ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「メアリ・シェリー」で検索した結果

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  • メアリ・シェリー
    メアリ・シェリー(Mary Shelley)(1797~1851) 略歴  父は無神論者でアナーキストのウィリアム・ゴドウィン、母は女権論者のメアリ・ウルストンクラフトという、特異な家庭に生まれた。詩人のシェリーと出会い、彼にはまだ妻がいたにもかかわらず駆け落ちした。その生涯は、子に先立たれたり、また夫のシェリーを不慮の事故で亡くすなど、必ずしも幸福ではなかったかもしれない。 作品  スイスのジュネーヴ近郊の湖畔でバイロン、ポリドリと落ち合ったが、天候不順でどこにも行けず、気晴らしに一人一作ずつ怪奇小説を書くことになった。これが後にディオダディ館の怪奇談義などと呼ばれるものである。バイロンはごく短い話を書き、後に詩集に収録した。後にそれをポリドリが小説に発展させ、バイロン名義で発表した。夫の(正確にはまだ妻がいたので結婚したのはこの後だが)シェリーはそうそうに投げ出してしまったが、...
  • パーシー・シェリー
    パーシー・シェリー(Percy Bysshe Shelley)(1792~1822) 略歴  ロマン派の詩人。富裕な貴族の長男として生を受ける。自由奔放で過激な行動が目立ち、常に周囲からの非難にさらされた。オックスフォード在学中に過激なパンフレットを発行し、放校処分となる。常識的な価値観(愛や結婚など)を無視し、感情のおもむくままに行動した結果、メアリと駆け落ち同然で旅に出、最初の妻は自殺に追い込まれた。このことで世間からはごうごうたる非難を浴びた。バイロンやキーツ、ラム、ハズリットらと交友関係を結んだ。故国を離れて詩作に励むが、乗船していたヨットが暴風雨によって転覆、短い生涯を閉じた。バイロンら数人の友人が火葬に立ち会ったという。 作品  彼が学生時代に書き、そのために退学に追い込まれたのは『無神論の必然性』(The Necessity of Atheism,1811)は、無政府...
  • リチャード・シェリダン
    リチャード・シェリダン(Richard Brinsley Sheridan)(1751年~1816年) 略歴  アイルランド出身の劇作家で、ホイッグ党員でもあった。父はダブリンの王立劇場の俳優兼監督、母は作家であった。ロンドンで劇作家として活動を始め、最初の作品は『恋がたき』(The Rivals,1775)でこれは彼自身の華やかな恋愛体験を基に書かれた。彼の代表作は『悪口学校』(The School for Scandal,1777)であろう。恋愛、求婚に財産問題が絡み合い、さらに相手の兄弟の性格設定(一見真面目そうな兄が偽善者で、放蕩者という評判弟は気立てがよい)が加わり、より複雑なものになっている。そして親戚や友人の悪口が状況をさらに混乱させていく。なお、シェリダン・レ・ファニュ(怪奇小説『カーミラ』の作者)は又甥に当たる。
  • 年表(19世紀)
    ...ed) 1818 メアリ・シェリー(Mary Shelley,1797-1851)『フランケンシュタイン』(Frankenstein) ベンジャミン・フランクリン『自叙伝』(The Autobiography) ジェーン・オースティン『ノーサンガー・アビー』(Northanget Abbey) ジョン・キーツ(John Keats,1795-1821)『エンディミオン』(Endymion)『ハイピアリアン』(Hyperion) ウォルター・スコット『ミドロージアンの心臓』(The Herat of Midlothian) 1819 パーシー・シェリー『西風に捧げるオード』(Ode to the West Wind) ジョン・キーツ『ハイピアリアンの失墜』(The Fall of Hyperion a Dream) ウォルター・スコット『ラマムアの花嫁』(Th...
  • シェリダン・レ・ファニュ
    シェリダン・レ・ファニュJoseph Sheridan Le Fanu(1814~1873) 略歴  アイルランド、ダブリンの貴族出身の小説家。身内に劇作家、小説家が多い。法学を学ぶもジャーナリストを志し、雑誌に多くの作品を連載した。その作品で最も有名で世界中で読まれているのが『カーミラ』(Carmilla,1872)である。この作品はアイルランドに古くからある吸血鬼伝承を基に書かれたもので、主人公の回想という形で描かれる、女吸血鬼カーミラの物語である。後にストーカーの『ドラキュラ』に多大な影響を与えたという。
  • 人名索引/サ行
    人名索引/サ行 サッカレー(William Makepeace Thackeray)英 シェイクスピア(William Shakespeare)英 ジェイムズ(Henry James)米・英 シェリー(Percy Bysshe Shelley)英 シェリー(Mary Shelley)英 シェリダン(Richard Brinsley Sheridan))英 ジョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates)米 ジョンソン(Ben Jonson)英 ジョンソン(Samuel Johnson)英 シリトー(Alan Sillitoe)英 スウィフト(Jonathan Swift)英 スウィンバーン(Algernon Charles Swinburne)英 スコット(Sir Walter Scott)英 スターン(Laurence Sterne)英 ストウ(Harriet Eliza...
