ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「トマス・ハーディ」で検索した結果

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  • トマス・ハーディ
    トマス・ハーディ(Thomas Hardy)(1840~1928) 略歴  イギリス、ドーセット州出身。元々は敬虔なキリスト教徒で、日曜日には家族揃って教会に行き、ヴァイオリンを演奏することもあったという。しかし、1859年に発表されたダーウィンの進化論が、彼の人生を大きく変えることになった。彼は[メレディス ジョージ・メレディス]とは対照的に、そこにネガティヴなイメージを受けた。彼は自分自身が生まれ育ったウェセックスの、のどかで美しい牧歌的な景色と、自然と共に生きる農民たちの生活を描いた。しかしそういった自然や生活の全てが暗く無目的であり、人間の力の及ばない、不可解な宇宙の内在意思(Immanent Will)によって支配されていると考えた。彼の一連の作品はその舞台の名をとって「 ウェセックス・ノヴェル」と呼ばれるが、書く毎に彼の厭世観は暗く落ち込んでいった。その作品に対する評価は、当...
  • 年表(1901~1949)
    ...e Gods) トマス・ハーディ『過去と現在の詩集』(Poems of the Past and the Present) 1902 ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』(The Wings of the Dove) ウィリアム・ディーン・ハウエルズ『文学と人生』(Literature and Life) W・H・ハドソン『エル=オンブ』(El Ombu) イーディス・ウォートン『決断の谷間』(The Valley of Decision) アーサー・コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』(The Hound of the Baskervilles) アーノルド・ベネット『五つの町のアンナ』(Anna of the Five Towns) W・B・イェイツ『カスリン・ニ・フウリハン』(Cathleen ni Houlihan) ジョゼフ・コンラッド『青春』{(Youth...
  • 年表(19世紀)
    ...ion) 1868 トマス・ハーディ(Thomas Hardy,1840-1928)『貧乏人と貴婦人』(The Poor Man and the Lady) ルイーザ・メイ・オールコット(Louisa May Alcott,1832-1888)『若草物語』(The Little Women) 1869 ロバート・ブラウニング『指輪と本』(The Ring and the Book) マシュー・アーノルド『教養と無秩序』(Culture and Anarchy) 1870 ウィリアム・モリス『地上の楽園』(The Earthly Paradise) 1871 トマス・ハーディ『荒療治』(Desperate Remedies)『エセルバータの手』(The Hand of Ethelberta) エドワード・エグルストン(Edward Eggleston,1837-1902)『イン...
  • トマス・グレイ
    トマス・グレイ(Thomas Gray)(1716~1771) 略歴  古典文学者、詩人。ケンブリッジの研究員、後に教授になった。この時代の風潮にあった静謐な詩が特徴で、特に『墓畔の哀歌』(An Elegy Written in a Country Churchyard,1751)が有名。繊細な性格で、常に正確で完璧な表現を追い求め、寡作ながらも評価は高い。
  • トマス・ゴドフリー
    トマス・ゴドフリー(Thomas Godfrey)(1736年~1763年) 略歴  アメリカ人の手によるアメリカ演劇の最初の劇作家。しかし惜しくも早世した。作品としては『パルティアの王子』(The Prince of Parthia,1767)がある。
  • トマス・ウルフ
    トマス・ウルフ(Thomas Clayton Wolfe)(1900年~1938年) 略歴  ノース・カロライナ州アッシュビル出身の作家。父は石材店、母は旅館を経営しており、彼は8人兄弟の末子だった。19歳でノース・カロライナ大学を出、ハーヴァード大学の大学院に進み、劇作を学んだ。その後ニューヨーク大学で教鞭を取っていたが、アリーヌ・バーンスタイン(Aline Bernstein,1880-1955)に励まされて小説の執筆を始めた。名編集者マクスウェル・パーキンズ(Maxwell Perkins,1884-1947)に認められ出版に至った。しかし後には彼ら二人と袂を分かった。「真摯な小説は必ず自伝的である」と宣言し、その通りに自伝的小説を書き続けた。また「我々は新たなアメリカを発見しなければならない」とし、時に全体のバランスを崩してでも、すべてを語りつくそうとすることに異常なこだわりを見...
  • トマス・カーライル
    トマス・カーライル(Thomas Carlyle)(1795~1881) 略歴  英国の評論家、思想家、歴史家。ヴィクトリア朝初期を代表する典型的な知識人。スコットランドの清教徒派的な家庭に生まれ、牧師になろうと志してエディンバラ大学に学ぶが、次第に信仰に対する深い懐疑にとらわれた。ドイツ文学を研究し、『シラー伝』を書いた他にゲーテ作品の翻訳を行った。またゲーテとは文通をしており、多大な影響を受けたという。彼の「バイロンを閉じよ、ゲーテを開け」の言葉は有名。英国ロマン派の限界を見抜いていた。 作品  『衣装哲学』(Sartor Resartus,1833-4)は、架空のドイツの哲学者トイフェルスドレックの手記を翻訳・解説した、という形で書かれた。その中で社会、国家、宗教、道徳など全ての文化、及び思想は人が魂の上に着た衣服に過ぎないと断じた。また後半では、カーライル自身の苦悩の遍歴を...
