ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「エリザベス・ギャスケル」で検索した結果

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  • エリザベス・ギャスケル
    エリザベス・ギャスケル(Elizabeth Cleghorn Gaskell)(1810~1865) 略歴  ユステニアン派の元牧師の家に生まれた。旧姓はスティーヴンソン。1歳で母を亡くし、伯母の家に引き取られた。その後、父と兄を相次いで亡くすが、21歳で牧師であるウィリアム・ギャスケルと結ばれた。しかし、34歳になってようやく授かった長男が9ヶ月で病死すると、失意のどん底に突き落とされた。ところが失意の中で夫に勧められて書き綴った処女作が、世間で大好評を得、一躍時の人となった。著名な作家たちとも親しく交友を深め、その中にはチャールズ・ディケンズやエリオット、シャーロット・ブロンテらがいた。55歳の時、当時手がけていた作品の完成間近で、別荘で急死。 作品  いくつかの長編の他、多数の中短編を書いたが(チャールズ・ディケンズの雑誌で発表されたものも多い)、同時代の巨匠と呼ばれるような...
  • 年表(19世紀)
    ...l Hall) エリザベス・ギャスケル(Elizabeth Cleghorn Gaskell,1810-1865)『メアリ・バートン』(Mary Barton) 1849 シャーロット・ブロンテ『シャーリー』(Shirley) ハーマン・メルヴィル『レッドバーン』(Redburn)『マーディ』(Mardi) ジョン・ラスキン(John Ruskin,1819-1900)『建築の7大原則』(The Seven Lamps of Architecture) 1850 アルフレッド・テニスン『イン・メモリアム』(In Memoriam A. H. H.) ナサニエル・ホーソーン『緋文字』(The Scarlet Letter) チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・カパフィールド』(David Copperfield) ハーマン・メルヴィル『ホワイト・ジャケット』(White ...
  • エリザベス・バレット・ブラウニング
    エリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning)(1806~1861) 略歴  ダラムの出身。かなりの早熟で、8歳の頃に原語のギリシア語でホメロスを読むほどだったという。ギリシア語とラテン語は独学だった。14歳にして私費ではあったが処女作を出版した。しかし15歳の時、落馬が原因で脊椎を損傷し、以来病弱になり引きこもった生活を送るようになった。1845年、彼女の詩に感動したブラウニングが手紙を送ったことから、二人は互いに好意を抱くようになり、翌年に結婚、イタリアへ駆落ちした。1961年、フィレンツェにてその生涯を閉じた。作品には夫への愛情に満ちた44編のソネット集『ポルトガル語からのソネット』(Sonnets from the Portugese,1850)、9巻からなる大作で社会問題・婦人問題を論じた『オーロラ・リー』(Aurora Leigh,...
  • ウィリアム・ギャス
    ウィリアム・ギャス(William Howard Gass)(1924年~ ) 略歴  ノース・ダコタ州ファーゴ出身。ケニオン大学を卒業後、コーネル大学で博士号を取得した。ワシントン大学の哲学科教授、国際作家センター所長などを歴任した。1960年代以降、アメリカの前衛小説の理論形成に尽力した。 作品  『オーメンセッターの幸運』(Omensetter s Luck,1965)は処女長編。中世部の田舎町を舞台に、虚空に向って吐き続けられる果てしない独白で構成された作品。『アメリカの果ての果て』(In the Heart of the Heart of the Country,1968)は代表的短編集。『ウィリー・マスターズの孤独な妻』(Willie Masters Lonesome Wife,1971)は活字の図案化などによって言語の肉体化を目指したメタフィクション。『トンネル』(...
  • ロバート・ブラウニング
    ロバート・ブラウニング(Robert Browning)(1812~1889) 略歴  テニスンと並び称されるヴィクトリア朝を代表する詩人。しかしテニスンが分かりやすく親しみやすい作風であったのに対し、ブラウニングは難解で玄人好みの作風であった。あまり満足な学校教育を受けることができなかった。彼は妻で女流詩人であったエリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning,1806-1861)が病弱であったことから、長らくイタリアで暮らすことになった。しかし1861年に病弱だった妻が亡くなると、悲嘆にくれた彼は息子を連れてロンドンへ帰った。その後、その業績が認められオックスフォードの名誉学位を受け、エディンバラ大学の名誉博士となり、またロンドン大学の終生総長に推薦されもした。晩年までその創作意欲は失われなかった。 作品  『パラケルスス』(Parac...
  • ローレンス・スターン
    ローレンス・スターンLaurence Sterne(1713~1768) 略歴  アイルランド出身。軍人だった父とは17歳の時に死別。ケンブリッジで祖先が設けた奨学金で学び、サットンの教区牧師となった。平凡な田舎牧師であったが、知人の蔵書でセンバンテスやラブレーの著作に接し影響を受けた。手始めに宗教界の勢力争いを風刺する小冊子を書き好評を得ると、いよいよ彼の代表作である『トリストラム・シャンディ』を執筆し始めた。人妻と恋愛関係に陥るなど牧師らしからぬ人物であった。その一方で説教集なども出版している。しばしば喀血するなど病に苦しみ、それがもとでロンドンで没する。 作品  『トリストラム・シャンディ』(Tristram Shandey,1760-1767)は正確には『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』(The Life and Opinions of Tristram Sha...
