深井史郎

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深井史郎 - (2007/08/05 (日) 16:26:34) の1つ前との変更点

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深井史郎 Shiro Fukai (1907-1959) 秋田市生まれ。高校卒業後物理学専攻を志したが折しも病を得て2年間の療養生活に入り、その間に当時マンドリン・オーケストラの指揮者であった石田一郎(作曲家)父君の感化を受け音楽を志すようになる。その後東京に出て国立の東京高等音楽学院に籍を置き、菅原明朗にも師事。作曲家としての出発は非常に遅かったが1931年にはトーキー初期の映画音楽を手がけ、1933年には「5つのパロディ」を作曲している大変な才人であった。純音楽だけでなく映画音楽、バレエ音楽、ラジオなどの放送音楽も数多く手がけ、評論家としても活躍し、小説をもものしている。京都で映画音楽の作曲中に狭心症で急逝。論文集「恐るるものへの風刺―ある作曲家の発言」(音楽之友社)は作曲者の独特な個性、鋭い批判精神、明晰な頭脳を余すところなく伝えている。 なお、深井史郎の楽譜などの資料は日本近代音楽館に所蔵されている。 ・パロディ的な四楽章 Ⅰ.ファリャ Assez lent-a Manuel de Falla- Ⅱ.ストラヴィンスキー Vif et tres rythme, avec humour-a Igor Stravinsky- Ⅲ.ラヴェル Assez lent-a Maurice Ravel- Ⅳ.ルーセル Tres anime-a Albert Roussel- 編成:ピッコロ、フルート2(2nd奏者はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン、 B♭&Aクラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット3、ホルン4、Cトランペット3、 トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、打楽器3人(シンバル、大太鼓、小太鼓、トライアングル、 タム・タム、グロッケン、シロフォン)、チェレスタ、ピアノ、弦楽5部 演奏時間:20分 VictorのCDに収録されている『パロディ的な四楽章』を深井本人が書いた 『パロディ的な四楽章によせる4つの断片』を読みながら聴いていて、いつも不思議に思うことが あった。それは第4楽章の“ルーセル”で「これはあなたが一人でビフテキを四人前 お平らげになるの図です。トロムペットとトロムボーンが閉幕の相図をするので、 あなたは舞台の上であわてて最後の大きい奴をほおばりこむのですが、之は不幸なことに 喉につかへてしまふのです。勿論苦しいのであなたはドタバタなされますが、この音は ティムパニに書いておきました。」とあるのだが、どこに閉幕の合図が、どこでティンパニが ドタバタやっているのか全然見つけられなかったからだ。金管がトゥッティで最後の 「さくらさくら」を奏するのと、合いの手のティンパニがそうかと思うことにしていたが これはコーダより少し前にあるし、何か腑に落ちないでいた。  ここで気をつけておきたいのは、この曲の複雑な経緯だ。この曲は元々1933年に 2管編成にピアノを加えた編成の組曲『五つのパロディ』として発表された後、 1936年新響邦人作品コンクールに応募するために、これを3楽章のマリピエロを割愛し、 3管編成に改め、全体の構成も変更が加えられ、終楽章の献呈相手がバルトークから ルーセルに変えられるなどして改訂されたものである。しかしこれだけでは終わらない。 この時改訂されたスコアは1940年代に行方知れずになってしまう。探索の甲斐なく 作曲者は死去。戦後の再演は『五つのパロディ』の3楽章を抜いたもので行われてきた。  前記の深井の『4つの断片』は勿論1936年当時に書かれたものである。しかしCDに 収録されているのは1933年の版。違和感の原因はここにあった。  喜ばしいことに2004年1936年の版の自筆スコアが偶然発見され、2005年にその影印本が 全音楽譜出版社から出版された。  さてこのVictorのCDの演奏(NAXOSのものもそうだが)は『五つのパロディ』から マリピエロを抜いただけの楽譜でのものである。つまり改作前なのだ。