M.ドガルジャブ

モンゴル音楽 @wiki内検索 / 「M.ドガルジャブ」で検索した結果

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  • M.ドガルジャブ
    ...年) J.エネビシ「M.ドガルジャブの生涯と作品」(N.ジャンツァンノロブ編『モンゴル音楽研究』1989年) 田中克彦『草原の革命家たち』(中央公論社、1990年) 戻る
  • モンゴルの民謡を聴こう!
    ...なる草原」 13、M.ドガルジャブ曲/N.ナワーンユンデン詞:「豊かなモンゴル」 14、「ほくろのある麻黒な人」 15、M.ドガルジャブ曲/N.ナワーンユンデン詞:「牛飼いの息子」 16、「浅い大湖」 17、「落ち着いた声の兄さん」 18、「偉大なる真髄」 19、「至福の喜び」
  • モンゴル国の歌手
    ...85-1943) M.ドガルジャブ(歌手・作曲家、1893-1946) J.ドルジダグワ(歌手、1904-1991) N.ノロブバンザド(民謡歌手、1931-2002) オペラ歌手 G.ハイタフ(オペラ歌手、1926-) Ts.プレブドルジ(オペラ歌手、1929-2007) 歌謡曲 D.ジャルガルサイハン(歌手、1959- )
  • 革命の立役者たち
    ... D.ドクソム? M.ドガルジャブ 「その他」 ダンバドルジ? ジャムツァラーノ?(1880?-1940?) リンチノ? 「ロシア人」 ソロコヴィコフ? クチェレンコ? ゲンバルジェフスキー?
  • J.ドルジダグワ
    ...場に歌手として入り、M.ドガルジャブに師事し、ハン・ヘンティー県のB.ロブサンゴムピルに三年間歌を教わった。まザサグト・ハンのゲレンフーギーン・ポブロン、ツェツェン・ハンの歌手、サミーン・ゴムボらに師事し、ハルハ部族の全てのオルティン・ドーの様々な作法を制覇した。 戻る
  • モンゴル国の作曲家
    19世紀生まれ M.ドガルジャブ(歌手・作曲家、1893-1946) 1900年~1910年代生まれ S.ゴンチグソムラー(作曲家、1915-1991) L.ムルドルジ(作曲家、1915-1996) G.ビルワー(作曲家・指揮者、1916-2006) B.ダムディンスレン(作曲家、1919-1991) G.ジャミヤン(馬頭琴奏者・作曲家、1919-2008) 1920年代生まれ E.チョイドグ(作曲家、1926-1988) D.ロブサンシャラフ(作曲家・合唱指揮、1926-) Ts.ナムスライジャブ(指揮者・作曲家、1927-1987) J.チョローン(作曲家・指揮者、1928-1996) 1930年代生まれ P.ハヤンヒルワー(作曲家、1935-) 1940年代生まれ Ch.サンギドルジ(作曲家、1940-) J.メンドアマル(ヨーチン奏者・作曲...
  • S.A.コンドラーチェフ
    ...た。O’.ロブサンやM.ドガルジャブといったウランバートルにいた優れた歌い手をインフォーマントとし、録音も行った。この録音はサンクト・ペテルブルクのロシア科学アカデミー東洋学研究所に保管されている。1923年の滞在中から積極的に成果を発表し、これが評価され早くも1925年にはソ連国立音楽学研究所研究員に選出されている 。彼の死後に科学アカデミーに保管されていたこれらの調査の成果は1970年にまとめて『モンゴル英雄叙事詩と歌謡の音楽』として出版された。 <参考> Кондратьев, С.А. Музыка Монгольского Эпоса и Песни,Москва, 1970.
  • モンゴル音楽史簡易年表
    ...治家、歌手、作曲家のM.ドガルジャブ(1893-1946)、リムベ奏者L.ツェレンドルジ(1908-1990)らモスクワの芸術オリンピアードに出場、スターリンの前で歌い、更にモンゴル人として初のレコード録音も行う。P.M.ベルリンスキー(1900-1976)著『モンゴルの音楽家ロブサン・ホールチ』モスクワで出版。 1934年 モンゴル初の民族歌劇《悲しみの三つの丘》(D.ナツァグドルジ作)上演(ただし旋律は流行歌を流用)。M.ドガルジャブ、雑誌『モンゴル民族文化の道』に「民族音楽をどう発展させるかについて」という記事執筆。モンゴル初の大規模工業施設である工業コンビナートの建設始まる。9月モンゴルラジオ放送開始。10月芸術監督局設置。12月人民軍歌舞団が軍中央劇場に名称変更。 1935年 M.ドガルジャブら楽譜『モンゴルの歌選集』を出版。満州里会議開催。最初のネグデル設立。5月人民教育...
  • モンゴルの近現代音楽とは
    ...で一般的になったのはM.ドガルジャブが1923年にロシア人音楽学者コンドラーチェフから記譜法を、1930年代にA.エフレーモフから音楽理論を学び(J.エネビシ)、1940年に音楽指導員としてソ連よりB.F.スミルノフが派遣されて(D.バトスレン)以降のことだろう。またこの時期からモスクワ音楽院への留学生も出始める。モンゴル最初のプロフェッショナル作曲家のS.ゴンチグソムラー(1915-1991)もそうだし(ジャンツァンノロブ)、現在のモンゴル音楽界の重鎮たちの中にもチャイコフスキー記念モスクワ音楽院卒業生は多い。なお直接の因果関係があるかどうかは分からないが、B.F.スミルノフが派遣された1940年はソ連でもモンゴルでも大粛清による独裁強化がほぼ完成した時期であり(M.アリウンサイハン)、またソ連が「大ロシア政策」の下、諸共和国に対し文化的影響力を直接行使していった時代でもある(民族...