  • ジョン・ウェブスター
    ジョン・ウェブスター(John Webster)(1580年?~1625年?) 略歴  エリザベス朝の劇作家。初めはデッカーやミドルトンとの合作劇を書いていたが、後に単独で劇作を行い、シェイクスピアに次ぐ悲劇作家として評価された。 作品  代表作の一つ『白魔』(The White Devil,1612)は、「白魔」とあだ名される妖婦ヴィットリアを主役とした暗黒の悲劇であり、『マルフィ公爵夫人』(The Duchess of Malfi,1614)は公爵の財産を狙う二人の非情な兄によって非業の死を遂げる、薄幸の公爵未亡人を描いた。
  • 人名索引/カ行
    人名索引/カ行 カーヴァー(Raymond Clevie Carver Jr.)米 ガードナー(John Champlin Gardner Jr.)米 カーハン(Abraham Cahan)米 ガーネット(David Garnett)英 カーライル(Thomas Carlyle)英 ガーランド{(Hamlin Garland)米 カウフマン(George S Kaufman)米 カウリー(Malcolm Cowley)米 カポーティ(Truman Garcia Capote)米 カミングズ(Edward Estlin Cummings)米 キーツ(John Keats)英 キッド(Thomas Kid)英 キプリング(Joseph Rudyard Kipling)英 キャザー(Willa Cather)米 ギャス(William Gass)米 ギャスケル(Elizabeth Cleghor...
  • マクスウェル・アンダソン
    マクスウェル・アンダソン(Maxwell Anderson)(1888~1959) 略歴  ジャーナリストだった経歴を生かして、20年代に反戦劇などの社会的関心の強い散文劇で名声を得る。その後30年代に入ると韻文劇に転じ史劇や喜劇、悲劇を発表し、オニールに次ぐ演劇界の大御所となる。戦後も活躍を続けたものの、戦前ほどの作品はない。 作品  『栄光何するものぞ』(What Price Glory?,1924)は反戦をテーマとした散文劇。  『女王エリザベス』(Elizabeth the Queen,1930)、『スコットランドのメアリー』(Mary of Scotland,1933)、『フォージ渓谷』(Valley Forge,1934)は韻文詩劇。  『岩頂荘』(High Tor,1937)は機械文明を風刺する喜劇。  『ウィンターセット』(Winterset,1935)は、サ...
  • 年表(1950~2000)
    西暦 英文学 米文学 1950 アンジア・イージアスカ『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on White Horse My Story) ウィリアム・インジ(William Motter Inge,1913-1973)『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba) テネシー・ウィリアムズ『ストーン夫人のローマの夏』(The Roman Summer of Mrs. Stone)『バラの刺青』(The Rose Tattoo) ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』(The Caine Multiny) ロバート・ペン・ウォレン『この世も時も』(World Enough and Time) クリフォード・オデッツ『カントリー・ガール』(The Country Girlfa) トルーマン・カポーティ『草の竪琴』(The G...
  • シェイクスピア(3)
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 第3期―深淵をのぞき込む(1601~1609)  この頃、英国は目に見えない不安に苛まれていた。当1時、英国を治めていたのはエリザベス1世であったが、彼女は未婚のままとうとう70近くになっていた。国民は後継者が誰になるのか、あるいはその際の混乱について、漠然と不安を抱えていたのである。そして老女王が没すると、スコットランドからジェームズ6世が迎えられ、ジェームズ1世として即位したが、国民の反応は冷淡だった。  そんな陰鬱な空気が忍び寄ってきた時代に世に出たのが、かの有名な4大悲劇である。社会不安が悲劇の生まれる要因の一つではあったが、それよりも個人的なもの、シェイクスピアが作家として円熟期に差し掛かった、ということも大きいだろう。  まず最初に書かれたのが『ハムレット』(Hamlet,1600...
  • ジョン・キーツ
    ジョン・キーツ(John Keats)(1795~1821) 略歴  ロマン派の詩人。その中では最も若い方であり、また最も早くに死んだ。バイロン、シェリーらが貴族階級の出身であったのに対し、彼は貸馬車屋の息子であった。だが両親とは幼くして死別、大学に行くことなど夢のまた夢で、友人から文学書を借りて独学で学んだ。特にスペンサーを始めとするエリザベス朝詩人の作品に耽溺したという。21歳頃に文学を志してから、彼が詩人として活躍したのは、わずか5年足らずに過ぎない。母や弟も肺結核で亡くし、そしてまた自らもその病に冒された。残りわずかな生命の火を燃やし尽くすように、珠玉の名作を世に残し燃え尽きた。彼の遺言によりその墓石には「その名を水に書かれし者ここに眠る」(Here lies one whose name was writ in water.)と刻まれている。 作品  非常に短い生涯だった...
