母親と言い争うなど、何時以来だろう。みゆきはそんなことを考えながら、道を歩いていた。 いくら考えても、思い出せない。そもそも、今まで言い争ったことなどあっただろうか? そんな事を思い出しても、今の状況が変わるわけじゃない。みゆきは首を振り、考えるのを止めた。そして、周りの景色を見る。 見たことはあるが、見慣れない景色。みゆきはこの辺りが、こなたの家の近くだと思い出した。 何も考えずに電車を乗り継いたら、無意識のうちにこんな所に辿り着いていた。 友達に頼りたい。そういう気持ちでもあったのだろうかと、みゆきは思いながら道を歩いていた。 ふと、前の方になにかが落ちているのが見えた。 よく見てみると、それは犬のようだった。アスファルトに横たわったまま、動かない。その犬の子供だろうか。子犬がその身体を懸命に舐めていた。 死んでいるんだ。車にでも、はねられたのだろうか。みゆきはなぜか、その犬から目を離すことが出来ないでいた。 - 母と娘と - みゆきの側を、何人かの人が通り過ぎていく。だが、誰一人犬の死骸に目をやる人はいない。 みゆきも見ているだけで、特になにかをしようとは思わず、心の中で手を合わせてその場を離れようとした。 ふと、みゆきは視界の端に見知った顔を見つけた。その方を見ると、さっきの犬の死骸の傍に、友人の泉こなたが立っていた。 そして、こなたはなんの躊躇も無く犬の死骸を抱き上げると、そのまま普通の足取りで歩き出した。その足元を子犬がすがりつくように付いていく。 みゆきはそれに驚き、思わずこなたの後を追いかけた。 こなたがやってきたのは、とある公園だった。その隅の方の、木が生い茂る場所へと向かう。 遊具などがある場所からは見えない、少し開けた場所。こなたは犬の死骸を丁寧に地面に置くと、その場に穴を掘り始めた。 そして、ある程度の深さの穴が出来上がると、こなたはそこに犬の死骸を入れ、手を合わせてから土をかけ始めた。 完全に埋まりきると、こなたは今度は服のポケットから木の棒を取り出した。よく見てみると、どうやらアイスの棒らしく、アタリと書かれた文字が見えた。それを墓標代わりに突き立てると、こなたはもう一度手を合わせた。 「…みゆきさん、別にこそこそする必要は無いと思うよ」 そして、みゆきが隠れている木の方を向いて、そう言った。 「ばれていたんですか…」 仕方なくみゆきは、木の陰からこなたの前へ姿を現した。 「うん、ばればれ。みゆきさん、尾行下手だね」 ニヤニヤしながらそう言うこなたに、みゆきは照れくさそうに頬をかいた。 「あの…泉さん、その…これは…」 そして、みゆきは聞きずらそうにしながら、こなたと今作った犬の墓を交互に見比べた。 「似合わないことしてる?」 「えっ…あ、いや、そんな事はけして!」 こなたの言葉に、みゆきは慌てて目の前で両手を振った。 「ま、普段のわたし見てると、そう思うのも仕方ないかもね」 「…い、いえ…その…すいません…」 恐縮して縮こまるみゆきの肩を、こなたは軽く叩いた。 「ま、気にしない気にしない」 「…はい」 みゆきは姿勢を正すと、改めてこなたが作った墓を見て、そしてこなたの方へと視線を戻した。犬を拾い上げる時も、ここへ来て墓を作るときも、こなたは何一つ躊躇することなく行動していた。 「泉さん。随分と手馴れていたようでしたが…前にも何度か同じようなことを?」 みゆきはその事が気になり、こなたにそう聞いた。 「周り、よく見てよ」 こなたは、答える代わりにそうみゆきを促した。 「…あ」 みゆきが周りを見渡してみると、たくさんの墓が見えた。石だったり、木だったり、日用品だったり、墓標に使われているものはばらばらだったが、全て今こなたが作ったような簡素な墓だ。 「この辺はさ、住宅地だから、ペット飼ってる人って多いんだよね」 驚くみゆきに、こなたが声をかける。 「その分、捨てる人も多くてね…結構事故とかで死んでるの見かけるんだ。だから、こうしてお墓を作ってるんだ」 「あの…これ全部、泉さんが…?」 「ううん。わたしが作ったのはまだ少ないよ。ほとんどはお父さんと…お母さん」 こなたの口から出たお母さんと言う言葉に、みゆきは少しドキリとした。 