  • モンゴル音楽研究ノート2
    ...近代音楽の祖とされるM.ドガルジャブが西洋の記譜、作曲法を学んだのはロシア人からであるし、彼はまたソヴィエトでモンゴル人として初の商業用レコード録音もしている。1940~45年、B.F.スミルノフがソヴィエトから音楽技術指導に派遣されている。在任中彼はB.ダムディンスレンとの共作でモンゴル初の本格的創作オペラ《悲しみの三つの丘》を完成させ、またモンゴル音楽の研究にも貢献した(D.バトスレン(1989)「B.スミルノフの遺産、研究の功績に関して」)。彼の派遣された時期はソヴィエトの大ロシア主義の時代、すなわちあらゆる少数民族へロシア的な影響が行使された時期なのであるが、それは後にも述べる。1943年にはF.I.クレシコがソ連より派遣され声楽指導を行っている。また多くの優秀な音楽家はチャイコフスキー名称モスクワ音楽院を中心にソ連圏へ留学をした。これは特にモンゴルのオペラの分野の発展に関し...
  • 卒業論文
    目次 序論 第1章 音楽の政治利用、音楽への政治的圧力の諸形態 第2章 政治との関連から見た20世紀のモンゴル国音楽史 2.1. 1921年革命以前ボグド・ハーン政権のモンゴル国 2.2. 人民革命期から(1921年~1928年) 2.3. 音楽家と粛清の時代、ドガルジャブの活動と最期(1928年~1940年代) 2.4. 社会主義建設とアマチュア芸能振興(1945年~) 第3章 結論 あとがき 参考文献表 モンゴル音楽史への駄文
  • S.ソロンゾンボルド
    スレンギーン・ソロンゾンボルド(Сүрэнгийн Соронзонболд、1958- ) モンゴル国の作曲家、音楽学者。作品はモンゴル国内のみならず、中国、モナコ、ドイツ、オランダなど海外でも演奏され高い評価を得ている。 略歴 1958年、アルハンガイ県ツェツェルレグ市に生まれる。1976年、ウランバートル市で十年制学校を卒業。同年、バンド「ハランガ」の現メンバーであるエンフマンライとオドスレンがウランバートル鉄道のウランバートル駅付属楽団のメンバーとして採用された際、彼らと一緒に働こうと同鉄道に就職した。様々な業務につく傍ら、サーカスの楽団員やピオネール宮殿で指導員のプレブジャブの元で小太鼓を演奏したりもした。 1983年、ジャズ楽団のために初めての作曲をする。同年、サーカス楽団で長年指導受けたことを実績とし、文化省専門家認定委員会にプロ音楽家となるための申請をし、試験に...
  • Ts.ナムスライジャブ
    Ts.ナムスライジャブ(Tsegmidyn Namsraijav,1927-1987) アルハンガイ県生まれ。8歳のとき国立劇場付属芸能者養成グループに入り、胡琴をO.ダシデレグについて学び劇場の楽員となる(1930年代から40年代前半までモンゴル国立劇場には管弦楽団はなく民族楽器の合奏が劇の伴奏をしていた。1943年モスクワ音楽院出身のロシア人音楽指導者B.F.スミルノーフを招き1944年にはオーケストラの体裁が整った)。1945年劇場の管弦楽団にホルン奏者として入団。1947、49、51年世界青年フェスティバルに参加。1949年から指揮を始める。1952~57年モスクワ市音楽院へ留学、指揮科でE.Y.ラーツェルに師事、卒業。1957年国立フィルハーモニー協会管弦楽団設立に参加し、1987年まで国立フィルハーモニー芸術監督の任にあった。1950年に作曲した《革命英雄行進曲》(革命...
  • モンゴル語の本
    モンゴル語(キリル文字) Ш.Адьшаа, Галдан Бошигт, Улаанбаатар, 2006.[アディシャー『ガルダン・ボシグト』] Анна Акулова, Монгол улс ОХУ-ын Кемерово мужийн хамтын ажиллагаа,Улаанбаатар, 2009.[アンナ・アクロヴァ『モンゴル国とロシア連邦ケメロヴォ県の共同事業』モンゴル国立大学](著者に献呈していただきました!) Аяако, Кимүра. “Монголын “Үндэсний уламжлалт соёл”.” Bulletin The IAMS News Information on Mongol Studies (40/41) International Association for Mongol Studies Ulaanbaatar. 2008....
