそ見し雨の降らくに
3122　心なき雨にもあるか人目守(も)り乏(とも)しき妹に今日だに逢はむを
　　　　　右二首。
3123　ただ独り寝(ぬ)れど寝(ね)かねて白妙の袖を笠に着濡れつつそ来し
3124　雨も降り夜も更けにけり今更に君去(い)なめやも紐解き設(ま)けな
　　　　　右二首。
3125　久かたの雨の降る日を我が門に蓑笠(にのかさ)着ずて来(け)る人や誰
3126　纏向(まきむく)の痛足(あなし)の山に雲居つつ雨は降れども濡れつつそ来(こ)し
　　　　　右二首。


羇旅(たび)に思ひを發(の)ぶ〔九十首。四首、人麻呂集。三十四首、悲別歌、人麻呂集外。四十九首、人麻呂集外。十首、問答歌、人麻呂集外。〕

3127　度会(わたらひ)の大川の辺(べ)の若久木我が久ならば妹恋ひむかも
3128　我妹子を夢に見え来(こ)と大和道の渡り瀬ごとに手向そ吾(あ)がする
3129　桜花咲きかも散ると見るまでに誰かもここに見えて散りゆく
3130　豊国の企玖(きく)の浜松心いたく何しか妹に相言ひそめけむ
　　　　　右ノ四首ハ、柿本朝臣人麿集ニ出ヅ。
3131　月変へて君をば見むと思へかも日も変へずして恋の繁けむ
3132　な行きそと帰りも来(く)やと顧みに行けどゆかれず道の長手を
3133　旅にして妹を思ひ出いちしろく人の知るべく嘆きせむかも
3134　里離(ざか)り遠からなくに草枕旅とし思(も)へばなほ恋ひにけり
3135　近くあれば名のみも聞きて慰めつ今宵よ恋のいやまさりなむ
3136　旅にありて恋ふれば苦しいつしかも都に行きて君が目を見む
3137　遠くあれば姿は見えず常のごと妹が笑まひは面影にして
3138　年も経ず帰り来(き)なめど朝影に待つらむ妹が面影に見ゆ
3139　玉ほこの道に出で立ち別れ来し日より思ふに忘る時なし
3140　はしきやし然る恋にもありしかも君に後れて恋しく思へば
3141　草枕旅の悲しくあるなべに妹を相見て後恋ひむかも
3142　国遠み直には逢はず夢にだに吾(あれ)に見えこそ逢はむ日までに
3143　かく恋ひむものと知りせば我妹子(わぎもこ)に言問はましを今し悔しも
3144　旅の夜の久しくなればさ丹頬(にづら)ふ紐開け放(さ)けず恋ふるこの頃
3145　我妹子し吾(あ)を偲(しぬ)ふらし草枕旅の丸寝(まろね)に下紐解けつ
3146　草枕旅の衣の紐解けつ思ほせるかもこの年頃は
3147　草枕旅の紐解く家の妹(も)し吾(あ)を待ちかねて嘆かすらしも
3148　玉くしろ纏(ま)き寝し妹を月も経ず置きてや越えむこの山の崎
3149　梓弓末は知らねど愛(うつく)しみ君にたぐひて山道(やまち)越え来ぬ
3150　霞立つ長き春日を奥処(おくか)なく知らぬ山道を恋ひつつか来む
3151　よそのみに君を相見て木綿畳手向の山を明日か越え去なむ
3152　玉かつま安倍島山の夕露に旅寝得せめや長きこの夜を
3153　み雪降る越の大山行き過ぎていづれの日にか我が里を見む
3154　いで吾(あ)が駒早く行きこそ真土山待つらむ妹を行きて早見む
3155　悪木山(あしきやま)木末(こぬれ)ことごと明日よりは靡きたりこそ妹があたり見む
3156　鈴鹿川八十瀬(やそせ)渡りて誰がゆゑか夜越えに越えむ妻もあらなくに
3157　我妹子にまたも近江(あふみ)の安の川安寝(やすい)も寝ずに恋ひ渡るかも
3158　旅にありてものをそ思ふ白波の辺にも沖にも寄るとはなしに
3159　湖廻(みなとみ)に満ち来る潮のいや益しに恋はまされど忘らえぬかも
3160　沖つ波辺波(へなみ)の来寄る佐太(さだ)の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも
3161　在千潟(ありちがた)あり慰めて行かめども家なる妹いいふかしみせむ
3162　みをつくし心尽して思へかも此処にももとな夢にし見ゆる
3163　我妹子に触(ふ)るとはなしに荒磯廻(ありそみ)に我が衣手は濡れにけるかも
3164　室の浦の瀬戸の崎なる鳴島(なるしま)の磯越す波に濡れにけるかも
3165　霍公鳥(ほととぎす)飛幡(とばた)の浦にしく波のしばしば君を見むよしもがも
3166　我妹子を外(よそ)のみや見む越の海の子難(こかた)の海の島ならなくに
3167　波の間よ雲居に見ゆる粟島の逢はぬものゆゑ吾(あ)に寄する子ら
3168　衣手の真若の浦の真砂地(まなごつち)間なく時なし吾(あ)が恋ふらくは
3169　能登の海に釣する海人の漁火(いざりひ)の光りにいませ月待ちがてり
3170　志賀(しか)の海人の釣に燭せる漁火のほのかに妹を見むよしもがも
3171　難波潟榜ぎ出し船のはろばろに別れ来ぬれど忘れかねつも
3172　浦廻榜ぐ熊野舟泊(は)てめづらしく懸けて思はぬ月も日もなし
3173　松浦舟(まつらぶね)乱(みだ)る堀江の水脈(みを)早み楫取る間なく思ほゆるかも
3174　漁(いざ)りする海人の楫の音(と)ゆくらかに妹が心に乗りにけるかも
3175　和歌の浦に袖さへ濡れて忘れ貝拾(ひり)へど妹は忘らえなくに
　　　　　或ル本ノ末ノ句云ク、忘れかねつも。
3176　草枕旅にし居れば刈薦(かりこも)の乱れて妹に恋ひぬ日はなし
3177　志賀の海人の磯に刈り干す名告藻(なのりそ)の名は告りてしを如何で逢ひがたき
3178　国遠み思ひな侘びそ風の共(むた)雲の行くなす言は通はむ
3179　留まりにし人を思ふに秋津野に居る白雲の止む時もなし

別れの悲しみの歌

3180　裏もなく去(い)にし君ゆゑ朝な朝(さ)なもとなそ恋ふる逢ふとは無しに
3181　白妙の君が下紐吾(あれ)さへに今日結びてな逢はむ日のため
3182　白妙の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて縦(ゆる)しつるかも
3183　京辺(みやこへ)に君は去にしを誰解けか我が紐の緒の結ふ手たゆきも
3184　草枕旅ゆく君を人目多み袖振らずしてあまた悔しも
3185　真澄鏡手に取り持ちて見れど飽かぬ君に後れて生けるともなし
3186　曇り夜のたどきも知らず山越えています君をばいつとか待たむ
3187　たたなづく青垣山の隔(へな)りなばしばしば君を言問はじかも
3188　朝霞たなびく山を越えてゆかば吾(あれ)は恋ひむな逢はむ日までに
3189　あしひきの山は百重に隠すとも妹は忘らじ直に逢ふまでに
　　　　　一ニ云ク、隠せども君を思(しぬ)はく止む時もなし。
3190　雲居なる海山越えていましなば吾(あれ)は恋ひむな後は逢ひぬとも
3191　よしゑやし恋ひじとすれど木綿間山(ゆふまやま)越えにし君が思ほゆらくに
3192　草蔭の荒藺(あらゐ)の崎の笠島を見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ
　　　　　一ニ云ク、み坂越ゆらむ。
3193　玉かつま島熊山の夕暮に独りか君が山道越ゆらむ
　　　　　一ニ云ク、夕霧に長恋しつつい寝かてぬかも。
3194　息の緒に吾(あ)が思(も)ふ君は鶏(とり)が鳴く東(あづま)の坂を今日か越ゆらむ
3195　磐城山(いはきやま)ただ越え来ませ磯崎のこぬみの浜に吾(あれ)立ち待たむ
3196　春日野の浅茅が原に後れ居て時そともなし吾(あ)が恋ふらくは
3197　住吉(すみのえ)の岸に向かへる淡路島あはれと君を言はぬ日はなし
3198　明日よりは印南(いなみ)の川の出でて去なば留まれる吾(あれ)は恋ひつつやあらむ
3199　海(わた)の底沖は恐(かしこ)し磯廻(いそみ)より榜ぎ廻(た)みいませ月は経ぬとも
3200　飼飯(けひ)の浦に寄する白波しくしくに妹が姿は思ほゆるかも
3201　時つ風吹飯(ふけひ)の浜に出で居つつ贖(あが)ふ命は妹が為こそ
3202　熟田津(にきたづ)に舟乗(ふなのり)せむと聞きしなべ何そも君が見え来ざるらむ
3203　みさご居る洲に居る舟の榜ぎ出なばうら恋ほしけむ後は逢ひぬとも
3204　玉かづら絶えずいまさね山菅の思ひ乱れて恋ひつつ待たむ
3205　後れ居て恋ひつつあらずば田子(たこ)の浦の海人ならましを玉藻刈る刈る
3206　筑紫道(つくしぢ)の荒磯の玉藻刈ればかも君は久しく待つに来まさず
3207　あら玉の年の緒長く照る月の飽かぬ君にや明日別れなむ
3208　久にあらむ君を思ふに久かたの清き月夜も闇夜(やみ)のみに見ゆ
3209　春日なる三笠の山に居る雲を出で見るごとに君をしそ思(も)ふ
3210　あしひきの片山雉(きぎし)立ち行かむ君に後れて顕(うつ)しけめやも

問答(とひこたへ)の歌

3211　玉の緒の現心(うつしこころ)や八十楫(やそか)懸け榜ぎ出む船に後れて居らむ
3212　八十楫懸け島隠りなば我妹子が留(とど)むと振らむ袖見えじかも
　　　　　右二首。
3213　十月(かみなつき)しぐれの雨に濡れつつや君が行くらむ宿か借るらむ
3214　十月雨間(あまま)も置かず降りにせば誰が里の間に宿か借らまし
　　　　　右二首。
3215　白妙の袖の別れを難(かた)みして荒津の浜に宿りするかも
3216　草枕旅ゆく君を荒津まで送り来ぬれど飽き足らずこそ
　　　　　右二首。
3217　荒津の海吾(あ)が幣(ぬさ)まつり斎(いは)ひてむ早帰りませ面変りせず
3218　朝な朝な筑紫の方を出で見つつ哭(ね)のみそ吾(あ)が泣くいたもすべなみ
　　　　　右二首。
3219　豊国の企玖(きく)の長浜行き暮らし日の暮れぬれば妹をしそ思(も)ふ
3220　豊国の企玖の高浜高々に君待つ夜らはさ夜更けにけり
　　　　　右二首。    </description>
    <dc:date>2010-01-17T19:50:06+09:00</dc:date>
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    <title>m5</title>
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      巻第九(ここのまきにあたるまき)

雑歌(くさぐさのうた)

泊瀬の朝倉の宮に天(あめ)の下しろしめしし天皇(すめらみこと)のみよみませる御製歌(おほみうた)一首(ひとつ)
1664　夕されば小椋(をくら)の山に臥す鹿の今宵は鳴かずい寝にけらしも

崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の、紀伊国(きのくに)に幸(いでま)せる時の歌二首(ふたつ)
1665　妹がため吾(あ)が玉拾(ひり)ふ沖辺なる玉寄せ持ち来(こ)沖つ白波
1666　朝霧に濡れにし衣干さずして独りや君が山道(やまぢ)越ゆらむ
　　　　　右ノ二首(フタウタ)、作者(ヨミヒト)未詳(シラズ)。

