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山崎英二(88年度) レーニン山行 - (2006/10/24 (火) 11:21:46) のソース

**山崎英二(88年度) レーニン山行 
***山域
キルギスタン レーニン峰(7,134m) パミール高原 ノーマルルート(ラズジェリナヤ・ルート 単独行)
***時期
2001年7月20日(祝)~8月12日(日)24日間
***メンバー
山崎英二(88年度)

***7月23日 晴れ (BCからC1往復 1回目荷揚げ)
#ref(01.jpg)
5:45 起床
6:32 体温36.3 パルス92-61〈血中酸素濃度値(%)-脈拍(回)〉※平常値100%
9:45 BC国際キャンプのメディカルチェックを受ける。
11:28 BC発 他国登山隊のジープに同乗できるとの誘惑に負け大幅に出発が遅れた。
12:15 車止め 3,875m
13:22 4,170m探検家の峠着 昼食 展望は絶景でレーニン氷河がとても迫力ある。マーモットが数匹顔を出す。
14:12 同峠発 かなりガレていて下りが滑りやすくストックが役に立つ。
15:15 4,065m 氷河取付口の沢を通過 氷河上は歩きづらく、ルートが分かりにくく、ヤクの糞を頼りに歩き
        やすい道を選ぶ。氷河上にも所々に川があり、起伏も激しい。
        クレバスも避けて迂回しつつ歩くと予想以上に時間がかかった。雲行きが怪しい。
17:10 4,390m みぞれが降り出す。
18:05 頭上で雷も鳴り出す。C1手前であったが、岩陰にデポして直ちに引き返す。
        雷が轟く中、氷河上を駆け下りる。いつ自分に落ちてもおかしくない。
        避難する場所も無く、ただひたすら神に祈りつつ駆け下り少々のクレバスも飛び越えていく。
        氷河から沢へ続く退路を見落とさないか不安だった。
        暗くなるまでに氷河帯を脱出したかった。デポ後の軽装につき、見落としは絶対に許されなかった。
19:32 無事氷河降り口を発見し、沢にて軽い休憩を取る。
20:15 探検家の峠着 夜のとばりがいよいよ降りてきた。急がねばBCに帰り着けない。
        ヘッドランプを出し慎重に急斜面を降りてゆく。
20:59 車止め着 喉は渇ききっていた。帰路、雨による増水で川幅が広がり、渡渉もままならず、
        15分以上右往左往して渡渉場所を探した。体は冷水で冷え切った。
21:45 BC着 疲れきってその晩は食事もろくに通らず、熱い紅茶を飲んでから倒れ込むように眠った。
***7月24日 強い雨、霧 (BC停滞)
8:00 起床 体温36.2 パルス90-66
        思ったほど疲れは残っていないが、昨晩の渡渉時に腰をしたたか打った箇所が痛い。
        デポ地点やC1は雪だろう。ザックも埋まってしまうだろうか。
        今日は停滞にして出発の準備と休養に充てよう。予定外だが先は長い。
        雨具の防水が無いのが悲しかった。
        エージェントに依頼したブタンガスはEPIではなく韓国製の見慣れぬものであったが代用できたので
        ほっとする。空のEPIガスボンベへのガス充填は必要なかった。
13:00 体温36.7 パルス89-64 少し下痢気味で、尿にも血が混じっているのが心配だ。もう少し様子を見よう。
        風が強いにもかかわらずガスで視界は利かず、雨は雪に変わった。
        BCでこれだけの風なら山はどうなのか考えると少し気力が萎えるほどであった。
19:30 パルス90-60 日程的にあまり悠長に停滞もできない。
        山で慎重に行動する分、下界では少し冒険も必要かなと考え明日の出発を決意する。
        急激に気温は下がっていた。
22:40 消灯 気温4度
***7月25日 快晴 (BCからC1へ 2回目荷揚げ) 
6:00 起床 体温36.7度 パルス92-63
    体が完全に順応している
9:20 BC発
9:45 車止め発
10:37 探検家の峠直下4,000m地点 積雪と赤土が混ざりとても滑りやすい。
10:58 探検家の峠 各国登山隊と行き違うがいずれも登頂できなかったと聞く。
11:34 氷河取付口の沢通過
