ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「ウィリアム・カレン・ブライアント」で検索した結果

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  • ウィリアム・カレン・ブライアント
    ウィリアム・カレン・ブライアント(William Cullen Bryant)(1794~1878) 略歴  アメリカのロマン主義を代表する詩人。マサチューセッツ州カミングストンに生まれる。父は医者であったが、文学好きで、息子の才能を認めると詩作を勧めた。しかしながら家計が苦しかったために、彼は初め法律を学び、そちらの方に進んだ。その後、ジャーナリストに転向するが、詩人としても成功を収める。 作品  その詩のテーマは英国の同時代のロマン派の詩人を範としたようで、もっぱら自然、無常感、孤独、死、自分自身のことなどを扱った。フレノーと異なり、政治や社会問題を扱うことはほとんどなかった。英国の詩人とも交流があったようで、ワーズワースからは激励も受けた。代表的な詩は年代順に、「森の入口に掲げる碑文」(Inscripton for the Entrance to the Wood,1815)...
  • ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
    ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(William Carlos Williams)(1883年~1963年) 略歴  ニュージャージー州ラザフォード出身。小児・産婦人科医として当地で生涯を過ごした。1902年にペンシルヴェニア大学に入学し、エズラ・パウンドやH.D.と出会った。この交友は生涯続くこととなった。1909年に処女詩集を発表し、その後はパウンドやスタインらや、ダダイズムやキュビズムなどの前衛芸術の影響を受け現代的な詩へと発展を遂げた。パウンドと対照的に終生アメリカの大地に根ざした土着的な詩を目指した。次第にイマジズムから日常の事物を日常の言葉を使って、無韻詩で綴る詩風を確立したが、モダニズム全盛期には一般には無名だったが、以降のアメリカ詩に大きな影響を与えた。 作品  『詩集』(Poems,1909)は処女詩集でキーツの模倣の域を出ていない。しかしその後『関係者各位へ』...
  • ウィリアム・コングリーヴ
    ウィリアム・コングリーヴ(William Congreve)(1670年~1729年) 略歴  スタフォードシャー出身。ダブリンのトリニティ・カレッジで学んだ。同級にはスウィフトがいた。1689年にイングランドへ戻るとドライデンの指導を受けて劇作を学び、処女作を発表するとたちまち名声を得た。しかしながら1700年に不評であったために絶筆した。 作品  処女作は『老独身者』(The Old Bachelor,1693)で、これの成功により劇作家としても第一歩を踏み出した。次作『二枚舌』(The Doble-Dealer,1894)、続く『愛には愛を』(Love for Love)によって喜劇作家として人気を得た。また『喪服の花嫁』(The Mourning Bride,1897)によって悲劇作家としても評価を高めた。  代表作は『世の習い』(The Way of the World...
  • ウィリアム・インジ
    ウィリアム・インジ(William Motter Inge)(1913年~1973年) 略歴  カンザス州インディペンデンス出身の劇作家。テネシー・ウィリアムズに励まされ劇作を行った。ピューリッツァー賞やアカデミー賞を獲得し、晩年はカリフォルニア大学で劇作を教えたが、劇作家としてはかつてのような評価は得られず、もう二度とかつてのようには書けないと確信し、一酸化炭素中毒で自殺した。 作品  代表作には『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba,1950)、『ピクニック』(Picnic,1953)などがある。
  • 年表(19世紀)
    ...hambra) ウィリアム・カレン・ブライアント(William Cullen Bryant,1794-1878)『大草原』(The Prairies) ウィリアム・ダンラップ『アメリカ演劇史原』(History of the American Theatre) 1833 チャールズ・ラム『続エリア随筆集』The Last Essays of Elia) アルフレッド・テニスン『詩集』(Poems) 1834 トマス・カーライル(Thomas Carlyle,1795-1881)『衣装哲学』(Sartor Resarlus) 1835 ロバート・ブラウニング(Robert Browning,1812-1889)『パラケルスス』(Paracelsus) 1836 ワシントン・アーヴィング『アストリア』(Astoria) ラルフ・ウォルド・エマソン『自然論』(Na...
  • ウィリアム・ギャス
    ウィリアム・ギャス(William Howard Gass)(1924年~ ) 略歴  ノース・ダコタ州ファーゴ出身。ケニオン大学を卒業後、コーネル大学で博士号を取得した。ワシントン大学の哲学科教授、国際作家センター所長などを歴任した。1960年代以降、アメリカの前衛小説の理論形成に尽力した。 作品  『オーメンセッターの幸運』(Omensetter s Luck,1965)は処女長編。中世部の田舎町を舞台に、虚空に向って吐き続けられる果てしない独白で構成された作品。『アメリカの果ての果て』(In the Heart of the Heart of the Country,1968)は代表的短編集。『ウィリー・マスターズの孤独な妻』(Willie Masters Lonesome Wife,1971)は活字の図案化などによって言語の肉体化を目指したメタフィクション。『トンネル』(...