「これ始めたの、お母さんなんだって。そんで、お母さんが死んでからはお父さんがやってて、中学くらいからわたしもするようになったんだ」 自分の知らない亡き母を思ってか、こなたは少し遠い目をしていた。 「お母さんがね、何でこう言う事やってたんだろうって。同じことやったら、お母さんのこと少しでも分かるかなって、そう思ってね」 「…なにか、分かりましたか?」 「うーん…まだまだってところかな?」 照れくさそうにそういうこなたを、みゆきは少し羨ましく思えた。 「今日、母と喧嘩をしました…」 そして、そんな事を口走っていた。 「みゆきさんとゆかりさんが?珍しいね…」 目を丸くしてそう言うこなたに、みゆきは頷いて見せた。 「泉さんの話を聞いて、それくらい母を思えれば、喧嘩などしなかったのではないか…そう思いました」 溜息をつく。胸の奥から、ひどくもの哀しい感情が湧き出してくる。 「わたしも、母を失えばそのような気持ちになれていたでしょうか?」 「冗談じゃない」 「…え」 聞いたことの無いこなたの冷たい声に、みゆきは身を震わせた。 「そんな事、絶対にない」 こなたは怒っているようだった。眉間にしわがより、いつもの余裕のある表情は消えていた。 「…す、すいません…」 「失えば分かるかもしれないけど、失ってからじゃ遅いんだよ」 思わず謝るみゆきを無視し、こなたは言葉を続けた。 「失わなくても分かるかもしれないし、失っても分からないかもしれない。失わなければ絶対に分からないって事はないし、ましてや…分かるために失うなんて、間違ってる」 そこまで言って、こなたは自分の顔を両手で覆い隠した。 「…ごめん。ちょっと偉そうだった」 「いえ、わたしこそ迂闊なことを言ってしまって…すいませんでした」 お互いに謝りあい。その後、少しの間二人は無言で立っていた。 やがて、こなたが手を顔から離した。そこには、いつも通りのこなたの表情があった。 「さて、わたしはそろそろ行くよ」 そう言って、こなたは足元にいる子犬に顔を向けた。 「この子の飼い主を探してあげないとね」 「飼い主、ですか…?」 「うん、お父さんが仕事柄結構顔が効くからさ、以外と見つけやすいんだよ」 こなたはそう言いながら子犬を抱き上げた。 「じゃ、みゆきさん。また学校で」 「い、泉さん」 別れの挨拶をして踵を返すこなたの背中に、みゆきは思わず声をかけて引き止めてしまった。 「ん、何かな?」 こなたが首だけをみゆきの方へ向ける。 「え、えっと…その…あの…」 みゆきは言い難そうに、口の中でモゴモゴと何かを呟いていた。 「…すいません…なんでもありません」 そして、そのまま言葉を閉じてしまった。こなたはそんなみゆきの様子に、笑顔を向けた。 「うん…じゃ、また明日」 そう言って、こなたは手を振って歩き出した。 「…わたしも、帰りませんと」 みゆきはそう呟いて、自分の帰るべき家に向かって歩き出した。 みゆきが自分の家に着いたころには、日はすっかり落ちていた。門限なんてものは決められてはいなかったが、何の連絡もなしにこんな時間に帰宅するなど、初めてのことだった。 「…ただいま戻りました」 家のドアをゆっくりと開け、呟くように小さく帰宅の旨を告げる。まさか自分がこんなコソコソと家に入ることになるなんて…と、みゆきは少し後ろめたい気持ちになっていた。 「おかえり、みゆき」 しかし、あっさりと母のゆかりに見つかってしまう。 「遅かったわね。少し心配しちゃったわよー」 「…お母さん」 今朝の喧嘩のことなど無かったかのように普通に話す母に、みゆきは安堵と不安を同時に感じていた。 「さっきね、こなたちゃんから電話があったわ」 「え?」 「ちょっと長く引き止めちゃったから、帰るの遅くなるかも。ごめんなさい…って」 「それ、嘘です」 みゆきは思わずその事を否定していた。 「泉さんが、引きとめたわけじゃありません。わたしが勝手に居ただけです」 「あら、じゃあどうしてこなたちゃんはあんな事を?」 「それは…」 どうしてだろう。みゆきには分からなかった。不用意な発言でこなたを怒らせてしまったのに、何故自分をかばう様な真似をしたのだろう。 