&bold(){letter} Wed, 30 Aug 2006 12:29:10 GMT 今日、素敵なお手紙を受け取った。 郵便ポストに入っていたわけではなく、手渡しで頂いた。 達筆な字で、綺麗なお花の絵が描かれてある和紙の便箋に書かれてあった。 内容も、涙なしでは読めない、心のこもったものだった。 手紙には、書いている人の感覚が乗り移っていて、その人の気分や息遣いまでもが 相手に伝わってしまう。 手紙の言葉は後々まで心に残る。 書き手が文字を刻み付けた時間の長さがパワーとなって相手に伝わる。 普段は照れて言葉にできない、口に出せない感情を、相手に伝えるには、手紙は最強の手段。 母から教わったことだけれど、私は女性らしい美しい手紙を心がけている。 封筒、便箋、切手選びから文字にまで気持ちを込めて、勿論文章にも心を込めて、 勿論文章にも心を込めて、美しい手紙に仕上げるのだ。 受け取った相手が、ふんわりした温かい贅沢な気持ちになれるような手紙を送る。 私は手紙を書くのが大好きだし、私の友人知人は手紙を送ってくる人が多い。 かしこまったものではなくて、葉書であったり、ほんの数行のお手紙だったりするけれど、 でも、手紙を送ったり受け取ったりする関係のお友達や知り合いがたくさんいることに、 私はとても喜びを感じる。 先日の妹の誕生日にも、同居しているけれどお祝いのお手紙を書いたし、家族も同じように 考えているようで、結婚した妹からも、母からも、手紙が送られてきていた。 手紙のやり取りが習慣になっていることは、両親の教育のおかげだと思う。 これは本当に感謝している。 つい先日親戚が集まった時に、お習字の先生をしている叔母様がいて、お習字習いにいらっしゃいよ、 ということから、お手紙のお話になった。 母に、彼から手紙をもらったことがあるの?と聞かれたので、私が手紙を書いて、とお願いしたことは あるけれど、 「後から手紙に書いたことを言われたり、誰かに見せられたりするのがイヤだから書きたくない」 って言われたことがあるわ、だから当然のごとく彼からお手紙を頂いたことはないわ、と答えると、 「あら~まあ~」 「寂しい人ね~」 「可哀想な方ね~」 「随分と心がひねくれたお方ね~」 「愛情が感じられないわね~」 「冷酷な人ね~」 と親戚中から散々言われてしまった。 でも、確かに、私も彼のその発言には、本当にガッカリした記憶がある。 私は、今まで他の方から頂いた手紙を、誰かに見せたこともないし、手紙の内容を後日話すこともない。 多分彼は、そういう、手紙のやり取りの経験がない人なのだな、と思う。 本当の心の交流を持ったことがない人なのだと思う。誰とも。 私は、彼に対して、不平不満が多いけれど、愛情溢れる手紙を一通でも受け取っていたならば、 そういう不満を持った時に、手紙を読み返して、落ち着いたりするものなのだ。 若い頃、遠距離恋愛していた時に、寂しくなったり不安になると、手紙を読み返して、 安心したことを思い出した。 e-mailでも良いけれど、携帯メールは不可。 携帯なんて、最小限の連絡事項を伝え合うだけでしょ。 自分の気持ちをきちんと伝えるための文字数には足りないでしょ。 せめてpcで送ってくれるメールならば、まぁ許せるけれど。 それさえ、今の彼はないから。 本当に、私に対して愛情があるのかさえ、疑問だ。 (終) [[桜の欲求不満日記]]