金曜日、陵桜学園での昼休み。 いつもどおり三人で集まって弁当を広げる。 「みゆきは、なんでこの学校受けたの? みゆきの成績なら、都内の進学校でも選び放題じゃない」 「陵桜は、母の母校なんですよ。それで私も行ってみたくて」 「中学の担任に、もっと上の学校受けろとか言われなかった?」 「言われましたし、迷いもしましたけど、一定レベル以上ならどこも変わりませんから。学力の向上は、入学後の勉強次第でどうにでもなりますし」 「ゆきちゃん、えらいなぁ。私だったら、とてもそんなふうには考えられないよ」 「つかさは、ここに入るのもギリギリだったし、入学後もさっぱりよね」 「あう~」 たわいのない話が続く。 しかし、かがみは何か違和感を感じていた。 なんか変だ。何かが足りない。 そんなもどかしい感じが沸き起こってくるのだが、その正体がさっぱりつかめない。 そんなかがみの隣で、つかさはときどき首をかしげていた。 「つかささん、どうかしましたか?」 「ううん、なんでもないよ」 つかさは首をふったが、その表情はさえないままだった。 その日は、何事もなく終わり、それぞれつつがなく帰宅した。 翌日、土曜日。 柊家は、両親が旅行、まつりが朝から遊びに出ていて、昼食は、いのり、かがみ、つかさの三人だった。 つかさは、ごはんを口に運びながら、ときどき首をかしげていた。 「つかさ、どうしたの?」 つかさは、かがみの顔を見て、しばらく間をおいてから口を開いた。 「お姉ちゃん。なんか最近、変な感じしない? なんか物足りないような……」 「つかさもか。実は私も最近、妙にむずむずした感じで落ち着かないのよね。なんか足りないような気がして」 「お姉ちゃんもそうなんだ」 「なんか嫌な感じよね」 そんな双子のシンクロ具合を見て、いのりが、 「占いでもしてみる? 私もたまにはやらないと腕がなまるし」 かがみとつかさは、同時にうなずいた。 昼食が終わって、三人は神社の奥殿にやってきた。 普段は、母のみきといのり以外には中に入れない。この神社の秘中の秘でもあった。 「さきに言っとくけど、この部屋の中のことは口外無用だからね」 いのりの念押しに、かがみとつかさは神妙にうなずいた。 扉にかかっている南京錠を開けて、中に入る。 中は意外に広く、正面には大きな祭壇があった。そして、壁一面に呪符がびっしり貼られている。そのどれもが、真新しく見えた。まったくといっていいほど劣化してない。 「ここって建て替えたの?」 かがみの問いに、いのりは、 「昔のままよ。新築同然なのは、壁にびっしり貼ってある御先祖様の呪符のおかげだって言われてるけどね。あとついでに言っとくけど、呪符の効力を一時停止しないと、柊家の血筋以外の者は攻撃されるからね」 「ええっ!」 つかさの顔がひきつった。 「罰当たりな泥棒がここに忍び込んで心臓発作で死んだなんて記録が明治以降だけでも5件ぐらいはあるし」 つかさが青ざめる。 いのりは、水をためた桶を祭壇の前においた。 御幣を手に祝詞を唱える。桶の水がたちまち煙をあげて蒸発した。 祝詞を唱え終わり、御幣を下ろす。 「さて、何が出るかしらね?」 水煙の中に、立体ホログラム映像のごとく、何かが浮かび上がってきた。 青い長い髪の小柄な女の子。頭のてっぺんに飛び出たアホ毛が特徴的だ。 それを見て、かがみとつかさが同時に叫んだ。 「こなた!!」 「こなちゃん!!」 二人の頭の中を走馬灯のごとく記憶が駆け巡った。こなたが存在していた過去の記憶がよみがえり、存在してない過去と二重写しになって、頭の中を混乱させた。 頭痛がして、二人は頭を抱えた。 そんな二人を見ながら、いのりは、 「ああ、思い出した。こなたちゃんね。いきなり消えちゃうなんて、何があったのかしら」 いのりは、再び祝詞を唱えた。 水煙の中の映像が変化していく。こなたの姿がどんどん小さくなっていき消えて、どこかの病院の映像に切り替わった。 産婦人科病院。医者が何かを書いている。映像が拡大されていくと、それはカルテだった。 文字は判然としないが、読み取れる部分だけを拾っていくと、 ──泉かなた ──人工妊娠中絶 ──母体の生命にかかる危険を防止するため 「「……」」 それを見たかがみとつかさは絶句していた。 「こなたちゃんのお母さんって、体が弱かったんだっけ? なるほど、ありえたかもしれない歴史が現実になっちゃったわけか」 いのりは、一人で納得していた。 