「ど、どうなっ、てんだよ、コレ……」
かつては”破壊する突撃者”の二つ名が元、戦闘機人”ナンバーズ”の中でも最強の突破力を誇っていた、赤毛の少女
ノーヴェですら今は、その眼前に広がる光景に言葉を失い、まるで凍て付いたかの様に立ち尽くすばかりだった。
その黄金色の瞳を大きく見開いて彼女が見詰める前で今、街の......いやクラナガン、強いてはミッドチルダ全体にと
って経済的シンボルとなっていた、ミッド貿易センター第三ビルの玄関前広場と表通りは今、文字通り阿鼻叫喚の地獄絵
図と化していたからだ。
それは十数分前の事......
新暦82年5月11日の午後23時30分を約15秒は過ぎた頃
魔導師部隊からの連絡を受け、待機していた108部隊ならびに本部警備課の陸士全員が、第三ビルの玄関前で一斉に
態勢へと入り、そうして犯人逮捕の瞬間を今か今かと待っていた時である。
皆が見上げる中、地上40階建てはあるビル屋上から突如、まるで黒い翼を持つ死神の如く黒服の紳士が、着込んだ外
套を大きく翻しながら飛び降りたかと思うと、猛スピードで見る間に地上へと落下する。
だが見上げていた陸士や捜査官達が、その後に来る犯人の末路を見まいと眼を背けた瞬間である。
落ちてきた黒服の紳士は、空中で身体を捻る様にして姿勢を整えるや、冷たく硬いコンクリートの路面に叩き付けられ
る事無く鮮やかに着地する。
その際に巻き起こった風圧で、犯人の近くに居た者達が一瞬、身体が浮かんだかの様な錯覚を起こし踏鞴を踏んだ。
いったい何が起こったのか、すぐには理解できぬまま皆が顔を上げた時、そこには着地の際に出来たクレーターの様な
浅い窪みの中に立ち、服に付いた埃を軽く払いながら辺りを見回す紳士の姿があった。
相手の姿を見るや陸士達は、すぐさま持っていた銃器やデバイスを構え、相手との距離を取りながら涼しい顔で立つ紳
士を包囲する。
が悪夢が訪れたのは、その直後だった。
*リリカルxクロス~N2R捜査ファイル
【 A Study In Terror ・・・第五章”殺戮のオデッセイ” 】
一人ひとりが強力な武器を手にし、そして男女を問わず皆が闘う為の厳しい訓練を潜り抜けた、地上本の精鋭達が大凡
でも100名、いやそれ以上の数かもしれない。
そんな彼らが周りを取り囲む中、表通りをガードする班のリーダーが投降を呼びかけた時だった。
ほんの数歩......前に向かって紳士が歩み出したかと思うと、そこから凄まじい跳躍で包囲する陸士達の上を軽やかに
飛び越えた。
そのまま相手の背後へと着地するや紳士は、振返り様にステッキから仕込みの両刃を素早く抜き放ち、それを唖然とす
るリーダーに向かって大上段から一気に振り下ろす。
その間たった数秒......