  • シェイクスピア
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 略歴  エリザベス朝演劇を代表する劇作家、詩人。その生涯については不明な点が多い。1580年代の半ば頃にロンドンに出たとされるが確証はない。当初は劇団の俳優をしていたらしいが、その後芝居を書き直す仕事も兼ねるようになる。その才覚が認められ、1590年頃にはオリジナル作品を手がけるようになった。とはいえ彼の(というよりも劇作家はすべからく)作品には、いわゆる種本というものがあり、その骨格に彼の優れた想像力からなる血肉を加付けえ、独自の生きた演劇に仕上げてしまう天才であった。しかしながら歴史や地理の知識にはそれほど詳しくはなかったようで、特に海外を舞台とした作品では、多くの事実誤認が認められる。彼の作品は概ね4つの段階に分けることができる。 第1期―新進気鋭作家(1990~1995)  シェイク...
  • ジェーン・オースティン
    ジェーン・オースティンJane Austen(1775~1817) 略歴  ハンプシャーの田舎牧師の家に生まれる。兄弟が六人、姉が一人おり、姉とは終生親密であった。当時の一般の女性よりも充実した教育を受け、この間に文学作品に接し、影響を受ける。1789年頃から小説のようなものを書き始めたが、これは発表するためではなく、あくまでも家人に読み聞かせるためのものであった。父の勧めで出版社に送ってみた作品も、出版にはいたらなかった。生涯独身を通し、42歳で没する。生前に出版された作品も全て匿名であり、本人もまた自分の英文学にもたらした功績に気づくことがなかった。 作品  彼女は生涯で長編6作を書いた。いずれも平凡な田舎の日常を描いたものである。実際に彼女は「田舎の村の3、4家族が、小説の題材には最適なのです」と述べている。彼女は自分が生きた小さな世界の、よく知る人々を丹念に描き続けた。自分...
  • レイモンド・カーヴァー
    レイモンド・カーヴァー(Raymond Clevie Carver Jr.)(1938年~1988年) 略歴  オレゴン州クラッツカニー出身。3歳の時にワシントン州ヤキマに転居した。家庭は貧しかったが高校を卒業し、その翌年には結婚、さらにその翌年にカリフォルニア州立大学チコ校に入学した。経済的には厳しかったが夜間に働きながら創作科でガードナーの教えを受け、1960年にハンボルト州立大学に移籍し文芸誌の執筆と編纂に携わった。1963年に卒業すると今度はアイオワ州立大学大学院の創作科に進むが、経済事情が原因で中退した。その後は雑役夫などをして糊口を凌いでいたが、1971年に短編が認められ、カルフォルニア州立大学バークレー校の客員教授となったが、アルコール依存症が原因で入退院を繰り返し、妻とも別居してしまった。その後、アルコール依存症を克服し、精力的に作品を発表し続けた。1980年にはシラキュ...
  • 作品索引/サ行
    作品索引/サ行 『サーカスの息子』(A Son of the Circus)米 『サーシス』(Thyrsis)英 『最後の回転木馬』(The Last Carousel)米 『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel)英 『サイダーハウス・ルール』(The Cider House Rules)米 『サイラス・マーナー』(Silas Marner)英 『詐欺師』(The Confidence-Man)米 『サスペンス』(Suspense)英 『砂漠の音楽とその他の詩』(The Desert Music and Other Poems)米 『サフィラと奴隷娘』(Sapphira and the Slave Girl)米 『醒めて唄え!』(Awake and Sing!)米 『さようならウサギ』(Rabbit at Rest)米 『猿と本質』(Ape and...
  • ロバート・クーヴァー
    ロバート・クーヴァー(Robert Coover)(1932年~ ) 略歴  アイオワ州チャールズシティ出身。ポストモダン文学の旗手としてピンチョンやギャスと並ぶ代表格。 作品  代表作は『ユニヴァーサル野球協会』(The Universal Baseball Association, Inc,1968)で、独自に開発した野球ゲームとその仮想現実の世界に熱中し、次第に捕らわれていく中年男を描いた。  他に『ブルーノ教団』(The Origin of Brunists,1966)で(フォークナー賞を受賞)、『火刑』(The Public Burning,1977)、『ジェラルドのパーティ』(Gerald s Party,1986)、『ベニスのピノキオ』(Pinocchio in Venice,1991)、『ブライヤー・ローズ』(Briar Rose,1996)などがある。
  • T・S・エリオット
    T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot)(1888~1965) 略歴  ミズーリ州セントルイス出身。ハーヴァード大学で学び、在学中から学内誌に寄稿していた。ソルボンヌ大学で仏文学と哲学を学び、帰国後はハーヴァード大学で哲学科の助手となった。1914年に留学生としてドイツに赴くが、第一次大戦の戦火を逃れてロンドンにに行き、オックスフォード大学で哲学を学んだ。以来、彼はロンドンに定住することとなった。その頃大きな影響を受けることになるパウンドを訪問し、彼の助力によって詩を雑誌に発表し、また評論家としても活躍を見せた。その後1927年に正式にイギリスに帰化し、英国国教会に帰依した。1947年にノーベル文学賞を受賞し、勲功賞も得た。自らを「文学においては古典主義者、政治においては王党派、宗教においてはアングロ・カトリック」とその保守性を明確に規定していた。1965年、呼吸器...