作曲を学び始めて 3~4年でこの出来なことには真に驚きだが、それはさて置くことにして、 2005年に出版された楽譜の“ルーセル”のコーダを見ると、CDの演奏でのコーダの後に “ファリャ”冒頭のファンファーレがあり、ティンパニ連打の後に締めくくられていた。 これが「閉幕の相図」であり、ステーキを喉に詰まらせるルーセル氏なのだ。  他にも色々と相違点があるようだ。そこでここでは1936年版の楽譜と1933年版を用いた CD演奏との編成以外の違いを気付いた所だけ挙げてみようと思う。素人の耳によるものであり 間違い、見落としも数多いと思うが、その際はご指摘願いたい。 <ファリャ> 36年版にはある2~3小節目の弦のトレモロが33年版にはない。 36年版の練習番号6の前の低弦とファゴットの旋律5小節が33年版にはない。 <ストラヴィンスキー> この楽章が構成的にもっとも大きく改訂されている。 33年版の冒頭はファゴット、弦、ピアノと打楽器などのオスティナート音形4小節の後 ミュートを付けたトランペットが主題を奏でるといった具合に始まるが、 36年版は打楽器アンサンブルのみで始まり5小節目から弦が加わり9小節目からピッコロが 主題を奏する。その後33年版はトロンボーンのグリッサンド、弦による主題と続くが 36年版はグリッサンドはなく弦のオスティナート音形にミュート・トランペットの主題 (主題の前半のみ)、木管(主題の後半のみ)、ホルンが再度主題、オスティナート 音形による展開部らしき部分(33年版にこの展開部と同じ部分はない)を経た後 33年版とほぼ同じ(Victor盤の1分10秒、Naxos盤の1分8秒付近)再現部に向かう。 ただし、この再現部も33年版では後半(Victor盤の1分25秒、Naxos盤1分23秒付近) トランペットがシンコペーションを含む下降オスティナート音形を奏しているが 36年版ではただの8部音符打ち込みとなっている。 33年版ではコーダはティンパニのロールの後テュッティの打ち込み3発となっているが 36年版では木管、弦の上昇音形、一つの打ち込みの後、弦のppの伸ばしと上昇音形で終わる。 なおNaxos盤の50秒付近にある繰り返し(2回目はオーケストレーションが異なるが) がVictor盤の演奏ではカットされている。 <ラヴェル> 5小節目からの旋律が33年版ではフルートが奏するが、36年版ではイングリッシュホルンが 担当し、よりパロディとして痛烈になっている。36年版の練習番号2の5小節目から、 33年版のNaxos盤の演奏でいうとの45秒付近からの、主題の変形に対するピアノとチェレスタの 伴奏音形が、16分音符の複雑なものになっている。練習番号6、2風20秒付近も同様である。 36年版の練習番号3からのミュート付きトランペットによる「年老いた孔雀の鳴き声」が 33年版のそれよりも短三度低い。これと同じ場所で33年版ではピアノが別音形を奏しているが 36年版にはこの箇所にピアノはない。 練習番号6、2分20秒付近のファゴットの合いの手に36年版だとハーモニーがついている。 同じく練習番号6からの主題が33年版ではフルート、36年版ではオーボエとイングリッシュホルン。 練習番号7の3小節目、2分30秒付近の主題断片のエコーが33年版ではフルート、36年版では イングリッシュホルン。コーダの、主題断片による上昇音形が36年版の方が33年版より 2小節長く、その際の楽器の受け渡しの順番も33年版だと、クラリネット→フルートなのに対し 36年版ではファゴット→クラリネット→オーボエ→フルートとなっている。 <ルーセル> 被献呈者がバルトークからルーセルに変わっている。 練習番号8の1小節前、Victor盤の1分19秒付近の弦の旋律の音が一音違う。 練習番号13、Victor盤の2分16秒付近のホルンの音形が33年版だとトランペット、トロンボーンと 同じ2分音符の旋律だが、36年版だと8分音符による伴奏音形になっている。 練習番号23、Victor盤の4分16秒付近で裏拍のサスペンデッド・シンバルが33年版にはなく 36年版にはある。 練習番号27の前9小節から33年版ではトランペット、後トロンボーンも加わって 四分音符で旋律を奏するところが36年版だと八分音符になっている。 練習番号27から33年版だと金管の斉奏で旋律を担当するところが36年版だとまずホルンだけ 11小節目からトランペットがそれに代わるようになっている。 練習番号28、Victor盤の5分17秒付近から8小節間、33年版だと「さくらさくら」の主題を トランペットが奏でるが、36年版では、練習番号5、Victor盤の45秒付近の金管の音形に 似た動機をトランペットが奏する。しかし9小節目からは「さくらさくら」の続きに戻る。 