何か柔らかく水っぽい物が、堅いコンクリートの上に零れ落ちるビチャビチャ!っという音に周囲の者が気付き、皆が
一斉に音の聞こえた方へと目を向けた。
そこには悲鳴すら上げる間も無く路面いっぱいに自分の血と臓物をブチ撒けた上、その身体を真っ二つに両断されたリ
ーダーの骸が無残に転がっていた。
ピクピクと痙攣しながら、生々しい切断面を晒す死体を前に紳士は、右手に握りしめた両刃を大きく振るい、刃に着い
た血脂を払うと鮮やかな手つきで剣を鞘へと素早く収める。
そして女性陸士達の上げた絶叫を切欠に、惨劇の幕が上がった。
周囲の警備課陸士たちの持つ自動拳銃やサブマシンガンが一斉に火を吹くも、黒服の紳士はビクともせず魔導師達が放
つ魔力弾すら造作も無く避けて行く。
更には警棒を手に向かってくる大男の陸士達を素手で次々と倒しながら紳士は、優雅さすら漂う足取りで広場を突き進
んで行く。
そのまま広場の駐輪スペースへと来るや彼は、そこに停められていた大型バイクを片手で軽々と持ち上げ、それをハン
マーの様に振り廻しながら、周囲に居た相手を片っ端から薙ぎ払う。
屈強な精鋭たちが次々と、まるで木の葉の如く宙を舞っていく。
そんな中、遅れて駆け付けた13分署の魔導師たち数名が、相手に目掛け杖型デバイスから放った魔力弾が、今まさに
自分達の上に振り下ろされんとするバイクに命中し、たちまち真っ赤な炎を上げて大破する。
だがそれでも”黒衣の怪物”の蛮行は止まず、手に持っていた凶器が破壊されたと見るや、重量200kgはあろうか
という大型バイクを、まるで紙屑でも捨てるかの様に放り投げた。
そしてまたも驚異的な跳躍で魔導師達の上を飛び越え、その背後へと降り立つや素早く引き抜いた両刃で、相手5人の
首を殆ど一振りで瞬時に撥ね飛ばす。
次々と路面に転がる魔導師達の首の無い骸。その内の一体が握っていたデバイスが暴発し、流れ弾となった魔力弾が広
場に停められていたパトカーを直撃し、轟音とともに真っ赤な火柱が立ち上る。
その直後、大破したパトカーからバンパー部分を引き千切るや、それを武器に黒服の紳士は逃げ惑う陸士達や、デバイ
スを構え束になって突っ込んで来る魔導師達を、情け容赦なく薙ぎ倒して行く。
「なんで、なんで……」
無数の銃声が轟き、数え切れぬほどの魔力弾がオレンジの輝きを放ちながら、まるで花火の様に宙を飛び交う。
そんな中で黒服の紳士は右手に持つ車のバンパーを豪快に振り廻し、その度に屈強な地上本部の精鋭たちが絶叫ととも
に男女を問わず吹っ飛ばされて宙を舞う。
「なんで、そんな……」
そして今、その混沌とした悪夢の様な状況を前に、瞬きすら出来ぬままノーヴェは......かつては”突撃者”の二つ名
を欲しいままにしてきた少女は、その身体の奥底から湧き上がる死の恐怖に震え慄いていた。
「なんで、そんな簡単に……」
彼女の顔からは徐々に血の気が失せて行き、紫色になった小さな唇をワナワナと震わせ、込み上げる嘔吐感に思わず口
元を押さえる。
それでも倒れまいと、必死になって身体を起こそうとするノーヴェだったが、ガクガクと震えだした為か両脚に力が入
らず遂には、その場にガックリと膝を落とした。
「……簡単に人を、殺せるんだよ」
あれは、あの”怪物”はいったい何なのだ?
何故あの男は、あんな容赦なく人を殺せるのだ?
デバイスはおろか魔法すら使わず、かといってIS等と云った質量兵器を駆使する訳でもない。
原始的な武器と素手のみで軽く100人は越える数の相手を容易く翻弄し、その命を何の躊躇も無く奪って行く。
まるで呼吸をするかの如く......
それが当たり前の事であるかの様に......
そんな容赦の無い光景を前にノーヴェは、その場に跪く様な姿勢のまま怯え切った眼で、恐るべき暴威を振う怪物に向
かって狂った様に叫び続けるばかりだった。
「なんでだよ!!なんでそんな事が出来るんだよ!!!」
****************************************
黒衣の怪物が繰り広げる蛮行を前にし、生まれて初めて抱いた”恐怖”の感情にノーヴェが、悲鳴にも似た叫びを上げ
ていたのと同じ頃......
