ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「ハート・クレイン」で検索した結果

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  • ハート・クレイン
    ハート・クレイン(Hart Crane)(1899年~1932年) 略歴  オハイオ州ギャレッツヴィル出身の詩人。裕福な実業家の家の一人息子として生まれたが、両親の不和であったため愛情への飢えから精神的に不安定にな日々を送った。そのためか後に同性愛とアルコールに溺れるような自滅的な性格になってしまった。試作を始めたのは高校の頃からで、1917年に両親が離婚すると退学してニューヨークに出たが、経済的に自立することは難しくしばらくの間は、地元とニューヨークを行き来して生活した。ニューヨークでは新進気鋭の詩人たちと親しく交わり、またパウンドとエリオットのモダニズム運動に強い影響を受けた。その一方で幻視体験や神秘主義にも興味を覚え、傾倒していくようになった。その文体は伝統的形式に従いながらも、言語の実見にも積極的に取り組んだ。しばしば造語を用いる他、口語や俗語など多彩に用い、その一方で言語の意味...
  • スティーヴン・クレイン
    スティーヴン・クレイン(Stephen Crane)(1871年~1900年) 略歴  ニュージャージー州ニューアーク出身。メソジスト派の牧師の14子として生まれた。8歳で父を亡くした。新聞社で地方通信員をしていた兄を手伝って記事を書いていた。シラキューズ大学に進んだが1891年に中退し、ニューヨークで記者をしながら作家を目指した。ニューヨークでは貧しい人々や浮浪者、売春婦などの悲惨な現実を目の当たりにし衝撃を受けた。しかしようやく完成した作品は反道徳的なものとみなされ、自費出版することになったが、ガーランドやハウエルズらに認められた。『赤い武功章』を発表した後、実際に戦争を体験する必要を感じ、西部やメキシコなどへ取材に赴き、またギリシア・トルコ戦争、アメリカ・スペイン戦争の従軍記者となって各地を渡り歩いた。後にイギリスに生活の場を移し、コンラッドらと親交を結んだ。しかし、困窮や不摂生が...
  • ロバート・クリーリー
    ロバート・クリーリー(Robert Creeley)(1926年~2005年) 略歴  マサチューセッツ州アーリントン出身の詩人。ハーヴァード大学で一時期学んだものの中退し、国内外を放浪して過ごした。その後、実験大学であるブラック・マウンテン・カレッジで教鞭を取るようになった。それ故にブラック・マウンテン派と呼ばれ、その中には他にオルスン、ダンカン、レヴァトフなどがいる。また前衛的な雑誌「ブラック・マウンテン・レビュー」を創刊、編集に携わった。形式に捕らわれず、単音節の言葉を多用した短い詩行が特徴の一つ。詩のテーマは一貫して愛であった。 作品  『愛のために 1950~1960』(For Love Poems 1950-1960,1962)、『全詩集』(The Collected Poems of Robert Creeley,1982)など多数。
  • ロバート・クーヴァー
    ロバート・クーヴァー(Robert Coover)(1932年~ ) 略歴  アイオワ州チャールズシティ出身。ポストモダン文学の旗手としてピンチョンやギャスと並ぶ代表格。 作品  代表作は『ユニヴァーサル野球協会』(The Universal Baseball Association, Inc,1968)で、独自に開発した野球ゲームとその仮想現実の世界に熱中し、次第に捕らわれていく中年男を描いた。  他に『ブルーノ教団』(The Origin of Brunists,1966)で(フォークナー賞を受賞)、『火刑』(The Public Burning,1977)、『ジェラルドのパーティ』(Gerald s Party,1986)、『ベニスのピノキオ』(Pinocchio in Venice,1991)、『ブライヤー・ローズ』(Briar Rose,1996)などがある。
  • 年表(1901~1949)
    ...Clissold) ハート・クレイン(Hart Crane,1899-1932)『白いビル』(White Buildings) J・B・プリーストリー(John Boynton Priestley,1894-1984)『ジョージ・メレディス論』{(George Meredith) ショーン・オケイシー『鋤と星』(The Plough and the Stars) 1927 アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの事件簿』(The Case-Book of Sherlock Holmes)『マラコット深海』(The Maracot Deep) アンジア・イージアスカ『尊大な乞食』(Arrogant Beggar) J・B・プリーストリー『英国小説』{(The English Novel) 7ウィラ・キャザー『死を迎える大司教』(Death Comes for the...
  • 年表(19世紀)
    文学史年表(19世紀) 西暦 英文学 米文学 1804 ウィリアム・ブレイク『ミルトン』(Milton)『エルサレム』(Jerusalem) 1802 ウォルター・スコット(Sir Walter Scott,1771-1832)『スコットランド辺境歌謡集』(The Minstrelsy of the Scottish Border) 1805 ウォルター・スコット『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel) 1807 ジョージ・バイロン(George Gordon Byron,1788-1824)『無為の時』(Hours of Idleness) ジョウエル・バーロウ『コロンビアド』(The Columbiad) 1808 ウォルター・スコット『マーミオン』(Marmion) 1809 ワシントン・アーヴィング(Washington Ir...
