J.ドルジダグワ

モンゴル音楽 @wiki内検索 / 「J.ドルジダグワ」で検索した結果

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  • J.ドルジダグワ
    ジグザウィーン・ドルジダグワ(1904年-1991年) Жигзавын Дорждагва/Jigzaw Dorjdagwa  社会主義時代のモンゴルを代表する歌手の一人。現在のドンドゴビ県に生まれ、1912年~22年、オンギ三寺院の中等寺院で経典を学び、1923年~27年ガンダンテグチレン寺のダシチョインボル法会の学堂の読経ラマ(読経の際、ラマたちの唱和を先導する)だった。1927年~31年中央生鮮物倉庫で毛皮の仕分け人、1931年~32年国立出版所で紙の運搬業、出版補助業務をやっていた。1932年~1943年国立中央劇場で歌手をし、1943年~48年国立音楽ドラマ劇場で合唱の団長、指導者を務め、1948年~51年ドルノド県音楽ドラマ劇場で合唱指導者、1951年~62年民族歌舞アンサンブル合唱指導者、1962年~65年音楽舞踊専門学校で合唱指導者、国立民族歌舞団でも合唱指導者...
  • モンゴル国の歌手
    ...93-1946) J.ドルジダグワ(歌手、1904-1991) N.ノロブバンザド(民謡歌手、1931-2002) オペラ歌手 G.ハイタフ(オペラ歌手、1926-) Ts.プレブドルジ(オペラ歌手、1929-2007) 歌謡曲 D.ジャルガルサイハン(歌手、1959- )
  • M.ドガルジャブ
    Магасаржавын Дугаржав(1893-1946) Magsarjav Dugarjav マクサルジャビーン・ドガルジャブ  優れた歌手で、作曲、民俗音楽の研究も行い、1911年のボグド・ハーン政権を支えた官僚でもあり、1921年の革命にも参加している。 モンゴル近代音楽の祖というような評価を受けている。 その生涯  スフバートル県ムンフハーン郡の生まれ。父親は清朝時代からの官吏で、ボグド・ハーン政権時代も裁判所長官などを務め、ドガルジャブと同じく自治モンゴルを実務家として支えた。ドガルジャブはまた長身で、180㎝近くもあったという。  ドガルジャブ自身の経歴は、ボグドハーン自治時代の1917~18年には国防省および外務省の官吏、ウンゲルン時代には軍指揮官をしながら、モンゴル人民党(後の人民革命党)結成に参加した(当初はダンザンらと共に東クーロンのグルー...
  • オルティン・ドー
    オルティン・ドー (モンゴル語 Уртын дуу,古い文献にはУрт дууも見られる,モンゴル文字ラテン文字転写ではurtu-yin daγuu, 日本ではオルチンドーとも表記)は、モンゴル語で『長い歌』という意味の民謡であり、ホーミーと並び遊牧民族モンゴル人を代表する歌唱法でもある。 特徴 「非拍節的な自由リズムにもとづく旋律で歌い演奏される」ものと言われる。 歴史 中国の歴史書『魏書』には、紀元前3世紀頃からその地にいた古代トルコ系の高車という人々が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていた、というモンゴルのオルティン・ドーを思わせる記述がある。また漢の北方に大帝国を築いた匈奴も同じような歌の形式を持っていたらしい。 歌手 代表的な歌手にモンゴル国のドルジダグワ、ノロブバンザド、チメドツェイェーらがいる。 現代のトルコでも民謡はリズ...
  • モンゴル音楽の楽譜
    <楽譜> Д.Батсүх, Монгол ардын дуу бүжиг, Улаанбаатар Улсын хэвлэлийн газар, 1985.[バトスフ『モンゴル人民の歌と踊り』] Ц.Батчулуун(red), Quartet of Morin Khuur, Улаанбаатар, 2009.[バトチョローン編『モリン・ホール四重奏曲(スコア)』] Х.Билэгжаргал, Ламбугайн нулимс ― гуртан бүлэг, зургаан үзэгдэлт дуурь,Улаанбаатар, 2005.[ビレグジャルガル『お坊さまの涙―3幕6場の歌劇(ヴォーカルスコア)』] Т.Гун-аажав/Р.Оюунбат, Монгол ардын дуу дэд дэвтэр-Ардын богино дуу, Улаанбаатар, 2...
  • E.チョイドグ
    E.チョイドグ(Eregzengiin Choidog, 1926-1988) 1926年ウランバートル生まれ。内務省付属小学校から1940年に芸能学校(現音楽舞踊専門学校)に入る。1942~49年国立劇場の楽員。1954~56年国立民族歌舞団芸術監督、56~63年モスクワ音楽院作曲科にてプロコフィエフの《イワン雷帝》をバレエ用に編曲したことで知られるM.チュラーキに師事。1963~67年ドルノド県立劇場専属作曲家、音楽講師、67~81年国立民族歌舞団指揮者、81~88年ダルハン市立青年劇場音楽講師。師と同じく舞踊音楽を得意とし多数の舞踊作品を書いた(少々ハチャトゥリアンを思わせるが)。また管弦楽作法においてもオリジナリティを発揮した。ムルドルジの後を受け民族楽器オーケストラを育て、民族楽器のための作品も多い。1986年国家賞受賞。ちなみに今日よく演じられるバレエ《チョイジド夫人伝...