  • マイケル・ゴールド
    マイケル・ゴールド(Michael Gold)(1893年~1967年) 略歴  ニューヨークのスラム街に生まれた。本名はアイツォク・グラニッチ。父はユダヤ系移民。工員や夜警などをしていたがその過程でコミュニストとなった。その後、左翼系文芸誌『リベレイター』の編集に参加するようになった。『ニュー・マッセズ』が1926年に創刊されると編集幹部となり、中心人物として活躍した。 作品  代表作である『金のないユダヤ人』(Jews Without Money,1930)は自伝的長編。スラム街に住むユダヤ系移民たちの生活と苦悩を赤裸々に、そして温かい筆致で描いた。  他にスケッチ集『一億二千万』(120 Million,1929)、評論集『世界を変えろ!』(Change the World!,1936)などがある。
  • アレン・ギンズバーグ
    アレン・ギンズバーグ(Irwin Allen Ginsberg)(1926年~1997年) 略歴  ニュージャージー州パターソン出身。両親はロシアからの移民でユダヤ系。コロンビア大学を卒業。当初は幻想的傾向が強かったが、同地の先輩詩人ウィリアムスの勧めでより現実に即した試作に転じた。1955年にサンフランシスコに出、処女作を発表すると、ビートジェネレーションの指導的存在として注目を集めた。その後は、ベトナムの反戦運動や公民権運動、ゲイ解放運動などに積極的に携わった。また1970年以降は環境保護や反核デモにも関わった。その一方で1960年代にインドに渡り、ヒンズー教のマントラはアメリカに紹介し、朗読会や集会などでこれを唱えた。またチベット仏教の影響も受けた。その予言ともいえるような宗教的詩風から、ホイットマンを想起させた。 作品  『「吠える」とその他の詩』(Howl and Oth...
  • ジョージ・エリオット
    ジョージ・エリオット(George Eliot)(1819~1880) 略歴  イギリス中西部ウォリックシャー出身。本名はメアリ・アン・エヴァンスであり、女性であるが筆名は男性名を名乗った。13歳で入学した学校が、非常に宗教色の強い学校で、彼女は清教徒的な教育を受けることとなった。しかし翌年には母が没し、父の面倒を見るために彼女は退学を余儀なくされた。その後本を読む傍ら、独学で語学を学びギリシア、ラテン、ヘブライ、ドイツ、フランス、イタリアの各言語を習得したという。とりわけドイツ語とドイツ思想に傾倒し、それが彼女の精神形成に大きな影響を与え、清教徒よりの信仰からの脱却と自由思想への転身のきっかけとなった。その後ロンドンでウェストミンスター・レヴュー誌の副主筆となる。私生活では知人の紹介で知り合った哲学者のジョージ・ヘンリー・ルーイスと交際するようになった。彼は既婚であったが、その妻と離婚...
  • アンガス・ウィルソン
    アンガス・ウィルソン(Angus Wilson)(1913~1991) 略歴  サセックス州のベックスヒル出身。英国人の父と南アフリカ人の母を持つ。オックスフォードのマートンカレッジで学んだ。その後、大英博物館に勤務。その傍ら小説を書いた。代表作は中年小説家の同性愛の悲劇を描いた『毒にんじんとその後』(Hemlock and After,1952)。他に『アングロ・サクソンの態度』(Anglo-Saxon Attitudes,1956)、『エリオット夫人の中年』(The Middle Age of Mrs. Eliot,1958)、『動物園の老人たち』(The Old Men at the Zoo,1961)などがある。
  • トマス・ハーディ
    トマス・ハーディ(Thomas Hardy)(1840~1928) 略歴  イギリス、ドーセット州出身。元々は敬虔なキリスト教徒で、日曜日には家族揃って教会に行き、ヴァイオリンを演奏することもあったという。しかし、1859年に発表されたダーウィンの進化論が、彼の人生を大きく変えることになった。彼は[メレディス ジョージ・メレディス]とは対照的に、そこにネガティヴなイメージを受けた。彼は自分自身が生まれ育ったウェセックスの、のどかで美しい牧歌的な景色と、自然と共に生きる農民たちの生活を描いた。しかしそういった自然や生活の全てが暗く無目的であり、人間の力の及ばない、不可解な宇宙の内在意思(Immanent Will)によって支配されていると考えた。彼の一連の作品はその舞台の名をとって「 ウェセックス・ノヴェル」と呼ばれるが、書く毎に彼の厭世観は暗く落ち込んでいった。その作品に対する評価は、当...
  • アイリス・マードック
    アイリス・マードック(Iris Murdoch)(1919~1997) 略歴  アイルランド、ダブリン出身の哲学者にして作家、詩人。幼くしてロンドンに渡る。オクスフォードのサマーヴィル・カレッジで学んだ。国連救済復興機関に酸化し、大戦後は各地の難民救済キャンプで働く。ベルギー滞在中にサルトルと出会い、実存主義に関心を持つ。帰国後オックスフォードにて哲学の特別研究員となる。小説を発表すると共に、哲学に関する著書も発表した。1987年に大英帝国勲章を授与される。晩年はアルツハイマー症に悩まされた。その経過は夫のジョン・ベイリーによる伝記に詳しく書かれ、また映画化されている。 作品  彼女の作品の特徴は哲学者でもあるだけに、プラトン、サルトル、それからフロイトの影響をよく受けている。時に読者を混乱させるような手法(概ね写実的に描いておきながら、象徴を用いてミスリーディングを誘ったり、登場...