  • 年表(1950~2000)
    西暦 英文学 米文学 1950 アンジア・イージアスカ『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on White Horse My Story) ウィリアム・インジ(William Motter Inge,1913-1973)『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba) テネシー・ウィリアムズ『ストーン夫人のローマの夏』(The Roman Summer of Mrs. Stone)『バラの刺青』(The Rose Tattoo) ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』(The Caine Multiny) ロバート・ペン・ウォレン『この世も時も』(World Enough and Time) クリフォード・オデッツ『カントリー・ガール』(The Country Girlfa) トルーマン・カポーティ『草の竪琴』(The G...
  • カート・ヴォネガット
    カート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)(1922年~2007年) 略歴  インディアナ州インディアナポリスのドイツ系移民の家に生まれた。1940年にコーネル大学で生化学を学びつつ、学内誌の編集長を務めた。在学中に陸軍に徴募され、カーネギー工科大学とテネシー大学に転校させられ、機械工学を学んだ。1944年、ドイツ戦線に配属されバルジの戦いで捕虜となった。ドレスデンに抑留中に連合軍の空襲に遭い、屠畜場の地下に監禁されていたために九死に一生を得た。このドイツ人(移民4世)でありながらドイツ軍に捕らえられ、一方で連合軍の一員でありながら連合軍に殺されかけるという、何重にも絡まった不条理な経験が後の彼の作品に大きな影響を与えたといわれている。戦後、除隊すると幼馴染と結婚しシカゴ大学の大学院で人類学を学んだ。1950年に当初はペーパーバックのSF作家としてとしてデビューしたが、他の仕事と...
  • ロバート・アンダソン
    ロバート・アンダソン(Robert Woodruff Anderson)(1917年~2009年) 略歴  ニューヨーク出身の脚本家、シナリオ作家、劇場プロデューサー。大戦後の保守化した時期のブロードウェイで活躍したが、作品としては『お茶と同情』(Tea and Sympathy,1953)が最も知られており、後に映画化された。
  • ロバート・グリーン
    ロバート・グリーン(Robert Greene)(1558~1592) 略歴  大学才人の一人。在学中に書いた小説『マミリア』(Mamillia,1583)で文名を得る。後に劇作に転向し『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia,1588)、『ベイコン修道士とバンゲイ修道士』(Friar Bacon and Friar Bungay,1594)などを書いた。他に『兎取り読本』シリーズのような裏社会を暴露するようなパンフレット、そして晩年の『多大な後悔で購われたわずかな知恵』A Groatsworth of Wit Brought with a Million of Repentance,1592)という告白を書いた。『パンドスト王』はシェイクスピアの『冬物語』の基になったと考えられる。大学才人の中にはシェイクスピアを快く思っていない者が多く、グリーンは前...
  • ロバート・ペン・ウォレン
    ロバート・ペン・ウォレン(Robert Penn Warren)(1905年~1989年) 略歴  ケンタッキー州出身の詩人、批評家。バンダービルト大学に在学中、南部地方主義文学運動の拠点であった雑誌『フュージティブ』に参加し活躍した。その後、カリフォルニア、エール、オックスフォード大学で学んだ。その後は母校やルイジアナ、ミネソタ、エール大学でそれぞれ教鞭を取った。その傍ら季刊文芸誌『南部評論』を創刊し編集に尽力した。また自らも詩を発表し、ピューリッツァー賞を受賞するなど高い評価を得た。一方で小説の分野でも主に南部の歴史に取材した作品を発表し、こちらでもピューリッツァー賞を受賞した。批評の分野でも名高い。 作品  『詩36篇』(Thirty-Six Poems,1936)は初期の詩集で形而上詩の影響が強かった。その後平易な物語詩へと移行していき『約束』(Promises,1957)...
  • ルイーズ・アードリック
    ルイーズ・アードリック(Louise Erdrich)(1954年~ ) 略歴  ミネソタ州リトル・フォールズ出身の作家、詩人。母方はネイティヴ・アメリカンのオジブワ族(あるいはチベワ族)である。ノース・ダコタのインディアン居住区で育った。ダートマス大学で学士、ジョン・ホプキンス大学で修士を取得した。1981年にダートマス大学の教授と結婚し、その後は共著を出版する傍ら実子の他養子も育てたがその後に別居、夫は1997年に自殺してしまった。その後はミネアポリスに住み、バーチバークという書店を経営し、本だけでなくネイティヴ・アメリカンの小物などを販売しているという。ネイティヴ・アメリカン出身の女流作家として活躍した。 作品  その作品のほとんどがノース・ダコタにある架空の町アーガスを舞台としている。代表作は『ラヴ・メディシン』(Love Medicine,1984)は数編の短編で構成され...
  • 人名索引/カ行
    人名索引/カ行 カーヴァー(Raymond Clevie Carver Jr.)米 ガードナー(John Champlin Gardner Jr.)米 カーハン(Abraham Cahan)米 ガーネット(David Garnett)英 カーライル(Thomas Carlyle)英 ガーランド{(Hamlin Garland)米 カウフマン(George S Kaufman)米 カウリー(Malcolm Cowley)米 カポーティ(Truman Garcia Capote)米 カミングズ(Edward Estlin Cummings)米 キーツ(John Keats)英 キッド(Thomas Kid)英 キプリング(Joseph Rudyard Kipling)英 キャザー(Willa Cather)米 ギャス(William Gass)米 ギャスケル(Elizabeth Cleghor...