  • L.ムルドルジ
    ロブサンジャムツィーン・ムルドルジ(1915年-1996年) Лувсажамцын Мөрдорж Luvsanjamts Murdorj 経歴 1919年ウランバートル生まれ。1929年小学校に入り、その後経理を学んでいたが1932年国立劇場に楽員として入り1936年兵役により従軍。軍楽隊に入り後に軍楽隊長となった。兵役終了後1941年より国立サーカス楽団の楽員、指揮者。1950~56年、モスクワ音楽院に留学しE.K.ゴロベーフ、V.G.フェーレに師事。帰国後、国立民族歌舞団専属作曲家となり、歌舞団付属民族楽器大オーケストラの設立に尽力する。民族楽器の奏法を研究し、大アンサンブル内で平均律の半音階を演奏できるよう改良する仕事を指揮した。1970~74年国立師範学校作曲科講師、1974年より組織に属さない作曲家として生活していた。1946年と51年に国家賞を受賞し197...
  • L.ツェレンドルジ
    ロブサンドルジーン・ツェレンドルジ(1908-1988) ЦЭРЭНДОРЖ Лувсандоржийн Tserendorj Luvsandorjiin リムベ奏者 略歴 中央県セルゲレン郡の出身。1930年代より国立中央劇場で働き始める。後中央劇場副劇場長、国立芸能学校校長を務める。粛清の嵐吹き荒れる中、1938年から1940年まで投獄されるが1958年に名誉回復。その後もモンゴル音楽界を代表するリムベ奏者として活躍、後進の指導にあたる。民謡《金色の聖なるガラス》、歌曲《窓際にとまった蝿》などの演奏は特に高い評価を受けている。
  • Ts.ナツァグドルジ
    Ts.ナツァグドルジ(Tsogzolyn Natsagdorj, b.1951)  ドンドゴビ県生まれ。66年中学校からウランバートルの師範学校音楽教育科に入り、70年卒業後72年まで同校で音楽理論、和声学講師。72年にウラル音楽院に留学。作曲科でN.プゼイに師事。78年に帰国し音楽舞踊中学校にて理論、書法、和声学の講師を務めた後82年から2年間文化省芸術課長、84~87年国立歌劇場長、87年より作曲科同盟器楽作品部会代表、同同盟国際部長、84~90年同同盟書記長。94年より再び国立歌劇場長。93年に国家賞。それまで作曲家がひとりで何でもこなす(音楽活動においても作風においても)のが普通だと考えられていたモンゴル音楽界において、ハンガルやナツァグドルジの世代からは個々の作曲家が独自の路線で活動を始めた。同世代でナツァグドルジと同じく管弦楽作品の多いハンガルが感傷性や現代的な激しい表現主義...
  • Ch.サンギドルジ
    チョイギウィーン・サンギドルジ(Чойгивийн Сангидорж、1940-2012) モンゴル国の作曲家。 略歴 1940年バヤンホンゴル県ボグド郡生まれ。 1972年カザフスタンのアルマトゥイ音楽院卒業。 代表作に歌曲《息子の思い》、《ま白きアルタイ山》、オーケストラのための《交響的序曲》(2008)
  • Ts.プレブドルジ
    ツェウェグジャビーン・プレブドルジ Цэвэгжавын Пүрэвдорж Tsevegjav Pu revdorj バリトン歌手 経歴 1929年ヘンティー県生まれ。ウランバートルに出て中学校を卒業後、出版局でデザインの仕事をしていたが、1947年に国立音楽ドラマ劇場の専属合唱団に入り1955年から1960年スヴェルドロフスク市のウラル音楽院にて声楽を学んだ。帰国後は国立歌劇場で専属歌手となり数々のオペラ公演に出演。歌劇場付属のスタジオや国立文化芸術大学で後進の指導にもあたっていた。2007年没。1969年に人民芸術家、1989年に労働英雄、2006年にブリヤート共和国人民芸術家の称号をそれぞれ得た。
  • モンゴル国の作曲家
    19世紀生まれ M.ドガルジャブ(歌手・作曲家、1893-1946) 1900年~1910年代生まれ S.ゴンチグソムラー(作曲家、1915-1991) L.ムルドルジ(作曲家、1915-1996) G.ビルワー(作曲家・指揮者、1916-2006) B.ダムディンスレン(作曲家、1919-1991) G.ジャミヤン(馬頭琴奏者・作曲家、1919-2008) 1920年代生まれ E.チョイドグ(作曲家、1926-1988) D.ロブサンシャラフ(作曲家・合唱指揮、1926-) Ts.ナムスライジャブ(指揮者・作曲家、1927-1987) J.チョローン(作曲家・指揮者、1928-1996) 1930年代生まれ P.ハヤンヒルワー(作曲家、1935-) 1940年代生まれ Ch.サンギドルジ(作曲家、1940-) J.メンドアマル(ヨーチン奏者・作曲...
  • モンゴル音楽史参考文献
    <モンゴル語>モンゴル語 Ж.Бадраа, Хөгжмийн нэр томьёо, Улаанбаатар, 1956.[バドラー『音楽用語』] Ж.Бадраа,Монгол ардын хөгжим, Улаанбаатар, 1998.[バドラー『モンゴル民俗音楽』] Ж.Бадраа/Н.Жанцанноров, Их дуучны яриа, Улаанбаатар, 2005.[バドラー/ジャンツァンノロブ『大歌手の話』] Г.Бадрах, Монголын хөгжмийн түүхээс, Улаанбаатар, 1960/2008.[バドラハ『モンゴルの器楽の歴史より』] Я.Балжир, Ардын хөгжмийн зэмсэгт суралцах хялбаршуулсан сурах бичиг, Улаанбаатар,1995.[バルジル『民俗...