「どういうことよ……?」 「過去の歴史ってね、確定されてるもんじゃないのよ。常に揺れ動いてるし、結構頻繁に変わったりもしてる。でも、普通は誰もそれに気づかない。記録も記憶も塗りかえられちゃうから──っていうのは、死んだおばあちゃんの受け売りだけどね」 かがみは、信じられないといった表情だった。 「まっ、私も御伽噺かと思ってたけど、実例に遭遇するとはね」 「こなちゃんを救う方法はないの? いのりお姉ちゃん」 つかさが泣きそうな顔でそう訴えた。 「ないわけじゃないけど」 いのりは、あっさりそう答えた。 かがみとつかさが、身を乗り出した。まさに、いのりを押し倒さんばかりに。 「二人とも落ち着いて」 いのりは、二人の肩に手をかけ、押し戻した。 「過去が変わったなら、もう一回変えてやればいいのよ。柊家の秘伝中の秘伝だけど、やってみる?」 二人は神妙な顔でうなずいた。 いのりは、祭壇から和紙でつづられた本を取り出した。 ぱらぱらとめくる。 「あった、あった。『時渡り』の術」 いのりは、御幣を二人に向けると、祝詞を唱えた。 すると、二人を青白い火花が包み込み、そして、消えた。 「あっ、成功しちゃった」 祖母の話では、本当に必要とされるときにしか成功しないから、めったに成功するもんじゃないってことだったのだが。 あまりにあっさり成功しちゃったため、いのりはしばし呆気にとられていた。 青白い火花が収まり、再び目を開けると、そこは変わらぬ奥殿であった。 しかし、いのりの姿が見えない。 「いのりお姉ちゃん?」 つかさが呼びかけに答える者はいない。 かがみは外に出るべく扉を開けようとしたが動かない。 「移動先ぐらいちゃんと考えてよね、もう」 かがみは、いのりへの文句を口にしつつ、扉を押したり引いたりしてみるが頑として動かない。 「体当たりで破るしかないかしらね」 かがみが助走をつけるべく構えたところで、唐突に扉が開いた。 扉を開けて現れた人物は、 「あら? 『時渡り』のお客様かしら?」 若き日の柊みきだった。見た目は全然変わらないが。 「お母さん」 つかさの言葉に、みきは目を丸くした。 自宅の居間。 かがみたちの現在と変わるところは特にないが、しかし、そこは間違いなく過去だった。みきの腕に幼いまつりが抱かれていることが、そのことを証明している。 とりあえず年月日を確認したところ、泉かなたの妊娠推定時期のおよそ一ヶ月前だった。まつりの年齢は2歳ぐらいのはずだ。 「いのりお姉ちゃんは?」 つかさの問いに、みきが答える。 「学校行ってるわよ」 時計の針がさす時刻を信じる限りでは、確かに小学校に行ってる時間帯だ。 「ただおさんは、外に出てるわ」 みきがお茶を入れて、二人に差し出した。 「生まれてもいない孫の将来の姿を見るというのも、乙なものだね」 そう言ったのは、かがみやつかさにとっては、写真でしか見たことのない祖母だった。柊家につらなる者の常で、見た目は若い。 「「……」」 かがみとつかさはどう反応してよいものか分からず、無言のままだった。 「まずは、お話を聞かせてくれるかしら?」 みきに促されて、かがみが事情を整理して話した。 それを聞き終わったみきは、 「そう。将来のいのりは、ちゃんとやってるのね」 感慨深げにそう言った。 そして、 「とりあえず、その泉さんのお宅に行かないことには話が始まらないわね」 みきは椅子から立ち上がると、 「お母さん。私は、これから二人を連れていきますので、まつりをお願いします」 「分かったよ」 祖母に抱かれたまつりはみきに手を伸ばしたが、みきがその頭に手を置き、 「ちょっと出かけてくるから、お留守番しててね」 「あーい」 泉家の邸宅も、現在となんら変わるところはなかった。新築まもないというところだけを除けば。 インターフォンを鳴らすと、中からかなたが出てきた。 「すみません。わたくし、柊みきと申します。突然で申し訳ありませんが、込み入ったお話がありまして」 かなたは、みきの隣にいるかがみとつかさをちらりと見てから、 「どうぞ、中へ」 かがみは、家の中をちらちらと見回した。 「そうじろうさんは?」 「夫なら、今日は原稿を届けに東京に出ています。帰りは夕方でしょう」 それは都合がよい。これから話すことは、泉そうじろうには聞かせられない話だから。 居間のテーブルを四人で囲んだ。 「お構いなく」 みきはそう言ったが、かなたは人数分のお茶を出した。 