「頼むトマス、そっちで援護してくれ!」
「え、援護しろ、って……一体お前、何するつもりだ!?」
未だ戦場の如き騒乱の止まぬ表通りの外れでは、そこに停められた第108部隊の装甲車が一台
その運転席では車両部隊の制服を着た陸士ケンプが、なかなか始動しないエンジンの起動セルと格闘しながら、もう一
人の陸士トマスに向かって怒鳴り声を上げた。
「だから昇降口んとこの機関銃で、あのバケモンを足止めするんだ!」
「あ、足止めって、さっき見たろ!?機関銃ぐらいじゃ奴は……」
「違う!アイツの足元狙って撃ち捲るんだ!!そうすりゃ、奴だって身動きは出来ない」
銃声やデバイスの射撃音に混じり、数え切れぬ程の悲鳴や断末魔の叫びが聞こえる中、空しく響くセルモーターの音と
融通の利かない相棒の態度にケンプは苛立ちを募らせて行く。
そうして彼が何度目かに起動セルのキーを捻った時、まるで獣が唸るような音を立てて遂にエンジンが始動する。
「よし!よしよしよしよし!良いぞ良いぞ良いぞ。後はコイツで、あのバケモンを踏み潰してやる!」
ようやく動き始めたエンジンの音に狂喜しながら彼は、すぐさま震える手でギアをローに叩き込み、アクセルを目一杯
に踏み込んで装甲車を急発進させる。
まるで岩を思わせる程に頑丈な八つの車輪から、地響きの如き轟音を響かせながら二人を乗せた装甲車が見る間に速度
を上げて行く中、昇降口から半身を乗り出していたトマスが口元のマイクに向かって叫び声を上げた。
「居たぞ!こっから二時の方角だ!!」
彼の叫び声を聞くや運転席の狭い窓からケンプが、その前方へと視線を向けると第三ビルの玄関前広場から、右手に持
つ車のバンパーで周囲を走り回る陸士達を蹴散らしながら、黒服の紳士が表通りへと出る姿が見えた。
「よし撃て!足元狙って撃て!!」
ヘッドフォンから響く彼の怒鳴り声を聞くやトマスは、すぐさま昇降口に取り付けられた大型の7.62mm機関銃の
照準を、標的の足元に合わせる
緊張で汗ばんだ手を震わせながら彼は、その指でトリガーを一気に引き絞る。
闇を引き裂くが如く銃口が火を吹き、銃弾の雨が紳士の足元で弾けて火花を散らした。
そして装甲車は逃げ惑う陸士達を掻き分ける様にしながら、未だ暴れ続ける”黒衣の怪物”を目掛け、猛スピードで突
っ込んでいく。
だが......
それでも黒服の紳士は怯む事は無く、左足を前に踏み出しながら右手に持つバンパーを大きく振り被る様にして構える
と、それを自身に向かって突進する”鋼鉄の猛牛”が如き装甲車に目掛けて投げ放った。
放たれたバンパーは槍の如く風を切り、そのまま装甲車の運転席へと命中する。
それは装甲板と分厚い防弾ガラスを突き破り、悲鳴すら上げる間もなくケンプの頭を粉々に砕くと、派手にブチ撒けら
れた鮮血と脳漿が運転席を真っ赤に染めた。
コントロールを失った装甲車は、たちまち横転するや辺りに部品や鉄片を撒き散らして道路の上を派手に転がる。
それを眺める紳士の前で既にスクラップ同然となった装甲車は、逃げ遅れた陸士を何名か巻き込み、その勢いのまま路
上に停車していたパトカー数台を押し潰すや轟音と共に大爆発を起こす。
深夜の空を赤く染める様にして、高く立ち上る火柱を背に黒服の紳士は惨劇の場を悠然と後にする。
が、その時である。
「 そこで止まりなさいっ!!! 」
彼の背後から響く力強い少女の声。
その場に立ち止まり、ゆっくりと振返りながら紳士が目線の向けるや、その先に見えたのは、鍛え抜かれ程良く引き締
まった肢体を、ピッタリとしたバリアジャケットに包んだ少女が一人......
