「…なんでわたしが」 そんな文句をこぼしながら、かがみはとぼとぼと道を歩いていた。 「わたしはクラス違うってのに…」 色々と連絡事項の書かれたプリントが入った鞄を、恨めしそうに眺める。風邪で休んだみゆきに届けなければならないものだ。 本当ならこなたが届けるはずだったのだが、『ごめんかがみ!予約してたDVDの発売日が今日だったんだよ!だから代わりに届けて!おねがい!』と拝み倒されて、しぶしぶ引き受けたのだ。 いや、最初はそれでもかがみは折れなかったのだが…最後にこなたが出した、『今度ケーキバイキング奢るから』という言葉で、わりとあっさり引き受けてしまったのだ。 「…弱いわね…わたしも…」 自分の軽率さを呪いながらかがみが歩いていると、前の方に一匹の犬が歩いているのが見えた。首輪をつけ、リードを引き摺っているところを見ると、飼い犬のようだった。 「あれ、あの犬って…」 かがみはその犬に見覚えがあった。 「もしかして、みなみちゃんとこのチェリーちゃん?」 かがみがそう呼ぶと、犬は振り返って一声吠えた。 「…反応したよ」 チェリーはテクテクとかがみの方に歩いてくると、お座りの姿勢でパタパタと尻尾を振り始めた。 「どうしたの?みなみちゃんとはぐれちゃったの?」 かがみがそう聞いても、チェリーは変わらず尻尾を振り続けている。 「ふう…どうしようかな…」 かがみは目の前にあったリードを手に取った。すると、チェリーは一声吠えると、立ち上がってかがみを引き摺るように走り出した。 「ちょ、ちょっと!?どこいくのよ!?ま、待って、待てってばー!」 静止するかがみを意にも返さず、チェリーはひたすらに走り続けた。 ‐ とあるお見舞い ‐ 「ねえ、ちょっと…どこまで行くのよ?ってかここどこなのよ?」 しばらく引きずり回されたかがみは、自分がいつの間にか見たこともない場所を歩いていること二気がついた。 いつもなら初めて歩く場所では、目印になる建物などを覚えて、最低限もと来た道を引き返せるようにしているのだが、チェリーを止めるのに必死になっていて、そんな余裕jは無かったのだ。 「あんた、帰り道知ってるんでしょうね?こんな歳になって迷子なんて嫌よ?」 不機嫌そうにそういうかがみに、チェリーはまかせろと言わんばかりに一声吠えた。 「…本当かよ…どうでもいいけど、大きいのとかしないでよ?ビニール袋とか持ってないから、処理できないわよ?」 電柱だの草むらだのを嗅ぎまわりながら歩くチェリーに、かがみは不安を覚えていた。 「いや、本気で道分からないんだけど…」 またしばらくチェリーに連れまわされたかがみは、少し泣きたい心境になっていた。 「…もうこいつ置いてって、どこかで道聞いて帰ろうかしら」 かがみが溜め息混じりにそう呟いた。すると、それに反応したわけではないだろうが、地面の匂いをかいでいたチェリーが不意に顔を上げて前の方を見た。 「なに?何か見つけたの?」 かがみもチェリーと同じ方を見た。そこには、見覚えのある女の子が、道の真ん中で何かを探すようにウロウロしていた。 「チェリー!どこいったの、チェリー!」 必死に名前を呼ぶその姿から、本当に愛犬のことが心配だと言う事が、かがみにも分かった。 「あんた、みなみちゃんを探してたのね…ほら、呼んでるわよ」 かがみは傍らでお座りをしているチェリーにそう言った。すると、チェリーはかがみの方を見上げて、首を傾げた。 「…なんでそこでクエスチョンな態度を取るんだお前は…」 ジト目で見るかがみを意に介さず、チェリーはその場で寝そべってしまった。 「おいこら、ちょっとまて。あんたみなみちゃんを探してたんじゃないのかよ…ってか、それならわたし引き連れる必要って無かったわよね?あんたは一体何がしたかったんだ…」 「チェ、チェリー…」 かがみがチェリーを問い詰めていると、すぐ傍から声が聞こえた。かがみが顔を上げると、目に涙を溜めたみなみが、いつの間にか傍まで来ていた。 「…いままでどこに…チェリー!」 感極まってチェリーに抱きつこうとするみなみ。