「 来るなァー! 寄るんじゃねぇッス!! 」
有らん限りの声を張り上げ、頭の後ろで束ねた深紅の髪を揺さ振る様にして少女ウェンディが叫ぶ。
そして激しい怒声と共に彼女は、その腕に構えたライディングボードのトリガーを引き絞った。
何度も、何度も、力の限り何度も......
「 近寄るんじゃねぇッス、このバケモノ! 変態オヤジぃ!! 」
声がかすれる事も厭わず、いやそれだけでなく自身の右太股に大きく深く口を開けた、酷い裂傷の痛みすら構わぬかの
ようにして力の限り叫び続ける。
そして彼女の怒鳴り声と共に汗ばんだ手で握り締めたボードから、目前の相手に向けて凄まじい射撃音と共に高エネル
ギー弾が続けざまに何度も撃ち放たれた。
だが、それらは全て.....
その照準の先に立つ相手は表情一つ変える事は無く、あたかも曲芸師の如き見事な剣捌きで素早く、自身に向かって放
たれる攻撃を全て両刃の一振りで弾く。
その度に弾かれた高エネルギー弾が光の尾を引き、花火のような輝きを放ってビルの上空へと幾つも舞い上がった。
それでもウェンディは汗だくになって叫びながら、落ち着いた身のこなしで不敵な笑みを浮かべて剣を振う相手に向け
て死に物狂いでトリガーを引き絞った。
そうして彼女が狂ったように射撃を続けていた時、トリガーからカチカチ! という金属音が空しく響くと同時に射出
口から白い蒸気を薄らと立ち上らせてボードが沈黙する。
「 ライディングボード、どうしたっス!? エリアルショット!! 」
突如として沈黙する”相棒”に向け、その心中の焦りを吐き出すかの如く叫ぶウェンディ。
だが彼女からの問い掛けに本局でAIを改良され、音声で会話が出来る様になった自身の固有武装から思いも寄らぬ答
が返って来た。
《 Cartridge Empty! Cartridge Empty! 》
「 クッ! こんな時に、何で…… 」
*リリカルxクロス~N2R捜査ファイル
【 A Study In Terror ・・・第七章 】
それは数十分前の事......
三番街の中央に位置する立体交差点の上空から、近隣のビル屋上に立つ殺人鬼“黒服の紳士”を見つけたウェンディは
すぐ様その事を姉たちに知らせた。
だがその直後に彼女は何と、姉の一人チンクがはやる妹達を諌めようとして語る言葉を聞き流しつつ、無謀にも凶暴残
忍な殺人鬼にたった一人で立ち向かおうとしたのだ。
バカな事をしてるのは分かっていた。
だからと言ってジッとしていられる訳でも無かった。
あの殺人鬼がもたらす恐怖と狂気を前に自分が中空で一人怯え竦んでいた時、そんな相手に姉たちは自身の恐怖を振り
払う様にして、あえて勝てる見込みのない戦いを挑んだのだから。
がくがくと震えの来る脚でビル屋上へと降り立ったウェンディは、いまだ彼女に向かって背を向けたまま、手摺に身を
預ける様にして立つ大鴉の様な黒い影へと注意深く近付いて行く。
ある程度まで近付くとウェンディは、相手との距離に気を払いつつライディングボードを構え、セーフティを解除しな
がら目前で外套の裾を風に揺らす相手に照準を合わせた。
「 み、みミッド地上本部っス! そ、そそそこの男、い今すぐ武器を捨てるッス! 」
声を震わせて怒鳴りながら彼女が発する警告に対し、黒服の紳士は振り向く事はおろか身動ぎすらせず、ただ黙ったま
ま背を向けていた。
そうして何度か口答で警告するも相手は動きを見せず、幾分か焦燥といら立ちを覚え始めたウェンディは自らの“相棒”
に向かって警告射撃を指示する。
「ら、ライディングボード!」
《 Allright! Ariel Shot! 》
鈍い射撃音とともに放たれた高エネルギー弾が黒服の紳士の足元で炸裂し、パラパラと細かなコンクリート片が飛び散
る中で不意に、目前に立っていた相手が動きを見せた。
いや動いたというよりは、高エネルギー弾が炸裂した拍子に手摺から身体がずり落ち、そのまま仰向けにバッタリと倒
れ込んだのだ。
暗がり中で驚きのあまりウェンディが思わず後ろへ一歩飛び退った時、それまで雲に隠れていた三つの月が顔を覗かせ
クラナガンの夜空で輝き始めた時である。
その月明かりが倒れた相手の顔を照らし出した時、それを目にした彼女は一瞬の戸惑いの後に自分が今置かれている状
況を瞬時に理解する。
“……しまった!!”
その次の瞬間!