11:56 氷河上にて休憩 氷河上はびちゃびちゃで照り返しがきつい。10本はクレバスを越えただろうか。
14:38 デポ地点着 ザックはすぐ発見できた。
14:50 4,385m C1着 パルス88-96 どこからともなくポーターらしき人間が食糧等のセールスに来たが
        キルギス語でよく判らん。断るのも面倒くさかった。突然、西の岸壁にて大雪崩が発生するも約1Km先
        ぐらいでC1の位置的にも影響はなかったが、誰もが肝を冷やしたことであろう。
        変な言い方だが壮大な雪崩に震えるほど感動した。
17:10 夕食 パルス86-79 今日の自分へのご褒美にわかめラーメンとパンで食事する。
        頭痛、空咳無く、むくみも無い。
        登頂できず帰路途中の韓国人ガイドをテントに招き入れコースの状況を聞いた。
        ここ数年天候も悪く登頂者が少なく難しいとの情報を聞くも雑談に花を咲かせ楽しい夜を過ごした。
***7月26日 晴れ (C1からC2往復 高度順応兼第1回荷揚げ)
起床時間不明 パルス83-64
#ref(02.jpg)
7:45 C1発
9:55 オーバーハング雪壁 フィックスロープあり。
11:11 4,920m 休憩 暑い。日焼け止めも役に立たないほどだ。
        小さな雪で隠れたクレバスが多数ある。
        気温で少しずつ姿を変えているようだ。下山時にガスると怖いと思った。
11:48 5,015m 休憩 口を尖らす呼吸法が功を奏しているか。レーニン峰の北壁下。
        雪崩の心配は無さそうだが、常に頭上が気になる。呼吸が荒くなると喉が渇く。
12:46 荷が重く、体も高度順応していないためかとにかく辛い。俺は何をやってるんだろう。
        何もかも投げ出したくなった。完全に水が無くなった。
13:31 5,245m C2が見える雪丘 C2に6つほどのテントが見える。
14:38 5,295m C2着 喜びは無かった。岸壁から流れる雪解けの水場に意識朦朧として這っていく。
        涙出るほどうまかった。フラフラでテント設営するもままならない。
15:20 C2発 ほんとはC1に戻りたくなかった。誰にともなく罵声を口にして駆け下りていった。
        単独行のクレバス帯通過の怖さを知る。アンザイレンで確保されて歩きたい。
18:00 C1着 夕食はスープだけ飲んだ。
        行動中にすれ違った韓国隊のテントにお邪魔してご馳走になり愉しい一時を過ごした。
        下山するからと韓国製のお菓子や食料をもらった。
***7月27日 晴れ (C1からC2へ 第2回荷揚げ)
5:30 起床 パルス未測定
6:50 C1発
8:32 オーバーハング雪壁 アイゼン前爪が刺さらず苦労する。
11:20 順調だ。呼吸も苦しくないし、荷も重くない。
14:25 C2着 ラズジェリナヤ峰から押し寄せた新しく大量の雪崩跡が確認できた。
17:00 パルス79-102
        今日はC2までの荷揚げ完了のご褒美に日本の味インスタント「天ぷらそば」とアルファ米を食べた。
        うれしい。18時から雪が降り始めた。でもこの雪は毎日降る生理現象のようなものだろう。
***7月28日 晴れ (C2からC3往復予定 第1回荷揚げ、ラズ峰にデポ)
起床時間不明 パルス72-62
7:00 風が強く吹雪のようでもある。ラズ峰に登れればよいが停滞でもいいかな。少し様子を見よう。
        新高度の寝起きはやはり頭痛がある。久しぶりの独特の頭痛だが決してうれしいものではない。
9:03 C2発 稜線まで急なルートをとる。斜度60度はあろうか。平衡感覚も怪しい。
10:12 赤岩稜線上
11:26 5,700mラズ峰手前の小ピーク
        膝上までのラッセルでもきつい。これまでこんな苦しいことあったか。
        左側の谷はC2まですっぱり切れ落ちており、トラバースは非常に神経を使った。アイゼンに雪が絡む。
14:30 ラズ峰の肩 (ラズ峰頂上は広く少し離れている)天候が変わり始めた。
        ホワイトアウトすると帰路が判りづらくなる。
        やむを得ず目安となりそうな特徴的雪だまりに、5mビニール紐を結んだ荷をデポして下山開始。かなり視界が悪い。