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • 作品索引/マ行
    作品索引/マ行 『マージョリー・モーニングスター』(Marjorie Morningstar)米 『マーディ』(Mardi)米 『マーティン・チャズルウィット』(Martin Chuzzlewit)英 『マーミオン』(Marmion)英 『マイラ』(Myra Breckinridge)米 『マイルズ・スタンディッシュの求婚』(The Courtship of Miles Standish)米 『マクシマス詩篇』(Maximus Poems)米 『マクベス』(Macbeth)英 『負けるが勝ち』(She Stoops to Conquer)英 『まじめが肝心』(The Importance of Being Earnest)英 『また会う日まで』("Until I Find You")米 『間違い続きの喜劇』(The Comedy of Errors)英 『町と都会』(T...
  • エリザベス・ギャスケル
    エリザベス・ギャスケル(Elizabeth Cleghorn Gaskell)(1810~1865) 略歴  ユステニアン派の元牧師の家に生まれた。旧姓はスティーヴンソン。1歳で母を亡くし、伯母の家に引き取られた。その後、父と兄を相次いで亡くすが、21歳で牧師であるウィリアム・ギャスケルと結ばれた。しかし、34歳になってようやく授かった長男が9ヶ月で病死すると、失意のどん底に突き落とされた。ところが失意の中で夫に勧められて書き綴った処女作が、世間で大好評を得、一躍時の人となった。著名な作家たちとも親しく交友を深め、その中にはチャールズ・ディケンズやエリオット、シャーロット・ブロンテらがいた。55歳の時、当時手がけていた作品の完成間近で、別荘で急死。 作品  いくつかの長編の他、多数の中短編を書いたが(チャールズ・ディケンズの雑誌で発表されたものも多い)、同時代の巨匠と呼ばれるような...
  • シェイクスピア(4)
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 第4期―穏やかな日々(1609~1612)  時代は移り変わり、ベン・ジョンソンら新しい時代の担い手が台頭していた。しかしシェイクスピアはすでに独自の地位を築いており、今更彼らと火花を散らして主役の座を狙おうとはしなかった。この頃書かれた作品は穏やかな心情で、力みのないもので、代表的なのはロマンス劇と呼ばれる『シンベリン』(Cymbeline,1609-1610)、『冬物語』(Winter s Tale,1610-1611)、『あらし(テンペスト)』(Tempest,1611-1612)の3作である。 共通するのはリアリズムとはかけ離れた、おとぎ話的な世界である。前期に深淵をのぞき込み、人間に対し絶望感すら抱いたかに見えた彼が、晩年に至ってごく穏やかな気持ちに、人間の愚かさも醜さも全て認めた上で...
  • ジョン・キーツ
    ジョン・キーツ(John Keats)(1795~1821) 略歴  ロマン派の詩人。その中では最も若い方であり、また最も早くに死んだ。バイロン、シェリーらが貴族階級の出身であったのに対し、彼は貸馬車屋の息子であった。だが両親とは幼くして死別、大学に行くことなど夢のまた夢で、友人から文学書を借りて独学で学んだ。特にスペンサーを始めとするエリザベス朝詩人の作品に耽溺したという。21歳頃に文学を志してから、彼が詩人として活躍したのは、わずか5年足らずに過ぎない。母や弟も肺結核で亡くし、そしてまた自らもその病に冒された。残りわずかな生命の火を燃やし尽くすように、珠玉の名作を世に残し燃え尽きた。彼の遺言によりその墓石には「その名を水に書かれし者ここに眠る」(Here lies one whose name was writ in water.)と刻まれている。 作品  非常に短い生涯だった...
  • シェイクスピア(2)
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 第2期―独壇場(1595~1600)  この頃はシェイクスピアの絶頂期とも言える時期で、演劇界は彼の一人舞台であった。この時期の作品としては、喜劇と史劇が多い。喜劇では『ヴェニスの商人』(The Merchant of Venice,1596-1597)という名作が生まれた。これはマーロゥの『マルタ島のユダヤ人』を種本の一つとしており、ユダヤ人が最終的に酷い目に合うという大筋は同じである。しかしこの『ヴェニスの商人』は「シャイロックの悲劇」と言われるほど、シャイロックに同情的とも見える内容を含み、当時客席に思わず涙する人がいたと言われるほど、登場人物の個性や複雑な感情が見事に描かれている。しかしだからといってシェイクスピアがユダヤ人に特別寛容であったり、人種差別に反対していたというわけではない。逆...
  • シェイクスピア
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 略歴  エリザベス朝演劇を代表する劇作家、詩人。その生涯については不明な点が多い。1580年代の半ば頃にロンドンに出たとされるが確証はない。当初は劇団の俳優をしていたらしいが、その後芝居を書き直す仕事も兼ねるようになる。その才覚が認められ、1590年頃にはオリジナル作品を手がけるようになった。とはいえ彼の(というよりも劇作家はすべからく)作品には、いわゆる種本というものがあり、その骨格に彼の優れた想像力からなる血肉を加付けえ、独自の生きた演劇に仕上げてしまう天才であった。しかしながら歴史や地理の知識にはそれほど詳しくはなかったようで、特に海外を舞台とした作品では、多くの事実誤認が認められる。彼の作品は概ね4つの段階に分けることができる。 第1期―新進気鋭作家(1990~1995)  シェイク...
