ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「チャールズ・オルスン」で検索した結果

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  • チャールズ・オルスン
    チャールズ・オルスン(Charles Olson)(1910年~1970年) 略歴  マサチューセッツ州ウスター出身の詩人。ウェスレアン大学、ハーヴァード大学でメルヴィルを研究すた。郵便配達人、漁船の乗組員、教師などの様々な職を経験し、第二次大戦中にはワシントンにある戦時情報局に勤務した。その後、ノース・カロライナ州の山中にあったブラック・マウンテン・カレッジで自らの試作の傍ら創作を教え、多くの詩人たちを世に送り出し、ブラック・マウンテン派と呼ばれる詩人群の理論的指導者となった。また同校の最後の学長をも務めた。その詩風はT・S・エリオットらに代表される西欧文学の伝統に根ざした詩を“閉ざされた詩”として否定し、詩人の全存在、無意識をも含めた、から息として投射されるエネルギーとしての詩を“開かれた詩”として提唱した。これはユングの心理学や原始社会の世界観からの影響があるとされる。彼の思想は彼...
  • チャールズ・ラム
    チャールズ・ラム(Charles Lamb)(1775~1834) 略歴  ロンドン出身。ロンドンの東インド会社に勤務した。姉メアリが精神を病んでからは、その保護者となった。生涯独身で過ごしたが、それは祖父から精神病の遺伝を受けているのではないか、という恐れからだったという。実際に姉は時折精神に異常をきたしていたとうから、彼の感じやすい心が受けた影響は大きかっただろう。姉との共著である『シェイクスピア物語』(Tales from Shakespeare,1807)が有名。そんな彼が書き綴ったのが『エリア随筆集』(Essyas of Elia,1823)と『続エリア随筆集』(Last Essyas of Elia,1833)である。これはロンドン・マガジンに「エリア」という筆名で投稿したエッセイをまとめたものである。その透徹した文章は、エッセイ文学の傑作として知られている。
  • 年表(1950~2000)
    ...ad Man) チャールズ・オルスン『選集』(Sellected Writings) アースキン・コールドウェル『ミス・ママ・エイミー』(Miss Mamma Aimee) 1968 アイリス・マードック『愛の軌跡』(The Nice and the Good) ジョン・アップダイク『カップルズ』(The Couples) キングスレー・エイミス『今すぐ欲しい』(Want It Now) ゴア・ヴィダール『マイラ』Myra Breckinridge ジョン・オズボーン『アムステルダムのホテル』(The Hotel in Amsterdam) ハーマン・ウォーク『ロモコメ報告書』(Lomokome Papers) カート・ヴォネガット『モンキーハウスへようこそ』(Welcome to the Monkey House) ジョイス・キャロル・オーツ『贅沢な人々』(Ex...
  • チャールズ・ブロックデン・ブラウン
    チャールズ・ブロックデン・ブラウン(Charles Brockden Brown)(1771~1810) 略歴  アメリカ最初の職業作家と称されるブラウンは、フィラデルフィア出身で、大学では法律を学んだが、作家への道を選んだ。この時代は連邦主義とジェファソン流の民主主義の確執の時代であった。彼は当時の政治情勢に興味を抱くと共に、フランス革命時のジャコバン党のような過激思想に興味をもった。しかし、その後は過激思想に反発し、保守的な立場に立った。その作品は英国のゴシック小説の影響を強く受けているが、その人間心理の探求の精神は、後世のポオやホーソーンに受け継がれていくことになる。 作品  ブラウンの代表作は『ウィーランド』(Wieland,1798)である。ある女性の書簡体小説で、物語は狂信的な父親の奇怪な死、そして旧来の頑なな信仰と当時の急進的な思想とのせめぎあいが描かれている。語り手...
  • チャールズ・ディケンズ
    チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens)(1812~1870) 略歴  ヴィクトリア朝を代表する作家。ポーツマスの郊外に生まれた。父がお人好しな上に経済観念が欠如しており、しかも債務者監獄に入れられることすらあった。そのために家計は常に苦しく、教育らしい教育は受けることがかなわなかった。彼は幼い頃から働きに出ざるを得ず、12歳で靴墨工場に働きに出されたが、この時の屈辱的な体験が後に作品に活かされた。その後、事務員として働きつつ速記術を習得すると、記者として新聞や雑誌に記事を投稿するようになった。その的確な描写に、彼独特のユーモアと哀愁で味付けした文章は次第に人気が出てくる。その後は読書を新たな娯楽とするようになった市民階級を満足させる、数多くの作品を世に送り、英国を代表する国民作家の地位を築いた。 作品  ディケンズの出世作となったのは『ピク...
  • 年表(19世紀)
    文学史年表(19世紀) 西暦 英文学 米文学 1804 ウィリアム・ブレイク『ミルトン』(Milton)『エルサレム』(Jerusalem) 1802 ウォルター・スコット(Sir Walter Scott,1771-1832)『スコットランド辺境歌謡集』(The Minstrelsy of the Scottish Border) 1805 ウォルター・スコット『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel) 1807 ジョージ・バイロン(George Gordon Byron,1788-1824)『無為の時』(Hours of Idleness) ジョウエル・バーロウ『コロンビアド』(The Columbiad) 1808 ウォルター・スコット『マーミオン』(Marmion) 1809 ワシントン・アーヴィング(Washington Ir...