  • ウィリアム・モリス
    ウィリアム・モリス(William Morris)(1834~1896) 略歴  詩人としてはもちろん、工芸美術、印刷、装丁、染色、織物、壁紙、室内装飾、建築など、多方面で活躍した。ラスキンに多大な影響を受けた。彼の諸作品には、一貫した中世志向が顕著であり、ある種の現実逃避的傾向も見られる。また晩年は空想的社会主義に傾倒した。アーツ・アンド・クラフツ運動の主宰者としても知られている。 作品  詩人としてはアーサー王伝説を扱った『グィニヴィア女王の弁護』(The Defence of Guinevere,1858)が処女作である。他に『』(,)42000行に及ぶ王者韻で書かれた長大な『地上の楽園』(The Earthly Paradise,1868-70)がある。それ以外では、社会主義的な未来の社会を描いた『ユートピア便り』(News from Nowhere,1890)が有名。
  • ウィリアム・ブレイク
    ウィリアム・ブレイク(William Blake)(1757~1827) 略歴  ロンドン生まれの画家、詩人、銅版画職人。靴下商人の子として生まれた。幼い頃からしばしば幻覚を見たという。画家として頭角を現し、銅版画家や挿絵画家として生計を立てていた。後に新たな印刷手法を開発した。幻視者と呼ばれることもあり、その詩作品には彼独自の神話体系に基づいた登場人物が見られる。晩年はダンテに傾倒し、病床で『神曲』の挿絵を死ぬまで描き続けた。 作品  ブレイクは、政治や宗教、思想、慣習といった、制度として自由を抑圧する存在を悪だとした。  『セルの書』(The Book of Thel,1789)は初期の清純な詩風の作品。人生の虚ろさを嘆く少女セルの前に、スズランや土くれなどが現れ、とるにたらない存在にさえ神の不滅の命が宿っているのだと教える。  『無垢の歌』(Songs of Innoce...
  • ウィリアム・コリンズ
    ウィリアム・コリンズ(William Collons)(1721~1759) 略歴  詩人。オックスフォード大学出身。早くから詩作を行っていたが、自分の詩に満足することができず、32歳の時に精神に異常をきたす。『オード集』(Odes,1746)に収められた『夕べに捧ぐるオード』(Ode to Evening)や『述懐』(Ode, Written in the Beginning of the Year 1746)などが有名。
  • ウィリアム・ウィチャリー
    ウィリアム・ウィチャリー(William Wycherley)(1640年~1716年) 略歴  劇作家。フランスに滞在した経験から、モリエールの影響を強く受け、4編の風習喜劇を書いた。『森の恋』(Love in a Wood,1671)、『紳士舞踏教師』(The Gentleman Dancing Master,1672)、『田舎女房』(The Country Wife,1675)、『率直な男』(The Plain Dealer,1776)の4編であるが、『田舎女房』は王政復古期の風習喜劇の傑作とされている。
  • ウィリアム・サッカレー
    ウィリアム・サッカレー(William Makepeace Thackeray)(1811~1863) 略歴  インドのカルカッタ出身の作家。父は東インド会社に勤務していた。6歳で帰国し、イギリスで教育を受けた。ケンブリッジで学ぶも放蕩に明け暮れた上、父が投資していた銀行代理店が倒産、資産の大部分を失ってしまった。結婚を期に新聞社に入るも、長続きせずに退職し、雑誌「パンチ」などへの投稿で生活費を稼いだ。その後作品が認められ、ディケンズと並び称される作家となった。ディケンズが中・下流階級を代表していたのに対し、サッカレーは比較的上流に近い階級の腐敗や俗物性を暴き出した。 作品  『馬丁粋語録』(The Yellowplush Papers,1837-38)は馬丁のイエロープラッシュ(従僕の黄色いお仕着せの意)が転々と奉公先を変えつつ、行く先々で主人の家の内幕を面白おかしく語る、という...
  • ウィリアム・ベックフォード
    ウィリアム・ベックフォード(William Thomas Beckford)(1760~1844) 略歴  多才であり、また非常に裕福であったために様々な分野に足跡を残している。幼少期から専門の家庭教師により各分野の教育を受ける。音楽の家庭教師はモーツァルトであった。またチェインバーズに建築を学び、後年巨大な塔を備えた僧院を建てた。名門子弟の慣例として大陸巡遊の旅に出た際には、その紀行文を書いている。他にも美術品や稀覯本の蒐集家として知られ、先に述べた僧院にはギボンの全蔵書が収められていた。また彼は同性愛者でもあり、しばしばスキャンダルにさらされた。そのためか、同性愛に関する記事の切り抜きなども集めていた。英国ディレッタントの典型のような人物である。 作品  『ヴァセック』(Vatheck,1786)は、彼が21歳の時に書かれたゴシック小説である。一度も席を立つことなく、三日と二晩...
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • ウィリアム・ワーズワース
    ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth)(1770~1850) 略歴  英国ロマン派詩人の代表格。自然を愛し、賛美した。ケンブリッジに学び、フランスに渡るが、そこでは女性と恋に落ち、1女をもうけた。1795年、コールリッジと出会い、意気投合した。『抒情歌謡集』を共同で執筆し、ロマン主義運動に革命を起こした。故郷の湖水地方の自然を深く愛した。 作品  盟友のコールリッジとの共著となった『抒情歌謡集』(Lyrical Ballads,1798)を出版した。初版は不評だったが、これに屈せずに新たな詩を加えた第2版(1800)、第3版(1802)を世に送った。しかもそれぞれに自分たちの創作理念や、詩の理想を詳しく書いた序文を、挑戦的に付けてみせたために、よりいっそう批判にさらされることになった。しかしながら少々理念にこだわり過ぎたためか、空回りしているところもある。...
