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ジョン・ミルトン - (2008/02/06 (水) 19:12:51) のソース

*ジョン・ミルトン&br()&size(12){&italic(){(John Milton)}}&br()&size(12){(1608~1674)}
**略歴
 裕福な家庭生まれたミルトンは、何不自由なく暮らし、大学を卒業後も別荘で古典文学を学んだり、思索にふけったりしていた。その頃は自然詩や牧歌詩を創作していた。その後西欧諸国を巡る旅に出るが、英国の情勢が不穏になると帰国する。これが彼の運命を大きく動かすことになる。彼はクロムウェルを支持し、ラテン語秘書官、つまりスポークスマンとして粉骨砕身する。しかしこの激務か彼の心身を共に痛めつけた。もともと弱かった目は、とうとう失明してしまう。そして共和制が破れ、王政が回復するとミルトンもまた王殺しの一人として追及された。なんとか処刑こそ免れたものの、失意のまま隠棲する。しかしこのことが彼を、詩人としての本来の道に戻すきっかけとなった。こうして彼の代表作となる大作が誕生した。
**作品
 初期の作品の「&bold(){快活な人}」&italic(){(“L'Allegr”)}や「&bold(){沈思の人}」&italic(){(“Il'Penseroso”)}の正確な創作年代は不明である。相反する性格の類型を、田園風景を背景に描き分けた。『&bold(){コーマス}』&italic(){(Comus,1634)}は地方貴族の娯楽のために書かれた仮面劇。『&bold(){リシダス}』&italic(){(Lycidas,1637)}は洋上で遭難した友人に捧げた哀歌で、英文学史上の&bold(){三大牧歌哀歌}とされる。すでにこの頃から当時の政治・宗教に対する反発が垣間見られる。
 その後、見聞を広めるためにフランスを経てイタリアに赴いたが、故国に革命が起こりつつあるとの噂を耳にすると、ギリシア旅行をとりやめ帰国する。すでに牧歌詩人としての彼は不要であった。彼は次々と政治・宗教に関する著作を書いた。その中で一貫して主張されているのは、個人の良心の自由、すなわち思想・信仰・出版などは権力(王権、教会、議会等)によって統制されるべきではない、という時代に先駆けたものであった。特に『&bold(){アレオパジティカ}』&itaic(){(Areopagitica,1644)}は言論と出版の自由を主張し、近代思想史に大きな足跡を残した。しかし、王政復古と共に彼の政治的な著作は焚書に処せられた。
 失明、そして彼が勢力を注いだ共和制の崩壊という暗い運命は、彼を再び詩作へと向かわせた。こうして完成したのが『&bold(){失楽園}』&italic(){(Paradise Lost,1667)}である。これは叙事詩であった。しかし叙事詩であるならば、主人公は偉大なる英雄でなければならない。『失楽園』でそれに見合った活躍をしているのは、他ならぬ堕天使ルシファーである。後世、「ミルトンは無意識の内に堕天使の側に立っていた」と評されることになるが、しかしミルトンの態度は常に英雄に否定的であり、最後には醜い蛇に変えてしまうことで、それを示している。彼が描いたのは無力で愚かで運命に翻弄されるアダムの、受身の英雄性であった。
 『&bold(){復楽園}』&italic(){(Paradise Regained,1671)}は、主人公をイエス・キリストとし、ひたすら悪魔の誘惑に耐えるという役割を与えている。耐え続けるイエスの姿は、革命に挫折し、光を失ったミルトンの心情を表していたのかもしれない。『&bold(){闘技者サムスン}』&italic(){(Samson Agonistes,1671)}は詩劇である。『旧約聖書』の「士師記」に基づき、盲目になった英雄サムソンと、彼を裏切った美女デリラを描いた。ギリシア悲劇の様式を完全に踏襲した作品で、サムソンの姿に自らを重ね合わせたのだろう。





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