  • 年表(1901~1949)
    ...erness) チャールズ・オルスン(Charles Olson,1910-1970)『我が名はイシュメル』(Call Me Ishmael) 1948 W・H・オーデン『不安の時代』{(The Age of Anxiety) ゴア・ヴィダール『都市と柱』(The City and the Pillar) イーヴリン・ウォー『愛されし者』{(The Loved One) テネシー・ウィリアムズ『夏と煙』(Summer and Smoke) ハーマン・ウォーク『町の子』(The City Boy) ロバート・ペン・ウォレン『屋根裏のサーカス』(The Circus in the Attic) トルーマン・カポーティ(Truman Garcia Capote,1924-1984)『遠い声、遠い部屋』(Other Voices, Other Rooms) 1949 オルダ...
  • エリザベス・ギャスケル
    エリザベス・ギャスケル(Elizabeth Cleghorn Gaskell)(1810~1865) 略歴  ユステニアン派の元牧師の家に生まれた。旧姓はスティーヴンソン。1歳で母を亡くし、伯母の家に引き取られた。その後、父と兄を相次いで亡くすが、21歳で牧師であるウィリアム・ギャスケルと結ばれた。しかし、34歳になってようやく授かった長男が9ヶ月で病死すると、失意のどん底に突き落とされた。ところが失意の中で夫に勧められて書き綴った処女作が、世間で大好評を得、一躍時の人となった。著名な作家たちとも親しく交友を深め、その中にはチャールズ・ディケンズやエリオット、シャーロット・ブロンテらがいた。55歳の時、当時手がけていた作品の完成間近で、別荘で急死。 作品  いくつかの長編の他、多数の中短編を書いたが(チャールズ・ディケンズの雑誌で発表されたものも多い)、同時代の巨匠と呼ばれるような...
  • 人名索引/ア行
    人名索引/ア行 アーヴィング(Washington Irving)米 アーヴィング(John Irving)米 アードリック(Louise Erdrich)米 アーノルド(Matthew Arnold)英 アシュベリー(John Ashbery)米 アダムズ(Henry Brooks Adams)米 アップダイク(John Hoyer Updike)米 アンダソン(Sherwood Anderson)米 アンダソン(Maxwell Anderson)米 アンダソン(Robert Woodruff Anderson)米 Æ(Æ)英 イージアスカ6italic(){(Anzia Yezierska)}米 イェイツ(William Butler Yeats)英 インジ(William Motter Inge)米 ヴィダール(Gore Vidal)米 ウィチャリー(William Wycherle...
  • ロバート・クリーリー
    ロバート・クリーリー(Robert Creeley)(1926年~2005年) 略歴  マサチューセッツ州アーリントン出身の詩人。ハーヴァード大学で一時期学んだものの中退し、国内外を放浪して過ごした。その後、実験大学であるブラック・マウンテン・カレッジで教鞭を取るようになった。それ故にブラック・マウンテン派と呼ばれ、その中には他にオルスン、ダンカン、レヴァトフなどがいる。また前衛的な雑誌「ブラック・マウンテン・レビュー」を創刊、編集に携わった。形式に捕らわれず、単音節の言葉を多用した短い詩行が特徴の一つ。詩のテーマは一貫して愛であった。 作品  『愛のために 1950~1960』(For Love Poems 1950-1960,1962)、『全詩集』(The Collected Poems of Robert Creeley,1982)など多数。
  • ネルソン・オルグレン
    ネルソン・オルグレン(Nelson Algren)(1909年~1981年) 略歴  ミシガン州デトロイト出身のアメリカの作家。3歳の時にシカゴに移住した。イリノイ大学卒業。プロレタリア的傾向が強く、下層社会の人々の姿をスラングを多用する手法で活写した。その作品は世界的に高く評価されたもののシカゴでは不評だった。後に全米図書賞を受賞した。また寺山修司に大きな影響を与えたという。 作品  『長靴をはいたやつ』(Somebody in Boots,1935)は処女作。1930年頃の不況期を背景に、そこで生きる少年の放浪と犯罪を描いた。  『朝はもうこない』(Never Come Moming,1942)は、シカゴのスラム街を舞台にボクサーを目指すポーランド系の少年の、暴力と欲望の世界を描いた。  『黄金の腕の男』(The Man with the Golden Arm,1949)は...
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • ロバート・クーヴァー
    ロバート・クーヴァー(Robert Coover)(1932年~ ) 略歴  アイオワ州チャールズシティ出身。ポストモダン文学の旗手としてピンチョンやギャスと並ぶ代表格。 作品  代表作は『ユニヴァーサル野球協会』(The Universal Baseball Association, Inc,1968)で、独自に開発した野球ゲームとその仮想現実の世界に熱中し、次第に捕らわれていく中年男を描いた。  他に『ブルーノ教団』(The Origin of Brunists,1966)で(フォークナー賞を受賞)、『火刑』(The Public Burning,1977)、『ジェラルドのパーティ』(Gerald s Party,1986)、『ベニスのピノキオ』(Pinocchio in Venice,1991)、『ブライヤー・ローズ』(Briar Rose,1996)などがある。
  • ジョン・ドライデン
    ジョン・ドライデン(John Dryden)(1631~1700) 略歴  17世紀を代表する詩人、劇作家、翻訳家。当初はクロムウェルを支持していたが、王政復古と共にすぐさま転向、チャールズ2世に参加を捧げた。1668年には初代の桂冠詩人に任じられた。文壇の中心人物として「ドライデンの時代」と呼ばれるほどの活躍を見せた。名誉革命後は、はっきりと旧体制側の人間であったために桂冠詩人の地位も解任され、公的場からは姿を消す。しかしその後も筆は衰えることはなかった。 作品  時代の秩序志向に合わせるかのように、彼の詩形は英雄対韻句Heroic Coupletで書かれている。また正確な弱強5歩格で、脚韻は行進するかのように整然と並んでいる。『アブサロムとアキトフェル』(Absalom and Acheitophel,1681)はそういった詩形の実践であり、またその内容も実際に起きた政変をもと...