  • モンゴル国の指揮者
    N.ツェレンピル?(軍楽隊指揮者、1915-1978) G.ビルワー(作曲家・指揮者、1916-2006) B.ダムディンスレン(作曲家、1919-1991) E.チョイドグ(作曲家、1926-1988) D.ロブサンシャラフ(作曲家・合唱指揮、1926-) Ts.ナムスライジャブ(指揮者・作曲家、1927-1987) J.チョローン(作曲家・指揮者、1928-1996) P.ハヤンヒルワー(作曲家・軍楽隊指揮者、1935-) S.スンデド?(民族楽器楽団指揮者、1938- ) Ch.ジャムスランジャブ?(指揮者、1943-1994) Ts.バータルジャブ?(指揮者、1944- ) J.ブレンベフ(指揮者・俳優、1946- ) N.トーライフー(指揮者、1954- ) N.ブテンバヤル? B.ルハグワスレン?
  • 1911年独立の立役者たち
    1911年独立の立役者たち ボグド・ジェプツンダンバ8世? ハイサン? ハンダドルジ? ダーラマ・ツェレンチメット? ダムディンスレン? マクサルジャプ? ナムナンスレン? バボージャブ?
  • モンゴルのオーケストラを聴こう!
    このページでモンゴル人民共和国時代のオーケストラの演奏が聴けます。 ニュースポータルサイト「ソニン・ドット・エムエヌ」(ソニン=モンゴル語で新聞) 『黄金時代の音楽文庫』より“モンゴルのクラシック” http //sonin.mn/2009/03/02/mongolianclassics/ 曲目は上から 1、E.チョイドグ作曲:映画音楽「モンゴルの美しき国」より(1961) 2、Z.ハンガル作曲:バレエ音楽「宝珠の山々」より“アダージョ”(1981) 3、B.ダムディンスレン作曲:「ヘンティーの高き山にて」(1947) 4、L.ムルドルジ作曲:映画音楽「わが祖国」より(1971) 5、J.チョローン作曲:バレエ音楽「職人のハス」より“第4幕のアダージョ”、“ワルツ”(1973) 6、J.チョローン作曲:「2つの民謡による主題と変奏」(1951) 7、L.ムルドルジ作...
  • モンゴル音楽史参考文献
    <モンゴル語>モンゴル語 Ж.Бадраа, Хөгжмийн нэр томьёо, Улаанбаатар, 1956.[バドラー『音楽用語』] Ж.Бадраа,Монгол ардын хөгжим, Улаанбаатар, 1998.[バドラー『モンゴル民俗音楽』] Ж.Бадраа/Н.Жанцанноров, Их дуучны яриа, Улаанбаатар, 2005.[バドラー/ジャンツァンノロブ『大歌手の話』] Г.Бадрах, Монголын хөгжмийн түүхээс, Улаанбаатар, 1960/2008.[バドラハ『モンゴルの器楽の歴史より』] Я.Балжир, Ардын хөгжмийн зэмсэгт суралцах хялбаршуулсан сурах бичиг, Улаанбаатар,1995.[バルジル『民俗...
  • 文学・古典籍・口承伝承
    近代文学 荒井伸一他編訳(1984)『帽子をかぶった狼 モンゴル短編集』、恒文社 Ch.オイドブ/小沢重男訳注 (1994)『道』、大学書林 岡田和行、上村明、海野未来雄(1999)『「モンゴル文学を味わう」報告書(アジア理解講座 1997年度第1期)』、国際交流基金アジアセンター 芝山豊(1987)『近代化と文学 モンゴル近代文学史を考える』、アルド書店 芝山豊、岡田和行編(2003)『モンゴル文学への誘い』、明石書店 モンゴル文学を俯瞰する決定版の本。翻訳や論文も価値があるが、巻末のモンゴル文学に関する文献表もすごい。モンゴル文学や文化に興味があるなら必ず手に入れること。 橋本勝、E. プレブジャブ(1998)『モンゴル文学』、大阪外国語大学モンゴル語研究室 リグデン著/佐治俊彦、ボルジギン・ブレンサイン訳(2009)『地球宣言 大草原の偉大なる寓話』、教育史料出...
  • E.チョイドグ
    E.チョイドグ(Eregzengiin Choidog, 1926-1988) 1926年ウランバートル生まれ。内務省付属小学校から1940年に芸能学校(現音楽舞踊専門学校)に入る。1942~49年国立劇場の楽員。1954~56年国立民族歌舞団芸術監督、56~63年モスクワ音楽院作曲科にてプロコフィエフの《イワン雷帝》をバレエ用に編曲したことで知られるM.チュラーキに師事。1963~67年ドルノド県立劇場専属作曲家、音楽講師、67~81年国立民族歌舞団指揮者、81~88年ダルハン市立青年劇場音楽講師。師と同じく舞踊音楽を得意とし多数の舞踊作品を書いた(少々ハチャトゥリアンを思わせるが)。また管弦楽作法においてもオリジナリティを発揮した。ムルドルジの後を受け民族楽器オーケストラを育て、民族楽器のための作品も多い。1986年国家賞受賞。ちなみに今日よく演じられるバレエ《チョイジド夫人伝...
  • Kh.ビレグジャルガル
    Kh.ビレグジャルガル(Khaltaryn Bilegjargal, 1954-2008) ザブハン県生まれ。68年に中学校からウランバートル市の師範学校に入学、音楽教育科卒(シャラフと同級生)。1972~76年アルハンガイ県師範学校で講師をした後、スヴェルドロフスクのウラル音楽院作曲科に入り76~82年B.ギバリンに、82~84年D.ネメスキーに師事。帰国後は84~87年、音楽舞踊中学校講師、1988年より国立歌劇場専属作曲科、90年から95年モンゴル作曲科同盟委員長。2008年病没。新奇さを出すのが難しいといわれたオペラの分野で《お坊さまの涙》などモンゴルオペラにしてはかなり革新的な作品を残した。 代表作 オペラ《お坊さまの涙》(原作:D.ナツァグドルジ、台本:B.ルハグワスレン)(1985)、《弦楽とピアノ、打楽器のためのパッサカリア》(2007)、《ピアノ・トリオ...
