夏、奈良の王者

京太郎「俺、もう手は洗わないから」


久「勝手にいなくなって心配させといて初めに言うことがそれか!」ゴスッ

京太郎「ぐふっ」

久「それとなんか香水のにおいするんだけど……あんたほんとなにしてきたのよ」ギリギリ

京太郎「ちょっ、締まってる締まってる!」

まこ「まあまあ、少し落ち着いて話しませんか?」

京太郎「そ、そうだよ、とりあえず落ち着こうぜ」

久「……じゃあとりあえず手を洗ってきなさい」

京太郎「いやそれは……」

久「い い わ ね?」

京太郎「……はい」



久「はぁ? 牌のお姉さんに会った?」

京太郎「そうだよ! もうめっちゃやばかったんだって!」

久「……あのさ、嘘つくにしてももうすこしマシなのないわけ?」

京太郎「本当だって! 今でも胸大きくてかわいいはやりんだったんだよ!」

久「あんた小学校の頃から進歩ないじゃない!」

京太郎「はやりんは永遠のアイドルなんだよ!」

まこ「ま、まあまあ、二人共落ち着いて……」


久「はぁ、はぁ……」

まこ「ほら、東京だったら瑞原プロに会うこともあるかもしれんですし」

京太郎「ふぅ、ふぅ……」

まこ「先輩もキャラが変わるぐらい取り乱してますし」

京太郎「……俺は嘘は言ってないからな」

久「……そういえばあんた、妙な連中をやたら引き寄せるのよね」

京太郎「信じてくれるのか?」

久「とりあえずはね……お腹空いたから出るわよ」

京太郎「……もしかして、ずっと待ってた?」

まこ「実は結構そわそわしてたり」

久「こらっ」

京太郎「よし、じゃあ今日は俺のおごりだ!」



京太郎「うぷっ、食べ過ぎた……」

久「そんな苦しむほど食べなくてもいいじゃない」

京太郎「俺が払うんだから俺が一番食べないと損だろ……」

まこ「器が大きいのやら小さいのやら、よくわからんですね」

久「もう、明日から試合が始まるんだからしっかりしてよね」

京太郎「わ、悪い……」


「ふっ、試合を控えている身で自らのコンディションを崩すような真似をするとは……にわかの極みだな」


京太郎「あー、やっぱきついわ……」

久「仕方ないわね……染谷さん、近くに薬局ってあったっけ?」

まこ「それだったらたしか向こうに」


「む、無視するにゃっ」


久「じゃあ、私たちは薬局で胃薬買ってくるからおとなしくしてなさいよ?」

京太郎「迷惑かけるな……」

まこ「なにかあったらメールください」

京太郎「おうよー」


京太郎「で、君だれ?」

「気づいてたんなら無視してんじゃないわよ!」

京太郎「正直余裕ないんだよ。逆ナンなら今日はもう間に合ってるから」

「ぎゃ、逆ナン!?」

京太郎「いいから早く。どっかのだれかさん」

「失礼なっ、私にも名前はある!」

京太郎「じゃあそれでいいから早く」


「ふっ、人呼んで奈良の王者、小走やえとは私のことだ!」


京太郎「……」ピッポッパッ

やえ「お、おいなんだ、いきなり携帯取り出して」

京太郎「あ、玄? いきなりで悪いけど奈良の王者って言ったら?」

やえ「また無視するのかっ!」

京太郎「なんか騒がしいって? 気にすんなどこにでもある騒音だ」

やえ「人のことを騒音扱いか!」

京太郎「おーけー、晩成ね。ありがとな、またそのうち遊びに行くよ」プツッ


京太郎「で、なんの用だよ自称奈良の王者さん」

やえ「自称じゃない!」

京太郎「奈良の王者って言ったら晩成だって聞いたぞ? 晩成の生徒っぽいけどちょっと話盛っちゃったんじゃね?」

やえ「本当だもん! 個人戦で一位だったもん!」

京太郎「あーはいはい。わかったからもう休ませてくれ」

やえ「こ、こうなったら意地でも認めさせてやるんだからっ」


やえ「戻ってくるまでそこ動くんじゃないわよ!」ダッ


京太郎「やだよ……って足早っ」

久「なに、なんかあったの?」

京太郎「いや、ちょっと逆ナンされてて」

久「はぁ?」

京太郎「冗談だよ。それより薬頼む」

まこ「あ、はい。水もどうぞ」

京太郎「サンキュ」



京太郎「おっし、復活!」

久「朝からうるさい……」

まこ「近所迷惑じゃ……」

京太郎「なんだ二人共まだ寝ぼけてんのか?」

久「あんたが元気すぎんのよ……」

まこ「昨日あんな爆睡してたら当然じゃの……」

京太郎「染谷に至っては普段の敬語をかなぐり捨ててるし」

久「ふわぁ……会場入りまで大分時間あるし、とりあえずまだエンジンかかんなーい」

まこ「zzz」