しかし、チェリーはそれをヒラッとかわしてしまい、鈍い音を出してみなみが背後にあった電信柱に激突した。 「…なにをしでかすんだ、この馬鹿犬は」 かがみは思わずチェリーの頭を殴りつけていた。 「…大丈夫?」 赤くなった鼻を擦りながら近づいてくるみなみに、かがみが心配そうに声をかけた。 「はい、なんとか…」 かがみは近づいてきたみなみに、リードを差し出した。 「はい、これ」 「…ありがとうございます」 それをみなみが受け取ろうとすると、チェリーが急に立ち上がり、唸り声でみなみを威嚇した。 「え、ええ!?」 みなみが手を引っ込めて少し後ろに下がると、チェリーは威嚇をやめて、かがみの足に擦り寄った。 「チェ、チェリー…どうして…」 「えーっと…なにこれ?」 かがみはどうしていいか分からず、その場にしゃがみ込んだみなみを眺めていた。 その後、何度かかがみはリードをみなみに渡そうと試みたが、その度にチェリーに阻まれ、結局かがみがリードを持ったままみなみの家まで行くこととなった。 さて、どうしようか。かがみは困り果てていた。隣を歩くみなみ。二人の間の空気がじっとりと重い。話をしようにも、何を話せばいいのか全く分からない。二人の接点が少なすぎるのだ。犬を話題にしようにも、飼い主を拒む謎行動によって、なんとも言い出しづらい雰囲気になっていた。 「………」 みなみは先ほどから、チェリーとかがみを交互に見ている。いや、むしろ睨んでいると言った方がいいだろう。 わたしに恨みでもあるのか、この馬鹿犬。かがみは、そう心の中で悪態をつかずにはいられなかった。 「…柊先輩は、犬は好きですか?」 唐突にみなみにそう聞かれ、かがみはビクッと身体を震わせた。 「き、嫌いじゃないわね…い、一度犬を飼おうかって思ったことあったし…その、世話しきれる自信がなくて止めたけど…」 かがみがどもり気味に答えた。 「…そうですか」 みなみがかがみから視線を逸らした。 どうにもやりづらい。かがみはみなみに気づかれないように、こっそりとため息をついた。 しばらく歩いたところで、かがみは二人の間の共通の話題を思いついた。 「ゆたかちゃんって良い子よね」 こなたの家に遊びに行ったときに、何度か会ったこなたの従姉妹。 みなみと親しいと言う事も聞いていたし、これなら気まずくなることもないだろう。そう、かがみは思った。 「………」 ところが、みなみはゆたかの名前を出したと同時に、今度はあからさまにかがみの方を睨みつけた。 「え、えっと…」 なんとも言えないみなみの迫力に気圧されながらも、かがみは何とか言葉を続けた。 「あ、ああいう子が妹ってのも、ちょっといいかなって…」 「…柊先輩には、妹さんがいたはずですが」 かがみを射殺さんばかりの刺々しい口調で、みなみがそう言った。 「え、あ、うん。い、いるんだけどね。いや、つかさが不満だとかそんなんじゃなくてね。ゆたかちゃんみたいな子ってわたしの周りにいなかったから、話してみると結構楽しいっていうか…なんていうか…」 ますますきつくなっていくみなみの視線に、かがみの言葉が尻すぼみになっていく。 なんであまり話したことのない後輩に、ここまで憎まれなければならないのか。かがみは泣きたくなってきた。 「…ゆたかはわたしの友達です」 唐突にみなみがそう言った。 「う、うん。それは知ってるけど…」 「…友達なんです」 答えるかがみに、念を押すようにみなみはもう一回言った。そして、プイッと視線を逸らすと、歩く速度を速めた。 「あ、ちょっと…」 かがみはみなみを追いながら、本気で泣いてやろうかと考えていた。 「…着きました」 みなみが足を止めた。門柱にある表札に『岩崎』の文字を確認したかがみは、心底ほっとした。 「じゃ、じゃあわたしはみゆきんちに用があるから…えーっと…」 かがみが手に持ったチェリーのリードをどうしようか迷っていると、チェリーが急に走り出そうとした。 「え?あっ…ちょっと…」 かがみが思わず手を離すと、チェリーはそのままみなみの家の門をくぐって中に駈け込んでいった。 