それは突然のことだった.......

 それまで静まり返っていたマンションの廊下で突如ドカドカドカ!という、大人数が踏み鳴らす大きな足音が響いた。 
 
 かと思えば、廊下のほぼ中央に位置する部屋から、警察と思しき制服や鑑識官と思しき作業服を着込んだ男女が幾人も口々に悲鳴
を上げながら飛び出し、そのまま階段やエレベーターを目指して走っていく。
 その中には廊下の途中で足を縺れさせて倒れ、その場で当日の食事を床に向かってブチ撒ける者や、慌てて階段を下るあまり途中
で足を滑らせて派手に転げ落ちた挙句、踊り場で大の字になって気を失う者が続出した。

 その様子を目の当たりにしたマンションの住人たちは飛び上がらんばかりに驚き、そのまま自分の部屋へと引っ込んで鍵を掛けるか
あるいは突然の事に腰を抜かし、その場にヘタり込んでガクガクと震え上がるばかりだった。

「……ヤッてくれるじゃネェか」

 皆が飛び出した部屋......先の事件で凄惨な犯行現場となったマンションの部屋......そこのキッチンでは鑑識課の主任と思しき
年配の男性が一人、コンロの上で湯気を立てる圧力鍋の前でEXスキャナを手に苦々しげな表情で呟いた。

 その彼の後ろでは気を失ったのか、鑑識ユニットの新人ことモニークが大の字になって、床の上にバッタリと倒れていた。

「あぁ~クソ!まさか俺まで吐いちまうとは」

 そう愚痴っぽくこぼしながら、部屋の奥にあるトイレの方から制服を少し着崩した男性が一人、いまだキッチンで圧力鍋を睨む鑑
識課主任の下へとやってくる。

「こんな事なら、俺もギンガと一緒に外へ・・・・・・」

「やめろカルタス坊や!こんな時に現場のリーダーが、さっさと逃げ出してどうする!?」

 鑑識主任は相変わらず圧力鍋を睨んだまま、横に並んで立つ制服の男性ことカルタス二等陸尉に向かって釘を刺した。

     
                       *リリカルxクロス~N2R捜査ファイル 
          
                        【 A Study In Terror ・・・第二章 】



 騒ぎの顛末はこうだった...... 
 

 現場で捜査に当たる陸士第108部隊からの連絡を受け、ミッドチルダの犯罪史上類を見ない惨殺事件の舞台となったマンションの部屋へと
到着した鑑識ユニット8名は、早速犯人の痕跡を求めて検証を開始した。
 そうして調査が進む中で部屋のキッチンへと足を踏み入れた鑑識課のブロック主任がコンロの上で、しっかりと留め金を掛けて蓋をされた大
きな圧力鍋から仄かに湯気が立ち上っているのを見つける。

 彼と同じように湯気に気づき蓋を開けようとする陸士を止めるや主任は、先に気分を害したギンガ・ナカジマ准尉に付き添って外へ出た新人
の女性鑑識官へ危険物チェックに使用するEXスキャナを持ってくるよう連絡する。

 そうして彼女が持ってきたスキャナを使用し、陸士そして鑑識を含むメンバー全員が息を呑んで見守る中で圧力鍋のスキャンが行われた

 ......のだが
 
 その結果がモニター上に表示された時、それを見たブロックが鍋の蓋を開けコンロの傍に置かれていたトングで中身の一つを掬い上げた瞬間
それを目の当たりにした全員がショックのあまり口々に大声で叫びながら部屋を飛び出して行き、捜査主任のカルタスまでもが口元を押さえな
がら部屋のトイレへと駆け込み新人に至っては、その恐怖に思わず気を失ってしまったのだ。

 皆がパニックに陥るのも無理はなく、未だ弱火に掛けられコトコトと音を立てるスープの中からブロックが掬い上げたのは、野菜やソーセー
ジ等といった様々な食材とともに、じっくりと手間暇をかけて煮込まれた人間の......それも明らかに事件の被害者である部屋の主ジョルジュ
・ベナデッドの”心臓”だったからである。

「このイカれた殺人狂は料理が得意で・・・・・・」

 そう吐き捨てるように呟きながらブロックは口元をハンカチで覆うと、周囲に気を払いつつ恐る恐る鍋の中を覗き込んだ。

「おまけに食材は”産地直送”って事か?フザけやがって」

「やめて下さい!ったく、お陰で暫くスープの類が食えませんよ」

 後ろでボヤく”若造”の言葉を聞き流しながら鍋の中を注意深く掻きまわす内、何かに気付いたのか”ハッ!”とした表情を浮かべるやブロ
ックはすぐさま持っていたトングを置き振返ってキッチンの中央に置かれたテーブルへと目を向ける。
 そこには先に別の場所で殺害された被害者の妻ミシェルが、いや正確に言えば彼女の切り落とされた頭部が、まるで高価な花瓶でも飾るよう
にしてテーブルのほぼ中央に置かれていた。