  • 年表(1901~1949)
    西暦 英文学 米文学 1901 ラドヤード・キプリング『キム』(Kim) フランク・ノリス『蛸』(The Octppus) H・G・ウェルズ『神々の糧』(The Food of the Gods) トマス・ハーディ『過去と現在の詩集』(Poems of the Past and the Present) 1902 ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』(The Wings of the Dove) ウィリアム・ディーン・ハウエルズ『文学と人生』(Literature and Life) W・H・ハドソン『エル=オンブ』(El Ombu) イーディス・ウォートン『決断の谷間』(The Valley of Decision) アーサー・コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』(The Hound of the Baskervilles) アーノルド・ベネット『五つの町のアンナ』(Anna ...
  • ジャック・ケルアック
    ジャック・ケルアック(Jack Kerouac)(1922年~1969年) 略歴  マサチューセッツ州ローウェル出身。フランス系カナダ移民の家庭に生まれ、そのコミニティで育ったために小学校に入るまで英語を使うことなく育った。高校ではフットボールに打ち込み、推薦でコロンビア大学に進むがまもなく負傷してしまい、その道を諦め大学も退学した。戦時中は商船に乗組員として大西洋や地中海の港町を巡った。戦後は鉄道員などをしながらアメリカ各地をバロウズやギンズバーグらの仲間と放浪した。その経験を活かして書かれた『路上』の成功によって、彼と彼らビートニク(ビート・ジェネレーション)は若者たちを中心に熱狂的な支持を得た。しかし、その突然の成功への戸惑いと、彼らへの攻撃によって次第にアルコールに依存するようになって健康を害し、その上友人たちとの交流も途絶えて表舞台から姿を消していった。47歳の若さで没した。 ...
  • ラルフ・エリスン
    ラルフ・エリスン(Ralph Ellison)(1914年~1994年) 略歴  オクラホマ州オクラホマ・シティー出身。州から奨学金を得て由緒ある黒人大学として知られていたタスキーギィ・インスティチュートで音楽を学ぶ。作曲や彫刻に興味を抱いて勉強していたが、リチャード・ライトに強い影響を受け文学を志し、また後には共産党に入党する。ライトが参加していた雑誌『ニュー・チャンレンジ』、後に左翼系雑誌『ニュー・マッシズ』に、短編や評論を投稿するようになる。1952年には処女長編小説で全米図書賞を受賞する。しかし、その後評論集が2冊出版されたものの、作家自身が予告していた第2作目はとうとう発表されないまま没する。 作品  その作風もまたライトの影響を強く受けている。唯一の長編小説『見えない人間』(Invisible Man,1952)は全米図書賞を受賞した。アメリカ社会で疎外され無視されてき...
  • オルダス・ハクスリー
    オルダス・ハクスリー(Aldous Leonard Huxley)(1894年~1963年) 略歴  サリー州のゴダルミング出身。ハクスリー家は代々著名な科学者を排出している名家である。祖父トーマスは生物学者で、ダーウィンの進化論を支持したことで知られている。兄ジュリアンもまた進化論を支持した生物学者で、ユネスコ事務総長も務めた。一方オルダスは医師を志しイートンに進むが、角膜炎が原因で退学。視力のために第一次大戦の兵役を免れた。視力は後に回復したが、医師の道は諦め、オックスフォードで英文学と言語学を専攻した。大戦後作家としての道を歩み始めた。1937年には眼の治療のために渡米。その後は次第に神秘主義的傾向を深めていった。その中、自ら実験台となって幻覚剤(メスカリン)を使用したこともあった(その中で精神科医のオズモンドはサイケデリックという語を創造した)。1963年に死去。死の直前までLS...
  • トマス・グレイ
    トマス・グレイ(Thomas Gray)(1716~1771) 略歴  古典文学者、詩人。ケンブリッジの研究員、後に教授になった。この時代の風潮にあった静謐な詩が特徴で、特に『墓畔の哀歌』(An Elegy Written in a Country Churchyard,1751)が有名。繊細な性格で、常に正確で完璧な表現を追い求め、寡作ながらも評価は高い。
  • トマス・ウルフ
    トマス・ウルフ(Thomas Clayton Wolfe)(1900年~1938年) 略歴  ノース・カロライナ州アッシュビル出身の作家。父は石材店、母は旅館を経営しており、彼は8人兄弟の末子だった。19歳でノース・カロライナ大学を出、ハーヴァード大学の大学院に進み、劇作を学んだ。その後ニューヨーク大学で教鞭を取っていたが、アリーヌ・バーンスタイン(Aline Bernstein,1880-1955)に励まされて小説の執筆を始めた。名編集者マクスウェル・パーキンズ(Maxwell Perkins,1884-1947)に認められ出版に至った。しかし後には彼ら二人と袂を分かった。「真摯な小説は必ず自伝的である」と宣言し、その通りに自伝的小説を書き続けた。また「我々は新たなアメリカを発見しなければならない」とし、時に全体のバランスを崩してでも、すべてを語りつくそうとすることに異常なこだわりを見...