  • 年表(1901~1949)
    西暦 英文学 米文学 1901 ラドヤード・キプリング『キム』(Kim) フランク・ノリス『蛸』(The Octppus) H・G・ウェルズ『神々の糧』(The Food of the Gods) トマス・ハーディ『過去と現在の詩集』(Poems of the Past and the Present) 1902 ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』(The Wings of the Dove) ウィリアム・ディーン・ハウエルズ『文学と人生』(Literature and Life) W・H・ハドソン『エル=オンブ』(El Ombu) イーディス・ウォートン『決断の谷間』(The Valley of Decision) アーサー・コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』(The Hound of the Baskervilles) アーノルド・ベネット『五つの町のアンナ』(Anna ...
  • 年表(1950~2000)
    西暦 英文学 米文学 1950 アンジア・イージアスカ『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on White Horse My Story) ウィリアム・インジ(William Motter Inge,1913-1973)『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba) テネシー・ウィリアムズ『ストーン夫人のローマの夏』(The Roman Summer of Mrs. Stone)『バラの刺青』(The Rose Tattoo) ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』(The Caine Multiny) ロバート・ペン・ウォレン『この世も時も』(World Enough and Time) クリフォード・オデッツ『カントリー・ガール』(The Country Girlfa) トルーマン・カポーティ『草の竪琴』(The G...
  • テネシー・ウィリアムズ
    テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)(1911年~1983年) 略歴  ミシシッピ州コロンバス出身の劇作家。筆名のテネシーは友人が彼の南部訛りから付けたとも、彼自身が開拓精神を鼓舞するために付けたとも言われている。祖父は監督派の牧師で彼はその牧師館で生まれた。その先祖はテネシー州の開拓者であったという。一方で母方の先祖はニューイングランドの初期移住者のクエーカー教徒の末裔であった。こうした二種類の血の混じり合いを彼は強く意識していたらしい。家庭には色々と問題があった。父は靴のセールスマンでそのために12歳の頃に転勤でセントルイスに移った。彼が深く愛した姉ローズは精神障害でその生涯のほとんどを精神病院で過ごした。両親は彼女にロボトミー手術を施させ、その事に彼は強い反発を覚えた。1931年に州立大学に入るが経済的理由で退学し、父の会社で働き始める。しかし劇作家への夢...
  • ジェイムズ・ブランチ・キャベル
    ジェイムズ・ブランチ・キャベル(James Branch Cabell)(1879年~1958年) 略歴  ヴァージニア州の旧家の出身。ウィリアム・アンド・メリー大学を卒業後、新聞記者などを経て作家となった。『マニュエルの伝記』という全18巻にも及ぶ幻想的な物語で有名となるが、そのうちのひとつがその内容から告発を受けて発禁処分とされ、その取り消しを求めて争ったために話題となり、かえってそのために名が売れた。後世のファンタジー作品に大きな影響を与えたという。 作品  『マニュエルの伝記』(The Biography of Manuel)は全18巻に及ぶ長大な物語。始祖マニュエルから転生を繰り返していく幻想的な物語。内容は小説や随筆、詩が含まれている。中でも最も有名なのは6巻目の『ユルゲン』(Jurgen,1919)である。質屋ユルゲンの愛の遍歴を描いた物語で、猥褻書として告発を受けた...
  • アン・ラドクリフ
    アン・ラドクリフ(Ann Radcliffe)(1764~1823) 略歴  旧姓ワード(Word)。ロンドンに生まれる。内気だったのか、子供の頃は同年代の友達がいなかった。23歳の時に編集者であるウィリアム・ラドクリフと結婚した。彼女の才能を見抜き、夫は妻に本格的に執筆を勧めた。作家としてはわずか7年間しか活動しなかったが、幅広い読者を獲得した。代表作は『ユードルフォの神秘』(The Mysterious of Udolpho,1794)、『イタリアの惨劇』(The Italian, or the Conffessional of the Black Penitents,1797)が知られている。
  • アン・ブラッドストリート
    アン・ブラッドストリート(Anne Bradstreet)(1612~1672) 略歴  アン・ブラッドストリートは米文学における最初の女性詩人とされる。1630年にアーベラ号に乗って新大陸に渡ってきたピューリタンの中に、18歳の彼女もいた。父は英国にいた頃は伯爵邸の執事を務めており、彼女はそこで自然と書物を愛する少女時代を送った。新大陸に渡る前に父の助手であったサイモン・ブラッドストリートと結婚している。新大陸では父が、そして夫が植民地の総督となった。彼女はそういった植民地の指導者の家庭を切り盛りしながら、自然やピューリタン的な思想を歌い上げた。 作品  1650年にロンドンで出版された『アメリカに生まれた10番目の精神』(The Tenth Muse Lately Sprung up in America)という詩集は、彼女に無断で出版されたものであった。これは新大陸の、それも...