  • ジョージ・エリオット
    ジョージ・エリオット(George Eliot)(1819~1880) 略歴  イギリス中西部ウォリックシャー出身。本名はメアリ・アン・エヴァンスであり、女性であるが筆名は男性名を名乗った。13歳で入学した学校が、非常に宗教色の強い学校で、彼女は清教徒的な教育を受けることとなった。しかし翌年には母が没し、父の面倒を見るために彼女は退学を余儀なくされた。その後本を読む傍ら、独学で語学を学びギリシア、ラテン、ヘブライ、ドイツ、フランス、イタリアの各言語を習得したという。とりわけドイツ語とドイツ思想に傾倒し、それが彼女の精神形成に大きな影響を与え、清教徒よりの信仰からの脱却と自由思想への転身のきっかけとなった。その後ロンドンでウェストミンスター・レヴュー誌の副主筆となる。私生活では知人の紹介で知り合った哲学者のジョージ・ヘンリー・ルーイスと交際するようになった。彼は既婚であったが、その妻と離婚...
  • チャールズ・ラム
    チャールズ・ラム(Charles Lamb)(1775~1834) 略歴  ロンドン出身。ロンドンの東インド会社に勤務した。姉メアリが精神を病んでからは、その保護者となった。生涯独身で過ごしたが、それは祖父から精神病の遺伝を受けているのではないか、という恐れからだったという。実際に姉は時折精神に異常をきたしていたとうから、彼の感じやすい心が受けた影響は大きかっただろう。姉との共著である『シェイクスピア物語』(Tales from Shakespeare,1807)が有名。そんな彼が書き綴ったのが『エリア随筆集』(Essyas of Elia,1823)と『続エリア随筆集』(Last Essyas of Elia,1833)である。これはロンドン・マガジンに「エリア」という筆名で投稿したエッセイをまとめたものである。その透徹した文章は、エッセイ文学の傑作として知られている。
  • シェイクスピア(3)
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 第3期―深淵をのぞき込む(1601~1609)  この頃、英国は目に見えない不安に苛まれていた。当1時、英国を治めていたのはエリザベス1世であったが、彼女は未婚のままとうとう70近くになっていた。国民は後継者が誰になるのか、あるいはその際の混乱について、漠然と不安を抱えていたのである。そして老女王が没すると、スコットランドからジェームズ6世が迎えられ、ジェームズ1世として即位したが、国民の反応は冷淡だった。  そんな陰鬱な空気が忍び寄ってきた時代に世に出たのが、かの有名な4大悲劇である。社会不安が悲劇の生まれる要因の一つではあったが、それよりも個人的なもの、シェイクスピアが作家として円熟期に差し掛かった、ということも大きいだろう。  まず最初に書かれたのが『ハムレット』(Hamlet,1600...
  • ジョージ・バイロン
    ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron,6th Baron)(1788~1824) 略歴  ロマン派の第二世代を代表する詩人。幼くして第6代バイロン卿となる。ケンブリッジに入学するも放蕩に明け暮れた。ケンブリッジを去ると西欧諸国を旅した。この旅行の経験を基に『チャイルド・ハロルドの遍歴』を発表、評判となり一躍社交界の寵児となった。その後結婚するものの乱れた生活は改まらずに別居、彼は再び旅に出、スイスでシェリーと出会う。その後も退廃に満ちた生活を送るが、1824年にギリシア独立戦争に参加するも、熱病のために没する。その生涯も作品もロマン派的性格を分かりやすく体現していたため、世間からの非難は凄まじかった。その一方で崇拝者も多く、ゲーテやプーシキンも彼の熱烈な信奉者であったという。 作品  ロマン派の第二世代は第一世代(ワーズワース、コールリッジら)とは...
  • ロイアル・タイラー
    ロイアル・タイラー(Royall Tyler)(1757~1826) 略歴  ボストンの裕福な商家に生まれ、ハーヴァード大学を卒業後に独立戦争に参加、その後法律家となる。もともと芸術に関心があった彼は、ニューヨークを訪れた際にアメリカン・カンパニ-(アメリカ最初の劇団)の人気喜劇役者トマス・ウィグネルと知り合い、それがきっかけでわずか三週間で『コントラスト』を書き上げた。これが上演されるとたちまち評判となり、数多くの作品を世に送り出すこととなった。劇作だけでなく、小説やエッセイも執筆したが、その一方でヴァーモントの最高裁判所裁判長や、ヴァーモント大学の法律学教授を務めるなど、作品以上に多彩な一生を送った。 作品  代表作『コントラスト』(The Contrast,1787)はニューヨークを舞台に、無骨だが誠実な軍人マンリーとイギリスかぶれの似非紳士ディンブルを対置した恋愛喜劇である...
  • マクスウェル・アンダソン
    マクスウェル・アンダソン(Maxwell Anderson)(1888~1959) 略歴  ジャーナリストだった経歴を生かして、20年代に反戦劇などの社会的関心の強い散文劇で名声を得る。その後30年代に入ると韻文劇に転じ史劇や喜劇、悲劇を発表し、オニールに次ぐ演劇界の大御所となる。戦後も活躍を続けたものの、戦前ほどの作品はない。 作品  『栄光何するものぞ』(What Price Glory?,1924)は反戦をテーマとした散文劇。  『女王エリザベス』(Elizabeth the Queen,1930)、『スコットランドのメアリー』(Mary of Scotland,1933)、『フォージ渓谷』(Valley Forge,1934)は韻文詩劇。  『岩頂荘』(High Tor,1937)は機械文明を風刺する喜劇。  『ウィンターセット』(Winterset,1935)は、サ...