  • ケネス・コーク
    ケネス・コーク(Kenneth Koch)(1925年~2002年) 略歴  オハイオ州シンシナティ出身の詩人。ニューヨーク派を代表する詩人一人。若い頃から詩作に目覚め、戦後ハーバード大学に入り、そこでアシュベリーと出会った。在学中にグラスコック賞受賞している。卒業後ニューヨークに出た。処女出版された詩集は一般受けしなかったが、1970年代に入ると批評家から高い評価を得た。彼は死ぬまで精力的に詩を発表し続けた。またコロンビア大学の教師としても人気が高かった。 作品  作品としては『愛の芸術』(The Art of Love,1975)、『一両の列車』(One Train,1994)などがある。
  • トマス・ゴドフリー
    トマス・ゴドフリー(Thomas Godfrey)(1736年~1763年) 略歴  アメリカ人の手によるアメリカ演劇の最初の劇作家。しかし惜しくも早世した。作品としては『パルティアの王子』(The Prince of Parthia,1767)がある。
  • トーマス・キッド
    トーマス・キッド(Thomas Kid)(1558~1594) 略歴  英国の演劇の黎明期を支えた人物。彼によって演劇が大衆の娯楽として定着した、と言っても過言ではない。彼の書いた流血と陰謀と復讐の物語である『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy,1589)は、スペインの無敵艦隊を撃破した翌年だったこともあり、巧みな筋書き、個性的な登場人物、血が血を呼ぶ衝撃的な展開の連続が大いに観客を熱狂させた。本格的にブランク・ヴァースを使いこなしたことも大きく、マーロゥやシェイクスピアに大きな影響を与え、直接の種本ではないものの『ハムレット』と少なからず類似性が認められる。
  • トマス・ド・クィンシー
    トマス・ド・クィンシー(Thomas de Quincey)(1785~1859) 略歴  イギリス・マンチェスター出身の評論家。父を早くに亡くし、その多大な遺産は後見人の手に委ねられたが、後にこの後見人と対立した際には、酷く困窮するはめになった。幼い頃から優れた才能を発揮し、特に古代ギリシア語を自由自在に扱ったという。オックスフォード在学中にワーズワース、やコールリッジ、ラムなどと知り合い、特に似たところがあるコールリッジを敬愛してやまなかったという。1804年、歯痛の鎮痛のためにアヘン吸引を始め、次第に中毒に陥ってしまった。その過酷な体験を基に書かれたのが『アヘン吸引者の告白』(Confessions of an English Opium Eater,1822)である。そこには肉体と魂が蝕まれていく記録であり、また意識下の不可視、不可思議の世界を覗き込んだ者の体験が語られている。借...
  • ホレス・ウォルポール
    ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)(1717~1797) 略歴  有名な政治家ロバート・ウォルポールの三男。政治家としても活動し、奴隷売買に反対を表明したことで知られるが、もっぱら趣味的な生活にいそしんだ。別送のストロベリー・ヒルを改築して、自分好みのゴシック風建築に仕立てたことでも有名。その徹底振りは建築だけでなく、家具調度、美術品、科学、文学、化石などあらゆる面で時代の最先端を行っていた。彼がある日見た夢を基に書いた『オトラント城』(The Castle of Otranto,1764)は、ゴシック小説の流行のきっかけとなり、続くロマン主義時代への先駆けとなった。
  • トマス・カーライル
    トマス・カーライル(Thomas Carlyle)(1795~1881) 略歴  英国の評論家、思想家、歴史家。ヴィクトリア朝初期を代表する典型的な知識人。スコットランドの清教徒派的な家庭に生まれ、牧師になろうと志してエディンバラ大学に学ぶが、次第に信仰に対する深い懐疑にとらわれた。ドイツ文学を研究し、『シラー伝』を書いた他にゲーテ作品の翻訳を行った。またゲーテとは文通をしており、多大な影響を受けたという。彼の「バイロンを閉じよ、ゲーテを開け」の言葉は有名。英国ロマン派の限界を見抜いていた。 作品  『衣装哲学』(Sartor Resartus,1833-4)は、架空のドイツの哲学者トイフェルスドレックの手記を翻訳・解説した、という形で書かれた。その中で社会、国家、宗教、道徳など全ての文化、及び思想は人が魂の上に着た衣服に過ぎないと断じた。また後半では、カーライル自身の苦悩の遍歴を...
  • ハート・クレイン
    ハート・クレイン(Hart Crane)(1899年~1932年) 略歴  オハイオ州ギャレッツヴィル出身の詩人。裕福な実業家の家の一人息子として生まれたが、両親の不和であったため愛情への飢えから精神的に不安定にな日々を送った。そのためか後に同性愛とアルコールに溺れるような自滅的な性格になってしまった。試作を始めたのは高校の頃からで、1917年に両親が離婚すると退学してニューヨークに出たが、経済的に自立することは難しくしばらくの間は、地元とニューヨークを行き来して生活した。ニューヨークでは新進気鋭の詩人たちと親しく交わり、またパウンドとエリオットのモダニズム運動に強い影響を受けた。その一方で幻視体験や神秘主義にも興味を覚え、傾倒していくようになった。その文体は伝統的形式に従いながらも、言語の実見にも積極的に取り組んだ。しばしば造語を用いる他、口語や俗語など多彩に用い、その一方で言語の意味...