  • ウォルター・スコット
    ウォルター・スコット(Sir Walter Scott)(1771~1832) 略歴  スコットランド、エディンバラ出身の詩人、作家。生まれつき病弱であり、幼い頃に小児マヒにかかり、足に障害が残った。エディンバラ大学で法学を学び、大学時代には辺境地方を遍歴し、民謡や伝説の収集に熱中した。しかし健康を害い大学を中退して、父の事務所で弁護士修行をし、後に弁護士となった。1804年、ワーズワースに出会い、終生の友となった。出版業を営む友人との関係から、辺境地方の民謡などを出版することになった。詩人として活躍するものの桂冠詩人は辞し、当時不遇だった友人のサジーに譲った。その傍ら、スコットランド最高民事裁判所の書記にも任命された。その後、小説家に転身し歴史小説作家として名声を得、一躍流行作家となった。ところが1826年に共同経営していた印刷所が破産、さらに愛妻にも先立たれた。そんな中、彼はこの苦境...
  • ボーモント&フレッチャー
    フランシス・ボーモント(Francis Beaumont)(1584~1616) ジョン・フレッチャー(John Fletcher)(1579~1625) 略歴  多くの合作を発表して活躍した劇作家。代表作は『フィラスター』(Philaster,1609)と『乙女の悲劇』(The Maid s Tragedy,1611)など。けして一流ではないものの、巧みで肩の凝らないロマンス喜劇を得意とした。時代の風を読むに敏であったとも言える。  ボーモント単独の作品には『女嫌い』(The Woman Hater,1606)があり、またフレッチャーはシェイクスピアと『二人の貴公子』(The Two Noble Kinsmen,1612-13)と『ヘンリー八世』(Henry Ⅷ)を合作したとされている。
  • ラルフ・エリスン
    ラルフ・エリスン(Ralph Ellison)(1914年~1994年) 略歴  オクラホマ州オクラホマ・シティー出身。州から奨学金を得て由緒ある黒人大学として知られていたタスキーギィ・インスティチュートで音楽を学ぶ。作曲や彫刻に興味を抱いて勉強していたが、リチャード・ライトに強い影響を受け文学を志し、また後には共産党に入党する。ライトが参加していた雑誌『ニュー・チャンレンジ』、後に左翼系雑誌『ニュー・マッシズ』に、短編や評論を投稿するようになる。1952年には処女長編小説で全米図書賞を受賞する。しかし、その後評論集が2冊出版されたものの、作家自身が予告していた第2作目はとうとう発表されないまま没する。 作品  その作風もまたライトの影響を強く受けている。唯一の長編小説『見えない人間』(Invisible Man,1952)は全米図書賞を受賞した。アメリカ社会で疎外され無視されてき...
  • リチャード・シェリダン
    リチャード・シェリダン(Richard Brinsley Sheridan)(1751年~1816年) 略歴  アイルランド出身の劇作家で、ホイッグ党員でもあった。父はダブリンの王立劇場の俳優兼監督、母は作家であった。ロンドンで劇作家として活動を始め、最初の作品は『恋がたき』(The Rivals,1775)でこれは彼自身の華やかな恋愛体験を基に書かれた。彼の代表作は『悪口学校』(The School for Scandal,1777)であろう。恋愛、求婚に財産問題が絡み合い、さらに相手の兄弟の性格設定(一見真面目そうな兄が偽善者で、放蕩者という評判弟は気立てがよい)が加わり、より複雑なものになっている。そして親戚や友人の悪口が状況をさらに混乱させていく。なお、シェリダン・レ・ファニュ(怪奇小説『カーミラ』の作者)は又甥に当たる。
  • ルイーズ・アードリック
    ルイーズ・アードリック(Louise Erdrich)(1954年~ ) 略歴  ミネソタ州リトル・フォールズ出身の作家、詩人。母方はネイティヴ・アメリカンのオジブワ族(あるいはチベワ族)である。ノース・ダコタのインディアン居住区で育った。ダートマス大学で学士、ジョン・ホプキンス大学で修士を取得した。1981年にダートマス大学の教授と結婚し、その後は共著を出版する傍ら実子の他養子も育てたがその後に別居、夫は1997年に自殺してしまった。その後はミネアポリスに住み、バーチバークという書店を経営し、本だけでなくネイティヴ・アメリカンの小物などを販売しているという。ネイティヴ・アメリカン出身の女流作家として活躍した。 作品  その作品のほとんどがノース・ダコタにある架空の町アーガスを舞台としている。代表作は『ラヴ・メディシン』(Love Medicine,1984)は数編の短編で構成され...