その疑問は、目の前の母にも言えることだった。今朝はあれほど激しく言い争っていたのに。家を飛び出して、遅くまで帰ってこなかったのに。何故、怒らないのだろう。 「…分かりません。泉さんも、お母さんも、何を考えてるのかわたしには…二人とも、わたしが怒らせたはずなのに…」 そう言って、みゆきは俯いてしまう。それを見たゆかりは、顎に人差し指を当てて少し考える仕草をした。 「みゆきは、少し重く考えすぎね」 「…重く?」 そして出た母の言葉に、みゆきは顔を上げた。 「今朝のことなら、わたしはもうなんとも思ってないわよ。アレくらいの口喧嘩なんて、若い頃はよくやってたしねー」 「そ、そうだったんですか…」 本当に軽いゆかりの口調に、みゆきは少し気が抜けるような感じがした。 「…あの、泉さんに会った時のことなんですが…」 そして、みゆきは無性にさっきの事を聞いてほしくなった。 「おもしろい子ね。こなたちゃんは」 みゆきの話を聞き終わったゆかりは、微笑みながらそう言った。 自分にとって不快な話もあったというのに、何故そんな表情が出来るのか、みゆきには分からなかった。 「…あの、やはりわたしは重く考えすぎてるのでしょうか?」 「そうねー…こなたちゃんにとってそれは、ホントにお母さんの真似をしてたってだけの事じゃなかったのかな」 ゆかりはそう言いながら、顔の前で指をクルクルと回し始めた。 「だから、その事を重く考えすぎて、みゆきがみゆき自身を傷つけるようなこと言ったから、怒ったんじゃないかな」 「…わたしが、ですか?」 「うん。みゆきは、わたしが死んじゃっても平気?…だったらちょっとお母さん泣いちゃうけど」 「え、いや、そんな事は…お母さんがいなくなったら、悲しいです…」 「…悲しいことが分かってるのにあんな事いったから、こなたちゃんは怒ったんじゃないかな」 みゆきは言葉を失った。単純な…本当に単純なことだったんだ。そんなことも分からない自分の迂闊さに、みゆきは少し腹が立った。 「だから、そんな重く考えすぎるみゆきには、子犬の飼い主は少し荷が重いわよ」 「え?ど、どうしてそれを?」 予想外のゆかりの言葉に、みゆきが焦る。詳細に話したとはいえ、その事は言ってないはずだった。 「最後。こなたちゃんを引き止めたのは、その事を言うためだったんでしょ?…でも、決心がつかなかった」 「…はい」 「それで良かったのよ…こなたちゃんも、言われればきっと止めてたでしょうしね」 みゆきはしばらく何も言えなかった。 「こなたちゃんは、いいお友達ね」 そのみゆきに、ゆかりが優しくそう言った。 「…はい。教えられることが、とても多いです」 「また、そんな堅いことを…教えられるってのなら、みゆきからの方が多いわよ。きっと」 「そう…でしょうか」 「自分を軽く見すぎるのも、みゆきの悪い癖かしらね…さ、そろそろお夕飯の準備しなくちゃ」 「え、今からですか!?」 みゆきが驚くと、ゆかりは首をかしげて壁の時計を見た。 「あら…もうこんな時間だったのねー」 そしてのん気にそう言って、みゆきの方を見る。 「今日はもう店屋物でいい?」 「…はい、それでいいです」 ゆかりの言葉に、みゆきは脱力感を覚えながら答えた。 「あ、お母さん」 そして、聞きそびれてたことがあるのを思い出し、みゆきは電話へ向かうゆかりの背中に声をかけた。 「なにかしら?」 「あの…どうして、わたしが子犬の飼い主になろうって思ったのが、分かったのですか?」 「分かるわよ、それくらい。誰よりも長くあなたを見てる…お母さんだもの」 それもまた、単純な答えだった。 夜、寝るために布団に潜り込んだみゆきは、明日の朝こなたにどう言おうか悩んでいた。 今日のことを謝ろうか、それとも礼を言おうか。 どちらも何か重いような気がして、みゆきは別の言葉を探した。 「…泉さん、昨日の子犬の飼い主は見つかりましたか?」 うん、これが良い。自分の呟きに満足したみゆきは目を閉じた。 - 終 - **コメント・感想フォーム #comment(below,size=50,nsize=50,vsize=3)
下から選んでください: