ホーチル

モンゴル音楽 @wiki内検索 / 「ホーチル」で検索した結果

検索 :
  • ホーチル
    ホーチル ホーチル(хуучир/quGuc ir)は、バドラハによれば漢語の胡琴(hu qin)から生じたモンゴル語である 。現在のモンゴル国では、小さな共鳴胴とそれを貫く長い棹を持つ二弦または四弦の擦弦楽器 、すなわち二胡や四胡のような楽器を指す言葉である。20世紀初頭の鳥居きみ子らの記録からすると、この種の楽器は歌の伴奏楽器として王府などの楽士のみならず一般に広く行われており、ホール(хуур) と呼ばれることも多かった。歌や語りに優れ、四弦の楽器を演奏するO’.ロブサンやジグメドの写真が残っていて、彼らのような人もホールチ(ホール奏者)と呼ばれていた。四弦のものは二弦ずつ同じ音に調弦するが、これを特にドゥルブン・チフテイ・ホール(дөрвөн чихтэй хуур/4つの耳(ペグ)を持つホール)またはドゥルブン・オタスト・ホール(дөрвөн утаст хуур/4つの...
  • モンゴル音楽事典楽器
    ...Tovshuur ホーチル Khuuchir モリン・ホール(馬頭琴) Morin Khuur ヨーチン Yochin 気鳴楽器 ツォール? Tsuur/Tsoor エヴェル・ブレー Ever Buree リムベ Limbe 無鍵の横笛。 ビシグール Bishguur カンリン? ガンダン・ブレー? イフ・ブレー ドン・ブレー 膜鳴楽器 体鳴楽器 ドーダラム Duudaram ヘル・ホール/アマン・ホール(口琴)?  戻る
  • コンクールその他
    ...ズ、ヤタグ、リムベ、ホーチル、エウェル・ブレーの7部門で行われる民族楽器のコンクール。予選はウランバートルおよび地方のもう1か所(2008年はエルデネト、2012年はオルホン県)で、本選はウランバートルで行われる。出場者は主に音楽学校在学生もしくは出身者だが、まれに伝統継承者や独習者も出場する。 ロブサンシャラフ記念青少年合唱コンクール(Монгол улсын Хөдөлмөрийн баатар, Төрийн шагналт, Ардын жүжигчин Дагвын Лувсаншаравын нэрэмжит Өсвөрийн найрал дуучдын уралдаан) 学校の合唱団やアマチュアの青少年の合唱団のためのコンクール。2006年より毎年開催されている。なお2006年にはロブサンシャラフ記念アカペラ合唱コンクールも開かれた。 国際馬頭琴フェス...
  • モンゴルの近現代音楽とは
    ...楽指導員スミルノフはホーチルや馬頭琴などの民族楽器奏者にヴァイオリンやチェロなどを教えることで、手っ取り早く西洋楽器を広めた(オヨンバット)。  これらに加えて、民族楽器でのそれまでにないアンサンブル形態の創出やオーケストラの結成も楽器の近代化に入るだろう。  次に作曲の近代化の問題に移る。音楽の近代化において、特に人民革命時代初期には「作曲の技法」よりも内容の革新性が優先された。モンゴルで近代的な意味で作曲された作品の第一号とされているのは1921年の革命義勇軍の戦いの中で生まれた《キャフタの砦》である。これは民謡《青銅の神殿》の旋律を流用したもので、ガワル・ホールチ(生没年不詳、ホールチとは馬頭琴や二胡などの奏者のこと)の作とされている。この歌詞は、兵士たちの間で自然発生的に生まれたものだが、これは同時にモンゴル近代文学の始まりともされている。詩そのものは伝統的な韻文の...
  • ヨーチン
    ヨーチン/ヤンチル ヨーチン(ёочин)は漢語の揚琴または楊琴(yang qin)に由来する語で、同語から発生したヤンチル(янчир)の名で呼ばれることもある。基本的な構造は漢人音楽の楊琴または洋琴と呼ばれる楽器と同じである 。モンゴル人地域においては、20世紀初頭までは王府あるいは都市部で用いられていた楽器だった。バドラハは1936年当時、近年になってモンゴル人の間で使われるようになった楽器としている 。  20世紀初頭の楽器について、ゴンチグソムラーは1939年当時、ヨーチンは3列で、B♭3、C4、D4、E4、F4、G4、A4、B♭4、C5、D5、E5、F5、G5、A5、B♭5、C6を奏せた としている。  この後、1954年に民族楽器コンクールで優勝してオリアスタイ市からウランバートルにやってきたG.ダシダワー がこの楽器の改良の中心となった。チョローンツェツェグ によれ...
  • モンゴル音楽事典用語3
    ... хуучир【器】ホーチル;二胡。現在大中小三種類が用いられる。 хүлээн авагч ラジオ受信機 хүнэ アルコ(arco);弓を使って演奏する指示 хүрцэл タッチ хүүрнэл дуу ロマンス(романс) хүчдэл ダイナミクス;強弱法 хэв テクスチュア хэл хуур【器】ヘル・ホール;口琴;ジューズ・ハープ хэлбийлэг 文法 хэлбэлзэл ヴィブラート хэлбэршил 楽曲構成 хэм 拍子;拍節 ~ тэгшитгэлийн арга 定量リズム法 ~ хэмнэл 拍節リズム нийлэл ~ ポリリズム хэмжээ 拍子 хэмнэл リズム ~ зүй リトミカ нийлэл ~ ポリリズム хэнгэрэг【器】大太鼓;バス・ドラム төрийн их ~ トゥリーン...
  • ホーミー
    ホーミー 英語 throat singing/overtone singing 日本語 喉歌 ハルハ・モンゴル語 хөөмий/хөөмэй(フーミー/フーメイ)、まれにхамраар лимбэдэх(鼻で笛の音を出す) 喉を詰めて声を出し、それを口の中、例えば舌と硬口蓋などの間に作り出した空間などで共鳴させて、低音と高音が同時に発声されているように聞かせる発声法。アルタイ山脈周辺の地域、現在のアルタイ共和国、トゥバ共和国、モンゴル国(特に西部に居住するオイラート系諸部族)、ハカス共和国などで行われている。ブリヤート共和国を形成するブリヤート・モンゴル人や、サハ共和国を形成するヤクート人の間でも行われていたと言われることもあるが、現在サハ共和国で伝統芸能として行われる喉歌は近年トゥバなどから再度入ってきたもののようである。 その起源はアルタイの山谷を抜ける風音を模倣した、...
  • モリン・ホール(馬頭琴)
    馬頭琴/モリン・ホール  モンゴル民族の象徴ともなっている二弦の擦弦楽器。多くの場合、四角い共鳴箱からそれよりも長い棹が伸びていて、緩急を手でつけられる弓で弾く。弾き方は写真のように弾くか、現在では主に椅子に座ってひざに挟みチェロのようにして弾く。「ホール」とはモンゴル語で、弦楽器や口琴など広く楽器を指す語(気鳴楽器や膜鳴楽器は含まれない)である。「モリ」は馬のことであり、ネックの部分に馬の頭が彫刻されているのが特徴である(その下に守護神的なものとして龍が彫刻されている場合もある)。  使用される場面としては、伝統的には(伝統的と一般的に言われているやり方としては)オルティン・ドー(音楽用語の項参照)の後につけてヘテロフォニックな伴奏として用いるか、本当にそっくりな馬やラクダの鳴き声や馬の走る様子、家畜の呼び声などの模倣を含むこともある器楽曲、祝辞の伴奏、叙事詩の伴奏などがある。20...
  • 当ホームページに関して
    当ホームページに関して  このホームページを作成しているのは大学教員や研究員ではない一般人であり、知識、能力の不足による本人の気付かない間違いが多数含まれている可能性があります。そこのところをご承知の上でご覧になってください。その上で、間違いを見つけられた場合、管理人まで指摘してくださる、或いはページ編集を行ってくださると、ありがたいことこの上ありません。  管理人の勉強している範囲が現在のところ、所謂「外モンゴル」、現在のモンゴル国に限られています。そのため、内モンゴルやブリヤート、カルムイクなど他のモンゴル系諸族居住地域に関してはほとんど無知に等しく、私の独力では正しい情報を提供できません。ご注意ください。もし協力してくださる方がいらっしゃるなら、内モンゴル近現代史のページなども設けたい所存です。
  • S.A.コンドラーチェフ
    S.A.コンドラーチェフ(Кондратьев, С.А./1896-1970) 彼は作曲もした音楽民俗学者でペテルブルク大学の物理数学学科を卒業している。1923年、ロシア地理学協会のP.K.コズロフの探検隊に加わり、1924年まで調査を行った。モンゴル側の典籍委員会より招待状を得て1926年から再びウランバートルに滞在し、以降1930年までモンゴルで調査を行っている。当時典籍委員会にいたジャムツァラーノの協力を得、ウラディミールツォフとも親交があった。O’.ロブサンやM.ドガルジャブといったウランバートルにいた優れた歌い手をインフォーマントとし、録音も行った。この録音はサンクト・ペテルブルクのロシア科学アカデミー東洋学研究所に保管されている。1923年の滞在中から積極的に成果を発表し、これが評価され早くも1925年にはソ連国立音楽学研究所研究員に選出されている 。彼の死後に科学アカ...
  • 終了済みイベント
    日本シルクロード文化センター主催 シルクロード講座とシルクロードサロンのお誘い 第7回:12月12日(土)13 00~16 00  狛江「みんなの広場」 1. 新シルクロード講座(13:00~15:00) 「モンゴルが人類史に与えた歴史的役割」    講師:野口信彦(日本シルクロード文化センター代表) 「民族の響きを創り出す」     講師:青木隆紘さん(東京外語大博士課程在学中、モンゴル国の音楽と政治の関係を中心に研究)     伝統的なモンゴル音楽が、社会主義時代を経てどのように変容してきたかを話していただきます。    参加費(資料代):1,000円 2.シルクロード・サロン(15:00~16:00) 「シルクロードサロン」は、気軽に楽しく、シルクロードの文化や暮らしに触れる集いです。 「モンゴル舞踊」    踊りと解説:佐藤淳...
  • ヤタグ
    ヤトガ(ヤタグ/yatuG-a) ヤトガ (ятга)は現在では弦の柱をもつ箏型の楽器を指す言葉である。バドラハは元朝時代におおよそ2種類が使用されており、この楽器を担当する数多くの楽士がいたとしている 。  20世紀初頭、鳥居きみ子がハラチン王府でヤトガが行われていたことを記している。しかしエムシュハイマーによれば、この頃ヤトガは稀にしか見られず、モンゴル人の多くが「古い流行おくれ」のものと感じていたという 。ただモンゴル国で近代化以前と革命後のヤトガをつないだ人たちがいて、それはダムディンオチルやプレブといった人たちであった。ダムディンオチルはボグド・ハーンのお抱え楽士でホール奏者のトゥデブとトゥブデンの師匠ではあったがヤトガを最も得意とした 。また1936年、プレブ公旗(現在のバヤンホンゴル県)の高名なヤトガ奏者だったプレブを国立中央劇場に招き、Dam.ロブサンシャラフや...
  • 伝記・回想録
    ポンサルマーギーン・オチルバト著/内田敦之ほか訳(2001)『モンゴル国初代大統領オチルバト回想録』、明石書店 ドムチョクドンロプ/森久男訳(1994)『徳王自伝 モンゴル再興の夢と挫折』、岩波書店 A・M・ナイル著/河合伸訳(2008)『知られざるインド独立闘争 A・M・ナイル回想録』、風濤社 インド独立運動家がモンゴルを二度も訪問していたようです。満洲国、新疆も。これはびっくり。 ニコラス・ポッペ著/下内充、板橋義三訳(1990)『ニコラス・ポッペ回想録』、三一書房 モンゴルのブックリスト
  • インフォメーション
    インフォメーション 「内モンゴルと日本の近代」 <お話と映像>~モンゴル・ティを飲みながら~ 講師:鈴木仁麗(すずき・にれい)さん 明治大学・非常勤講師、早稲田大学招聘研究員 著書『満州国と内モンゴル』(単著)『モンゴル史研究』(共著)他 参加費:500円(モンゴル・ティ付) 日時:2012年12月16日(日)午後2時~4時 会場:東京都北区王子5丁目団地・6号棟・集会室(予定) JR東十条より徒歩10分 東京メトロ南北線 王子神谷駅より徒歩1分 主催&問合せ NPO法人アジアンロード http //www.asianroad.org/ 2012年 日本モンゴル文学会秋季研究発表会 2012年12月1日(土)午後1時~午後5時30分  (終了後 親睦会) 大阪大学箕面キャンパス・大阪外国語大学記念会館 http //www.osak...
  • 政治・経済・社会
    現代社会 青木信治『変革下のモンゴル国経済』、アジア経済研究所、1993年。 青木信治『モンゴル国経済顧問日記』、日経、1994年。 赤羽恒雄、アンナ・ワシリエバ編(2006)『国境を越える人々 北東アジアにおける人口移動』、国際書院 ツェデンダンバ・バトバヤル(2006)「モンゴルにおける外国人移民問題」、pp.263-288 岩田伸人編(2008)『モンゴルの光と風 蒼き環境・観光大国の挑戦』、日本地域社会研究所 岩田伸人(2010)『モンゴルプロジェクト―日本・モンゴルのFTA(自由貿易協定)形成の意義と課題 (青山学院大学総合研究所叢書)』、日本地域社会研究所 内田勇四郎、神沢有三、山原秀『躍進するモンゴル―視察記録と数字的分析』、経済往来社、1974年。 岡洋樹編(2011)『歴史の再定義―旧ソ連圏アジア諸国における歴史認識と学術・教育』、東北大学東北アジア...
  • M.ドガルジャブ
    Магасаржавын Дугаржав(1893-1946) Magsarjav Dugarjav マクサルジャビーン・ドガルジャブ  優れた歌手で、作曲、民俗音楽の研究も行い、1911年のボグド・ハーン政権を支えた官僚でもあり、1921年の革命にも参加している。 モンゴル近代音楽の祖というような評価を受けている。 その生涯  スフバートル県ムンフハーン郡の生まれ。父親は清朝時代からの官吏で、ボグド・ハーン政権時代も裁判所長官などを務め、ドガルジャブと同じく自治モンゴルを実務家として支えた。ドガルジャブはまた長身で、180㎝近くもあったという。  ドガルジャブ自身の経歴は、ボグドハーン自治時代の1917~18年には国防省および外務省の官吏、ウンゲルン時代には軍指揮官をしながら、モンゴル人民党(後の人民革命党)結成に参加した(当初はダンザンらと共に東クーロンのグルー...
  • モンゴル音楽事典用語4
    Ц цагинаа хоолой ディスカントゥス;ディスカント цан【器】シンバル цараа 全音域;全声域 ~ны бүс テッシトゥーラ царгил хөгжим【器】シロフォン(ксилофон《露》) царны нүүр 響板;共鳴板;(弦楽器の)表板 цахилгаан орон зайн хөгжим 電子音楽 цахилгаан хөгжмийн зэмсэг 電子楽器 цовоо ヴィヴァーチェ;ヴィーヴォ цовхрох бүжиг ギャロップ цоглог хөгжим[аялгуу] スケルツォ цомнол: 1、[цомог](オペラ、バレエなどの)台本;筋書き 2、旋法;モード(J.バドラーの用語) цохиур 爪;プレクトラム;ピック;義甲 цохивор хөгжмийн зэмсэг 打楽器 цөлдөн ...
  • モンゴル音楽史簡易年表
    下の年表は《青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99)》の年表を大幅に改訂したものです。 モンゴル音楽関連簡易年表 年代 出来事 BC400~93年頃 匈奴がモンゴル高原を支配。匈奴軍は鼓吹楽という軍楽隊のようなものを持っていた。またモンゴル国中央県アルタンボラグ郡からは匈奴時代の骨製口琴が出土。 2~3世紀頃 蔡琰(蔡文姬、177?-239?)が自身の運命を綴った詩『胡笳十八拍』(後世の創作説あり)で南匈奴のツォールと思われる管楽器について歌う。 554~559年 この期間に成立した『魏書』「高車伝」によると、紀元前3世紀頃からモンゴル高原に居住していたテュルク系の高車が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていたとの記述がある。 6世紀~11世紀 柔然、突厥、ウイグ...
  • モンゴル語の本
    モンゴル語(キリル文字) Ш.Адьшаа, Галдан Бошигт, Улаанбаатар, 2006.[アディシャー『ガルダン・ボシグト』] Анна Акулова, Монгол улс ОХУ-ын Кемерово мужийн хамтын ажиллагаа,Улаанбаатар, 2009.[アンナ・アクロヴァ『モンゴル国とロシア連邦ケメロヴォ県の共同事業』モンゴル国立大学](著者に献呈していただきました!) Аяако, Кимүра. “Монголын “Үндэсний уламжлалт соёл”.” Bulletin The IAMS News Information on Mongol Studies (40/41) International Association for Mongol Studies Ulaanbaatar. 2008....
  • モンゴル音楽事典用語2
    Е ерөөл ヨロール;祝詞。他の人物や事物の将来について幸多かれと祝福する内容の韻文の口承文芸。ほとんど無伴奏で語られる。 есүүл 九重奏 есц 9度 еслөл 9連符 Ё ёочин【器】ヨーチン;洋琴《中》 ёхор 【伝】ヨホル;ブリヤート・モンゴル人の間で伝統的に行われる円舞。狩猟の成功などを祝って氏族ごとに行われる。地域により歌詞やテンポ、踊りの形態は様々。 Ж жаран дөрвөт эгшиг 六十四分音符 жигд хөдөлгөөн よどみない流麗な動き жигдрүүлэг 音律 жигдэлсэн хөг 平均律 жимбүүр【器】 オーボエ(гобой) жингэнэх бүжиг ジーグ(古典舞曲)(жиг) жиргүүлэг トリル жиргээ モルデント жүжиг 劇 жүжгийн хө...
  • モンゴル音楽史参考文献
    <モンゴル語>モンゴル語 Ж.Бадраа, Хөгжмийн нэр томьёо, Улаанбаатар, 1956.[バドラー『音楽用語』] Ж.Бадраа,Монгол ардын хөгжим, Улаанбаатар, 1998.[バドラー『モンゴル民俗音楽』] Ж.Бадраа/Н.Жанцанноров, Их дуучны яриа, Улаанбаатар, 2005.[バドラー/ジャンツァンノロブ『大歌手の話』] Г.Бадрах, Монголын хөгжмийн түүхээс, Улаанбаатар, 1960/2008.[バドラハ『モンゴルの器楽の歴史より』] Я.Балжир, Ардын хөгжмийн зэмсэгт суралцах хялбаршуулсан сурах бичиг, Улаанбаатар,1995.[バルジル『民俗...
  • モンゴル音楽の楽譜
    <楽譜> Д.Батсүх, Монгол ардын дуу бүжиг, Улаанбаатар Улсын хэвлэлийн газар, 1985.[バトスフ『モンゴル人民の歌と踊り』] Ц.Батчулуун(red), Quartet of Morin Khuur, Улаанбаатар, 2009.[バトチョローン編『モリン・ホール四重奏曲(スコア)』] Х.Билэгжаргал, Ламбугайн нулимс ― гуртан бүлэг, зургаан үзэгдэлт дуурь,Улаанбаатар, 2005.[ビレグジャルガル『お坊さまの涙―3幕6場の歌劇(ヴォーカルスコア)』] Т.Гун-аажав/Р.Оюунбат, Монгол ардын дуу дэд дэвтэр-Ардын богино дуу, Улаанбаатар, 2...
  • J.メンドアマル
    ジャムバリーン・メンデアマル(1945-2003) МЭНД-АМАР Жамбалын Mend-Amar Jambalyn ヨーチン奏者、作曲家 略歴 中央県のルン郡に生まれる。家庭内で民俗音楽を教わって育つ。1960年に国立人民歌舞団に入団し、そこで亡くなるまでヨーチン奏者として活躍する。作曲も行い、1990年に国家功労芸術家受賞。民謡旋律に基づき、モンゴルの四季を思わせるような作風と評価される。 作品 バレエ音楽《業の三座山》(1987)、劇音楽《命の泉》(1989)、その他《労働の喜び》《ヨーチンのための独奏曲》《弦楽器の調べ》など多数の民族楽器のための作品、編曲。
  • メニュー
    モンゴル近現代音楽史&日本洋楽史の学習ノオト 管理者プロフィール 当ホームページに関して 更新情報2012/10/29更新 インフォメーション2012/11/16更新 モンゴル文化のデータベース モンゴル音楽史を知るデータベース 日本洋楽史を知るデータベース このホームページ内の資料についてのご意見・ご質問がある場合、またはホームページ内の資料を引用される場合は右上の「管理者に連絡」フォームからご一報ください。 @wiki FAQ @wiki 初心者講座 @wiki マニュアル @wiki 便利ツール @wiki - -
  • モンゴル音楽事典その他
    演奏団体、劇場 国立歌劇場(Монгол Улсын Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр) 公式HP http //opera-ballet.mn/ 1924年設立のスフバートル記念クラブの芸能サークルが1927年建設の人民娯楽場(“緑ドーム”の愛称で呼ばれた)に移ったのが前身。同じ建物内で1931年国立中央劇場(劇団)が組織され1949年同建物が家事で消失するまでそこで活動。1943年には専属のオーケストラを設立(それまでは伝統楽器で劇の伴奏をしていた)。1951年に開場した現在の国立歌劇場の建物で活動再開。1963年に演劇部が分離、国立ドラマ劇場に本拠地を移し、オペラ、バレエ中心の国立歌劇場として再スタート。名称を変えながら現在に至る。510人収容。現在の正式名称はモンゴル国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場。総合芸術監督B.ジャミヤンダグワ(バレエマイスター...
  • モンゴルで活躍したロシア人音楽家
    S.A.コンドラーチェフ(音楽研究家) Sh.S.コリツォフ?(軍楽隊指導) V.A.リャーリン?(軍楽隊指導) P.M.ベルリンスキー(指揮者・音楽研究家(ブリヤート共和国)) B.F.スミルノーフ(作曲家・音楽研究家) F.I.クレシコ?(声楽家)
  • モンゴル音楽史参考文献(日本語)
    モンゴル音楽史参考文献 青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99) 青木隆紘(2008)「面白管楽器発見!エヴェル・ブレー」(『PIPERS 11月号(327)』杉原書店、pp.18-21) 青木隆紘(2008)「モンゴル音楽用語小辞典」(『モンゴル研究 25』、モンゴル研究会、pp.54-74) 青木信治/橋本勝編著(1992年)「入門・モンゴル国」より“音楽―国際化する伝統音楽”pp.115-121.(平原社) G.Arkhincheev/小川信吉訳(1941)「ブリヤート蒙古演劇音楽学校」(『蒙古111』、善隣協会、pp.99-104) ルイク・イシドール/高橋勝之訳(1941)「ブリヤート蒙古の民族楽器」(『蒙古114』、善隣協会、pp.59-62) 石原邦子(2...
  • 《雲の如き運命》(1988)
    第一幕 第一場:旱魃で故郷を出て他のところへ移動した人々が再び戻ってくるところから話は始まる。その人々を束ねる年老いた領主ホロルドイ(バス)の体調が思わしくないことを役人のホーウォンドイ(バス・バリトン)が人々に知らせ、人々は移動を小休止する。ホロルドイは位を譲ることを決め、息子のテヌーン(バリトン)には「人の上に立つにはまだ未熟だ」と告げ、代わりに娘婿のトゥムルトゥルを跡継ぎとする布告を出した。領主の使用人ツォルハイ(メゾ・ソプラノ、ホーウォンドイの妻)は「皆の運命は地に落ちた」と人々を不安にさせる。ホロルドイは息を引き取り、人々は悲しみに包まれる。 第二幕 第二場:トゥムルトゥルの妃ナランゼル(ソプラノ、ホロルドイの娘)は遠くへ出かけた夫を待っているが、ツォルハイはその寂しさにつけ込み、嫉妬の種が生まれるよう仕向ける。旅から戻ったトゥムルトゥルは妃の心変わりに驚き、訳を知ろうとツ...
  • 歴史―古代
    江上波夫(1967)『騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ』 スキタイから鮮卑までの騎馬民族国家を扱った第1部と騎馬民族による日本征服説を扱った第2部からなる。騎馬民族征服王朝説は未だに仮説の域を出ないが、有名なこの説を一度は読んでおきたいところ。 加藤謙一(1998)『匈奴「帝国」』第一書房 沢田勲(1996)『匈奴―古代遊牧国家の興亡』東方書店 杉山正明(2003)『遊牧民から見た世界史―民族も国境もこえて (日経ビジネス人文庫)』日本経済新聞社 林俊雄(2007)『スキタイと匈奴 遊牧の文明』講談社 モンゴルのブックリスト
  • 歌唱法その他
    モンゴルの歌唱法その他 モンゴル歌謡の分類について オルティン・ドー ボギン・ドー? 掛け合い歌? ホーミー ウルゲル 叙事詩? 祝詞と賛歌? 歯笛(イスゲレー)? モンゴル音楽小事典
  • 20世紀モンゴル史概略
    仮のものです。 ボグド・ハーン政権のモンゴル国の歴史  1911年から1920年までのモンゴルの全般的な歴史の概略を、田中克彦 、萩原守 、Ts.バトバヤル 、小貫雅男 らの著作を中心に示す。  1691年以降清朝の支配下に入っていた外モンゴル地域は1911年、ボグド・ハーン制モンゴルとして独立した。国家元首にはボグド・ジェブツンダンバ・ホトクト8世というチベット人活仏 が聖俗界の両方のトップとして諸侯により推戴された。首都はフレー(現在のウランバートル)に置かれ、近代化をある程度志向しつつも(ロシアに軍隊、軍楽隊、電信敷設の援助を要請した)実態は清朝の行政システムをかなり踏襲した専制君主国家だった。これは、清朝がその末期に、辺境防備とロシアとの国境策定を有利に進める必要から辺境地域に漢人を積極的に入植する政策を実施したのに対し、モンゴル人側は遊牧社会存続への危機感、漢人商人、入...
  • Японы үлээвэр найрал хөгжимүүд
    Японы үлээвэр найрал хөгжимүүд Осака хотын үлээвэр найрал хөгжим(Osaka Municipal Symphonic Band) Тоглолт Миягава Акира Fun,Fun,Fantastico! http //www.youtube.com/watch?v=y63-RTJMseA Түүх 1923 元陸軍第四師団軍楽隊の有志で、「大阪市音楽隊」 を結成。中央公会堂にて記念演奏会を開催。 1925 大阪放送局(JOBK)ラジオ放送開始日の正午に大阪市音楽隊の演奏を放送。 1934 大阪市音楽隊、大阪市に移管される。 1946 大阪市音楽団と改称。 昭和25年(1950) 「たそがれコンサート」を開始、全国の発祥となる。 昭和27年(1952) 三越劇場での「定期演奏...
  • ウルゲル
    ウルゲル ウルゲル(キリル文字:үлгэр、モンゴル文字:üliger)とは民間に伝わる昔話、伝説、物語を指す一般的な語。複合語としてүлгэр домог(ウルゲル・ドモグ、民間の伝説)、үлгэр тууль(ウルゲル・トーリ、叙事詩)などと使われることもある。また本になった有名な物語(この場合は中国の物語の場合もある)を語るものをбэнсэн үлгэр(ベンセン・ウルゲル)という。弦楽器を弾きながら物語を弾き語りするものを内モンゴルでは特にхуурын үлгэр(ホーリーン・ウルゲル)と呼ぶ。これらの物語を文芸として書物化する他に、弦楽器(二胡、四胡や馬頭琴)での弾き語りが録音されることが行われた。
  • モンゴル国の作曲家
    19世紀生まれ M.ドガルジャブ(歌手・作曲家、1893-1946) 1900年~1910年代生まれ S.ゴンチグソムラー(作曲家、1915-1991) L.ムルドルジ(作曲家、1915-1996) G.ビルワー(作曲家・指揮者、1916-2006) B.ダムディンスレン(作曲家、1919-1991) G.ジャミヤン(馬頭琴奏者・作曲家、1919-2008) 1920年代生まれ E.チョイドグ(作曲家、1926-1988) D.ロブサンシャラフ(作曲家・合唱指揮、1926-) Ts.ナムスライジャブ(指揮者・作曲家、1927-1987) J.チョローン(作曲家・指揮者、1928-1996) 1930年代生まれ P.ハヤンヒルワー(作曲家、1935-) 1940年代生まれ Ch.サンギドルジ(作曲家、1940-) J.メンドアマル(ヨーチン奏者・作曲...
  • P.M.ベルリンスキー
    P.M.ベルリンスキー(1900-1976) 経歴 イルクーツク生まれ。ブリヤート共和国の作曲家。レニングラード音楽院で1926年までピアノと作曲を、1939年モスクワ音楽院で指揮を学ぶ。モスクワ、レニングラード、キーロフ、トムスク、イルクーツクで働く。1929~1946年までウランウデの芸術研究所、ブリヤート音楽演劇専門学校で講師、ブリヤートドラマ劇場で常任指揮者。ピアニスト、音楽評論家としても活躍。1941~1944年ブリヤート作曲家同盟議長。1940年名誉勲章、1943年ブリヤート人民芸術家。 モンゴルの音楽研究で必ず引用される『モンゴルの歌手・音楽家 ウルジー・ロブサン・ホールチ』はロブサンをモンゴル人民共和国から招聘し彼の歌を採譜したものである。 作品 モンゴルで活躍したロシア人音楽家
  • J.エネビシ
    J.エネビシ  芸術学博士、音楽学者、評論家。この20年間に、伝統音楽および現代音楽の歴史、理論の諸問題に関して、『音楽の伝統の革新』1991年、『モンゴル人の歴史文化事典』共著2004年、『チンギス・ハーン辞典』共著2006年、『遊牧民の音楽概念における潜在意識』共著2006年、『モンゴル音楽の口承と記譜の相互関係』2007年、『芸能評論、すなわち精霊を喚起するイラクサなり』2007年、『20世紀モンゴル音楽芸術評論の思想概観』2008年、『20世紀モンゴル音楽研究論文選集』監修2008年、『音楽学(科学アカデミー叢書22)』共著2010年、『文化芸術研究』共著2010年など、単著および共著による本を出し、30以上の修士、博士論文を指導し、無形文化財保護を主題とした10本以上のドキュメンタリー番組の制作に携わった。馬頭琴、オルティン・ドー、ホーミー、民族楽器オーケストラに関する大統領令...
  • モンゴル音楽事典用語
    モンゴル語音楽用語小辞典(仮) Монгол Ядон хөгжмийн нэр томьёоны харицуулсан толь 注:引用などご利用の際は引用元(当HP)を明記してください。 凡例 【略】略語 【器】楽器 【歴】歴史 【響】音響学 【伝】伝統音楽、伝統文化の用語 《露》ロシア語 《西》チベット語 《中》中国語 [ ] 置き換え可能 例:гигэлгэн[гунил] аязはгигэлгэн аязまたはгунил аязの意。 ~ 用例・準見出しの中の語の全部、または一部に変えて用いる。 → 参照すべきものを示す А аажуу アダージョ(速度記号) аажуухан アンダンテ авад зохиомж 即興演奏;即興曲;インプロビゼーション авиа 音;声 ~ дэвсгэрлэх ар...
  • オルティン・ドー
    オルティン・ドー (モンゴル語 Уртын дуу,古い文献にはУрт дууも見られる,モンゴル文字ラテン文字転写ではurtu-yin daγuu, 日本ではオルチンドーとも表記)は、モンゴル語で『長い歌』という意味の民謡であり、ホーミーと並び遊牧民族モンゴル人を代表する歌唱法でもある。 特徴 「非拍節的な自由リズムにもとづく旋律で歌い演奏される」ものと言われる。 歴史 中国の歴史書『魏書』には、紀元前3世紀頃からその地にいた古代トルコ系の高車という人々が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていた、というモンゴルのオルティン・ドーを思わせる記述がある。また漢の北方に大帝国を築いた匈奴も同じような歌の形式を持っていたらしい。 歌手 代表的な歌手にモンゴル国のドルジダグワ、ノロブバンザド、チメドツェイェーらがいる。 現代のトルコでも民謡はリズ...