  • トマス・ド・クィンシー
    トマス・ド・クィンシー(Thomas de Quincey)(1785~1859) 略歴  イギリス・マンチェスター出身の評論家。父を早くに亡くし、その多大な遺産は後見人の手に委ねられたが、後にこの後見人と対立した際には、酷く困窮するはめになった。幼い頃から優れた才能を発揮し、特に古代ギリシア語を自由自在に扱ったという。オックスフォード在学中にワーズワース、やコールリッジ、ラムなどと知り合い、特に似たところがあるコールリッジを敬愛してやまなかったという。1804年、歯痛の鎮痛のためにアヘン吸引を始め、次第に中毒に陥ってしまった。その過酷な体験を基に書かれたのが『アヘン吸引者の告白』(Confessions of an English Opium Eater,1822)である。そこには肉体と魂が蝕まれていく記録であり、また意識下の不可視、不可思議の世界を覗き込んだ者の体験が語られている。借...
  • トーマス・キッド
    トーマス・キッド(Thomas Kid)(1558~1594) 略歴  英国の演劇の黎明期を支えた人物。彼によって演劇が大衆の娯楽として定着した、と言っても過言ではない。彼の書いた流血と陰謀と復讐の物語である『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy,1589)は、スペインの無敵艦隊を撃破した翌年だったこともあり、巧みな筋書き、個性的な登場人物、血が血を呼ぶ衝撃的な展開の連続が大いに観客を熱狂させた。本格的にブランク・ヴァースを使いこなしたことも大きく、マーロゥやシェイクスピアに大きな影響を与え、直接の種本ではないものの『ハムレット』と少なからず類似性が認められる。
  • オルダス・ハクスリー
    オルダス・ハクスリー(Aldous Leonard Huxley)(1894年~1963年) 略歴  サリー州のゴダルミング出身。ハクスリー家は代々著名な科学者を排出している名家である。祖父トーマスは生物学者で、ダーウィンの進化論を支持したことで知られている。兄ジュリアンもまた進化論を支持した生物学者で、ユネスコ事務総長も務めた。一方オルダスは医師を志しイートンに進むが、角膜炎が原因で退学。視力のために第一次大戦の兵役を免れた。視力は後に回復したが、医師の道は諦め、オックスフォードで英文学と言語学を専攻した。大戦後作家としての道を歩み始めた。1937年には眼の治療のために渡米。その後は次第に神秘主義的傾向を深めていった。その中、自ら実験台となって幻覚剤(メスカリン)を使用したこともあった(その中で精神科医のオズモンドはサイケデリックという語を創造した)。1963年に死去。死の直前までLS...
  • H・G・ウェルズ
    H・G・ウェルズ(Herbert George Wells)(1866~1946) 略歴  フランスのジュール・ベルヌと共に、「SFの父」と呼ばれる作家。イギリスのケント州ブロムリーに生まれる。科学師範学校に奨学金で進み、トマス・ヘンリー・ハクスリー(孫のオルダス・ハクスリーは作家)に生物学を学ぶ。そこの学生誌に寄稿したものが後期の作品の原点となった。教職を経てジャーナリストになり、作家となる。後プラトンの『国家』を読んで社会主義に傾倒するとフェビアン協会に参加する。世界平和や人権問題、糖尿病患者協会の設立など社会問題に積極的に関わった。 作品  SFの元祖として現在でも広く読まれ、親しまれているが、その一方で文学として扱われることは少ない。しかしながらウェルズの作品は荒唐無稽な読物ではなく、現在の世界、及び未来世界への深い憂慮が込められている。  初期の作品はいわゆるSF小説で...
  • ロイアル・タイラー
    ロイアル・タイラー(Royall Tyler)(1757~1826) 略歴  ボストンの裕福な商家に生まれ、ハーヴァード大学を卒業後に独立戦争に参加、その後法律家となる。もともと芸術に関心があった彼は、ニューヨークを訪れた際にアメリカン・カンパニ-(アメリカ最初の劇団)の人気喜劇役者トマス・ウィグネルと知り合い、それがきっかけでわずか三週間で『コントラスト』を書き上げた。これが上演されるとたちまち評判となり、数多くの作品を世に送り出すこととなった。劇作だけでなく、小説やエッセイも執筆したが、その一方でヴァーモントの最高裁判所裁判長や、ヴァーモント大学の法律学教授を務めるなど、作品以上に多彩な一生を送った。 作品  代表作『コントラスト』(The Contrast,1787)はニューヨークを舞台に、無骨だが誠実な軍人マンリーとイギリスかぶれの似非紳士ディンブルを対置した恋愛喜劇である...
  • イーディス・ウォートン
    イーディス・ウォートン(Edith Wharton)(1862年~1937年) 略歴  ニューヨーク出身の女流作家。富裕な名門家庭に生まれ、教育は家庭教師に学んだ。しばしばヨーロッパに旅行して周り、時折帰国するだけであった。。1885年にボストンの銀行家と結婚したが、1912年に離婚し、パリで独居した。その後小説を書き始め、パリで知り合ったジェイムズの勧めで、上流階級を題材とした作品を書き、ピューリッツァー賞を受賞した。短編の名手だったが、長編も高い評価を得た。他に小説論などまとめた評論集、旅行記、自伝なども書いた。 作品  『より大きな好み』(The Greater Inclination,1899)は処女短編集。その後も数多くの短編集を発表した。『決断の谷間』(The Valley of Decision,1902)は処女長編。18世紀イタリアを舞台とし、進歩的な思想と因習の狭...