  • ロバート・ブラウニング
    ロバート・ブラウニング(Robert Browning)(1812~1889) 略歴  テニスンと並び称されるヴィクトリア朝を代表する詩人。しかしテニスンが分かりやすく親しみやすい作風であったのに対し、ブラウニングは難解で玄人好みの作風であった。あまり満足な学校教育を受けることができなかった。彼は妻で女流詩人であったエリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning,1806-1861)が病弱であったことから、長らくイタリアで暮らすことになった。しかし1861年に病弱だった妻が亡くなると、悲嘆にくれた彼は息子を連れてロンドンへ帰った。その後、その業績が認められオックスフォードの名誉学位を受け、エディンバラ大学の名誉博士となり、またロンドン大学の終生総長に推薦されもした。晩年までその創作意欲は失われなかった。 作品  『パラケルスス』(Parac...
  • 作品索引/ハ行
    作品索引/ハ行 『バーソロミューの市』(Bartholomew Fair)英 『バーナビー・ラッジ』(Barnaby Rudge)英 『パープル・ランド』(Purple Land)英 『パームサンデー』(Palm Sunday, an Autobiographical Collage)米 『ハイアワサの歌』(The Song of Hiawatha)米 『廃村』(The Deserted Village)英 『ハイピアリアン』(Hyperion)英 『ハイピアリアン失墜』(The Fall of Hyperion a Dream)英 『墓守老人』(Old Mirtality)英 『白鯨』(Moby-Dick)米 『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on a White Horse My Story)米 『白魔』(The White Devil)英 『激しく攻むる者はこ...
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • 作品索引/タ行
    作品索引/タ行 『ター:中西部の子供時代』(Tar A Midwest Childhood)米 『大疫病日記』(A Journal of the Plague Year)英 『大使たち』(The Ambassadors)英米 『大聖堂』(Cathedral)米 『大草原』(The Prairie)米 『大草原の人々』(Prairie Folks)米 『タイタス・アンドロニカス』(Titus Andronicus)英 『タイタンの妖女』(The Sirens of Titan)米 『タイピー』(Typee)米 『台風』(Typhoon)英 『タイムクエイク』(Timequake)米 『タイムトラベラー』(The Time Traveler)米 『タイム・マシン』(The Time Machine)英 『第四の手』(The Fourth Hand)米 『大理石の牧神』(The Marble ...
  • マキシーン・ホン・キングストン
    マキシーン・ホン・キングストン(Maxine Hong Kingston)(1940年~ ) 略歴  カリフォルニア出身の中国系アメリカ人の女性作家。両親は移民一世。カリフォルニア大学バークレイ校教授。中国系アメリカ人としての視点と、女性としての視点から作品を発表し、フェミニズム運動にも大きな影響を与えたが、その一方で同じ中国系アメリカ人の一部から厳しく批判されている。全米図書賞などいくつかの賞を受賞している。 作品  代表作は『女戦士』(The Woman Warrior Memoirs of a Girlhood among Ghosts,1976)。他に『中国の男、クノップ』(China Men, Knopf,1980)などがある。
  • ジョン・アシュベリー
    ジョン・アシュベリー(John Ashbery)(1927~ ) 略歴  ニューヨーク州ロチェスター出身の詩人。ハーヴァード大学卒業後、コロンビア大学で修士号を取得。1955年にはフランスに渡り、『ヘラルド・トリビューン』誌の美術評論を担当し、その傍ら試作を行った。1965年にニューヨークに戻り、『アート・ニューズ』という美術雑誌の編集に携わった。「ニューヨーク派」の詩人としてもてはやされた。ピューリッツァー賞、全米図書賞など多くの賞を受賞し、1980年代を代表する詩人と言われる。 作品  その詩は作品ごとにスタイルが変わり、解釈を拒否するかのような極端に難解な作風である。中心となる主題のようなものはなく、思考や夢の断片の羅列や意味不明な独白のようなものに近い。アシュベリーは詩を言葉の意味から解放することを狙いとした。その前衛的な難解さ故に一般の読者は少ないが、その独特の言語観によ...
  • 作品索引/ラ行
    作品索引/ラ行 『ラヴァネルさんの転向』(Miss Ravanel s Conversion)米 『ラヴ・メディシン』(Love Medicine)米 『ラザロ笑えり』(Lazarus Laughed)米 『ラセラス』(The History of Rasselas, Prince of Abyssinia)英 『ラッパ長』(The Trumpet-Major)英 『ラ・プラタの博物学者』(The Naturalist in La Plata)英 『ラマムアの花嫁』(The Bride of Lammermoor)英 『リア王』(King Lear)英 『利己主義者』(The Egoist)英 『リシダス』(Lycidas)英 『リチャード2世』(Richard II)英 『リチャード3世』(Richard III)英 『リチャード・フェヴレルの試練』(The Ordeal of Rich...
