コンクールその他

モンゴル音楽 @wiki内検索 / 「コンクールその他」で検索した結果

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  • コンクールその他
    コンクールその他 (特記以外はウランバートルでの開催) 『黄金の秋』音楽祭(“Алтан намар” хөгжмийн наадам) 1982年より、毎年10月もしくは11月頃に行われている、国内最大の芸術音楽祭。作曲家のN.ジャンツァンノロブが「モスクワの秋音楽祭」に倣って開催を提唱した。声楽、伝統楽器、室内楽、オーケストラなどの様々な作品が演奏される。また、これに際し作曲コンクールも行われている。2009年からは海外の作曲家も参加できるよう門戸を開き、ロシア、ブリヤート、カルムイク、中国などより参加者があった。 モンゴル国では社会主義時代、音楽家や舞踊家は文化省で試験され、そのレベルによってランク付けされ、給与もそれによって決められていた。社会主義時代はアマチュアが参加できるコンクールの方が多く、プロになって活躍できる才能を発掘する意図があった。そのために、プロの...
  • モンゴル音楽小事典
    ...らすじ 団体、劇場 コンクールその他  戻る
  • 江文也
    江文也 Bunya Koh (1910-1983) <参考文献> 石田一志『モダニズム変奏曲 アジアの近現代音楽史』(朔北社、2005年) 井田敏『まぼろしの五線譜―江文也という「日本人」』(白水社、1999年) 王徳威、三好章訳『叙事詩の時代の抒情―江文也の音楽と詩作 (研文選書)』、研文出版、2011年。 江文也『上代支那正楽考―孔子の音楽論』(三省堂、1942年) 仲万美子「作曲家の音楽活動空間と帰属文化との関係性 江文也と山田耕筰を事例に」『同志社女子大學學術研究年報 55』,pp.33-47,20041225(ISSN 04180038) (同志社女子大学) 三好章「江文也について 20世紀の日中関係の狭間にあった音楽家(光陰似箭)」『中国研究月報 60(10)』,pp.52-54,20061025(ISSN 09104348) (中国研究所/社団法人中国研...
  • モンゴル音楽史簡易年表
    下の年表は《青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99)》の年表を大幅に改訂したものです。 モンゴル音楽関連簡易年表 年代 出来事 BC400~93年頃 匈奴がモンゴル高原を支配。匈奴軍は鼓吹楽という軍楽隊のようなものを持っていた。またモンゴル国中央県アルタンボラグ郡からは匈奴時代の骨製口琴が出土。 2~3世紀頃 蔡琰(蔡文姬、177?-239?)が自身の運命を綴った詩『胡笳十八拍』(後世の創作説あり)で南匈奴のツォールと思われる管楽器について歌う。 554~559年 この期間に成立した『魏書』「高車伝」によると、紀元前3世紀頃からモンゴル高原に居住していたテュルク系の高車が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていたとの記述がある。 6世紀~11世紀 柔然、突厥、ウイグ...
  • 歌唱法その他
    モンゴルの歌唱法その他 モンゴル歌謡の分類について オルティン・ドー ボギン・ドー? 掛け合い歌? ホーミー ウルゲル 叙事詩? 祝詞と賛歌? 歯笛(イスゲレー)? モンゴル音楽小事典
  • ヨーチン
    ヨーチン/ヤンチル ヨーチン(ёочин)は漢語の揚琴または楊琴(yang qin)に由来する語で、同語から発生したヤンチル(янчир)の名で呼ばれることもある。基本的な構造は漢人音楽の楊琴または洋琴と呼ばれる楽器と同じである 。モンゴル人地域においては、20世紀初頭までは王府あるいは都市部で用いられていた楽器だった。バドラハは1936年当時、近年になってモンゴル人の間で使われるようになった楽器としている 。  20世紀初頭の楽器について、ゴンチグソムラーは1939年当時、ヨーチンは3列で、B♭3、C4、D4、E4、F4、G4、A4、B♭4、C5、D5、E5、F5、G5、A5、B♭5、C6を奏せた としている。  この後、1954年に民族楽器コンクールで優勝してオリアスタイ市からウランバートルにやってきたG.ダシダワー がこの楽器の改良の中心となった。チョローンツェツェグ によれ...
  • L.ムルドルジ
    ロブサンジャムツィーン・ムルドルジ(1915年-1996年) Лувсажамцын Мөрдорж Luvsanjamts Murdorj 経歴 1919年ウランバートル生まれ。1929年小学校に入り、その後経理を学んでいたが1932年国立劇場に楽員として入り1936年兵役により従軍。軍楽隊に入り後に軍楽隊長となった。兵役終了後1941年より国立サーカス楽団の楽員、指揮者。1950~56年、モスクワ音楽院に留学しE.K.ゴロベーフ、V.G.フェーレに師事。帰国後、国立民族歌舞団専属作曲家となり、歌舞団付属民族楽器大オーケストラの設立に尽力する。民族楽器の奏法を研究し、大アンサンブル内で平均律の半音階を演奏できるよう改良する仕事を指揮した。1970~74年国立師範学校作曲科講師、1974年より組織に属さない作曲家として生活していた。1946年と51年に国家賞を受賞し197...
  • 清瀬保二
    清瀬保二 Yasuji Kiyose 1900-1981 <参考文献> Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)『日本の作曲20世紀』(音楽之友社、1999年) 秋山邦晴著/林淑姫編『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』(みすず書房、2003年 木下美智子「清瀬保二・ピアノ独奏曲の分析--旋律における日本的要素(新人論壇)」『音楽芸術 38(10)』,pp.60-65,1980/10(ISSN 00302600) (音楽之友社 〔編〕/音楽之友社) 清瀬保二「私の修業時代」『音楽芸術 14(8)』,????,1956/07(ISSN 00302600) (音楽之友社 〔編〕/音楽之友社) 清瀬保二「日本音階について--わたしの体験」『音楽芸術 21(8)』,????,1963/07(ISSN 00302600) (音楽之友社 〔編〕/音楽之友社) 清瀬保二 他「清瀬保二欧...
  • 青木孝義作品表
    青木孝義 Aoki Takayoshi(1951-2011) 作曲家 【生年】昭和26(1951)年7月22日 【出身】岡山県 【学歴】津山工業高等専門学校(昭和47年)卒 【賞】音コン作曲室内楽曲部門第1位(昭和46年),音楽之友社創立30周年記念作曲賞(昭和46年),大阪文化祭奨励賞(昭和47年) 【プロフィール】鐘紡生産技術研究所に勤務の傍ら、作曲家として活躍。昭和46年「シンクロニゼーション」で音楽コンクール作曲室内楽曲部門第1位となり注目される。主な作品に「協奏的変奏」「Geschwatzigkeit 72」「無伴奏フルートのための“呪咀2”」がある。 【所属団体】日本現代音楽協会,大阪楽友協会 <参考文献> 秋山邦晴(1979)『日本の作曲家たち〈下〉―戦後から真の戦後的な未来へ』、音楽之友社 細川 周平、片山 杜秀監修(2008)『日本の作曲家...
  • その他モンゴル関係など
    その他モンゴル関係など 関根淳(2000)『モンゴル野球青春記』、太田出版
  • モンゴル音楽事典その他
    演奏団体、劇場 国立歌劇場(Монгол Улсын Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр) 公式HP http //opera-ballet.mn/ 1924年設立のスフバートル記念クラブの芸能サークルが1927年建設の人民娯楽場(“緑ドーム”の愛称で呼ばれた)に移ったのが前身。同じ建物内で1931年国立中央劇場(劇団)が組織され1949年同建物が家事で消失するまでそこで活動。1943年には専属のオーケストラを設立(それまでは伝統楽器で劇の伴奏をしていた)。1951年に開場した現在の国立歌劇場の建物で活動再開。1963年に演劇部が分離、国立ドラマ劇場に本拠地を移し、オペラ、バレエ中心の国立歌劇場として再スタート。名称を変えながら現在に至る。510人収容。現在の正式名称はモンゴル国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場。総合芸術監督B.ジャミヤンダグワ(バレエマイスター...
  • リンク集
    リンク集 お役立ち CiNii(どうかサイニィと読んで下さい) 論文情報ナビゲータby国立情報学研究所 http //ci.nii.ac.jp/ 論文・雑誌記事検索ができます。非常に便利。 学術研究データベース・リポジトリ http //dbr.nii.ac.jp/infolib/meta_pub/G9200001CROSS Webcat Plus by 国立情報学研究所 http //webcatplus.nii.ac.jp/ 全国の大学図書館などが所蔵する資料(書籍、雑誌、AV資料他)を検索できます。ただし、「連想検索」は「?」。 GeNii (どうかジーニィと読んで下さい)by 国立情報学研究所 http //ge.nii.ac.jp/genii/jsp/index.jsp 研究に必要な情報を総合的に探索できるポータルサイト 大学...
  • その他のジャンル
    山路勝彦(2006)『近代日本の海外学術調査』山川出版社 一般的には学術調査と政治権力は無縁のようにも思えるが、実は密接に結び付いてきた。戦前日本ではアジアへの拡大政策の中で、人類学者から見れば研究フィールドが広がる格好の機会であり、為政者からすれば彼らの研究成果が海外領土や勢力圏の統治に利用できる、という関係があった。また学者の側には、政治への無自覚があった。 でもこれ、一般向けの日本史啓蒙書なんだろうけど、話題がマニアックで、たとえば日本史を取ってる高校生にこういった問題のあることをどう説明するのか、難しいところ。 興味のある人は「植民地主義と人類学」や「帝国日本と人類学者」といった本を読み進めばよい ポール・A. コーエン(1988)『知の帝国主義―オリエンタリズムと中国像 (テオリア叢書)』平凡社 アメリカでの中国研究がいかにオリエンタリズム的なものの見方に規定さ...
  • モンゴル音楽史参考文献(その他の言語)
    <ロシア語> Академия Наук СССР. Искусство Бурятской АССР, Улан-Удэ, 1959.[ソヴィエト連邦科学アカデミー『ブリヤート・ソヴィエト自治共和国の芸術』] Берлинский, П.М. Монгольский певец и музыкант Ульдзуй Лувсан хуурчи, Москва, 1933.[ベルリンスキー,P.M.『モンゴルの歌手・音楽家ウルジー・ロブサン・ホールチ』] Дашева, Л.Д. Традиционная Музыкальная Культура Бурят, Издательство ОАО “Республиканская Типография” Улан-Удэ, 2005.[ダシエワ,L.D『ブリヤートの伝統音楽文化』] Кондратьев, С.А. Музыка Монг...
  • 深井史郎
    深井史郎 Shiro Fukai (1907-1959) <参考文献> 秋山邦晴著/林淑姫編(2003)『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』みすず書房 小倉朗「深井さん」『音楽芸術 19(1)』,????,1961/01(ISSN 00302600) (音楽之友社 〔編〕/音楽之友社) オーケストラ・ニッポニカ『第11回演奏会 深井史郎作品展 プログラム』 Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)(1999)『日本の作曲20世紀』音楽之友社 富樫康(1956)『日本の作曲家』音楽之友社 深井史郎(1965)『恐るるものへの風刺:ある作曲家の発言』音楽之友社 深井史郎/林淑姫解説(2005)『パロディ的な四楽章(1936)』全音楽譜出版社 林淑姫「「日本主義」と深井史郎の立場〔含 質疑応答〕」 『音楽学 47(3)』p,237~238,2001(ISSN 0030259...
  • モンゴル音楽事典用語3
    О огторгуйлиг хөгжим 空間音楽 огцом スタッカート олон хоолой 多声法;多声性 олуул дуу モテット;経文歌 оноот эгшиглээ 示導音色 оргил [туйл] クライマックス оройлго эгшиглэн ホモフォニー ~ хэлбэр ホモフォニー形式 ~т хэв ホモフォニックなテクスチュア орхиц 音符の旗;符鉤 оруулга аяз インターリュード、間奏曲 оруулгын долооц хам эгшиг 短七の和音をもつ長音階において、2度と7度上の七和音を指す呼び方。ハ長調の7度上のh-d-f-a、2度上のd-f-as-c、イ短調2度上のh-d-f-aなど。 оршил プロローグ、序奏 оршихуй ая 定旋律;カントゥス・フィルムス Ө өгсөх дав...
  • モンゴル音楽の音源(CDその他)
    <CD> The Great Composers of Mongolia/”The Best of Symphonic Music” S.Gonchigsumlaa/”Mongolian Piano Music” D.Luvsansharav/”Herlengiin Egshig” Grand National Orchestra of Mongolia/”Beautiful Mongolia” “Live concert by pianist Enkhtur Tsendorj” “Buh tsergiin duu bujgiin chuulga”
  • S.A.コンドラーチェフ
    S.A.コンドラーチェフ(Кондратьев, С.А./1896-1970) 彼は作曲もした音楽民俗学者でペテルブルク大学の物理数学学科を卒業している。1923年、ロシア地理学協会のP.K.コズロフの探検隊に加わり、1924年まで調査を行った。モンゴル側の典籍委員会より招待状を得て1926年から再びウランバートルに滞在し、以降1930年までモンゴルで調査を行っている。当時典籍委員会にいたジャムツァラーノの協力を得、ウラディミールツォフとも親交があった。O’.ロブサンやM.ドガルジャブといったウランバートルにいた優れた歌い手をインフォーマントとし、録音も行った。この録音はサンクト・ペテルブルクのロシア科学アカデミー東洋学研究所に保管されている。1923年の滞在中から積極的に成果を発表し、これが評価され早くも1925年にはソ連国立音楽学研究所研究員に選出されている 。彼の死後に科学アカ...
  • モンゴル音楽史を知るデータベース
    モンゴル音楽史を知るデータベース モンゴル音楽史参考文献 モンゴル音楽史参考文献(日本語) モンゴル音楽史参考文献(その他の言語) モンゴル音楽の楽譜 モンゴル音楽の音源(CDその他) モンゴル音楽史簡易年表 モンゴルの音楽家 モンゴル音楽小事典 フリースペース トップページ
  • ホーミー
    ホーミー 英語 throat singing/overtone singing 日本語 喉歌 ハルハ・モンゴル語 хөөмий/хөөмэй(フーミー/フーメイ)、まれにхамраар лимбэдэх(鼻で笛の音を出す) 喉を詰めて声を出し、それを口の中、例えば舌と硬口蓋などの間に作り出した空間などで共鳴させて、低音と高音が同時に発声されているように聞かせる発声法。アルタイ山脈周辺の地域、現在のアルタイ共和国、トゥバ共和国、モンゴル国(特に西部に居住するオイラート系諸部族)、ハカス共和国などで行われている。ブリヤート共和国を形成するブリヤート・モンゴル人や、サハ共和国を形成するヤクート人の間でも行われていたと言われることもあるが、現在サハ共和国で伝統芸能として行われる喉歌は近年トゥバなどから再度入ってきたもののようである。 その起源はアルタイの山谷を抜ける風音を模倣した、...
  • 大澤壽人
    大澤壽人(1906-1953) Hisato Ohsawa 新資料 『煌きの軌跡 一大澤壽人作品資料目録一』 (関西に在住する音楽評論家でつくる「音楽クリティック・クラブ」特別賞受賞) 内容:この資料が神戸女学院に寄贈された経緯にはじまり、作品が、器楽曲、声楽曲、放送作品、といったジャンルで整理され、創作ジャンル不明作品、未確認作品まで、さらには編曲作品まで収録されている。 出版日:2007年12月4日 編集・発行:神戸女学院 頒価:1,000円 問い合わせ:662-8505 西宮市岡田山 4-1        神戸女学院史料室(0798-51-8503)  注:大澤壽人の生年については、1906年と1907年と二説あり、本人も両方使っていた形跡があるが、1906年が正しい。  名前の読みについても、おおさわ (Osawa) と、おおざわ (Ohzawa) と二...
  • 管理人の本棚
    管理人の本棚 モンゴル語の本 音楽 その他?
  • モンゴル音楽研究ノート1
    まだモンゴルの音楽について全然分かっていなかったころに書いたものです。 西洋音楽の受容と全体主義体制化での芸術音楽~モンゴルにおける近代音楽史研究の可能性~  私は日本のクラシック音楽の歴史、つまり日本におけるシンフォニー・オーケストラ、軍楽隊(吹奏楽)、西洋的な音楽語法の歌曲、オペラ等の歴史に興味を持ち、先行研究を中心に調べている。日本でも音楽の伝統を有しているが、そこにどうやって西洋音楽そのもの、または西洋的な音楽の要素が入ってきたのか、それからもう一つ、日中戦争、太平洋戦争に代表されるようなファシズムが国を覆っていた時代、音楽と音楽家がどのような状況にあったのかに特に興味がある。 モンゴルももちろん素晴らしい音楽の伝統を持っているが、主に社会主義革命後、ソ連を通じて西洋的な音楽を受容してきた。現在でもポップミュージックは盛んであるし、オペラも日常的に興行を続けているという...
  • 革命の立役者たち
    1921年革命の立役者たち 「領事館丘グループ」 ボドー(1885-1922) チョイバルサン(1895-1952) ロソル? ジャミヤン? 「東庫倫グループ」 ダンザン? スフバートル(1893-1923) D.ドクソム? M.ドガルジャブ 「その他」 ダンバドルジ? ジャムツァラーノ?(1880?-1940?) リンチノ? 「ロシア人」 ソロコヴィコフ? クチェレンコ? ゲンバルジェフスキー?
  • モンゴルのブックリスト
    「モンゴルのことがもっと知りたい」 「モンゴル語を大学で専攻しているけど、本は何から読んでいいか分からない」 「モンゴルを旅行する前にモンゴルについての知識を身につけておきたい」 といった人たちのためのブックリスト 概説書 歴史―通史(含論集) 歴史―古代 歴史―モンゴル帝国時代 歴史―モンゴル帝国以降 歴史―近現代 牧畜・生活 宗教 政治・経済・社会 教育 言語 文学・古典籍・口承伝承 旅行記 伝記・回想録 芸術・スポーツ 音楽 モンゴル系諸民族・民族問題 書誌 漫画 その他モンゴル関係など(含エッセイ) モンゴル文化のデータベース
  • M.ドガルジャブ
    Магасаржавын Дугаржав(1893-1946) Magsarjav Dugarjav マクサルジャビーン・ドガルジャブ  優れた歌手で、作曲、民俗音楽の研究も行い、1911年のボグド・ハーン政権を支えた官僚でもあり、1921年の革命にも参加している。 モンゴル近代音楽の祖というような評価を受けている。 その生涯  スフバートル県ムンフハーン郡の生まれ。父親は清朝時代からの官吏で、ボグド・ハーン政権時代も裁判所長官などを務め、ドガルジャブと同じく自治モンゴルを実務家として支えた。ドガルジャブはまた長身で、180㎝近くもあったという。  ドガルジャブ自身の経歴は、ボグドハーン自治時代の1917~18年には国防省および外務省の官吏、ウンゲルン時代には軍指揮官をしながら、モンゴル人民党(後の人民革命党)結成に参加した(当初はダンザンらと共に東クーロンのグルー...
  • B.F.スミルノーフ
    B.F.スミルノーフ モンゴル国に国立劇場の音楽指導者として招聘された。彼の主な仕事は西洋音楽をモンゴルの国立中央劇場劇団員および劇場付属学校の生徒に教えることであった。その傍ら彼は、民俗音楽研究にも従事した。彼はレニングラード音楽院でM.F.グネーシンに学んだのだが、グネーシンはリャードフやグラズノーフに師事し、師のリームスキイ=コールサコフの「ユダヤ音楽が自分自身のグリーンカを早急に必要としている」 という言葉に促され、パレスチナに民俗音楽の調査に出向きユダヤ民族楽派の一員として活躍していた経歴を持った人物だった。ロシアの民衆音楽、異民族のあらゆる音楽を源泉とした芸術音楽の作曲を志向したロシア民族楽派の、彼は孫弟子だった。スミルノーフはまさにそのように振舞ったのだった。 彼は任期中、全国的なフィールドワークを行い、多くのインフォーマントから採譜を行った 。この作業自体には多くのモ...
  • J.メンドアマル
    ジャムバリーン・メンデアマル(1945-2003) МЭНД-АМАР Жамбалын Mend-Amar Jambalyn ヨーチン奏者、作曲家 略歴 中央県のルン郡に生まれる。家庭内で民俗音楽を教わって育つ。1960年に国立人民歌舞団に入団し、そこで亡くなるまでヨーチン奏者として活躍する。作曲も行い、1990年に国家功労芸術家受賞。民謡旋律に基づき、モンゴルの四季を思わせるような作風と評価される。 作品 バレエ音楽《業の三座山》(1987)、劇音楽《命の泉》(1989)、その他《労働の喜び》《ヨーチンのための独奏曲》《弦楽器の調べ》など多数の民族楽器のための作品、編曲。
  • モンゴルの近現代音楽とは
    モンゴルの「近現代音楽」とは何か  さて、このサイトに掲げてあるモンゴルの「近現代音楽」とは何か、ここで簡単に考察を試みる。要するに音楽の近代化の話である。  この音楽の近代化とは、考えられるものを挙げていくと、楽器の近代化、作曲技法の近代化、伝達の近代化、演奏・聴取機会の近代化、聴衆意識の近代化などがある。  まず楽器の近代化について。 モンゴルには伝統的に実に様々な楽器がある。民俗音楽研究家J.バドラーの著書「モンゴルの民俗音楽」には、こんなものまで本当にモンゴルの楽器だったのか、と疑問に思えるものまで非常に多数の楽器が掲載されている。それらの楽器は第一に楽器の使われる「場」によって2つに分けられる。仏教音楽と世俗の音楽である。モンゴルではチベット仏教が生活の中心であった。ここでは多種の管楽器、打楽器が用いられる。そして世俗の音楽がある。英雄叙事詩などの弾き語りを、トプ...
  • モンゴル系諸民族・民族問題
    総論 ユ・ヒョヂョン、ボルジギン・ブレンサイン編著(2009)『境界に生きるモンゴル世界 20世紀における民族と国家』、八月書館 中華人民共和国領内のモンゴル系諸族(チャハル、バルガ、ダグール、オルドス、オイラート、青海、ほか) 塚田誠之編(2010)『中国国境地域の移動と交流 近現代中国の南と北』、有志舎 モンゴル帝国期におけるアス人の移動について、「民族分裂主義者」と「中華民族」—「中国人」とされたモンゴル人の現代史、など ブリヤート 池田秀實(1935)『ブリヤート・モンゴル共和國ニ於ケルブリアート族ノ研究』、蒙古事情研究會 宇山智彦編(2008)『地域認識論 多民族空間の構造と表象』、講談社 「カルムイク人とブリヤート人の民族意識—「モンゴル」認識と「独自の道」)」所収 クドリヤフツエフ/蒙古研究所譯(1943)『ブリヤート蒙古民族史』、紀元社 黒田悦...
  • ハイタフ氏インタビューその2
    G.ハイタフ インタビュー2「モンゴルは知性を競わせて復活すべき」2006年8月24日  モンゴル国の人民芸術家、労働英雄のG.ハイタフ氏にインタビューをするために電話をしましたら、好きなように都合を付けることができ、明日の15時30分に会うよう時間を決めました。私は15時34分にハイタフさんに電話して、来ていないのですね、と伝えるとそれに対して「わが息子よ、ちょっと遅れます」と言って昔かたぎの、時間をきちんと守るところを見せられました。  まさにこの、素敵な白髪の老人は今日80歳を迎え、60年以上国のために働いています。我々の話はモンゴルの芸術の明らかな一翼を背中に何年も背負ってきた芸術への尽力者の抱く、社会における全ての問題を批判し洗い出す、と言うテーマで行われました。 ―あなたの生活に支えが出来た時から話を始めましょうか。 H―人が成長するとは、小さいときから自分の少し...
  • 言語
    社会言語学 荒井幸康(2006)『「言語」の統合と分離 1920-1940年代のモンゴル・ブリヤート・カルムイクの言語政策の相関関係を中心に』三元社 モンゴル国、ロシア連邦内のブリヤート、カルムイクなどと国境に隔たれてしまったモンゴル民族。今日その言語はおおもとでは同じながら、異なる正書法を持つことで方言差は大きくなり、政治的にも言語的にも分断されている。しかし共通の正書法をもつ可能性があった時代もあった。民族が言語政策によって分断される歴史を描いた。 田中克彦(2003)『言語の思想 国家と民族のことば』岩波書店 岩波現代文庫の1冊。言語と国家の関係を分析した論集。特に民族問題と密接に結び付いていたソ連の言語政策に詳しい。モンゴルについて、上の『「言語」の統合と分離』のもっと大まかな話題が扱われている。ちなみに荒井氏はこの田中氏の弟子。 その他言語学 小澤重男(199...
  • モンゴル音楽事典用語
    モンゴル語音楽用語小辞典(仮) Монгол Ядон хөгжмийн нэр томьёоны харицуулсан толь 注:引用などご利用の際は引用元(当HP)を明記してください。 凡例 【略】略語 【器】楽器 【歴】歴史 【響】音響学 【伝】伝統音楽、伝統文化の用語 《露》ロシア語 《西》チベット語 《中》中国語 [ ] 置き換え可能 例:гигэлгэн[гунил] аязはгигэлгэн аязまたはгунил аязの意。 ~ 用例・準見出しの中の語の全部、または一部に変えて用いる。 → 参照すべきものを示す А аажуу アダージョ(速度記号) аажуухан アンダンテ авад зохиомж 即興演奏;即興曲;インプロビゼーション авиа 音;声 ~ дэвсгэрлэх ар...