  • アルフレッド・テニスン
    アルフレッド・テニスン(Lord Alfred Tennyson)(1809~1892) 略歴  ヴィクトリア朝を代表する詩人。牧師の子として生まれ、ケンブリッジに学ぶ。在学中から詩作を志すも、世に酷評されしばらくの間沈黙を守った。学友であったハラムと大陸旅行に赴くも、彼が急死し衝撃を受ける。それが彼の詩と思想に多大な影響を及ぼすことになった。次第に名声を高め、1850年にはワーズワースの後を継いで桂冠詩人となった。その後も精力的に優れた詩作品を発表し、国民詩人としての地位を確立、1884年には男爵位を授けられた。 作品  テニスンの詩の特徴は、分かりやすい思想を分かりやすい言葉で表現したところである。そしてその美しい音楽的な韻律である。初期の『抒情詩集』(Poems, Chiefly Lyrical,1830)、『詩集』(Poems,1833)はあまり良い評価は得られなかった。そ...
  • エドワード・オールビー
    エドワード・オールビー(Edward Franklin Albee)(1928年~) 略歴  ワシントンD.C.出身の劇作家。生後まもなく劇場経営者だったオールビー家の養子となった。家は裕福だったが家庭は温かいものではなく、それが後に彼の作品の方向を決定付けた。学校を転々とし、大学も中退した。家族からも独立し、職業を転々としながら詩作に励んだ。その後ワイルダーの勧めで劇作に転向、発表すると不条理演劇の旗手として注目されるようになった。次々と問題作を発表する傍ら、若手劇作家の育成にも力を注いでいる。またピューリッツァー賞を3度受賞している。 作品  『動物園物語』(The Zoo Story,1958)が処女作で、これが1959年にベルリンで上演されたことで注目を集めた。ニューヨークの公園を舞台に、社会と他人とから断絶され孤立した男ジェリーが、安定した生活を送る中年の男ピーターを不条...
  • スタンリー・エルキン
    スタンリー・エルキン(Stanley Elkin)(1930年~1995年) 略歴  ニューヨーク、ブルックリン出身のユダヤ系作家。後にワシントン大学教授となった。ユダヤ系作家の宿命的な重い現実に裏打ちされた知的なユーモアと言葉遊びを得意とした。1960年代~70年代に活躍した反リアリズム的な作家の一人。 作品  『ボズウェル』(Boswell A Modem Comedy,1964)は処女長編。  『グチ人間とオセッカイ人間』(Criers and Kibitzers, Kibitzers and Criers,1966)は短編集。  『悪い男』(A Bad Man,1967)は代表作で、ユダヤ系のデパートの社長が、突如逮捕されてしまうという物語。  他に『ディック・ギブソン・ショー』(The Dick Gibson Show,1971)などがある。
  • 作品索引/サ行
    作品索引/サ行 『サーカスの息子』(A Son of the Circus)米 『サーシス』(Thyrsis)英 『最後の回転木馬』(The Last Carousel)米 『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel)英 『サイダーハウス・ルール』(The Cider House Rules)米 『サイラス・マーナー』(Silas Marner)英 『詐欺師』(The Confidence-Man)米 『サスペンス』(Suspense)英 『砂漠の音楽とその他の詩』(The Desert Music and Other Poems)米 『サフィラと奴隷娘』(Sapphira and the Slave Girl)米 『醒めて唄え!』(Awake and Sing!)米 『さようならウサギ』(Rabbit at Rest)米 『猿と本質』(Ape and...
  • ロバート・グリーン
    ロバート・グリーン(Robert Greene)(1558~1592) 略歴  大学才人の一人。在学中に書いた小説『マミリア』(Mamillia,1583)で文名を得る。後に劇作に転向し『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia,1588)、『ベイコン修道士とバンゲイ修道士』(Friar Bacon and Friar Bungay,1594)などを書いた。他に『兎取り読本』シリーズのような裏社会を暴露するようなパンフレット、そして晩年の『多大な後悔で購われたわずかな知恵』A Groatsworth of Wit Brought with a Million of Repentance,1592)という告白を書いた。『パンドスト王』はシェイクスピアの『冬物語』の基になったと考えられる。大学才人の中にはシェイクスピアを快く思っていない者が多く、グリーンは前...
  • アラン・シリトー
    アラン・シリトー(Alan Sillitoe)(1928~ ) 略歴  ノッティンガム出身。なめし皮職人の子として生まれる。14歳の時には学校を出て、自転車工場で働き始める。その後19歳で空軍に入隊。無電技師としてマラヤに派遣されたが、病を得て本国へ送還、1年半に渡ってサナトリウムで療養生活を送る。この間、本人曰く「気が狂わないように、気が狂うほどのたくさんの本を読んだ」という。特に同郷で同じく労働者の子として生まれたロレンスに強い影響を受ける。同時期に活躍したことから、オズボーンなどのいわゆる怒れる若者たち(the Angry Young Men)の中に含まれることもあるが、結局のところ彼らの怒りは次第に衰えていった。それに対してシリトーだけはなおも怒り続けている。むしろそれよりも後の労働者階級出身の作家たちと多くの共通点を持つが、本人は「労働者作家」と呼ばれることを嫌い、自ら「脱階級...