  • 年表(21世紀)
    年表(21世紀) 2001 ジョン・アーヴィング『また会う日まで』("Until I Find You) 2003 アンジア・イージアスカ『私がいかにしてアメリカを見つけたか』(How I Found America) 2005 ジョン・アーヴィング『第四の手』(The Fourth Hand) 2007 カート・ヴォネガット『追憶のハルマゲドン』(Armageddon in Retrospect)
  • ウィラ・キャザー
    ウィラ・キャザー(Willa Cather)(1873年~1947年) 略歴  ヴァージニア州出身の女流作家。9歳の時に開拓後まもないネブラスカ州のレッド・クラウドに移り住んだ。しかし田舎町の偏狭さと退屈さに嫌悪感を抱いた。ネブラスカ大学リンカーン校を卒業後、ピッツバーグで高校教師となった。その後、ニューヨークで雑誌編集者をする傍ら創作に励み、作家となった。地方主義作家セアラ・オーン・ジュエットと出会い自分独自の世界を発見するようアドバイスを受けたことで、中西部へと回帰した。1923年にピューリッツァー賞を受賞。 作品  『四月のたそがれ』(April Twilight,1903)は詩集。『トロールの庭』(The Troll Garden,1905)は短編集。  『アレクサンダーの橋』(Alecander s Bridge,1912)は処女長編。ロンドンを舞台に、中年のアメリカ人...
  • ジョージ・S・カウフマン
    ジョージ・S・カウフマン(George S Kaufman )(1889年~1961年) 略歴  ペンシルベニア州ピッツバーグのドイツ系ユダヤ人の家に生まれた。大学を中退すると様々な職業を経験した後劇作家となった。一作を除いて全てが他作家との合作で、喜劇を得意とした。 作品  唯一の単独作品は『成上がり』(The Butter and Egg Man,1925)である。代表作としてはモス・ハートとの合作である『生涯に一度』(Once in a Lifetime,1930)、『それを持っては行かれない』(You Can t Take it With You,1936)がある。
  • トマス・ハーディ
    トマス・ハーディ(Thomas Hardy)(1840~1928) 略歴  イギリス、ドーセット州出身。元々は敬虔なキリスト教徒で、日曜日には家族揃って教会に行き、ヴァイオリンを演奏することもあったという。しかし、1859年に発表されたダーウィンの進化論が、彼の人生を大きく変えることになった。彼は[メレディス ジョージ・メレディス]とは対照的に、そこにネガティヴなイメージを受けた。彼は自分自身が生まれ育ったウェセックスの、のどかで美しい牧歌的な景色と、自然と共に生きる農民たちの生活を描いた。しかしそういった自然や生活の全てが暗く無目的であり、人間の力の及ばない、不可解な宇宙の内在意思(Immanent Will)によって支配されていると考えた。彼の一連の作品はその舞台の名をとって「 ウェセックス・ノヴェル」と呼ばれるが、書く毎に彼の厭世観は暗く落ち込んでいった。その作品に対する評価は、当...
  • ホレス・ウォルポール
    ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)(1717~1797) 略歴  有名な政治家ロバート・ウォルポールの三男。政治家としても活動し、奴隷売買に反対を表明したことで知られるが、もっぱら趣味的な生活にいそしんだ。別送のストロベリー・ヒルを改築して、自分好みのゴシック風建築に仕立てたことでも有名。その徹底振りは建築だけでなく、家具調度、美術品、科学、文学、化石などあらゆる面で時代の最先端を行っていた。彼がある日見た夢を基に書いた『オトラント城』(The Castle of Otranto,1764)は、ゴシック小説の流行のきっかけとなり、続くロマン主義時代への先駆けとなった。
  • アーネスト・ダウスン
    アーネスト・ダウスン(Ernest Christopher Dowson)(1867~1900) 略歴  ロンドン出身のデカダン派の詩人、作家。クィーンズ大学、オックスフォード大学で学ぶも、中途で退学。父と共に働き始めるが私生活では、放蕩生活を送る。イェイツなどとも知り合い、頻繁に文芸誌に寄稿する。あるレストランの11歳の少女アデレイドに恋をし、通いつめて結婚も考えたが、彼女は7年後に別の男と結婚し、しかもその頃に両親が自殺した。度重なる衝撃と貧困に絶望し、酒に溺れたあげくにアルコール依存症と結核によって32歳の若さで没する。 作品  退廃的な作風で中でも『シナラ』(Non Sum Qualis eram Bonae Sub Regno Cynarae,1897)が有名。この詩はミッチェルの『風と共に去りぬ』に引用されていることでも知られている。この詩はホラティウスの詩に由来する作...
  • シャーロット・ブロンテ
    シャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë)(1816~1855) 略歴  ヨークシャー、ソーントン出身のブロンテ3姉妹の長姉(誤解されることもあるが、彼女自身は三女にあたる)。幼い頃にハワースに転居したが、その翌年には母が病死した。学校に入学するもそこの環境が著しく劣悪であったために、姉二人を肺炎で亡くした。その後牧師館に戻ると文学に熱中し、詩や戯曲を書くようになった。この当時のある程度の身分があり、それでいて独身である女性がなるものといえば、家庭教師であった。シャーロットも私塾で学んだ後に家庭教師になった。私塾の計画が頓挫してから、三姉妹は匿名で詩集を出版するも不評だった。しかしシャーロットは小説を書き始めた。それが世に知られるようになったのも束の間、弟ブランウェルがその翌年に没し、さらにエミリーもあの世へと旅立ち、その翌年にはアンまでもが後を追うようにこの世を去った。...