  • モンゴル音楽の楽譜
    <楽譜> Д.Батсүх, Монгол ардын дуу бүжиг, Улаанбаатар Улсын хэвлэлийн газар, 1985.[バトスフ『モンゴル人民の歌と踊り』] Ц.Батчулуун(red), Quartet of Morin Khuur, Улаанбаатар, 2009.[バトチョローン編『モリン・ホール四重奏曲(スコア)』] Х.Билэгжаргал, Ламбугайн нулимс ― гуртан бүлэг, зургаан үзэгдэлт дуурь,Улаанбаатар, 2005.[ビレグジャルガル『お坊さまの涙―3幕6場の歌劇(ヴォーカルスコア)』] Т.Гун-аажав/Р.Оюунбат, Монгол ардын дуу дэд дэвтэр-Ардын богино дуу, Улаанбаатар, 2...
  • 概説書
    青木信治/橋本勝編(1992)『入門・モンゴル国』平原社 資本主義以降直後に出た本なので、今となってはだいぶ古い情報が含まれているが、編者が経済畑と言語畑の人なのでその方面は詳しい。 NHK取材班(1982)『モンゴルを行く』日本放送出版協会 ソ連経由でモンゴルに行っていた頃の本。今となっては社会主義時代の写真などは貴重かも。大阪外国語大学の名物先生だった小貫雅男氏も登場。 小沢重男/鯉渕信一(1992)『モンゴルという国』読売新聞社 モンゴル言語学の重鎮小沢重男氏がこんな本も出しているとは意外。 加藤久晴/吉田順一(1986)『蒼き狼たちのモンゴル』日本テレビ放送網 金岡秀郎(1993)『モンゴルは面白い』トラベルジャーナル 金岡秀郎編著(1995)『モンゴル まるごと情報局』トラベルジャーナル 小長谷有紀編(1997)『アジア読本 モンゴル』河出書房 日本人...
  • D.ジャルガルサイハン
    ダシゼウェギーン・ジャルガルサイハン(1959- ) ЖАРГАЛСАЙХАН Дашзэвэгийн Jargalsaikhan Dashzevegiin ロック歌手、ロックバンド「チンギス・ハーン」のバンド・リーダー 略歴 1959年9月25日ウランバートル市の芸術家の一家に生まれる。父親はモンゴルの造形芸術界の旗手でモンゴル国功労芸術家の彫刻家Ch.ダシゼウェグで、彼と母親はジャルガルサイハンに美術と音楽の面でもっとも大きな影響を与えた。そんな彼は10歳のときから両親の買い与えたガルモーニ(アコーディオン)に夢中になり、ソ連のイルクーツクのロシア語学校、レニングラード市立高等学校、モンゴル作曲家同盟付属作曲コースで学んだ。著作に(2002)「モンゴル民俗芸能が現代ポピュラー音楽に与えた影響」(『MONGOLICA Vol.12(33)』国際モンゴル学会、pp.10...
  • Ts.ナツァグドルジ
    Ts.ナツァグドルジ(Tsogzolyn Natsagdorj, b.1951)  ドンドゴビ県生まれ。66年中学校からウランバートルの師範学校音楽教育科に入り、70年卒業後72年まで同校で音楽理論、和声学講師。72年にウラル音楽院に留学。作曲科でN.プゼイに師事。78年に帰国し音楽舞踊中学校にて理論、書法、和声学の講師を務めた後82年から2年間文化省芸術課長、84~87年国立歌劇場長、87年より作曲科同盟器楽作品部会代表、同同盟国際部長、84~90年同同盟書記長。94年より再び国立歌劇場長。93年に国家賞。それまで作曲家がひとりで何でもこなす(音楽活動においても作風においても)のが普通だと考えられていたモンゴル音楽界において、ハンガルやナツァグドルジの世代からは個々の作曲家が独自の路線で活動を始めた。同世代でナツァグドルジと同じく管弦楽作品の多いハンガルが感傷性や現代的な激しい表現主義...
  • インフォメーション
    インフォメーション 「内モンゴルと日本の近代」 <お話と映像>~モンゴル・ティを飲みながら~ 講師:鈴木仁麗(すずき・にれい)さん 明治大学・非常勤講師、早稲田大学招聘研究員 著書『満州国と内モンゴル』(単著)『モンゴル史研究』(共著)他 参加費:500円(モンゴル・ティ付) 日時:2012年12月16日(日)午後2時~4時 会場:東京都北区王子5丁目団地・6号棟・集会室(予定) JR東十条より徒歩10分 東京メトロ南北線 王子神谷駅より徒歩1分 主催&問合せ NPO法人アジアンロード http //www.asianroad.org/ 2012年 日本モンゴル文学会秋季研究発表会 2012年12月1日(土)午後1時~午後5時30分  (終了後 親睦会) 大阪大学箕面キャンパス・大阪外国語大学記念会館 http //www.osak...