        途中3人のパーティーに出会いC2への撤退を薦めるが、日程が少ないとの理由で突っ込んでいってしまった。
16:07 C2帰着 ガスと大粒の雪でテントを探すのも大変だったが、半分荷揚げを終えた安堵感がある。
        体温37.6 パルス66-96 今日の激しい行動のせいか高度障害か少しカラ咳が出てきた。
        その夜はしんしんと雪が積もっていた。
***7月29日 雪 (C2停滞)
起床時間未定 パルス未測定
#ref(03.jpg)
天候が悪いままなのでしばらく様子を見ていたが停滞を決意。ひたすら寝る。
10:45 パルス77-61 頭痛あり。C1発以来の最悪の下痢に悩まされている。水のせいか。
        休養日は晴れて欲しかった。
        濡れたものを乾かして気持ちよく寝たいものだ。
        昨日の夜は極度の疲労のせいかあまり眠れず、
        孤独で気が狂いそうになった。
        干し梅と干し昆布を食べる時だけ幸せだった。
        こんな精神的にまいることはあっただろうか。狭い。何もかもがネガティブだ。数泊しても天候が優れず
        下山したパーティーがあったと話を聞き気を重くしている。
        夜中ずっと四方八方で雪崩の崩落する音がやまなかったし、息苦しくて起きるとテントが埋没していた。
        何度も寒風に身をさらしテントに積もる雪を払いのけるのが辛かったというより悲しかった。
***7月30日 雪 (C2停滞)
起床時間不明 パルス80-75
少し晴れ間が見え希望が出たが、すぐに本降りとなってきちまった。やんでくれー。朝食はピスタチオとビーフ
ジャーキー数枚と緑茶。もう水を作るのはいやだ。食事もいらない。トイレも行きたくない。無気力だった。
横になっても日本に帰って何を食べようか等考え、その度に空しくなってため息ばかりついていた。
湿気と汗でべたべたしている。風呂に入りたかった。
鏡をのぞくと皮の剥けた汚い顔に落ち窪んだ目があるだけでかえって滅入った。
とうの昔に寝癖等風貌への配慮は失せていた。狭い場所にいたくなかった。気晴らしに歯を磨く。
口をゆすいだ水をテント外に吐き出すことも面倒で我慢して飲み込んだ。
トイレの際にすれ違う人も首を振るだけで会話も交わすことがなかった。
夜気晴らしにC2に置いていく荷とC3へ上げる荷物を最終的に整理した。
昨日今日と俺は人間じゃなかったような気がする。明日天気が荒れようが行動してみよう。
***7月31日 雪 (C2からC3へ試みるも途中撤退) 5:00 起床 パルス73-101 昨日ほどではないが雪がやまない。
 9:06 体が気持ち悪いし、自分にもめげてきたので無理やり行動を開始したが、積雪と吹雪に打ちのめされ、
        5,570m付近で敗退した。戻ってくると他パーティのテントが減っている。
        レーニンの悪天候は長引くとの情報と、数日の積雪もあって登頂困難との見解で3パーティほど下山したと
        1人のロシア人が教えてくれた。彼のパーティもテント撤収後下山するという。
        彼らもしばらく歩いて振り返り「お前も早く帰れよ」と手招きのような仕草をした。
        トレースを残し遠ざかるパーティーの姿がねっとりしたガスと雪にかき消されるのはあっという間だった。
        再び下山時のクレバス帯通過の怖さがこみ上げてきた。しばらく誰も上がってこない、下山してこない。
        C2は自分と1パーティを残すのみとなった。ああ、ラズ峰のデポは大丈夫か。
        見つからなかったら‥不安がよぎる。
        19時過ぎから急激に気温が下がってきた。寒さと孤独で気が狂いそうだった。
        明日晴れる期待だけを拠り所に床についた。
18:20 パルス80-90

***8月1日 晴れ (C2からC3へ第2回荷揚げ予定、デポ紛失のためC2に撤退)
5:00 起床 パルス未測定
7:06 C2発 晴れた。しばしうれしかったが、予想通り雪が深く、急登では遅々として高度を稼げず泣きたくなっ
        たが、稜線では順調に距離を稼いだ。デポが気にかかる。
9:00 ラズ前小ピーク
        ラッセルがさらに過酷になる。昨晩の急激な気温低下で雪面の硬さはあったが、重荷のせいもあって踏み