  • S.ゴンチグソムラー
    Сэмбийн Гончигсумлаа(1915-1991) Sembe Gonchigsumlaa センビーン・ゴンチクソムラー 経歴 バヤンホンゴル県生まれ。1930年小学校から師範学校に入り、1933年にはイルクーツクに留学、獣医専門学校で学ぶ。そこで同時に音楽も学びイルクーツク放送楽団に楽員として採用された。37年帰国し、ウムヌゴビ県で獣医をした後1939年にはウランバートル市で通訳と教師をしつつ音楽参考書『楽譜をどうやって学ぶか』(この種の本としてはモンゴルで2番目。楽譜の読み方の他マンドリンや鍵盤楽器、さらに横笛や揚琴、三線などの民族楽器で西洋音階をどうやって演奏するかについても書かれている)を出版。1940~43年国立サーカス楽団員(ちなみに1940年に設立された国営サーカスは軍楽隊に次いで西洋楽器の合奏が聴かれるようになったところだった)。1943年モスクワ音...
  • P.M.ベルリンスキー
    P.M.ベルリンスキー(1900-1976) 経歴 イルクーツク生まれ。ブリヤート共和国の作曲家。レニングラード音楽院で1926年までピアノと作曲を、1939年モスクワ音楽院で指揮を学ぶ。モスクワ、レニングラード、キーロフ、トムスク、イルクーツクで働く。1929~1946年までウランウデの芸術研究所、ブリヤート音楽演劇専門学校で講師、ブリヤートドラマ劇場で常任指揮者。ピアニスト、音楽評論家としても活躍。1941~1944年ブリヤート作曲家同盟議長。1940年名誉勲章、1943年ブリヤート人民芸術家。 モンゴルの音楽研究で必ず引用される『モンゴルの歌手・音楽家 ウルジー・ロブサン・ホールチ』はロブサンをモンゴル人民共和国から招聘し彼の歌を採譜したものである。 作品 モンゴルで活躍したロシア人音楽家
  • 終了済みイベント
    日本シルクロード文化センター主催 シルクロード講座とシルクロードサロンのお誘い 第7回:12月12日(土)13 00~16 00  狛江「みんなの広場」 1. 新シルクロード講座(13:00~15:00) 「モンゴルが人類史に与えた歴史的役割」    講師:野口信彦(日本シルクロード文化センター代表) 「民族の響きを創り出す」     講師:青木隆紘さん(東京外語大博士課程在学中、モンゴル国の音楽と政治の関係を中心に研究)     伝統的なモンゴル音楽が、社会主義時代を経てどのように変容してきたかを話していただきます。    参加費(資料代):1,000円 2.シルクロード・サロン(15:00~16:00) 「シルクロードサロン」は、気軽に楽しく、シルクロードの文化や暮らしに触れる集いです。 「モンゴル舞踊」    踊りと解説:佐藤淳...
  • ハイタフ氏インタビューその1
    G.ハイタフ氏 インタビューその1 「今振り返ると、私は奴隷のようだった」2005年3月12日 「日曜インタビュー」のお相手として、今回は人民芸術家G.ハイタフさんをお招きしました。彼は、心に何年もしまわれてきた全ての事柄を、読者の皆さんと共有することを許してくれました。私たちのインタビューはとても慎重に始まったのでした。 (以下 ハイタフ=H、インタビュアー・R.エムジン=E) H-今振り返ると、私のした努力と同等の見返りを受けることが出来ませんでした。国のために60年間休まず仕事をする中で、50年間舞台の上で歌ってきました。80歳を迎えます。これほどの年になったとはいえ、若い人にも負けないぐらい仕事をしているつもりです。一人の人間として、私は野望も目的も達成しました。しかし、心は満たされていないのです。出版所で植字工をしていた時、ノルマを上回ってかなりの給料を貰ったのを除けば...
  • ビシグール
    ビシグール  中国の哨吶やチャルメラとよく似ている。モンゴル地域ではチャム/ツァムという仏教舞踊儀式での伴奏に用いられてきた。  しかし現在伝統芸能の楽団などで使われている楽器は1960年代から1980年代に改良されたものである。まずバヤラグ・ビシグール/バヤジョールスン・ビシグールはオーボエ型のリードを使用し、金属のキーがついている。アルディーン・ビシグール/モンゴル・ビシグールはダブルリードの形状をした小さなマウスピースをもつシングルリードのものである。こちらは基本的に無鍵で、指穴を押さえやすいように縁取りがしてあるが、オクターブキーのみ金属のキーがある。前者はオーボエ的だが、後者はサックス的でファンファーレ的楽句も担当できるように改良されている。
  • トブショール
    トブショール товшуур/tobsiGur モンゴル国西部などのオイラート人地域(アルタイ・オリアンハイ、トルグート、バヤド、ザハチン、ウールトなどの諸部族)で行われる撥弦楽器であり、部族によって差異がある。体前面で抱えて指で直接爪弾く。一説にはモンゴル人地域の撥弦楽器の祖とも言われる。英雄叙事詩を語る伴奏の楽器としておもに使われる。 アーガン・トブショール 2弦で4度音程になっている。トルゴート族が用いる。 球形トブショール 共鳴箱が球形。 ダーガン・トブショール フレットが7つあるトブショール。 四角トブショール 共鳴箱が四角いトブショール。バヤド族やザハチン族が用いる。 馬トブショール フレットが9つある。 白鳥トブショール 白鳥の頭の彫刻が棹の先についている。 山羊トブショール 山羊の頭の彫刻が棹の先についている。ザハチン族が用...