  • ジョン・リリー
    ジョン・リリーJohn Lyly(1554~1606) 略歴  オックスフォード、ケンブリッジ両大学で学んだ大学才人。政治家として働く傍ら文筆活動をした。それらの作品は全て上流階級に向けて書かれたもので、宮廷内での栄達を図ったが、成功しなかった。彼の作品の特徴は、比喩や典故、頭韻などを駆使し、華麗に装飾を施した、非常に人工的な文体を実験的に導入したところにある。今日では美文の代名詞となっているユーフュイズムという言葉は、彼の書いた散文ロマンス『ユーフュイーズ』(Euphues,1578)から生まれた。劇作家としては『キャンパスピ』Campaspe,1584、『エンデュミオン』(Endimion,1591)などを発表した。一定の才能は示したものの、結局はシェイクスピア登場の露払いを務めたに過ぎなかった。 戻る
  • 年表(1950~2000)
    西暦 英文学 米文学 1950 アンジア・イージアスカ『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on White Horse My Story) ウィリアム・インジ(William Motter Inge,1913-1973)『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba) テネシー・ウィリアムズ『ストーン夫人のローマの夏』(The Roman Summer of Mrs. Stone)『バラの刺青』(The Rose Tattoo) ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』(The Caine Multiny) ロバート・ペン・ウォレン『この世も時も』(World Enough and Time) クリフォード・オデッツ『カントリー・ガール』(The Country Girlfa) トルーマン・カポーティ『草の竪琴』(The G...
  • ヘンリー・アダムズ
    ヘンリー・アダムズ(Henry Brooks Adams)(1838~1918) 略歴  アメリカの作家、思想家、歴史家。ボストン出身。曽祖父と祖父は大統領、父は駐英公使という名家の出身。ハーバード大学で学び、その後ベルリン大学に留学した。父の秘書を七年間務め、その後帰国して母校の講師となり、ヨーロッパ中世史とアメリカ史を教えた。政界とも深く関わるが1985年の妻の自殺をきっかけに職を辞し、世界各地を旅した。アメリカ政界と民主政治への絶望し、それを自らの新しい史観によって説明しようと試みた。 作品  『デモクラシー』(Democracy,1880)は民主主義社会への絶望と、資本主義と科学が政治や宗教を腐敗させていく姿を描いている。『エスター』(Esther,1884)も同様のテーマ。  『ジェファソンとマディソン統治時代の合衆国史』(History of the United S...
  • ヒュー・シーモア・ウォルポール
    ヒュー・シーモア・ウォルポール(Sir Hugh Seymour Walpole)(1884~1941) 略歴  ニュージーランド出身。牧師の子として生まれた。ケンブリッジを卒業後、牧師となった。それまでにも書評を書いたりしていたが、1909年に小説家に転身した。後にサーの称号を授与された。 作品  『ペリン氏とトレイル氏』(Mr. Perrin and Me. Traill,1909)が処女作。学校教師の生活を描いた。  『不屈の魂』(Fortitude,1913)。  『ジェレミー』(Jeremy,1919)、『ジェレミーとハムレット』(Jeremy and Hamlet,1923)、『揺りかごの中のジェレミー』(Jeremy at Cradle,1927)は自伝的な長編3部作。  『悪漢ヘリズ』(Rogue Herries,1930)、『ジュディエット・パリス』(Jud...
  • ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ
    ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ(Henry Wadsworth Longfellow)(1807~1882) 略歴  アメリカの最初の国民詩人と呼ばれるロングフェロウは、メイン州ポートランドに生まれる。ボードン大学で学び、同級生にはホーソーンがいた。生来語学の才に秀でており、同大学の教授職についてからも、欧州へ研究のために旅行し、研鑽に励んだ。後1836年に招かれて、ハーヴァード大学の教授となる。それからはケンブリッジに住んだ。それまでも詩作は行っていたが、1854年に教授職を退職し、著述に専念する。彼は詩作で生計を立てられた、アメリカの最初の詩人でもあった。1861年、二番目の妻が不慮の事故で亡くなると、強い衝撃を受け、生涯その思いを引きずることとなった。1882年、腹膜炎で没する。 作品  ロングフェロウは古典に造詣が深く、また語学も堪能であったため、様々な詩形・韻律を自...
  • プラグイン/ニュース
    ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 【グランサガ】リセマラ当たりランキング - グランサガ攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【まおりゅう】八星之紋章交換のおすすめ交換キャラ - AppMedia(アップメディア) Among Us攻略Wiki【アマングアス・アモングアス】 - Gamerch(ゲーマチ) マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」:時事ドットコム - 時事通信 マニ...