  • ジョージ・S・カウフマン
    ジョージ・S・カウフマン(George S Kaufman )(1889年~1961年) 略歴  ペンシルベニア州ピッツバーグのドイツ系ユダヤ人の家に生まれた。大学を中退すると様々な職業を経験した後劇作家となった。一作を除いて全てが他作家との合作で、喜劇を得意とした。 作品  唯一の単独作品は『成上がり』(The Butter and Egg Man,1925)である。代表作としてはモス・ハートとの合作である『生涯に一度』(Once in a Lifetime,1930)、『それを持っては行かれない』(You Can t Take it With You,1936)がある。
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • ルイーズ・アードリック
    ルイーズ・アードリック(Louise Erdrich)(1954年~ ) 略歴  ミネソタ州リトル・フォールズ出身の作家、詩人。母方はネイティヴ・アメリカンのオジブワ族(あるいはチベワ族)である。ノース・ダコタのインディアン居住区で育った。ダートマス大学で学士、ジョン・ホプキンス大学で修士を取得した。1981年にダートマス大学の教授と結婚し、その後は共著を出版する傍ら実子の他養子も育てたがその後に別居、夫は1997年に自殺してしまった。その後はミネアポリスに住み、バーチバークという書店を経営し、本だけでなくネイティヴ・アメリカンの小物などを販売しているという。ネイティヴ・アメリカン出身の女流作家として活躍した。 作品  その作品のほとんどがノース・ダコタにある架空の町アーガスを舞台としている。代表作は『ラヴ・メディシン』(Love Medicine,1984)は数編の短編で構成され...
  • 人名索引/ハ行
    人名索引/ハ行 ハーディ(Thomas Hardy)英 バイロン(George Gordon Byron,6th Baron)英 ハクスリー(Aldous Leonard Huxley)英 ハドソン(William Henry Hudson)英 バトラー(Samuel Butler)英 バニヤン(John Bunyan)英 ピール(George Peel)英 フィールディング(Henry Fielding)英 ブーシコー(Dion Boucicault)米 フォースター(Edward Morgan Forster)英 フォード(John Ford)英 ブライアント(William Cullem Bryant)米 ブラウニング(Robert Brouwning)英 ブラウニング夫人(Elizabeth Barret Brouwning)英 ブラウン(Charles Brockden Brow...
  • T・S・エリオット
    T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot)(1888~1965) 略歴  ミズーリ州セントルイス出身。ハーヴァード大学で学び、在学中から学内誌に寄稿していた。ソルボンヌ大学で仏文学と哲学を学び、帰国後はハーヴァード大学で哲学科の助手となった。1914年に留学生としてドイツに赴くが、第一次大戦の戦火を逃れてロンドンにに行き、オックスフォード大学で哲学を学んだ。以来、彼はロンドンに定住することとなった。その頃大きな影響を受けることになるパウンドを訪問し、彼の助力によって詩を雑誌に発表し、また評論家としても活躍を見せた。その後1927年に正式にイギリスに帰化し、英国国教会に帰依した。1947年にノーベル文学賞を受賞し、勲功賞も得た。自らを「文学においては古典主義者、政治においては王党派、宗教においてはアングロ・カトリック」とその保守性を明確に規定していた。1965年、呼吸器...
  • W・H・オーデン
    W・H・オーデン(Wystan Hugh Auden)(1907~1973) 略歴  イギリスのヨークの医者の家に生まれる。奨学金でオックスフォードに進むが、当初の生物学から英語専攻に変更した。1928年にはヴァイマル時代のドイツに滞在し、政情不安を肌で感じ取る。また日中戦争が起こると中国にも訪問している。その後マルクス主義からキリスト教に回帰する。1939年にはアメリカに移住し、7年後に国籍を取得し、またアメリカに亡命していたトーマス・マンの娘と結婚する。自らを「西の国の小粒なゲーテ」と称した。1956年にはオックスフォードの教授に迎えられ、5年間この職につき、1972年に再び大学に戻るも、その翌年オーストリアのウィーンで死去。 作品  詩人として著名で20世紀最大の詩人の一人とされるが、他にも詩劇、大衆歌謡、ジャズ、オペラ台本、文芸批評など幅広い分野で一定以上の高い水準のものを...
  • ジョナサン・スウィフト
    ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)(1667~1745) 略歴  アイルランド、ダブリン出身。政界、宗教界での栄達を夢見るものの上手くいかず、最後はダブリンの聖パトリック教会の司祭長を務めた。風刺作家、随筆か、パンフレット作家、詩人として非常に多作であったが、生涯を通じて私憤と公憤が激しく入り混じっていた。またその内容の過激さから、多くの筆名を使い分けたり、匿名で発表されたりした。その出版には友人であったポープらの尽力したという。晩年は死の影に怯えるようになり、自らの死を悼む詩を書いたり、あるいは自らの死亡記事を出すなど奇行が目立った。また自分の墓碑銘を生前に自ら書いていたことでも有名。 作品  多作な人であったが、彼の特徴が最も出ているのは風刺文学においてだろう。初期に書かれた『桶物語』(A Tale of a Tub,1704)は、カトリック、プロテスタント...