  • モンゴル音楽史簡易年表
    下の年表は《青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99)》の年表を大幅に改訂したものです。 モンゴル音楽関連簡易年表 年代 出来事 BC400~93年頃 匈奴がモンゴル高原を支配。匈奴軍は鼓吹楽という軍楽隊のようなものを持っていた。またモンゴル国中央県アルタンボラグ郡からは匈奴時代の骨製口琴が出土。 2~3世紀頃 蔡琰(蔡文姬、177?-239?)が自身の運命を綴った詩『胡笳十八拍』(後世の創作説あり)で南匈奴のツォールと思われる管楽器について歌う。 554~559年 この期間に成立した『魏書』「高車伝」によると、紀元前3世紀頃からモンゴル高原に居住していたテュルク系の高車が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていたとの記述がある。 6世紀~11世紀 柔然、突厥、ウイグ...
  • 革命の立役者たち
    1921年革命の立役者たち 「領事館丘グループ」 ボドー(1885-1922) チョイバルサン(1895-1952) ロソル? ジャミヤン? 「東庫倫グループ」 ダンザン? スフバートル(1893-1923) D.ドクソム? M.ドガルジャブ 「その他」 ダンバドルジ? ジャムツァラーノ?(1880?-1940?) リンチノ? 「ロシア人」 ソロコヴィコフ? クチェレンコ? ゲンバルジェフスキー?
  • モンゴルのオーケストラを聴こう!
    このページでモンゴル人民共和国時代のオーケストラの演奏が聴けます。 ニュースポータルサイト「ソニン・ドット・エムエヌ」(ソニン=モンゴル語で新聞) 『黄金時代の音楽文庫』より“モンゴルのクラシック” http //sonin.mn/2009/03/02/mongolianclassics/ 曲目は上から 1、E.チョイドグ作曲:映画音楽「モンゴルの美しき国」より(1961) 2、Z.ハンガル作曲:バレエ音楽「宝珠の山々」より“アダージョ”(1981) 3、B.ダムディンスレン作曲:「ヘンティーの高き山にて」(1947) 4、L.ムルドルジ作曲:映画音楽「わが祖国」より(1971) 5、J.チョローン作曲:バレエ音楽「職人のハス」より“第4幕のアダージョ”、“ワルツ”(1973) 6、J.チョローン作曲:「2つの民謡による主題と変奏」(1951) 7、L.ムルドルジ作...
  • Kh.ビレグジャルガル
    Kh.ビレグジャルガル(Khaltaryn Bilegjargal, 1954-2008) ザブハン県生まれ。68年に中学校からウランバートル市の師範学校に入学、音楽教育科卒(シャラフと同級生)。1972~76年アルハンガイ県師範学校で講師をした後、スヴェルドロフスクのウラル音楽院作曲科に入り76~82年B.ギバリンに、82~84年D.ネメスキーに師事。帰国後は84~87年、音楽舞踊中学校講師、1988年より国立歌劇場専属作曲科、90年から95年モンゴル作曲科同盟委員長。2008年病没。新奇さを出すのが難しいといわれたオペラの分野で《お坊さまの涙》などモンゴルオペラにしてはかなり革新的な作品を残した。 代表作 オペラ《お坊さまの涙》(原作:D.ナツァグドルジ、台本:B.ルハグワスレン)(1985)、《弦楽とピアノ、打楽器のためのパッサカリア》(2007)、《ピアノ・トリオ...
  • モンゴル語の本
    モンゴル語(キリル文字) Ш.Адьшаа, Галдан Бошигт, Улаанбаатар, 2006.[アディシャー『ガルダン・ボシグト』] Анна Акулова, Монгол улс ОХУ-ын Кемерово мужийн хамтын ажиллагаа,Улаанбаатар, 2009.[アンナ・アクロヴァ『モンゴル国とロシア連邦ケメロヴォ県の共同事業』モンゴル国立大学](著者に献呈していただきました!) Аяако, Кимүра. “Монголын “Үндэсний уламжлалт соёл”.” Bulletin The IAMS News Information on Mongol Studies (40/41) International Association for Mongol Studies Ulaanbaatar. 2008....
  • Ts.エンフトゥル
    ツェンドルジーン・エンフトゥル ЭНХТӨР, Цэндорж() |略歴 ウランバートル生まれ。父は作曲家G.ツェンドルジ?。音楽舞踊中学校にてピアニストT.ツォルモン?に師事、モスクワ音楽院付属音楽専門学校に留学、T.ガリツカヤに師事。帰国後更にモンゴル国立文化芸術大学にて研鑽を積む。1992年よりピアニストとして活動を始め、モンゴル国内のみならずロシア、ウクライナ、中国、アメリカ、日本など海外でも演奏活動を行っている。クラシック作品のみならず現代モンゴル国の作曲家の作品も得意とし、父ツェンドルジ、S.ゴンチグソムラー、Kh.ビレグジャルガル、Z.ハンガルの作品を録音している。
  • モンゴル音楽事典その他
    演奏団体、劇場 国立歌劇場(Монгол Улсын Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр) 公式HP http //opera-ballet.mn/ 1924年設立のスフバートル記念クラブの芸能サークルが1927年建設の人民娯楽場(“緑ドーム”の愛称で呼ばれた)に移ったのが前身。同じ建物内で1931年国立中央劇場(劇団)が組織され1949年同建物が家事で消失するまでそこで活動。1943年には専属のオーケストラを設立(それまでは伝統楽器で劇の伴奏をしていた)。1951年に開場した現在の国立歌劇場の建物で活動再開。1963年に演劇部が分離、国立ドラマ劇場に本拠地を移し、オペラ、バレエ中心の国立歌劇場として再スタート。名称を変えながら現在に至る。510人収容。現在の正式名称はモンゴル国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場。総合芸術監督B.ジャミヤンダグワ(バレエマイスター...