        抜くと胸までもぐるところもあった。泣き言を言いながら泳ぐように這うように登っていく。
        ルート選びも困難でかなり発達した雪屁を踏み抜かぬよう注意した。
14:06 ラズ峰肩到着 これまでの格闘に打ちのめされ疲労困憊していたが、休む間もなくデポを探し回った。
        どこを探してもデポはおろか目印のビニール紐すら発見できなかった。
        そりゃ3日間も大雪に放置されたらデポも怒るか。その場に倒れこんで「マジかよ」を連発した。
        冷えていく体に我に返るも、しばしザックに腰掛けて呆然とした。これまでの苦闘した道のり、
        失った時間と荷物の影響、日程消化、今後の天候への失望で頭がぐるぐる回っていた。
        失望感は徐々に自分への苛立ちに代わり「もうだめだ、撤退だ」と吐き捨てて立ち上がった。
        頂上へ続く急斜面のルートを振り返りつつ、何度も崩れ落ちるように急坂を下った。
        帰路はほとんど覚えておらず、いろんなことを考え、自分を納得させる理由、言い訳を探していた。
        今日デポを回収しC3まで辿り着いていれば明日ピークに挑戦できたのに。どのくらいこの好天は持つのだろうか。
        昨日からのモチベーションが高かっただけにかなりの失望感に満たされていた。
16:12 C2着
        到着後もしばらく呆然としていたが、畜生、畜生と口にしていたらいつの間にか「どうせなら挑戦して
        打ちのめされてから帰ろう」という気になっていた。
        ショックを闘争心に変えて登ってやる、無難に登ってもつまらんと考えることにした。
        残るたった1つのテントと装備、食事と燃料のやりくりを考えてもう1チャンスにかけよう。
        装備食料を計算しザックに詰め込むまで、意識してハウンドドックばかり口ずさんでいた。
        テンションを下げまいと遅くまで寝付かれなかった。いや今日の行程で疲労し過ぎだったせいもあると思う。
○デポで無くした物
        C3用1人用テント1式、フリースインナー下、ブタンガス2缶、テルモス、コッヘル中及び食器、約4日分の豪華食料
***8月2日 晴れ (C2からC3へ 第3回荷揚げ)
5:00 起床 パルス未測定
6:52 C2発
        結局、帰還時用の燃料のみを若干残し、C2テントをはじめ殆んどの荷物を背負い出発。
9:15 ラズ峰前小ピーク
12:45 ラズ峰肩 雪も安定してきたことと、体が完全に6,000mに順応してきた感じでペースがあがっていた。
        昨日の自分の残したルートが若干残っていたせいもある。
13:20 C3着 コルに位置するC3は思ったより風が強くなかったが、唯一のテントを失うわけにはいかないので、
        雪を掘り下げスノーブロックを積み慎重にテントを設営した。
        オーストリア人パーティーは単独行の変わった日本人が来たと知り、テントに現れ「サムライ、サムライ」と
        気軽に声をかけてくれた。彼らもこの3日間強風と雪と高度障害に悩まされC3で停滞していたとのことだ。
14:28 パルス62-110
        テントに潜り込む。素直にC3まで来れたことがうれしかった。なんとか明日まで天気が持って欲しいと願う。
        夕食もここは勝負どころと残る豪華食材インスタントラーメンと白米にお茶付とフルコースにした。
        MSRは6,000mでも元気に燃えてくれた。水を作りポカリスエットを混ぜる。
        時間切れのため頂上直下で撤退した韓国隊にC1でもらったものだ。
        早朝C1を出るときに送ってもらった彼らの姿が思い出される。明日はこれを飲むたびにがんばろう。
        気がついたらあちこち筋肉痛で痛い。今日はゆっくり休もう。
        テント内は自らの吐いた息の水分がびっしり凍りつきランプの光でキラキラしていた。
        空には怖いほどの星が瞬いていた。
18:48 体温37.2 パルス71-100
***8月3日 晴れ (C3から頂上往復)
#ref(04.jpg)
 2:00 起床 パルス未測定 強風にテントが煽られ起きる。
        ところどころ星が見えるが、ガスに巻かれ出発の見極めができない。