  • トマス・ド・クィンシー
    トマス・ド・クィンシー(Thomas de Quincey)(1785~1859) 略歴  イギリス・マンチェスター出身の評論家。父を早くに亡くし、その多大な遺産は後見人の手に委ねられたが、後にこの後見人と対立した際には、酷く困窮するはめになった。幼い頃から優れた才能を発揮し、特に古代ギリシア語を自由自在に扱ったという。オックスフォード在学中にワーズワース、やコールリッジ、ラムなどと知り合い、特に似たところがあるコールリッジを敬愛してやまなかったという。1804年、歯痛の鎮痛のためにアヘン吸引を始め、次第に中毒に陥ってしまった。その過酷な体験を基に書かれたのが『アヘン吸引者の告白』(Confessions of an English Opium Eater,1822)である。そこには肉体と魂が蝕まれていく記録であり、また意識下の不可視、不可思議の世界を覗き込んだ者の体験が語られている。借...
  • ハーマン・ウォーク
    ハーマン・ウォーク(Herman Wouk)(1915年~ ) 略歴  ニューヨーク出身のユダヤ系作家で、両親はロシアから移住したユダヤ人。幼少期はブロンクスで過ごした。コロンビア大学で比較文学と哲学を学んだ。卒業後ラジオ脚本家となり、戦時中は羅時を広告で戦債を販売し、政府に貢献した。真珠湾攻撃が起きると、自ら志願して米海軍に入隊、太平洋戦争に従軍し、掃海艇に通信士官として搭乗した。その任務の合間に小説を書いていた。戦後結婚し、全てを執筆に捧げ、1952年にはピューリッツァー賞を受賞した。彼は執筆の際正確を期すために若手の歴史研究家を雇って参考にしていたために、歴史的な記述はかなりの部分で正確であるという。 作品  『オーロラの夜明け』(Aurora Dawn,1947)は広告業界を風刺した作品。『町の子』(The City Boy,1948)はニューヨークを舞台に子供の姿を共感を...
  • アーノルド・ウェスカー
    アーノルド・ウェスカー(Arnold Wesker)(1932~) 略歴  英国の劇作家。ロンドンの貧しい一角であるイーストエンド、ステプニー出身でユダヤ系。同時代に活躍したオズボーンやピンター、ブレイン、シリトーらと共に、怒れる若者たち(the Angry Young Men)と呼ばれた世代の作家である。貧しい労働者階級出身者で、大学教育は受けていない。兵役に服した後は、様々な職を転々とし、その後ロンドンの映画技術学校の短期コースに入った。在学中に執筆を始め、処女作が上演されると大成功を収めた。50年代から60年代いっぱいにかけて活躍した。 作品  作品は劇作42、短編4、児童文学や詩など多岐に渡る。その作品は多くの言語に訳されている。特徴は安アパートの台所などが舞台となるところで、台所流しの劇(the Kitchen Sink Dorama)と呼ばれた。代表作は処女作となった『...
  • ジェイムズ・フェニモア・クーパー
    ジェイムズ・フェニモア・クーパー(James Fenimore Cooper)(1789~1851) 略歴  「アメリカ小説の父」と称されるクーパーはニュージャージー州バーリントンに生まれた。イエール大学を中退し、その後5年間、船乗りとして生活する。この経験が後のいくつかの作品に活かされている。作家として成功を収めるが、とある事件を契機に、民主主義の一面に見られる大衆の無法な行動に憤り、厳しく批判する態度を表明した。このような秩序を尊ぶ保守的な姿勢は、作品の中にも見られる。 作品  クーパーの名を不動のものとしたのは、大森林の勇者ナッティ・バンポーを主人公とした五部作、「革脚絆物語」(Leather-Stocking Tales)であろう。面白いことにこの主人公の年齢は、物語の発表年代と順不同で登場する。最初の『開拓者』(The Pioneers,1823)では、バンポーはすでに7...
  • クリストファー・マーロゥ
    クリストファー・マーロゥ(Christopher Marlowe)(1564~1593) 略歴  大学才人の中で唯一本当の才能に恵まれていた人物。劇作家、詩人、翻訳家として活躍し、29年という駆け抜けるように生きたその短い生涯の中で、後世の作家に多大な影響を与えた優れた作品を世に送り出した。秘密結社に入った、あるいはスパイとして活動していた、はたまた二重スパイであったなど、怪しい噂に事欠かない人物で、その最期も酒の席での喧嘩で、眉間にナイフを突き刺される、という壮絶なものだった。その動機も、諜報機関による暗殺説、無神論者グループ内での内紛など、様々な説がある。 作品  処女作は『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great,1587)。ティムールの生涯を基にした、一介の羊飼いから大王へと上り詰めた男の壮大な物語で、当時スペインに追いつき追い越そうとしていた時代風...