  • W・H・ハドソン
    W・H・ハドソン(William Henry Hudson)1841~1922 略歴  アルゼンチン出身の作家、博物学者、鳥類学者。両親はアメリカ人。少年時代は生まれ故郷のアルゼンチンで育ち、農場を転々としながら鳥の生態を研究した。後に博物学者を志して英国へ渡る。アルゼンチン中央部パンパスに棲息する生物の生態を実地に調査して発表し、博物学者として認められる。作家としても活躍し、多くの作家たちと交流を深める。1900年に英国に帰化する。鳥類の保護活動に尽力し、死後その功績を英国政府に認められ、ハイド・パークの一角が鳥類保護区息とされ、そこにハドソンの記念碑が建てられた。 作品  鳥類に関する本以外にも多数の小説や自然風物エッセイを発表している。その多くは自らの体験や人から聞いた話を基に書かれたようだ。処女小説である『パープル・ランド』(Purple Land,1880)は、形式として...
  • チャールズ・ディケンズ
    チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens)(1812~1870) 略歴  ヴィクトリア朝を代表する作家。ポーツマスの郊外に生まれた。父がお人好しな上に経済観念が欠如しており、しかも債務者監獄に入れられることすらあった。そのために家計は常に苦しく、教育らしい教育は受けることがかなわなかった。彼は幼い頃から働きに出ざるを得ず、12歳で靴墨工場に働きに出されたが、この時の屈辱的な体験が後に作品に活かされた。その後、事務員として働きつつ速記術を習得すると、記者として新聞や雑誌に記事を投稿するようになった。その的確な描写に、彼独特のユーモアと哀愁で味付けした文章は次第に人気が出てくる。その後は読書を新たな娯楽とするようになった市民階級を満足させる、数多くの作品を世に送り、英国を代表する国民作家の地位を築いた。 作品  ディケンズの出世作となったのは『ピク...
  • 年表(1950~2000)
    西暦 英文学 米文学 1950 アンジア・イージアスカ『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on White Horse My Story) ウィリアム・インジ(William Motter Inge,1913-1973)『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba) テネシー・ウィリアムズ『ストーン夫人のローマの夏』(The Roman Summer of Mrs. Stone)『バラの刺青』(The Rose Tattoo) ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』(The Caine Multiny) ロバート・ペン・ウォレン『この世も時も』(World Enough and Time) クリフォード・オデッツ『カントリー・ガール』(The Country Girlfa) トルーマン・カポーティ『草の竪琴』(The G...
  • ラドヤード・キプリング
    ラドヤード・キプリング(Joseph Rudyard Kipling)(1865~1936) 略歴  英国のヴィクトリア朝の作家、詩人。インドで生まれ、英国で教育を受けたが、17歳の時に再びインドに戻る。ジャーナリストとして働きながら、現地の題材で詩や小説を書いた。ここが境遇こそ似ているもののサッカレ-とは大きく異なっている点である。キプリングが晩年の頃には、すでにヒトラーが台頭していたが、彼自身はあくまでも旧時代の人間であった。キプリングは大英帝国の栄光を信じていたが、その彼が描いたのは支配階級の人々ではなく、あくまでも末端で英国を支えているイギリス人たち(兵士など)や、現地の労働者であった。キプリングは大英帝国を賛美したが、それは異例とも言える低い視点からのものであった。そしてその賛歌は同時に挽歌でもあった。当時、キプリングの作品が評価された背景にはハーディの強烈なペシミズムに対する...
  • ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ
    ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ(Henry Wadsworth Longfellow)(1807~1882) 略歴  アメリカの最初の国民詩人と呼ばれるロングフェロウは、メイン州ポートランドに生まれる。ボードン大学で学び、同級生にはホーソーンがいた。生来語学の才に秀でており、同大学の教授職についてからも、欧州へ研究のために旅行し、研鑽に励んだ。後1836年に招かれて、ハーヴァード大学の教授となる。それからはケンブリッジに住んだ。それまでも詩作は行っていたが、1854年に教授職を退職し、著述に専念する。彼は詩作で生計を立てられた、アメリカの最初の詩人でもあった。1861年、二番目の妻が不慮の事故で亡くなると、強い衝撃を受け、生涯その思いを引きずることとなった。1882年、腹膜炎で没する。 作品  ロングフェロウは古典に造詣が深く、また語学も堪能であったため、様々な詩形・韻律を自...
  • 作品索引/カ行
    作品索引/カ行 『カーディフさして東へ』(Bound East for Cardiff)米 『ガートルードとクローディアス』(Gertrude and Claudius)米 『カーニバルを止めるな』(Don t Stop the Carnival)米 『ガープの世界』(The World According to Garp)米 『カーミラ』(Carmilla)英 『回想のシャーロック・ホームズ』(The Memories of Sherlock Holmes)英 『回想録』(Memoirs)米 『海賊』(The Pirate)英 『海賊』(Corsair)英 『開拓者』(The Pioneers)米 『解放された世界』(The World Set Free)英 『怪物、その他』(The Monster and the Other Stories) 『ガイ・マナリング』(Guy Manner...