大宝(だいはう)の元年(はじめのとし)辛丑(かのとうし)冬十月(かみなづき)、太上天皇(おほきすめらみこと)、大行天皇(さきのすめらみこと)、紀伊国に幸ませる時の歌十三首(とをまりみつ)
1667　妹がため吾(あ)が玉求む沖辺なる白玉寄せ来(こ)沖つ白波
　　　　　右ノ一首(ヒトウタ)、既ニ上ニ見ルコト畢ハリヌ。但歌辞
　　　　　少シク換リ、年代相違ヘリ。因テ以テ累ネ戴ス。
1668　白崎は幸(さき)くあり待て大船に真梶繁貫(しじぬ)きまたかへり見む
1669　南部(みなべ)の浦潮な満ちそね鹿島(かじま)なる釣する海人(あま)を見て帰り来む
1670　朝開(びら)き榜ぎ出て吾(あれ)は由良の崎釣する海人を見て帰り来む
1671　由良の崎潮干にけらし白神(しらかみ)の磯の浦廻(うらみ)を喘(あべ)て榜ぎ響(とよ)む
1672　黒牛潟(くろうしがた)潮干の浦を紅の玉裳(たまも)裾引き行くは誰が妻
1673　風早(かざはや)の浜の白波いたづらにここに寄せ来も見る人無しに
　　　　　右ノ一首、山上臣憶良ノ類聚歌林ニ曰ク、
　　　　　長忌寸意吉麻呂、詔ニ応ヘテ此歌ヲ作メリト。
1674　我が背子が使来むかと出立(いでたち)のこの松原を今日か過ぎなむ
1675　藤白の御坂を越ゆと白たへの我が衣手は濡れにけるかも
1676　勢(せ)の山に黄葉(もみち)散り敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ
1677　大和には聞こえもゆくか大家野(おほやぬ)の小竹葉(ささば)刈り敷き廬せりとは
1678　紀の国の昔弓雄(さつを)の響矢(かぶら)もち鹿(か)取り靡けし坂の上(へ)にそある
1679　紀の国にやまず通はむ都麻(つま)の杜妻寄し来(こ)せね妻と言ひながら
　　　　　右ノ一首、或ヒト云ク、坂上忌寸人長ガ作。
後れたる人の歌二首
1680　麻裳(あさも)よし紀へ行く君が真土山越ゆらむ今日そ雨な降りそね
1681　後れ居て吾(あ)が恋ひ居れば白雲の棚引く山を今日か越ゆらむ

忍壁皇子に献れる歌一首 仙人ノ形ヲ詠ム
1682　とこしへに夏冬ゆけや裘(かはころも)扇放たぬ山に住む人

舎人皇子に献れる歌二首
1683　妹が手を取りて引き攀ぢ打ち手(た)折り君が挿すべき花咲けるかも
1684　春山は散り過ぎぬれども三輪山はいまだ含(ふふ)めり君待ちかてに 

泉河の辺(ほとり)にて間人宿禰(はしひとのすくね)がよめる歌二首
1685　川の瀬の激(たぎ)つを見れば玉藻かも散り乱れたるこの川門(かはど)かも
1686　彦星の挿頭(かざし)の玉の妻恋に乱れにけらしこの川の瀬に

鷺坂(さぎさか)にてよめる歌一首
1687　白鳥の鷺坂山の松影に宿りてゆかな夜も更けゆくを

名木河(なきがは)にてよめる歌二首
1688　あぶり干す人もあれやも濡れ衣(きぬ)を家には遣らな旅のしるしに
1689　荒磯辺(ありそへ)につきて榜がさね都人浜を過ぐれば恋(こほ)しくあるなり

高島にてよめる歌二首
1690　高島の阿渡(あど)川波は騒げども我は家思(も)ふ宿り悲しみ
1691　旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも

紀伊国にてよめる歌二首
1692　吾(あ)が恋ふる妹は逢はさず玉つ浦に衣片敷き独りかも寝む
1693　玉くしげ明けまく惜しきあたら夜を衣手離(か)れて独りかも寝む

鷺坂にてよめる歌一首
1694　細領巾(ほそひれ)の鷺坂山の白つつじ吾(あれ)ににほはね妹に示さむ

泉河にてよめる歌一首
1695　妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも

名木河にてよめる歌三首
1696　衣手の名木の川辺を春雨に吾(あれ)立ち濡ると家思(も)ふらむか
1697　家人の使なるらし春雨の避(よ)くれど吾(あれ)を濡らす思へば
1698　あぶり干す人もあれやも家人の春雨すらを間使(まつかひ)にする

宇治河にてよめる歌二首
1699　巨椋(おほくら)の入江響(とよ)むなり射目人(いめひと)の伏見が田居に雁渡るらし
1700　秋風の山吹の瀬の響むなべ天雲翔り雁渡るかも

弓削皇子に献れる歌三首
1701　さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空に月渡る見ゆ
1702　妹があたり衣雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬともしきまでに
1703　雲隠り雁鳴く時に秋山の黄葉(もみち)片待つ時は過ぐれど

舎人皇子に献れる歌二首
1704　打ち手折り多武(たむ)の山霧繁みかも細川の瀬に波の騒ける
1705　冬こもり春へを恋ひて植ゑし木の実になる時を片待つ吾(あれ)ぞ

舎人皇子の御歌一首
1706　ぬば玉の夜霧ぞ立てる衣手の高屋の上に棚引くまてに

鷺坂にてよめる歌一首
1707　山背(やましろ)の久世(くせ)の鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり

泉河の辺にてよめる歌一首
1708　春草を馬咋山(うまくひやま)よ越え来(く)なる雁が使は宿(やどり)過ぐなり

弓削皇子に献れる歌一首
1709　御食(みけ)向ふ南淵山(みなふちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる
　　　　　右、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出ヅ。

題闕
1710　我妹子が赤裳湿(ひづ)ちて植ゑし田を刈りて収めむ倉無(くらなし)の浜
1711　百伝(ももづた)ふ八十(やそ)の島廻(しまみ)を榜ぎ来(き)けど粟の小島は見れど飽かぬかも
　　　　　右ノ二首、或ヒト云ク、柿本朝臣人麻呂ガ作。

筑波山(つくはやま)に登りて月を詠める歌一首
1712　天の原雲なき宵にぬば玉の夜渡る月の入らまく惜しも

芳野の離宮(とつみや)に幸(いでま)せる時の歌二首
1713　滝の上(へ)の三船の山よ秋津辺に来鳴き渡るは誰(たれ)呼子鳥
1714　落ちたぎち流るる水の岩に触(ふ)り淀める淀に月の影見ゆ
　　　　　右ノ三首、作者未詳。

槐本(ゑにすのもと)が歌一首
1715　楽浪(ささなみ)の比良山風(ひらやまかぜ)の海吹けば釣する海人の袖返る見ゆ

山上(やまのへ)が歌一首
1716　白波の浜松の木の手向ぐさ幾代までにか年は経ぬらむ
　　　　　右ノ一首、或ヒト云ク、河島皇子ノ御作歌。

春日(かすが)が歌一首
1717　三川(みつがは)の淵瀬もおちず小網(さで)さすに衣手濡れぬ干す子はなしに

高市(たけち)が歌一首
1718　率(あども)ひて榜ぎにし舟は高島の安曇(あど)の水門(みなと)に泊(は)てにけむかも

春日が歌一首
1719　照る月を雲な隠しそ島陰に吾(あ)が船泊てむ泊知らずも
　　　　　右ノ一首、或ル本ニ云ク、小辯ガ作ナリト。或ハ
　　　　　姓氏ヲ記シ、名字ヲ記スコト無ク、或ハ名号ヲ称(イ)
　　　　　ヒテ姓氏ヲ称ハズ。然レドモ古記ニ依リテ、便チ
　　　　　次ヲ以テ載ス。凡ソ此ノ如キ類ハ、下皆焉(コレ)ニ効(ナラ)ヘ。

元仁が歌三首
1720　馬並(な)めてうち群れ越え来今日見つる吉野の川をいつかへり見む
1721　苦しくも暮れぬる日かも吉野川清き川原を見れど飽かなくに
1722　吉野川川波高み滝(たぎ)の裏を見ずかなりなむ恋(こほ)しけまくに

絹が歌一首
1723　かはづ鳴く六田(むつた)の川の川柳(かはやぎ)のねもころ見れど飽かぬ君かも

島足(しまたり)が歌一首
1724　見まく欲り来(こ)しくもしるく吉野川音のさやけさ見るにともしき

麻呂が歌一首
1725　古(いにしへ)の賢(さか)しき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも
　　　　　右、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。

丹比真人が歌一首
1726　難波潟潮干に出でて玉藻刈る海未通女(あまをとめ)ども汝(な)が名のらさね
某(それ)の娘子(をとめ)が和ふる歌
1727　漁りする海人とを見ませ草枕旅ゆく人に妻とは告らじ

石川の卿(まへつきみ)の歌一首
1728　慰めて今夜は寝なむ明日よりは恋ひかもゆかむこよ別れなば

宇合(うまかひ)の卿の歌三首
1729　暁(あかとき)の夢(いめ)に見えつつ梶島の磯越す波のしきてし思ほゆ
1730　山科の石田(いはた)の小野の柞原(ははそはら)見つつや君が山道越ゆらむ
1731　山科の石田の杜に奉幣(たむけ)せばけだし我妹に直(ただ)に逢はむかも

碁師(ごし)が歌二首
1732　大葉山(おほはやま)霞たなびきさ夜更けて吾(あ)が舟泊てむ泊知らずも
1733　思(しぬ)ひつつ来(く)れど来(き)かねて三尾が崎真長の浦をまたかへり見つ

小辯(すなきおほともひ)が歌一首
1734　高島の安曇の湊を榜ぎ過ぎて塩津菅浦今は榜がなむ

伊保麻呂(いほまろ)が歌一首
1735　吾(あ)が畳三重の川原の磯の裏にかくしもがもと鳴くかはづかも

式部(のりのつかさ)大倭(おほやまと)が芳野にてよめる歌一首
1736　山高み白木綿花(しらゆふはな)に落ちたぎつ夏身の川門(かはど)見れど飽かぬかも

兵部(つはもののつかさ)川原が歌一首
1737　大滝(おほたぎ)を過ぎて夏身にそひ居りて清き川瀬を見るがさやけさ

上総(かみつふさ)の周淮(すゑ)の珠名娘子(たまなをとめ)を詠める歌一首 、また短歌(みじかうた)
1738　尻長鳥(しながとり)　安房(あは)に継ぎたる　梓弓　周淮の珠名は
　　　胸別(むなわけ)の　広けき我妹　腰細の　すがる娘子の
　　　その顔の　きらきらしきに　花のごと　笑みて立てれば
　　　玉ほこの　道ゆく人は　おのが行く　道は行かずて
　　　呼ばなくに　門に至りぬ　さし並ぶ　隣の君は
　　　たちまちに　己妻離(か)れて　乞はなくに　鍵さへ奉(まつ)る
　　　人の皆　かく惑へれば　うちしなひ　寄りてぞ妹は　たはれてありける
反し歌
1739　金門(かなど)にし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でてぞ逢ひける

水江(みづのえ)の浦島の子を詠める歌一首、また短歌
1740　春の日の　霞める時に　住吉(すみのえ)の　岸に出で居て
　　　釣舟の　たゆたふ見れば　古の　ことそ思ほゆる
　　　水江の　浦島の子が　堅魚(かつを)釣り　鯛(たひ)釣りほこり
　　　七日まで　家にも来ずて　海界(うなさか)を　過ぎて榜ぎゆくに
　　　海若(わたつみ)の　神の娘子に　たまさかに　い榜ぎ向ひ
　　　相かたらひ　言(こと)成りしかば　かき結び　常世に至り
　　　海若の　神の宮の　内の重(へ)の　妙なる殿に
　　　たづさはり　二人入り居て　老いもせず　死にもせずして
　　　永世(とこしへ)に　ありけるものを　世の中の　愚(かたくな)人の
　　　我妹子に　告(の)りて語らく　暫(しま)しくは　家に帰りて
　　　父母に　事も告らひ　明日のごと　吾(あれ)は来なむと
　　　言ひければ　妹が言へらく　常世辺に　また帰り来て
　　　今のごと　逢はむとならば　この篋(くしげ)　開くなゆめと
　　　そこらくに　堅めし言を　住吉に　帰り来たりて
　　　家見れど　家も見かねて　里見れど　里も見かねて
　　　あやしみと　そこに思はく　家よ出て　三年(みとせ)の間(ほど)に
　　　垣もなく　家失せめやも　この筥(はこ)を　開きて見てば
　　　もとのごと　家はあらむと　　玉篋　少し開くに
　　　白雲の　箱より出でて　常世辺に　たなびきぬれば
　　　立ち走(わし)り　叫び袖振り　こいまろび　足ずりしつつ
　　　たちまちに　心消(け)失せぬ　若かりし　肌も皺みぬ
　　　黒かりし　髪も白けぬ　ゆりゆりは　息さへ絶えて
　　　のち遂に　命死にける　水江の　浦島の子が　家ところ見ゆ
反し歌
1741　常世辺に住むべきものを剣大刀(つるぎたち)しが心から鈍(おそ)やこの君

河内(かふち)の大橋を独りゆく娘子を見てよめる歌一首、また短歌
1742　しな照(で)る　片足羽川(かたあすはがは)の　さ丹(に)塗りの　大橋の上(へ)よ
　　　紅の　赤裳裾引き　山藍(やまゐ)もち　摺(す)れる衣(きぬ)着て
　　　ただ独り　い渡らす子は　若草の　夫(つま)かあるらむ
　　　橿(かし)の実の　独りか寝(ぬ)らむ　問はまくの　欲しき我妹が　家の知らなく
反し歌
1743　大橋の頭(つめ)に家あらばま悲しく独りゆく子に宿貸さましを

武藏(むざし)の小埼(をさき)の沼の鴨を見てよめる歌一首
1744　埼玉(さきたま)の小埼の沼に鴨そ羽霧(はねき)るおのが尾に降り置ける霜を掃ふとならし

那賀の郡の曝井(さらしゐ)の歌一首
1745　三栗(みつくり)の那賀に回(めぐ)れる曝井の絶えず通はむそこに妻もが

手綱(たづな)の浜の歌一首
1746　遠妻しそこにありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし

慶雲(きやううむ)三年(みとせといふとし)丙午(ひのえうま)春三月(やよひ)、諸(もろもろ)の卿大夫等(まへつきみたち)、難波に下れる時の歌二首、また短歌
1747　白雲の　龍田の山の　滝(たぎ)の上(へ)の　小椋(をくら)の嶺に
　　　咲きををる　桜の花は　山高(だか)み　風しやまねば
　　　春雨の　継ぎて降れれば　上枝(ほつえ)は　散り過ぎにけり
　　　下枝(しづえ)に　残れる花は　しまらくは　散りな乱りそ
　　　草枕　旅ゆく君が　帰り来むまで
反し歌
1748　吾(あ)が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし

1749　白雲の　龍田の山を　夕暮に　うち越えゆけば
　　　滝(たぎ)の上(へ)の　桜の花は　咲きたるは　散り過ぎにけり
　　　含(ふふ)めるは　咲き継ぎぬべし　こちごちの　花の盛りに
　　　見せずとも　かにかくに　君のみ行きは　今にしあるべし
反し歌
1750　暇(いとま)あらばなづさひ渡り向つ峯(を)の桜の花も折らましものを

難波に宿りて、明くる日還来(かへ)る時の歌一首、また短歌
1751　島山を　い行き廻(もとほ)る　川沿ひの　岡辺の道よ
　　　昨日こそ　吾(あ)が越え来しか　一夜のみ　寝たりしからに
　　　峯(を)の上の　桜の花は　滝の瀬よ　たぎちて流る
　　　君が見む　その日までには　あらしの　風な吹きそと
　　　打ち越えて　名に負へる杜に　風祭(かざまつり)せな
反し歌
1752　い行き逢ひの坂の麓に咲きををる桜の花を見せむ子もがも

検税使(けむぜいし)大伴の卿の筑波山に登りたまへる時の歌一首、また短歌
1753　衣手　常陸の国　二並ぶ　筑波の山を
　　　見まく欲り　君来ませりと　暑けくに　汗かき嘆き
　　　木(こ)の根取り　嘯(うそむ)き登り　峯(を)の上を　君に見すれば
　　　男神(をのかみ)も　許したまひ　女神(めのかみ)も　ちはひたまひて
　　　時となく　雲居雨降る　筑波嶺(つくはね)を　さやに照らして
　　　いふかりし　国のまほらを　つばらかに　示したまへば
　　　嬉しみと　紐の緒解きて　家のごと　解けてそ遊ぶ
　　　打ち靡く　春見ましよは　夏草の　茂くはあれど　今日の楽しさ
反し歌
1754　今日の日にいかで及(し)かめや筑波嶺に昔の人の来けむその日も

霍公鳥(ほととぎす)を詠める歌一首、また短歌
1755　鴬の　卵(かひこ)の中に　霍公鳥　独り生れて
　　　己(し)が父に　似ては鳴かず　己が母に　似ては鳴かず
　　　卯の花の　咲きたる野辺よ　飛び翔り　来鳴き響(とよ)もし
　　　橘の　花を居散らし　ひねもすに　鳴けど聞きよし
　　　幣(まひ)はせむ　遠くな行きそ　我が屋戸の　花橘に　住みわたり鳴け
反し歌
1756　かき霧(き)らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きてゆくなりあはれその鳥

筑波山に登る歌一首、また短歌
1757　草枕　旅の憂(う)けくを　慰むる　こともあれやと
　　　筑波嶺に　登りて見れば　尾花散る　師付(しづく)の田居に
　　　雁がねも　寒く来鳴きぬ　新治(にひばり)の　鳥羽(とば)の淡海(あふみ)も
　　　秋風に　白波立ちぬ　筑波嶺の　よけくを見れば
　　　長き日(け)に　思ひ積み来し　憂けくはやみぬ
反し歌
1758　筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉(もみち)手折らな

筑波嶺に登りてかがひする日(とき)よめる歌一首、また短歌
1759　鷲の住む　筑波の山の　裳羽服津(もはきつ)の　その津の上に
　　　率(あども)ひて　未通女(をとめ)壮士(をとこ)の　行き集ひ　かがふかがひに
　　　人妻に　吾(あれ)も交(あ)はむ　吾(あ)が妻に　人も言問へ
　　　この山を　うしはく神の　古(いにしへ)よ　禁(いさ)めぬわざぞ
　　　今日のみは　めぐしもな見そ　事も咎むな
　　　カガヒハ、東ノ俗語ニ曰ク、カガヒ。
反し歌
1760　男神に雲立ちのぼり時雨ふり濡れ通るとも吾(あれ)帰らめや
　　　　　右ノ件ノ歌ハ、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。

鳴鹿(しか)を詠める歌一首、また短歌
1761　三諸(みもろ)の　神奈備山に　たち向ふ　御垣の山に
　　　秋萩の　妻をまかむと　朝月夜　明けまく惜しみ
　　　あしひきの　山彦響め　呼び立て鳴くも
反し歌
1762　明日の宵逢はざらめやもあしひきの山彦響め呼び立て鳴くも
　　　　　右ノ件ノ歌、或ヒト云ク、柿本朝臣人麻呂ガ作。

沙彌女王(さみのおほきみ)の歌一首
1763　倉橋の山を高みか夜隠(ごも)りに出で来る月の片待ちがたき
　　　　　右ノ一首、間人宿禰大浦ガ歌ノ中ニ既ニ見エタリ。
　　　　　但末一句相換リ、亦作歌ノ両主、正指ニ敢ズ。因
　　　　　テ以テ累ネ載ス。

七夕(なぬかのよ)の歌一首、また短歌
1764　久かたの　天の川原(がはら)に　上つ瀬に　玉橋渡し
　　　下つ瀬に　船浮け据ゑ　雨降りて　風は吹くとも
　　　風吹きて　雨は降るとも　裳濡らさず　やまず来ませと　玉橋渡す
反し歌
1765　天の川霧立ち渡る今日今日と吾(あ)が待つ君が船出すらしも
　　　　　右ノ件ノ歌、或ヒト云ク、中衛大将藤原北卿宅ニテ
　　　　　作メリト。


相聞(したしみうた)

振田向宿禰(ふるのたむけのすくね)が筑紫国に退(まか)る時の歌一首
1766　我妹子は釧(くしろ)にあらなむ左手の吾(あ)が奥の手に巻きて去(い)なましを

拔氣大首(ぬかけのおほおびと)が筑紫に任(ま)けらるる時、豊前国(とよくにのみちのくち)の娘子紐児(ひものこ)に娶(あ)ひてよめる歌三首
1767　豊国の香春は吾家(わぎへ)紐児にいつがり居れば香春は吾家
1768　石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田(わさだ)の穂には出でず心のうちに恋ふるこの頃
1769　かくのみし恋ひし渡れば玉きはる命も吾(あれ)は惜しけくもなし

大神(おほみわ)の大夫(まへつきみ)が長門守に任けらるる時、三輪河の辺(ほとり)に集ひて宴する歌二首
1770　三諸(みもろ)の神の帯ばせる泊瀬川水脈(みを)し絶えずは吾(あれ)忘れめや
1771　後(おく)れ居て吾(あれ)はや恋ひむ春霞棚引く山を君し越えなば
　　　　　右ノ二首、古歌集ノ中ニ出ヅ。

大神の大夫が筑紫国に任けらるる時、阿倍の大夫がよめる歌一首
1772　後れ居て吾(あれ)はや恋ひむ印南野(いなみぬ)の秋萩見つつ去(い)なむ子故に

弓削皇子に献れる歌一首
1773　神奈備の神依せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに

舎人皇子に献れる歌二首
1774　たらちねの母の命の言にあらば年の緒長く頼み過ぎむや
1775　泊瀬川夕渡り来て我妹子が家の金門(かなど)に近づきにけり
　　　　　右ノ三首、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。

石川の大夫が任(つかさ)を遷されて京(みやこ)に上る時、播磨娘子が贈れる歌二首
1776　絶等寸(たゆらき)の山の峰(を)の上(へ)の桜花咲かむ春へは君し偲はむ
1777　君なくはなぞ身装はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をくし)も取らむとも思(も)はず

藤井連(ふぢゐのむらじ)が任を遷されて京に上る時、娘子が贈れる歌一首
1778　明日よりは吾(あれ)は恋ひむな名次山(なすきやま)岩踏み平し君が越えなば
藤井連が和ふる歌一首
1779　命をしま幸(さき)くもがも名次山岩踏み平しまたかへり来む

鹿島郡苅野橋(かるぬのはし)にて、大伴の卿に別るる歌一首、また短歌
1780　ことひ牛の　三宅の浦に　さし向ふ　鹿島の崎に
　　　さ丹塗りの　小船(をぶね)を設(ま)け　玉纏(たままき)の　小梶繁貫き
　　　夕潮の　満ちの湛(とど)みに　御船子(みふなこ)を　率(あども)ひ立てて
　　　呼び立てて　御船出でなば　浜も狭(せ)に　後れ並み居て
　　　こいまろび　恋ひかも居らむ　足ずりし　音のみや泣かむ
　　　海上(うなかみ)の　その津を指して　君が榜ぎゆかば
反し歌
1781　海つ道(ぢ)の凪ぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出すべしや
　　　　　右ノ二首、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。

妻(め)に与(おく)れる歌一首
1782　雪こそは春日(はるひ)消ゆらめ心さへ消え失せたれや言も通はぬ
妻が和ふる歌一首
1783　松返りしひてあれやも三栗(みつぐり)の中すぎて来ず待つといへや子
　　　　　右ノ二首、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。

入唐使(もろこしにつかはすつかひ)に贈れる歌一首
1784　海神(わたつみ)のいづれの神を祈らばか行方も来方(くへ)も船の早けむ
　　　　　右ノ一首、渡海ノ年紀、詳ラカナラズ。

神亀五年(いつとせといふとし)戊辰(つちのえたつ)秋八月(はつき)によめる歌一首、また短歌
1785　人となる　ことは難(かた)きを　わくらばに　なれる吾(あ)が身は
　　　死にも生きも　君がまにまと　思ひつつ　ありし間に
　　　うつせみの　世の人なれば　大王(おほきみ)の　命(みこと)畏(かしこ)み
　　　天ざかる　夷(ひな)治めにと　朝鳥の　朝立ちしつつ
　　　むら鳥の　群立ち行けば　留まり居て　吾(あれ)は恋ひむな　見ず久ならば
反し歌
1786　み越道の雪降る山を越えむ日は留まれる吾(あれ)を懸けて偲(しぬ)はせ

天平元年(はじめのとし)己巳(つちのとみ)冬十二月(しはす)によめる歌一首、また短歌
1787　うつせみの　世の人なれば　大王の　命畏み
　　　敷島の　大和の国の　石上　布留の里に
　　　紐解かず　丸寝(まろね)をすれば　吾(あ)が着(け)せる　衣はなれぬ
　　　見るごとに　恋はまされど　色に出(い)でば　人知りぬべみ
　　　冬の夜の　明けもかねつつ　寝(い)も寝ずに　吾(あれ)はぞ恋ふる　妹が直香(ただか)に
反し歌
1788　布留の山よ直に見渡す都にぞ寝(い)を寝ず恋ふる遠からなくに
1789　我妹子が結(ゆ)ひてし紐を解かめやも絶えば絶ゆとも直に逢ふまでに
　　　　　右ノ件ノ五首、笠朝臣金村ノ歌集ニ出ヅ。

天平五年癸酉(みづのととり)遣唐使(もろこしにつかはすつかひ)の船、難波よりいづる時、親母(はは)が子に贈れる歌一首、また短歌
1790　秋萩を　妻問ふ鹿(か)こそ　独り子を　持たりと言へ
　　　鹿子(かこ)じもの　吾(あ)が独り子の　草枕　旅にし行けば
　　　竹玉(たかたま)を　繁(しじ)に貫き垂り　斎瓮(いはひへ)に　木綿(ゆふ)取り垂(し)でて
　　　斎(いは)ひつつ　吾(あ)が思(も)ふ吾子(あご)　ま幸くありこそ
反し歌
1791　旅人の宿りせむ野に霜降らば吾(あ)が子羽ぐくめ天(あめ)の鶴群(たづむら)

娘子を思(しぬ)ひてよめる歌一首、また短歌
1792　白玉の　人のその名を　なかなかに　言の緒延(は)へず
　　　逢はぬ日の　数多(まね)く過ぐれば　恋ふる日の　重なりゆけば
　　　思ひ遣る　たどきを知らに　肝(きも)向ふ　心砕けて
　　　玉たすき　懸けぬ時なく　口やまず　吾(あ)が恋ふる子を
　　　玉釧(たまくしろ)　手に巻き持ちて　真澄鏡(まそかがみ)　直目(ただめ)に見ねば
　　　したひ山　下ゆく水の　上に出でず　吾(あ)が思(も)ふ心　安からぬかも
反し歌
1793　垣ほなす人の横言(よここと)繁みかも逢はぬ日まねく月の経ぬらむ
1794　立ち易(かは)る月重なりて逢はねども実(さね)忘らえず面影にして
　　　　　右ノ三首、田邊福麻呂ノ歌集ニ出ヅ。