  • サミュエル・リチャードソン
    サミュエル・リチャードソン(Samuel Richardson)(1689~1761) 略歴  若くしてロンドンに出、印刷屋の徒弟から律儀に勤め上げ、50歳になる頃にはロンドンでも有数の印刷業者となっていた。同業者に勧められて模範書簡集の企画を考えたが、そのうちに様々な状況下に置かれた個人の心理状態を想定し、それに応じた手紙を想像して書くようになった。そこから彼の書簡体小説が生まれた。彼の作品には「1)フィクション性および物語性、2)人間同士の関係(愛情と結婚など)、3)個人の性格や心理」といった小説の基本条件を満たしていたことから、彼によって近代小説というものが確立されたとされ、イギリス小説の父と呼ばれる。このようにイギリスの近代小説は、書簡体小説という変化球から始まったのである。 作品  イギリス近代小説の最初の作品は、彼の『パミラ』(Pamela,1740)である。物語は一種...
  • ベン・ジョンソン
    ベン・ジョンソン(Ben Jonson)(1572~1637) 略歴  シェイクスピアのライバルとみなされ、そして次の時代を担ったのがこのベン・ジョンソンである。彼は大学才人らとは違い、シェイクスピアを敬愛し、また互いに満足に教育を受けていないことから、共感めいたものもあったのかもしれない。彼は独学で劇作を学んだが、その知識の質と量においては、シェイクスピアを凌駕した。後にシェイクスピアのことを「ラテン語はあまり知らず、ギリシア語はもっとお粗末(small Latin and less Greek)」だったと言えるほどである。しかし、演劇自体が斜陽の時代を迎えており、次第に衰退していく運命にあった。その風刺的な内容から頻繁に同業者と騒動を起こし、俳優と決闘の末に相手を殺してしまい、危ういところで死刑を逃れたこともあった。また作品上でもしばしば舞台喧嘩(stage quarrel)を繰り広...
  • ハリエット・ビーチャー・ストウ
    ハリエット・ビーチャー・ストウ(Harriet Elizabeth Beecher Stowe)(1811~1896) 略歴  コネティカット州リッチモンドに生まれる。父は説教師で奴隷制反対論者であった。兄弟からも聖職者を出し、結婚した相手も聖職者であったことから、彼女の作品にはキリスト教の強い影響が見られる。 作品  ストウ夫人は10作以上の作品を発表しているが、よく知られているのは処女作の『アンクル・トムの小屋』(Uncle Tom s Cabin,1852)である。この作品は奴隷解放問題を正面から扱った小説であり、またアフロ・アメリカンを主人公にした最初の小説でもある。この作品によって、奴隷解放問題はさらに加速され、南北戦争に突入していくことになる。後にリンカーンがストウ夫人に会った際に、「あなたのような小さな方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね」と述べたといわれている...
  • H・G・ウェルズ
    H・G・ウェルズ(Herbert George Wells)(1866~1946) 略歴  フランスのジュール・ベルヌと共に、「SFの父」と呼ばれる作家。イギリスのケント州ブロムリーに生まれる。科学師範学校に奨学金で進み、トマス・ヘンリー・ハクスリー(孫のオルダス・ハクスリーは作家)に生物学を学ぶ。そこの学生誌に寄稿したものが後期の作品の原点となった。教職を経てジャーナリストになり、作家となる。後プラトンの『国家』を読んで社会主義に傾倒するとフェビアン協会に参加する。世界平和や人権問題、糖尿病患者協会の設立など社会問題に積極的に関わった。 作品  SFの元祖として現在でも広く読まれ、親しまれているが、その一方で文学として扱われることは少ない。しかしながらウェルズの作品は荒唐無稽な読物ではなく、現在の世界、及び未来世界への深い憂慮が込められている。  初期の作品はいわゆるSF小説で...
  • アーネスト・ダウスン
    アーネスト・ダウスン(Ernest Christopher Dowson)(1867~1900) 略歴  ロンドン出身のデカダン派の詩人、作家。クィーンズ大学、オックスフォード大学で学ぶも、中途で退学。父と共に働き始めるが私生活では、放蕩生活を送る。イェイツなどとも知り合い、頻繁に文芸誌に寄稿する。あるレストランの11歳の少女アデレイドに恋をし、通いつめて結婚も考えたが、彼女は7年後に別の男と結婚し、しかもその頃に両親が自殺した。度重なる衝撃と貧困に絶望し、酒に溺れたあげくにアルコール依存症と結核によって32歳の若さで没する。 作品  退廃的な作風で中でも『シナラ』(Non Sum Qualis eram Bonae Sub Regno Cynarae,1897)が有名。この詩はミッチェルの『風と共に去りぬ』に引用されていることでも知られている。この詩はホラティウスの詩に由来する作...
  • 作品索引/マ行
    作品索引/マ行 『マージョリー・モーニングスター』(Marjorie Morningstar)米 『マーディ』(Mardi)米 『マーティン・チャズルウィット』(Martin Chuzzlewit)英 『マーミオン』(Marmion)英 『マイラ』(Myra Breckinridge)米 『マイルズ・スタンディッシュの求婚』(The Courtship of Miles Standish)米 『マクシマス詩篇』(Maximus Poems)米 『マクベス』(Macbeth)英 『負けるが勝ち』(She Stoops to Conquer)英 『まじめが肝心』(The Importance of Being Earnest)英 『また会う日まで』("Until I Find You")米 『間違い続きの喜劇』(The Comedy of Errors)英 『町と都会』(T...
  • ルイーザ・メイ・オールコット
    ルイーザ・メイ・オールコット(Louisa May Alcott)(1832年~1888年) 略歴  ペンシルベニア州出身。父は教育者で超絶主義で有名なエーマス・ブロンソン・オールコット。父やエマソンやソローらの教えを受けた。生計のために雑誌に短編を寄稿し、また一時期看護婦として勤務もした。その後、児童文学作家としての名声を確立し、今尚世界中で多くの読者を獲得している。 作品  代表作は『若草物語』(The Little Women,1868)である。自らの家庭をモデルとした自伝的小説で、児童文学の代表作の一つとして世界中で翻訳されている。
  • アルフレッド・テニスン
    アルフレッド・テニスン(Lord Alfred Tennyson)(1809~1892) 略歴  ヴィクトリア朝を代表する詩人。牧師の子として生まれ、ケンブリッジに学ぶ。在学中から詩作を志すも、世に酷評されしばらくの間沈黙を守った。学友であったハラムと大陸旅行に赴くも、彼が急死し衝撃を受ける。それが彼の詩と思想に多大な影響を及ぼすことになった。次第に名声を高め、1850年にはワーズワースの後を継いで桂冠詩人となった。その後も精力的に優れた詩作品を発表し、国民詩人としての地位を確立、1884年には男爵位を授けられた。 作品  テニスンの詩の特徴は、分かりやすい思想を分かりやすい言葉で表現したところである。そしてその美しい音楽的な韻律である。初期の『抒情詩集』(Poems, Chiefly Lyrical,1830)、『詩集』(Poems,1833)はあまり良い評価は得られなかった。そ...
  • ヘンリー・フィールディング
    ヘンリー・フィールディング(Henry Fielding)(1707~1754) 略歴  伯爵家の末裔でイートン校に学んだが、生活は貧しかったようだ。当初は劇作家として活躍し、風刺の効いた芝居が人気だったが、政治批判によって取締りが厳しくなり、弁護士に転身した。そして小説を書き始めたが、そこでも彼の気質は十二分に発揮された。上品ぶった偽善が大嫌いだったようで、作品にもそれはよく表れている。 作品  彼の処女作と推定されるのは『シャミラ』(Shamela Andrews,1741)である。これはリチャードソンの『パミラ』のパロディである。シャミラとはいんちき(sham)+パミラ(Pamela)の意。実はパミラの本名はシャミラといって、彼女の美徳は全て計算されたものだった、というとんでもない話である。どうやら市民階級出身で事業でも作家としても成功しているリチャードソンに対して、含むとこ...
  • ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ
    ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ(Henry Wadsworth Longfellow)(1807~1882) 略歴  アメリカの最初の国民詩人と呼ばれるロングフェロウは、メイン州ポートランドに生まれる。ボードン大学で学び、同級生にはホーソーンがいた。生来語学の才に秀でており、同大学の教授職についてからも、欧州へ研究のために旅行し、研鑽に励んだ。後1836年に招かれて、ハーヴァード大学の教授となる。それからはケンブリッジに住んだ。それまでも詩作は行っていたが、1854年に教授職を退職し、著述に専念する。彼は詩作で生計を立てられた、アメリカの最初の詩人でもあった。1861年、二番目の妻が不慮の事故で亡くなると、強い衝撃を受け、生涯その思いを引きずることとなった。1882年、腹膜炎で没する。 作品  ロングフェロウは古典に造詣が深く、また語学も堪能であったため、様々な詩形・韻律を自...
  • エドワード・オールビー
    エドワード・オールビー(Edward Franklin Albee)(1928年~) 略歴  ワシントンD.C.出身の劇作家。生後まもなく劇場経営者だったオールビー家の養子となった。家は裕福だったが家庭は温かいものではなく、それが後に彼の作品の方向を決定付けた。学校を転々とし、大学も中退した。家族からも独立し、職業を転々としながら詩作に励んだ。その後ワイルダーの勧めで劇作に転向、発表すると不条理演劇の旗手として注目されるようになった。次々と問題作を発表する傍ら、若手劇作家の育成にも力を注いでいる。またピューリッツァー賞を3度受賞している。 作品  『動物園物語』(The Zoo Story,1958)が処女作で、これが1959年にベルリンで上演されたことで注目を集めた。ニューヨークの公園を舞台に、社会と他人とから断絶され孤立した男ジェリーが、安定した生活を送る中年の男ピーターを不条...
  • ヘンリー・ヴォーン
    ヘンリー・ヴォーン(Henry Vaughan)(1622~1695) 略歴  ウェールズの旧家出身。内乱の後、医師として暮らした。形而上派詩人で神秘主義的な宗教詩を書いた。代表的詩集は『火花散る火打石』(Silex Scintillans,第1部1650,第2部1655)。しばしば極めて難解であるが、神秘的な詩的世界観は評価が高い。
  • ユージーン・オニール
    ユージーン・オニール(Eugene Gladstone O Neill)(1888年~1953年) 略歴  ニューヨーク出身の劇作家。アイルランド系。父は旅回りの俳優で、彼は幼い頃から寄宿学校に入った。プリントン大学に進んだもののたった一年で放校処分となり、その後も酒浸りの生活を送り、船乗りとして航海に出たり、金鉱堀りに加わったこともあった。その頃には自殺未遂もあったという。しかし1912年に結核を発症し療養生活に入ったのをきっかけに過去を清算し、劇作家となる決意を固めた。完治後、ハーヴァード大学のベーカー教授の教室で劇作を学び、1916年にプロヴィンスタウン劇団に参加しデビューした。その後は次々と問題作や実験的作品を発表し、一躍1920~30年代の演劇界を牽引した。しかし『終わりなき日々』(1934)の失敗を境に1946年まで沈黙を続けた。1953年ボストンのホテルの一室で息を引き取っ...
  • ジョン・オズボーン
    ジョン・オズボーン(John Osborne)(1929~1994) 略歴  ロンドン出身の劇作家。下層階級の出身。大学を中退し地方劇団で俳優をしながら劇作家を目指した。新進劇作家発掘を目的としたイギリス舞台協会に認められ、一躍話題の劇作家となった。怒れる若者たち(angry young men)の代表格として戦後のイギリスの演劇界を牽引した。しかしながら初期の作品ほどには後期の作品は評価されることはなかった。 作品  『怒りを込めて振り返れ』(Look Back in Anger,1956)は代表作。下層階級出身の主人公は大学を中退し、結婚して田舎で菓子店をやっている。彼は古い世代や社会の腐敗に対し激しい怒りを覚える一方で羨望しており、またその怒りを妻にぶつけると共に愛していた。戦後の新しい世代の若者を描いて話題となった作品。  『寄席芸人』(The Entertainer,1...
  • ジェイムズ・フェニモア・クーパー
    ジェイムズ・フェニモア・クーパー(James Fenimore Cooper)(1789~1851) 略歴  「アメリカ小説の父」と称されるクーパーはニュージャージー州バーリントンに生まれた。イエール大学を中退し、その後5年間、船乗りとして生活する。この経験が後のいくつかの作品に活かされている。作家として成功を収めるが、とある事件を契機に、民主主義の一面に見られる大衆の無法な行動に憤り、厳しく批判する態度を表明した。このような秩序を尊ぶ保守的な姿勢は、作品の中にも見られる。 作品  クーパーの名を不動のものとしたのは、大森林の勇者ナッティ・バンポーを主人公とした五部作、「革脚絆物語」(Leather-Stocking Tales)であろう。面白いことにこの主人公の年齢は、物語の発表年代と順不同で登場する。最初の『開拓者』(The Pioneers,1823)では、バンポーはすでに7...
  • ロバート・ブラウニング
    ロバート・ブラウニング(Robert Browning)(1812~1889) 略歴  テニスンと並び称されるヴィクトリア朝を代表する詩人。しかしテニスンが分かりやすく親しみやすい作風であったのに対し、ブラウニングは難解で玄人好みの作風であった。あまり満足な学校教育を受けることができなかった。彼は妻で女流詩人であったエリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning,1806-1861)が病弱であったことから、長らくイタリアで暮らすことになった。しかし1861年に病弱だった妻が亡くなると、悲嘆にくれた彼は息子を連れてロンドンへ帰った。その後、その業績が認められオックスフォードの名誉学位を受け、エディンバラ大学の名誉博士となり、またロンドン大学の終生総長に推薦されもした。晩年までその創作意欲は失われなかった。 作品  『パラケルスス』(Parac...
  • ハムリン・ガーランド
    ハムリン・ガーランド(Hamlin Garland)(1860年~1940年) 略歴  ウィスコンシン州の農家に生まれた。中西部の開拓地を転々として苦しい生活を送った後、ボストンに出て独学で教員となったが、ハウエルズが提唱するリアリズム文学に影響を受け、自らも作家として活動するようになった。しかしその後リアリズムの理論に限界を感じ、単なる事実の描写ではなく、主体性をもって真実を記すべきだと主張するベリティズム(veritism)を掲げた。これは後代の作家に大きな影響を与えることとなった。またピューリッツァー賞を受賞した。一方で農民運動に参加することもあった。 作品  中西部の農村の生活を描いた短編集に『本街道』(Main-Travelled Roads,1891)、『大草原の人々』(Prairie Folks,1893)などがある。代表的長編に『ダッチャー家のローズ』(Rose o...
  • ジェイムズ・トムソン
    ジェイムズ・トムソン(James Thomson)(1700~1748) 略歴  スコットランド出身。国民歌である「英国よ、海を支配せよ」(Rule, Britannia)の作者として知られる。詩では『四季』(Seasons,1726-30)が有名。
  • シャーロット・ブロンテ
    シャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë)(1816~1855) 略歴  ヨークシャー、ソーントン出身のブロンテ3姉妹の長姉(誤解されることもあるが、彼女自身は三女にあたる)。幼い頃にハワースに転居したが、その翌年には母が病死した。学校に入学するもそこの環境が著しく劣悪であったために、姉二人を肺炎で亡くした。その後牧師館に戻ると文学に熱中し、詩や戯曲を書くようになった。この当時のある程度の身分があり、それでいて独身である女性がなるものといえば、家庭教師であった。シャーロットも私塾で学んだ後に家庭教師になった。私塾の計画が頓挫してから、三姉妹は匿名で詩集を出版するも不評だった。しかしシャーロットは小説を書き始めた。それが世に知られるようになったのも束の間、弟ブランウェルがその翌年に没し、さらにエミリーもあの世へと旅立ち、その翌年にはアンまでもが後を追うようにこの世を去った。...