  • レイモンド・カーヴァー
    レイモンド・カーヴァー(Raymond Clevie Carver Jr.)(1938年~1988年) 略歴  オレゴン州クラッツカニー出身。3歳の時にワシントン州ヤキマに転居した。家庭は貧しかったが高校を卒業し、その翌年には結婚、さらにその翌年にカリフォルニア州立大学チコ校に入学した。経済的には厳しかったが夜間に働きながら創作科でガードナーの教えを受け、1960年にハンボルト州立大学に移籍し文芸誌の執筆と編纂に携わった。1963年に卒業すると今度はアイオワ州立大学大学院の創作科に進むが、経済事情が原因で中退した。その後は雑役夫などをして糊口を凌いでいたが、1971年に短編が認められ、カルフォルニア州立大学バークレー校の客員教授となったが、アルコール依存症が原因で入退院を繰り返し、妻とも別居してしまった。その後、アルコール依存症を克服し、精力的に作品を発表し続けた。1980年にはシラキュ...
  • ハーマン・メルヴィル
    ハ-マン・メルヴィル(Herman Melville)(1819~1891) 略歴  ニューヨークの裕福な商人の家に生まれた。しかし父が事業に失敗したために、十分な教育が受けられなかった。教員の資格を得て小学校に勤務したりしたが、債権者から逃れるために夜逃げし、その後1839年に兄の紹介でリヴァプール航路の商戦の平水夫となった。この船員としての経験が、後々彼の作品に活かされることになった。ガラパゴス諸島やポリネシア諸島を航行するも、捕鯨船での過酷な生活に耐えかね、22歳の時仲間と脱走し、マルケサス諸島のヌクヒヴァ島の食人種タイピー族に囚われた。その後、通りかかった捕鯨船によって救われるが、今度はタヒチで暴動に巻き込まれた挙句、英国領事館に逮捕されてしまう。またもやそこも脱走し、エイメオ島に逃れ、アメリカの捕鯨船によって拾われ、ようやくハワイにたどり着いた。これまでの波乱に富んだ海洋冒険は...
  • キングスレー・エイミス
    キングレー・エイミス(Sir Kingsley Amis)(1922~1995) 略歴  南ロンドンのクラパムの下層中産階級に生まれた。オックスフォードで学び、ウェールズのスォンシー大学で英文学の講師となった。その傍ら詩や小説を発表した。1961年からはケンブリッジのフェローとなった。新大学才人(the New University Wits)の一人。 作品  『心の枠組』(A Frame of Mind,1953)は自費出版した詩集。  『ラッキー・ジム』(Luckey Jim,1954)は代表作の小説。地方の三流大学の講師であるジムは、仕事には不熱心だが日々要領よくラッキーに生きていくことを心がける青年。そんなものだから研究の成果などあるわけもなく講師の首も危なくなる。そこでなんとか上手く立ち回ろうと奔走し、周囲に事件を巻き起こしていく。この戦後の英国の若者像にフィットした作...
  • プラグイン/ニュース
    ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 【グランサガ】リセマラ当たりランキング - グランサガ攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【まおりゅう】八星之紋章交換のおすすめ交換キャラ - AppMedia(アップメディア) Among Us攻略Wiki【アマングアス・アモングアス】 - Gamerch(ゲーマチ) マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」:時事ドットコム - 時事通信 マニ...
  • ジャック・ケルアック
    ジャック・ケルアック(Jack Kerouac)(1922年~1969年) 略歴  マサチューセッツ州ローウェル出身。フランス系カナダ移民の家庭に生まれ、そのコミニティで育ったために小学校に入るまで英語を使うことなく育った。高校ではフットボールに打ち込み、推薦でコロンビア大学に進むがまもなく負傷してしまい、その道を諦め大学も退学した。戦時中は商船に乗組員として大西洋や地中海の港町を巡った。戦後は鉄道員などをしながらアメリカ各地をバロウズやギンズバーグらの仲間と放浪した。その経験を活かして書かれた『路上』の成功によって、彼と彼らビートニク(ビート・ジェネレーション)は若者たちを中心に熱狂的な支持を得た。しかし、その突然の成功への戸惑いと、彼らへの攻撃によって次第にアルコールに依存するようになって健康を害し、その上友人たちとの交流も途絶えて表舞台から姿を消していった。47歳の若さで没した。 ...
  • エドワード・オールビー
    エドワード・オールビー(Edward Franklin Albee)(1928年~) 略歴  ワシントンD.C.出身の劇作家。生後まもなく劇場経営者だったオールビー家の養子となった。家は裕福だったが家庭は温かいものではなく、それが後に彼の作品の方向を決定付けた。学校を転々とし、大学も中退した。家族からも独立し、職業を転々としながら詩作に励んだ。その後ワイルダーの勧めで劇作に転向、発表すると不条理演劇の旗手として注目されるようになった。次々と問題作を発表する傍ら、若手劇作家の育成にも力を注いでいる。またピューリッツァー賞を3度受賞している。 作品  『動物園物語』(The Zoo Story,1958)が処女作で、これが1959年にベルリンで上演されたことで注目を集めた。ニューヨークの公園を舞台に、社会と他人とから断絶され孤立した男ジェリーが、安定した生活を送る中年の男ピーターを不条...