  • モリン・ホール(馬頭琴)
    馬頭琴/モリン・ホール  モンゴル民族の象徴ともなっている二弦の擦弦楽器。多くの場合、四角い共鳴箱からそれよりも長い棹が伸びていて、緩急を手でつけられる弓で弾く。弾き方は写真のように弾くか、現在では主に椅子に座ってひざに挟みチェロのようにして弾く。「ホール」とはモンゴル語で、弦楽器や口琴など広く楽器を指す語(気鳴楽器や膜鳴楽器は含まれない)である。「モリ」は馬のことであり、ネックの部分に馬の頭が彫刻されているのが特徴である(その下に守護神的なものとして龍が彫刻されている場合もある)。  使用される場面としては、伝統的には(伝統的と一般的に言われているやり方としては)オルティン・ドー(音楽用語の項参照)の後につけてヘテロフォニックな伴奏として用いるか、本当にそっくりな馬やラクダの鳴き声や馬の走る様子、家畜の呼び声などの模倣を含むこともある器楽曲、祝辞の伴奏、叙事詩の伴奏などがある。20...
  • 橋本國彦
    橋本國彦(1904-1949) Qunihico Hashimoto 参考文献 『オーケストラ・ニッポニカ 芥川也寸志メモリアル第1集』(Mittenwald,2003年) 『Symphony no. 1 in D ; Symphonic suite "Heavenly maiden and fisherman"』(Naxos/アイヴィー,2002年) 『Just for me Noriko Ogawa plays Japanese piano music』(BIS/King International、1997年) 藍川由美『舞 橋本國彦歌曲集』(Camerata, 1998年) Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)『日本の作曲20世紀』(音楽之友社、1999年) 川上晃(2007)「橋本国彦の白秋歌曲」(『群馬大学教育学部紀要, 芸術...
  • 管理者プロフィール
    管理者プロフィール 某大学のヘボ院生だったが最近ようやく職に就く。血液型はA型。 モンゴルを「愛している」のかはなはだ怪しい(まあ「愛は盲目」と言いますし)けどモンゴル音楽に関してダラダラ研究まがいのことを続けています。 一応、日本最初のエヴェル・ブレー(モンゴルの角笛)奏者でもあります。 頭の弱い子なのでどこまでできるか分かりませんが、生暖かく見守ってやってください。 管理者の書いたもの 青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99) 青木隆紘(2008)「面白管楽器発見!エヴェル・ブレー」(『PIPERS 11月号(327)』杉原書店、pp.18-21) 青木隆紘(2008)「モンゴルの中心で角笛を吹く」(『日本とモンゴル 117』、日本モンゴル協会、pp.41-5...
  • 参考文献リスト1(書籍など)
    |<総史> 伊沢修二(山住正己校注)『洋楽事始 音楽取調成績申報書』東洋文庫188(平凡社、1971年) 井上武士監修・秋山龍英編著『日本の洋楽百年史』(第一法規出版社、1966年) 歌崎和彦編著『証言―日本洋楽レコード史(戦前編)』(音楽之友社、1998年) 大森盛太郎(1986)『日本の洋楽 ペリー来航から130年の歴史ドキュメント1』、新門出版社 大森盛太郎(1987)『日本の洋楽 ペリー来航から130年の歴史ドキュメント2』、新門出版社 小宮多美江『受容史ではない 近現代日本の音楽史 1900~1960年代まで』(音楽の世界社、2001年) 園部三郎『音楽五十年』(時事通信社、改訂版1956年) 團伊玖磨『私の日本音楽史―異文化との出会い』(日本放送出版協会、1999年) 千葉優子『ドレミを選んだ日本人』音楽之友社、2007 中村洪介『西洋の音、日...
  • モンゴル近現代文化の参考文献
    モンゴル近現代文化の参考文献リスト(音楽以外) (#印付きはモンゴル語の資料、それ以外は原則日本語) 多分野に亘るので、私一人ではどうにもならないページの一つです。修正や追加があればどんどん編集お願いいたします。 文化史 モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999年)《Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)》(全3巻)、ウランバートル# Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986年)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』(全2巻、モンゴル国立出版所、Ulaanbaatar)# 秋津紀穂(1972年)「モンゴルの文化革命」朝日アジアレビュ- 3(2),152~155,1972/06/00(ISSN 03872785) (朝日新聞社) 田中克彦(1992年)『モンゴル 民族と...
  • 服部四郎
    服部 四郎 服部四郎(はっとり しろう、1908年5月29日 - 1995年1月29日)は、日本の言語学者。東京大学名誉教授。 人物 三重県亀山市生まれ。第一高等学校時代に読んだ安藤正次の『言語学概論』で、日本語の起源が不明であることを知り、言語学を志すことになる。 言語学者として、日本語、琉球語、アイヌ語、朝鮮語、モンゴル諸語、満州語、テュルク諸語(アルタイ諸語)、中国語、英語、ロシア語など多岐に渡る言語を研究した。それら研究対象言語には話者(インフォーマント)に直接学ぶ、フィールド言語学の方法論を取った。無文字社会の言語の研究のみならず、万葉集や元朝秘史などの文献に基づく言語学も行った。 歴史言語学・比較言語学の方面においても、日本語諸方言アクセントの比較研究、厳密な音声学に基づく日本語と琉球語の同系関係の証明、古モンゴル語の音韻史の解明などもある。 従来...
