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    <title>人物</title>
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    <description>
      **土佐藩

・[[坂本龍馬&gt;http://www16.atwiki.jp/kulolo283/pages/5.html]]
・[[武市瑞山&gt;http://www16.atwiki.jp/kulolo283/pages/6.html]]    </description>
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    <title>武市 瑞山</title>
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      **プロフィール
----
・生年月日-没年月日：1829年10月24日-1865年7月3日
・所属藩：土佐藩士
・家族構成：武市正恒の長男。母は大井氏の娘。土佐藩郷士島田氏の娘の富子。[[坂本龍馬]]とは遠縁にあたる。
通称、半平太。土佐勤王党の盟主。諱は小楯。瑞山は号。変名は柳川左門。贈正四位（1891年）。
**概要
----
・土佐国吹井村(現在の高知県高知市池地区吹井)に生まれる。武市家はもともと土地の豪農であったが瑞山より5代前の半右衛門が享保11年（1726年）郷士に取り立てられた家である。文政5年（1822年）には白札に昇格した。「白札」とは身分としては郷士だが、当主は上士に準ずるといったあつかいである。

・嘉永2年（1849年）城下の新町で剣術道場を開く。この道場の門下には岡田以蔵もいた。 安政3年（1856年）江戸へ出て鏡心明智流の桃井春蔵に学び、塾頭となる。江戸では桂小五郎、久坂玄瑞など尊皇攘夷派の長州藩士とも交流する。

・文久元年（1861年）、一藩勤皇を掲げて坂本龍馬、吉村寅太郎、中岡慎太郎らの同士を集めて、江戸にて土佐勤王党を結成、2年後には192名が連判に参加。

・文久2年（1862年）には、藩主山内豊範への進言を退けた土佐藩参政で開国・公武合体派の吉田東洋暗殺を指示（実行犯は、那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助）。これによって、東洋派の重臣らを失脚させ、藩政の実権を握ると共に、土佐藩を一藩勤王に動かし、上士格の留守居組に出世する。また、藩主山内豊範を奉じて京に進出し、藩の他藩応接役として、他藩の志士たちと関わる一方で、幕府に対して攘夷を命じる勅使を江戸に派遣するための朝廷工作に奔走する。京では数々の佐幕派暗殺に関与し、天誅、斬奸と称する暗殺行為を指示した（武市の下で動いた人物では、岡田以蔵、薩摩藩の田中新兵衛が有名）。同年秋には朝廷から幕府に対して攘夷催促する勅使の江戸東下に、副使姉小路公知の雑掌となり、柳川左門という変名で江戸に随行した。

・しかし、文久3年（1863年）8月18日に会津藩と薩摩藩が結託したクーデターである八月十八日の政変で長州藩が中央政界で失脚すると同時に、事態は一転し、勤王派は急速に衰退し、代わって公武合体派が主導権を握る。土佐藩においても、公武合体派の前藩主で老公と呼ばれた山内容堂の影響力が再び増すこととなる。瑞山は同年4月に、薩長和解調停案の決裁を山内容堂に仰ぐために帰国していたが、6月、捕縛されていた側近の平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太が青蓮院宮の令旨を盾に藩政改革を断行しようとしたことを理由に切腹を命じられ、自身も政変後まもない9月に逮捕、投獄。他の勤王党同志も次々と捕縛される。一年半の獄中闘争のなか、まだ捕まっていない同志を思い、吉田東洋暗殺も否定し続けたという。

・だが、後に捕縛された岡田以蔵の自白により瑞山の罪状はおおむね決定したが、それでも東洋暗殺を否定し、腹を切らせた老公・容堂に慶応元年（1865年）閏5月11日、「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹を命ぜられる。享年36。未だ誰も為し得なかった三文字の切腹を成し遂げて、武士の気概を見せたと伝わる。武市家の家禄は召し上げとなった。

辞世の歌は、

ふたゝひと　返らぬ歳を　はかなくも　今は惜しまぬ　身となりにけり     </description>
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    <title>坂本龍馬</title>
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      **プロフィール
----
・生年月日-没年月日：1834年1月3日-1867年12月10日
・所属藩：土佐藩郷士
・家族構成：坂本八平の次男。母は幸。兄は権平、姉は千鶴、栄、坂本乙女（おとめ）。妻はおりょう（楢崎龍）。

