ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「D・H・ロレンス」で検索した結果

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  • D・H・ロレンス
    D・H・ロレンス(David Herbert Lawrence)(1885~1930) 略歴  イギリスのノッテンガムシャー出身の小説家、詩人。父は炭鉱夫、母は教師であった。幼い頃から病弱で高校卒業後は事務員になるも肺炎のために長続きしなかった。その後、代用教員を経て、ノッティンガム大学を奨学金を得て卒業して資格を取り小学校の教員となる。作品が認められ始めた頃に母が没する。その死の直前に婚約したが、恩師の妻フリーダと恋に落ちてドイツへと駆け落ちをする。二人は後に結婚し、各地を転々としながら執筆を続ける。アメリカにも2年間住み、その後メキシコにも赴くがそこでマラリアと結核を併発し、帰国。その後はフィレンツェに住み執筆を行うが、最期はフランスのサナトリウムで死去。 作品  労働者階級出身のロレンスは、英文学史上それまでではきわめて稀れな存在であり、またオックスフォードやケンブリッジ卒で...
  • 年表(1901~1949)
    ...n Frome) D・H・ロレンス(David Herbert Richards Lawrence,1885-1930)『白孔雀』{(The White Peacock) アーノルド・ベネット『当世人気男』(The Card(Denry the Audacious)) 1912 アーサー・コナン・ドイル『失われた世界』(The Lost World) ウィラ・キャザー『アレグザンダーの橋』(Alexander s Bridge) アーノルド・ベネット『五つの町の切り札』(Matador of the Five Towns) 1913 D・H・ロレンス『息子と恋人』(Sons and Lovers) イーディス・ウォートン『国の習慣』(The Custom of the Country) アーサー・コナン・ドイル『毒ガス帯』(The Poison Belt) ウィラ・キャ...
  • 人名索引/ラ行
    ...ossetti)英 D・H・ロレンス(David Herbert Richards Lawrence)英 ロングフェロウ(Henry Wadsworth Longfellow)米 戻る
  • ジョイス・キャロル・オーツ
    ...。  エッセイにはD・H・ロレンスを論じた『敵意ある太陽』(The Hostile Sun The Poetry of D.H. Lawrence,1973)、『オン・ボクシング』(On Boxing,1987)などがある。
  • W・H・オーデン
    W・H・オーデン(Wystan Hugh Auden)(1907~1973) 略歴  イギリスのヨークの医者の家に生まれる。奨学金でオックスフォードに進むが、当初の生物学から英語専攻に変更した。1928年にはヴァイマル時代のドイツに滞在し、政情不安を肌で感じ取る。また日中戦争が起こると中国にも訪問している。その後マルクス主義からキリスト教に回帰する。1939年にはアメリカに移住し、7年後に国籍を取得し、またアメリカに亡命していたトーマス・マンの娘と結婚する。自らを「西の国の小粒なゲーテ」と称した。1956年にはオックスフォードの教授に迎えられ、5年間この職につき、1972年に再び大学に戻るも、その翌年オーストリアのウィーンで死去。 作品  詩人として著名で20世紀最大の詩人の一人とされるが、他にも詩劇、大衆歌謡、ジャズ、オペラ台本、文芸批評など幅広い分野で一定以上の高い水準のものを...
  • W・H・ハドソン
    W・H・ハドソン(William Henry Hudson)1841~1922 略歴  アルゼンチン出身の作家、博物学者、鳥類学者。両親はアメリカ人。少年時代は生まれ故郷のアルゼンチンで育ち、農場を転々としながら鳥の生態を研究した。後に博物学者を志して英国へ渡る。アルゼンチン中央部パンパスに棲息する生物の生態を実地に調査して発表し、博物学者として認められる。作家としても活躍し、多くの作家たちと交流を深める。1900年に英国に帰化する。鳥類の保護活動に尽力し、死後その功績を英国政府に認められ、ハイド・パークの一角が鳥類保護区息とされ、そこにハドソンの記念碑が建てられた。 作品  鳥類に関する本以外にも多数の小説や自然風物エッセイを発表している。その多くは自らの体験や人から聞いた話を基に書かれたようだ。処女小説である『パープル・ランド』(Purple Land,1880)は、形式として...
  • 年表(19世紀)
    文学史年表(19世紀) 西暦 英文学 米文学 1804 ウィリアム・ブレイク『ミルトン』(Milton)『エルサレム』(Jerusalem) 1802 ウォルター・スコット(Sir Walter Scott,1771-1832)『スコットランド辺境歌謡集』(The Minstrelsy of the Scottish Border) 1805 ウォルター・スコット『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel) 1807 ジョージ・バイロン(George Gordon Byron,1788-1824)『無為の時』(Hours of Idleness) ジョウエル・バーロウ『コロンビアド』(The Columbiad) 1808 ウォルター・スコット『マーミオン』(Marmion) 1809 ワシントン・アーヴィング(Washington Ir...
