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彼のお父様 - (2009/11/28 (土) 13:41:26) の編集履歴(バックアップ)


私は今札幌に来ている。 彼は今日、彼のお父様の新盆の法要があったらしい。
私の家では先祖が京都なので、 いつも八月に親戚が集まり「うらぼんえ」をする。
小さな頃から「うらぼんえ」という音を聞いていたけれど、 今回初めて漢字を調べた。
盂蘭盆会と書くらしい。
うちは、しきたりに厳しくて、お仏壇と精霊棚をお飾りして、先祖代々の位牌を並べて、様々なお供え物を盆器に盛り上げて、 先祖や死者の霊を家に迎え入れて、ご馳走して供養します。
何日目かによって、お供えする食べ物も決まっています。
新盆の場合は、家紋入りの白提灯を並べます。
迎え火や送り火を焚いたり、 茄子の牛やきゅうりの馬を作ったり、 里芋、ホウズキ、小豆、粟、枝豆などを逆さに下げたり、 ミソハギや水の子を置いたり準備が大変です。
お盆の終わりには、提灯で案内するようにして 霊を墓地まで帰らせます。
この後にお寺にその提灯をおさめます。
そして、お供え物は、白木の盆と精霊舟などにのせて、 川に流します。 子供の頃からこうして川に流していた、と彼に話したら、要領を得ない顔をしていたので、 これは地方独特の風習なのかも?
去年お星様になってしまった、彼のお父様のこと、私は本当に、心から尊敬し、とても大好きだった。
一緒に住みたい、と心から願っていた。
お父様が生きていて、彼と結婚をしたら、絶対同居をすると決めていた。
それは私の希望だった。
もう高齢で身体も弱っていたから、介護生活になることはわかっていたけれど、それでも一緒に暮らしたかった。
私と彼のお父様には、彼の知らない思い出がたくさんある。
短い期間だったけれど、何度も二人だけで過ごした 大切な時間がある。
思い出すと、涙が止まらなくなってしまうので、今は心の奥にしまって、思い出さないようにしているほど、 彼のお父様との時間は、私にとってかけがえのない、大事な思い出で、宝物だ。
私がいたらなくて、お説教されることもたくさんあったし、怒られて何度も泣かされたし、感動的なお話を聞かせてくれて、泣いたり笑ったり、本当に楽しく有意義な時間だった。
彼とのことで悩んでいた時も、彼のお父様だけが理解してくれて、私の心の支えになってくれた。
彼の味方をするわけじゃなくて、私をかばうわけじゃなくて、 公正な判断をしてくれた。
彼のお父様の為にお料理を作ることは、とても幸せだった。
いつも、深々と頭を下げて、ありがとう、とお礼を言って 喜んでくれた。
温かいスープやお味噌汁を作ってあげると、お父様は必ず涙を流して喜んでくれた。
いつも、フリーズドライや、インスタントのカップのお味噌汁や スープばかりしか食べていないようで、 お鍋でおだしから作る、新鮮な野菜をたくさん入れたお味噌汁をとても喜んでくれた。
お重に詰めたお弁当を持っていくと、全種類一口ずつ ゆっくり召し上がって、味わって、喜んでくれた。
お誕生日のお祝いをしたことも、お正月におせちを囲んだことも、 大切な思い出。
私が行く時も、帰る時も、必ず手を握って、挨拶をして 感謝の言葉を口にする紳士だった。
いつもパジャマ姿だったけれど、その中身はとても立派だった。 人格者だったと、今でも思う。
今でも悲しい時や苦しい時に、彼のお父様の言葉を思い出す。 本当に素敵な人だったのだ。
もう、家の中を歩くことが精一杯の身体だったので、 一緒に旅行をしたり、デパートでお買い物をしたりすることは できなかったけれど、 でも、彼の家でのお父様と過ごした時間は、今でもはっきりと 私の心の中に残っている。

(終わり)