  • モンゴル音楽研究ノート2
    20世紀外モンゴル地域における音楽史研究 私の大学での専攻はモンゴル語とその文化である。モンゴル人の居住する地域は、モンゴル国に加えて中国の内蒙古自治区、ロシア連邦内のブリヤート共和国、カルムイク共和国などがあるが、それぞれ異なった歴史的経緯を持つため、ここではモンゴル人の所有する国家であるモンゴル国に限定して話を進める。さてこの現在のモンゴル国には、もちろん素晴らしい音楽の伝統がある一方、主に社会主義革命以降、ソ連・ロシアを通じての近代化と共に西洋的な音楽を受容してきた。現在でもポップミュージックは盛んであるし、オペラも日常的に興行を続けている。西洋音楽は十分に浸透していて、その状況は非常に興味深い。一方でモンゴルは特異な歴史を持つ。この歴史と先の音楽状況を重ね合わせると、モンゴルの音楽状況においての興味深く、また難しい問題が浮かび上がる。そのうち私は2つの点に注目したい。 一...
  • モンゴルの近現代音楽とは
    モンゴルの「近現代音楽」とは何か  さて、このサイトに掲げてあるモンゴルの「近現代音楽」とは何か、ここで簡単に考察を試みる。要するに音楽の近代化の話である。  この音楽の近代化とは、考えられるものを挙げていくと、楽器の近代化、作曲技法の近代化、伝達の近代化、演奏・聴取機会の近代化、聴衆意識の近代化などがある。  まず楽器の近代化について。 モンゴルには伝統的に実に様々な楽器がある。民俗音楽研究家J.バドラーの著書「モンゴルの民俗音楽」には、こんなものまで本当にモンゴルの楽器だったのか、と疑問に思えるものまで非常に多数の楽器が掲載されている。それらの楽器は第一に楽器の使われる「場」によって2つに分けられる。仏教音楽と世俗の音楽である。モンゴルではチベット仏教が生活の中心であった。ここでは多種の管楽器、打楽器が用いられる。そして世俗の音楽がある。英雄叙事詩などの弾き語りを、トプ...
  • 1911年独立の立役者たち
    1911年独立の立役者たち ボグド・ジェプツンダンバ8世? ハイサン? ハンダドルジ? ダーラマ・ツェレンチメット? ダムディンスレン? マクサルジャプ? ナムナンスレン? バボージャブ?
  • モンゴル国の演奏家
    Ö.ロブサン(英雄叙事詩・馬頭琴奏者、1885-1943) L.ツェレンドルジ(リンベ笛奏者、1908-1990) G.ジャミヤン(馬頭琴奏者、1919-2008) D.ツェレンドルゴル(ヴァイオリン奏者、1931-1965) T.ツォルモン?(ピアニスト) Ts.エンフトゥル(ピアニスト)
  • シャンズ
    シャンズ/ショドラガ Шанз(s anj a)/Шудрага(sidurGa) シャンズ(шанз)の語は漢語の三弦(san xian)または弦子(xian zi)に由来するとされる 。現代のモンゴル国でシャンズと同じ楽器を指す語としてショドラガ(шудрага)という語も用いられる。このショドラガの語は14世紀末にはあった言葉で撥弦楽器を指す語のひとつであった 。バドラハはショドラガは、より古い琵琶やホビスから生まれたとしている 。 ゴンチグソムラーによれば1939年当時すでに半音階を演奏できるよう左手の運指が示されているが、調弦は左からC4、D4、A4だった 。他にも地方や、伴奏するオルティン・ドーの種類によって8種類の調弦が知られている 。またバドラハは 民族楽器オーケストラで使われる調弦は、すでに1940年代スミルノーフによって変更された。現在広く使用されてい...
  • B.ダムディンスレン
    ビレギーン・ダムディンスレン(1919年-1991年) Билигийн Дамдинсүрэн Biligiin Damdinsuren 社会主義時代のモンゴルを代表する作曲家の一人。1919年トゥブ県生まれ。父親はボグド・ハーンの自治モンゴル軍で活躍した軍人。このことは彼の作品のテーマ(モンゴルの自由と独立のために命をかける人民の英雄たち)に影響を与えているという。1924~28年ウランバートルのガンダン寺で小僧。その後小学校に入り技術職に就き、1935年国立劇場の楽員になる。41年から54年まで国立劇場指揮者、54年から56年までレニングラード音楽院作曲科にてO.S.チーシコに師事。帰国後バヤンウルギー県立劇場、国立歌劇場の芸術監督を勤めた後、58~62年今度は北京音楽院作曲科で学ぶ。帰国後国立歌劇場専属作曲家、演出家、ドルノド県立劇場芸術監督、「モンゴル・キノ」映...