  • アレン・ギンズバーグ
    アレン・ギンズバーグ(Irwin Allen Ginsberg)(1926年~1997年) 略歴  ニュージャージー州パターソン出身。両親はロシアからの移民でユダヤ系。コロンビア大学を卒業。当初は幻想的傾向が強かったが、同地の先輩詩人ウィリアムスの勧めでより現実に即した試作に転じた。1955年にサンフランシスコに出、処女作を発表すると、ビートジェネレーションの指導的存在として注目を集めた。その後は、ベトナムの反戦運動や公民権運動、ゲイ解放運動などに積極的に携わった。また1970年以降は環境保護や反核デモにも関わった。その一方で1960年代にインドに渡り、ヒンズー教のマントラはアメリカに紹介し、朗読会や集会などでこれを唱えた。またチベット仏教の影響も受けた。その予言ともいえるような宗教的詩風から、ホイットマンを想起させた。 作品  『「吠える」とその他の詩』(Howl and Oth...
  • 作品索引/ア行
    作品索引/ア行 『ああ、荒野』(Ah, Wilderness)米 『アーサー・マーヴィン』(Arthur Mervyn)米 『アーロンの杖』(Aaron s Rod)英 『アーロン・バアの英雄的生涯』(Burr)米 『アイヴァンホー』(Ivanhoe)英 『愛こそすべて』(All for Love)英 『愛されし者』(The Loved One)英 『愛について語るときに我々の語ること』(What We Talk About When We Talk About Love)米 『愛には愛を』(Love for Love)英 『愛の芸術』(The Art of Love)米 『愛の車輪』(The Wheel of Love)米 『愛のために 1950-1960』(For Love Poems 1950-1960)米 『アイリーン』(Irene)英 『アイルランド・スケッチブック』(The I...
  • チャールズ・ブロックデン・ブラウン
    チャールズ・ブロックデン・ブラウン(Charles Brockden Brown)(1771~1810) 略歴  アメリカ最初の職業作家と称されるブラウンは、フィラデルフィア出身で、大学では法律を学んだが、作家への道を選んだ。この時代は連邦主義とジェファソン流の民主主義の確執の時代であった。彼は当時の政治情勢に興味を抱くと共に、フランス革命時のジャコバン党のような過激思想に興味をもった。しかし、その後は過激思想に反発し、保守的な立場に立った。その作品は英国のゴシック小説の影響を強く受けているが、その人間心理の探求の精神は、後世のポオやホーソーンに受け継がれていくことになる。 作品  ブラウンの代表作は『ウィーランド』(Wieland,1798)である。ある女性の書簡体小説で、物語は狂信的な父親の奇怪な死、そして旧来の頑なな信仰と当時の急進的な思想とのせめぎあいが描かれている。語り手...
  • エイブラハム・カーハン
    エイブラハム・カーハン(Abraham Cahan)(1860年~1951年) 略歴  ロシア帝国(現在のリトアニアのヴィルナ)出身のユダヤ人作家。祖父はラビ、父はヘブライ語と律法の教師だった。しかし皇帝アレクサンドル2世が社会主義者によって暗殺されると、大規模な弾圧が始まり、カーンはアメリカへと亡命した。ニューヨークで労働運動の主筆および講師となり、イデュッシュ紙『前進』を創刊し、25万人もの読者を獲得した。その後、小説を発表し、映画化もされ好評を得た。また全5巻のイディッシュ語による自伝があり、前半部は英訳されている。 作品  『イェクル:ニューヨークのゲットーの物語』(Yekl A Tale of the New York Ghetto,1896)は処女作で、後に映画化された。また『輸入された花嫁とその他の物語』(The Imported Bridegroom, and O...
  • アラン・シリトー
    アラン・シリトー(Alan Sillitoe)(1928~ ) 略歴  ノッティンガム出身。なめし皮職人の子として生まれる。14歳の時には学校を出て、自転車工場で働き始める。その後19歳で空軍に入隊。無電技師としてマラヤに派遣されたが、病を得て本国へ送還、1年半に渡ってサナトリウムで療養生活を送る。この間、本人曰く「気が狂わないように、気が狂うほどのたくさんの本を読んだ」という。特に同郷で同じく労働者の子として生まれたロレンスに強い影響を受ける。同時期に活躍したことから、オズボーンなどのいわゆる怒れる若者たち(the Angry Young Men)の中に含まれることもあるが、結局のところ彼らの怒りは次第に衰えていった。それに対してシリトーだけはなおも怒り続けている。むしろそれよりも後の労働者階級出身の作家たちと多くの共通点を持つが、本人は「労働者作家」と呼ばれることを嫌い、自ら「脱階級...
  • アン・ブロンテ
    アン・ブロンテ(Anne Brontë)(1820~1849) 略歴  ブロンテ三姉妹の末妹で、家族の中でも末っ子である。物心つく前に母を亡くし、また幼い頃に姉二人を亡くした。アンは姉と同様に学校を出た後は家庭教師として働いた。三姉妹でだした詩集は不評だったが、その後小説を執筆する。兄ブランウェルと姉エミリーの死の翌年、彼女もまた結核にかかり、29歳の若さで死んだ。三姉妹中で最も短命であった。 作品  姉二人に比べるとどうしても知名度では劣るが、その短い作家生活の中で二つの小説を書いている。『アグネス・グレー』(Agnes Grey,1847)は彼女の処女作である。末っ子で可愛がられてきたアグネスが、家庭教師をして冷遇されながらも最後は幸せになる姿を描いた作品で、自身の体験を基に書かれている。姉二人のが夢想の世界に生きたのに対し、アンは優れた観察力とリアリズムの作家であった。  ...
