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迷言・珍言集 - (2006/11/03 (金) 10:15:13) の編集履歴(バックアップ)


義家弘介のマスコミ上での迷言・珍言を集めました。※()内は出典

○実家は長野の旧家
○長野の進学校に進学。(注:校名は明かさず。私立長野俊英高校説、県立南高校説有)
○トップ校に合格する実力はあったが、姉が弘介がくるなら学校を辞めると
言ったので、二番目の高校に進学した。(サンケイ新聞)
○腹ちがいの弟をいじめていた。
○姉・弟を殴る蹴る、義母を階段から突き落とし、実父をメリケンサックで殴り
病院送りにした。(不良少年の夢)
○実父に復讐するため、空手を10年習い、ブルース・リーのような立派な体になった。
(サンケイ新聞)
○交際していた女生徒に注意した担任の頭に火をつけて燃やした。
学校側の処分は「進路変更指導」、なぜか退学にもならず警察にも捕まらず、
「児童相談所」送りとなる。(不良少年の夢)
○高校時代野球部に所属、理不尽な練習を押し付ける監督を殴って中退。
(桜井翔との対談より)
○自殺したくなり、893にケンカを売り、山に捨てられた。
○893にボコボコにされるが、耐え続ける姿に893がビビった。
○北星余市に編入、寮で先輩にケンカを売りリンチされるも、自分で足の爪をナイフではがし
ケジメをつける。翌日の遠足で最後まで歩きとおし、仲間から一目置かれる。
○明治学院大学法学部入学。(2部説有)
司法試験合格間違いなしだった。(サンケイ新聞)
○卒業後、大手予備校に就職。(注:本当は大手進学塾)
○北星余市高校に就職。
1年目は専任講師、2年目からクラス担任を受け持つ。3年間持ち上がりなので、
担任したのは1クラスだけ。5年目は生活指導部長となる。6年目で退職。
○クラスの女生徒(高1)と交際、妊娠、中退させ、デキ婚。5月出産。
(教育委員になった直後のインタビューでは、中退後交際を始め1年半後に妊娠発覚と
言っている。LEE2005年6月号)
○退職の理由は同僚教師・PTA・寮関係者からの「妬みにも似た」副業批判とブログとマスコミ上で語る。
○日記によると、6月に芸能プロ「ケイプランニング」に所属(学校にはスケジュール調整のみを
委託と説明)、有料携帯サイト「ヤンキー先生の悩み相談」を開設していた。
○経済的理由で学校を辞めなければならない生徒のために「義家基金」を設立した。
(なぜか、学校ではなく基金のためのお金を退職した恩師安達に渡したと日記に書いている。北星余市高校のHPには義家基金の記述はない。)


○著書では「実母が会いにきた」、週刊アスキーの対談では「実母とは生き別れ」。
○「非嫡出子」を読めない司法試験合格確実の人。
○「現場」「白紙」「中退」の意味か使い方の、どちらかを理解できてない。
○渋滞に巻き込まれ「ハードな運命」
○セットアップは地獄の苦しみ

○北星余市に編入、寮で先輩にケンカを売りリンチされるも、自分で足の爪をナイフではがし
ケジメをつける。翌日の遠足で最後まで歩きとおし、仲間から一目置かれる。(不良少年の夢)
後のインタビューでは、両足全部の爪(10枚)をはがしたとなっている。(サンケイ新聞)

○実父に復讐するため、空手を10年習い、ブルース・リーのような立派な体になった。
いまだ流派も一切公表せず、また写真なども公開していない。
ちなみにブルース・リーのような立派な体がコレ↓
http://www.hbc.co.jp/tv/info/yoichi_series/series3.html

○スッキリ!(5/1)で戸塚ヨットスクール校長と対談。
 「自分も高校で殴りかかってきた生徒を殴ったことがある。
  生徒が退学になってしまうから、その前に殴った。」と発言。

○情報ツウで実父を「おとうさん」実姉を「おねえさん」と3回も言う。

○「生徒を殴るわけにはいかないから机を殴り、手を骨折した」(幸せって何だっけ カズカズの宝話)

「格闘技通信8月8日号」の対談で、“すい臓、肝臓、腎臓、全摘でした。”と発言。

○鰯の漁獲高が減ったという話題で、「鰯は魚に弱いと書く、鰯をバカにしたからだ」と発言するも、司会の加藤に「誰もバカにしてませんよ」とうっちゃられる(スッキリ)

○敷島製パンの横領事件の話題で、愛人の子どもについて「ヒテキシュツシ」という。「非嫡出子」が読めなかった。(情報ツウ)

○「剣道を小学校の必修にしろ」と提言。理由は「子どもに痛みと卑怯を覚えさせるため」。(週刊文春)

○「生徒の悩みを聞くには二人っきりでドライブデートをするのが一番」(週刊朝日)

○ヒキコモリの男子生徒の下宿に押し入り、ゲーム機を壊した。(月刊現代)

○HBCのディレクターに自分のドキュメンタリー番組を作るように話を持ちかけたのは自分であり、そのおかげで学校は経営難から脱した。(ヤンキー先生の教育改革)

○講演会やマスコミ上で食育の大切さを説くが、自分の3歳の息子をマクドナルドやピザ屋に連れて行ったとエッセイに書く。

○中学生のとき、義母の作った弁当を捨てた。(読売新聞)

○教育委員会が進めているスクールセクハラ対策(教師と異性の生徒が校内で二人っきりになることを避けるように指導する)に反対。理由は「教師を信頼して家出してきた女生徒がいた場合、他の教師を呼んだら信頼関係が壊れる」。(週刊文春)

※コラムの文中にはなかったが、この教育委員会とは実は神奈川県と横浜市であった。

STOP!スクールセクハラ

http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kyoikusomu/jinkendowa/stop.htm


○「これで日本全国46都道府県のすべてで講演をした」と日記に書く。(2006.10.28営業日誌)

○ハガキの値段を60円と答える。(爆笑問題 太田光の私が総理大臣だったら)

本当に社会科の教師だったのだろうか?

塾業界で講師をやり、そこで社会科主任をやった者として、評価できない。(横浜市教育委員会臨時会議2006.9.26)

○霞ヶ関を通ったら、東京都の教員が教育基本法改正案反対の座り込みをやっていた。履修不足問題で生徒たちが不安なときなのだから座り込みをしている場合ではない。(スッキリ!2006.11.2)