  • ローレンス・スターン
    ローレンス・スターンLaurence Sterne(1713~1768) 略歴  アイルランド出身。軍人だった父とは17歳の時に死別。ケンブリッジで祖先が設けた奨学金で学び、サットンの教区牧師となった。平凡な田舎牧師であったが、知人の蔵書でセンバンテスやラブレーの著作に接し影響を受けた。手始めに宗教界の勢力争いを風刺する小冊子を書き好評を得ると、いよいよ彼の代表作である『トリストラム・シャンディ』を執筆し始めた。人妻と恋愛関係に陥るなど牧師らしからぬ人物であった。その一方で説教集なども出版している。しばしば喀血するなど病に苦しみ、それがもとでロンドンで没する。 作品  『トリストラム・シャンディ』(Tristram Shandey,1760-1767)は正確には『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』(The Life and Opinions of Tristram Sha...
  • オルダス・ハクスリー
    オルダス・ハクスリー(Aldous Leonard Huxley)(1894年~1963年) 略歴  サリー州のゴダルミング出身。ハクスリー家は代々著名な科学者を排出している名家である。祖父トーマスは生物学者で、ダーウィンの進化論を支持したことで知られている。兄ジュリアンもまた進化論を支持した生物学者で、ユネスコ事務総長も務めた。一方オルダスは医師を志しイートンに進むが、角膜炎が原因で退学。視力のために第一次大戦の兵役を免れた。視力は後に回復したが、医師の道は諦め、オックスフォードで英文学と言語学を専攻した。大戦後作家としての道を歩み始めた。1937年には眼の治療のために渡米。その後は次第に神秘主義的傾向を深めていった。その中、自ら実験台となって幻覚剤(メスカリン)を使用したこともあった(その中で精神科医のオズモンドはサイケデリックという語を創造した)。1963年に死去。死の直前までLS...
  • アラン・シリトー
    アラン・シリトー(Alan Sillitoe)(1928~ ) 略歴  ノッティンガム出身。なめし皮職人の子として生まれる。14歳の時には学校を出て、自転車工場で働き始める。その後19歳で空軍に入隊。無電技師としてマラヤに派遣されたが、病を得て本国へ送還、1年半に渡ってサナトリウムで療養生活を送る。この間、本人曰く「気が狂わないように、気が狂うほどのたくさんの本を読んだ」という。特に同郷で同じく労働者の子として生まれたロレンスに強い影響を受ける。同時期に活躍したことから、オズボーンなどのいわゆる怒れる若者たち(the Angry Young Men)の中に含まれることもあるが、結局のところ彼らの怒りは次第に衰えていった。それに対してシリトーだけはなおも怒り続けている。むしろそれよりも後の労働者階級出身の作家たちと多くの共通点を持つが、本人は「労働者作家」と呼ばれることを嫌い、自ら「脱階級...
  • H・G・ウェルズ
    H・G・ウェルズ(Herbert George Wells)(1866~1946) 略歴  フランスのジュール・ベルヌと共に、「SFの父」と呼ばれる作家。イギリスのケント州ブロムリーに生まれる。科学師範学校に奨学金で進み、トマス・ヘンリー・ハクスリー(孫のオルダス・ハクスリーは作家)に生物学を学ぶ。そこの学生誌に寄稿したものが後期の作品の原点となった。教職を経てジャーナリストになり、作家となる。後プラトンの『国家』を読んで社会主義に傾倒するとフェビアン協会に参加する。世界平和や人権問題、糖尿病患者協会の設立など社会問題に積極的に関わった。 作品  SFの元祖として現在でも広く読まれ、親しまれているが、その一方で文学として扱われることは少ない。しかしながらウェルズの作品は荒唐無稽な読物ではなく、現在の世界、及び未来世界への深い憂慮が込められている。  初期の作品はいわゆるSF小説で...
  • シャーウッド・アンダソン
    シャーウッド・アンダソン(Sherwood Anderson)(1876~1941) 略歴  オハイオ州の片田舎に生まれる。父は馬具職人であったが、生来のほら吹きで放浪癖があり、家計は勤勉な母が支えていた。彼もまた幼い頃から様々な仕事に出て家計の足しにしていたために、正規の教育を受けることができなかったが、実地の体験と耳から知識を吸収していった。母が死ぬと一家は離散し、彼は21歳でシカゴに出る。そこで職を転々とした後に米西戦争で兵役に就き、再びシカゴに戻ると広告会社に勤務した。その後故郷に帰り、ペンキ会社の経営者となり、結婚もして平穏な生活を送っていたが、1913年に突如妻子を残したまま出奔、単身シカゴに現れた。後に自伝の中で「真実を見出すためだった」と書いているが、実際はある種の神経衰弱による失踪だったのではないか、と言われている。シカゴで再び広告の仕事をしながら、作家への道を歩むこと...
  • ロバート・ペン・ウォレン
    ロバート・ペン・ウォレン(Robert Penn Warren)(1905年~1989年) 略歴  ケンタッキー州出身の詩人、批評家。バンダービルト大学に在学中、南部地方主義文学運動の拠点であった雑誌『フュージティブ』に参加し活躍した。その後、カリフォルニア、エール、オックスフォード大学で学んだ。その後は母校やルイジアナ、ミネソタ、エール大学でそれぞれ教鞭を取った。その傍ら季刊文芸誌『南部評論』を創刊し編集に尽力した。また自らも詩を発表し、ピューリッツァー賞を受賞するなど高い評価を得た。一方で小説の分野でも主に南部の歴史に取材した作品を発表し、こちらでもピューリッツァー賞を受賞した。批評の分野でも名高い。 作品  『詩36篇』(Thirty-Six Poems,1936)は初期の詩集で形而上詩の影響が強かった。その後平易な物語詩へと移行していき『約束』(Promises,1957)...
  • アリス・ウォーカー
    アリス・ウォーカー(Alice Malsenior Walker)(1944年~ ) 略歴  ジョージア州イートントン出身のアフリカ系アメリカ人の女流作家(他にもスコットランド系、アイルランド系の血も入っている)。スペルマン大学、サラ・ローレンス大学を卒業。1967年にフェミニズム活動家と結婚するも後に離婚。娘のレベッカもまた作家となった。最初の詩集は在学中に書かれた。公民権運動で作家活動を一時中断していたこともあった。その後フェミニスト雑誌へ参加することで執筆を再開、その後『カラー・パープル』で大きな反響を呼び、ピューリッツァー賞を獲得した。その一方で、アフリカ系アメリカ人の文化や民間伝承に深い関心を示し、その発掘と再評価に努めている。またこれまで評価されてこなかったアフリカ系アメリカ人作家の再評価のきっかけともなった。 作品  『むかし』(Once,1967)は第一詩集。翌年処...
  • ダンテ・ロセッティ
    ダンテ・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)(1828~1882) 略歴  ラファエロ前派の画家として知られる彼は、詩人としても優れた作品を残している。作風はその画風と同じく、豊かな官能美と宗教的神秘性を併せ持っている。『いのちの家』(The House of Life,1881)は101篇のソネットを集めたもので、イタリア形式で書かれている。
  • ネルソン・オルグレン
    ネルソン・オルグレン(Nelson Algren)(1909年~1981年) 略歴  ミシガン州デトロイト出身のアメリカの作家。3歳の時にシカゴに移住した。イリノイ大学卒業。プロレタリア的傾向が強く、下層社会の人々の姿をスラングを多用する手法で活写した。その作品は世界的に高く評価されたもののシカゴでは不評だった。後に全米図書賞を受賞した。また寺山修司に大きな影響を与えたという。 作品  『長靴をはいたやつ』(Somebody in Boots,1935)は処女作。1930年頃の不況期を背景に、そこで生きる少年の放浪と犯罪を描いた。  『朝はもうこない』(Never Come Moming,1942)は、シカゴのスラム街を舞台にボクサーを目指すポーランド系の少年の、暴力と欲望の世界を描いた。  『黄金の腕の男』(The Man with the Golden Arm,1949)は...
  • ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ
    ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ(Henry Wadsworth Longfellow)(1807~1882) 略歴  アメリカの最初の国民詩人と呼ばれるロングフェロウは、メイン州ポートランドに生まれる。ボードン大学で学び、同級生にはホーソーンがいた。生来語学の才に秀でており、同大学の教授職についてからも、欧州へ研究のために旅行し、研鑽に励んだ。後1836年に招かれて、ハーヴァード大学の教授となる。それからはケンブリッジに住んだ。それまでも詩作は行っていたが、1854年に教授職を退職し、著述に専念する。彼は詩作で生計を立てられた、アメリカの最初の詩人でもあった。1861年、二番目の妻が不慮の事故で亡くなると、強い衝撃を受け、生涯その思いを引きずることとなった。1882年、腹膜炎で没する。 作品  ロングフェロウは古典に造詣が深く、また語学も堪能であったため、様々な詩形・韻律を自...
  • コメント/コメント
    H・G・ウェルズのページに「『キップス』(Kipps,1905)は短いながらも」とありますが、この本は「タイムマシン」や「宇宙戦争」よりはるかに分量が多く、「短い」とわざわざ書くほどでもないのではないでしょうか? - テスト3 (2020-08-07 10 50 06) テスト - 管理人 2009-11-10 18 03 54 テスト2 - 管理人 2009-11-10 18 04 15
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    コメント欄 名前 H・G・ウェルズのページに「『キップス』(Kipps,1905)は短いながらも」とありますが、この本は「タイムマシン」や「宇宙戦争」よりはるかに分量が多く、「短い」とわざわざ書くほどでもないのではないでしょうか? - テスト3 (2020-08-07 10 50 06) テス...
  • ジョン・オズボーン
    ジョン・オズボーン(John Osborne)(1929~1994) 略歴  ロンドン出身の劇作家。下層階級の出身。大学を中退し地方劇団で俳優をしながら劇作家を目指した。新進劇作家発掘を目的としたイギリス舞台協会に認められ、一躍話題の劇作家となった。怒れる若者たち(angry young men)の代表格として戦後のイギリスの演劇界を牽引した。しかしながら初期の作品ほどには後期の作品は評価されることはなかった。 作品  『怒りを込めて振り返れ』(Look Back in Anger,1956)は代表作。下層階級出身の主人公は大学を中退し、結婚して田舎で菓子店をやっている。彼は古い世代や社会の腐敗に対し激しい怒りを覚える一方で羨望しており、またその怒りを妻にぶつけると共に愛していた。戦後の新しい世代の若者を描いて話題となった作品。  『寄席芸人』(The Entertainer,1...
  • エレン・グラスゴー
    エレン・グラスゴー(Ellen Glasgow)(1874年~1945年) 略歴  ヴァージニア州リッチモンド出身の女流作家。名家に生まれたが、病弱だったために学校教育は受けず、もっぱら文学を読みふけって過ごした。感傷的なロマンスではなく、南北戦争後の南部の現実を赤裸々に描いた作品を次々と発表した。 作品  代表作は『不毛の地』(Barren Ground,1925)で、寒村でたくましく生きる女性の姿を描いた。  他に『人民の声』(The Voice of the People,1900)、『鉄の鉱脈』(Vein of Iron,1935)、ピューリッツァー賞を受賞した『このわれらの生に』(In This Our Life,1941)、死後出版の自伝『内なる女』(The Woman Within,1954)がある。
  • アレン・ギンズバーグ
    アレン・ギンズバーグ(Irwin Allen Ginsberg)(1926年~1997年) 略歴  ニュージャージー州パターソン出身。両親はロシアからの移民でユダヤ系。コロンビア大学を卒業。当初は幻想的傾向が強かったが、同地の先輩詩人ウィリアムスの勧めでより現実に即した試作に転じた。1955年にサンフランシスコに出、処女作を発表すると、ビートジェネレーションの指導的存在として注目を集めた。その後は、ベトナムの反戦運動や公民権運動、ゲイ解放運動などに積極的に携わった。また1970年以降は環境保護や反核デモにも関わった。その一方で1960年代にインドに渡り、ヒンズー教のマントラはアメリカに紹介し、朗読会や集会などでこれを唱えた。またチベット仏教の影響も受けた。その予言ともいえるような宗教的詩風から、ホイットマンを想起させた。 作品  『「吠える」とその他の詩』(Howl and Oth...
  • ナサニエル・ホーソーン
    ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)(1804~1864) 略歴  マサチューセッツ州セイラム出身。ホーソーン家の初代ウィリアムはクエーカー教徒の迫害、二代ジョンは有名なセイラムの魔女裁判で判事を務めており、後のこれらのことが彼の作品に強い影響を与えることとなった。  ホーソーンは4歳で父を失い、母方の実家で育てられた。ボードン大学で学び、そこでフランクリン・ピアース(後の第14代アメリカ大統領)やロングフェロウらと知り合った。卒業後は12年間もの間引きこもり、読書と創作に励んだとされるが、詳細はよくわかっていない。1839年、家計が苦しかったため、ボストンの税関に就職した。しかし翌々年には退職し、一時期超絶主義者らで作った、革新的実験農場ブルック・ファームに参加した。しかしそこでの人間関係に強い失望を抱いて離脱し、再び今度はセイレムの税関に就職、後数年で退...
  • 作品索引/ハ行
    作品索引/ハ行 『バーソロミューの市』(Bartholomew Fair)英 『バーナビー・ラッジ』(Barnaby Rudge)英 『パープル・ランド』(Purple Land)英 『パームサンデー』(Palm Sunday, an Autobiographical Collage)米 『ハイアワサの歌』(The Song of Hiawatha)米 『廃村』(The Deserted Village)英 『ハイピアリアン』(Hyperion)英 『ハイピアリアン失墜』(The Fall of Hyperion a Dream)英 『墓守老人』(Old Mirtality)英 『白鯨』(Moby-Dick)米 『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on a White Horse My Story)米 『白魔』(The White Devil)英 『激しく攻むる者はこ...
  • ウィリアム・カレン・ブライアント
    ウィリアム・カレン・ブライアント(William Cullen Bryant)(1794~1878) 略歴  アメリカのロマン主義を代表する詩人。マサチューセッツ州カミングストンに生まれる。父は医者であったが、文学好きで、息子の才能を認めると詩作を勧めた。しかしながら家計が苦しかったために、彼は初め法律を学び、そちらの方に進んだ。その後、ジャーナリストに転向するが、詩人としても成功を収める。 作品  その詩のテーマは英国の同時代のロマン派の詩人を範としたようで、もっぱら自然、無常感、孤独、死、自分自身のことなどを扱った。フレノーと異なり、政治や社会問題を扱うことはほとんどなかった。英国の詩人とも交流があったようで、ワーズワースからは激励も受けた。代表的な詩は年代順に、「森の入口に掲げる碑文」(Inscripton for the Entrance to the Wood,1815)...
  • ジョージ・オーウェル
    ジョージ・オーウェル(George Orwell)(1903~1950) 略歴  インドのベンガル出身。本名はエリック・ア-サー・ブレア(Eric Arthur Blair)。父はベンガルで阿片の栽培と販売に携わっていたが、母や子らはイギリスに帰国し母子家庭だった。幼い頃から学業に秀でていたようで、奨学金でウェリントン・カレッジで学び、後イートン・カレッジに転向した。1922年にマンダレーでインド警察の訓練所に入り、各地で5年間勤務したが、次第に嫌気が差し1927年に帰国、辞表を出した。この当時の経験は後の作品にも生かされている。その後ルポライターを目指し、パリやロンドンを放浪し著作を発表した。スペイン内戦が起こると、義勇兵として参加しファシズム軍と戦った。前線で喉に貫通銃創を受け辛うじて命を取り留めた。戦況の変化により治癒後にフランスに脱出した。その後はエッセイや評論によって名声を得た...
  • 年表(1950~2000)
    西暦 英文学 米文学 1950 アンジア・イージアスカ『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on White Horse My Story) ウィリアム・インジ(William Motter Inge,1913-1973)『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba) テネシー・ウィリアムズ『ストーン夫人のローマの夏』(The Roman Summer of Mrs. Stone)『バラの刺青』(The Rose Tattoo) ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』(The Caine Multiny) ロバート・ペン・ウォレン『この世も時も』(World Enough and Time) クリフォード・オデッツ『カントリー・ガール』(The Country Girlfa) トルーマン・カポーティ『草の竪琴』(The G...
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • 作品索引/ラ行
    作品索引/ラ行 『ラヴァネルさんの転向』(Miss Ravanel s Conversion)米 『ラヴ・メディシン』(Love Medicine)米 『ラザロ笑えり』(Lazarus Laughed)米 『ラセラス』(The History of Rasselas, Prince of Abyssinia)英 『ラッパ長』(The Trumpet-Major)英 『ラ・プラタの博物学者』(The Naturalist in La Plata)英 『ラマムアの花嫁』(The Bride of Lammermoor)英 『リア王』(King Lear)英 『利己主義者』(The Egoist)英 『リシダス』(Lycidas)英 『リチャード2世』(Richard II)英 『リチャード3世』(Richard III)英 『リチャード・フェヴレルの試練』(The Ordeal of Rich...
  • ロバート・クーヴァー
    ロバート・クーヴァー(Robert Coover)(1932年~ ) 略歴  アイオワ州チャールズシティ出身。ポストモダン文学の旗手としてピンチョンやギャスと並ぶ代表格。 作品  代表作は『ユニヴァーサル野球協会』(The Universal Baseball Association, Inc,1968)で、独自に開発した野球ゲームとその仮想現実の世界に熱中し、次第に捕らわれていく中年男を描いた。  他に『ブルーノ教団』(The Origin of Brunists,1966)で(フォークナー賞を受賞)、『火刑』(The Public Burning,1977)、『ジェラルドのパーティ』(Gerald s Party,1986)、『ベニスのピノキオ』(Pinocchio in Venice,1991)、『ブライヤー・ローズ』(Briar Rose,1996)などがある。
  • ウォルター・スコット
    ウォルター・スコット(Sir Walter Scott)(1771~1832) 略歴  スコットランド、エディンバラ出身の詩人、作家。生まれつき病弱であり、幼い頃に小児マヒにかかり、足に障害が残った。エディンバラ大学で法学を学び、大学時代には辺境地方を遍歴し、民謡や伝説の収集に熱中した。しかし健康を害い大学を中退して、父の事務所で弁護士修行をし、後に弁護士となった。1804年、ワーズワースに出会い、終生の友となった。出版業を営む友人との関係から、辺境地方の民謡などを出版することになった。詩人として活躍するものの桂冠詩人は辞し、当時不遇だった友人のサジーに譲った。その傍ら、スコットランド最高民事裁判所の書記にも任命された。その後、小説家に転身し歴史小説作家として名声を得、一躍流行作家となった。ところが1826年に共同経営していた印刷所が破産、さらに愛妻にも先立たれた。そんな中、彼はこの苦境...
  • ラルフ・エリスン
    ラルフ・エリスン(Ralph Ellison)(1914年~1994年) 略歴  オクラホマ州オクラホマ・シティー出身。州から奨学金を得て由緒ある黒人大学として知られていたタスキーギィ・インスティチュートで音楽を学ぶ。作曲や彫刻に興味を抱いて勉強していたが、リチャード・ライトに強い影響を受け文学を志し、また後には共産党に入党する。ライトが参加していた雑誌『ニュー・チャンレンジ』、後に左翼系雑誌『ニュー・マッシズ』に、短編や評論を投稿するようになる。1952年には処女長編小説で全米図書賞を受賞する。しかし、その後評論集が2冊出版されたものの、作家自身が予告していた第2作目はとうとう発表されないまま没する。 作品  その作風もまたライトの影響を強く受けている。唯一の長編小説『見えない人間』(Invisible Man,1952)は全米図書賞を受賞した。アメリカ社会で疎外され無視されてき...
  • ジョージ・エリオット
    ジョージ・エリオット(George Eliot)(1819~1880) 略歴  イギリス中西部ウォリックシャー出身。本名はメアリ・アン・エヴァンスであり、女性であるが筆名は男性名を名乗った。13歳で入学した学校が、非常に宗教色の強い学校で、彼女は清教徒的な教育を受けることとなった。しかし翌年には母が没し、父の面倒を見るために彼女は退学を余儀なくされた。その後本を読む傍ら、独学で語学を学びギリシア、ラテン、ヘブライ、ドイツ、フランス、イタリアの各言語を習得したという。とりわけドイツ語とドイツ思想に傾倒し、それが彼女の精神形成に大きな影響を与え、清教徒よりの信仰からの脱却と自由思想への転身のきっかけとなった。その後ロンドンでウェストミンスター・レヴュー誌の副主筆となる。私生活では知人の紹介で知り合った哲学者のジョージ・ヘンリー・ルーイスと交際するようになった。彼は既婚であったが、その妻と離婚...
  • 作品索引/タ行
    作品索引/タ行 『ター:中西部の子供時代』(Tar A Midwest Childhood)米 『大疫病日記』(A Journal of the Plague Year)英 『大使たち』(The Ambassadors)英米 『大聖堂』(Cathedral)米 『大草原』(The Prairie)米 『大草原の人々』(Prairie Folks)米 『タイタス・アンドロニカス』(Titus Andronicus)英 『タイタンの妖女』(The Sirens of Titan)米 『タイピー』(Typee)米 『台風』(Typhoon)英 『タイムクエイク』(Timequake)米 『タイムトラベラー』(The Time Traveler)米 『タイム・マシン』(The Time Machine)英 『第四の手』(The Fourth Hand)米 『大理石の牧神』(The Marble ...
  • プラグイン/ニュース
    ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 【グランサガ】リセマラ当たりランキング - グランサガ攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【まおりゅう】八星之紋章交換のおすすめ交換キャラ - AppMedia(アップメディア) Among Us攻略Wiki【アマングアス・アモングアス】 - Gamerch(ゲーマチ) マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」:時事ドットコム - 時事通信 マニ...
  • アースキン・コールドウェル
    アースキン・コールドウェル(Erskine Preston Caldwell)(1903年~1987年) 略歴  ジョージア州モアランドの郊外で生まれた。父は巡回牧師であったため、彼も少年の頃から各地を転々とした。都合3つの大学に入学したもののいずれも中退した。学生時代から創作に目覚めた。様々な職を渡り歩く過程で労働者へ深い共感を抱くようになり、それが作品に大きな影響を与えることとなった。また後年、彼は白人貧農や黒人労働者の問題について、現地で実地調査を行なったりセミナーを開いたりした。第二次大戦中、彼は特派員としてモスクワに滞在し、次第にマルクス主義に傾倒していった。 作品  処女長編は『私生児』(The Pastard,1929)は売春婦を母にもつ男の物語。  『アメリカの土地』(American Earth,1931)はそれまでの経験や見聞きした出来事から素材を得て書いた短...
  • マライア・エッジワース
    マライア・エッジワース(Maria Edgeworth)(1767~1849) 略歴  オックスフォードシャーのブラックボートン出身。5歳で母を亡くした。14歳からはアイルランドに住み、父の仕事を手伝った。英国最初の児童文学作家と呼ばれるが、その生涯に小説や児童文学だけでなく教育関係の本を多数出版し、欧州中でベストセラーとなった。その作品はスコットやツルゲーネフらに強い影響を与えたという。 作品  『ラックレント城』(Castle Rackrent,1800)はアイルランドを舞台とした年代記小説。ラックレント城の歴代城主たちを、彼らに長年仕えた使用人の目を通して描いた。系図小説(saga novel)、地方小説(regional novel)の元祖ともされる。
  • アーノルド・ベネット
    アーノルド・ベネット(Arnold Bennett)(1867~1931) 略歴  スタフォードシャーのハンリー出身の作家。21歳の時に単身ロンドンに出て、法律事務所に勤めながら、新聞や雑誌に小説やエッセイを投稿する。その後、ジャーナリズムに関心を持ち出版社に転職、その後は女性週刊誌の編集者、後に編集長を務める。1900年頃からは本格的に作家として活動する。父親の死を契機にフランスで10年余りを過ごし、その間にフランス人の女性と結婚する。 作品  英国における自然主義文学の代表格とされ、特にフランスの自然主義文学に範を取った、徹底した写実主義の技法で知られる。しかしながらすでにその頃にはこの種の自然主義文学は時代遅れとなりつつあった。後の時代の革新的旗手の一人ウルフとの芸術創作上の議論において、彼が「性格造形こそが小説のアルファでありオメガだ」と述べ、ウルフに一笑に付されたというエ...
  • 人名索引/ア行
    人名索引/ア行 アーヴィング(Washington Irving)米 アーヴィング(John Irving)米 アードリック(Louise Erdrich)米 アーノルド(Matthew Arnold)英 アシュベリー(John Ashbery)米 アダムズ(Henry Brooks Adams)米 アップダイク(John Hoyer Updike)米 アンダソン(Sherwood Anderson)米 アンダソン(Maxwell Anderson)米 アンダソン(Robert Woodruff Anderson)米 Æ(Æ)英 イージアスカ6italic(){(Anzia Yezierska)}米 イェイツ(William Butler Yeats)英 インジ(William Motter Inge)米 ヴィダール(Gore Vidal)米 ウィチャリー(William Wycherle...
  • ジョン・ウェイン
    ジョン・ウェイン(John Wain)(1925~1994) 略歴  ストーク・オン・トレント出身。オックスフォードで学んだ。その後レディング大学の講師となり、英文学を教えた。その傍ら創作活動を行った。その後も作家を続けながら、オックスフォード大学では詩学教授となった。新大学才人(the New University Wits)の一人。また新ピカレスク作家とも呼ばれる。 作品  『急いで降りろ』(Hurry on Down,1953)が処女作にして代表作。大学を出たものの最低の職業ばかり転々とし安定を拒む青年を描いた。因習的な社会を批判したピカレスク風の物語。  他には『親父を殴り殺せ』(Strike the Father Dead,1962)、『若者たち』(Young Shoulders,1982)などがある。
  • デイヴィッド・ガーネット
    デイヴィッド・ガーネット(David Garnett)(1892年~1981年) 略歴  ブライトンに生まれる。父は作家のエドワード・ガーネット、母はロシア文学の翻訳者コンスタンス・ガーネット。初め王立協会で植物学を専攻したが、第一次大戦が勃発すると良心的兵役拒否をして、戦災者の救済に奔走した。戦後には友人と大英博物館の近くに書店を開いた。いわゆるブルームズベリー・グループの一人であった。最初の妻に先立たれた後に再婚しているが、その相手は同性愛関係にあったと噂されたダンカン・グラントの娘であった。彼女と離婚した後はフランスに移り住んだ。 作品  いずれも奇妙な着想が特徴。  代表作は『狐になった奥様』(Lady into Fox,1922)。ある日突然、狐の姿になった妻が次第に野生に目覚めていくことに戸惑う夫の姿を描いた奇妙な物語。  他に『動物園に入った男』(A Man in...
  • エリザベス・バレット・ブラウニング
    エリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning)(1806~1861) 略歴  ダラムの出身。かなりの早熟で、8歳の頃に原語のギリシア語でホメロスを読むほどだったという。ギリシア語とラテン語は独学だった。14歳にして私費ではあったが処女作を出版した。しかし15歳の時、落馬が原因で脊椎を損傷し、以来病弱になり引きこもった生活を送るようになった。1845年、彼女の詩に感動したブラウニングが手紙を送ったことから、二人は互いに好意を抱くようになり、翌年に結婚、イタリアへ駆落ちした。1961年、フィレンツェにてその生涯を閉じた。作品には夫への愛情に満ちた44編のソネット集『ポルトガル語からのソネット』(Sonnets from the Portugese,1850)、9巻からなる大作で社会問題・婦人問題を論じた『オーロラ・リー』(Aurora Leigh,...
  • ダイオン・ブーシコー
    ダイオン・ブーシコー(Dion Boucicault)(1820~1890) 略歴  アイルランドのダブリン出身。早くから演劇の世界に足を踏み入れ、劇作家としてのデビューの地はロンドンであった。一時期フランスに滞在するも、1853年には渡米、時代をリードする劇作家として活躍する。主にイギリスを始めとしたヨーロッパの作品を下敷きとする、翻案を得意とした。生涯に120本~150本という膨大な作品を手がけ、メロドラマの大家と呼ばれる。また自らが俳優として出演することもあった。さらにアメリカにおける劇作家の地位向上を目指して、1856年の著作権法の成立に尽力した。 作品  代表作はフランスのメロドラマをアメリカ向けに書き直した『ニューヨークの貧者』(The Poor of New York,1857)や、同時代のアメリカの作家の奴隷問題を扱った小説を翻案した『オクトルーン』(The Oct...
  • ジョン・ガードナー
    ジョン・ガードナー(John Champlin Gardner Jr.)(1933年~1982年) 略歴  ニューヨーク州バタビア出身。アイオワ大学大学院で古代・中世英文学を学び、その後各地の大学の教壇に立った。その傍ら創作活動を行い、神話や伝説をもとにした作品も多い。批評家としても活躍したが、バイク事故により49歳でこの世を去った。 作品  代表作は『陽光との対話』(The Sunlight Dialogues,1972)で、1960年代のアメリカの社会や、人々の精神の混乱を体現する“陽光の男”と法と秩序の守護者である地方警察署長との、精神的会合を描いた。  他に『ベオウルフ』(Beowulf)をもとに怪物の視点から描いた『グレンデル』(Grendel,1971)や、『ニッケル・マウンテン』(Nickel Mountain,1973)、『キングス・インディアン』(The Kin...
  • ベンジャミン・フランクリン
    ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)(1706~1790) 略歴  ボストンに移住したピューリタンの子として生まれたベンジャミンは、幼い頃宗教的家庭教育を施されるが、青年時代になると次第に理神論に惹かれていった。12歳から兄の印刷屋兼新聞社を手伝い、16歳の時にジャーナリストとなるためにフィラデルフィアに出る。『ペンシルヴェニア・ガゼット』を改良して発行し、さらに1732年からは『貧しきリチャードの暦』(Poor Richatd s Almanack)という日めくりカレンダーに格言を併載するアイデアで、大成功あいた。また有名な凧の実験を行ったり、フランクリン・ストーブを発明したりした他、消防、病院、学校などの社会施設へを充実させようと尽力した。1751年にはペンシルヴェニア州議会議員になった。独立宣言に署名したことでも知られている。 作品  彼の思想を最...
  • フィリップ・フレノー
    フィリップ・フレノー(Philip Freneau)(1754~1832) 略歴  ニューヨーク市のフランス系の商人の家に生まれる。ニュージャージー・カレッジ(後のブリンストン大学)で神学を修める。しかし、牧師にはならなかった。やんちゃで冒険好きな性格だったらしく、特に海を好んでいたために、若い頃には2年の間西インド諸島のサンタ・クルス島に滞在したこともある。その時には何度か英国海軍に拿捕されたらしい。貿易船の船長なども経験したが、それにも飽きると田舎に赴き農場の仕事をしたりもした。アメリカ独立前後の時期には、政治ジャーナリストとしてその文筆を揮い、独立と建国を後押しした。詩人としては、アメリカロマン主義の先駆けになった詩人と位置づけられている。 作品  主題を政治問題にとった論争詩や風刺詩も多いが、現在では想像力や自然を賛美した詩の方が、ロマン主義の到来を予感させる作風で、評価さ...
  • ウィリアム・ベックフォード
    ウィリアム・ベックフォード(William Thomas Beckford)(1760~1844) 略歴  多才であり、また非常に裕福であったために様々な分野に足跡を残している。幼少期から専門の家庭教師により各分野の教育を受ける。音楽の家庭教師はモーツァルトであった。またチェインバーズに建築を学び、後年巨大な塔を備えた僧院を建てた。名門子弟の慣例として大陸巡遊の旅に出た際には、その紀行文を書いている。他にも美術品や稀覯本の蒐集家として知られ、先に述べた僧院にはギボンの全蔵書が収められていた。また彼は同性愛者でもあり、しばしばスキャンダルにさらされた。そのためか、同性愛に関する記事の切り抜きなども集めていた。英国ディレッタントの典型のような人物である。 作品  『ヴァセック』(Vatheck,1786)は、彼が21歳の時に書かれたゴシック小説である。一度も席を立つことなく、三日と二晩...
  • アーサー・コナン・ドイル
    アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)(1859~1930) 略歴  スコットランドのエディンバラ出身。キリスト教系の学校で学ぶもそれを拒絶し、エディンバラ大学で医学を学ぶ傍ら、外科医助手として働く。しかし父はアルコール依存症により入院し、一家の家計を支えるために、在学中に捕鯨船に船医として乗り込む。遅れて大学を卒業し、その後はアフリカ航路の船医として働き、その後大学時代の級友と診療所を共同経営することになるが、喧嘩別れしてしまう。1882年に自分の診療所を開くが上手くいかず、暇を持て余す間に小説を書くようになるが、どれも送り返された。しかし名探偵シャーロック・ホームズのシリーズで一躍時の人となる。またボーア戦争に従軍し、小冊子を執筆したその功績によってナイト爵に叙せられた。息子の死後は心霊学に傾倒し、英国心霊現象研究会に入る(後脱退)。その関係の著書も多数ある...
  • ウィリアム・ウィチャリー
    ウィリアム・ウィチャリー(William Wycherley)(1640年~1716年) 略歴  劇作家。フランスに滞在した経験から、モリエールの影響を強く受け、4編の風習喜劇を書いた。『森の恋』(Love in a Wood,1671)、『紳士舞踏教師』(The Gentleman Dancing Master,1672)、『田舎女房』(The Country Wife,1675)、『率直な男』(The Plain Dealer,1776)の4編であるが、『田舎女房』は王政復古期の風習喜劇の傑作とされている。
  • ウィリアム・インジ
    ウィリアム・インジ(William Motter Inge)(1913年~1973年) 略歴  カンザス州インディペンデンス出身の劇作家。テネシー・ウィリアムズに励まされ劇作を行った。ピューリッツァー賞やアカデミー賞を獲得し、晩年はカリフォルニア大学で劇作を教えたが、劇作家としてはかつてのような評価は得られず、もう二度とかつてのようには書けないと確信し、一酸化炭素中毒で自殺した。 作品  代表作には『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba,1950)、『ピクニック』(Picnic,1953)などがある。
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