  • G.ジャミヤン
    Гомбодоржийн Жамъян(1919/11/28-2008/2/17) ゴムボドルジーン・ジャミヤン Gombodorjiin Jamiyan 経歴  1919年、ツェツェン・ハン盟、サロール・グン旗のスーデリーン・オハーというところ(現・ドルノド県ボルガン郡)に生まれる。貧しいながらタイジ(チンギスハーンの血を引く貴族)であった父ゴムボドルジよりモンゴル文字の読み書きと馬頭琴を習う。18歳まで両親の元で暮らすが、1937年ウランバートルへ上京、芸能者学校へ入学しD.トゥデブ(1898-1938)及びS.トゥブデン(1901-?)に馬頭琴を師事(1939年卒業)。1938年からは国立中央劇場で演奏者として働くようになる。また1940年ソ連より招聘された作曲家、音楽学者B.F.スミルノフ(1912-1971)に音楽理論を学んだ。同じ時期ブリヤート社会主義自治共和国...
  • モンゴル国の指揮者
    N.ツェレンピル?(軍楽隊指揮者、1915-1978) G.ビルワー(作曲家・指揮者、1916-2006) B.ダムディンスレン(作曲家、1919-1991) E.チョイドグ(作曲家、1926-1988) D.ロブサンシャラフ(作曲家・合唱指揮、1926-) Ts.ナムスライジャブ(指揮者・作曲家、1927-1987) J.チョローン(作曲家・指揮者、1928-1996) P.ハヤンヒルワー(作曲家・軍楽隊指揮者、1935-) S.スンデド?(民族楽器楽団指揮者、1938- ) Ch.ジャムスランジャブ?(指揮者、1943-1994) Ts.バータルジャブ?(指揮者、1944- ) J.ブレンベフ(指揮者・俳優、1946- ) N.トーライフー(指揮者、1954- ) N.ブテンバヤル? B.ルハグワスレン?
  • S.ソロンゾンボルド
    スレンギーン・ソロンゾンボルド(Сүрэнгийн Соронзонболд、1958- ) モンゴル国の作曲家、音楽学者。作品はモンゴル国内のみならず、中国、モナコ、ドイツ、オランダなど海外でも演奏され高い評価を得ている。 略歴 1958年、アルハンガイ県ツェツェルレグ市に生まれる。1976年、ウランバートル市で十年制学校を卒業。同年、バンド「ハランガ」の現メンバーであるエンフマンライとオドスレンがウランバートル鉄道のウランバートル駅付属楽団のメンバーとして採用された際、彼らと一緒に働こうと同鉄道に就職した。様々な業務につく傍ら、サーカスの楽団員やピオネール宮殿で指導員のプレブジャブの元で小太鼓を演奏したりもした。 1983年、ジャズ楽団のために初めての作曲をする。同年、サーカス楽団で長年指導受けたことを実績とし、文化省専門家認定委員会にプロ音楽家となるための申請をし、試験に...
  • リムベ
    リムベ ユネスコの「緊急に保護する必要がある無形文化遺産」へのリムベの登録について 現在のモンゴル国および、モンゴル人居住地域の多くで横笛を指す。リムベ(лимбэ)はチベット語起源の語(gling-bu)でこの語が一般的になる以前はビシグール(бишгүүр)の語があてられていた 。バドラハによれば20世紀初頭モンゴル人地域で使われていたリムベの古い名はフンドゥルン(横の)・ビシグール(хөндлөн бишгүүр)であるといい、この種の楽器は3種類が元朝の宮廷楽団でも用いられていたとされる 。  モンゴル高原周辺のモンゴル人地域のリムベの特徴としては、一般的に2つあげられよう。まず、ホルサン・リムベ(竹製のリムベ)を極度に乾燥した気候から守るために小型家畜の腸で包んだり、バターを塗りつけていたこと がある。それから、オルティン・ドーの旋律を演奏するために発達したビトゥー・...
  • コンクールその他
    コンクールその他 (特記以外はウランバートルでの開催) 『黄金の秋』音楽祭(“Алтан намар” хөгжмийн наадам) 1982年より、毎年10月もしくは11月頃に行われている、国内最大の芸術音楽祭。作曲家のN.ジャンツァンノロブが「モスクワの秋音楽祭」に倣って開催を提唱した。声楽、伝統楽器、室内楽、オーケストラなどの様々な作品が演奏される。また、これに際し作曲コンクールも行われている。2009年からは海外の作曲家も参加できるよう門戸を開き、ロシア、ブリヤート、カルムイク、中国などより参加者があった。 モンゴル国では社会主義時代、音楽家や舞踊家は文化省で試験され、そのレベルによってランク付けされ、給与もそれによって決められていた。社会主義時代はアマチュアが参加できるコンクールの方が多く、プロになって活躍できる才能を発掘する意図があった。そのために、プロの...
  • モンゴル国歌
    モンゴルの国歌 Монгол Улсын Төрийн Дуулал (詞:Ts.ダムディンスレン(1908-1986)、曲:B.ダムディンスレン・L.ムルドルジ共作) モンゴルの国歌の歴史について見てみたい。  まず、ボグド・ハーン政権下の1914年にロシア人の手による国歌が新設の軍楽隊により演奏されたという記録がある。これはロシアの作曲家でありマリイーンスキー劇場でヴァイオリン奏者も務めていたカドレツ・サンがペテルブルグ大学東洋学部に所蔵されていたモンゴル民謡の旋律を元に作曲したもの。  次いでモンゴル人民共和国成立当初の1924年から1950年迄は「モンゴル・インターナショナル」(1922-23)というソノムバルジリーン・ボヤンネメフ(С. Буяннэмэх;1902年 - 1937年粛清)が作詞した歌が国歌の代わりとして歌われていた(これは社会主義運動の中でよく歌われた「...