その可憐な容姿とは不釣り合いな程に、武骨な印象を受ける頑丈なリボルバーナックルを左腕に装着し、輝く様なグリ
ーンの瞳から強い眼光を放つ様に、外套の裾を夜風に揺らして立つ殺戮者の姿を真っ直ぐに見据えていた。
****************************************
「私に何か御用ですかな?お嬢さん……」
良く通る深みを帯びた声で黒服の紳士は、彼を睨む少女に向かって口を開いた。
物静かで落ち着いた口調で喋りつつも、その眼差しは剃刀の様に鋭く狂気を孕んですらいる様にも見える。
相手を見下ろす様にして立つ彼の姿を前にすれば、気弱な者ならば失神しかねない程の威圧感を伴っていた。
「貴方を、第一級殺人罪で逮捕します。今すぐ武器を捨てなさい!」
そんな恐るべき相手を前にしても少女は決して引く事無く、道路の向こうに立つ”怪物”に向け、怒気を孕んだ声で投
降を促した。
「もし”断る”と申し上げたら、如何なさいますか?」
だが彼女の言葉を耳にして尚も黒服の紳士は態度を崩すことは無く、それどころか逆に薄ら笑いを浮かべながら、挑発
とも受け取れる言葉で質問を返す。
「その時は、成すべき事を……」
紳士からの返事を聞くや少女は、その言葉に一段と力を込めて喋りながら、わざとゆっくりとした動作で身構える。
少し腰を落としながら左足を後ろへと引き、そして拳を固く握りしめたままリボルバーナックルを装着した左腕を、後
ろに大きく振り被った。
「……果たすまで!」
シューティングアーツ
近代ベルカ式魔法に基づいた格闘術の構え
一部の隙も無く、全身から燃え上がる様な闘志を放ち、自身が討ち倒すべき”怪物”を見据える少女。
そんな彼女の姿を前に黒服の紳士は、声を立てる事無く一言『美しい。何と見事な』と呟くや、左に持つ長い仕込み杖
の、そのドラゴンの頭を象ったグリップへと手を掛けた。
「では此方としても、是非お受けせねば……」
鋼が擦れ合う音が不気味に響く中、仕込みの鞘から鋭く長い両刃が引き抜かれる。
その研ぎ澄まされた刃が、暗闇の中で妖しく輝いた。
「……なりませんな」
ほんの数秒間
そう実際は数秒のこと。だが対峙する双方にとっては、何時間にも感じられた。
惨劇を生き残った陸士や魔導師達と、遅れて駆け付けた約20名の特機隊が魔導師達、各々が銃器やデバイスを構えな
がら息を飲んで見守る中、最初に動いたのは......
《Master 来ます!》
「トライシールド!!」
デバイスからの警告に少女が叫び声で応えるや、近代ベルカの魔法陣が瞬時に展開。
黒い外套を翼の様に翻しながら紳士が素早い跳躍により彼女の背後へと降り立ち、その頭上を目掛けて振り下ろした刃
を殆ど紙一重で食い止める。
「やるな、お嬢さん……」
右掌で展開した紫に輝く魔法陣を盾に、凄まじい怪力で振り下ろされた両刃を、見事にガッシリと受け止めた少女に向
かって黒服の紳士が不敵に笑い掛ける。
だが彼女は返事をする代わり『破っ!!』という気合と共に、受け止めた両刃もろとも相手を一気に弾き飛ばす。
後方へと飛ばされた紳士は、その大柄な身体を空中で一回転させるや、そのまま路上へと鮮やかに降り立った。
「ならば、これは如何かな?」
そう言い放つや黒服の紳士は、強烈な踏込みで路面を抉るや、相手との間合いを瞬時に詰める。
常人離れした怪力とスピードで、少女に向かって怒涛の如く叩きつけられる両刃の斬撃。
「ディフェンサー!!」
《All right!》
彼の190cmは有る長身から猛然と振り下ろされる、冷酷な刃を全て防御魔法で弾いていく少女。
だが紳士の猛攻は凄まじく、上からだけでなく左右から下方からと縦横無尽に凶刃を振い、相手に反撃する余裕すら与
えず、また一切の躊躇も無く少女を圧倒する。
その衝撃と振動が半円形のシールド越しに彼女の腕へビリビリと伝わり、相手が恐るべき怪力で刃を叩き込む度に少女
の身体は、そのまま後方へジリジリと押されて行く。
”このままでは……”
「ブリッツキャリバー、お願い!」
《All right!Knuckle Duster!》
主からの指示にデバイスが応えるや、空カートリッジを排出しながら魔力を充填、少女の左腕でリボルバーナックルが
唸りを上げて始動する。
回転するリボルバーフィンが風を切り、高速で繰り出された少女の左拳が火花を散らしながら、猛然と振り下ろされた
紳士の刃を弾き返す。
一瞬の隙を突き反撃へと転じる少女。
その両足に装着したローラーブーツを稼働させ、その勢いを借りて繰出した脚撃を、目前に立ちはだかる”怪物”に向
かって素早く叩き込む。
その反撃を黒服の紳士は、後方に向かってバックステップで高く跳躍しながら、わずか数mmの差で避け切った。
再び双方が互いに間を空けて睨みあう中、身構える少女の胸元から不意にパキン!という不吉な音が響く。
「っ!?こ、これは……」
すぐさま自身の身体へと視線を向ける少女。
見れば胸元をガードする銀色のプレートに、酷いヒビ割れが大きく斜めに刻まれていた。
「なるほど。つまり貴女は、この世界のサムライという訳ですな」
その言葉に少女が顔を上げると、そこには大きく千切れ跳んだ外套の裾を、仕込みの鞘を持ったまま左手で軽く摘まみ
上げる紳士の姿が見えた。
「これは面白い。では尚の事お相手せねば、無礼になりますな」
挑発の言葉に物静かな殺意を滲ませながら、右手に持つ両刃を握り直す黒服の紳士。
「……望む、ところです!」
そんな相手を前に少女は、キリキリと音を立てて両の拳を握り締める。
その瞳の色を澄んだグリーンから、自身の怒りを表すかの如く黄金色へと変えて......