「すみません」 一息ついてから、かがみが事情を話した。 ひととおり話を聞き終わったあと、かなたはたずねた。 「かがみちゃんが知るこなたは、どんなふうに育っていたかしら?」 かがみは、言いづらそうにしつつも、ありのままを話した。 「フフフ。そうよね。そう君だけで育てたら、そうなっちゃうわよね」 かなたは、微笑んだ。そして、 「こなたは幸せそうかしら?」 「ええ、まあ、人生を謳歌していたかと……」 かなたは、ますます微笑んだ。 「あっ、あの……」 つかさが言いかけたのを、かなたが止めた。 「分かってるわよ、つかさちゃん。こなたはちゃんと生まれるわ」 「ありがとうございます」 かがみは頭を下げた。 「お礼をしなきゃならないのは私の方よ、かがみちゃん。こなたのことを教えてくれてありがとう」 それで話は終わった。 「それでは、私たちはこれで失礼させていただきます」 「もう少しお話をお聞きしたかったですけど」 「未来のことを知りすぎると、また歴史が変わってしまう可能性がありますので」 みきは、きっぱりとそう言った。そして、付け加える。 「あと今日のお話は、旦那さんには……」 「ええ、分かっております。夫には内緒にしておきます」 三人はあらためてお礼を述べて泉家宅をあとにした。 柊家に戻ると、みきは二人を連れて奥殿に入った。 二人を元の時間に帰さなければならない。 「いのりが帰ってくる前にすませちゃわないとね」 まつりはまだ幼いから未来から来たかがみやつかさのことを覚えていることはないだろうけど、いのりが二人に会ってしまったら、いろいろとややこしいことになりかねない。 「お母さん、ありがとう」 「別にたいしたことはしてないわよ。これからあなたたちを元の時間に戻すから、年月日と時刻を教えて」 かがみが答えると、 「多少の誤差もあるから30分ぐらいは余裕を見た方がいいわね」 みきは御幣を二人に向け祝詞を唱えた。 二人を青白い火花が包み込み、そして、消えた。 いのりがそこで待っていたのは、ほんの30分ほどだった。 ふと気配を感じて振り向くと、唐突に青白い火花が飛び散った。 そして、その中から現れたのは、かがみとつかさにほかならない。 「お帰りなさい」 「こなちゃんは!?」 つかさが前のめりに、いのりに問い詰めたが、 「そんなのわかんないわよ。携帯でもかけてみれば?」 かがみは携帯を取り出し、電話帳を開いた。 消えていたこなたの番号が復活している。間違いない。こなたはこの世界に確かにいる。 「もしもし、こなた。あんた、どこにいるの? ん、こっちに向かってるって? ああ、そうだったわね、今日は遊ぶ約束してたもんね。余計なとこによらないでさっさと来なさいよ、じゃあ」 かがみは、携帯を閉じるとほっとしたように胸をなでおろした。 「よかったよぉ」 つかさが泣きそうな顔でそう言った。 「二人とも、こなたちゃんが来る前にさっさと家に戻んなさい」 「うん」 足早に去っていく二人の背中に御幣を向けて、いのりは小さく祝詞を唱えた。 特定の記憶を消し去る『事忘れ』の術。 『時渡り』の術は秘伝中の秘伝であるから、『時渡り』をした者からは関係する記憶を消しておくこと──御先祖様が残した本には、そう書いてあった。 二人の記憶からは、過去に行って帰ってきたことはもちろん、こなたの消失騒動自体も消え去ったはずだ。 二人にとっては、こなたがいる普通に普通の日常が普通に続いている。ただ、それだけのはず。 週明け、月曜日、陵桜学園での昼休み。 いつもどおり三人で集まって弁当を広げる。 こなたは、黙々とチョココロネを食べながら、しきりに首をかしげていた。 「こなちゃん、どうしたの?」 つかさが問う。 「いや、なんかこう、何か忘れているような感じがしてね。DVDの限定版は予約したはずだし、忘れてることなんてないはずなんだけど」 「宿題とかじゃないでしょうね?」 かがみがそう突っ込むが、 「いやいや、最近は宿題も出てないし、大丈夫だよ。でも、なんか忘れてるというか、足りないというか、変な感じなんだよね」 こなたは、かがみとつかさを見回した。 いつもどおりの三人での昼食。何もおかしいところはないはずなのに、何かが変だ。 **コメント・感想フォーム #comment(below,size=50,nsize=50,vsize=3)
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