  • 20世紀モンゴル史概略
    仮のものです。 ボグド・ハーン政権のモンゴル国の歴史  1911年から1920年までのモンゴルの全般的な歴史の概略を、田中克彦 、萩原守 、Ts.バトバヤル 、小貫雅男 らの著作を中心に示す。  1691年以降清朝の支配下に入っていた外モンゴル地域は1911年、ボグド・ハーン制モンゴルとして独立した。国家元首にはボグド・ジェブツンダンバ・ホトクト8世というチベット人活仏 が聖俗界の両方のトップとして諸侯により推戴された。首都はフレー(現在のウランバートル)に置かれ、近代化をある程度志向しつつも(ロシアに軍隊、軍楽隊、電信敷設の援助を要請した)実態は清朝の行政システムをかなり踏襲した専制君主国家だった。これは、清朝がその末期に、辺境防備とロシアとの国境策定を有利に進める必要から辺境地域に漢人を積極的に入植する政策を実施したのに対し、モンゴル人側は遊牧社会存続への危機感、漢人商人、入...
  • ドーダラム
    ドーダラム  ドーダラム(дуударам)は漢語で言うところの九音鑼、雲鑼である 。四角い木の枠に紐で音程の異なる10の皿状の鉦が吊られている。バドラハの書にも元の宮廷楽団の楽器の一つとして13の鉦を持つものがあったこと、当時も別のドーダラムが存在したことがしるされている 。また鳥居きみ子がハラチン王府にて、手で持つ柄を入れて高さ約90cm、幅約50cmの10の鉦を持つ九音鑼が使われていたことを報告している 。  改良ドーダラムは1961年、インドゥレーが製作した。これはほとんど原形をとどめない形で改良された。すなわち2オクターブ強の半音階を演奏できるよう、23個の異なる大きさの円盤型の鉦をグロッケン・シュピールのように木製の台の上に並べたものとなった。これは作曲家と演奏家の要請でこの形になったといい 、この楽器が1961年のカンタータ《祖国、堅き存在》で初めて使用されたことから、ロ...
  • ホーミー
    ホーミー 英語 throat singing/overtone singing 日本語 喉歌 ハルハ・モンゴル語 хөөмий/хөөмэй(フーミー/フーメイ)、まれにхамраар лимбэдэх(鼻で笛の音を出す) 喉を詰めて声を出し、それを口の中、例えば舌と硬口蓋などの間に作り出した空間などで共鳴させて、低音と高音が同時に発声されているように聞かせる発声法。アルタイ山脈周辺の地域、現在のアルタイ共和国、トゥバ共和国、モンゴル国(特に西部に居住するオイラート系諸部族)、ハカス共和国などで行われている。ブリヤート共和国を形成するブリヤート・モンゴル人や、サハ共和国を形成するヤクート人の間でも行われていたと言われることもあるが、現在サハ共和国で伝統芸能として行われる喉歌は近年トゥバなどから再度入ってきたもののようである。 その起源はアルタイの山谷を抜ける風音を模倣した、...
  • J.ブレンベフ
    ジャグワラリーン・ブレンベフ БҮРЭНБЭХ, Жагваралын(1946年生まれ) 指揮者、俳優。 |略歴 アルハンガイ県ハシャート郡出身。1965年より国立劇場で俳優としてのキャリアを積むが、1969年より国立師範学校音楽学科民族楽器オーケストラの指揮を学び、1973年レニングラード音楽院に留学し指揮法を学び、1979年帰国。以来国立歌劇場の指揮台に立ち、歌劇《お坊さまの涙》(Kh.ビレグジャルガル作曲)他数々の新作オペラ、バレエの初演に携わる。
  • モンゴルの歌謡曲を聴こう!
    リンク先のページでモンゴル人民共和国時代の懐メロが聴けます。 ニュースポータルサイト「ソニン・ドット・エムエヌ」(ソニン=モンゴル語で新聞)『黄金時代の音楽文庫』より “B.ザンガド(テノール歌手、人民芸術家)” http //sonin.mn/2009/03/12/zangad/ 曲目は上から 1、「ホブド川」 2、D.ミャースレン曲/D.プレブドルジ詞:「黄金の秋」 3、「愉快な心持ち」 4、「歌おうよ先生」 5、「年頃の楽しみ」 6、「紋章木の祀り」 “G.トゥメンデムベレル(人民歌舞団歌手、人民芸術家)” http //sonin.mn/2009/03/12/tumendemberel/ 曲目は上から 1、「トーラ川の流れ」 2、「みな幸せな娘たち」 3、「ユンデン兄さん」(民謡) 4、「ハンガイの歌」(ハンガイ=草原と少しの森林の入り混じった...
  • モンゴルの民謡を聴こう!
    リンク先のページでモンゴルの民謡が聴けます。 ニュースポータルサイト「ソニン・ドット・エムエヌ」(ソニン=モンゴル語で新聞)『黄金時代の音楽文庫』より “N.ノロブバンザド(民謡歌手、人民芸術家)” 不世出の民謡歌手、ノロヴバンザドの至芸をどうぞ。 http //sonin.mn/2009/08/11/norovbanzad/ 1、「穏やかな世界の太陽」 2、「静かにそよぐ風」 3、「麗しき故郷」 4、「お洒落な黒馬」 5、「涼やかで美しきハンガイの地」 6、「手の十指」 7、「山の北側の森を行く子馬」 8、「四季の草原」 9、「ヘルレン川の流れ」 10、「ちっちゃな浅黄の子馬」 11、「ゴーリンゴー」 12、「広大なる草原」 13、M.ドガルジャブ曲/N.ナワーンユンデン詞:「豊かなモンゴル」 14、「ほくろのある麻黒な人」 15、M.ドガルジャブ曲...