  • アイリス・マードック
    アイリス・マードック(Iris Murdoch)(1919~1997) 略歴  アイルランド、ダブリン出身の哲学者にして作家、詩人。幼くしてロンドンに渡る。オクスフォードのサマーヴィル・カレッジで学んだ。国連救済復興機関に酸化し、大戦後は各地の難民救済キャンプで働く。ベルギー滞在中にサルトルと出会い、実存主義に関心を持つ。帰国後オックスフォードにて哲学の特別研究員となる。小説を発表すると共に、哲学に関する著書も発表した。1987年に大英帝国勲章を授与される。晩年はアルツハイマー症に悩まされた。その経過は夫のジョン・ベイリーによる伝記に詳しく書かれ、また映画化されている。 作品  彼女の作品の特徴は哲学者でもあるだけに、プラトン、サルトル、それからフロイトの影響をよく受けている。時に読者を混乱させるような手法(概ね写実的に描いておきながら、象徴を用いてミスリーディングを誘ったり、登場...
  • ルイーザ・メイ・オールコット
    ルイーザ・メイ・オールコット(Louisa May Alcott)(1832年~1888年) 略歴  ペンシルベニア州出身。父は教育者で超絶主義で有名なエーマス・ブロンソン・オールコット。父やエマソンやソローらの教えを受けた。生計のために雑誌に短編を寄稿し、また一時期看護婦として勤務もした。その後、児童文学作家としての名声を確立し、今尚世界中で多くの読者を獲得している。 作品  代表作は『若草物語』(The Little Women,1868)である。自らの家庭をモデルとした自伝的小説で、児童文学の代表作の一つとして世界中で翻訳されている。
  • ウィリアム・サッカレー
    ウィリアム・サッカレー(William Makepeace Thackeray)(1811~1863) 略歴  インドのカルカッタ出身の作家。父は東インド会社に勤務していた。6歳で帰国し、イギリスで教育を受けた。ケンブリッジで学ぶも放蕩に明け暮れた上、父が投資していた銀行代理店が倒産、資産の大部分を失ってしまった。結婚を期に新聞社に入るも、長続きせずに退職し、雑誌「パンチ」などへの投稿で生活費を稼いだ。その後作品が認められ、ディケンズと並び称される作家となった。ディケンズが中・下流階級を代表していたのに対し、サッカレーは比較的上流に近い階級の腐敗や俗物性を暴き出した。 作品  『馬丁粋語録』(The Yellowplush Papers,1837-38)は馬丁のイエロープラッシュ(従僕の黄色いお仕着せの意)が転々と奉公先を変えつつ、行く先々で主人の家の内幕を面白おかしく語る、という...
  • ジョン・アップダイク
    ジョン・アップダイク(John Hoyer Updike)(1932~2009) 略歴  ペンシルヴァニア州シリングトン出身。両親はユダヤ人。ハーヴァード大学を主席で卒業した。在学中から作品を発表していた「ニューヨーカー」誌のライターとなり、後に作家となった。都会派作家として活躍し、全米図書賞、ピューリッツァー賞を2度、全米批評家協会賞、ペン/フォークナー賞を受賞した。 作品  『プアハウス・フェア』(Poorhouse Fair,1959)は福祉国会に対する個人的な反感を寓意的に表した中編。  『同じドア』(The Same Door,1959)は初期の短編集。  『走れウサギ』(Rabbit,Run,1960)は代表作となったシリーズの第一作。ハリー・“ラビット”・アングストロームという元高校のバスケットボール選手の主人公は、平凡な家庭生活に飽き飽きすると共に、スター選手だ...
  • ケネス・コーク
    ケネス・コーク(Kenneth Koch)(1925年~2002年) 略歴  オハイオ州シンシナティ出身の詩人。ニューヨーク派を代表する詩人一人。若い頃から詩作に目覚め、戦後ハーバード大学に入り、そこでアシュベリーと出会った。在学中にグラスコック賞受賞している。卒業後ニューヨークに出た。処女出版された詩集は一般受けしなかったが、1970年代に入ると批評家から高い評価を得た。彼は死ぬまで精力的に詩を発表し続けた。またコロンビア大学の教師としても人気が高かった。 作品  作品としては『愛の芸術』(The Art of Love,1975)、『一両の列車』(One Train,1994)などがある。
  • ジョージ・メレディス
    ジョージ・メレディス(George Meredith)(1828~1909) 略歴  イギリスのポーツマス出身。父は仕立て屋で母は5歳の時に死んだ。14歳の時に母の遺産ドイツの学校に入った。その後ロンドンで弁護士見習いとなったが、やがて文学に目覚め1849年に初めて詩を発表した。その年に作家ピーコックの娘で6歳年上の未亡人と結婚したが、この最初の結婚では妻が画家と駆落ちしてしまい、その体験を基に小説を書いた。再婚し今度は平穏な家庭生活を送ったがその妻も1885年に先立ってしまい、また晩年には病に悩まされ、特に聴覚の衰えが酷かったという。時代はダーウィンの進化論の衝撃により、それまでの価値観が大きく揺らいだ時であった。メレディスはダーウィニズムのポジティヴな面に光を当てることによって、比較的上手く妥協することができた。彼はダーウィニズムの中の「進化」の思想に着目し、人間社会のこれまでの進化...