背後から音もなく歩み寄った黒く背の高い人影が、その右横を素早く擦り抜けたかと思うやウェンディの右脚に激痛が
が走り、彼女は思わず苦悶の叫びと共に腰を落として倒れ込んでしまう。
凄まじい苦痛に呻き声を漏らすウェンディが自身の右脚へと視線を向けると、そこに見えたのは後ろから膝の辺りに掛
けて大きく深く切り裂かれた自身の右太股だった。
「非常にシンプルかつ幼稚な方法ではありますが……」
その声が聞こえた方向へと彼女が目を向けた時、そこに見えたのは長い銃剣に付いた血を洒落たハンカチで拭いながら
こちらの方へと振り向く黒服の紳士の姿だった。
「……こういう月夜の晩だと、思った以上に効果を発揮するものですな」
そう言いながら彼は持っていた銃剣を、落ち着いた仕草で上着の中へと仕舞うと、その整えられた口髭の下で口の端を
釣り上げ不敵にほくそ笑んだ。
そう先にウェンディが前にした人影は、やがて来るであろう追手を誘き寄せる為の囮......
彼女が降り立ったビルの夜警なのか、警備会社の制服を着込んだ上から外套に見立てた暗幕を被せられ、その頭にイン
クで黒く塗ったパーティ用の紙帽子を乗せた警備員の死体だったのだ。
「狙っていたのとは違う獲物が掛りましたが、まぁこれはこれで楽しめると言うもの」
物静かな口調で狂気と殺意を滲ませながら黒服の紳士は、相手の反応を楽しむ様にしてわざと、ゆっくりとした動作で
左に持つ仕込みステッキの握り部分に右手を掛けた。
鋼が擦れ合う不吉な音を響かせて彼が、仕込みの鞘より不気味に輝く両刃をゆっくりと抜きながら、その鋭い切っ先を
ウェンディに向けようとした時である。
「 くっ! ざ、ざっけんじゃねぇッス!!! 」
なけ無しの闘志を振り絞る様にして怒鳴るや彼女は、傍らに有ったライディングボードを掴んで構えると、焼け付くよ
うな右脚の痛みを堪えながら目前の相手に向かってトリガーを引き絞った。
何度も、何度も......
****************************************
「おや? もう御終いですか」
それまで怒涛の如く続いていた射撃が止み、辺りに静けさが戻り始めたのを見て黒服の紳士が、未だ自身に向けて固有
武装を構える少女ウェンディに尋ねた。
「もう少し粘って頂けた方が、私としても退屈せずに・・・・・・」
「 うっせぇ! 勝手な事ほざいてんじゃねぇッス!! 」
緊張している為かこめかみに汗がジットリと流れるのを感じながら彼女は、相手の挙動一つ一つに全神経を集中し尖ら
せつつ手探りで、その左手を腰のベルトに装着した予備マガジンのケースへと伸ばす。
震える手で何とかケースを探り当てるも、上のフラップを開けてみれば収めた筈のマガジンは無く、差し入れた指がケ
ースの内側を空しく引っ掻くばかりだった。
“えっ? そんな・・・・・・”
慌てて周囲を見回わしたウェンディの目に映ったのは、辺りに散らばる幾つもの空薬莢の中へ混ざる様にして落ちてい
た予備のマガジンだった。
そう先に黒服の紳士の手によって右太股を斬りつけられた時、派手に倒れ込んだ拍子にケースに入っていたマガジンが
飛び出したのだ。
「さっ、どうしました。 落とし物を拾わないのですか?」
その声に顔を上げれば、ほんの数mの距離を空けた向こうで黒服の紳士が、右手に持つ両刃を月明かりの中でギラつか
せて立つ姿が見えた。
しかもマガジンは彼が立っている所と、傷付いたウェンディが腰を落として動けずに居る場所の、ちょうど真ん中あた
りに落ちているのだ。
「早く拾わなければ、命の保証は出来ませんぞ」
「 て、てテメェなんかに言われたかねぇッス!! 」
「ならば、今すぐにでも拾えば宜しいのでは?」
その場に漂う張り詰めた様な緊張感と恐怖から文字通り、滝の様な汗を流して睨む彼女の神経を逆撫でする様に、黒服
の紳士は落ち着いた口調で挑発を続ける。
その剃刀の如く鋭い目付きを更に細め、ゆっくりとした足取りで大きく円陣を描く様にして、腰を落としたまま動けな
いでいるウェンディの周囲を歩きながら......