  • モンゴル近現代史入門書
    モンゴル国 青木雅浩『モンゴル近現代史研究 1921‐1924年-外モンゴルとソヴィエト、コミンテルン』早稲田大学出版部 生駒雅則『モンゴル民族の近現代史(ユーラシア・ブックレットNo.69)』(東洋書店、2004年) 薄っぺらい本だが新しい研究が反映されている。19世紀末から1940年代に入るまで、特に独立モンゴルが社会主義路線へと舵を切っていく時期の研究としてよくまとまっている。 磯野富士子『モンゴル革命』(中央公論社、1974年) 小貫雅男『モンゴル現代史』(山川出版社、1993年) 山川だけど、使ってる研究や資料が社会主義時代の頃のままで最早参考に出来ません。 木村毅『モンゴルの真実』(中西出版、2002年) 注)1921年の革命と1990年の民主化について書かれている入門書。 小長谷有紀『モンゴルの二十世紀』(中央公論新社、2004年) 歴史書じゃ...
  • ハイタフ氏インタビューその2
    G.ハイタフ インタビュー2「モンゴルは知性を競わせて復活すべき」2006年8月24日  モンゴル国の人民芸術家、労働英雄のG.ハイタフ氏にインタビューをするために電話をしましたら、好きなように都合を付けることができ、明日の15時30分に会うよう時間を決めました。私は15時34分にハイタフさんに電話して、来ていないのですね、と伝えるとそれに対して「わが息子よ、ちょっと遅れます」と言って昔かたぎの、時間をきちんと守るところを見せられました。  まさにこの、素敵な白髪の老人は今日80歳を迎え、60年以上国のために働いています。我々の話はモンゴルの芸術の明らかな一翼を背中に何年も背負ってきた芸術への尽力者の抱く、社会における全ての問題を批判し洗い出す、と言うテーマで行われました。 ―あなたの生活に支えが出来た時から話を始めましょうか。 H―人が成長するとは、小さいときから自分の少し...
  • ハイタフ氏インタビューその1
    G.ハイタフ氏 インタビューその1 「今振り返ると、私は奴隷のようだった」2005年3月12日 「日曜インタビュー」のお相手として、今回は人民芸術家G.ハイタフさんをお招きしました。彼は、心に何年もしまわれてきた全ての事柄を、読者の皆さんと共有することを許してくれました。私たちのインタビューはとても慎重に始まったのでした。 (以下 ハイタフ=H、インタビュアー・R.エムジン=E) H-今振り返ると、私のした努力と同等の見返りを受けることが出来ませんでした。国のために60年間休まず仕事をする中で、50年間舞台の上で歌ってきました。80歳を迎えます。これほどの年になったとはいえ、若い人にも負けないぐらい仕事をしているつもりです。一人の人間として、私は野望も目的も達成しました。しかし、心は満たされていないのです。出版所で植字工をしていた時、ノルマを上回ってかなりの給料を貰ったのを除けば...
  • 青木孝義作品表
    青木孝義 Aoki Takayoshi(1951-2011) 作曲家 【生年】昭和26(1951)年7月22日 【出身】岡山県 【学歴】津山工業高等専門学校(昭和47年)卒 【賞】音コン作曲室内楽曲部門第1位(昭和46年),音楽之友社創立30周年記念作曲賞(昭和46年),大阪文化祭奨励賞(昭和47年) 【プロフィール】鐘紡生産技術研究所に勤務の傍ら、作曲家として活躍。昭和46年「シンクロニゼーション」で音楽コンクール作曲室内楽曲部門第1位となり注目される。主な作品に「協奏的変奏」「Geschwatzigkeit 72」「無伴奏フルートのための“呪咀2”」がある。 【所属団体】日本現代音楽協会,大阪楽友協会 <参考文献> 秋山邦晴(1979)『日本の作曲家たち〈下〉―戦後から真の戦後的な未来へ』、音楽之友社 細川 周平、片山 杜秀監修(2008)『日本の作曲家...
  • モンゴル音楽史参考文献(その他の言語)
    <ロシア語> Академия Наук СССР. Искусство Бурятской АССР, Улан-Удэ, 1959.[ソヴィエト連邦科学アカデミー『ブリヤート・ソヴィエト自治共和国の芸術』] Берлинский, П.М. Монгольский певец и музыкант Ульдзуй Лувсан хуурчи, Москва, 1933.[ベルリンスキー,P.M.『モンゴルの歌手・音楽家ウルジー・ロブサン・ホールチ』] Дашева, Л.Д. Традиционная Музыкальная Культура Бурят, Издательство ОАО “Республиканская Типография” Улан-Удэ, 2005.[ダシエワ,L.D『ブリヤートの伝統音楽文化』] Кондратьев, С.А. Музыка Монг...
  • リンク集
    リンク集 お役立ち CiNii(どうかサイニィと読んで下さい) 論文情報ナビゲータby国立情報学研究所 http //ci.nii.ac.jp/ 論文・雑誌記事検索ができます。非常に便利。 学術研究データベース・リポジトリ http //dbr.nii.ac.jp/infolib/meta_pub/G9200001CROSS Webcat Plus by 国立情報学研究所 http //webcatplus.nii.ac.jp/ 全国の大学図書館などが所蔵する資料(書籍、雑誌、AV資料他)を検索できます。ただし、「連想検索」は「?」。 GeNii (どうかジーニィと読んで下さい)by 国立情報学研究所 http //ge.nii.ac.jp/genii/jsp/index.jsp 研究に必要な情報を総合的に探索できるポータルサイト 大学...