        しばらく様子を見よう。
 4:00 オーストリア隊のテントが行動を開始したので、
        つられて食事を取りつつ天候の回復を願う。
        コースタイムから考え、もうタイムリミットが近づいていた。
 5:55 C3発 斜度60度はあるのではないか。アイゼンが鳴く。
        呼吸が荒くなる分、喉は常に渇いていた。
        先に出発したオーストリア人パーティーとは抜きつ抜かれつだったが、そのうちいなくなっていた。
        振られ流動していたはずなのに、いよいよ水は凍りつき飲みたくても飲めなくなった。
        テルモスを失ったことが悔やまれる。疑似ピークがいくつもあり精神力も少しずつ萎えていくのがわかった。
        ダイヤモンドダストが嫌いになった。顔も少々凍傷ぎみか。
14:24 7,134m 山頂着 とても広い山頂の一部岩肌にレーニンのレリーフが埋め込まれていた。
        手を伸ばし自らにカメラを向けて一枚とった。
       (後で気づくがズームのひねり間違いの為、顔アップで背景が写らなかった。悲)
        念願のシャボン玉を吹くも、実は退路のことしか頭に無く早く帰りたかった。
        下山路では体に力が入らずしばしばアイゼンもひっかけ転倒した。
        高度障害と思われ、また脱水症状とも思われた。
        ポリタンの水は完全に凍りつき砕いて口に入れることもできなかった。
        日が傾きかけると天候が急変し西の谷から大量の雲が沸いてきた。
        強まるブリザートが往路のアイゼン跡をみるみる消していく。天候との競争が始まった。
        急斜面でもしばしば転びそうになる。最後の長い急斜面も日中の融雪と風で磨かれガチガチになっていった。
        転ぶことは決して許されなかった。ガスの切れ間のはるか眼下にはC3のテントとヘッドランプの灯が揺れていた。
18:48 C3着
        最後の急斜面はC3にいる登山隊からの応援が心の支えとなっていた。
        彼らは到着するだいぶ前からテントの外に出て「サムラーイ」と何度も声をかけてくれていた。
        彼らは手荒い握手と熱いお湯をたっぷりくれた。体中に熱い電撃が走った。
        張り詰めた緊張感が一気に緩んだら涙が出てきた。
        登頂した達成感なんかより今こうして見ず知らずの自分を喜んでくれる人がいるだけで十分幸せに感じた。
        彼らは高度障害と時間切れのため早めに撤退していたが、自分の登頂と帰着に気をかけてくれていたことが
        わかった。
        彼らのおもてなしもほどほどに、テントに戻りマッシュポテトにふりかけをかけた軽食で済ませ、死んだように眠った。
20:43 体温37.6 パルス72-110
***8月4日 晴れのち曇り (C3からC1へ)
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 7:25 起床 パルス76-84 頭痛もするが体中が筋肉痛で痛い。
        風が相変わらず強かったが、ご来光がとても綺麗で久しぶりに見入ってしまった。
        夢を見ているようだった。
 8:12 C3発 ラズ峰肩付近で再びデポを探すが見つけることはできなかった。
        何度も自分が踏み固めたルートを懐かしい友のように感じるというか、
        もったいないような複雑な心境で
        下山していると、BCで共に過ごしたオランダ人3人パーティが上がってきて、
        これまた握手と熱い抱擁を繰り返した。
        なんだかこんな殺風景な雲上で抱き合うのはとても滑稽に感じたが‥。
        お互いの健闘を称え、再びの再会を願い別れるとC2まではあっという間だった。
10:16 C2着 C2は各国登山隊で賑わっていたが、どの隊も天候を気にしていた。
        雲は既に西の空からC3のコルを越え、滝雲のようにカールになだれ込み始めていた。
        C2に残した荷を回収し直ちにC1へ下山を開始した。

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