  • T・S・エリオット
    T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot)(1888~1965) 略歴  ミズーリ州セントルイス出身。ハーヴァード大学で学び、在学中から学内誌に寄稿していた。ソルボンヌ大学で仏文学と哲学を学び、帰国後はハーヴァード大学で哲学科の助手となった。1914年に留学生としてドイツに赴くが、第一次大戦の戦火を逃れてロンドンにに行き、オックスフォード大学で哲学を学んだ。以来、彼はロンドンに定住することとなった。その頃大きな影響を受けることになるパウンドを訪問し、彼の助力によって詩を雑誌に発表し、また評論家としても活躍を見せた。その後1927年に正式にイギリスに帰化し、英国国教会に帰依した。1947年にノーベル文学賞を受賞し、勲功賞も得た。自らを「文学においては古典主義者、政治においては王党派、宗教においてはアングロ・カトリック」とその保守性を明確に規定していた。1965年、呼吸器...
  • ラルフ・ウォルド・エマソン
    ラルフ・ウォルド・エマソン(Ralph Waldo Emerson)(1803~1882) 略歴  マサチューセッツ州コンコードに代々続く牧師の家に生まれる。ハーヴァード大学卒業後、コットン・マザーも牧師を務めたボストン第二教会の牧師となった。ところが聖餐式の儀式に反対し、牧師の職を辞することにった。その後、ヨーロッパに渡り、ワーズワースやコールリッジ、カーライルらと交わり、影響を受けた。  帰国するとコンコードに住み、「自然」についての講演を始める。彼の主意には共鳴する人々が集まり、その中にはソローもいた。彼らはトランセンデンタル・クラブと呼ばれ、機関紙である『ダイアル』に思想や詩を発表するようになった。彼らの活動は後世の作家や詩人に大きな影響を与えることになった。 作品  エマソンの著作では『自然論』(Nature,1836)がよく知られている。この中で彼は自然と直接交わるこ...
  • アリス・ウォーカー
    アリス・ウォーカー(Alice Malsenior Walker)(1944年~ ) 略歴  ジョージア州イートントン出身のアフリカ系アメリカ人の女流作家(他にもスコットランド系、アイルランド系の血も入っている)。スペルマン大学、サラ・ローレンス大学を卒業。1967年にフェミニズム活動家と結婚するも後に離婚。娘のレベッカもまた作家となった。最初の詩集は在学中に書かれた。公民権運動で作家活動を一時中断していたこともあった。その後フェミニスト雑誌へ参加することで執筆を再開、その後『カラー・パープル』で大きな反響を呼び、ピューリッツァー賞を獲得した。その一方で、アフリカ系アメリカ人の文化や民間伝承に深い関心を示し、その発掘と再評価に努めている。またこれまで評価されてこなかったアフリカ系アメリカ人作家の再評価のきっかけともなった。 作品  『むかし』(Once,1967)は第一詩集。翌年処...
  • 人名索引/ハ行
    人名索引/ハ行 ハーディ(Thomas Hardy)英 バイロン(George Gordon Byron,6th Baron)英 ハクスリー(Aldous Leonard Huxley)英 ハドソン(William Henry Hudson)英 バトラー(Samuel Butler)英 バニヤン(John Bunyan)英 ピール(George Peel)英 フィールディング(Henry Fielding)英 ブーシコー(Dion Boucicault)米 フォースター(Edward Morgan Forster)英 フォード(John Ford)英 ブライアント(William Cullem Bryant)米 ブラウニング(Robert Brouwning)英 ブラウニング夫人(Elizabeth Barret Brouwning)英 ブラウン(Charles Brockden Brow...
  • ウォルト・ホイットマン
    ウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)(1819~1892) 略歴  ニューヨーク州ロングアイランド出身。アメリカ最大の詩人と称される。貧しい家庭であったため、早くから働き始める。ジャーナリスト、教師、公務員など様々な職業に従事した。高等教育は受けていないが、印刷工をしていて文学に親しんだといわれている。南北戦争が勃発すると、彼は志願して北軍の看護兵として参加する。その時、戦場の悲惨な光景に衝撃を受け、その後はニューヨークへは戻らず、ワシントンD.C.に行き、陸軍病院に勤務する。その後は自らの詩が足枷となって、職を失ったり逃したりしていたが、最終的には法務長官事務局に1872年まで勤務する。翌1873年に脳卒中に倒れ、また介護していた高齢の母が亡くなったことも重なり、酷い精神的打撃を受ける。晩年はライフワークである『草の葉』の増補改訂を続け、1892年に没する。 作品 ...
  • 作品索引/ア行
    作品索引/ア行 『ああ、荒野』(Ah, Wilderness)米 『アーサー・マーヴィン』(Arthur Mervyn)米 『アーロンの杖』(Aaron s Rod)英 『アーロン・バアの英雄的生涯』(Burr)米 『アイヴァンホー』(Ivanhoe)英 『愛こそすべて』(All for Love)英 『愛されし者』(The Loved One)英 『愛について語るときに我々の語ること』(What We Talk About When We Talk About Love)米 『愛には愛を』(Love for Love)英 『愛の芸術』(The Art of Love)米 『愛の車輪』(The Wheel of Love)米 『愛のために 1950-1960』(For Love Poems 1950-1960)米 『アイリーン』(Irene)英 『アイルランド・スケッチブック』(The I...