  • エリザベス・ギャスケル
    エリザベス・ギャスケル(Elizabeth Cleghorn Gaskell)(1810~1865) 略歴  ユステニアン派の元牧師の家に生まれた。旧姓はスティーヴンソン。1歳で母を亡くし、伯母の家に引き取られた。その後、父と兄を相次いで亡くすが、21歳で牧師であるウィリアム・ギャスケルと結ばれた。しかし、34歳になってようやく授かった長男が9ヶ月で病死すると、失意のどん底に突き落とされた。ところが失意の中で夫に勧められて書き綴った処女作が、世間で大好評を得、一躍時の人となった。著名な作家たちとも親しく交友を深め、その中にはチャールズ・ディケンズやエリオット、シャーロット・ブロンテらがいた。55歳の時、当時手がけていた作品の完成間近で、別荘で急死。 作品  いくつかの長編の他、多数の中短編を書いたが(チャールズ・ディケンズの雑誌で発表されたものも多い)、同時代の巨匠と呼ばれるような...
  • シャーロット・ブロンテ
    シャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë)(1816~1855) 略歴  ヨークシャー、ソーントン出身のブロンテ3姉妹の長姉(誤解されることもあるが、彼女自身は三女にあたる)。幼い頃にハワースに転居したが、その翌年には母が病死した。学校に入学するもそこの環境が著しく劣悪であったために、姉二人を肺炎で亡くした。その後牧師館に戻ると文学に熱中し、詩や戯曲を書くようになった。この当時のある程度の身分があり、それでいて独身である女性がなるものといえば、家庭教師であった。シャーロットも私塾で学んだ後に家庭教師になった。私塾の計画が頓挫してから、三姉妹は匿名で詩集を出版するも不評だった。しかしシャーロットは小説を書き始めた。それが世に知られるようになったのも束の間、弟ブランウェルがその翌年に没し、さらにエミリーもあの世へと旅立ち、その翌年にはアンまでもが後を追うようにこの世を去った。...
  • Æ
    Æ(Æ)(1867~1935) 略歴  アイルランドの詩人。本名ジョージ・ウィリアム・ラッセル(George William Russell)。筆名のÆはラテン語のアイオーン(æon)から。アイオーンは通常、時間とか世紀などのある期間のことを意味するが、神秘主義的には高次の霊などの意味で使われる。幼少期から幻覚を度々見ることがあり、長じて神秘主義的傾向を深めた。アイルランドの文芸復興運動において中心的な役割を担った。その一方で学友であったイェイツとダブリンにヘルメス協会を設立し、神智学協会にも参加した。
  • シェイクスピア(4)
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 第4期―穏やかな日々(1609~1612)  時代は移り変わり、ベン・ジョンソンら新しい時代の担い手が台頭していた。しかしシェイクスピアはすでに独自の地位を築いており、今更彼らと火花を散らして主役の座を狙おうとはしなかった。この頃書かれた作品は穏やかな心情で、力みのないもので、代表的なのはロマンス劇と呼ばれる『シンベリン』(Cymbeline,1609-1610)、『冬物語』(Winter s Tale,1610-1611)、『あらし(テンペスト)』(Tempest,1611-1612)の3作である。 共通するのはリアリズムとはかけ離れた、おとぎ話的な世界である。前期に深淵をのぞき込み、人間に対し絶望感すら抱いたかに見えた彼が、晩年に至ってごく穏やかな気持ちに、人間の愚かさも醜さも全て認めた上で...
  • 人名索引/ア行
    人名索引/ア行 アーヴィング(Washington Irving)米 アーヴィング(John Irving)米 アードリック(Louise Erdrich)米 アーノルド(Matthew Arnold)英 アシュベリー(John Ashbery)米 アダムズ(Henry Brooks Adams)米 アップダイク(John Hoyer Updike)米 アンダソン(Sherwood Anderson)米 アンダソン(Maxwell Anderson)米 アンダソン(Robert Woodruff Anderson)米 Æ(Æ)英 イージアスカ6italic(){(Anzia Yezierska)}米 イェイツ(William Butler Yeats)英 インジ(William Motter Inge)米 ヴィダール(Gore Vidal)米 ウィチャリー(William Wycherle...
  • メアリ・シェリー
    メアリ・シェリー(Mary Shelley)(1797~1851) 略歴  父は無神論者でアナーキストのウィリアム・ゴドウィン、母は女権論者のメアリ・ウルストンクラフトという、特異な家庭に生まれた。詩人のシェリーと出会い、彼にはまだ妻がいたにもかかわらず駆け落ちした。その生涯は、子に先立たれたり、また夫のシェリーを不慮の事故で亡くすなど、必ずしも幸福ではなかったかもしれない。 作品  スイスのジュネーヴ近郊の湖畔でバイロン、ポリドリと落ち合ったが、天候不順でどこにも行けず、気晴らしに一人一作ずつ怪奇小説を書くことになった。これが後にディオダディ館の怪奇談義などと呼ばれるものである。バイロンはごく短い話を書き、後に詩集に収録した。後にそれをポリドリが小説に発展させ、バイロン名義で発表した。夫の(正確にはまだ妻がいたので結婚したのはこの後だが)シェリーはそうそうに投げ出してしまったが、...