  • クリフォード・オデッツ
    クリフォード・オデッツ(Clifford Odets)(1906年~1963年) 略歴  フィラデルフィア出身ニューヨーク育ちのユダヤ系劇作家。父はロシア系ユダヤ人実業家だった。高校中退後俳優となるが芽が出ず、劇作家に転向した。1931年に進歩的演劇集団「グループ・シアター」に参加し、劇作家として名声を得、1930年代を代表する社会派作家となった。その後、映画界から招かれて脚本家としても活躍した。しかし、穏健化するに従い輝きを失っていった。、 作品  『レフティーを待ちつつ』(Waiting for Lefty,1935)は一躍オデッツの名を高めた代表作。タクシー労働者のストライキをもとに、社会の不公正と不正義を糾弾した。  『醒めて唄え!』(Awake and Sing!,1935)はユダヤ人の労働者階級の家庭を舞台に、挫折や希望が入り混じる人間模様を描いた。  『ゴールデン...
  • ジェーン・オースティン
    ジェーン・オースティンJane Austen(1775~1817) 略歴  ハンプシャーの田舎牧師の家に生まれる。兄弟が六人、姉が一人おり、姉とは終生親密であった。当時の一般の女性よりも充実した教育を受け、この間に文学作品に接し、影響を受ける。1789年頃から小説のようなものを書き始めたが、これは発表するためではなく、あくまでも家人に読み聞かせるためのものであった。父の勧めで出版社に送ってみた作品も、出版にはいたらなかった。生涯独身を通し、42歳で没する。生前に出版された作品も全て匿名であり、本人もまた自分の英文学にもたらした功績に気づくことがなかった。 作品  彼女は生涯で長編6作を書いた。いずれも平凡な田舎の日常を描いたものである。実際に彼女は「田舎の村の3、4家族が、小説の題材には最適なのです」と述べている。彼女は自分が生きた小さな世界の、よく知る人々を丹念に描き続けた。自分...
  • ジェイムズ・ボズウェル
    ジェイムズ・ボズウェル(James Boswell)(1740~1795) 略歴  スコットランド、エディンバラ出身。父は裁判官であり、自らも法曹界に進んだ。若い頃にジョンソン博士と出会い、彼に心酔するようになる。弁護士としてはさしたる実績はなく、またプライベートでは自堕落な生活を送ったという。ボズウェルの最大の功績は、何と言ってもジョンソン博士の人柄や言動を忠実に記録した伝記を書いたことにある。『ジョンソン伝』(The Life of Samuel Johnson,1791)は、今でもなお伝記文学の最高傑作の一つと評されている。
  • 作品索引/ラ行
    作品索引/ラ行 『ラヴァネルさんの転向』(Miss Ravanel s Conversion)米 『ラヴ・メディシン』(Love Medicine)米 『ラザロ笑えり』(Lazarus Laughed)米 『ラセラス』(The History of Rasselas, Prince of Abyssinia)英 『ラッパ長』(The Trumpet-Major)英 『ラ・プラタの博物学者』(The Naturalist in La Plata)英 『ラマムアの花嫁』(The Bride of Lammermoor)英 『リア王』(King Lear)英 『利己主義者』(The Egoist)英 『リシダス』(Lycidas)英 『リチャード2世』(Richard II)英 『リチャード3世』(Richard III)英 『リチャード・フェヴレルの試練』(The Ordeal of Rich...
  • ジョイス・キャロル・オーツ
    ジョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates)(1938年~ ) 略歴  ニューヨーク州ロックポート出身の女流作家。1960年にシラキュース大学を卒業、1961年にウィスコンシン大学で英文学の修士号を取得した。すでに在学中から創作を始めていた。1963年に処女短編集を発表し、以来60年代を代表する作家となった。カナダのウィンザー大学で英文学の教師を務めながら執筆を精力的に行い、その作品数は現代作家の中で最も多作な作家と呼ばれることもある。その後プリンストン大学教授となった。短編の名手とされるが、長編にも優れた作品がある。彼女の作風は、平凡な人間の内面に潜むグロテスクなものや、残忍さなどを自然主義的手法で描き出すものである。 作品  『北門のかたわらで』(By the North Gate,1963)は処女短編集。これによって文壇に登場するきっかけをつかんだ。他に短...
  • キングスレー・エイミス
    キングレー・エイミス(Sir Kingsley Amis)(1922~1995) 略歴  南ロンドンのクラパムの下層中産階級に生まれた。オックスフォードで学び、ウェールズのスォンシー大学で英文学の講師となった。その傍ら詩や小説を発表した。1961年からはケンブリッジのフェローとなった。新大学才人(the New University Wits)の一人。 作品  『心の枠組』(A Frame of Mind,1953)は自費出版した詩集。  『ラッキー・ジム』(Luckey Jim,1954)は代表作の小説。地方の三流大学の講師であるジムは、仕事には不熱心だが日々要領よくラッキーに生きていくことを心がける青年。そんなものだから研究の成果などあるわけもなく講師の首も危なくなる。そこでなんとか上手く立ち回ろうと奔走し、周囲に事件を巻き起こしていく。この戦後の英国の若者像にフィットした作...