33年版のコーダの後、36年版には続きがあり、シンバルとティンパニの掛け合いのあとの 急速な上昇音形を含むテュッティの後、木管や弦が装飾的な音形を繰り返す中、トランペットと トロンボーンに、<ファリャ>冒頭のファンファーレが力強く復活し、2小節の ティンパニソロ(ルーセル氏が喉を詰まらせているやつだ)のあと木管の打ち込み、 続いて金管と弦の打ち込み、という2発の打ち込みで、この「道化芝居」は締めくくられる。 以上、素人の耳で判別がついたのはこの程度である。36年に改作されたスコアによる プロのオーケストラによるいい演奏の録音(フランスのオーケストラでやっていただけないかと 妄想するばかりである)が一日も早くなされるのを、切に願う。 参考資料 秋山邦晴著/林淑姫編(2003)『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』みすず書房 オーケストラ・ニッポニカ『第11回演奏会 深井史郎作品展 プログラム』 Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)(1999)『日本の作曲20世紀』音楽之友社 富樫康(1956)『日本の作曲家』音楽之友社 深井史郎(1965)『恐るるものへの風刺:ある作曲家の発言』音楽之友社 深井史郎/林淑姫解説(2005)『パロディ的な四楽章(1936)』全音楽譜出版社 CD(2005)『日本作曲家選輯 深井史郎(片山杜秀解説)』Naxos、アイヴィ CD(1995)『現代日本の音楽名盤選2 山田/尾高/平尾/深井(柴田南雄解説)』Victor [[戻る>日本の音楽家たち]]
深井史郎 Shiro Fukai (1907-1959) <参考文献> ・秋山邦晴著/林淑姫編(2003)『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』みすず書房 ・小倉朗「深井さん」『音楽芸術 19(1)』,????,1961/01(ISSN 00302600) (音楽之友社 〔編〕/音楽之友社) ・オーケストラ・ニッポニカ『第11回演奏会 深井史郎作品展 プログラム』 ・Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)(1999)『日本の作曲20世紀』音楽之友社 ・富樫康(1956)『日本の作曲家』音楽之友社 ・深井史郎(1965)『恐るるものへの風刺:ある作曲家の発言』音楽之友社 ・深井史郎/林淑姫解説(2005)『パロディ的な四楽章(1936)』全音楽譜出版社 ・林淑姫「「日本主義」と深井史郎の立場〔含 質疑応答〕」 『音楽学 47(3)』p,237~238,2001(ISSN 00302597) (日本音楽学会 編/日本音楽学会) ・矢島繁良「深井史郎--作曲家訪問」『音楽芸術 16(11)』,????,1958/10(ISSN 00302600) (音楽之友社 〔編〕/音楽之友社) CD(2005)『日本作曲家選輯 深井史郎(片山杜秀解説)』Naxos、アイヴィ CD(1995)『現代日本の音楽名盤選2 山田/尾高/平尾/深井(柴田南雄解説)』Victor 秋田市生まれ。高校卒業後物理学専攻を志したが折しも病を得て2年間の療養生活に入り、その間に当時マンドリン・オーケストラの指揮者であった石田一郎(作曲家)父君の感化を受け音楽を志すようになる。その後東京に出て国立の東京高等音楽学院に籍を置き、菅原明朗にも師事。作曲家としての出発は非常に遅かったが1931年にはトーキー初期の映画音楽を手がけ、1933年には「5つのパロディ」を作曲している大変な才人であった。純音楽だけでなく映画音楽、バレエ音楽、ラジオなどの放送音楽も数多く手がけ、評論家としても活躍し、小説をもものしている。京都で映画音楽の作曲中に狭心症で急逝。論文集「恐るるものへの風刺―ある作曲家の発言」(音楽之友社)は作曲者の独特な個性、鋭い批判精神、明晰な頭脳を余すところなく伝えている。 なお、深井史郎の楽譜などの資料は日本近代音楽館に所蔵されている。 ・パロディ的な四楽章 Ⅰ.ファリャ Assez lent-a Manuel de Falla- Ⅱ.ストラヴィンスキー Vif et tres rythme, avec humour-a Igor Stravinsky- Ⅲ.ラヴェル Assez lent-a Maurice Ravel- Ⅳ.