  • モンゴル歌謡の分類について
    モンゴル歌謡の分類について モンゴル民謡の曲を分類する作業は、その初期において、言語学者により行われた。唄、儀式歌、祝詞(ユルール)、讃詞(マクタール)、叙事詩をその詞の構造、内容、表現に沿って分類していたので、これは音楽的な面で根拠に欠けるものであった。音楽作品の生命であり真の存在要件たる調子や旋律、音組織の観点からは検討されていなかったのである。 モンゴル民謡の分類をかなり早い時期に行った研究者の一人にA.ポズネーエフがいる。彼はモンゴル民謡の分類を、まずモンゴルの多くの部族ごとに分け、その中でさらに分類した。それをここに示すと: ハルハ族の歌:   1、宗教歌   2、生活歌および父母への賛歌    3、想い人に向けて歌う歌 ウールト族の歌:   1、叙事歌   2、年代記歌   3、祝詞または婚礼の先導唄 ブリヤート族の歌   1、益荒男の歌 ...
  • J.エネビシ
    J.エネビシ  芸術学博士、音楽学者、評論家。この20年間に、伝統音楽および現代音楽の歴史、理論の諸問題に関して、『音楽の伝統の革新』1991年、『モンゴル人の歴史文化事典』共著2004年、『チンギス・ハーン辞典』共著2006年、『遊牧民の音楽概念における潜在意識』共著2006年、『モンゴル音楽の口承と記譜の相互関係』2007年、『芸能評論、すなわち精霊を喚起するイラクサなり』2007年、『20世紀モンゴル音楽芸術評論の思想概観』2008年、『20世紀モンゴル音楽研究論文選集』監修2008年、『音楽学(科学アカデミー叢書22)』共著2010年、『文化芸術研究』共著2010年など、単著および共著による本を出し、30以上の修士、博士論文を指導し、無形文化財保護を主題とした10本以上のドキュメンタリー番組の制作に携わった。馬頭琴、オルティン・ドー、ホーミー、民族楽器オーケストラに関する大統領令...
  • イフ・ブレー
    イフ・ブレー、ツォルドン・ブレー  イフ・ブレー(их/大 бүрээ/喇叭)は長さが3m程ある金管楽器 で19世紀末頃にはウヘル(үхэр/牛)・ブレーとも呼ばれていた 。前述のビシグールと同様にチベット仏教寺院で用いられていた法器で、寺院の閉鎖後は博物館入りしていた。 1945年に映画《ツォクト・タイジ》の音楽作曲の際、スミルノーフが用い、その際トロンボーン奏者が持ち替えで演奏したが 、当時どのような楽器が用いられたのかは不明である。その後1959年にムルドルジが仏教音楽の楽器の音色を民族楽器オーケストラに入れることを提案し、インドゥレーが実際の製作にあたった。この2つの楽器は1961年の革命40周年記念演奏会で初めて使用された。 ツォルドン(цордон/小管)・ブレーは1960年インドゥレーが製作したが、この当時の楽器の詳細は不明である。その後1984年2つの楽器は共に長い朝...
  • リムベの無形文化遺産登録
    リムベによるオルティン・ドー演奏の技法―循環呼吸による リムベは硬質の木材、もしくは竹製の横笛である。伝統的にモンゴルのオルティン・ドーという長く声を引き延ばすのが特徴の民謡の演奏に使われてきた。循環呼吸の使用により、リムベはオルティン・ドーに特有の持続される幅広い音域の旋律を奏することが可能となっている。演奏者は鼻から息を吸い、同時に口から息を吐く。その際頬の中に空気をためることで間断なく演奏することができる。オルティン・ドーの歌詞の一節分はおおよそ4~5分にも及ぶ。1曲の全体は3~5、あるいはもっと多くの節で構成され、この間ずっと休みなく12~25分も吹き続けることが要求される。この楽器の伝統的なメソッドの中には、この技法を習得するために、火のついたロウソクを消さずに息を吹きかけ続ける、もしくは水の入ったコップにストローで息を入れ続ける訓練が含まれている。リムベの演奏の特徴は響きのよ...
  • J.チョローン
    J.チョローン(Jamiyangiin Chuluun,1928-1996) 1928年ホブド市生まれ。父は文化施設の音楽指導者だった。9歳のとき地元の馬頭琴伝承者に習い始める。1939年ウランバートルに行き国立劇場に見習い楽員として入り、そこでO.ダシデレグに揚琴を習う。のちB.F.スミルノーフに音楽理論を学び、N.I.モトーリンにヴァイオリンと打楽器を学ぶ。国際青年フェスティバルに参加。1956年国立劇場でアサフィエフの《バフチサライの泉》を指揮して指揮者デビュー(ちなみにこれがモンゴルでの本格的バレエ公演の最初)。1959-60年、66年、67年プラハ音楽アカデミーにて指揮法、音楽理論の研鑽を積む。1960年から28年間にわたり国立歌劇場主席指揮者の任にあった。1988年からはナムスライジャブの穴埋めとして国立フィルハーモニー芸術監督に就任。ヴァイオリニスト、作曲家としても名...