 ......そのパックリと割られた頭頂部に赤いバラの花を活けられた状態で。
  
「他に何か、有るんですか?」
 
 彼の行動を見て少し驚いたのか同じように口元をハンカチで押えながらカルタスが尋ねた。
 
「なぁカルタス坊や・・・・・・あれを見て、なんか気付か無ぇか?」

「気付くって、あの首が何か?」

「違ぇよ!そうじゃなくてテーブルの方だ」

 テーブルを見詰めながら幾分か厳しい口調でブロックが隣に立つ彼に釘を刺し、その言葉を聞いたカルタスは視線をテーブル上へと移した。

「あのテーブルが、どうかしたんですか?」

「よく見ろ。血塗れの生首が置かれてるってのに、あのテーブルの上・・・・・・やけにキレイじゃねぇか」

 そう言うとブロックは徐にコンロの近くにある流し台の方へと足を向け、そこに置かれていた食器洗浄機に手を掛けると、その蓋を注意深く
開きながら中を覗き込んだ。

「・・・・・・やっぱりな」

「やっぱりって、何が?」

 彼の呟きを聞き後に続く様にして食器洗浄機を覗きこんだカルタスの眼に、その中でピカピカに洗浄された一枚のスープ皿とワイングラスが見えた。

「見ろ。イカれ野郎めが!ちゃんとテメぇの料理を喰ってやがる」

 苦虫を噛み潰したような表情でブロックが吐き捨てた言葉を聞いた時、そこでカルタスの記憶はふっつりと途絶えた。
 
「ったく若造が」

 あまりの恐怖に失神し、彼よりも先に気を失ったモニークと並ぶようにして、キッチンの床に倒れ込んだ”若造”を見下ろしながらブロック主任
が幾分か呆れた様な口調でつぶやいた時、倒れたカルタスの上着のポケットから小型無線機の呼び出し音が響いた。

『主任!カルタス主任!応答願います・・・・・・』  


 
       ******************************


「ちょ!ちょっと待って、つまり撥ねられた人より・・・・・・」

 もう既に陽が落ちてかなりの時間が立っていた為か辺りが薄闇に包まれる中、制服姿の陸士達が誘導する一般車両が行き交う道路上に少女の驚
きの声が響いた。  

「えぇ、そうです。撥ねた車の方が大きかったんです、被害が・・・」
 
「”車の被害が”って、そんな事が」 

 説明された事故の状況に驚きを隠せぬままギンガ・ナカジマは、自分と同じ制服姿の少女に案内されながら事故現場を歩いていた。
 
 それはマンションでの騒ぎよりも前のこと......

 自らの閃きに導かれる様にして事件現場となったマンションを後にし、そこから数100m離れた幹線道路へとやってきた彼女は、その眼前に広が
る事故の想像を絶する惨状を前に愕然とする。
 
 彼女が来た時には4車線の道路は、既に到着していたクレーンやレッカーといった作業用車両のお陰で辛うじて、片側二車線のみ通行で
きるようにまで整理されていた。
 だが、それでも路上のあちこちには千切れ跳んだ車のパーツが幾つも転がっており、路肩へと目を向ければもはや原形を留めぬ程に大破した事
故車両が、何台もブスブスと煙を上げて燻ぶっているのが見えた。
 まだ焼け焦げたオイルの臭いが立ち込める事故現場へと足を踏み入れたギンガは、そこで交通課や応援で駆け付けた警備課の陸士たちと共に
集まった野次馬や渋滞の整理を行っていた妹二人......その日は遅番だったディエチとウェンディの姿を見付ける。

 そして彼女は今、説明を聞きながらディエチとともに事故現場に立っていた。
 
「その時に何らかの術式とか、何かの装置を使って回避したって事は?」

「それが、何も無かったんだそうです」

「無かったって・・・・・・何も?」

「えぇ事故を目撃した方たちの証言だと、そんな様子は全く見られなかったって言うんです」

 妹の口から語られる事故の状況は、これまで先のJS事件を含め様々な修羅場の中で闘い続け、今や地上本部きっての猛者とまで言われる様にな
ったギンガですら困惑せざるを得ないものだった。 