ルーセル Tres anime-a Albert Roussel- 編成:ピッコロ、フルート2(2nd奏者はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン、 B♭&Aクラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット3、ホルン4、Cトランペット3、 トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、打楽器3人(シンバル、大太鼓、小太鼓、トライアングル、 タム・タム、グロッケン、シロフォン)、チェレスタ、ピアノ、弦楽5部 演奏時間:20分 VictorのCDに収録されている『パロディ的な四楽章』を深井本人が書いた 『パロディ的な四楽章によせる4つの断片』を読みながら聴いていて、いつも不思議に思うことが あった。それは第4楽章の“ルーセル”で「これはあなたが一人でビフテキを四人前 お平らげになるの図です。トロムペットとトロムボーンが閉幕の相図をするので、 あなたは舞台の上であわてて最後の大きい奴をほおばりこむのですが、之は不幸なことに 喉につかへてしまふのです。勿論苦しいのであなたはドタバタなされますが、この音は ティムパニに書いておきました。」とあるのだが、どこに閉幕の合図が、どこでティンパニが ドタバタやっているのか全然見つけられなかったからだ。金管がトゥッティで最後の 「さくらさくら」を奏するのと、合いの手のティンパニがそうかと思うことにしていたが これはコーダより少し前にあるし、何か腑に落ちないでいた。  ここで気をつけておきたいのは、この曲の複雑な経緯だ。この曲は元々1933年に 2管編成にピアノを加えた編成の組曲『五つのパロディ』として発表された後、 1936年新響邦人作品コンクールに応募するために、これを3楽章のマリピエロを割愛し、 3管編成に改め、全体の構成も変更が加えられ、終楽章の献呈相手がバルトークから ルーセルに変えられるなどして改訂されたものである。しかしこれだけでは終わらない。 この時改訂されたスコアは1940年代に行方知れずになってしまう。探索の甲斐なく 作曲者は死去。戦後の再演は『五つのパロディ』の3楽章を抜いたもので行われてきた。  前記の深井の『4つの断片』は勿論1936年当時に書かれたものである。しかしCDに 収録されているのは1933年の版。違和感の原因はここにあった。  喜ばしいことに2004年1936年の版の自筆スコアが偶然発見され、2005年にその影印本が 全音楽譜出版社から出版された。  さてこのVictorのCDの演奏(NAXOSのものもそうだが)は『五つのパロディ』から マリピエロを抜いただけの楽譜でのものである。つまり改作前なのだ。作曲を学び始めて 3~4年でこの出来なことには真に驚きだが、それはさて置くことにして、 2005年に出版された楽譜の“ルーセル”のコーダを見ると、CDの演奏でのコーダの後に “ファリャ”冒頭のファンファーレがあり、ティンパニ連打の後に締めくくられていた。 これが「閉幕の相図」であり、ステーキを喉に詰まらせるルーセル氏なのだ。  他にも色々と相違点があるようだ。そこでここでは1936年版の楽譜と1933年版を用いた CD演奏との編成以外の違いを気付いた所だけ挙げてみようと思う。素人の耳によるものであり 間違い、見落としも数多いと思うが、その際はご指摘願いたい。 <ファリャ> 36年版にはある2~3小節目の弦のトレモロが33年版にはない。 36年版の練習番号6の前の低弦とファゴットの旋律5小節が33年版にはない。 <ストラヴィンスキー> この楽章が構成的にもっとも大きく改訂されている。 33年版の冒頭はファゴット、弦、ピアノと打楽器などのオスティナート音形4小節の後 ミュートを付けたトランペットが主題を奏でるといった具合に始まるが、 36年版は打楽器アンサンブルのみで始まり5小節目から弦が加わり9小節目からピッコロが 主題を奏する。その後33年版はトロンボーンのグリッサンド、弦による主題と続くが 36年版はグリッサンドはなく弦のオスティナート音形にミュート・トランペットの主題 (主題の前半のみ)、木管(主題の後半のみ)、ホルンが再度主題、オスティナート 音形による展開部らしき部分(33年版にこの展開部と同じ部分はない)を経た後 33年版とほぼ同じ(Victor盤の1分10秒、Naxos盤の1分8秒付近)再現部に向かう。 ただし、この再現部も33年版では後半(Victor盤の1分25秒、Naxos盤1分23秒付近) トランペットがシンコペーションを含む下降オスティナート音形を奏しているが 36年版ではただの8部音符打ち込みとなっている。 