  • ジョン・ガードナー
    ジョン・ガードナー(John Champlin Gardner Jr.)(1933年~1982年) 略歴  ニューヨーク州バタビア出身。アイオワ大学大学院で古代・中世英文学を学び、その後各地の大学の教壇に立った。その傍ら創作活動を行い、神話や伝説をもとにした作品も多い。批評家としても活躍したが、バイク事故により49歳でこの世を去った。 作品  代表作は『陽光との対話』(The Sunlight Dialogues,1972)で、1960年代のアメリカの社会や、人々の精神の混乱を体現する“陽光の男”と法と秩序の守護者である地方警察署長との、精神的会合を描いた。  他に『ベオウルフ』(Beowulf)をもとに怪物の視点から描いた『グレンデル』(Grendel,1971)や、『ニッケル・マウンテン』(Nickel Mountain,1973)、『キングス・インディアン』(The Kin...
  • アリス・ウォーカー
    アリス・ウォーカー(Alice Malsenior Walker)(1944年~ ) 略歴  ジョージア州イートントン出身のアフリカ系アメリカ人の女流作家(他にもスコットランド系、アイルランド系の血も入っている)。スペルマン大学、サラ・ローレンス大学を卒業。1967年にフェミニズム活動家と結婚するも後に離婚。娘のレベッカもまた作家となった。最初の詩集は在学中に書かれた。公民権運動で作家活動を一時中断していたこともあった。その後フェミニスト雑誌へ参加することで執筆を再開、その後『カラー・パープル』で大きな反響を呼び、ピューリッツァー賞を獲得した。その一方で、アフリカ系アメリカ人の文化や民間伝承に深い関心を示し、その発掘と再評価に努めている。またこれまで評価されてこなかったアフリカ系アメリカ人作家の再評価のきっかけともなった。 作品  『むかし』(Once,1967)は第一詩集。翌年処...
  • W・B・イェイツ
    W・B・イェイツ(William Butler Yeats)(1865~1939) 略歴  アイルランド、ダブリン出身の詩人。父は画家で幼少期から少年期はロンドンで育った。ダブリンに帰ってからは、父に習って絵の勉強をするも文学での才能が目覚しかった。ケルトの古い伝承や伝説に興味を持ち収集し、また故国アイルランドの文芸復興運動に尽力し、文芸協会の設立などを行い、日本の能の影響も受けたとされる。後に神秘主義的傾向を強め、秘密結社「黄金の暁教団」(The Golden Done)にも参加したことでも知られている。1923年にはノーベル文学賞を受賞した。 作品  イェイツをして「20世紀最大の詩人」と呼ぶ批評家は少なくない。しかし一般的によく知られている「イニスフリーの湖島」(The Lake Isle of Innisfree)などは美しい詩ではあっても、後期ロマン派的な詩であり、20世...
  • 作品索引/タ行
    作品索引/タ行 『ター:中西部の子供時代』(Tar A Midwest Childhood)米 『大疫病日記』(A Journal of the Plague Year)英 『大使たち』(The Ambassadors)英米 『大聖堂』(Cathedral)米 『大草原』(The Prairie)米 『大草原の人々』(Prairie Folks)米 『タイタス・アンドロニカス』(Titus Andronicus)英 『タイタンの妖女』(The Sirens of Titan)米 『タイピー』(Typee)米 『台風』(Typhoon)英 『タイムクエイク』(Timequake)米 『タイムトラベラー』(The Time Traveler)米 『タイム・マシン』(The Time Machine)英 『第四の手』(The Fourth Hand)米 『大理石の牧神』(The Marble ...
  • イーディス・ウォートン
    イーディス・ウォートン(Edith Wharton)(1862年~1937年) 略歴  ニューヨーク出身の女流作家。富裕な名門家庭に生まれ、教育は家庭教師に学んだ。しばしばヨーロッパに旅行して周り、時折帰国するだけであった。。1885年にボストンの銀行家と結婚したが、1912年に離婚し、パリで独居した。その後小説を書き始め、パリで知り合ったジェイムズの勧めで、上流階級を題材とした作品を書き、ピューリッツァー賞を受賞した。短編の名手だったが、長編も高い評価を得た。他に小説論などまとめた評論集、旅行記、自伝なども書いた。 作品  『より大きな好み』(The Greater Inclination,1899)は処女短編集。その後も数多くの短編集を発表した。『決断の谷間』(The Valley of Decision,1902)は処女長編。18世紀イタリアを舞台とし、進歩的な思想と因習の狭...
  • 作品索引/カ行
    作品索引/カ行 『カーディフさして東へ』(Bound East for Cardiff)米 『ガートルードとクローディアス』(Gertrude and Claudius)米 『カーニバルを止めるな』(Don t Stop the Carnival)米 『ガープの世界』(The World According to Garp)米 『カーミラ』(Carmilla)英 『回想のシャーロック・ホームズ』(The Memories of Sherlock Holmes)英 『回想録』(Memoirs)米 『海賊』(The Pirate)英 『海賊』(Corsair)英 『開拓者』(The Pioneers)米 『解放された世界』(The World Set Free)英 『怪物、その他』(The Monster and the Other Stories) 『ガイ・マナリング』(Guy Manner...