  • トマス・グレイ
    トマス・グレイ(Thomas Gray)(1716~1771) 略歴  古典文学者、詩人。ケンブリッジの研究員、後に教授になった。この時代の風潮にあった静謐な詩が特徴で、特に『墓畔の哀歌』(An Elegy Written in a Country Churchyard,1751)が有名。繊細な性格で、常に正確で完璧な表現を追い求め、寡作ながらも評価は高い。
  • ハリエット・ビーチャー・ストウ
    ハリエット・ビーチャー・ストウ(Harriet Elizabeth Beecher Stowe)(1811~1896) 略歴  コネティカット州リッチモンドに生まれる。父は説教師で奴隷制反対論者であった。兄弟からも聖職者を出し、結婚した相手も聖職者であったことから、彼女の作品にはキリスト教の強い影響が見られる。 作品  ストウ夫人は10作以上の作品を発表しているが、よく知られているのは処女作の『アンクル・トムの小屋』(Uncle Tom s Cabin,1852)である。この作品は奴隷解放問題を正面から扱った小説であり、またアフロ・アメリカンを主人公にした最初の小説でもある。この作品によって、奴隷解放問題はさらに加速され、南北戦争に突入していくことになる。後にリンカーンがストウ夫人に会った際に、「あなたのような小さな方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね」と述べたといわれている...
  • エリザベス・バレット・ブラウニング
    エリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning)(1806~1861) 略歴  ダラムの出身。かなりの早熟で、8歳の頃に原語のギリシア語でホメロスを読むほどだったという。ギリシア語とラテン語は独学だった。14歳にして私費ではあったが処女作を出版した。しかし15歳の時、落馬が原因で脊椎を損傷し、以来病弱になり引きこもった生活を送るようになった。1845年、彼女の詩に感動したブラウニングが手紙を送ったことから、二人は互いに好意を抱くようになり、翌年に結婚、イタリアへ駆落ちした。1961年、フィレンツェにてその生涯を閉じた。作品には夫への愛情に満ちた44編のソネット集『ポルトガル語からのソネット』(Sonnets from the Portugese,1850)、9巻からなる大作で社会問題・婦人問題を論じた『オーロラ・リー』(Aurora Leigh,...
  • ウィリアム・ブレイク
    ウィリアム・ブレイク(William Blake)(1757~1827) 略歴  ロンドン生まれの画家、詩人、銅版画職人。靴下商人の子として生まれた。幼い頃からしばしば幻覚を見たという。画家として頭角を現し、銅版画家や挿絵画家として生計を立てていた。後に新たな印刷手法を開発した。幻視者と呼ばれることもあり、その詩作品には彼独自の神話体系に基づいた登場人物が見られる。晩年はダンテに傾倒し、病床で『神曲』の挿絵を死ぬまで描き続けた。 作品  ブレイクは、政治や宗教、思想、慣習といった、制度として自由を抑圧する存在を悪だとした。  『セルの書』(The Book of Thel,1789)は初期の清純な詩風の作品。人生の虚ろさを嘆く少女セルの前に、スズランや土くれなどが現れ、とるにたらない存在にさえ神の不滅の命が宿っているのだと教える。  『無垢の歌』(Songs of Innoce...
  • ジョナサン・スウィフト
    ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)(1667~1745) 略歴  アイルランド、ダブリン出身。政界、宗教界での栄達を夢見るものの上手くいかず、最後はダブリンの聖パトリック教会の司祭長を務めた。風刺作家、随筆か、パンフレット作家、詩人として非常に多作であったが、生涯を通じて私憤と公憤が激しく入り混じっていた。またその内容の過激さから、多くの筆名を使い分けたり、匿名で発表されたりした。その出版には友人であったポープらの尽力したという。晩年は死の影に怯えるようになり、自らの死を悼む詩を書いたり、あるいは自らの死亡記事を出すなど奇行が目立った。また自分の墓碑銘を生前に自ら書いていたことでも有名。 作品  多作な人であったが、彼の特徴が最も出ているのは風刺文学においてだろう。初期に書かれた『桶物語』(A Tale of a Tub,1704)は、カトリック、プロテスタント...
  • ジョゼフ・コンラッド
    ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)(1857~1924) 略歴  ポーランド出身で船乗りを経て作家に転身し英国に帰化した、異色の経歴の作家。幼い頃に父がポーランドの独立運動に絡んで、シベリア送りにされ早くに両親を失くす。文学を愛好していた父の本を、幼い頃から読みふけっていたという。16歳の時、船乗りとなる。船乗り時代にはかなり危ない橋を渡ったらしく、その経験は後の作品に活かされている(いくつかのエピソードに関しては創作との説もある)。努力して英語を覚え、批評家・編集者であるフォード(Ford Madox Ford,1873~1939)の助力で処女作を出版したのは、40歳の時であった。彼はロシア語、ポーランド語、フランス語、そして英語を話せたが、それは主に必要に迫られて現場で学んだものであり、そのために言い回しなどが独特の雰囲気をかもし出している(それが最後に習得した英語に...
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