  • アリス・ウォーカー
    アリス・ウォーカー(Alice Malsenior Walker)(1944年~ ) 略歴  ジョージア州イートントン出身のアフリカ系アメリカ人の女流作家(他にもスコットランド系、アイルランド系の血も入っている)。スペルマン大学、サラ・ローレンス大学を卒業。1967年にフェミニズム活動家と結婚するも後に離婚。娘のレベッカもまた作家となった。最初の詩集は在学中に書かれた。公民権運動で作家活動を一時中断していたこともあった。その後フェミニスト雑誌へ参加することで執筆を再開、その後『カラー・パープル』で大きな反響を呼び、ピューリッツァー賞を獲得した。その一方で、アフリカ系アメリカ人の文化や民間伝承に深い関心を示し、その発掘と再評価に努めている。またこれまで評価されてこなかったアフリカ系アメリカ人作家の再評価のきっかけともなった。 作品  『むかし』(Once,1967)は第一詩集。翌年処...
  • ベン・ジョンソン
    ベン・ジョンソン(Ben Jonson)(1572~1637) 略歴  シェイクスピアのライバルとみなされ、そして次の時代を担ったのがこのベン・ジョンソンである。彼は大学才人らとは違い、シェイクスピアを敬愛し、また互いに満足に教育を受けていないことから、共感めいたものもあったのかもしれない。彼は独学で劇作を学んだが、その知識の質と量においては、シェイクスピアを凌駕した。後にシェイクスピアのことを「ラテン語はあまり知らず、ギリシア語はもっとお粗末(small Latin and less Greek)」だったと言えるほどである。しかし、演劇自体が斜陽の時代を迎えており、次第に衰退していく運命にあった。その風刺的な内容から頻繁に同業者と騒動を起こし、俳優と決闘の末に相手を殺してしまい、危ういところで死刑を逃れたこともあった。また作品上でもしばしば舞台喧嘩(stage quarrel)を繰り広...
  • ジョージ・オーウェル
    ジョージ・オーウェル(George Orwell)(1903~1950) 略歴  インドのベンガル出身。本名はエリック・ア-サー・ブレア(Eric Arthur Blair)。父はベンガルで阿片の栽培と販売に携わっていたが、母や子らはイギリスに帰国し母子家庭だった。幼い頃から学業に秀でていたようで、奨学金でウェリントン・カレッジで学び、後イートン・カレッジに転向した。1922年にマンダレーでインド警察の訓練所に入り、各地で5年間勤務したが、次第に嫌気が差し1927年に帰国、辞表を出した。この当時の経験は後の作品にも生かされている。その後ルポライターを目指し、パリやロンドンを放浪し著作を発表した。スペイン内戦が起こると、義勇兵として参加しファシズム軍と戦った。前線で喉に貫通銃創を受け辛うじて命を取り留めた。戦況の変化により治癒後にフランスに脱出した。その後はエッセイや評論によって名声を得た...
  • 年表(1901~1949)
    西暦 英文学 米文学 1901 ラドヤード・キプリング『キム』(Kim) フランク・ノリス『蛸』(The Octppus) H・G・ウェルズ『神々の糧』(The Food of the Gods) トマス・ハーディ『過去と現在の詩集』(Poems of the Past and the Present) 1902 ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』(The Wings of the Dove) ウィリアム・ディーン・ハウエルズ『文学と人生』(Literature and Life) W・H・ハドソン『エル=オンブ』(El Ombu) イーディス・ウォートン『決断の谷間』(The Valley of Decision) アーサー・コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』(The Hound of the Baskervilles) アーノルド・ベネット『五つの町のアンナ』(Anna ...
  • ロバート・クリーリー
    ロバート・クリーリー(Robert Creeley)(1926年~2005年) 略歴  マサチューセッツ州アーリントン出身の詩人。ハーヴァード大学で一時期学んだものの中退し、国内外を放浪して過ごした。その後、実験大学であるブラック・マウンテン・カレッジで教鞭を取るようになった。それ故にブラック・マウンテン派と呼ばれ、その中には他にオルスン、ダンカン、レヴァトフなどがいる。また前衛的な雑誌「ブラック・マウンテン・レビュー」を創刊、編集に携わった。形式に捕らわれず、単音節の言葉を多用した短い詩行が特徴の一つ。詩のテーマは一貫して愛であった。 作品  『愛のために 1950~1960』(For Love Poems 1950-1960,1962)、『全詩集』(The Collected Poems of Robert Creeley,1982)など多数。
  • J・B・プリーストリー
    J・B・プリーストリー(John Boynton Priestley)(1894~1984) 略歴  英国の劇作家。ブラッドフォード郊外出身で、父は教師だった。すでに16歳頃から新聞に寄稿していたという。学校を出てから働きに出たが、作家になりたい野心は捨てがたかったようだ。第一次大戦に参加するも負傷して除隊。その後ケンブリッジで学んだ。そして念願の作家となり、ユーモア作家として批評家として認められる。さらに劇作を手がけるようになり、第二次大戦中はBBCの人気司会者にもなったが、社会主義的傾向から降板した。その後社会主義系政党の創立者となったり、核兵器廃絶運動の設立にも関わり、メリット勲章を受けた。私生活では3度の結婚をした。また文壇でも大御所として活躍した。 作品  小説、劇作、評論、随筆など様々な分野で活躍した。  評論の分野では『ジョージ・メレディス論』(George Mer...