挽歌(かなしみうた)

宇治若郎子(うぢのわきいらつこ)の宮所の歌一首
1795　妹がりと今木の嶺に茂(し)み立てる嬬(つま)松の木は吉き人見けむ

紀伊国にてよめる歌四首
1796　もみち葉の過ぎにし子らと携はり遊びし磯を見れば悲しも
1797　潮気立つ荒磯(ありそ)にはあれど行く水の過ぎにし妹が形見とぞ来し
1798　古に妹と吾(あ)が見しぬば玉の黒牛潟(くろうしがた)を見れば寂(さぶ)しも
1799　玉津島磯の浦廻の真砂(まなご)にもにほひて行かな妹が触(ふ)りけむ
　　　　　右ノ四首、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。

足柄の坂を過ぐるとき、死(みまか)れる人を見てよめる歌一首
1800　小垣内(をかきつ)の　麻を引き干し　妹なねが　作り着せけむ
　　　白妙の　紐をも解かず　一重結ふ　帯を三重結ひ
　　　苦しきに　仕へ奉りて　今だにも　国に退(まか)りて
　　　父母も　妻をも見むと　思ひつつ　行きけむ君は
　　　鶏が鳴く　東(あづま)の国の　畏きや　神の御坂に
　　　和細布(にきたへ)の　衣寒らに　ぬば玉の　髪は乱れて
　　　国問へど　国をも告(の)らず　家問へど　家をも言はず
　　　ますらをの　行きの進みに　ここに臥やせる

葦屋処女(あしやをとめ)が墓を過ぐる時よめる歌一首、また短歌
1801　古の　ますら丁子(をのこ)の　相競(きほ)ひ　妻問しけむ
　　　葦屋(あしのや)の　菟原娘子(うなひをとめ)の　奥城(おくつき)を　吾(あ)が立ち見れば
　　　永き世の　語りにしつつ　後人の　偲ひにせむと
　　　玉ほこの　道の辺近く　岩構へ　造れる塚(はか)を
　　　天雲の　そくへの限り　この道を　行く人ごとに
　　　行き寄りて　い立ち嘆かひ　里人(さどひと)は　哭(ね)にも泣きつつ
　　　語り継ぎ　偲ひ継ぎ来し　娘子らが　奥城所
　　　吾(あれ)さへに　見れば悲しも　古思へば
反し歌
1802　古の信太丁子(しぬだをとこ)の妻問ひし菟原処女の奥城ぞこれ
1803　語り継ぐからにもここだ恋(こほ)しきを直目に見けむ古丁子(いにしへをとこ)

弟(おと)の死去(みまか)れるを哀しみてよめる歌一首、また短歌
1804　父母が　成しのまにまに　箸向ふ　弟の命(みこと)は
　　　朝露の　消(け)やすき命　神の共(むた)　争ひかねて
　　　葦原の　瑞穂の国に　家無みや　また帰り来ぬ
　　　遠つ国　黄泉(よみ)の境に　延(は)ふ蔦の　おのもおのも
　　　天雲の　別れし行けば　闇夜なす　思ひ惑はひ
　　　射ゆ鹿(しし)の　心を痛み　葦垣の　思ひ乱れて
　　　春鳥の　哭のみ泣きつつ　味(うま)さはふ　夜昼言はず
　　　かぎろひの　心燃えつつ　嘆きぞ吾(あ)がする
反し歌
1805　別れてもまたも逢ふべく思ほえば心乱れて吾(あれ)恋ひめやも
1806　あしひきの荒山中に送り置きて帰らふ見れば心苦しも
　　　　　右ノ七首、田邊福麻呂ノ歌集ニ出ヅ。

勝鹿(かづしか)の真間娘子(ままをとめ)を詠める歌一首、また短歌
1807　鶏が鳴く　東の国に　古に　ありけることと
　　　今までに　絶えず言ひ来る　勝鹿の　真間の手兒名(てこな)が
　　　麻衣(あさきぬ)に　青衿(あをえり)着け　直(ひた)さ麻を　裳には織り着て
　　　髪だにも　掻きは梳らず　履(くつ)をだに　はかず歩けど
　　　錦綾(にしきあや)の　中に包(くく)める　斎(いは)ひ子も　妹にしかめや
　　　望月の　足れる面(おも)わに　花のごと　笑みて立てれば
　　　夏虫の　火に入るがごと　水門(みなと)入りに　舟榜ぐごとく
　　　行きかがひ　人の言ふ時　幾許(いくばく)も　生けらじものを
　　　何すとか　身をたな知りて　波の音(と)の　騒く湊の
　　　奥城に　妹が臥(こ)やせる　遠き代に　ありけることを
　　　昨日しも　見けむがごとも　思ほゆるかも
反し歌
1808　勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手兒名し思ほゆ

菟原処女(うなひをとめ)が墓を見てよめる歌一首、また短歌
1809　葦屋(あしのや)の　菟原処女の　八年子(やとせこ)の　片生ひの時よ
　　　小放(をはなり)に　髪たくまでに　並び居(を)る　家にも見えず
　　　虚木綿(うつゆふ)の　籠りて座(ま)せば　見てしかと　鬱(いふ)せむ時の
　　　垣ほなす　人の問ふ時　茅渟壮士(ちぬをとこ)　菟原壮士(うなひをとこ)の
　　　臥屋(ふせや)焚き　すすし競ひ　相よばひ　しける時に
　　　焼太刀(やきたち)の　手(た)かみ押しねり　白真弓　靫(ゆき)取り負ひて
　　　水に入り　火にも入らむと　立ち向ひ　競(きほ)へる時に
　　　我妹子が　母に語らく　倭文手纏(しづたまき)　賤しき吾(あ)が故
　　　ますらをの　争ふ見れば　生けりとも　逢ふべくあらめや
　　　宍薬(ししくしろ)　黄泉に待たむと　隠沼(こもりぬ)の　下延(したば)へ置きて
　　　打ち嘆き　妹がゆければ　茅渟壮士　その夜夢に見
　　　取り続き　追ひ行きければ　後れたる　菟原壮士い
　　　天仰ぎ　叫びおらび　地(つち)に伏し　牙(き)噛み猛(たけ)びて
　　　如(もころ)男に　負けてはあらじと　懸佩(かきはき)の　小太刀取り佩き
　　　ところつら　尋ね行ければ　親族(やがら)どち　い行き集ひ
　　　永き代に　標(しるし)にせむと　遠き代に　語り継がむと
　　　処女墓　中に造り置き　壮士墓　此方(こなた)彼方(かなた)に
　　　造り置ける　ゆゑよし聞きて　知らねども　新喪(にひも)のごとも　哭泣きつるかも
反し歌
1810　葦屋の菟原処女の奥城を行き来と見れば哭のみし泣かゆ
1811　墓の上の木枝(このえ)靡けり聞きしごと茅渟壮士にし寄りにけらしも
　　　　　右ノ五首、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。


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.巻第十(とをまきにあたるまき)

春の雑歌(くさぐさのうた)

雑歌 
1812　久かたの天の香具山この夕へ霞たなびく春立つらしも 
1813　巻向(まきむく)の桧原に立てる春霞おほにし思(も)はばなづみ来めやも 
1814　古(いにしへ)の人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし 
1815　子らが手を巻向山に春されば木の葉しぬぎて霞たなびく 
1816　玉蜻(かぎろひ)の夕さり来れば猟人(さづひと)の弓月が岳に霞たなびく 
1817　今朝ゆきて明日は来(こ)むちふ愛(は)しきやし朝妻山に霞たなびく 
1818　子らが名に懸けのよろしき朝妻の片山崖(きし)に霞たなびく 
　　　　　右ノ七首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。 

鳥を詠める 
1888　白雪の降り敷く冬は過ぎにけらしも春霞たなびく野辺(ぬへ)の鴬鳴きぬ 旋頭歌 
1819　打ち靡く春立ちぬらし我が門の柳の末(うれ)に鴬鳴きつ 
1820　梅の花咲ける岡辺に家居(を)れば乏(とも)しくもあらぬ鴬の声 
1821　春霞流るるなべに青柳の枝くひ持ちて鴬鳴くも 
1822　我が背子を莫越(なこせ)の山の呼子鳥君呼び返せ夜の更けぬとに 
1823　朝戸出に来鳴く貌鳥(かほとり)汝(なれ)だにも君に恋ふれや時終へず鳴く 
1824　冬こもり春さり来らしあしひきの山にも野にも鴬鳴くも 
1825　むらさきの根延(ば)ふ横野の春野には君を懸けつつ鴬鳴くも 
1826　春されば妻を求むと鴬の木末を伝ひ鳴きつつもとな 
1827　春日なる羽がひの山よ佐保の内へ鳴き行くなるは誰(たれ)呼子鳥 
1828　答へぬにな呼び響(とよ)めそ呼子鳥佐保の山辺を上り下りに 
1829　梓弓春山近く家居(を)らし継ぎて聞くらむ鴬の声 
1830　打ち靡く春さり来れば小竹(しぬ)の群(め)に尾羽(をは)打ち触りて鴬鳴くも 
1831　朝霧にしぬぬに濡れて呼子鳥三船の山よ鳴き渡る見ゆ 

雪を詠める 
1832　打ち靡く春さり来ればしかすがに天雲霧(きら)ひ雪は降りつつ 
1833　梅の花降り覆ふ雪を包み持ち君に見せむと取れば消(け)につつ 
1834　梅の花咲き散り過ぎぬしかすがに白雪庭に降りしきりつつ 
1835　今さらに雪降らめやも陽炎(かぎろひ)の燃ゆる春へとなりにしものを 
1836　風まじり雪は降りつつしかすがに霞たなびき春さりにけり 
1837　山の際(ま)に鴬鳴きて打ち靡く春と思へど雪降りしきぬ 
1838　峯(を)のうへに降り置ける雪し風の共(むた)ここに散るらし春にはあれども 
　　　　　右ノ一首ハ、筑波山ニテ作(ヨ)メル。 
1839　君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消(ゆきげ)の水に裳の裾濡れぬ 
1840　梅が枝に鳴きて移ろふ鴬の羽白妙に沫雪ぞ降る 
1841　山高(だか)み降り来る雪を梅の花散りかも来ると思ひつるかも 
1842　雪をおきて梅をな恋ひそあしひきの山片つきて家居らす君 
　　　　　右ノ二首ハ、問答。 

霞を詠める 
1843　昨日こそ年は果てしか春霞春日の山に早立ちにけり 
1844　冬過ぎて春来たるらし朝日さす春日の山に霞たなびく 
1845　鴬の春になるらし春日山霞たなびく夜目に見れども 

柳を詠める 
1846　霜枯れし冬の柳は宮人のかづらにすべく萌えにけるかも 
1847　浅緑染め懸けたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも 
1848　山の際に雪は降りつつしかすがにこの川楊(かはやぎ)は萌えにけるかも 
1849　山の際の雪は消ざるを激(たぎ)ちあふ川の柳は萌えにけるかも 
1850　朝な朝(さ)な吾(あ)が見る柳鴬の来居て鳴くべく森に早なれ 
1851　青柳の糸のくはしさ春風に乱れぬい間に見せむ子もがも 
1852　百敷の大宮人のかづらける垂柳(しだりやなぎ)は見れど飽かぬかも 
1853　梅の花取り持ち見れば我が屋戸の柳の眉(まよ)し思ほゆるかも 

花を詠める 
1887　春日なる三笠の山に月も出でぬかも佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく 旋頭歌 
1854　鴬の木伝(こづた)ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ 
1855　桜花時は過ぎねど見る人の恋の盛りと今し散るらむ 
1856　吾(あ)が挿せる柳の糸を吹き乱る風にか妹が梅の散るらむ 
1857　毎年(としのは)に梅は咲けども空蝉の世の人吾(あれ)し春なかりけり 
1858　うつたへに鳥は食(は)まねど縄(しめ)延へて守(も)らまく欲しき梅の花かも 
1859　おしなべて高き山辺を白妙ににほはせたるは桜花かも 
1860　花咲きて実はならねども長き日(け)に思ほゆるかも山吹の花 
1861　能登川の水底さへに照るまでに三笠の山は咲きにけるかも 
1862　雪見ればいまだ冬なりしかすがに春霞立ち梅は散りつつ 
1863　去年(こぞ)咲きし馬酔木(あしび)今咲くいたづらに土にや散らむ見る人なしに 
1864　あしひきの山間(やまかひ)照らす桜花この春雨に散りにけるかも 
1865　打ち靡く春さり来らし山の際の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば 
1866　雉(きぎし)鳴く高圓(たかまと)の辺(べ)に桜花散りて流らふ見む人もがも 
1867　阿保山の桜の花は今日もかも散り乱るらむ見る人なしに 
1868　かはづ鳴く吉野の川の滝(たぎ)の上(へ)の馬酔木の花は土に置くなゆめ 
1869　春雨に争ひかねて我が屋戸の桜の花は咲きそめにけり 
1870　春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも 
1871　春されば散らまく惜しき桜花しましは咲かず含(ふふ)みてもがも 
1872　見渡せば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも 
1873　いつしかもこの夜の明けむ鴬の木伝ひ散らす梅の花見む 