**概要
----
・楠山塾で学ぶほか、城下の日根野弁治の道場へ入門し、下士の習う小栗流和兵法を学ぶ。 
・1853年（嘉永6年）に江戸（東京都）に出て、桶町の北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟の千葉定吉道場（通称：小千葉道場）（東京都千代田区）でも剣を学んだとされ、12月には佐久間象山の私塾にも通っている。 
・1854年（安政元年）に土佐に戻る。 
・1856年（安政3年）に再び江戸へ遊学。 
・1858年（安政5年）に剣術修行を終えて土佐へ帰国。北辰一刀流免許皆伝、と言われる事もあるが、実際には「北辰一刀流長刀兵法・目録」を与えられた物であり、一般にいう剣術では無く、正しくは薙刀兵法であり、免許でもなければ皆伝でもなく、北辰一刀流としては一番低い「初目録」であった。ただ千葉道場で塾頭を勤めたことや同世代の人物の証言に「免許皆伝を伝授された」という証言も残るため、免許皆伝状は単に現存していないものと思われる（龍馬の遺品は災害や盗難等で幾つか損失している） 
・1861年（文久元年）、武市瑞山らの土佐勤王党結成に参画するが、翌年の勤王党による吉田東洋の暗殺には参加せず。 
・1862年（文久2年）3月に沢村惣之丞とともに土佐藩を脱藩した。脱藩理由は定かではないが、龍馬が吉田東洋暗殺を企てる武市瑞山の方針に反対だったからではないかとの指摘もある（飛鳥井雅道・石尾芳久など）。九州などを放浪した後、福井藩主松平春嶽の紹介を得て、12月に江戸で千葉重太郎と勝海舟に面会して入門（一説には勝を暗殺するために面会に行ったとされるが、これには色々と異説があり、正確な史実は確定していない。ただし、海舟を殺そうとして、逆に諭されて海舟の弟子になった人間がたくさんいるのは事実）。 
・1863年（文久3年）神戸海軍操練所の設立に尽力し、操練所よりも先に開設された神戸海軍塾の塾頭をつとめる。ただし、勝海舟の研究者として著名な歴史家の松浦玲をはじめとして何人かの歴史家は、龍馬が塾頭を務めたという説には懐疑的である。勝海舟の運動で土佐藩主山内容堂から脱藩の罪を許される。 
・1864年（元治元年）、神戸海軍操練所が創設された。しかし浪人は入所資格を認められなかったこともあり、龍馬は入所できなかったのではないかと指摘している研究者もいる（松浦玲など）。勝海舟の紹介で西郷吉之助（西郷隆盛）を頼って薩摩藩に保護される。これには、薩摩藩側が龍馬らの航海技術に利用価値を感じた点も大きいと指摘されている（松浦玲など）。この年、龍馬は再脱藩。 
・1865年（慶応元年）、薩摩藩の援助により、土佐脱藩の仲間と共に長崎で社中（亀山社中・のちに海援隊）を組織し、物産・武器の貿易を行った。この年、「非義勅命は勅命にあらず」という文言で有名な大久保利通の書簡を、長州藩重役に届けるという重大な任務を龍馬が大久保や西郷隆盛に任されていたことを佐々木克が指摘している。 
・1866年2月（慶応二年）、寺田屋で幕吏に襲撃されたが一命を取り留める。それより前の1月、坂本龍馬の斡旋により、京都で長州の桂小五郎（木戸孝允）と薩摩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟（薩長盟約）が結ばれた。このとき龍馬は桂に求められて盟約書の裏書を行っている。天下の大藩同士の同盟に一介の素浪人が保証を与えたものであって、彼がいかに信用を受けていたかがわかる。なお薩長同盟については龍馬最大の功績と言われるが、実際には、西郷や小松帯刀ら薩摩藩の指示を受けて動いていたという説もあり（青山忠正など）、薩長連合に果たした役割の重要性については評価が分かれている。近年、青山忠正を皮切りに、芳即正・三宅紹宣・宮地正人・高橋秀直などの研究者を中心に薩長同盟についての議論が盛んなので、その議論の行方次第で龍馬の評価もまた変わってくるものと思われる。同年、第二次長州征伐では亀山社中の船・乙丑丸で長州藩海軍を支援。 
・1867年（慶応三年）、土佐藩との関係を修復して海援隊を創設した。後藤象二郎とともに「船中八策」を策定し、後藤象二郎が山内豊信を説いて土佐藩の進言による大政奉還を実現させた。ただし、「船中八策」には原文書も写本も存在しないため、本当に龍馬が作成したのか疑問視している研究者も存在する（青山忠正、松浦玲など）。龍馬が「船中八策」を作成したことは通説になっているが、史料的根拠は見当たらないのである。12月、京都の旅寓・近江屋（京都市中京区）で何者かに中岡慎太郎と共に暗殺された。旧暦の誕生日と命日は同じ。暗殺犯は見廻組という説が有力である。 
・墓所は京都市東山区の京都霊山護國神社参道中腹。なお、靖国神社に祀られている。    </description>
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    <title>メニュー</title>
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    <title>メニュー2</title>
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