  • モンゴル音楽研究ノート1
    まだモンゴルの音楽について全然分かっていなかったころに書いたものです。 西洋音楽の受容と全体主義体制化での芸術音楽~モンゴルにおける近代音楽史研究の可能性~  私は日本のクラシック音楽の歴史、つまり日本におけるシンフォニー・オーケストラ、軍楽隊(吹奏楽)、西洋的な音楽語法の歌曲、オペラ等の歴史に興味を持ち、先行研究を中心に調べている。日本でも音楽の伝統を有しているが、そこにどうやって西洋音楽そのもの、または西洋的な音楽の要素が入ってきたのか、それからもう一つ、日中戦争、太平洋戦争に代表されるようなファシズムが国を覆っていた時代、音楽と音楽家がどのような状況にあったのかに特に興味がある。 モンゴルももちろん素晴らしい音楽の伝統を持っているが、主に社会主義革命後、ソ連を通じて西洋的な音楽を受容してきた。現在でもポップミュージックは盛んであるし、オペラも日常的に興行を続けているという...
  • 管理者プロフィール
    管理者プロフィール 某大学のヘボ院生だったが最近ようやく職に就く。血液型はA型。 モンゴルを「愛している」のかはなはだ怪しい(まあ「愛は盲目」と言いますし)けどモンゴル音楽に関してダラダラ研究まがいのことを続けています。 一応、日本最初のエヴェル・ブレー(モンゴルの角笛)奏者でもあります。 頭の弱い子なのでどこまでできるか分かりませんが、生暖かく見守ってやってください。 管理者の書いたもの 青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99) 青木隆紘(2008)「面白管楽器発見!エヴェル・ブレー」(『PIPERS 11月号(327)』杉原書店、pp.18-21) 青木隆紘(2008)「モンゴルの中心で角笛を吹く」(『日本とモンゴル 117』、日本モンゴル協会、pp.41-5...
  • リムベ
    リムベ ユネスコの「緊急に保護する必要がある無形文化遺産」へのリムベの登録について 現在のモンゴル国および、モンゴル人居住地域の多くで横笛を指す。リムベ(лимбэ)はチベット語起源の語(gling-bu)でこの語が一般的になる以前はビシグール(бишгүүр)の語があてられていた 。バドラハによれば20世紀初頭モンゴル人地域で使われていたリムベの古い名はフンドゥルン(横の)・ビシグール(хөндлөн бишгүүр)であるといい、この種の楽器は3種類が元朝の宮廷楽団でも用いられていたとされる 。  モンゴル高原周辺のモンゴル人地域のリムベの特徴としては、一般的に2つあげられよう。まず、ホルサン・リムベ(竹製のリムベ)を極度に乾燥した気候から守るために小型家畜の腸で包んだり、バターを塗りつけていたこと がある。それから、オルティン・ドーの旋律を演奏するために発達したビトゥー・...
  • モンゴル歌謡の分類について
    モンゴル歌謡の分類について モンゴル民謡の曲を分類する作業は、その初期において、言語学者により行われた。唄、儀式歌、祝詞(ユルール)、讃詞(マクタール)、叙事詩をその詞の構造、内容、表現に沿って分類していたので、これは音楽的な面で根拠に欠けるものであった。音楽作品の生命であり真の存在要件たる調子や旋律、音組織の観点からは検討されていなかったのである。 モンゴル民謡の分類をかなり早い時期に行った研究者の一人にA.ポズネーエフがいる。彼はモンゴル民謡の分類を、まずモンゴルの多くの部族ごとに分け、その中でさらに分類した。それをここに示すと: ハルハ族の歌:   1、宗教歌   2、生活歌および父母への賛歌    3、想い人に向けて歌う歌 ウールト族の歌:   1、叙事歌   2、年代記歌   3、祝詞または婚礼の先導唄 ブリヤート族の歌   1、益荒男の歌 ...
  • 服部四郎
    服部 四郎 服部四郎(はっとり しろう、1908年5月29日 - 1995年1月29日)は、日本の言語学者。東京大学名誉教授。 人物 三重県亀山市生まれ。第一高等学校時代に読んだ安藤正次の『言語学概論』で、日本語の起源が不明であることを知り、言語学を志すことになる。 言語学者として、日本語、琉球語、アイヌ語、朝鮮語、モンゴル諸語、満州語、テュルク諸語(アルタイ諸語)、中国語、英語、ロシア語など多岐に渡る言語を研究した。それら研究対象言語には話者(インフォーマント)に直接学ぶ、フィールド言語学の方法論を取った。無文字社会の言語の研究のみならず、万葉集や元朝秘史などの文献に基づく言語学も行った。 歴史言語学・比較言語学の方面においても、日本語諸方言アクセントの比較研究、厳密な音声学に基づく日本語と琉球語の同系関係の証明、古モンゴル語の音韻史の解明などもある。 従来...
  • モンゴル近現代文化の参考文献
    モンゴル近現代文化の参考文献リスト(音楽以外) (#印付きはモンゴル語の資料、それ以外は原則日本語) 多分野に亘るので、私一人ではどうにもならないページの一つです。修正や追加があればどんどん編集お願いいたします。 文化史 モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999年)《Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)》(全3巻)、ウランバートル# Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986年)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』(全2巻、モンゴル国立出版所、Ulaanbaatar)# 秋津紀穂(1972年)「モンゴルの文化革命」朝日アジアレビュ- 3(2),152~155,1972/06/00(ISSN 03872785) (朝日新聞社) 田中克彦(1992年)『モンゴル 民族と...
  • @wiki全体から「ホーチル」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索