  • 作品索引/マ行
    作品索引/マ行 『マージョリー・モーニングスター』(Marjorie Morningstar)米 『マーディ』(Mardi)米 『マーティン・チャズルウィット』(Martin Chuzzlewit)英 『マーミオン』(Marmion)英 『マイラ』(Myra Breckinridge)米 『マイルズ・スタンディッシュの求婚』(The Courtship of Miles Standish)米 『マクシマス詩篇』(Maximus Poems)米 『マクベス』(Macbeth)英 『負けるが勝ち』(She Stoops to Conquer)英 『まじめが肝心』(The Importance of Being Earnest)英 『また会う日まで』("Until I Find You")米 『間違い続きの喜劇』(The Comedy of Errors)英 『町と都会』(T...
  • ハーマン・メルヴィル
    ハ-マン・メルヴィル(Herman Melville)(1819~1891) 略歴  ニューヨークの裕福な商人の家に生まれた。しかし父が事業に失敗したために、十分な教育が受けられなかった。教員の資格を得て小学校に勤務したりしたが、債権者から逃れるために夜逃げし、その後1839年に兄の紹介でリヴァプール航路の商戦の平水夫となった。この船員としての経験が、後々彼の作品に活かされることになった。ガラパゴス諸島やポリネシア諸島を航行するも、捕鯨船での過酷な生活に耐えかね、22歳の時仲間と脱走し、マルケサス諸島のヌクヒヴァ島の食人種タイピー族に囚われた。その後、通りかかった捕鯨船によって救われるが、今度はタヒチで暴動に巻き込まれた挙句、英国領事館に逮捕されてしまう。またもやそこも脱走し、エイメオ島に逃れ、アメリカの捕鯨船によって拾われ、ようやくハワイにたどり着いた。これまでの波乱に富んだ海洋冒険は...
  • ローレンス・スターン
    ローレンス・スターンLaurence Sterne(1713~1768) 略歴  アイルランド出身。軍人だった父とは17歳の時に死別。ケンブリッジで祖先が設けた奨学金で学び、サットンの教区牧師となった。平凡な田舎牧師であったが、知人の蔵書でセンバンテスやラブレーの著作に接し影響を受けた。手始めに宗教界の勢力争いを風刺する小冊子を書き好評を得ると、いよいよ彼の代表作である『トリストラム・シャンディ』を執筆し始めた。人妻と恋愛関係に陥るなど牧師らしからぬ人物であった。その一方で説教集なども出版している。しばしば喀血するなど病に苦しみ、それがもとでロンドンで没する。 作品  『トリストラム・シャンディ』(Tristram Shandey,1760-1767)は正確には『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』(The Life and Opinions of Tristram Sha...
  • エリザベス・ギャスケル
    エリザベス・ギャスケル(Elizabeth Cleghorn Gaskell)(1810~1865) 略歴  ユステニアン派の元牧師の家に生まれた。旧姓はスティーヴンソン。1歳で母を亡くし、伯母の家に引き取られた。その後、父と兄を相次いで亡くすが、21歳で牧師であるウィリアム・ギャスケルと結ばれた。しかし、34歳になってようやく授かった長男が9ヶ月で病死すると、失意のどん底に突き落とされた。ところが失意の中で夫に勧められて書き綴った処女作が、世間で大好評を得、一躍時の人となった。著名な作家たちとも親しく交友を深め、その中にはチャールズ・ディケンズやエリオット、シャーロット・ブロンテらがいた。55歳の時、当時手がけていた作品の完成間近で、別荘で急死。 作品  いくつかの長編の他、多数の中短編を書いたが(チャールズ・ディケンズの雑誌で発表されたものも多い)、同時代の巨匠と呼ばれるような...
  • ウォルト・ホイットマン
    ウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)(1819~1892) 略歴  ニューヨーク州ロングアイランド出身。アメリカ最大の詩人と称される。貧しい家庭であったため、早くから働き始める。ジャーナリスト、教師、公務員など様々な職業に従事した。高等教育は受けていないが、印刷工をしていて文学に親しんだといわれている。南北戦争が勃発すると、彼は志願して北軍の看護兵として参加する。その時、戦場の悲惨な光景に衝撃を受け、その後はニューヨークへは戻らず、ワシントンD.C.に行き、陸軍病院に勤務する。その後は自らの詩が足枷となって、職を失ったり逃したりしていたが、最終的には法務長官事務局に1872年まで勤務する。翌1873年に脳卒中に倒れ、また介護していた高齢の母が亡くなったことも重なり、酷い精神的打撃を受ける。晩年はライフワークである『草の葉』の増補改訂を続け、1892年に没する。 作品 ...
  • プラグイン/ニュース
    ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 【グランサガ】リセマラ当たりランキング - グランサガ攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【まおりゅう】八星之紋章交換のおすすめ交換キャラ - AppMedia(アップメディア) Among Us攻略Wiki【アマングアス・アモングアス】 - Gamerch(ゲーマチ) マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」:時事ドットコム - 時事通信 マニ...