  • マルカム・カウリー
    マルカム・カウリー(Malcolm Cowley)(1898年~1989年) 略歴  ペンシルベニア州出身の詩人、批評家。ハーヴァード大学に在学中に第一次世界大戦に従軍した。大学卒業後、パリに移住してボヘミアン的生活を送り、詩集を発表した。また批評家として米文学に与えた影響は多大で、特に当時全くの無名でその作品もほとんど絶版状態だったフォークナーを“発掘”した功績は非常に大きい。 作品  詩集としては『ブルー・ジュニアータ』(Blue Juniata,1929)、『渇いた季節』(A Dry Season,1942)などがある。  むしろ失われた世代の生き証人として、狂騒の1920年代を活写したエッセイ、『亡命者の帰還』(Exile s Return A Narrative of Ideas,1934,改訂版1951)が有名。これは文学史としても個人の自伝としても優れたものとし...
  • ナサニエル・ホーソーン
    ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)(1804~1864) 略歴  マサチューセッツ州セイラム出身。ホーソーン家の初代ウィリアムはクエーカー教徒の迫害、二代ジョンは有名なセイラムの魔女裁判で判事を務めており、後のこれらのことが彼の作品に強い影響を与えることとなった。  ホーソーンは4歳で父を失い、母方の実家で育てられた。ボードン大学で学び、そこでフランクリン・ピアース(後の第14代アメリカ大統領)やロングフェロウらと知り合った。卒業後は12年間もの間引きこもり、読書と創作に励んだとされるが、詳細はよくわかっていない。1839年、家計が苦しかったため、ボストンの税関に就職した。しかし翌々年には退職し、一時期超絶主義者らで作った、革新的実験農場ブルック・ファームに参加した。しかしそこでの人間関係に強い失望を抱いて離脱し、再び今度はセイレムの税関に就職、後数年で退...
  • H・G・ウェルズ
    H・G・ウェルズ(Herbert George Wells)(1866~1946) 略歴  フランスのジュール・ベルヌと共に、「SFの父」と呼ばれる作家。イギリスのケント州ブロムリーに生まれる。科学師範学校に奨学金で進み、トマス・ヘンリー・ハクスリー(孫のオルダス・ハクスリーは作家)に生物学を学ぶ。そこの学生誌に寄稿したものが後期の作品の原点となった。教職を経てジャーナリストになり、作家となる。後プラトンの『国家』を読んで社会主義に傾倒するとフェビアン協会に参加する。世界平和や人権問題、糖尿病患者協会の設立など社会問題に積極的に関わった。 作品  SFの元祖として現在でも広く読まれ、親しまれているが、その一方で文学として扱われることは少ない。しかしながらウェルズの作品は荒唐無稽な読物ではなく、現在の世界、及び未来世界への深い憂慮が込められている。  初期の作品はいわゆるSF小説で...
  • パーシー・シェリー
    パーシー・シェリー(Percy Bysshe Shelley)(1792~1822) 略歴  ロマン派の詩人。富裕な貴族の長男として生を受ける。自由奔放で過激な行動が目立ち、常に周囲からの非難にさらされた。オックスフォード在学中に過激なパンフレットを発行し、放校処分となる。常識的な価値観(愛や結婚など)を無視し、感情のおもむくままに行動した結果、メアリと駆け落ち同然で旅に出、最初の妻は自殺に追い込まれた。このことで世間からはごうごうたる非難を浴びた。バイロンやキーツ、ラム、ハズリットらと交友関係を結んだ。故国を離れて詩作に励むが、乗船していたヨットが暴風雨によって転覆、短い生涯を閉じた。バイロンら数人の友人が火葬に立ち会ったという。 作品  彼が学生時代に書き、そのために退学に追い込まれたのは『無神論の必然性』(The Necessity of Atheism,1811)は、無政府...
  • シェイクスピア
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 略歴  エリザベス朝演劇を代表する劇作家、詩人。その生涯については不明な点が多い。1580年代の半ば頃にロンドンに出たとされるが確証はない。当初は劇団の俳優をしていたらしいが、その後芝居を書き直す仕事も兼ねるようになる。その才覚が認められ、1590年頃にはオリジナル作品を手がけるようになった。とはいえ彼の(というよりも劇作家はすべからく)作品には、いわゆる種本というものがあり、その骨格に彼の優れた想像力からなる血肉を加付けえ、独自の生きた演劇に仕上げてしまう天才であった。しかしながら歴史や地理の知識にはそれほど詳しくはなかったようで、特に海外を舞台とした作品では、多くの事実誤認が認められる。彼の作品は概ね4つの段階に分けることができる。 第1期―新進気鋭作家(1990~1995)  シェイク...
  • シェイクスピア(3)
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 第3期―深淵をのぞき込む(1601~1609)  この頃、英国は目に見えない不安に苛まれていた。当1時、英国を治めていたのはエリザベス1世であったが、彼女は未婚のままとうとう70近くになっていた。国民は後継者が誰になるのか、あるいはその際の混乱について、漠然と不安を抱えていたのである。そして老女王が没すると、スコットランドからジェームズ6世が迎えられ、ジェームズ1世として即位したが、国民の反応は冷淡だった。  そんな陰鬱な空気が忍び寄ってきた時代に世に出たのが、かの有名な4大悲劇である。社会不安が悲劇の生まれる要因の一つではあったが、それよりも個人的なもの、シェイクスピアが作家として円熟期に差し掛かった、ということも大きいだろう。  まず最初に書かれたのが『ハムレット』(Hamlet,1600...