  • P.M.ベルリンスキー
    P.M.ベルリンスキー(1900-1976) 経歴 イルクーツク生まれ。ブリヤート共和国の作曲家。レニングラード音楽院で1926年までピアノと作曲を、1939年モスクワ音楽院で指揮を学ぶ。モスクワ、レニングラード、キーロフ、トムスク、イルクーツクで働く。1929~1946年までウランウデの芸術研究所、ブリヤート音楽演劇専門学校で講師、ブリヤートドラマ劇場で常任指揮者。ピアニスト、音楽評論家としても活躍。1941~1944年ブリヤート作曲家同盟議長。1940年名誉勲章、1943年ブリヤート人民芸術家。 モンゴルの音楽研究で必ず引用される『モンゴルの歌手・音楽家 ウルジー・ロブサン・ホールチ』はロブサンをモンゴル人民共和国から招聘し彼の歌を採譜したものである。 作品 モンゴルで活躍したロシア人音楽家
  • モンゴル音楽事典その他
    演奏団体、劇場 国立歌劇場(Монгол Улсын Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр) 公式HP http //opera-ballet.mn/ 1924年設立のスフバートル記念クラブの芸能サークルが1927年建設の人民娯楽場(“緑ドーム”の愛称で呼ばれた)に移ったのが前身。同じ建物内で1931年国立中央劇場(劇団)が組織され1949年同建物が家事で消失するまでそこで活動。1943年には専属のオーケストラを設立(それまでは伝統楽器で劇の伴奏をしていた)。1951年に開場した現在の国立歌劇場の建物で活動再開。1963年に演劇部が分離、国立ドラマ劇場に本拠地を移し、オペラ、バレエ中心の国立歌劇場として再スタート。名称を変えながら現在に至る。510人収容。現在の正式名称はモンゴル国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場。総合芸術監督B.ジャミヤンダグワ(バレエマイスター...
  • L.ムルドルジ
    ロブサンジャムツィーン・ムルドルジ(1915年-1996年) Лувсажамцын Мөрдорж Luvsanjamts Murdorj 経歴 1919年ウランバートル生まれ。1929年小学校に入り、その後経理を学んでいたが1932年国立劇場に楽員として入り1936年兵役により従軍。軍楽隊に入り後に軍楽隊長となった。兵役終了後1941年より国立サーカス楽団の楽員、指揮者。1950~56年、モスクワ音楽院に留学しE.K.ゴロベーフ、V.G.フェーレに師事。帰国後、国立民族歌舞団専属作曲家となり、歌舞団付属民族楽器大オーケストラの設立に尽力する。民族楽器の奏法を研究し、大アンサンブル内で平均律の半音階を演奏できるよう改良する仕事を指揮した。1970~74年国立師範学校作曲科講師、1974年より組織に属さない作曲家として生活していた。1946年と51年に国家賞を受賞し197...
  • J.チョローン
    J.チョローン(Jamiyangiin Chuluun,1928-1996) 1928年ホブド市生まれ。父は文化施設の音楽指導者だった。9歳のとき地元の馬頭琴伝承者に習い始める。1939年ウランバートルに行き国立劇場に見習い楽員として入り、そこでO.ダシデレグに揚琴を習う。のちB.F.スミルノーフに音楽理論を学び、N.I.モトーリンにヴァイオリンと打楽器を学ぶ。国際青年フェスティバルに参加。1956年国立劇場でアサフィエフの《バフチサライの泉》を指揮して指揮者デビュー(ちなみにこれがモンゴルでの本格的バレエ公演の最初)。1959-60年、66年、67年プラハ音楽アカデミーにて指揮法、音楽理論の研鑽を積む。1960年から28年間にわたり国立歌劇場主席指揮者の任にあった。1988年からはナムスライジャブの穴埋めとして国立フィルハーモニー芸術監督に就任。ヴァイオリニスト、作曲家としても名...
  • 言語
    社会言語学 荒井幸康(2006)『「言語」の統合と分離 1920-1940年代のモンゴル・ブリヤート・カルムイクの言語政策の相関関係を中心に』三元社 モンゴル国、ロシア連邦内のブリヤート、カルムイクなどと国境に隔たれてしまったモンゴル民族。今日その言語はおおもとでは同じながら、異なる正書法を持つことで方言差は大きくなり、政治的にも言語的にも分断されている。しかし共通の正書法をもつ可能性があった時代もあった。民族が言語政策によって分断される歴史を描いた。 田中克彦(2003)『言語の思想 国家と民族のことば』岩波書店 岩波現代文庫の1冊。言語と国家の関係を分析した論集。特に民族問題と密接に結び付いていたソ連の言語政策に詳しい。モンゴルについて、上の『「言語」の統合と分離』のもっと大まかな話題が扱われている。ちなみに荒井氏はこの田中氏の弟子。 その他言語学 小澤重男(199...