  • トバイアス・スモレット
    トバイアス・スモレット(Tobias George Smollet)(1721~1771) 略歴  スコットランドの判事の家に生まれる。グラスゴー大学で医学を学ぶが、文学的野心からロンドンに出るも、なかなか文壇に入り込めなかった。軍船に従軍医として乗り込み、西インド諸島でスペイン軍と戦ったり、ジャマイカでは現地の女性を妻に娶ったりと、波乱に満ちた生涯を送った。けして主流とはなり得なかったものの、この頃には彼の書くような、面白い読み物を求める需要が増えつつあり、後にディケンズやサッカレーなどにも影響を与えた。また作家としてだけでなく、編集者・批評家としても活躍し、コロンブス、バスコ・ダ・ガマ、ドレークなどの探検記や旅行記をまとめた『世界の旅行記』(A Compendium of Authentic and Entertaining Voyages)が知られている。 作品  その小説...
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • ウォルター・スコット
    ウォルター・スコット(Sir Walter Scott)(1771~1832) 略歴  スコットランド、エディンバラ出身の詩人、作家。生まれつき病弱であり、幼い頃に小児マヒにかかり、足に障害が残った。エディンバラ大学で法学を学び、大学時代には辺境地方を遍歴し、民謡や伝説の収集に熱中した。しかし健康を害い大学を中退して、父の事務所で弁護士修行をし、後に弁護士となった。1804年、ワーズワースに出会い、終生の友となった。出版業を営む友人との関係から、辺境地方の民謡などを出版することになった。詩人として活躍するものの桂冠詩人は辞し、当時不遇だった友人のサジーに譲った。その傍ら、スコットランド最高民事裁判所の書記にも任命された。その後、小説家に転身し歴史小説作家として名声を得、一躍流行作家となった。ところが1826年に共同経営していた印刷所が破産、さらに愛妻にも先立たれた。そんな中、彼はこの苦境...
  • ジョイス・キャロル・オーツ
    ジョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates)(1938年~ ) 略歴  ニューヨーク州ロックポート出身の女流作家。1960年にシラキュース大学を卒業、1961年にウィスコンシン大学で英文学の修士号を取得した。すでに在学中から創作を始めていた。1963年に処女短編集を発表し、以来60年代を代表する作家となった。カナダのウィンザー大学で英文学の教師を務めながら執筆を精力的に行い、その作品数は現代作家の中で最も多作な作家と呼ばれることもある。その後プリンストン大学教授となった。短編の名手とされるが、長編にも優れた作品がある。彼女の作風は、平凡な人間の内面に潜むグロテスクなものや、残忍さなどを自然主義的手法で描き出すものである。 作品  『北門のかたわらで』(By the North Gate,1963)は処女短編集。これによって文壇に登場するきっかけをつかんだ。他に短...
  • 作品索引/ナ行
    作品索引/ナ行 『ナイジェル卿の冒険』(Sir Nigel)英 『ナイジェルの運命』(The Fortunes of Nigel)英 『ナイトサイド』(Night-Side)米 『長靴をはいたやつ』(Somebody in Boots)米 『眺めのいい部屋』(A Room with a View)英 『夏と煙』(Summer and Smoke)米 『夏の夜の夢』(A Midsummers Night s Dream)英 『七破風の屋敷』(The House of the Seven Gables)米 『ナポレオンの影』(The Great Shadow)英 『ナポレオン・ボナパルト伝』(The Life of Napoleon Buonaparte)英 『波』(A Wave)米 『成上がり』(The Butter and Egg Man)米 『ナルシサス号の黒人』(The Nigger ...
  • シャーウッド・アンダソン
    シャーウッド・アンダソン(Sherwood Anderson)(1876~1941) 略歴  オハイオ州の片田舎に生まれる。父は馬具職人であったが、生来のほら吹きで放浪癖があり、家計は勤勉な母が支えていた。彼もまた幼い頃から様々な仕事に出て家計の足しにしていたために、正規の教育を受けることができなかったが、実地の体験と耳から知識を吸収していった。母が死ぬと一家は離散し、彼は21歳でシカゴに出る。そこで職を転々とした後に米西戦争で兵役に就き、再びシカゴに戻ると広告会社に勤務した。その後故郷に帰り、ペンキ会社の経営者となり、結婚もして平穏な生活を送っていたが、1913年に突如妻子を残したまま出奔、単身シカゴに現れた。後に自伝の中で「真実を見出すためだった」と書いているが、実際はある種の神経衰弱による失踪だったのではないか、と言われている。シカゴで再び広告の仕事をしながら、作家への道を歩むこと...
  • ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ
    ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ(Henry Wadsworth Longfellow)(1807~1882) 略歴  アメリカの最初の国民詩人と呼ばれるロングフェロウは、メイン州ポートランドに生まれる。ボードン大学で学び、同級生にはホーソーンがいた。生来語学の才に秀でており、同大学の教授職についてからも、欧州へ研究のために旅行し、研鑽に励んだ。後1836年に招かれて、ハーヴァード大学の教授となる。それからはケンブリッジに住んだ。それまでも詩作は行っていたが、1854年に教授職を退職し、著述に専念する。彼は詩作で生計を立てられた、アメリカの最初の詩人でもあった。1861年、二番目の妻が不慮の事故で亡くなると、強い衝撃を受け、生涯その思いを引きずることとなった。1882年、腹膜炎で没する。 作品  ロングフェロウは古典に造詣が深く、また語学も堪能であったため、様々な詩形・韻律を自...
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