  • 作品索引/ハ行
    作品索引/ハ行 『バーソロミューの市』(Bartholomew Fair)英 『バーナビー・ラッジ』(Barnaby Rudge)英 『パープル・ランド』(Purple Land)英 『パームサンデー』(Palm Sunday, an Autobiographical Collage)米 『ハイアワサの歌』(The Song of Hiawatha)米 『廃村』(The Deserted Village)英 『ハイピアリアン』(Hyperion)英 『ハイピアリアン失墜』(The Fall of Hyperion a Dream)英 『墓守老人』(Old Mirtality)英 『白鯨』(Moby-Dick)米 『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on a White Horse My Story)米 『白魔』(The White Devil)英 『激しく攻むる者はこ...
  • クリフォード・オデッツ
    クリフォード・オデッツ(Clifford Odets)(1906年~1963年) 略歴  フィラデルフィア出身ニューヨーク育ちのユダヤ系劇作家。父はロシア系ユダヤ人実業家だった。高校中退後俳優となるが芽が出ず、劇作家に転向した。1931年に進歩的演劇集団「グループ・シアター」に参加し、劇作家として名声を得、1930年代を代表する社会派作家となった。その後、映画界から招かれて脚本家としても活躍した。しかし、穏健化するに従い輝きを失っていった。、 作品  『レフティーを待ちつつ』(Waiting for Lefty,1935)は一躍オデッツの名を高めた代表作。タクシー労働者のストライキをもとに、社会の不公正と不正義を糾弾した。  『醒めて唄え!』(Awake and Sing!,1935)はユダヤ人の労働者階級の家庭を舞台に、挫折や希望が入り混じる人間模様を描いた。  『ゴールデン...
  • エミリー・ブロンテ
    エミリー・ブロンテ(Emily Jane Brontë)(1818~1848) 略歴  ブロンテ三姉妹の二番目(四女)。ヨークシャーの牧師館に生まれ、幼い頃にハワースに転居した。姉三人と同様に学校に入学するも、その劣悪な環境のせいで姉二人を肺炎で亡くした。その後はほとんどを牧師館で暮らした。姉妹で出した詩集は全く売れなかったが、姉の勧めで小説を執筆し始める。それが彼女唯一の作品である『嵐が丘』である。しかし出版社に送ったもののなかなか出版されず、また1年後に出版されたが酷評された。1848年に兄のブロンウェルが急死し、エミリーはその葬儀の際に体調を崩し、その後結核を発症した。治療を頑なに拒んだとされ、30歳の若さでこの世を去った。生涯独身であった。 作品  『嵐が丘』(Wuthering Heights,1847)は、発表時はかなり酷評されたが、死後評価が高まった。ヨークシャーの荒...
  • アン・ブロンテ
    アン・ブロンテ(Anne Brontë)(1820~1849) 略歴  ブロンテ三姉妹の末妹で、家族の中でも末っ子である。物心つく前に母を亡くし、また幼い頃に姉二人を亡くした。アンは姉と同様に学校を出た後は家庭教師として働いた。三姉妹でだした詩集は不評だったが、その後小説を執筆する。兄ブランウェルと姉エミリーの死の翌年、彼女もまた結核にかかり、29歳の若さで死んだ。三姉妹中で最も短命であった。 作品  姉二人に比べるとどうしても知名度では劣るが、その短い作家生活の中で二つの小説を書いている。『アグネス・グレー』(Agnes Grey,1847)は彼女の処女作である。末っ子で可愛がられてきたアグネスが、家庭教師をして冷遇されながらも最後は幸せになる姿を描いた作品で、自身の体験を基に書かれている。姉二人のが夢想の世界に生きたのに対し、アンは優れた観察力とリアリズムの作家であった。  ...
  • トマス・ゴドフリー
    トマス・ゴドフリー(Thomas Godfrey)(1736年~1763年) 略歴  アメリカ人の手によるアメリカ演劇の最初の劇作家。しかし惜しくも早世した。作品としては『パルティアの王子』(The Prince of Parthia,1767)がある。
  • サミュエル・ジョンソン
    サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)(1709~1784) 略歴  リッチフィールドの本屋に生まれた。19歳でオックスフォードに入学するも経済的な事情からやむなく中退した。故郷に帰り教師をしていたが20歳も年上の未亡人と結婚、その持参金で塾を開いたが結果は散々であっさり潰れてしまった。1737年に弟子を連れてロンドンに出た。匿名で詩を発表するとポープに認められ、文筆家としての第一歩となった。雑誌の発行、英語辞典の編纂などを手がけるも生活は一向に楽にならず、その間に最愛の妻を亡くした。1764年に功績が認められ、国王から年金が支給されるようになり、ようやく生活が安定した。翌年に有名な文学クラブが設立されると、そこの大御所としてその温和で常識的、かつ機知に富んだ会話で人々を楽しませた。1784年没。ウェストミンスター寺院に葬られる。文壇の中心人物として活躍し、その優れた人格...