  • Ts.プレブドルジ
    ツェウェグジャビーン・プレブドルジ Цэвэгжавын Пүрэвдорж Tsevegjav Pu revdorj バリトン歌手 経歴 1929年ヘンティー県生まれ。ウランバートルに出て中学校を卒業後、出版局でデザインの仕事をしていたが、1947年に国立音楽ドラマ劇場の専属合唱団に入り1955年から1960年スヴェルドロフスク市のウラル音楽院にて声楽を学んだ。帰国後は国立歌劇場で専属歌手となり数々のオペラ公演に出演。歌劇場付属のスタジオや国立文化芸術大学で後進の指導にもあたっていた。2007年没。1969年に人民芸術家、1989年に労働英雄、2006年にブリヤート共和国人民芸術家の称号をそれぞれ得た。
  • Ts.エンフトゥル
    ツェンドルジーン・エンフトゥル ЭНХТӨР, Цэндорж() |略歴 ウランバートル生まれ。父は作曲家G.ツェンドルジ?。音楽舞踊中学校にてピアニストT.ツォルモン?に師事、モスクワ音楽院付属音楽専門学校に留学、T.ガリツカヤに師事。帰国後更にモンゴル国立文化芸術大学にて研鑽を積む。1992年よりピアニストとして活動を始め、モンゴル国内のみならずロシア、ウクライナ、中国、アメリカ、日本など海外でも演奏活動を行っている。クラシック作品のみならず現代モンゴル国の作曲家の作品も得意とし、父ツェンドルジ、S.ゴンチグソムラー、Kh.ビレグジャルガル、Z.ハンガルの作品を録音している。
  • リムベ
    リムベ ユネスコの「緊急に保護する必要がある無形文化遺産」へのリムベの登録について 現在のモンゴル国および、モンゴル人居住地域の多くで横笛を指す。リムベ(лимбэ)はチベット語起源の語(gling-bu)でこの語が一般的になる以前はビシグール(бишгүүр)の語があてられていた 。バドラハによれば20世紀初頭モンゴル人地域で使われていたリムベの古い名はフンドゥルン(横の)・ビシグール(хөндлөн бишгүүр)であるといい、この種の楽器は3種類が元朝の宮廷楽団でも用いられていたとされる 。  モンゴル高原周辺のモンゴル人地域のリムベの特徴としては、一般的に2つあげられよう。まず、ホルサン・リムベ(竹製のリムベ)を極度に乾燥した気候から守るために小型家畜の腸で包んだり、バターを塗りつけていたこと がある。それから、オルティン・ドーの旋律を演奏するために発達したビトゥー・...
  • L.ツェレンドルジ
    ロブサンドルジーン・ツェレンドルジ(1908-1988) ЦЭРЭНДОРЖ Лувсандоржийн Tserendorj Luvsandorjiin リムベ奏者 略歴 中央県セルゲレン郡の出身。1930年代より国立中央劇場で働き始める。後中央劇場副劇場長、国立芸能学校校長を務める。粛清の嵐吹き荒れる中、1938年から1940年まで投獄されるが1958年に名誉回復。その後もモンゴル音楽界を代表するリムベ奏者として活躍、後進の指導にあたる。民謡《金色の聖なるガラス》、歌曲《窓際にとまった蝿》などの演奏は特に高い評価を受けている。
  • G.ジャミヤン
    Гомбодоржийн Жамъян(1919/11/28-2008/2/17) ゴムボドルジーン・ジャミヤン Gombodorjiin Jamiyan 経歴  1919年、ツェツェン・ハン盟、サロール・グン旗のスーデリーン・オハーというところ(現・ドルノド県ボルガン郡)に生まれる。貧しいながらタイジ(チンギスハーンの血を引く貴族)であった父ゴムボドルジよりモンゴル文字の読み書きと馬頭琴を習う。18歳まで両親の元で暮らすが、1937年ウランバートルへ上京、芸能者学校へ入学しD.トゥデブ(1898-1938)及びS.トゥブデン(1901-?)に馬頭琴を師事(1939年卒業)。1938年からは国立中央劇場で演奏者として働くようになる。また1940年ソ連より招聘された作曲家、音楽学者B.F.スミルノフ(1912-1971)に音楽理論を学んだ。同じ時期ブリヤート社会主義自治共和国...
  • Ch.サンギドルジ
    チョイギウィーン・サンギドルジ(Чойгивийн Сангидорж、1940-2012) モンゴル国の作曲家。 略歴 1940年バヤンホンゴル県ボグド郡生まれ。 1972年カザフスタンのアルマトゥイ音楽院卒業。 代表作に歌曲《息子の思い》、《ま白きアルタイ山》、オーケストラのための《交響的序曲》(2008)
  • Z.ハンガル
    ゾンドイン・ハンガル(Zunduin Khangal 1948-1996) 1948年ウランバートル市生まれ。音楽舞踊中学校に学び、1963~1966年建築業者文化宮殿にて演奏家として働き、1966~1968年音楽舞踊中学校助教、1968~1970年カザフ共和国の首都(当時)アルマ・アタ(アルマトイ)市立音楽院に留学し作曲法をG.ジュバノフに、1970~1976年にはスヴェルドロフスク(現エカテリンブルグ)市のウラル音楽院でB.ギバリンに作曲を学ぶ。1976~1979年音楽舞踊中学校教師、1979~1984年国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場座付き作曲家、1984~1986年国立サーカス座付き作曲家、1987年より作曲家同盟会員。1990年、弦楽四重奏曲、ヴァイオリン協奏曲、バレエ音楽《宝珠の山》により国家賞受賞。1910年代から20年代生まれの第一世代の作曲家たちの多忙により若い作...