****************************************
「頼むッスよぉギンガ…ヤバくなったら直ぐ逃げるッス。逃げなきゃ駄目っス!」
そう不安げに呟きながらウェンディは、姉の身を案じつつ眼下で行われる闘いを、自身のデバイス”ライディングボー
ド”の上から固唾を飲んで見守った。
「に、逃げろよギンガ!あんな、あんなバケモノ相手に一人じゃ……」
武器を構える魔導師達に混じって同じくノーヴェが、まるで悪意の化身が如き”怪物”を相手に、たった一人で果敢に
戦いを挑む姉の姿を食い入る様にして見詰める。
それは彼女たちだけでは無く、その場に居た全員が身動ぎすら出来ぬまま、目前で繰り広げられる死闘に見入る事しか
出来ないでいたのだ。
もう既に銃声やデバイスの射撃音は止み、静まり返った表通りでは、無残に破壊されスクラップと化した車両から噴き
出す炎が、辺りを煌々と照らす中で二つの影が激しく火花を散らしていた。
「いったい貴方は、何が目的でこんな事を!?」
リボルバーナックルの少女ギンガが問い掛ける。
自身に向かって刃を振う”怪物”に対し、己の拳と共に叩きつける様にして。
「もし御自分の事を利口だと御思いなら、理由はご自身で考えなさい」
だが彼女の問い掛けに対し、あくまで黒服の紳士は挑発の言葉でもって応える。
そのスキップを混じえた優雅な跳躍で、ダンスでも舞うかの如く相手を巧みに翻弄しながら。
「良いですな、フォックストロットは得意中の得意ですぞ」
「黙りなさい!!」
闘いの相手を侮辱するかのごとく、この死闘を社交ダンスの舞に例える黒服の紳士。
そんな彼の挑発に乗るまいとギンガは、己が内から湧き上がる炎の如き怒りを必死で抑える。
だが黒服の紳士は無駄な動作を一切見せず、彼女の繰出す攻撃を全て左手に持つ仕込みの鞘で弾き、更には軽やかなス
テップで右へ左へと風の様に素早く移動しながら、相手の死角へと周り込んでは鋭い刃を猛然と振った。
その度にギンガは展開した防御魔法と、左腕のリボルバーナックルで相手の斬撃をブロックするが、それでも避し切れ
なかった刃が、彼女の体に痛々しい傷を幾つも刻んで行く。
「……も、もう、見てられないっス!」
闘いの行方を上空から見守っていたウェンディだったが、時間が経つにつれ傷だらけになっていくギンガの姿を目の当
たりにし、遂に堪え切れなくなったのか援護に向かう為、自身のデバイスに指示を出そうとする。
......だが
【駄目よ!二人とも、そこに居て!】
リンクを通じ上空のウェンディと、そして陸士達とともに地上で闘いを見守っていたノーヴェの元に、逸る二人を押し
留めるギンガの声が響いた。
【でも、このままじゃあ……】
そんな妹の言葉を振り切るかのごとく彼女は、先行きの見えない闘いに終止符を打つべく、思い切った手に出た。
黒服の紳士が繰出す両刃の刺撃をギリギリで避け、その刃が左わき腹を掠める痛みを堪えながら、踏み出された相手の
膝を足場に相手の頭上を高く飛び越えながら......