「分かってるのは事故の起きた原因が、横断歩道の無い道路を黒い服の男性が無理に渡ろうとして」

「それで、事故に?」

「はい。その時に、この車が猛スピードで・・・・・・」

 そこまで話すとディエチは立ち止まり、そのすぐ目の前に置かれた一台の事故車を右手で指し示した。

「アッと云う間の事、だったそうです」

 それは鮮やかなブルーのボディーを持つセダン......だった物の残骸。

 まるで巨大な鉄柱に激突したかの如く、グリルを始めとするフロント部分が真ん中から凹型に大きく潰れ、そこに収まっていたエンジンが車
体内側の仕切りを突き破り、それが運転席にまで押し出されていた。
 既に回収された後だった為か遺体こそなかったものの、砕けたリヤウィンドウや運転席のシートにベッタリとこびり付いた鮮血と肉片を目にし
た途端、再び込み上げる吐き気にギンガは思わず口元を押さえながら顔を背けた。

「あ、あのギンガ、さん?あまり無理は・・・・・・」 
「大丈夫、ありがとう、もう平気」

 心配気な表情で横から覗きこむ妹に小さく頷きながらギンガは、何とか気を取り直すと目前に横たわる無残な鉄の塊へと顔を向け、その事故
が起きた際の衝撃の凄まじさと、そこに乗っていたドライバーの断末魔を物語る状況に身も凍るような恐怖を感じた。

「じ、じゃあ渡ろうとしたって言う、黒い服の男は生身だけで、これを?」

「えぇ証言だとぶつかる直前に、こんな感じで軽く体の向きを変えて、こう右手を突き出す様な動作をしただけで」

 さり気無く身振り手振りを交えながらディエチは、今だ驚きを隠せずにいる姉に向かって説明を続ける。

「後は、事故を避けようとした他の車が、次々に・・・」

「その黒服の男は、どうなったの?どこか怪我とかはしてなかったの?」

「聞いた限り、ですが・・・その、そのまま落ちていたバッグを拾って、あちらの方へ歩いてったそうです」

 妹が示した方角へと目を向けると、その先には薄暗く何処か寂れた雰囲気が漂う古風な街並みが見えるばかりだった。
 そうしてギンガは黒服の男が立ち去ったという方角を数分ほど見詰めた後、その視線を再び妹の方へと戻そうとした。

 ......っとその時、彼女の目に奇妙な物が映った。

「ねぇディエチ・・・・・・その男性って、確かに黒い服を着てたのね?」

「はい確か黒くて大きな、そうコートかマントの様な上着の下に、同じ色の背広を着ていたそうです。それと帽子も」

「帽子、って?どんな・・・・・・」

「鍔(つば)が狭くて天辺の丸い、なんか古風な感じのする帽子だったそうです」

 妹の返事を聞きながらギンガは瞬きもせずに、目の前に置かれた事故車へと顔を向けたまま上着のポケットから待機状態のデバイスを取り出し
それを通信モードに切り替えた。

「主任!カルタス主任!応答願います」

 そうして何度か彼女が呼びかけると、そのデバイスから返事が聞こえた。

『その声はナカジマの嬢ちゃんかい?悪いがお宅の上司は今、あぁ~手が離せないんだ』

 聞こえてきたのは彼女の上司であるカルタス陸尉ではなく、同じく現場で検証にあたっていた、鑑識課のブロック主任の声だった。

「ではすいませんが、至急こちらへ来るようお伝えください」

『こちら、って今どこに?』

「マンションを、そこの玄関を出て、右に30分ほど歩いた所にある幹線道路です」

『幹線道路!?一体全体なんで』

 無線機の向こうで驚きの声を上げる彼に対し、自らも震えがちになる声を抑えつつキンガは落ち着いた口調で応えた。

「とにかく、すぐ来るようにお伝え願えませんか?」

『・・・・・・何か見付けたのか?そっちで』

「はい、多分これは・・・・・・」

 気が付けばデバイスを持つ彼女の周りにはディエチだけではなく、もう一人の妹ウェンディとともに他の陸士たち数名が集まり、ある一点を皆でジッ
と見詰めていた。

「ギン姉・・・・・・これ、何ッスかぁ?」

 皆の視線を集める物それは、まるでキャンディのようにグニャリっと曲がった事故車両のバンパー部分......その端に引っ掛かり、時折現場に吹く
風でひらひらと揺れる黒い衣服の切れ端だった。