月を詠める 
1874　春霞たなびく今日の夕月夜(ゆふづくよ)清く照るらむ高圓の野に 
1875　春されば木隠(こがく)れ多き夕月夜おほつかなしも山陰にして 
1876　朝霞春日の暮れば木の間より移ろふ月をいつとか待たむ 

雨を詠める 
1877　春の雨にありけるものを立ち隠り妹が家道にこの日暮らしつ 

河を詠める 
1878　今ゆきて聞くものにもが明日香川春雨降りて激(たぎ)つ瀬の音(と)を 

煙(けぶり)を詠める 
1879　春日野に煙立つ見ゆ娘子(をとめ)らし春野のうはぎ摘みて煮らしも 

野の遊び 
1880　春日野の浅茅が上に思ふどち遊ぶこの日の忘らえめやも 
1881　春霞立つ春日野を往き還り吾(あれ)は相見むいや年のはに 
1882　春の野に心やらむと思ふどち来し今日の日は暮れずもあらぬか 
1883　百敷の大宮人は暇(いとま)あれや梅を挿頭してここに集(つど)へる 

旧(ふ)りぬるを歎く 
1884　冬過ぎて春し来たれば年月は改れども人は古りゆく 
1885　物皆は新(あらた)しき吉し唯人は古りぬるのみそ宜しかるべし 

逢へるを懽(よろこ)ぶ 
1886　住吉(すみのえ)の里ゆきしかば春花のいやめづらしき君に逢へるかも 

譬喩歌(たとへうた) 
1889　我が屋戸の毛桃の下に月夜さし下悩ましもうたてこの頃 


春の相聞(したしみうた) 

相聞 
1890　春日野に鳴く鴬の泣き別れ帰ります間も思ほせ吾(あれ)を 
1891　冬こもり春咲く花を手折り持ち千たびの限り恋ひ渡るかも 
1892　春山の霧に惑へる鴬も吾(あれ)にまさりて物思はめや 
1893　出でて見る向ひの岡に本繁く咲ける毛桃のならずはやまじ 
1894　霞立つ永き春日を恋ひ暮らし夜も更けゆきて妹に逢へるかも 
1895　春さればまづ三枝(さきくさ)の幸(さき)くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも) 
1896　春されば垂(しだ)る柳のとををにも妹に心に乗りにけるかも 
　　　　　右ノ七首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。 

鳥に寄す 
1897　春さればもずの草潜(ぐ)き見えずとも吾(あれ)は見やらむ君があたりは 
1898　容鳥(かほとり)の間なくしば鳴く春の野の草根の繁き恋もするかも 

花に寄す 
1899　春されば卯の花くたし吾(あ)が越えし妹が垣間(かきま)は荒れにけるかも 
1900　梅の花咲き散る園に吾(あれ)行かむ君が使を片待ちがてり 
1901　藤波の咲ける春野に延ふ葛(くず)の下よし恋ひば久しくもあらむ 
1902　春の野に霞たなびき咲く花のかくなるまでに逢はぬ君かも 
1903　我が背子に吾(あ)が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり 
1904　梅の花しだり柳に折りまじへ花に手向けば君に逢はむかも 
1905　をみなへし佐紀野に生ふる白つつじ知らぬこともち言はれし我が背 
1906　梅の花吾(あれ)は散らさじ青丹よし奈良なる人の来つつ見るがね 
1907　ことならばいかで植ゑけむ山吹のやむ時もなく恋ふらく思(も)へば 

霜に寄す 
1908　春されば水草(みくさ)の上に置く霜の消(け)につつも吾(あれ)は恋ひ渡るかも 

霞に寄す 
1909　春山に霞たなびきおほほしく妹を相見て後恋ひむかも 
1910　春霞立ちにし日より今日までに吾(あ)が恋やまず片思(も)ひにして 
1911　さ丹頬(にづら)ふ妹を思ふと霞立つ春日もくれに恋ひ渡るかも 
1912　玉きはる我が山の上(へ)に立つ霞立つとも座(う)とも君がまにまに 
1913　見渡せば春日の野辺に立つ霞見まくの欲しき君が姿か 
1914　恋ひつつも今日は暮らしつ霞立つ明日の春日をいかで暮らさむ 

雨に寄す 
1915　我妹子(わぎもこ)に恋ひてすべなみ春雨の降るわき知らに出でて来しかも 
1916　今さらに吾(あれ)はい行かじ春雨の心を人の知らざらなくに 
1917　春雨に衣はいたく通らめや七日(なぬか)し降らば七夜(ななよ)来じとや 
1918　梅の花散らす春雨しきて降る旅にや君が廬りせるらむ 

草に寄す 
1919　国栖(くにす)らが春菜摘むらむ司馬(しま)の野のしばしば君を思ふこの頃 
1920　春草の繁き吾(あ)が恋大海の辺による波の千重に積もりぬ 
1921　おほほしく君を相見て菅の根の長き春日を恋ひ渡るかも 

松に寄す 
1922　梅の花咲きて散りなば我妹子を来むか来じかと吾(あ)が松の木ぞ 

雲に寄す 
1923　白真弓今春山にゆく雲の行きや別れむ恋しきものを 

蘰(かづら)を贈る 
1924　大夫(ますらを)の伏し居嘆きて作りたる垂柳(しだりやなぎ)そ蘰(かづら)け我妹(わぎも) 

別れを悲しむ 
1925　朝戸出の君が姿をよく見ずて長き春日を恋ひや暮らさむ 

問答(とひこたへのうた) 
1926　春山の馬酔木の花の悪しからぬ君にはしゑや寄せぬともよし 
1927　石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神さびて吾(あれ)やさらさら恋にあひにける 
1928　狭野方(さぬかた)は実にならずとも花のみも咲きて見えこそ恋のなぐさに 
1929　狭野方は実になりにしを今更に春雨降りて花咲かめやも 
1930　梓弓引津の辺(べ)なる名告藻(なのりそ)が花咲くまでに逢はぬ君かも 
1931　川上(かはかみ)のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも 
1932　春雨のやまず降る降る吾(あ)が恋ふる人の目すらを相見せなくに 
1933　我妹子に恋ひつつ居れば春雨の彼も知るごとやまず降りつつ 
1934　相思はぬ妹をやもとな菅の根の長き春日を思ひ暮らさむ 
　　　　　　或本(マキ)ノ歌、 
　1936　相思はずあるらむ子ゆゑ玉の緒の長き春日を思ひ暮らさく 
1935　春さればまづ鳴く鳥の鴬の言先立てし君をし待たむ 


夏の雑歌(くさぐさのうた) 

鳥を詠める 
1937　大夫(ますらを)の　出で立ち向ふ　故郷の　神奈備山に 
　　　明けくれば　柘(つみ)のさ枝に　　夕されば　小松が末(うれ)に 
　　　里人の　聞き恋ふるまで　山彦の　相響(とよ)むまで 
　　　霍公鳥(ほととぎす)　妻恋(つまこひ)すらし　さ夜中に鳴く 
反(かへ)し歌 
1938　旅にして妻恋すらし霍公鳥神奈備山にさ夜更けて鳴く 
　　　　　右ノ二首ハ、古歌集ノ中ニ出ヅ。 

1939　霍公鳥汝(な)が初声は花にもが五月の玉にまじへて貫(ぬ)かむ 
1940　朝霞たなびく野辺にあしひきの山霍公鳥いつか来鳴かむ 
1941　朝霞八重山越えて呼子鳥呼びや汝が来る屋戸もあらなくに 
1942　霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く乙女 
1943　月夜よみ鳴く霍公鳥見が欲れば今草取れり見む人もがも 
1944　藤波の散らまく惜しみ霍公鳥今城(いまき)の岡を鳴きて越ゆなり 
1945　朝霞八重山越えて霍公鳥卯の花辺(はなへ)から鳴きて越ゆなり 
1946　木高くはかつて木植ゑじ霍公鳥来鳴き響めて恋まさらしむ 
1947　逢ひがたき君に逢へる夜霍公鳥他時(あたしとき)よは今こそ鳴かめ 
1948　木の暗(くれ)の暗闇なるに霍公鳥いづくを家と鳴き渡るらむ 
1949　霍公鳥今朝の朝明に鳴きつるは君聞きけむか朝宿(あさい)か寝けむ 
1950　霍公鳥花橘の枝に居て鳴き響もせば花は散りつつ 
1951　うれたきや醜(しこ)霍公鳥今こそは声の嗄るがに来鳴き響まめ 
1952　この夜らのおほつかなきに霍公鳥鳴くなる声の音の遥けさ 
1953　五月山卯の花月夜霍公鳥聞けども飽かずまた鳴かぬかも 
1954　霍公鳥来居も鳴かぬか我が屋戸の花橘の土に散るも見む 
1955　霍公鳥いとふ時なし菖蒲草かづらにせむ日こよ鳴き渡れ 
1956　大和には鳴きてか来らむ霍公鳥汝が鳴くごとに亡き人思ほゆ 
1957　卯の花の散らまく惜しみ霍公鳥野に出山に入(り)来鳴き響もす 
1958　橘の林を植ゑむ霍公鳥常に冬まで住みわたるがね 
1959　雨晴れし雲にたぐひて霍公鳥春日(かすが)をさしてこよ鳴き渡る 
1960　物思(も)ふとい寝ぬ朝明に霍公鳥鳴きてさ渡るすべなきまでに 
1961　我が衣(ころも)君に着せよと霍公鳥吾(あれ)を頷き袖に来居つつ 
1962　本つ人霍公鳥をやめづらしく今や汝が来る恋ひつつ居れば 
1963　かくばかり雨の降らくに霍公鳥卯の花山になほか鳴くらむ 

蝉(ひぐらし)を詠める 
1964　黙(もだ)もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思(も)ふ時に鳴きつつもとな 

榛(はり)を詠める 
1965　思ふ子が衣摺らむににほひこそ島の榛原秋立たずとも 

花を詠める 
1966　風に散る花橘を袖に受けて君がみ為と偲ひつるかも 
1967　かぐはしき花橘を玉に貫きおこせむ妹は贏(みつ)れてもあるか 
1968　霍公鳥来鳴き響もす橘の花散る庭を見む人や誰 
1969　我が屋戸の花橘は散りにけり悔しき時に逢へる君かも 
1970　見渡せば向ひの野辺の撫子の散らまく惜しも雨な降りそね 
1971　雨間(あまま)明けて国見もせむを故郷の花橘は散りにけむかも 
1972　野辺見れば撫子の花咲きにけり吾(あ)が待つ秋は近づくらしも 
1973　我妹子に楝(あふち)の花は散り過ぎず今咲けるごとありこせぬかも 
1974　春日野の藤は散りにき何をかも御狩の人の折りて挿頭(かざ)さむ 
1975　時ならず玉をぞ貫ける卯の花の五月を待たば久しかるべみ 

問答 
1976　卯の花の咲き散る岡よ霍公鳥鳴きてさ渡る君は聞きつや 
1977　聞きつやと君が問はせる霍公鳥しぬぬに濡れてこよ鳴き渡る 

譬喩歌 
1978　橘の花散る里に通ひなば山霍公鳥響もさむかも 


夏の相聞(したしみうた) 

鳥に寄す 
1979　春さればすがるなす野の霍公鳥ほとほと妹に逢はず来にけり 
1980　五月山花橘に霍公鳥隠らふ時に逢へる君かも 
1981　霍公鳥来鳴く五月の短夜も独りし寝(ぬ)れば明かしかねつも 

蝉(ひぐらし)に寄す 
1982　ひぐらしは時と鳴けども物恋ふる手弱女(たわやめ)吾(あれ)は時わかず泣く 

草に寄す 
1983　人言は夏野の草の繁くとも妹と吾(あれ)とし携はり寝ば 
1984　この頃の恋の繁けく夏草の刈り掃へども生ひ重(し)くごとし 
1985　真葛延ふ夏野の繁くかく恋ひば実(さね)我が命常ならめやも 
1986　吾(あれ)のみやかく恋すらむかきつはた丹頬(につら)ふ妹はいかにかあらむ 

花に寄す 
1987　片縒(かたより)に糸をぞ吾(あ)が縒る我が背子が花橘を貫かむと思(も)ひて 
1988　鴬の通ふ垣根の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ 
1989　卯の花の咲くとはなしにある人に恋ひやわたらむ片思(かたもひ)にして 
1990　吾(あれ)こそは憎くもあらめ我が屋戸の花橘を見には来じとや 
1991　霍公鳥来鳴き響もす岡辺なる藤波見には君は来じとや 
1992　隠(こも)りのみ恋ふれば苦し撫子の花に咲き出よ朝な朝(さ)な見む 
1993　よそのみに見つつを恋ひむ紅の末摘花(うれつむはな)の色に出でずとも 