  • ユージーン・オニール
    ユージーン・オニール(Eugene Gladstone O Neill)(1888年~1953年) 略歴  ニューヨーク出身の劇作家。アイルランド系。父は旅回りの俳優で、彼は幼い頃から寄宿学校に入った。プリントン大学に進んだもののたった一年で放校処分となり、その後も酒浸りの生活を送り、船乗りとして航海に出たり、金鉱堀りに加わったこともあった。その頃には自殺未遂もあったという。しかし1912年に結核を発症し療養生活に入ったのをきっかけに過去を清算し、劇作家となる決意を固めた。完治後、ハーヴァード大学のベーカー教授の教室で劇作を学び、1916年にプロヴィンスタウン劇団に参加しデビューした。その後は次々と問題作や実験的作品を発表し、一躍1920~30年代の演劇界を牽引した。しかし『終わりなき日々』(1934)の失敗を境に1946年まで沈黙を続けた。1953年ボストンのホテルの一室で息を引き取っ...
  • アリス・ウォーカー
    アリス・ウォーカー(Alice Malsenior Walker)(1944年~ ) 略歴  ジョージア州イートントン出身のアフリカ系アメリカ人の女流作家(他にもスコットランド系、アイルランド系の血も入っている)。スペルマン大学、サラ・ローレンス大学を卒業。1967年にフェミニズム活動家と結婚するも後に離婚。娘のレベッカもまた作家となった。最初の詩集は在学中に書かれた。公民権運動で作家活動を一時中断していたこともあった。その後フェミニスト雑誌へ参加することで執筆を再開、その後『カラー・パープル』で大きな反響を呼び、ピューリッツァー賞を獲得した。その一方で、アフリカ系アメリカ人の文化や民間伝承に深い関心を示し、その発掘と再評価に努めている。またこれまで評価されてこなかったアフリカ系アメリカ人作家の再評価のきっかけともなった。 作品  『むかし』(Once,1967)は第一詩集。翌年処...
  • ジョイス・キャロル・オーツ
    ジョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates)(1938年~ ) 略歴  ニューヨーク州ロックポート出身の女流作家。1960年にシラキュース大学を卒業、1961年にウィスコンシン大学で英文学の修士号を取得した。すでに在学中から創作を始めていた。1963年に処女短編集を発表し、以来60年代を代表する作家となった。カナダのウィンザー大学で英文学の教師を務めながら執筆を精力的に行い、その作品数は現代作家の中で最も多作な作家と呼ばれることもある。その後プリンストン大学教授となった。短編の名手とされるが、長編にも優れた作品がある。彼女の作風は、平凡な人間の内面に潜むグロテスクなものや、残忍さなどを自然主義的手法で描き出すものである。 作品  『北門のかたわらで』(By the North Gate,1963)は処女短編集。これによって文壇に登場するきっかけをつかんだ。他に短...
  • トバイアス・スモレット
    トバイアス・スモレット(Tobias George Smollet)(1721~1771) 略歴  スコットランドの判事の家に生まれる。グラスゴー大学で医学を学ぶが、文学的野心からロンドンに出るも、なかなか文壇に入り込めなかった。軍船に従軍医として乗り込み、西インド諸島でスペイン軍と戦ったり、ジャマイカでは現地の女性を妻に娶ったりと、波乱に満ちた生涯を送った。けして主流とはなり得なかったものの、この頃には彼の書くような、面白い読み物を求める需要が増えつつあり、後にディケンズやサッカレーなどにも影響を与えた。また作家としてだけでなく、編集者・批評家としても活躍し、コロンブス、バスコ・ダ・ガマ、ドレークなどの探検記や旅行記をまとめた『世界の旅行記』(A Compendium of Authentic and Entertaining Voyages)が知られている。 作品  その小説...
  • ハート・クレイン
    ハート・クレイン(Hart Crane)(1899年~1932年) 略歴  オハイオ州ギャレッツヴィル出身の詩人。裕福な実業家の家の一人息子として生まれたが、両親の不和であったため愛情への飢えから精神的に不安定にな日々を送った。そのためか後に同性愛とアルコールに溺れるような自滅的な性格になってしまった。試作を始めたのは高校の頃からで、1917年に両親が離婚すると退学してニューヨークに出たが、経済的に自立することは難しくしばらくの間は、地元とニューヨークを行き来して生活した。ニューヨークでは新進気鋭の詩人たちと親しく交わり、またパウンドとエリオットのモダニズム運動に強い影響を受けた。その一方で幻視体験や神秘主義にも興味を覚え、傾倒していくようになった。その文体は伝統的形式に従いながらも、言語の実見にも積極的に取り組んだ。しばしば造語を用いる他、口語や俗語など多彩に用い、その一方で言語の意味...
  • 作品索引/ラ行
    作品索引/ラ行 『ラヴァネルさんの転向』(Miss Ravanel s Conversion)米 『ラヴ・メディシン』(Love Medicine)米 『ラザロ笑えり』(Lazarus Laughed)米 『ラセラス』(The History of Rasselas, Prince of Abyssinia)英 『ラッパ長』(The Trumpet-Major)英 『ラ・プラタの博物学者』(The Naturalist in La Plata)英 『ラマムアの花嫁』(The Bride of Lammermoor)英 『リア王』(King Lear)英 『利己主義者』(The Egoist)英 『リシダス』(Lycidas)英 『リチャード2世』(Richard II)英 『リチャード3世』(Richard III)英 『リチャード・フェヴレルの試練』(The Ordeal of Rich...