  • ウォルター・スコット
    ウォルター・スコット(Sir Walter Scott)(1771~1832) 略歴  スコットランド、エディンバラ出身の詩人、作家。生まれつき病弱であり、幼い頃に小児マヒにかかり、足に障害が残った。エディンバラ大学で法学を学び、大学時代には辺境地方を遍歴し、民謡や伝説の収集に熱中した。しかし健康を害い大学を中退して、父の事務所で弁護士修行をし、後に弁護士となった。1804年、ワーズワースに出会い、終生の友となった。出版業を営む友人との関係から、辺境地方の民謡などを出版することになった。詩人として活躍するものの桂冠詩人は辞し、当時不遇だった友人のサジーに譲った。その傍ら、スコットランド最高民事裁判所の書記にも任命された。その後、小説家に転身し歴史小説作家として名声を得、一躍流行作家となった。ところが1826年に共同経営していた印刷所が破産、さらに愛妻にも先立たれた。そんな中、彼はこの苦境...
  • ダイオン・ブーシコー
    ダイオン・ブーシコー(Dion Boucicault)(1820~1890) 略歴  アイルランドのダブリン出身。早くから演劇の世界に足を踏み入れ、劇作家としてのデビューの地はロンドンであった。一時期フランスに滞在するも、1853年には渡米、時代をリードする劇作家として活躍する。主にイギリスを始めとしたヨーロッパの作品を下敷きとする、翻案を得意とした。生涯に120本~150本という膨大な作品を手がけ、メロドラマの大家と呼ばれる。また自らが俳優として出演することもあった。さらにアメリカにおける劇作家の地位向上を目指して、1856年の著作権法の成立に尽力した。 作品  代表作はフランスのメロドラマをアメリカ向けに書き直した『ニューヨークの貧者』(The Poor of New York,1857)や、同時代のアメリカの作家の奴隷問題を扱った小説を翻案した『オクトルーン』(The Oct...
  • ヘンリー・ジェイムズ
    ヘンリー・ジェイムズ(Henry James)(1843~1916) 略歴  アメリカ・ニューヨーク出身で、後にイギリスに帰化した作家。同名の父は神秘主義思想家スウェーデンボルイの信奉者の宗教哲学者で、兄のウィリアムはプラグマティズムで有名な哲学者。父の「幼い頃から型にはまった教育を与えるべきではない」という方針で、幼い頃から欧州各国を旅行し、教育はもっぱら正規の学校教育によらず、数人の家庭教師や旅先の私立学校で受けた。この頃の経験が後に作品に活かされることになる。1861年に火事の消火作業中に酷い火傷を負い、結果南北戦争に参加できずに劣等感を抱く。ハーヴァードに入学するも1年で退学し、文筆家の道を歩み始める。最初の作品は1864年に無署名で雑誌に掲載された短篇と書評だった。以後精力的に作品を発表し、新進作家としての地位を固める。1875年には欧州に定住する決意を固め、まずパリに住むが気...
  • シェイクスピア(2)
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 第2期―独壇場(1595~1600)  この頃はシェイクスピアの絶頂期とも言える時期で、演劇界は彼の一人舞台であった。この時期の作品としては、喜劇と史劇が多い。喜劇では『ヴェニスの商人』(The Merchant of Venice,1596-1597)という名作が生まれた。これはマーロゥの『マルタ島のユダヤ人』を種本の一つとしており、ユダヤ人が最終的に酷い目に合うという大筋は同じである。しかしこの『ヴェニスの商人』は「シャイロックの悲劇」と言われるほど、シャイロックに同情的とも見える内容を含み、当時客席に思わず涙する人がいたと言われるほど、登場人物の個性や複雑な感情が見事に描かれている。しかしだからといってシェイクスピアがユダヤ人に特別寛容であったり、人種差別に反対していたというわけではない。逆...
  • マライア・エッジワース
    マライア・エッジワース(Maria Edgeworth)(1767~1849) 略歴  オックスフォードシャーのブラックボートン出身。5歳で母を亡くした。14歳からはアイルランドに住み、父の仕事を手伝った。英国最初の児童文学作家と呼ばれるが、その生涯に小説や児童文学だけでなく教育関係の本を多数出版し、欧州中でベストセラーとなった。その作品はスコットやツルゲーネフらに強い影響を与えたという。 作品  『ラックレント城』(Castle Rackrent,1800)はアイルランドを舞台とした年代記小説。ラックレント城の歴代城主たちを、彼らに長年仕えた使用人の目を通して描いた。系図小説(saga novel)、地方小説(regional novel)の元祖ともされる。
  • エリザベス・バレット・ブラウニング
    エリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning)(1806~1861) 略歴  ダラムの出身。かなりの早熟で、8歳の頃に原語のギリシア語でホメロスを読むほどだったという。ギリシア語とラテン語は独学だった。14歳にして私費ではあったが処女作を出版した。しかし15歳の時、落馬が原因で脊椎を損傷し、以来病弱になり引きこもった生活を送るようになった。1845年、彼女の詩に感動したブラウニングが手紙を送ったことから、二人は互いに好意を抱くようになり、翌年に結婚、イタリアへ駆落ちした。1961年、フィレンツェにてその生涯を閉じた。作品には夫への愛情に満ちた44編のソネット集『ポルトガル語からのソネット』(Sonnets from the Portugese,1850)、9巻からなる大作で社会問題・婦人問題を論じた『オーロラ・リー』(Aurora Leigh,...