露に寄す 
1994　夏草の露分け衣着(け)せなくに吾(あ)が衣手(ころもて)の干(ひ)る時もなき 

日に寄す 
1995　六月(みなつき)の土さへ裂けて照る日にも吾(あ)が袖干めや君に逢はずして 


秋の雑歌(くさぐさのうた) 

七夕(なぬかのよ) 
1996　天の川水底さへにひかる舟泊てし舟人妹と見えきや 
1997　久かたの天の川原(がはら)にぬえ鳥のうら歎(な)げましつ乏(とも)しきまでに 
1998　吾(あ)が恋を嬬(つま)は知れるを行く舟の過ぎて来(く)べしや言も告げなく 
1999　赤らびく敷妙(しきたへ)の子をしば見れば人妻ゆゑに吾(あれ)恋ひぬべし 
2000　天の川安の渡りに船浮けて吾(あ)が立ち待つと妹に告げこそ 
2001　大空(おほそら)よ通ふ吾(あれ)すら汝(な)がゆゑに天の川道(がはぢ)をなづみてぞ来し 
2002　八千戈(やちほこ)の神の御代より乏し妻人知りにけり継ぎてし思(も)へば 
2003　吾(あ)が恋ふる丹穂(にのほ)の面(おもわ)今宵もか天の川原に石枕(いそまくら)まかむ 
2004　己が夫(つま)ともしむ子らは泊てむ津の荒磯(ありそ)巻きて寝(ぬ)君待ちかてに 
2005　天地(あめつち)と別れし時よ己が妻しかぞ手にある秋待つ吾(あれ)は 
2006　彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ 
2007　久かたの天(あま)つしるしと水無川(みなしがは)隔てて置きし神代し恨めし 
2008　ぬば玉の夜霧隠(こも)りて遠くとも妹が伝言(つてごと)早く告げこそ 
2009　汝が恋ふる妹の命(みこと)は飽くまでに袖振る見えつ雲隠るまで 
2010　夕星(ゆふづつ)の通ふ天道(あまぢ)をいつまでか仰ぎて待たむ月人壮士(つきひとをとこ) 
2011　天の川い向ひ立ちて恋ひむよは言だに告げむ妻寄すまでは 
2012　白玉の五百(いほ)つ集ひを解きも見ず吾(あ)は在りかたぬ逢はむ日待つに 
2013　天の川水陰草(みこもりくさ)の秋風に靡かふ見れば時来たるらし 
2014　吾(あ)が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひに行かな彼方人(をちかたひと)に 
2015　我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜船榜ぎ響む楫の音(と)聞こゆ 
2016　ま日(け)長く恋ふる心よ秋風に妹が音聞こゆ紐解きまけな 
2017　恋ひしくは日長きものを今だにも乏しむべしや逢ふべき夜だに 
2018　天の川去年の渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜ぞ更けにける 
2019　古よあげてし服(はた)を顧みず天の川津(かはづ)に年ぞ経にける 
2020　天の川夜船を榜ぎて明けぬとも逢はむと思(も)ふ夜袖交(か)へずあらめや 
2021　遠妻と手枕交はし寝たる夜は鶏が音(ね)な鳴き明けば明くとも 
2022　相見まく飽き足らねどもいなのめの明けゆきにけり舟出せむ妹 
2023　さ寝そめていくだもあらねば白妙の帯乞ふべしや恋も尽きねば 
2024　万代にたづさはり居て相見とも思ひ過ぐべき恋ならなくに 
2025　万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど 
2026　白雲の五百重(いほへ)隠(かく)りて遠けども宵さらず見む妹があたりは 
2027　吾(あ)が為と織女(たなばたつめ)のその屋戸に織れる白布(しろたへ)縫ひてけむかも 
2028　君に逢はず久しき時よ織る服(はた)の白妙衣垢付くまでに 
2029　天の川楫の音(と)聞こゆ彦星(ひこほし)と織女(たなばたつめ)と今宵逢ふらしも 
2030　秋されば川霧立てる天の川川に向き居て恋ふる夜ぞ多き 
2031　よしゑやし直(ただ)ならずともぬえ鳥のうら嘆(な)げ居ると告げむ子もがも 
2032　一年(ひととせ)に七日の夜のみ逢ふ人の恋も尽きねばさ夜ぞ明けにける 
2033　天の川安の川原に定まりて神の競(つど)ひは禁(い)む時無きを 此歌一首、庚辰ノ年ニ作メル。 
　　　　　右ノ三十八首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。 
2034　織女(たなばた)の五百機(いほはた)立てて織る布の和布(にきたへ)衣誰か取り見む 
2035　年にありて今か巻くらむぬば玉の夜霧隠(がく)りに遠妻の手を 
2036　吾(あ)が待ちし秋は来たりぬ妹と吾(あれ)何事あれそ紐解かざらむ 
2037　年の恋今宵尽して明日よりは常のごとくや吾(あ)が恋ひ居らむ 
2038　逢はなくは日長きものを天の川隔ててまたや吾(あ)が恋ひ居らむ 
2039　恋しけく日長きものを逢ふべかる宵だに君が来まさざるらむ 
2040　彦星と織女(たなばたつめ)と今宵逢ふ天の川門に波立つなゆめ 
2041　秋風の吹き漂はす白雲は織女の天つ領巾(ひれ)かも 
2042　しばしばも相見ぬ君を天の川舟出早せよ夜の更けぬあひだ 
2043　秋風の清(さや)けき夕へ天の川舟榜ぎ渡る月人壮士(つきひとをとこ) 
2044　天の川霧立ちわたり彦星の楫の音聞こゆ夜の更けゆけば 
2045　君が舟今榜ぎ来らし天の川霧立ち渡るこの川の瀬に 
2046　秋風に川波立ちぬしましくは八十(やそ)の舟津にみ舟留めよ 
2047　天の川川音(かはと)さやけし彦星の速榜ぐ舟の波のさわきか 
2048　天の川川門(かはと)に立ちて吾(あ)が恋ひし君来ますなり紐解き待たむ 
2049　天の川川門に居りて年月を恋ひ来(こ)し君に今宵会へるかも 
2050　明日よりは吾(あ)が玉床を打ち払ひ君とい寝ずて独りかも寝む 
2051　天の原さしてや射ると白真弓引きて隠せる月人壮士 
2052　この夕へ降りくる雨は彦星の早榜ぐ舟の櫂の散りかも 
2053　天の川八十瀬霧(きら)へり彦星の時待つ船は今し榜ぐらし 
2054　風吹きて川波立ちぬ引船に渡りも来ませ夜の更けぬ間に 
2055　天の川遠き渡りは無けれども君が舟出は年にこそ待て 
2056　天の川打橋渡せ妹が家道やまず通はむ時待たずとも 
2057　月重ね吾(あ)が思(も)ふ妹に会へる夜は今し七夜を継ぎこせぬかも 
2058　年に装ふ吾(あ)が舟榜がむ天の川風は吹くとも波立つなゆめ 
2059　天の川波は立つとも吾(あ)が舟はいざ榜ぎ出でむ夜の更けぬ間に 
2060　ただ今宵逢ひたる子らに言問(こととひ)もいまだせずしてさ夜ぞ明けにける 
2061　天の川白波高し吾(あ)が恋ふる君が舟出は今しすらしも 
2062　機物(はたもの)のふみ木持ちゆきて天の川打橋渡す君が来むため 
2063　天の川霧立ちのぼる織女(たなばた)の雲の衣の翻(かへ)る袖かも 
2064　古に織りてし服(はた)をこの夕へ衣(ころも)に縫ひて君待つ吾(あれ)を 
2065　足玉(あしたま)も手玉(たたま)もゆらに織る絹布(はた)を君が御衣(みけし)に縫ひあへむかも 
2066　月日択(え)り逢ひてしあれば別れまく惜しかる君は明日さへもがも 
2067　天の川渡り瀬深み船浮けて榜ぎ来る君が楫の音(と)聞こゆ 
2068　天の原振りさけ見れば天の川霧立ち渡る君は来(き)ぬらし 
2069　天の川渡り瀬ごとに幣(ぬさ)まつる心は君を幸(さき)く来ませと 
2070　久かたの天の川津に舟浮けて君待つ夜らは明けずもあらぬか 
2071　天の川足濡れ渡り君が手もいまだまかねば夜の更けぬらく 
2072　渡り守舟渡せをと呼ぶ声の至らねばかも楫の音せぬ 
2073　ま日長く川に向き立ちありし袖こよひ巻かれむと思ふがよさ 
2074　天の川渡り瀬ごとに思ひつつ来しくもしるし逢へらく思へば 
2075　人さへや見継がずあらむ彦星の妻呼ぶ舟の近づきゆくを 
2076　天の川瀬を早みかもぬば玉の夜は更けにつつ逢はぬ彦星 
2077　渡り守舟はや渡せ一年にふたたび通ふ君ならなくに 
2078　玉葛(たまかづら)絶えぬものからさ寝(ぬ)らくは年の渡りにただ一夜のみ 
2079　恋ふる日は日長きものを今宵だに乏しむべしや逢ふべきものを 
2080　織女(たなばた)の今宵逢ひなば常のごと明日を隔てて年は長けむ 
2081　天の川棚橋渡せ織女のい渡らさむに棚橋渡せ 
2082　天の川川門八十(やそ)ありいづくにか君がみ舟を吾(あ)が待ち居らむ 
2083　秋風の吹きにし日より天の川河瀬に出立(でた)ち待つと告げこそ 
2084　天の川去年(こぞ)の渡り瀬絶えにけり君が来まさむ道の知らなく 
2085　天の川瀬々に白波高けども直(ただ)渡り来(き)ぬ待たば苦しみ 
2086　彦星の妻呼ぶ舟の引綱の絶えむと君を吾(あ)が思(も)はなくに 
2087　渡り守舟出して来む今宵のみ相見て後は逢はじものかも 
2088　吾(あ)が隠せる楫棹なくて渡り守舟貸さめやもしましはあり待て 

2089　天地の　初めの時よ　天の川　い向ひ居りて 
　　　一年に　ふたたび逢はぬ　妻恋に　物思ふ人 
　　　天の川　安の川原の　あり通ふ　年の渡りに 
　　　大船の　艫(とも)にも舳(へ)にも　船装(ふなよそ)ひ　真楫しじ貫き 
　　　旗すすき　末葉(うらば)もそよに　秋風の　吹きくる宵に 
　　　天の川　白波しぬぎ　落ちたぎつ　早瀬渡りて 
　　　若草の　妻を巻かむと　大船の　思ひ頼みて 
　　　榜ぎ来らむ　その夫(つま)の子が　あら玉の　年の緒長く 
　　　思ひ来し　恋尽すらむ　七月(ふみつき)の　七日の宵は　吾(あれ)も悲しも 
反し歌 
2090　高麗錦(こまにしき)紐解きかはし天人(あめひと)の妻問ふ宵ぞ吾(あれ)も偲(しぬ)はむ 
2091　彦星の川瀬を渡るさ小舟の得行きて泊てむ川津し思ほゆ 

2092　天地と　別れし時よ　久かたの　天つしるしと 
　　　定めてし　天の川原に　あら玉の　月を重ねて 
　　　妹に逢ふ　時さもらふと　立ち待つに　吾(あ)が衣手に 
　　　秋風の　吹きしかへれば　立ちて居る　たどきを知らに 
　　　むら肝の　心いさよひ　解き衣の　思ひ乱れて 
　　　いつしかと　吾(あ)が待つ今宵　この川の　ゆく瀬の長く　ありこせぬかも 
反し歌 
2093　妹に逢ふ時片待つと久かたの天の川原に月ぞ経にける 