  • プラグイン/ニュース
    ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 【グランサガ】リセマラ当たりランキング - グランサガ攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【まおりゅう】八星之紋章交換のおすすめ交換キャラ - AppMedia(アップメディア) Among Us攻略Wiki【アマングアス・アモングアス】 - Gamerch(ゲーマチ) マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」:時事ドットコム - 時事通信 マニ...
  • フラナリー・オコナー
    フラナリー・オコナー(Flannery O Connor)(1925年~1964年) 略歴  ジョージア州サバンナ出身の女流作家。16歳のときに時に紅斑性狼瘡という難病で父を失い、自身も同じ病に侵され39歳の若さで早世した。ジョージア州立女子大学で社会学を学び、後にアイオワ州立大学院に進み、創作と文学で修士号を取得した。21歳で処女短編を発表し、以後は壮絶な闘病生活を送りながら執筆を続けた。自らの死と隣り合わせの生活の中で、カトリック教徒として「私にとり人生の意味は、キリストによる救済という一点に集中している」とし、人間存在の意味を深く探求した。死後、フラナリー・オコナー賞が設立された。 作品  長編は2作のみしかない。  『賢い血』(Wise Blood,1952)は処女長編で、キリストのいない教会を説く復員兵の姿を通して、神からの離反と回帰を描いた。  『激しく攻むる者はこ...
  • ジョージ・メレディス
    ジョージ・メレディス(George Meredith)(1828~1909) 略歴  イギリスのポーツマス出身。父は仕立て屋で母は5歳の時に死んだ。14歳の時に母の遺産ドイツの学校に入った。その後ロンドンで弁護士見習いとなったが、やがて文学に目覚め1849年に初めて詩を発表した。その年に作家ピーコックの娘で6歳年上の未亡人と結婚したが、この最初の結婚では妻が画家と駆落ちしてしまい、その体験を基に小説を書いた。再婚し今度は平穏な家庭生活を送ったがその妻も1885年に先立ってしまい、また晩年には病に悩まされ、特に聴覚の衰えが酷かったという。時代はダーウィンの進化論の衝撃により、それまでの価値観が大きく揺らいだ時であった。メレディスはダーウィニズムのポジティヴな面に光を当てることによって、比較的上手く妥協することができた。彼はダーウィニズムの中の「進化」の思想に着目し、人間社会のこれまでの進化...
  • ショーン・オケイシー
    ショーン・オケイシー(Seán O Casey)(1884~1964) 略歴  ダブリン出身。劇作家。貧民長屋に生まれ、6歳で父を亡くし労働者として働きながら独学でシェイクスピアを学んだ。数々の作品を書き、シング以来アイルランド最大の劇作家と評された。 作品  『義勇兵の影』(The Shadow of a Gunman,1923)が処女作。革命熱の犠牲となる純情な処女を描いた悲劇。  『ジュノーと孔雀』(Juno and the Paycock,1924)は労働者一家の喜びと悲しみを描いた。  『鋤と星』(The Plough and the Stars,1926)1916年のダブリンでの市街戦を背景とした作品。  『銀杯』(The Silver Tassie,1928)は戦争が人間の与えた衝撃を描いた。  『僧正のかがり火』(The Bishop s Bonfire,1...
  • W・H・オーデン
    W・H・オーデン(Wystan Hugh Auden)(1907~1973) 略歴  イギリスのヨークの医者の家に生まれる。奨学金でオックスフォードに進むが、当初の生物学から英語専攻に変更した。1928年にはヴァイマル時代のドイツに滞在し、政情不安を肌で感じ取る。また日中戦争が起こると中国にも訪問している。その後マルクス主義からキリスト教に回帰する。1939年にはアメリカに移住し、7年後に国籍を取得し、またアメリカに亡命していたトーマス・マンの娘と結婚する。自らを「西の国の小粒なゲーテ」と称した。1956年にはオックスフォードの教授に迎えられ、5年間この職につき、1972年に再び大学に戻るも、その翌年オーストリアのウィーンで死去。 作品  詩人として著名で20世紀最大の詩人の一人とされるが、他にも詩劇、大衆歌謡、ジャズ、オペラ台本、文芸批評など幅広い分野で一定以上の高い水準のものを...
  • 人名索引/ハ行
    人名索引/ハ行 ハーディ(Thomas Hardy)英 バイロン(George Gordon Byron,6th Baron)英 ハクスリー(Aldous Leonard Huxley)英 ハドソン(William Henry Hudson)英 バトラー(Samuel Butler)英 バニヤン(John Bunyan)英 ピール(George Peel)英 フィールディング(Henry Fielding)英 ブーシコー(Dion Boucicault)米 フォースター(Edward Morgan Forster)英 フォード(John Ford)英 ブライアント(William Cullem Bryant)米 ブラウニング(Robert Brouwning)英 ブラウニング夫人(Elizabeth Barret Brouwning)英 ブラウン(Charles Brockden Brow...
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