  • モンゴル近現代史参考文献リスト
    「モンゴル近現代史文献」 M.アリウンサイハン「モンゴルにおける大粛清の真相とその背景 ソ連の対モンゴル政策の変化とチョイバルサン元帥の役割に着目して」(『一橋論叢』第126巻第2号、2001年8月号) M.アリウンサイハン(2004年)「日ソ関係とモンゴル 満洲事変から日ソ中立条約締結までの時期を中心に」(一橋大学・博士論文手稿、国立国会図書館所蔵) M.アリウンサイハン(2007)「モンゴル・ソ連相互援助規定書の締結と日本・ソ連・中国」(『一橋社会科学 第2号』一橋大学) O.バトバヤル「 補論 第二次世界大戦後のモンゴルにおける日本人軍事捕虜」『スラブ研究センター研究報告シリーズ 81』,p59-69,20020329(北海道大学) Ts.バトバヤル「一九一〇年代のモンゴル在留日本人」(古厩忠夫編 環日本海叢書3『東北アジア史の再発見』有信堂、1994年) Ts.バトバヤル...
  • モンゴル近現代文化の参考文献
    モンゴル近現代文化の参考文献リスト(音楽以外) (#印付きはモンゴル語の資料、それ以外は原則日本語) 多分野に亘るので、私一人ではどうにもならないページの一つです。修正や追加があればどんどん編集お願いいたします。 文化史 モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999年)《Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)》(全3巻)、ウランバートル# Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986年)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』(全2巻、モンゴル国立出版所、Ulaanbaatar)# 秋津紀穂(1972年)「モンゴルの文化革命」朝日アジアレビュ- 3(2),152~155,1972/06/00(ISSN 03872785) (朝日新聞社) 田中克彦(1992年)『モンゴル 民族と...
  • リンク集
    リンク集 お役立ち CiNii(どうかサイニィと読んで下さい) 論文情報ナビゲータby国立情報学研究所 http //ci.nii.ac.jp/ 論文・雑誌記事検索ができます。非常に便利。 学術研究データベース・リポジトリ http //dbr.nii.ac.jp/infolib/meta_pub/G9200001CROSS Webcat Plus by 国立情報学研究所 http //webcatplus.nii.ac.jp/ 全国の大学図書館などが所蔵する資料(書籍、雑誌、AV資料他)を検索できます。ただし、「連想検索」は「?」。 GeNii (どうかジーニィと読んで下さい)by 国立情報学研究所 http //ge.nii.ac.jp/genii/jsp/index.jsp 研究に必要な情報を総合的に探索できるポータルサイト 大学...
  • モンゴル国の演奏家
    Ö.ロブサン(英雄叙事詩・馬頭琴奏者、1885-1943) L.ツェレンドルジ(リンベ笛奏者、1908-1990) G.ジャミヤン(馬頭琴奏者、1919-2008) D.ツェレンドルゴル(ヴァイオリン奏者、1931-1965) T.ツォルモン?(ピアニスト) Ts.エンフトゥル(ピアニスト)
  • 終了済みイベント
    日本シルクロード文化センター主催 シルクロード講座とシルクロードサロンのお誘い 第7回:12月12日(土)13 00~16 00  狛江「みんなの広場」 1. 新シルクロード講座(13:00~15:00) 「モンゴルが人類史に与えた歴史的役割」    講師:野口信彦(日本シルクロード文化センター代表) 「民族の響きを創り出す」     講師:青木隆紘さん(東京外語大博士課程在学中、モンゴル国の音楽と政治の関係を中心に研究)     伝統的なモンゴル音楽が、社会主義時代を経てどのように変容してきたかを話していただきます。    参加費(資料代):1,000円 2.シルクロード・サロン(15:00~16:00) 「シルクロードサロン」は、気軽に楽しく、シルクロードの文化や暮らしに触れる集いです。 「モンゴル舞踊」    踊りと解説:佐藤淳...
  • J.ブレンベフ
    ジャグワラリーン・ブレンベフ БҮРЭНБЭХ, Жагваралын(1946年生まれ) 指揮者、俳優。 |略歴 アルハンガイ県ハシャート郡出身。1965年より国立劇場で俳優としてのキャリアを積むが、1969年より国立師範学校音楽学科民族楽器オーケストラの指揮を学び、1973年レニングラード音楽院に留学し指揮法を学び、1979年帰国。以来国立歌劇場の指揮台に立ち、歌劇《お坊さまの涙》(Kh.ビレグジャルガル作曲)他数々の新作オペラ、バレエの初演に携わる。
  • S.ゴンチグソムラー
    Сэмбийн Гончигсумлаа(1915-1991) Sembe Gonchigsumlaa センビーン・ゴンチクソムラー 経歴 バヤンホンゴル県生まれ。1930年小学校から師範学校に入り、1933年にはイルクーツクに留学、獣医専門学校で学ぶ。そこで同時に音楽も学びイルクーツク放送楽団に楽員として採用された。37年帰国し、ウムヌゴビ県で獣医をした後1939年にはウランバートル市で通訳と教師をしつつ音楽参考書『楽譜をどうやって学ぶか』(この種の本としてはモンゴルで2番目。楽譜の読み方の他マンドリンや鍵盤楽器、さらに横笛や揚琴、三線などの民族楽器で西洋音階をどうやって演奏するかについても書かれている)を出版。1940~43年国立サーカス楽団員(ちなみに1940年に設立された国営サーカスは軍楽隊に次いで西洋楽器の合奏が聴かれるようになったところだった)。1943年モスクワ音...