      
       ******************************


「・・・こりゃタマげたっ!」

 その声はミッド地上本部の、その建物内にある研究室......現場で採取された証拠品を分析する為の研究室の中に響いた。

「バカ野郎!何いきなり大声出してんだ」

「あぁすいませんどうも。でもまさか、ここで現物に出会えるとは思わなかったもんで」

 いきなり素っ頓狂な声を上げた白衣姿の若い分析担当者を、近くに居た制服姿のブロックが叱り付けた。

 事件から二日後の昼過ぎ、ギンガは自身が見付けた遺留品......犯人の者と思しき衣服の切れ端の分析結果を確認するため鑑識課の立ち会いの元で
白い壁と天井に囲まれ、様々な分析機器や器具が雑然と並べられた研究室を訪れていた。

「な、何か分かったんですか!?」 

「ナカジマ准尉が見付けた例の布切れ。あれを色んな衣服に関するデータと照合してみたんですよ」

 突然の事に驚く彼女を後目に分析担当者は、証拠品を受け取ってから今日まで徹夜続きだったのか、少し眠たげに目を擦りながらモニター画面に表
示された分析結果について説明を始めた。

「でもミッドやベルカだけじゃ埒が明かなくて、それで他の次元世界での民族衣装なんかとも照合したら、一致したのが・・・・・・」

 薄らと隈の浮いた眼で顔を向ける彼に促されるまま、その画面へと目を向けたギンガの口から、およそミッドでは聞き慣れぬ単語が零れ落ちた。

「・・・・・・”カシミア”って」

「なんだおい、そりゃまた随分と上等な遺留品じゃねぇか」

 ここクラナガンで育った彼女にとって滅多に聞く事の無い単語に少し眉を顰めていると、その横で同じモニター画面を見ていたブロックが口を開いた。

「主任はその、これが何なのか御存じなんですか?」

「あぁ、確か嬢ちゃんの親父さんが第97管理外世界、えぇっと”地球”の出身だったけかな?」

「いえ地球出身なのは父ではなく曾祖父ですが、それが何の・・・・・・」

「このカシミアってのは、そこのイギリスって国で古くからスーツや、コートなんかの素材に使われてきた布地の事なんだよ」 

 興味深げな様子で耳を傾けるギンガの前で、その手に持ったコーヒーをすすりながらブロックが説明を始めると、その横から少しふざけた調子で分析
担当官が口を挟んだ。

「それもウ~ンっと高級なね♪この布地で3ピースの紳士服を1着仕立てれば、ここの通貨に換算して・・・・・・ざっと5万ミッドってとこかな?」

「7万だろ!ったく人の話に割り込みやがって」

 話を邪魔されて腹を立てながら相手を叱るブロックの言葉を聞き、彼女は思わず目を丸くして驚くや、すぐ近くに有った椅子の上へ、尻もちを付く様
にして腰を落とした。

「そんなに!? い、1着で7万ミッドもするスーツなんて・・・・・・」    

「それだけ上等で高価な素材なんだよ。だからこの生地は英国や欧州の王族とか貴族、あと大企業の社長さんや財閥の会長なんかに重宝されてる」

「それは、つまり・・・・・・」

「ま、早い話がブルジョア連中の必需品ってとこだ」

 ”カシミア”に関する彼の説明を聞いたギンガは少し視線を落とすと、その細い顎の下に軽く手を添えながら、判明した事実から浮かび上がる犯人像
について考え始める。

「じゃあ、この事件の犯人は何処かの王族か、その関係者?」

「または・・・・・・」

 考えを巡らせ事件を推理する彼女に分析担当者が、ピンセットで摘まんだ証拠品の布切れをヒラヒラさせながら、またもフザけた調子で口を挟んだ。  

「オシャレ好きでブランド志向の伊達者、ってとこでしょうか♪」 

「「・・・・・・」」

「すんまっせん。言い過ぎでした」

 白けた様な視線でジィーっと睨まれ恐縮したのか彼は、持っていた布切れを元のシャーレに戻しながら二人に詫びを言い、それを聞いた鑑識主任は軽
く溜息を付くと傍で苦笑いをするギンガに改めて説明を続けた。

「とにかく今日の夕方ぐらいには嬢ちゃんの上司に事件に関する報告書を提出するから、詳しく知りたければ嬢ちゃんも目を通すと良い」

「あ、はい分かりました。お待ちしてますので」

「それと、後は分析班の方だが・・・・・・」    

 そう言いながら彼がゆっくりと顔を向けると、ガブ飲みしたコーヒーに少し咽ながら分析担当者が調査の途中経過を説明する。

「こりゃ失礼!こっちも夕方ぐらいには結果を提出できます。残りは香りに関する調査だけなんで、あと小一時間もすれば済みますし」

「香り?って・・・・・・」

 彼に言う”香り”についてギンガが尋ねると分析担当者は、証拠品の布切れを入れたシャーレを手にとるや、それを落とさぬよう気を配りながら二人の
方へ差し出す。

「どうです、嗅いでみますか?」

 シャーレを受け取ったギンガはそれを顔に近付け、その布に染み込んだ匂いを注意深く嗅いだ。
  
 それは初めて嗅ぐ、だがどこか懐かしさを感じる様な奇妙な香りだった...... 

 何となく柔らかな潮風を思わせ、それでいて何処か特徴のある上品で爽やかな香りが彼女の鼻腔の中で、ゆっくりと広がっていくのが感じられた。

「・・・・・・これは、香水か何か」

「あぁ~確かに、こりゃ香水だな。それも高そうで気取った感じのする」

 先に嗅いだ彼女からシャーレを受け取り、その香りを吟味しながらブロックが率直な感想を述べると、またもや分析担当者がおどけた口調で皮肉を言う。

「でしょ?これが犯人の物だとすれば、俺達から見りゃあキザを通り越してイヤ味に思えますよ」
 
 そう言うと彼はカップに残っていたコーヒーを一息に飲み干し、そして”謎の香り”について二人が話し合う様子を見ながら疲労感たっぷりに溜息をついた。 

 
           ******************************


     Unftorgettable, That's What you are,~♪

               Unftorgettable, though near or far,~♪


 薄暗く香木の煙が仄かに立ち込める店内で異世界の歌声が静かに響く中、そこだけが外の世界から切り離され時代が止まっているかの様な、そんな奇妙な雰囲
気が漂っていた。
 店の奥へと目を向ければ主人と思しき少し年配の男性が、カウンターの上に置かれた年代物のレジの前に座り、広げた新聞の記事へと見入っていた。

 新暦82年5月11日の午後16時ちょうど

 クラナガン北地区の下町で、小さな店を持つ古美術商ヴァンサン・フィデルの元に、その日なんとも奇妙な客人が訪れた。
 
 ・・・・・・まさかそれが主人にとって、今世で最後の接客になろうとは、彼自身すら知る由もなかっただろう。
 
 店の主人ことフィデルが何時もの様に新聞の株式欄を読み始めた時である。
 入口の方から響くドアベルの音に彼が読んでいた新聞から顔を上げると、コツコツという足音と共に落ち着いた足取りで背の高い男性が一人その姿を現した。 
 
 その客は店内に陳列された様々な時代、文化そして民族が生み出した美術品や小物の数々を丹念に品定めするかの如く、ゆっくりと時間を掛けて眺めている様に
見え、そんな彼の様子をフィデルは新聞に目を向けつつ時折、チラチラと視線を店内へ向けながら用心深く伺っていた。

 主人が注意深くなるのも無理はなく、彼が店舗を構える下町の周辺は廃棄地区ほどでは無いにせよ市の中央に比べ、お世辞にも治安が良いとは言い難く、それに
加え最近では店の近辺を含む地域一帯を縄張りにする、凶悪なベルカ人ギャング三人組が出没するとの噂が流れていたからだ。
 とはいえ今フィデルが様子をうかがう中で客は、まるで店内のノスタルジックな空気を楽しむかのように振舞った。
 しかも良く見れば彼の姿は店の雰囲気に合わせたかの様に、前近代的ともいえる服装......優雅に着こなしたトラッド系の黒い紳士服の上から、あまり長居はし
ないつもりなのか折り返しの襟が付いた黒い外套を羽織り、山高帽を少し目深に被ったまま時折ベストの胸ポケットから取り出した片メガネで陳列された美術品の
数々を楽しげに眺めており、その様子はギャングどころか一般庶民ですら及びも付か無い様な身分に思えた。
 その優雅で紳士的な佇まいと無駄一つない動作や仕草からは、何処か貴族的な気品さえも感じられた。
 主人が注意深く見守る中で、その黒服の紳士は店内の中央まで来ると立ち止まり、そこに置かれていた品物をゆっくりと手に取った。

「・・・・・・見事だ」

 その品物を見詰めながら男性は良く通る深みを持った声で静かに呟き、それを聞いたフィデルは読んでいた新聞を畳んで置き、ゆっくりと椅子から腰を上げ接客
の為にカウンターを離れ客の元へと歩み寄った。
 
「お気に召しましたかな?」

 親しげに彼が声を掛けると、その男性が手に持った品物がフィデルの眼に映る。
 それは美しい青く艶やかな石で出来た小さな、だが巧みな職人技で生み出された女神の彫像だった。

「これは瑪瑙(めのう)、いや翡翠ですかな?」

「よくお分かりで、それは上質の青翡翠で出来ております。 どうやら、かなり目が肥えてらっしゃるようで」

「ハハハッ♪まさか。ただ人より少しばかり、好奇心が旺盛なだけですよ」

「いやいやご謙遜を」

 他愛の無い会話に弾みが付き始めた為か、二人の間に何処か和やかな空気が生まれる。

「どうやら色々とお詳しい方の様ですが、どちらからお越しに?」

「私ですか?本来なら御教えしたい処ですが、なにぶん色んな世界に行っては、そこの現地人と交渉したりする仕事ゆえ、詳しく御教えすることは・・・・・・」

「なるほど、それはまた失礼をば」

「いえいえ御気になさらずに。それよりも、この女神・・・・・・ですかな?見た限りでは、さぞ値打ちのある物だと御見受けしますが」

 さり気無く世間話を交えつつ黒服の紳士が、その手に持った翡翠の彫像に関してフィデルに尋ねると、それを聞いた彼は”待ってました”とばかりに、その商品
に関する説明を始めた。

「勿論ですとも♪これはベルカ民族の間で古来より、深く信仰されてきた聖王の彫像でしてな。今から何年か前に古い遺跡から発掘された物なんですよ」

「ほぉ確かに、それはまた。だが発掘された物という事は、何か色々とマズいのでは?例えば所有権云々とか・・・・・・」

「その点は御心配無く。うちで扱う商品は、全て合法的に仕入れた物ばかりなので」

「・・・・・・全て、合法的?」

「えぇ合法的に・・・・・・ちゃんと管理局からも許可を頂いておりますので」

 商品の仕入れ先に関して質問をする客に対し少し間を置いてフィデルは、その声を幾分か潜め気味にしながら仕入れの内訳を仄めかし、それを聞いた紳士は”なる
ほど”と云わんばかりに小さく頷きながら聖王像を見詰める。
 っが感嘆の息を漏らしながら次に紳士の口から出た言葉を耳にした時である、フィデルは思わず自身の耳を疑った。

「それはつまり、発掘された遺跡からの出土品や逮捕された次元犯罪者より押収された美術品を、時空管理局に居られる貴方のご友人から裏のルートを使って秘密
 裏に仕入れ、それをこの店で扱っておられる。っと云う事ですかな?」

「・・・・・・今、何と」

「そして貴方の云う”合法的”というのは、そのご友人が・・・・・・」

 グレーの瞳を持つ目を細めながら自身がひたすら隠していた事実を、さり気無く淡々と語り始める紳士を前にフィデルは、その張りつめた緊張感からか手にジット
リと汗をかいていた。

「そのご友人が管理局や、遺跡の発掘を管轄とするスクライア一族に気付かれぬよう、出土品や押収品に関する書類とデータに細工を施したうえで、仕入れた”商品”
 を特定の顧客に対しネットを通じて高値で売買している、っという事ですな」

「・・・・・・き、今日は、も、ももう店じまい、です、な」

 その空気に耐え切れなくなったのか彼は声を震わせながら、それとなく遠まわしに立ち去るよう紳士に向かって伝える。
 
 ......っが 

「それは大変結構。そうして頂ければ、こちらも邪魔が入らずに済みますからな」

「し、失礼ですが、も、もう帰って頂けますか?」

「そうは参りませんな。今日ここへお伺いしたのは貴方に、幾つかお聞きしたい事があるからですよ、Mrヴァンサン・・・フィデル」

「出てってくれっ!さもないと・・・・・・」

「”さもないと”通報しますかな?だがそれでは、困るのは貴方だと思いますが」 

 我慢の限界が来たのかフィデルは、飽くまで居座ろうとする不気味な訪問者に対し厳しい口調で大声を出すが、しかしそれでもなお紳士は、その落ち着いた姿勢を
崩す事は無く、それどころか相手の反応を楽しむかの様に、わざと勿体ぶった動作で左手に持つ聖王像を、近くに有った丸いテーブルの上へと置きながら、怯えた表
情を浮かべる店主の前へと迫っていた。

「云っておくがうちの店は、法に触れるような事はしていない!なんなら出る処に出て・・・・・・」

「勘違いして貰っては困りますな。言っておきますが私は警察の、いや管理局の者では御座いませんので」

「じ、じゃじゃあ誰だ!一体なんの目的で・・・・・・」

「何より、今こうして御邪魔しているのは、あくまで私の個人的な用件から、お伺いしたまでです」

 ついに店の奥へと追いつめられたフィデルはこめかみに冷たい汗が滲むのを感じ、恐怖に顔を歪めブルブルと身体を小刻みに震わせながら後ろのカウンターに凭れ
かかると、そこに置かれていたペーパーナイフへと手を伸ばす。
 だが彼の震える指先がナイフの柄に届こうとした瞬間、チーン!という鈴の音にも似た軽い金属音がフィデルの耳に響いた。

「あ、あ、あああ、あアンタは、い、いい一体・・・・・・」

 その時フィデルは見た。

 今まさに自身の上へと、のしかかる様にして迫り来る長身の”死神”が姿を。

 研ぎ澄まされた刃の如き鋭い視線で、怯えきった自分を見据える黒衣の”怪物”が本性を。

 そしてなにより、その右手に握られた刃渡り10㎝以上はあろうかという”凶器”を。

「さてMr、私の質問に是非・・・ お 答 え 頂 こ う か 」

 ウィンドウから射す黄昏時の夕日が薄暗い店内をオレンジ色に染める中、物静かな、それでいて威圧的な言葉が紳士の口から紡がれると同時に彼が右手に持つ
象牙のグリップで装飾された異様に大きな”剃刀”が、薄闇の中で不気味に輝いた。


         ********************************


「おい店の明かりが消えた。例のオッサン、そろそろ出て来るみたいだぜ」

「ったくヨォ。どんだけ粘ってんだ?あのオヤジ・・・」

 まだ人通りが多いとはいえ、日も暮れて辺りに夜の帳が下りはじめた北部地区のメインストリート。
 その片隅で派手な服装の若者が二人、通りの向かいにある古美術店の様子を伺いながら、ヒソヒソと言葉を交わしていた。

 古美術商フィデルの元に、黒服の紳士が訪れてから約2時間近く経った午後17時49分ごろ

 北地区一帯を自分達のテリトリーにする札付きのベルカ人ギャング......リーダーである通称”ジョー”ことヨセフ・グリーンを筆頭にスタン・ベリー、そし
てダニー・ヒルの三人組は今夜の獲物に目を付け、今まさに彼らの十八番である『強盗ビジネス』に取り掛かろうとしていた。

 まさか、その行動が元で全員揃って”地獄行の片道切符”を手にする事になろうとは、その時の三人は気付くことすら無かっただろう...... 
 
「ジョー兄貴は今どこに?」

「とっくに先回りして、いつもの路地裏ん前で待ってる!あとは俺ら二人で獲物を追い込むだけさ♪」 

「でもさぁ・・・・・・何か、おかしくねェ?」

「おかしい、って?」

 これから皆で取り掛かる仕事について、その手筈に関し最後の打ち合わせをする中で、やや大柄でスキンヘッドの青年ダニーが口にした疑問に、その相棒で小
柄な体格に襟元まで伸ばした長髪をオールバックにした男スタンが聞き返した。

「だってよぉ、さっき店に入って行った客・・・・・・なんか変な恰好してたし」

「どぉ~でもイィじゃん!どんなカッコしてよ~が」

「でも考えて見ろよ。もうとっくに春だっつぅに、あいつデッかいマントみたいな服着てたしよォ。それに雰囲気もどっか……」

「あんさぁ~、お前もう細けぇ事気にし過ぎんだよぉ!ったくぅ。まぁ確かに雰囲気はおかしかったけどよぉ、でもオッサンが着てた背広とか持ってるカバ
 ンとか見たろ?ありゃきっと相当金目のモン持ってるに違い無ぇぜ」

 未だ煮え切らぬ態度を引き摺る相棒に対しスタンが、かなり腹を立てたのかイラついた声で喝を入れた時である。
 軽やかなドアベルの響きと共に明かりの消えた古美術店のドアが開き、彼らの目当てである暗がりの中から”最後の客”が姿を現した。

「おい、オッサンが出てきた」

「よっし!行くぞ、いつもの手筈通りだ」

 暗闇の中で二人の”ハイエナ”が今宵の獲物を見付けるや、一瞬の間を置く事もなく仕事に取り掛かる。
 まずスタンが通行人を装って道路を渡って店から出た獲物の後方へと回り込むと、そのまま相手との距離に注意しながら後から尾行し、そして相棒のダニーは
向かい側を歩く相手と並行するようにする様にして歩道を行き、丁度キツネを追いかける猟犬の如く”獲物”を、リーダーの待つ路地裏の方向へと追い込んでいく。

 どれくらい歩いただろうか......

 背後から尾けてくるスタンと、通りの向かい側を歩くダニーの気配に薄々感付いているのか今夜の獲物は、時折そっと肩越しに後ろを振返りながらも決して怯
えた素振りすら見せずに一定の速さで歩いて行く。
 そうして歩き続ける内に、やがて皆が人通りの少ない区画へと差し掛かった時である。
 何処から現れたのか”獲物”の前にガッシリとした体格を持ち、青いバンダナを頭に巻いたドレッドヘアーの男が一人、派手なペイントを施した皮ジャケット
姿で近付いてくる。

「すんませ~ん。火ィ貸して貰えますか?」

 そう言うとドレッドヘアの男はポケットから煙草を1本口に咥え、それを見た”獲物”は小さく頷きながら持っていた医療カバンを下に置くと、その懐から小
さな時計が嵌めこまれた、見事な銀のライターを取り出す。
 そのライターが灯す火が暗がりを照らし出す中、煙草に火を付ける為にドレッドヘアの男が顔を寄せた時である。
 薄闇の中で彼が獣の様に眼をギラつかせ、それに相手が気付いた瞬間!その首筋に何か堅く冷たい物が押しつけられる感触が...... 

「おっと!妙な気を起こすんじゃ無ぇぞ、オッサン」

 背後から聞こえたのは気取った口調の、だが凄みをタップリと効かせた脅し文句だった。

「素直に従えば、悪い様にはしネェよ♪」

 そう云うとドレッドヘアの男ことヨセフ・グリーンは、目の前に立つ相手からライターを取り上げ自分のポケットへと押しこむ。
 横を見れば手に狩猟用ナイフを握りしめた、三人目の男ことダニーが足早に道路を渡り皆の元へ近づいてくるのが見えた。

「どうしたよオッサン、エェッ!?なんか言ってみろよ♪それとも、ビビって縮み上がってんのか?」

 その背後から銃身の短いリボルバー......ここミッドでは所持するだけでも重罪となる危険な質量兵器を突き付けながら、相手の反応を楽しむかのようにスタン
が幾分か浮かれた調子で挑発の言葉を口にする。

 ......っとその時

「もし、ここで御誘いを断ったりすれば、皆様は如何なさいますかな?」

 深みのある物静かな声で、彼ら三人が目を付けた今宵の獲物......黒服の紳士が口を開いた。 

「決まってんだろ?そん時は……」

 そういうとヨセフは上着の内側から、柄の部分に派手な髑髏の紋章が彫られたマシェット(山刀)を抜いたかと思うと、その鏡の如くピカピカに磨き上げられた刃
を相手の喉元へと突き付けた。

「断った代償にSTEEL(鋼)をくれてやるよ!」

「おやおや♪それはまた、困りましたなぁ」

 普通ならば震え上がり、ともすれば失神してその場に倒れ込んでしまうような状況、凶悪な武装ギャング達に三方を取り囲まれているにも関わらず黒服の紳士は
怯えた素振りは一切見せず、それどころか落ち着いた様子で苦笑いを浮かべるほどの余裕を見せた。

「なに余裕ブッこいてんだテメェ!!」 

 あくまで落ち着いた姿勢を崩さぬ紳士の態度に苛立ったのか、その背後に立つスタンが大声で怒鳴りながら、突き付けた拳銃を更にグイ!っと押しつけた。

「ウダウダ言ってネェで、さっさと面(ツラ)貸せやオラっ!」

 ドスの利いた声でヨセフが凄むと、相手の背後からスタンが足元のカバンを、また横に居たダニーが紳士が左手に持っていたステッキ......握り部分にドラゴン
を象った、黄金色に輝く彫刻が施された黒く長いステッキを取り上げた。

「んじゃ、ちぃと付き合って貰おうか」

「良いですとも……」

 ギラついた眼でニヤ付きながら凶悪なギャング・グループの頭ことヨセフ・グリーンは、他の二人に目配せで合図をすると皆で取り囲んだまま、その黒服の紳士
を彼らの”仕事場”へと連れていく。

「……皆さんが是非、と言うのであれば」

 薄暗い路地裏へと向かう間、三人は気付く事は無かった.....その紳士が不気味な笑みを浮かべている意味に。

                 ......それが夜のクラナガンを震撼させる『惨劇の輪舞(ロンド)』の幕開けだった。



                                      ・・・・・・Until Next Time

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最終更新:2010年03月02日 23:24