  • モンゴル近現代文化の参考文献
    モンゴル近現代文化の参考文献リスト(音楽以外) (#印付きはモンゴル語の資料、それ以外は原則日本語) 多分野に亘るので、私一人ではどうにもならないページの一つです。修正や追加があればどんどん編集お願いいたします。 文化史 モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999年)《Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)》(全3巻)、ウランバートル# Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986年)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』(全2巻、モンゴル国立出版所、Ulaanbaatar)# 秋津紀穂(1972年)「モンゴルの文化革命」朝日アジアレビュ- 3(2),152~155,1972/06/00(ISSN 03872785) (朝日新聞社) 田中克彦(1992年)『モンゴル 民族と...
  • 宗教
    阿拉坦宝力格ほか著;芝山豊編(2008)『南北モンゴルカトリック教会の研究』清泉女学院教育文化研究所 石濱裕美子(2001)『チベット仏教世界の歴史的研究』、東方書店 板橋区立美術館編(1998)『モンゴルの仏教美術 展覧会カタログ』、産経新聞社 煎本孝(2002)『東北アジア諸民族の文化動態』、北海道大学図書刊行会 第11章  モンゴル・シャマニズムの文化人類学的分析 (煎本 孝) 第12章  内モンゴルにおけるチャハル人の生計活動の変化 (Alta)所収 小野田俊蔵, 岡本康兒編 ; 岡本康兒, 田上操, 赤澤ジャコバ訳(2006)『アジアにおける仏教美術の諸様式 チベット・モンゴル・ブータン』、 佛教大学アジア宗教文化情報研究所 外務省情報部編(1936)『蒙古ラマ教の話』、外務省情報部 木村理子(2007)『モンゴルの仮面舞儀礼チャム 伝統文化の継承と創造...
  • モンゴル近現代史参考文献リスト
    「モンゴル近現代史文献」 M.アリウンサイハン「モンゴルにおける大粛清の真相とその背景 ソ連の対モンゴル政策の変化とチョイバルサン元帥の役割に着目して」(『一橋論叢』第126巻第2号、2001年8月号) M.アリウンサイハン(2004年)「日ソ関係とモンゴル 満洲事変から日ソ中立条約締結までの時期を中心に」(一橋大学・博士論文手稿、国立国会図書館所蔵) M.アリウンサイハン(2007)「モンゴル・ソ連相互援助規定書の締結と日本・ソ連・中国」(『一橋社会科学 第2号』一橋大学) O.バトバヤル「 補論 第二次世界大戦後のモンゴルにおける日本人軍事捕虜」『スラブ研究センター研究報告シリーズ 81』,p59-69,20020329(北海道大学) Ts.バトバヤル「一九一〇年代のモンゴル在留日本人」(古厩忠夫編 環日本海叢書3『東北アジア史の再発見』有信堂、1994年) Ts.バトバヤル...
  • S.A.コンドラーチェフ
    S.A.コンドラーチェフ(Кондратьев, С.А./1896-1970) 彼は作曲もした音楽民俗学者でペテルブルク大学の物理数学学科を卒業している。1923年、ロシア地理学協会のP.K.コズロフの探検隊に加わり、1924年まで調査を行った。モンゴル側の典籍委員会より招待状を得て1926年から再びウランバートルに滞在し、以降1930年までモンゴルで調査を行っている。当時典籍委員会にいたジャムツァラーノの協力を得、ウラディミールツォフとも親交があった。O’.ロブサンやM.ドガルジャブといったウランバートルにいた優れた歌い手をインフォーマントとし、録音も行った。この録音はサンクト・ペテルブルクのロシア科学アカデミー東洋学研究所に保管されている。1923年の滞在中から積極的に成果を発表し、これが評価され早くも1925年にはソ連国立音楽学研究所研究員に選出されている 。彼の死後に科学アカ...
  • モンゴル国の音楽学者
    G.バドラハ(教師・研究者、1894-1938) J.バドラー(民俗学者・音楽学者・詩人、1926-1993) S.ツォードル?(民謡歌手・音楽学者、1927- ) J.エネビシ(音楽学者、1937-) D.バトスレン(音楽学者、1938-1996) N.ジャンツァンノロブ(作曲家、1948-) S.ソロンゾンボルド(作曲家、1958-) L.エルデネチメグ?(音楽学者) R.オヨーンバット?(音楽学者)
  • インフォメーション
    インフォメーション 「内モンゴルと日本の近代」 <お話と映像>~モンゴル・ティを飲みながら~ 講師:鈴木仁麗(すずき・にれい)さん 明治大学・非常勤講師、早稲田大学招聘研究員 著書『満州国と内モンゴル』(単著)『モンゴル史研究』(共著)他 参加費:500円(モンゴル・ティ付) 日時:2012年12月16日(日)午後2時~4時 会場:東京都北区王子5丁目団地・6号棟・集会室(予定) JR東十条より徒歩10分 東京メトロ南北線 王子神谷駅より徒歩1分 主催&問合せ NPO法人アジアンロード http //www.asianroad.org/ 2012年 日本モンゴル文学会秋季研究発表会 2012年12月1日(土)午後1時~午後5時30分  (終了後 親睦会) 大阪大学箕面キャンパス・大阪外国語大学記念会館 http //www.osak...
  • J.バドラー
    ジャムツィーン・バドラー БАДРАА, Жамцын(1926~1993) |略歴 民俗学者、詩人、音楽学者。フブスグル県アルボラグ郡生まれ。1950年モンゴル国立大学卒業、言語文学の学位を取得。1958年インドのデリーにある国際インド文化研究所にてヒンディー語、サンスクリット語を学ぶ。 |著作
  • @wiki全体から「J.ドルジダグワ」で調べる

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