  • Японы үлээвэр найрал хөгжимүүд
    Японы үлээвэр найрал хөгжимүүд Осака хотын үлээвэр найрал хөгжим(Osaka Municipal Symphonic Band) Тоглолт Миягава Акира Fun,Fun,Fantastico! http //www.youtube.com/watch?v=y63-RTJMseA Түүх 1923 元陸軍第四師団軍楽隊の有志で、「大阪市音楽隊」 を結成。中央公会堂にて記念演奏会を開催。 1925 大阪放送局(JOBK)ラジオ放送開始日の正午に大阪市音楽隊の演奏を放送。 1934 大阪市音楽隊、大阪市に移管される。 1946 大阪市音楽団と改称。 昭和25年(1950) 「たそがれコンサート」を開始、全国の発祥となる。 昭和27年(1952) 三越劇場での「定期演奏...
  • モンゴル音楽研究事始
    モンゴル音楽研究事始(大学のレポート) 青木隆紘 はじめに  モンゴル音楽はすっかり日本人にとって身近なものになりつつある。ユニクロのCMのBGMにフーミーが使われたし、NHK大河ドラマ《北条時宗》でも劇判音楽録音にオルティン・ドー歌手のノロブバンザドが参加し、それらは一般家庭のお茶の間に流れた。演奏旅行で日本を訪れるモンゴル人音楽家は多く、日本に在住するモンゴル人音楽家の中にはもはや馬頭琴奏者だけではなくリムベ(横笛)奏者やフーミーの歌い手もいる。日本人がモンゴル音楽を研究した最初は、1907年の鳥居龍蔵、鳥居きみ子の探検時のものである。それ以来100年たつがいまだに日本人によるモンゴル音楽の体系的な研究はほとんど試みられていないし、一般的なモンゴル音楽への理解はステレオタイプ的なモンゴルイメージを助長するもの、という範疇を出ていない。芝山によれば、このモンゴルに対するオリエ...
  • リムベ
    リムベ ユネスコの「緊急に保護する必要がある無形文化遺産」へのリムベの登録について 現在のモンゴル国および、モンゴル人居住地域の多くで横笛を指す。リムベ(лимбэ)はチベット語起源の語(gling-bu)でこの語が一般的になる以前はビシグール(бишгүүр)の語があてられていた 。バドラハによれば20世紀初頭モンゴル人地域で使われていたリムベの古い名はフンドゥルン(横の)・ビシグール(хөндлөн бишгүүр)であるといい、この種の楽器は3種類が元朝の宮廷楽団でも用いられていたとされる 。  モンゴル高原周辺のモンゴル人地域のリムベの特徴としては、一般的に2つあげられよう。まず、ホルサン・リムベ(竹製のリムベ)を極度に乾燥した気候から守るために小型家畜の腸で包んだり、バターを塗りつけていたこと がある。それから、オルティン・ドーの旋律を演奏するために発達したビトゥー・...
  • エヴェル・ブレー
    エウェル・ブレー  古代の角笛を復元、改良した楽器。1960年代楽器ができた当初は角製だったが、現在は木製、金属製キィ付き。サックスと同じマウスピースにアルト・サックスのリードを取り付けて奏する。 「エウェル(эвэр)」はモンゴル語で「角」、「ブレー(бүрээ)」は「ラッパ」を意味し、日本語に訳すと「角笛」というほどの意味である。これは1960年に初めて作られた楽器である。当初ゴーシチが楽器の提案し、自身で試作し、それをこの楽器の最初の奏者L.サムバルフンデブが試奏し、改良点を見つけていくというその試行錯誤を繰り返して作られた。後にはインドゥレーが製作に当たった。1960年、最初に完成されたものは、金属の筒状の芯の外側をハイナグ(ヤクと牛を掛け合わせた動物)の角を継ぎ合わせてカバーするという方法で作られた。象牙をはめ込んだ飾りつきで、孔は6つ。五音音階のみ演奏可能で、音域は...
  • D.ジャルガルサイハン
    ダシゼウェギーン・ジャルガルサイハン(1959- ) ЖАРГАЛСАЙХАН Дашзэвэгийн Jargalsaikhan Dashzevegiin ロック歌手、ロックバンド「チンギス・ハーン」のバンド・リーダー 略歴 1959年9月25日ウランバートル市の芸術家の一家に生まれる。父親はモンゴルの造形芸術界の旗手でモンゴル国功労芸術家の彫刻家Ch.ダシゼウェグで、彼と母親はジャルガルサイハンに美術と音楽の面でもっとも大きな影響を与えた。そんな彼は10歳のときから両親の買い与えたガルモーニ(アコーディオン)に夢中になり、ソ連のイルクーツクのロシア語学校、レニングラード市立高等学校、モンゴル作曲家同盟付属作曲コースで学んだ。著作に(2002)「モンゴル民俗芸能が現代ポピュラー音楽に与えた影響」(『MONGOLICA Vol.12(33)』国際モンゴル学会、pp.10...
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