33年版ではコーダはティンパニのロールの後テュッティの打ち込み3発となっているが 36年版では木管、弦の上昇音形、一つの打ち込みの後、弦のppの伸ばしと上昇音形で終わる。 なおNaxos盤の50秒付近にある繰り返し(2回目はオーケストレーションが異なるが) がVictor盤の演奏ではカットされている。 <ラヴェル> 5小節目からの旋律が33年版ではフルートが奏するが、36年版ではイングリッシュホルンが 担当し、よりパロディとして痛烈になっている。36年版の練習番号2の5小節目から、 33年版のNaxos盤の演奏でいうとの45秒付近からの、主題の変形に対するピアノとチェレスタの 伴奏音形が、16分音符の複雑なものになっている。練習番号6、2風20秒付近も同様である。 36年版の練習番号3からのミュート付きトランペットによる「年老いた孔雀の鳴き声」が 33年版のそれよりも短三度低い。これと同じ場所で33年版ではピアノが別音形を奏しているが 36年版にはこの箇所にピアノはない。 練習番号6、2分20秒付近のファゴットの合いの手に36年版だとハーモニーがついている。 同じく練習番号6からの主題が33年版ではフルート、36年版ではオーボエとイングリッシュホルン。 練習番号7の3小節目、2分30秒付近の主題断片のエコーが33年版ではフルート、36年版では イングリッシュホルン。コーダの、主題断片による上昇音形が36年版の方が33年版より 2小節長く、その際の楽器の受け渡しの順番も33年版だと、クラリネット→フルートなのに対し 36年版ではファゴット→クラリネット→オーボエ→フルートとなっている。 <ルーセル> 被献呈者がバルトークからルーセルに変わっている。 練習番号8の1小節前、Victor盤の1分19秒付近の弦の旋律の音が一音違う。 練習番号13、Victor盤の2分16秒付近のホルンの音形が33年版だとトランペット、トロンボーンと 同じ2分音符の旋律だが、36年版だと8分音符による伴奏音形になっている。 練習番号23、Victor盤の4分16秒付近で裏拍のサスペンデッド・シンバルが33年版にはなく 36年版にはある。 練習番号27の前9小節から33年版ではトランペット、後トロンボーンも加わって 四分音符で旋律を奏するところが36年版だと八分音符になっている。 練習番号27から33年版だと金管の斉奏で旋律を担当するところが36年版だとまずホルンだけ 11小節目からトランペットがそれに代わるようになっている。 練習番号28、Victor盤の5分17秒付近から8小節間、33年版だと「さくらさくら」の主題を トランペットが奏でるが、36年版では、練習番号5、Victor盤の45秒付近の金管の音形に 似た動機をトランペットが奏する。しかし9小節目からは「さくらさくら」の続きに戻る。 33年版のコーダの後、36年版には続きがあり、シンバルとティンパニの掛け合いのあとの 急速な上昇音形を含むテュッティの後、木管や弦が装飾的な音形を繰り返す中、トランペットと トロンボーンに、<ファリャ>冒頭のファンファーレが力強く復活し、2小節の ティンパニソロ(ルーセル氏が喉を詰まらせているやつだ)のあと木管の打ち込み、 続いて金管と弦の打ち込み、という2発の打ち込みで、この「道化芝居」は締めくくられる。 以上、素人の耳で判別がついたのはこの程度である。36年に改作されたスコアによる プロのオーケストラによるいい演奏の録音(フランスのオーケストラでやっていただけないかと 妄想するばかりである)が一日も早くなされるのを、切に願う。 参考資料 秋山邦晴著/林淑姫編(2003)『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』みすず書房 オーケストラ・ニッポニカ『第11回演奏会 深井史郎作品展 プログラム』 Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)(1999)『日本の作曲20世紀』音楽之友社 富樫康(1956)『日本の作曲家』音楽之友社 深井史郎(1965)『恐るるものへの風刺:ある作曲家の発言』音楽之友社 深井史郎/林淑姫解説(2005)『パロディ的な四楽章(1936)』全音楽譜出版社 CD(2005)『日本作曲家選輯 深井史郎(片山杜秀解説)』Naxos、アイヴィ CD(1995)『現代日本の音楽名盤選2 山田/尾高/平尾/深井(柴田南雄解説)』Victor [[戻る>日本の音楽家たち]]

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