  • ホレス・ウォルポール
    ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)(1717~1797) 略歴  有名な政治家ロバート・ウォルポールの三男。政治家としても活動し、奴隷売買に反対を表明したことで知られるが、もっぱら趣味的な生活にいそしんだ。別送のストロベリー・ヒルを改築して、自分好みのゴシック風建築に仕立てたことでも有名。その徹底振りは建築だけでなく、家具調度、美術品、科学、文学、化石などあらゆる面で時代の最先端を行っていた。彼がある日見た夢を基に書いた『オトラント城』(The Castle of Otranto,1764)は、ゴシック小説の流行のきっかけとなり、続くロマン主義時代への先駆けとなった。
  • アンガス・ウィルソン
    アンガス・ウィルソン(Angus Wilson)(1913~1991) 略歴  サセックス州のベックスヒル出身。英国人の父と南アフリカ人の母を持つ。オックスフォードのマートンカレッジで学んだ。その後、大英博物館に勤務。その傍ら小説を書いた。代表作は中年小説家の同性愛の悲劇を描いた『毒にんじんとその後』(Hemlock and After,1952)。他に『アングロ・サクソンの態度』(Anglo-Saxon Attitudes,1956)、『エリオット夫人の中年』(The Middle Age of Mrs. Eliot,1958)、『動物園の老人たち』(The Old Men at the Zoo,1961)などがある。
  • ハーマン・ウォーク
    ハーマン・ウォーク(Herman Wouk)(1915年~ ) 略歴  ニューヨーク出身のユダヤ系作家で、両親はロシアから移住したユダヤ人。幼少期はブロンクスで過ごした。コロンビア大学で比較文学と哲学を学んだ。卒業後ラジオ脚本家となり、戦時中は羅時を広告で戦債を販売し、政府に貢献した。真珠湾攻撃が起きると、自ら志願して米海軍に入隊、太平洋戦争に従軍し、掃海艇に通信士官として搭乗した。その任務の合間に小説を書いていた。戦後結婚し、全てを執筆に捧げ、1952年にはピューリッツァー賞を受賞した。彼は執筆の際正確を期すために若手の歴史研究家を雇って参考にしていたために、歴史的な記述はかなりの部分で正確であるという。 作品  『オーロラの夜明け』(Aurora Dawn,1947)は広告業界を風刺した作品。『町の子』(The City Boy,1948)はニューヨークを舞台に子供の姿を共感を...
  • 作品索引/ア行
    作品索引/ア行 『ああ、荒野』(Ah, Wilderness)米 『アーサー・マーヴィン』(Arthur Mervyn)米 『アーロンの杖』(Aaron s Rod)英 『アーロン・バアの英雄的生涯』(Burr)米 『アイヴァンホー』(Ivanhoe)英 『愛こそすべて』(All for Love)英 『愛されし者』(The Loved One)英 『愛について語るときに我々の語ること』(What We Talk About When We Talk About Love)米 『愛には愛を』(Love for Love)英 『愛の芸術』(The Art of Love)米 『愛の車輪』(The Wheel of Love)米 『愛のために 1950-1960』(For Love Poems 1950-1960)米 『アイリーン』(Irene)英 『アイルランド・スケッチブック』(The I...
  • E・E・カミングズ
    E・E・カミングズ(Edward Estlin Cummings)(1894年~1962年) 略歴  マサチューセッツ州ケンブリッジ出身。父は社会学と政治学の教授で後に聖職者となった。恵まれた環境で育ち、早熟だった彼は10歳頃には早くも詩を書いていたという。ハーヴァード大学に進み、英語と古典研究の修士を取得した。その頃にドス・パソスと知り合い、交友を深めた。またスタインやパウンドらから強い影響を受け、後の彼の作品にそれが表れることになった。卒業後、ドス・パソスと共に救急隊に入隊し、第一次世界大戦に参戦した。しかし事務手続きの不備から彼は配備が遅れ、その間パリに滞在し、その魅力の虜となった。その後任務に就くが、友人と共にスパイ容疑で逮捕され捕虜収容所で辛い監禁生活を送った。父が政治力を持っていたおかげで釈放されたが、帰国してすぐに徴兵され陸軍に入った。戦後、パリとニューヨークを行き来しなが...
  • アレン・ギンズバーグ
    アレン・ギンズバーグ(Irwin Allen Ginsberg)(1926年~1997年) 略歴  ニュージャージー州パターソン出身。両親はロシアからの移民でユダヤ系。コロンビア大学を卒業。当初は幻想的傾向が強かったが、同地の先輩詩人ウィリアムスの勧めでより現実に即した試作に転じた。1955年にサンフランシスコに出、処女作を発表すると、ビートジェネレーションの指導的存在として注目を集めた。その後は、ベトナムの反戦運動や公民権運動、ゲイ解放運動などに積極的に携わった。また1970年以降は環境保護や反核デモにも関わった。その一方で1960年代にインドに渡り、ヒンズー教のマントラはアメリカに紹介し、朗読会や集会などでこれを唱えた。またチベット仏教の影響も受けた。その予言ともいえるような宗教的詩風から、ホイットマンを想起させた。 作品  『「吠える」とその他の詩』(Howl and Oth...
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