花を詠める 
2094　さ牡鹿の心相思ふ秋萩のしぐれの降るに散らくし惜しも 
2095　夕されば野辺の秋萩うら若み露に枯れつつ秋待ち難し 
　　　　　右ノ二首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。 
2096　真葛原靡く秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野の萩が花散る 
2097　雁がねの来鳴かむ日まで見つつあらむこの萩原に雨な降りそね 
2098　奥山に棲むちふ鹿の宵さらず妻問ふ萩の散らまく惜しも 
2099　白露の置かまく惜しみ秋萩を折りのみ折らむ置きや枯らさむ 
2100　秋田刈る借廬(かりほ)の宿りにほふまで咲ける秋萩見れど飽かぬかも 
2101　吾(あ)が衣摺(す)れるにはあらず高圓(たかまと)の野辺行きしかば萩の摺れるそ 
2102　この夕へ秋風吹きぬ白露に争ふ萩の明日咲かむ見む 
2103　秋風は涼しくなりぬ馬並(な)めていざ野に行かな萩が花見に 
2104　朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ 
2105　春されば霞隠(がく)りて見えざりし秋萩咲けり折りて挿頭さむ 
2106　沙額田(さぬかた)の野辺の秋萩時しあれば今盛りなり折りて挿頭さむ 
2107　ことさらに衣は摺らじをみなへし佐紀野の萩ににほひて居らむ 
2108　秋風は速く吹き来ぬ萩が花散らまく惜しみ競ひ立ち見む 
2109　我が屋戸の萩の末(うれ)長し秋風の吹きなむ時に咲かむと思ひて 
2110　人皆は萩を秋と言ふよし吾(あれ)は尾花が末を秋とは言はむ 
2111　玉づさの君が使の手折りけるこの秋萩は見れど飽かぬかも 
2112　我が屋戸に咲ける秋萩常しあらば吾(あ)が待つ人に見せましものを 
2113　手もすまに植ゑしもしるく出で見れば屋戸の早萩(わさはぎ)咲きにけるかも 
2114　我が屋戸に植ゑ生(お)ほしたる秋萩を誰か標(しめ)さす吾(あれ)に知らえず 
2115　手に取れば袖さへにほふをみなへしこの白露に散らまく惜しも 
2116　白露に争ひかねて咲ける萩散らば惜しけむ雨な降りそね 
2117　乙女らに行相(ゆきあひ)の早稲(わせ)を刈る時になりにけらしも萩が花咲く 
2118　朝霧の棚引く小野の萩が花今か散るらむいまだ飽かなくに 
2119　恋しくは形見にせよと我が背子が植ゑし秋萩花咲きにけり 
2120　秋萩に恋尽くさじと思へどもしゑや惜(あたら)しまた逢はめやも 
2121　秋風は日に異(け)に吹きぬ高圓の野辺の秋萩散らまく惜しも 
2122　大夫の心は無しに秋萩の恋にのみやもなづみてありなむ 
2123　吾(あ)が待ちし秋は来たりぬ然れども萩が花そもいまだ咲かずける 
2124　見まく欲り吾(あ)が待ち恋ひし秋萩は枝もしみみに花咲きにけり 
2125　春日野の萩し散りなば朝東風(あさごち)の風にたぐひてここに散り来(こ)ね 
2126　秋萩は雁に逢はじと言へればか声を聞きては花に散りぬる 
2127　秋さらば妹に見せむと植ゑし萩露霜負ひて散りにけるかも 

雁を詠める 
2128　秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲隠りつつ 
2129　明闇(あけぐれ)の朝霧隠り鳴きて行く雁は吾(あ)が恋ふ妹に告げこそ 
2130　我が屋戸に鳴きし雁がね雲のうへに今宵鳴くなり国へかも行く 
2131　さ牡鹿の妻問ふ時に月をよみ雁が音(ね)聞こゆ今し来らしも 
2132　天雲のよそに雁が音聞きしよりはだれ霜降り寒しこの夜は 
2133　秋の田の吾(あ)が刈りばかの過ぎぬれば雁が音聞こゆ冬かたまけて 
2134　葦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなべに雁鳴き渡る 
2135　押し照る難波堀江の葦辺には雁寝たるらし霜の降らくに 
2136　秋風に山飛び越ゆる雁がねの声遠ざかる雲隠るらし 
2137　朝(つと)にゆく雁の鳴く音(ね)は我がごとく物思へかも声の悲しき 
2138　鶴(たづ)が音の今朝鳴くなべに雁が音はいづくさしてか雲隠るらむ 
2139　ぬば玉の夜渡る雁はおほほしく幾夜を経てか己が名を告(の)る 
2140　あら玉の年の経ゆけば率(あども)ふと夜渡る吾(あれ)を問ふ人や誰 

鹿鳴(しか)を詠める 
2141　この頃の秋の朝明(あさけ)に霧隠り妻呼ぶ鹿の声のさやけさ 
2142　さ牡鹿の妻ととのふと鳴く声の至らむ極み靡け萩原 
2143　君に恋ひうらぶれ居れば敷(しき)の野の秋萩しぬぎさ牡鹿鳴くも 
2144　雁は来ぬ萩は散りぬとさ牡鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり 
2145　秋萩の恋も尽きねばさ牡鹿の声い継ぎい継ぎ恋こそまされ 
2146　山近く家や居るべきさ牡鹿の声を聞きつつい寝かてぬかも 
2147　山の辺(べ)にい行く猟夫(さつを)は多かれど山にも野にもさ牡鹿鳴くも 
2148　あしひきの山より来(き)せばさ牡鹿の妻呼ぶ声を聞かましものを 
2149　山辺(やまへ)には猟夫のねらひ恐(かしこ)けど牡鹿鳴くなり妻の目を欲(ほ)り 
2150　秋萩の散りぬるを見ていふかしみ妻恋すらしさ牡鹿鳴くも 
2151　山遠き京(みさと)にしあればさ牡鹿の妻呼ぶ声は乏しくもあるか 
2152　秋萩の散りて過ぎなばさ牡鹿は侘び鳴きせむな見ねば乏しみ 
2153　秋萩の咲きたる野辺はさ牡鹿ぞ露を分けつつ妻問しける 
2154　など鹿の侘び鳴きすなるけだしくも秋野の萩や繁く散るらむ 
2155　秋萩の咲きたる野辺にさ牡鹿は散らまく惜しみ鳴きぬるものを 
2156　あしひきの山の常蔭(とかげ)に鳴く鹿の声聞かすやも山田守(も)らす子 

蝉(ひぐらし)を詠める 
2157　夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも 

蟋(こほろぎ)を詠める 
2158　秋風の寒く吹くなべ我が屋戸の浅茅が本に蟋蟀鳴くも 
2159　蔭草の生ひたる屋戸の夕影に鳴く蟋蟀は聞けど飽かぬかも 
2160　庭草にむら雨降りて蟋蟀の鳴く声聞けば秋づきにけり 

蝦(かはづ)を詠める 
2161　み吉野の磯もとさらず鳴くかはづうべも鳴きけり川をさやけみ 
2162　神奈備の山下響み行く水にかはづ鳴くなり秋と言はむとや 
2163　草枕旅に物思(も)ひ吾(あ)が聞けば夕かたまけて鳴くかはづかも 
2164　瀬を早み落ちたぎちたる白波にかはづ鳴くなり朝宵ごとに 
2165　上つ瀬にかはづ妻呼ぶ夕されば衣手寒み妻枕(ま)かむとか 

鳥を詠める 
2166　妹が手を取石(とろし)の池の波の間よ鳥が音異(け)に鳴く秋過ぎぬらし 
2167　秋の野の尾花が末に鳴く百舌の声聞くらむか片待つ我妹 

露を詠める 
2168　秋萩に置ける白露朝な朝(さ)な玉とぞ見ゆる置ける白露 
2169　夕立の雨降るごとに春日野の尾花が上の白露思ほゆ 
2170　秋萩の枝もとををに露霜置き寒くも時はなりにけるかも 
2171　白露と秋の萩とは恋ひ乱り別(わ)くことかたき吾(あ)が心かも 
2172　我が屋戸の尾花押しなべ置く露に手(た)触れ我妹子散らまくも見む 
2173　白露を取らば消(け)ぬべしいざ子ども露に競(きほ)ひて萩の遊びせむ 
2174　秋田刈る借廬(かりほ)を作り吾(あ)が居れば衣手寒く露ぞ置きにける 
2175　この頃の秋風寒し萩が花散らす白露置きにけらしも 
2176　秋田刈る衣手(そて)湿(ひぢ)ぬなり白露は置く穂田なしと告げに来ぬらし 

山を詠める 
2177　春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも 

黄葉(もみち)を詠める 
2178　妻籠る矢野の神山露霜ににほひそめたり散らまく惜しも 
2179　朝露ににほひそめたる秋山に時雨な降りそありわたるがね 
　　　　　右ノ二首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。 
2180　九月(ながつき)のしぐれの雨に濡れとほり春日の山は色づきにけり 
2181　雁が音の寒き朝明の露ならし春日の山をもみたすものは 
2182　このごろの暁露(あかときつゆ)に我が屋戸の萩の下葉は色づきにけり 
2183　雁がねは今は来鳴きぬ吾(あ)が待ちし黄葉早継げ待たば苦しも 
2184　秋山をゆめ人懸くな忘れにしそのもみち葉の思ほゆらくに 
2185　大坂を吾(あ)が越え来れば二上にもみち葉流る時雨降りつつ 
2186　秋されば置く白露に我が門の浅茅が末葉(うらば)色づきにけり 
2187　妹が袖巻向山の朝露ににほふ黄葉の散らまく惜しも 
2188　もみち葉のにほひは繁し然れども妻梨の木を手折り挿頭さむ 
2189　露霜の寒き夕への秋風にもみちにけりも妻梨の木は 
2190　我が門の浅茅色づく吉隠(よなばり)の浪柴(なみしば)の野の黄葉散るらし 
2191　雁が音を聞きつるなべに高圓の野の上(へ)の草ぞ色づきにける 
2192　我が背子が白妙衣ゆき触ればにほひぬべくも黄変(もみ)つ山かも 
2193　秋風の日に異(け)に吹けば水茎の岡の木の葉も色づきにけり 
2194　雁がねの来鳴きしなべに韓衣(からころも)龍田の山はもみちそめたり 
2195　雁がねの声聞くなべに明日よりは春日の山はもみちそめなむ 
2196　しぐれの雨間なくし降れば真木の葉も争ひかねて色づきにけり 
2197　いちしろく時雨の雨は降らなくに大城(おほき)の山は色づきにけり 
2198　風吹けば黄葉散りつつすくなくも君松原の清からなくに 
2199　物思(も)ふと隠ろひ居りて今日見れば春日の山は色づきにけり 
2200　九月の白露負ひてあしひきの山のもみちむ見まくしもよけむ 
2201　妹がりと馬に鞍置きて生駒山うち越え来れば黄葉散りつつ 
2202　黄葉する時になるらし月内(つきぬち)の桂の枝の色づく見れば 
2203　朝に異に霜は置くらし高圓の野山づかさの色づく見れば 
2204　秋風の日に異に吹けば露しげみ萩が下葉は色づきにけり 
2205　秋萩の下葉もみちぬ荒玉の月の経ぬれば風をいたみかも 
2206　真澄鏡(まそかがみ)南淵山(みなふちやま)は今日もかも白露置きて黄葉散るらむ 
2207　我が屋戸の浅茅色づく吉隠の夏身の上に時雨降るらし 
2208　雁がねの寒く鳴きしよ水茎の岡の葛葉は色づきにけり 
2209　秋萩の下葉の黄葉花に継ぎ時過ぎゆかば後恋ひむかも 
2210　明日香川もみち葉ながる葛城の山の木の葉は今し散るらし 
2211　妹が紐解くと結ぶと龍田山今こそ黄葉はじめたりけれ 
2212　雁がねの鳴きにし日より春日なる三笠の山は色づきにけり 
2213　この頃の暁露に我が屋戸の秋の萩原色づきにけり 
2214　夕されば雁が越えゆく龍田山しぐれに競ひ色づきにけり 
2215　さ夜更けて時雨な降りそ秋萩の本葉の黄葉散らまく惜しも 
2216　故郷の初もみち葉を手折り持ちて今日そ吾(あ)が来し見ぬ人のため 
2217　君が家のもみち葉早く散りにしは時雨の雨に濡れにけらしも 
2218　一年にふたたび行かぬ秋山を心に飽かず過ぐしつるかも 

水田(こなた)を詠める 
2219　あしひきの山田作る子秀(ひ)でずとも縄(しめ)だに延へよ守(も)ると知るがね 
2220　さ牡鹿の妻呼ぶ山の岡辺なる早稲田(わさだ)は刈らじ霜は降るとも 
2221　我が門に禁(も)る田を見れば佐保の内の秋萩すすき思ほゆるかも 

河を詠める 
2222　夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の清き瀬の音(と)を聞かくしよしも 

月を詠める 
2223　天の海に月の船浮け桂楫懸けて榜ぐ見ゆ月人壮士 
2224　この夜らはさ夜更けぬらし雁が音の聞こゆる空よ月立ち渡る 
2225　我が背子が挿頭の萩に置く露をさやかに見よと月は照るらし 
2226　心なき秋の月夜の物思(も)ふと寝(い)の寝らえぬに照りつつもとな 
2227　思はぬにしぐれの雨は降りたれど天雲晴れて月夜(つくよ)さやけし 
2228　萩が花咲きのををりを見よとかも月夜の清き恋まさらくに 
2229　白露を玉になしたる九月(ながつき)の有明の月夜見れど飽かぬかも 

風を詠める 
2230　恋ひつつも稲葉かき分け家居れば乏しくもあらず秋の夕風 
2231　萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなべに秋の風吹く 
2232　秋山の木の葉もいまだもみちねば今朝吹く風は霜も置きぬべく 