京太郎「しゃあねえなぁ……じゃあちょっと散歩してくるから、何かあったら呼べよ?」

久「はーい」



京太郎「んー、暑い」

京太郎「爽やか散歩気分で外出たらこれだよ……」

京太郎「東京の夏をまだ舐めていたみたいだ」


「あ、いた!」


京太郎「ホテルの中はクーラー効いてるからな……プールに入りてぇ」


「ちょっ、待ちなさいよ」


京太郎「とりあえず日陰に避難してっと……」


「だから無視すんなっ!」ガシッ


京太郎「なんだ、誰かと思えば昨日の……パシリさん?」

やえ「こ、ば、し、り! 小走やえだ!」

京太郎「悪い悪い、昨日は余裕がなかったからさ」

やえ「そんなことより! どうして昨日勝手に帰ったのさ!」

京太郎「いや、俺の返事聞かずに走り去ったのはそっちだろ。俺は嫌だって言ったぞ?」

やえ「ぐぬぬ……そ、それはたしかに私にも落ち度があったかもしれない」

京太郎「だよな?」

やえ「それはさておいて、これ」

京太郎「麻雀雑誌? お、久ちゃんとみほっちゃんの名前」

やえ「そっちじゃなくてこっち! 奈良県のとこ!」

京太郎「どれどれ……」


『奈良県個人戦一位 小走やえ』


京太郎「ふむ、同姓同名かな?」

やえ「んなわけあるかっ!」

京太郎「どうでもいいけどさ、昨日も今日もそんな大声出して疲れない?」

やえ「誰のせいだと思ってんのよ!」

京太郎「どうどう」

やえ「ふぅ……たしかに無駄な消費は避けるべきだな、うん」

京太郎「それこそにわかの極みってか?」

やえ「その通りだ」

京太郎「てか、昨日はなんで突っかかってきたんだか……逆ナンではないんだろ?」

やえ「あ、あれはあまりににわかな行動が目についたから……」

京太郎「じゃあ俺が当ててやろう」


京太郎「東京という都会に来てしまってついはしゃいでしまうというにわかな行動をとってしまった」

やえ「そ、そんなわけっ」

京太郎「その結果迷ってしまい途方にくれたところで似たようにお上りさんっぽい俺らを発見」

やえ「うっ」

京太郎「そんでもってわざわざ尊大な口調で語りかけ、自分のペースを取り戻そうとした」

やえ「……」


京太郎「……とかいう適当な推理だけど――」


やえ「そうだ、にわかは私だったんだ……」ズーン


京太郎「――って、当たってんのかよおい!」

やえ「だって仕方ないじゃないか……一年の時は応援でそんな余裕なかったんだぞ」

京太郎「あーあー、悪かった。誰だってはしゃぐよな。うん、王者でもはしゃぐ」

やえ「……本当にそう思う?」

京太郎「ああ、もちろん」

やえ「……そうか!」


京太郎(うわ、立ち直り早っ)

京太郎(てか扱いやすっ)


やえ「ところで君の名前は?」

京太郎「須賀京太郎」

やえ「そうか……では須賀くん、お互い頑張ろう!」

京太郎「おう……って、俺は試合出ないけどな」

やえ「へ? だって昨日は明日から試合がどうこうって……」

京太郎「それは正確には俺の話じゃない」

やえ「でもその手は打ちすぎて豆すらできなくなったってパターンじゃ……」

京太郎「残念ながら、豆ができるほど生の牌に触ってないんだよ」

やえ「……なら君は何をしにここに来たんだ?」

京太郎「もちろんうちの部長の応援。長野県の一位なんだけど」

やえ「長野の一位……たしか竹井久。福路美穂子を二位に下して上がってきた強者……面白い!」


やえ「では竹井久との戦いで君にお見せしよう……王者の打ち筋(うちしゅじ)を!」

京太郎「……」


やえ(ふっ、決まった。あまりのオーラに言葉も出ないようだ)

京太郎(って思ってそうだから嚙んだことには言及しないでおこう)



久「んー」

京太郎「おっつかれー、今日はどうだった?」

久「どうだったもなにも、見てたんじゃないの?」

京太郎「まぁな。全体的にプラス収支……さすがじゃん」

久「でも、最後の試合だけは他のより苦戦したのよね……」

京太郎「あー……」

久「上家の子、なんていったかしら? たしかパシリ、みたいな……」

京太郎「あはは、まあ全国ともなれば強敵もわんさかいるだろ」

久「それもそうね」


京太郎(小走やえ……最後の対局で久ちゃんをわずかに下してトップだった)

京太郎(奈良の王者っていうのは伊達じゃなかったんだな。でも――)


やえ『ふん、これでにわかな君でもわかったろう? 王者の実力というものが!』


京太郎(――とか言ってきそうだから、今度会ったらデコピンしておこう)
最終更新:2015年06月05日 22:50