  • その他のジャンル
    山路勝彦(2006)『近代日本の海外学術調査』山川出版社 一般的には学術調査と政治権力は無縁のようにも思えるが、実は密接に結び付いてきた。戦前日本ではアジアへの拡大政策の中で、人類学者から見れば研究フィールドが広がる格好の機会であり、為政者からすれば彼らの研究成果が海外領土や勢力圏の統治に利用できる、という関係があった。また学者の側には、政治への無自覚があった。 でもこれ、一般向けの日本史啓蒙書なんだろうけど、話題がマニアックで、たとえば日本史を取ってる高校生にこういった問題のあることをどう説明するのか、難しいところ。 興味のある人は「植民地主義と人類学」や「帝国日本と人類学者」といった本を読み進めばよい ポール・A. コーエン(1988)『知の帝国主義―オリエンタリズムと中国像 (テオリア叢書)』平凡社 アメリカでの中国研究がいかにオリエンタリズム的なものの見方に規定さ...
  • モンゴルの歌謡曲を聴こう!
    リンク先のページでモンゴル人民共和国時代の懐メロが聴けます。 ニュースポータルサイト「ソニン・ドット・エムエヌ」(ソニン=モンゴル語で新聞)『黄金時代の音楽文庫』より “B.ザンガド(テノール歌手、人民芸術家)” http //sonin.mn/2009/03/12/zangad/ 曲目は上から 1、「ホブド川」 2、D.ミャースレン曲/D.プレブドルジ詞:「黄金の秋」 3、「愉快な心持ち」 4、「歌おうよ先生」 5、「年頃の楽しみ」 6、「紋章木の祀り」 “G.トゥメンデムベレル(人民歌舞団歌手、人民芸術家)” http //sonin.mn/2009/03/12/tumendemberel/ 曲目は上から 1、「トーラ川の流れ」 2、「みな幸せな娘たち」 3、「ユンデン兄さん」(民謡) 4、「ハンガイの歌」(ハンガイ=草原と少しの森林の入り混じった...
  • モンゴル歌謡の分類について
    モンゴル歌謡の分類について モンゴル民謡の曲を分類する作業は、その初期において、言語学者により行われた。唄、儀式歌、祝詞(ユルール)、讃詞(マクタール)、叙事詩をその詞の構造、内容、表現に沿って分類していたので、これは音楽的な面で根拠に欠けるものであった。音楽作品の生命であり真の存在要件たる調子や旋律、音組織の観点からは検討されていなかったのである。 モンゴル民謡の分類をかなり早い時期に行った研究者の一人にA.ポズネーエフがいる。彼はモンゴル民謡の分類を、まずモンゴルの多くの部族ごとに分け、その中でさらに分類した。それをここに示すと: ハルハ族の歌:   1、宗教歌   2、生活歌および父母への賛歌    3、想い人に向けて歌う歌 ウールト族の歌:   1、叙事歌   2、年代記歌   3、祝詞または婚礼の先導唄 ブリヤート族の歌   1、益荒男の歌 ...
  • 20世紀モンゴル史概略
    仮のものです。 ボグド・ハーン政権のモンゴル国の歴史  1911年から1920年までのモンゴルの全般的な歴史の概略を、田中克彦 、萩原守 、Ts.バトバヤル 、小貫雅男 らの著作を中心に示す。  1691年以降清朝の支配下に入っていた外モンゴル地域は1911年、ボグド・ハーン制モンゴルとして独立した。国家元首にはボグド・ジェブツンダンバ・ホトクト8世というチベット人活仏 が聖俗界の両方のトップとして諸侯により推戴された。首都はフレー(現在のウランバートル)に置かれ、近代化をある程度志向しつつも(ロシアに軍隊、軍楽隊、電信敷設の援助を要請した)実態は清朝の行政システムをかなり踏襲した専制君主国家だった。これは、清朝がその末期に、辺境防備とロシアとの国境策定を有利に進める必要から辺境地域に漢人を積極的に入植する政策を実施したのに対し、モンゴル人側は遊牧社会存続への危機感、漢人商人、入...
  • N.ジャンツァンノロブ
    N.ジャンツァンノロブ(Natsagiin Jantsannorov, b.1948) ウブルハンガイ県生まれ。小学校のとき小さなアコーディオンで遊んでいたのが音楽に親しんだ最初。1971年ウランバートル市の師範学校講師、75~79年ウクライナのキエフ音楽院にて作曲と音楽学を学ぶ。日本でも上映された映画音楽《マンドハイ賢妃》、ラジオ番組のテーマ音楽《モンゴルのメロディー》などは頻繁に聴かれ、人気作家である一方、83~92年モンゴル作曲家同盟委員長、80年代初頭にはモンゴル人民革命党政治局イデオロギー局員、文化省副大臣、国会議員を務め、文化政策に影響力を持っている。また1988年馬頭琴協奏曲、1991年箏協奏曲を作曲したがこれはこの種の民族楽器の協奏曲の最初となった。1989年と2002年に国家賞受賞、2005年には人民芸術家の称号を得た。作曲家としての立場からモンゴル音楽を研究して...
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