「ウィングロード!!」
《All right Master!》
デバイスに向かってギンガが指示を飛ばすや、パープル色の輝きを放つ帯状の魔法陣が空中で展開。
その上を彼女がローラーブーツを稼働させながら、その青い長髪を風に靡かせる様にして高速で走り抜ける。
そして加速しながらウィングロードの上から、眼下で両刃を構える黒服の紳士に向かって左拳を叩き込む。
フィンが唸りを上げて風を切り、凄まじい勢いでリボルバーナックルが繰り出され、それを紳士が空かさずブロックす
るも、眩い程の火花を散らしながらギンガの左拳が彼の左手から仕込みの鞘を弾き飛ばす。
その勢いのまま更にギンガは身体を素早くスピンさせ、右からの脚撃を相手に向かって猛然と叩き込む。
それは紳士の着る黒い外套の裾を更に千切り飛ばし、その下に着ていた紳士服の脇を大きく切裂く。
その瞬間、周囲で見守っていた陸士や魔導師達の間から、ドォっ!と歓声が上がった。
それでも怯む事無く黒服の紳士は素早くバックステップで跳躍し、相手との間を取るや右手に持つ両刃を脇に構えて左
手を添え、ギンガに向かって路面が抉れるほどの踏み込みで猛然と刺突を繰出す。
すぐさま彼女はローラーブーツを急稼働させ、その切っ先を紙一重で回避しながら跳躍し、相手の頭上を飛び越えなが
らウィングロードを展開する。
だが、それを見るや黒服の紳士は近くのビルに向かって数歩駆け出したかと思うや、またも踏み込みで路面を抉りなが
ら高く跳躍し、そしてビルの壁面を足場にして更に高く跳躍する。
そのままウィングロードを走るギンガの真上へと来るや、空中で右手に持つ両刃を大きく振り上げた。
「っ!?ディフェンサー!!」
間一髪入れず防御魔法を展開し、すぐさま頭上からの攻撃をブロックするギンガ。
だが次の瞬間!
彼女が展開した半円形のシールドと黒服の紳士の間で突如、稲妻の如き閃光が奔ったかと思うや、まるで地震でも起こ
ったかの様に表通り一帯を激しい揺れが襲い、その場に居た者全員が脚を取られ倒れそうになった。
もうもうと立ち込めた粉塵が辺りを覆う中で、闘いの行方を上空から見守っていたウェンディが目にした物は、まるで
クレーターの様に大きく抉れた道路と、その中心で仰向けの状態で大の字になって倒れる......
「ぎ、ギンガ!?そんな……」
****************************************
「いやいやいや、貴女のその勇気と闘志には、流石の私も感服いたしました」
感嘆の溜息を漏らしながら黒服の紳士は、右手に持っていた両刃を拾い上げた仕込みの鞘へと戻し、そして道路上に出
来たクレーターへと降り立つ。
上空で見守っていたウェンディを含め、周囲の者たちには何が起きたのか直ぐには理解出来ないかった。
あの時、ウィングロードの上を疾走するギンガの頭上へと、黒服の紳士が高く跳躍した時、その攻撃をブロックする為
に彼女が防御魔法を展開した瞬間である。
その半円形のシールドに向かって紳士は、振り上げた両刃では無くグリップを握り締めたままの右拳を、落下速度を利
用する様にして叩き込み、展開したシールドごと相手の身体を下の路面へと叩き付けたのだ。
まるでガラスの如く粉々に砕け散ったシールドが今、クレーターの中に横たわる主の上へと、パープル色に輝く粒子と
なって音も無くゆっくりと降り注いでいた。
「しかしそんな貴女も、ニューヨークで私を捕えたサムライに比べれば……」
死闘の末にヨレヨレとなった外套を揺らしながら黒服の紳士は、凄まじい衝撃と共に全身を路面へと叩き付けられ、傷
だらけで身動きのとれぬ状態となったギンガの傍らへと立った。
「……残念ですが、今一歩と云う処ですかな」
「くっ!」
苦悶の呻きとともに悔しげに睨む彼女を、紳士は悠然と見下ろす。
それを見て遠巻きに包囲していた陸士や魔導師達が、一斉に銃器やデバイスを構えるも誰ひとりとして、そのトリガー
を引き絞るまでには至らなかった。
その場に居た全員が、目前に立つ”黒衣の怪物”を恐れていたからだ。
もし今その内の誰かが発泡すれば怒り狂った”怪物”が、恐るべき刃を抜いて更なる死体の山を築く事になる。
何も出来ぬまま皆がボロボロに傷付いたギンガを、その傍らから見下ろす黒服の紳士の姿を、身動ぎすらも出来ずに凝
視していた時である。
「止せッ!今すぐ彼女から離れろ、このバケモノ!!」
その声にクレーターの中から紳士が陸士達の方へと顔を向けると、そこには制服姿の青年が一人アサルトライフルを手
に、陸士達の列から飛び出そうとする姿が見えた。
「駄目です陸尉!行っちゃ駄目です!」
「は、放せ!皆なにしてんだ!?このままじゃ彼女が……」
額から血を流しつつも彼は、自身を引き留めようとする陸士達の手を振り払い、たった一人で”黒衣の怪物”に立ち向
かおうとしていたのだ。
「頭冷やしなさいラッド!そんなライフル一丁で、あんな怪物相手に勝てるとでも……」
「止めないで下さい!あのままじゃ、あのままじゃ彼女が、ギンガが殺されちまう!!」
「だからって!いま行ったらアンタまで返り討ちにされんのがオチよ!」
周囲に居る仲間たちだけではなく、友人と思しき私服の女性に背後から羽交い絞めにされながらも、制服の青年ことラ
ッド・カルタス陸尉は今まさに傷付き倒れた部下を救わんとしていた。
そう彼の叫ぶ言葉の通り、このまま何もしなければ皆の為に命懸けで怪物に立ち向かい、そして凄まじい死闘を繰り広
げた末に傷つき倒れた仲間を、むざむざと見殺しにしてしまう事になる。
だが今あの怪物と闘って倒せるだけの力と勇気を持った者は、その場には誰も居なかった。
思い切った行動に出られぬジレンマに皆が焦燥感を募らせる中、それを見ていた黒服の紳士が物静かに口を開いた。
「もしかして、あの方は貴女の恋人?それとも婚約者ですかな?」
落ち着いた声で問い掛ける彼の言葉に返事をする事無くギンガは、ただ黙ったまま黄金色から再びグリーンへと戻った
瞳を潤ませながら、彼女を救おうとして叫ぶラッドの声が響く方へと顔を傾けていた。
”主任、みんな……ごめん”
そう心の中で呟く彼女の目からは、いつしか熱い涙の滴が零れ始めていた。
「では御心配無く。その貴女の闘志と……」
そんな彼女の姿を見下ろしながら紳士は、その右手を徐に懐へと差し入れると、わざとゆっくりとした動作で何か細長
い物を抜き出した。
それは銃剣......
古風で、しかも刃渡りが40cmはあろうかという異様に長い銃剣
その研ぎ澄まされ鏡の如く磨き抜かれた刀身が、暗闇の中で鋭く妖しい輝きを放った。
「そして貴女の恋人に免じて、苦しまぬよう一息で……」
一瞬間を置く様にして黒服の紳士は、まるでサーベルの様に長い銃剣を逆手に素早く持ち替えたかと思うや、それを大
きく高く振り上げ、その切っ先を眼下に横たわる少女の胸元に目掛けて一気に......
「ヤぁめろぉぉーー!!!」
「ギンガぁぁーー!!!」
周囲の仲間達に引き留められながらカルタスが、そして上空でウェンディが上げた叫び声が重なり合って響く。
と次の瞬間!
デバイスの凄まじい射撃音が辺りの空気を震わせ、放たれた魔力弾が紳士の右手から銃剣を弾き飛ばす。
弧を描く様にして落ちた刃が、堅いアスファルトの路面上で甲高い金属音を響かせて撥ねた。
ほんの一瞬ではあったが突然の事に彼が、空になった自身の右手を呆然と眺めた時......
「 させるかよォ!! 」
その力強い叫びを聞き黒服の紳士が、いやその場に居た全員が一斉に声の聞こえた方向へと視線を向ける。
そこに見えたのは右腕に装着したガンナックルを構え、先に倒された姉と同じ黄金色の瞳で目前に立つ”怪物”を見据
えながら、紅い短髪を振りみだす様にして立つ少女の姿。
自身が倒れている場所からは姿こそ見えなかったものの、叫び声を聞き驚きの表情を浮かべるギンガの口から、その少
女のものと思しき一つの名前が零れ落ちた。
「……の、ノー…ヴェ?」
・・・・・・Until Next Time
最終更新:2010年04月08日 03:21