芳(たけ)を詠める 
2233　高圓のこの峰も狭(せ)に笠立てて満ち盛りなる秋の香のよさ 

雨を詠める 
2234　一日には千重しくしくに吾(あ)が恋ふる妹があたりに時雨降る見ゆ 
　　　　　右ノ一首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。 
2235　秋田刈る旅の廬(いほり)に時雨ふり吾(あ)が袖濡れぬ干す人なしに 
2236　玉たすき懸けぬ時なき吾(あ)が恋を時雨し降らば濡れつつも行かむ 
2237　もみち葉を散らす時雨の降るなべに衾(ふすま)も寒し独りし寝(ぬ)れば 

霜を詠める 
2238　天(あま)飛ぶや雁の翼の覆ひ羽のいづく漏りてか霜の降りけむ 


秋の相聞(したしみうた) 

相聞 
2239　秋山のしたびが下に鳴く鳥の声だに聞かば何か嘆かむ 
2240　誰(た)そ彼と吾(あれ)をな問ひそ九月の露に濡れつつ君待つ吾(あれ)を 
2241　秋の夜の霧立ちわたりおほほしく夢(いめ)にぞ見つる妹が姿を 
2242　秋の野の尾花が末(うれ)の打ち靡き心は妹に寄りにけるかも 
2243　秋山に霜降り覆ひ木の葉散り年は行くとも吾(あれ)忘れめや 
　　　　　右ノ五首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。 

水田(こなた)に寄す 
2244　住吉の岸を田に墾り蒔きし稲秀(ひ)でて刈るまで逢はぬ君かも 
2245　太刀の後(しり)玉纒く田居にいつまでか妹を相見ず家恋ひ居らむ 
2246　秋の田の穂の上(へ)に置ける白露の消ぬべく吾(あれ)は思ほゆるかも 
2247　秋の田の穂向きの寄れる片寄りに吾(あれ)は物思(も)ふつれなきものを 
2248　秋田刈る借廬を作り廬らしてあるらむ君を見むよしもがも 
2249　鶴(たづ)が音の聞こゆる田居に廬りして我旅なりと妹に告げこそ 
2250　春霞たなびく田居に廬りして秋田刈るまで思はしむらく 
2251　橘を守部の里の門田早稲刈る時過ぎぬ来じとすらしも 

露に寄す 
2252　秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも 
2253　色付(づ)かふ秋の露霜な降りそね妹が手本をまかぬ今宵は 
2254　秋萩の上に置きたる白露の消(け)かもしなまし恋ひつつあらずは 
2255　我が屋戸の秋萩の上(へ)に置く露のいちしろくしも吾(あれ)恋ひめやも 
2256　秋の穂をしぬに押しなべ置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは 
2257　露霜に衣手濡れて今だにも妹がり行かな夜は更けぬとも 
2258　秋萩の枝もとををに置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは 
2259　秋萩の上に白露置くごとに見つつぞ偲ふ君が姿を 

風に寄す 
2260　我妹子は衣(きぬ)にあらなむ秋風の寒きこの頃下に着ましを 
2261　泊瀬風かく吹く夜半をいつまでか衣(ころも)片敷き吾(あ)が独り寝む 

雨に寄す 
2262　秋萩を散らす長雨(ながめ)の降る頃は独り起き居て恋ふる夜ぞ多き 
2263　九月のしぐれの雨の山霧(やまきり)のいふせき吾(あ)が胸誰を見ばやまむ 

蟋蟀に寄す 
2310　蟋蟀の吾(あ)が床の辺に鳴きつつもとな起き居つつ君に恋ふるにい寝かてなくに 旋頭歌 
2264　蟋蟀の待ち歓べる秋の夜を寝(ぬ)る験(しるし)なし枕と吾(あれ)は 

蝦(かはづ)に寄す 
2265　朝霞飼屋(かひや)が下に鳴くかはづ声だに聞かば吾(あれ)恋ひめやも 

雁に寄す 
2266　出でて去(い)なば天飛ぶ雁の泣きぬべみ今日今日と言ふに年ぞ経にける 

鹿に寄す 
2267　さ牡鹿の朝伏す小野の草若み隠ろひかねて人に知らゆな 
2268　さ牡鹿の小野の草伏(くさふし)いちしろく吾(あ)が問はなくに人の知れらく 

鶴(たづ)に寄す 
2269　この夜らの暁くだち鳴く鶴(たづ)の思ひは過ぎず恋こそまされ 

草に寄す 
2311　旗すすき穂には咲き出ぬ恋を吾(あ)がする玉蜻(かぎろひ)のただ一目のみ見し人ゆゑに 旋頭歌 
2270　道の辺の尾花が下の思ひ草今さらさらに何か思はむ 

花に寄す 
2271　草深み蟋蟀すだき鳴く屋戸の萩見に君はいつか来まさむ 
2272　秋づけば水草(みくさ)の花のあえぬがに思へど知らじ直(ただ)に逢はざれば 
2273　何すとか君をいとはむ秋萩のその初花の嬉しきものを 
2274　輾轉(こいまろ)び恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花 
2275　言に出でて云はば忌々(ゆゆ)しみ朝顔の穂には咲き出ぬ恋をするかも 
2276　雁がねの初声聞きて咲き出たる屋戸の秋萩見に来(こ)我が背子 
2277　さ牡鹿の入野(いりぬ)のすすき初尾花いつしか妹が衣手(そて)枕かむ 
2278　恋ふる日の日(け)長くしあればみ苑生(そのふ)の韓藍(からゐ)の花の色に出にけり 
2279　我が里に今咲く花のをみなへし堪(あ)へぬ心になほ恋ひにけり 
2280　萩が花咲けるを見れば君に逢はずまことも久になりにけるかも 
2281　朝露に咲きすさびたる月草の日たくるなべに消ぬべく思ほゆ 
2282　長き夜を君に恋ひつつ生けらずは咲きて散りにし花ならましを 
2283　我妹子に逢坂山の旗すすき穂には咲き出ず恋ひ渡るかも 
2284　いささめに今も見が欲し秋萩のしなひてあらむ妹が姿を 
2285　秋萩の花野のすすき穂には出でず吾(あ)が恋ひ渡る隠(こも)り妻はも 
2286　我が屋戸に咲きし秋萩散り過ぎて実になるまでに君に逢はぬかも 
2287　我が屋戸の萩咲きにけり散らぬ間に早来て見ませ奈良の里人 
2288　石橋(いはばし)の間々に生ひたる貌花の花にしありけり有りつつ見れば 
2289　藤原の古りにし里の秋萩は咲きて散りにき君待ちかねて 
2290　秋萩を散り過ぎぬべみ手折り持ち見れども寂(さぶ)し君にしあらねば 
2291　朝(あした)咲き夕へは消(け)ぬる月草の消ぬべき恋も吾(あれ)はするかも 
2292　秋津野(あきづぬ)の尾花刈り添へ秋萩の花を葺かさね君が借廬に 
2293　咲きぬとも知らずしあらば黙(もだ)もあらむこの秋萩を見せつつもとな 

山に寄す 
2294　秋されば雁飛び越ゆる龍田山立ちても居ても君をしぞ思(も)ふ 

黄葉に寄す 
2295　我が屋戸の葛葉(くずば)日に異に色づきぬ来まさぬ君は何心ぞも 
2296　あしひきの山さな葛(かづら)もみつまで妹に逢はずや吾(あ)が恋ひ居らむ 
2297　もみち葉の過ぎかてぬ子を人妻と見つつやあらむ恋しきものを 

月に寄す 
2298　君に恋ひ萎(しな)えうらぶれ吾(あ)が居れば秋風吹きて月かたぶきぬ 
2299　秋の夜の月かも君は雲隠りしましも見ねばここだ恋しき 
2300　九月の有明の月夜ありつつも君が来まさば吾(あれ)恋ひめやも 

夜に寄す 
2301　よしゑやし恋ひじとすれど秋風の寒く吹く夜は君をしぞ思(も)ふ 
2302　里人(さどひと)しあな心無しと思ふらむ秋の長夜を寒くしあれば 
2303　秋の夜を長しと言へど積もりにし恋を尽せば短かりけり 

衣に寄す 
2304　秋つ葉(は)ににほへる衣吾(あれ)は着じ君に奉(まつ)らば夜も着むがね 

問答(とひこたへのうた) 
2305　旅にすら紐解くものを言繁み丸寝(まろね)吾(あ)がする長きこの夜を 
2306　しぐれ降る暁月夜(あかときつくよ)紐解かず恋ふらむ君と居らましものを 
2307　もみち葉に置く白露の色にはも出でじと思(も)ふに言の繁けく 
2308　雨降れば激(たぎ)つ山川岩に触り君が砕かむ心は持たじ 

譬喩歌(たとへうた) 
2309　祝部(はふり)らが斎(いは)ふ社のもみち葉も標縄(しめなは)越えて散るちふものを 


冬の雑歌(くさぐさのうた) 

雑歌 
2312　我が袖に霰たばしる巻き隠し消(け)たずてあらむ妹が見むため 
2313　あしひきの山かも高き巻向の崖の小松にみ雪降りけり 
2314　巻向の桧原もいまだ雲居ねば小松が末(うれ)ゆ沫雪流る 
2315　あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば 
　　　　　右ノ四首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。但シ 
　　　　　件ノ一首、或ル本ニ云ク、三方沙弥ガ作ナリト。 

雪を詠める 
2316　奈良山の嶺すら霧(きら)ふうべしこそ籬(まがき)が下の雪は消(け)ずけれ 
2317　こと降らば袖さへ濡れて通るべく降りなむ雪の空に消につつ 
2318　夜を寒み朝門(あさと)を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり 
2319　夕されば衣手寒く高圓(たかまと)の山の木ごとに雪ぞ降りける 
2320　我が袖に降りつる雪も流れゆきて妹が手本にい行き触れぬか 
2321　沫雪は今日はな降りそ白妙の衣手干さむ人もあらなくに 
2322　はなはだも降らぬ雪ゆゑここだくも天(あま)のみ空は曇らひにつつ 
2323　我が背子を今か今かと出で見れば沫雪降れり庭もほどろに 
2324　あしひきの山に白きは我が屋戸に昨日の夕へ降りし雪かも 

花を詠める 
2325　誰が園の梅の花そも久かたの清き月夜にここだ散りくる 
2326　梅の花まづ咲く枝を手折りてば苞(つと)と名付けてよそへてむかも 
2327　誰が園の梅にかありけむここだくも咲きにけるかも見が欲るまでに 
2328　来て見べき人もあらなくに我家(わぎへ)なる梅の初花散りぬともよし 
2329　雪寒み咲きには咲かず梅の花よしこの頃はさてもあるがね 

露を詠める 
2330　妹がため末枝(ほつえ)の梅を手折るとは下枝(しづえ)の露に濡れにけるかも 

黄葉を詠める 
2331　八田(やた)の野の浅茅色づく有乳山(あらちやま)峰の沫雪寒く降るらし 

月を詠める 
2332　さ夜更けば出で来む月を高山の峰の白雲隠すらむかも 


冬の相聞(したしみうた) 

相聞 
2333　降る雪の空に消ぬべく恋ふれども逢ふよしもなく月ぞ経にける 
2334　沫雪は千重に降りしけ恋ひしくの日(け)長き吾(あれ)は見つつ偲はむ 
　　　　　右ノ二首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。 

露に寄す 
2335　咲き出たる梅の下枝に置く露の消ぬべく妹に恋ふるこの頃 

霜に寄す 
2336　はなはだも夜更けてな行き道の辺のゆ笹がうへに霜の降る夜を 

雪に寄す 
2337　笹が葉にはだれ降り覆ひ消なばかも忘れむと言へばまして思ほゆ 
2338　霰降りいたく風吹き寒き夜や波多野に今宵吾(あ)が独り寝む 
2339　吉隠(よなばり)の野木に降り覆ふ白雪のいちしろくしも恋ひむ吾(あれ)かも 
2340　一目見し人に恋ふらく天霧(あまぎら)し降りくる雪の消ぬべく思ほゆ 
2341　思ひ出づる時はすべなみ豊国の由布山雪の消ぬべく思ほゆ 
2342　夢(いめ)のごと君を相見て天霧し降りくる雪の消ぬべく思ほゆ 
2343　我が背子が言うつくしみ出でてゆかば裳引(もひき)著(しる)けむ雪な降りそね 
2344　梅の花それとも見えず降る雪のいちしろけむな間使(まつかひ)遣らば 
2345　天霧ひ降り来る雪の消なめども君に逢はむと永らへわたる 
2346　窺(うか)ねらふ跡見山(とみやま)雪のいちしろく恋ひは妹が名人知らむかも 
2347　海人小船(あまをぶね)泊瀬の山に降る雪の日(け)長く恋ひし君が音(おと)ぞする 
2348　和射見(わざみ)の峰ゆき過ぎて降る雪の重(し)きて思ふと申せその子に 

花に寄す 
2349　我が屋戸に咲きたる梅を月夜よみ宵々見せむ君をこそ待て 

夜に寄す 
2350　あしひきの山下(あらし)の風は吹かねども君なき宵はかねて寒しも     </description>
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