  • ロバート・ブラウニング
    ロバート・ブラウニング(Robert Browning)(1812~1889) 略歴  テニスンと並び称されるヴィクトリア朝を代表する詩人。しかしテニスンが分かりやすく親しみやすい作風であったのに対し、ブラウニングは難解で玄人好みの作風であった。あまり満足な学校教育を受けることができなかった。彼は妻で女流詩人であったエリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning,1806-1861)が病弱であったことから、長らくイタリアで暮らすことになった。しかし1861年に病弱だった妻が亡くなると、悲嘆にくれた彼は息子を連れてロンドンへ帰った。その後、その業績が認められオックスフォードの名誉学位を受け、エディンバラ大学の名誉博士となり、またロンドン大学の終生総長に推薦されもした。晩年までその創作意欲は失われなかった。 作品  『パラケルスス』(Parac...
  • エレン・グラスゴー
    エレン・グラスゴー(Ellen Glasgow)(1874年~1945年) 略歴  ヴァージニア州リッチモンド出身の女流作家。名家に生まれたが、病弱だったために学校教育は受けず、もっぱら文学を読みふけって過ごした。感傷的なロマンスではなく、南北戦争後の南部の現実を赤裸々に描いた作品を次々と発表した。 作品  代表作は『不毛の地』(Barren Ground,1925)で、寒村でたくましく生きる女性の姿を描いた。  他に『人民の声』(The Voice of the People,1900)、『鉄の鉱脈』(Vein of Iron,1935)、ピューリッツァー賞を受賞した『このわれらの生に』(In This Our Life,1941)、死後出版の自伝『内なる女』(The Woman Within,1954)がある。
  • フィリップ・フレノー
    フィリップ・フレノー(Philip Freneau)(1754~1832) 略歴  ニューヨーク市のフランス系の商人の家に生まれる。ニュージャージー・カレッジ(後のブリンストン大学)で神学を修める。しかし、牧師にはならなかった。やんちゃで冒険好きな性格だったらしく、特に海を好んでいたために、若い頃には2年の間西インド諸島のサンタ・クルス島に滞在したこともある。その時には何度か英国海軍に拿捕されたらしい。貿易船の船長なども経験したが、それにも飽きると田舎に赴き農場の仕事をしたりもした。アメリカ独立前後の時期には、政治ジャーナリストとしてその文筆を揮い、独立と建国を後押しした。詩人としては、アメリカロマン主義の先駆けになった詩人と位置づけられている。 作品  主題を政治問題にとった論争詩や風刺詩も多いが、現在では想像力や自然を賛美した詩の方が、ロマン主義の到来を予感させる作風で、評価さ...
  • トルーマン・カポーティ
    トルーマン・カポーティ(Truman Garcia Capote)(1924年~1984年) 略歴  ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。両親が幼い頃に離婚し、アメリカ南部の遠縁の家を転々として育った。その記憶が後々の彼の作品に活かされる事になった。彼はこういった生活のためにまともに学校に通うことができず、ほとんど独学で学んだ。母は後に再婚し、そのために彼の姓がカポーティとなった(母はその後自殺)。様々な職を経て「ニューヨーカー」誌の雑務係となった。短編「ミリアム」(Miriam,1945)がO・ヘンリー賞を受賞し、恐るべき子供(enfant terrible )と評されて衝撃を与え、続いて発表された長編も高い評価を得た。その後、作品の映画化とそのヒット、それから彼自身の私生活の華やかさでゴシップ欄を賑わせた。しかし晩年はアルコールや薬物の中毒に苦しめられたせいか奇行が目立ち始め、また作品...
  • ジョージ・オーウェル
    ジョージ・オーウェル(George Orwell)(1903~1950) 略歴  インドのベンガル出身。本名はエリック・ア-サー・ブレア(Eric Arthur Blair)。父はベンガルで阿片の栽培と販売に携わっていたが、母や子らはイギリスに帰国し母子家庭だった。幼い頃から学業に秀でていたようで、奨学金でウェリントン・カレッジで学び、後イートン・カレッジに転向した。1922年にマンダレーでインド警察の訓練所に入り、各地で5年間勤務したが、次第に嫌気が差し1927年に帰国、辞表を出した。この当時の経験は後の作品にも生かされている。その後ルポライターを目指し、パリやロンドンを放浪し著作を発表した。スペイン内戦が起こると、義勇兵として参加しファシズム軍と戦った。前線で喉に貫通銃創を受け辛うじて命を取り留めた。戦況の変化により治癒後にフランスに脱出した。その後はエッセイや評論によって名声を得た...
  • 人名索引/ハ行
    人名索引/ハ行 ハーディ(Thomas Hardy)英 バイロン(George Gordon Byron,6th Baron)英 ハクスリー(Aldous Leonard Huxley)英 ハドソン(William Henry Hudson)英 バトラー(Samuel Butler)英 バニヤン(John Bunyan)英 ピール(George Peel)英 フィールディング(Henry Fielding)英 ブーシコー(Dion Boucicault)米 フォースター(Edward Morgan Forster)英 フォード(John Ford)英 ブライアント(William Cullem Bryant)米 ブラウニング(Robert Brouwning)英 ブラウニング夫人(Elizabeth Barret Brouwning)英 ブラウン(Charles Brockden Brow...
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