  • ヘンリー・ヴォーン
    ヘンリー・ヴォーン(Henry Vaughan)(1622~1695) 略歴  ウェールズの旧家出身。内乱の後、医師として暮らした。形而上派詩人で神秘主義的な宗教詩を書いた。代表的詩集は『火花散る火打石』(Silex Scintillans,第1部1650,第2部1655)。しばしば極めて難解であるが、神秘的な詩的世界観は評価が高い。
  • ボーモント&フレッチャー
    フランシス・ボーモント(Francis Beaumont)(1584~1616) ジョン・フレッチャー(John Fletcher)(1579~1625) 略歴  多くの合作を発表して活躍した劇作家。代表作は『フィラスター』(Philaster,1609)と『乙女の悲劇』(The Maid s Tragedy,1611)など。けして一流ではないものの、巧みで肩の凝らないロマンス喜劇を得意とした。時代の風を読むに敏であったとも言える。  ボーモント単独の作品には『女嫌い』(The Woman Hater,1606)があり、またフレッチャーはシェイクスピアと『二人の貴公子』(The Two Noble Kinsmen,1612-13)と『ヘンリー八世』(Henry Ⅷ)を合作したとされている。
  • 作品索引/タ行
    作品索引/タ行 『ター:中西部の子供時代』(Tar A Midwest Childhood)米 『大疫病日記』(A Journal of the Plague Year)英 『大使たち』(The Ambassadors)英米 『大聖堂』(Cathedral)米 『大草原』(The Prairie)米 『大草原の人々』(Prairie Folks)米 『タイタス・アンドロニカス』(Titus Andronicus)英 『タイタンの妖女』(The Sirens of Titan)米 『タイピー』(Typee)米 『台風』(Typhoon)英 『タイムクエイク』(Timequake)米 『タイムトラベラー』(The Time Traveler)米 『タイム・マシン』(The Time Machine)英 『第四の手』(The Fourth Hand)米 『大理石の牧神』(The Marble ...
  • ジョン・アシュベリー
    ジョン・アシュベリー(John Ashbery)(1927~ ) 略歴  ニューヨーク州ロチェスター出身の詩人。ハーヴァード大学卒業後、コロンビア大学で修士号を取得。1955年にはフランスに渡り、『ヘラルド・トリビューン』誌の美術評論を担当し、その傍ら試作を行った。1965年にニューヨークに戻り、『アート・ニューズ』という美術雑誌の編集に携わった。「ニューヨーク派」の詩人としてもてはやされた。ピューリッツァー賞、全米図書賞など多くの賞を受賞し、1980年代を代表する詩人と言われる。 作品  その詩は作品ごとにスタイルが変わり、解釈を拒否するかのような極端に難解な作風である。中心となる主題のようなものはなく、思考や夢の断片の羅列や意味不明な独白のようなものに近い。アシュベリーは詩を言葉の意味から解放することを狙いとした。その前衛的な難解さ故に一般の読者は少ないが、その独特の言語観によ...
  • グレゴリー・コーソ
    グレゴリー・コーソ(Gregory Nunzio Corso)(1930年~2001年) 略歴  グリニッジ・ビレッジのスラム街のイタリア系移民の家に生まれた。少年院送りを何度も経験し、刑務所にも入った。その頃に文学に目覚め、ギンズバーグを知り、詩作を始めた。ビートニク詩人として「サンフランシスコ・ルネッサンンス」の立役者の一人となった。 作品  詩集に『ガソリン』(Gasoline,1958)、『死の幸福な誕生日』(The Happy Birthday of Death,1960)、『人間ばんざい』(Long Live Man,1962)、『土まみれの手』(Herald of the Autochthonic Spirit,1981)などがある。
  • フラナリー・オコナー
    フラナリー・オコナー(Flannery O Connor)(1925年~1964年) 略歴  ジョージア州サバンナ出身の女流作家。16歳のときに時に紅斑性狼瘡という難病で父を失い、自身も同じ病に侵され39歳の若さで早世した。ジョージア州立女子大学で社会学を学び、後にアイオワ州立大学院に進み、創作と文学で修士号を取得した。21歳で処女短編を発表し、以後は壮絶な闘病生活を送りながら執筆を続けた。自らの死と隣り合わせの生活の中で、カトリック教徒として「私にとり人生の意味は、キリストによる救済という一点に集中している」とし、人間存在の意味を深く探求した。死後、フラナリー・オコナー賞が設立された。 作品  長編は2作のみしかない。  『賢い血』(Wise Blood,1952)は処女長編で、キリストのいない教会を説く復員兵の姿を通して、神からの離反と回帰を描いた。  『激しく攻むる者はこ...
  • ローレンス・スターン
    ローレンス・スターンLaurence Sterne(1713~1768) 略歴  アイルランド出身。軍人だった父とは17歳の時に死別。ケンブリッジで祖先が設けた奨学金で学び、サットンの教区牧師となった。平凡な田舎牧師であったが、知人の蔵書でセンバンテスやラブレーの著作に接し影響を受けた。手始めに宗教界の勢力争いを風刺する小冊子を書き好評を得ると、いよいよ彼の代表作である『トリストラム・シャンディ』を執筆し始めた。人妻と恋愛関係に陥るなど牧師らしからぬ人物であった。その一方で説教集なども出版している。しばしば喀血するなど病に苦しみ、それがもとでロンドンで没する。 作品  『トリストラム・シャンディ』(Tristram Shandey,1760-1767)は正確には『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』(The Life and Opinions of Tristram Sha...
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