「えーっと…うん、まあいいか…」 呆気にとられ、チェリーのくぐっていった門をしばらく見ていたかがみは、何度か頷くとみなみの家の向かい側にある、みゆきの家の方を向いた。 「み、みなみちゃん、それじゃまた…」 「…柊先輩」 みなみに別れの挨拶をして、さっさとみゆきの家に向かおうとしたかがみを、みなみが引き留めた。 「な、なにかしら…?」 かがみは、恐る恐るみなみの方を向いた。 予想通り、敵意を持った視線でみなみがこちらを見ている。気のせいか、背後にはオーラのようなものまで見えた。 「…ゆたかは…ゆたかは絶対に渡しません!」 はっきりと力を込めて、みなみがそう言い切った。 「………はい?」 心底間抜けな声がかがみの口から洩れる。 「え、えっと、ちょっと待って。一体何のこと?」 混乱する頭で、かがみはみなみにそう聞いた。 「…とぼけないで下さい…チェリーに続いてゆたかまでもなんて…絶対に、許しません…」 「いや、えっと、何のことなの…」 かがみはなんとか考えをまとめようとし、一つの結論に至った。 「…みなみちゃん。もしかして、わたしがゆたかちゃんを…その…手篭めにするとか、考えてない?」 「…え?」 恐る恐る聞くかがみに、こんどはみなみが間抜けな声を出した。 「…ち、違うのですか?」 「…ぷ…くくく…あはははははっ!」 かがみは思い切り笑い出した。 「ないない!そんな事ないに決まってるでしょ!っていうかどうやったらそんな勘違いするのよ!」 文字通り腹を抱えて笑いながら、かがみがそう言った。 「…えっと…その………すいません…」 真っ赤になって縮こまり、消え入りそうな声でみなみが謝った。 「安心してよ。そんな気、全然ないから…あー可笑し、二人してなに馬鹿みたいなことしてんのかしらね」 笑いすぎで出た涙を拭いながらそう言うかがみに、みなみはひたすら頭を下げていた。 「…ってな事が、来る時にあってねー」 かがみは当初の目的であるプリントを渡しながら、さっきの出来事をみゆきに話していた。 「それは、大変でしたね…すいません。わたしの為に」 「いや、みゆきは悪くないでしょ」 謝るみゆきに、かがみがひらひらと手を振ってそう答えた。 「それにしても、なんでみなみちゃんはあんな勘違いしたのかしらね?」 「そうですね。いくらかがみさんが小さな女の子が好きだといっても、そんな事するはずがありませんよね」 「…ちょっとまて」 なにか引っかかる。 「今、なんて?わたしが何だって?」 かがみはみゆきの言葉に、とんでもないものが混じっているような気がした。 「え?かがみさんが小さい女子が好き…ですか?」 まるで常識であるかのように、みゆきがすんなりと答えた。 「まてまてまて…なんでそんなことになってるのよ」 「かがみさんは泉さんと凄く仲がいいですし。以前、泉さんが『かがみはわたしの嫁だ』って仰ってましたから…」 かがみは頭を抱えた。 「いや、あのな…こなたと仲がいいのは友達だから当たり前だし、こなたのその台詞はただの冗談だぞ…」 「ええ!?」 みゆきは心の底から驚いていた。冗談だとか勘違いだとかは微塵も思ってないように。 かがみはその様子を見て、酷く嫌な予感がした。 「ねえ、みゆき。もしかして、そのことみなみちゃんに話したとか言わないわよね…」 「………話しました」 かがみは再度頭を抱えた。 「…あんたが原因か」 「…す、すいません」 かがみは、申し訳なさそうに頭を下げるこの天然女王をどうすべきか少し考え、更に嫌な考えに行き着いた。 「ねえ、みゆき。その事、みなみちゃん以外の誰かに話したとか言わないわよね?」 少しドスの効いた声でかがみがそう聞くと、みゆきは怯えたように身を縮こませた。 「…えっと…その…つ、つかささんにも…」 かがみは無言で、自分が履いている客人用のスリッパを脱いで手に取ると、底面をペシペシと手の平に打ち付けて、感触を確かめた。 「あ、あの、かがみさん。スリッパはそのように使うものでは…えと…わたし、一応病人ですし…その…ま、待ってくだ」 かがみがみゆきの頭に振り下ろしたスリッパは、録音したくなるほどの良い音を部屋に響き渡らせた。 - おしまい -