そして更には鼻歌で異世界の音楽と思しき調べを口ずさみ、それに合わせて右手に持つ両刃の剣先を、まるで指揮者が
オーケストラの前で指揮棒を振うようにして軽く揺らし始める
「 やめるッス。 そのフザけた鼻歌を止めるッス!! 」
「ほぉ、ワーグナーはお気に召さぬと? この“ラインの黄金”は名曲……」
「 んなもん知らねぇッス!!! 」
相手からの執拗な挑発を振り払う様にして怒鳴るウェンディ。
それが虚勢なのは自分でも分かり切った事。
だがそれでも彼女は今、こちらの隙を伺う様にして周囲を練り歩く殺人鬼に対し、震えの治まらぬ手でライディングボ
ードを構えたまま精一杯に声を張り上げる。
そんな抜き差しならぬ状況の中で黒服の紳士が遂に、それまで切っ先を揺らしていた両刃を、ゆっくりと相手に向かっ
て振り上げようとした時である。
「 ウ ェ ン デ ィ !!! 」
遠くから彼女の名前を叫ぶ声が夜空に響き渡ったかと思うや、その左斜め横から両刃を振り下ろそうとする殺人鬼に向
けて、黄金色の光を炎の如く放ちながら一発の魔力弾が放たれた。
“……えっ!?”
だが突然の事に驚き目を丸くするウェンディの前で、黒服の紳士は自身の背後から向かって来る魔力弾を振り向きざま
何の造作もなく両刃の一振りで粉々に散らしてしまう。
その直後に叫び声の主が、己が妹を救わんと正に夜空を駆け抜ける彗星の如き猛スピードで、両刃を握り締めて佇む黒
服の紳士に向かって突っ込んで来るのが見えた。
****************************************
「 テッメェェェェェェェっ!!!! 」
熱い......
そうそれは身体が炎に包まれ、真っ赤に燃え上がるかの様な熱さ。
連絡の有った場所に駆け付けた時、その向こうに見えた光景が目に映った瞬間、それまで胸中にモヤモヤと渦巻いてい
た恐怖や焦燥と言った感情が全て吹き飛んだ。
いま彼女ノーヴェの中に有るのは、それこそ全身の血が瞬時に沸騰するかのような感覚。
「 よぉぉぉぉぉぉくもォォォォォォォォっ!!!!! 」
彼女の怒鳴り声は既に言葉にすらなっておらず、さながら猛り狂う野獣の咆哮となって夜空に轟く。
その次の瞬間!
傷付いて動けぬウェンディの上を、二つの影が飛び越えて行く。
『突撃者』の二つ名に相応しいノーヴェからの猛攻に対し素早く身を翻し、後方に向けバックステップで大きく跳躍し
ながら、自身に向けて繰出される右拳の軌道から大きく外れた位置へと降り立つ黒服の紳士。
その向こうではガリガリと耳障りな音を立て、細かなコンクリート片を辺りに撒き散らし、猛スピードで横滑りしなが
ら降り立つノーヴェの姿。
そして削れたコンクリートを更に大きく抉りながらの踏み込み。
続いて忌むべき”怪物”に向かっての跳躍。
「 行くぜジェットエッジィッ!! 」
《 Allraight Sir !! 》
主が声を張り上げて叫ぶ言葉にデバイスが応え、彼女が両足に装着したローラーブーツ、その足首でリボルバーフィン
が唸りを上げて稼働する。
上空で身体を捻りながら体勢を整えるやノーヴェは、その眼下で両刃を握り締めて待ち構える相手に向けて......
「 リィボルバァァァ・スパァァァァァイクッ!!!! 」
燃え上がる炎の如き黄金の光を纏いながら、渾身の力を込める様にして彼女が叩き付ける飛び蹴り。
その攻撃を身動ぎすらせずに両刃の一振りが元、殆ど紙一重で素早く受け流す黒服の紳士。
渾身の蹴りを受け流されたノーヴェは、着地するや間一髪入れず立ち上がり様に身体を素早くスピンさせ、その踵部分
で点火したブースターの勢い借りて右側より猛然とハイキックを繰り出す。
だがそれも”怪物”の身体を掠める事すら無く、相手が振う両刃とカチ合って空気が震える程の金属音が響いたかと思
うと、凄まじい火花を散らしながらいとも容易く弾かれてしまう。
「 まァだまだァァァァー!! 」
それでも怒り狂ったノーヴェの猛攻は止まず、すぐさま姿勢を立て直すや続けざまに右腕を大きく振り被り、そのまま
一気に右拳を叩き込む。
今の彼女は激しい怒りに我を失い、理性のブレーキが壊れたかの様に相手に向けて左右からの脚撃、更にはガンナック
ルによる右拳の応酬を怒涛の如く繰出す。
だがしかし......
それらノーヴェの攻撃は全て火花を散らしながら弾かれ、あるいは容易く受け流され、一つとして相手の身体に届く事
は無く、それどころか攻撃を繰り出す度に防ぎ切れなかった刃が彼女の身体に酷い傷を刻んでいく。
「くっ! もう少し、もう少しッス……」
双方が凄まじい死闘を繰り広げる様を横目に見つつウェンディは、もう既に感覚が無くなり始めた右脚を引き摺りなが
ら必死になって、その目の前に落ちている予備マガジンへと手を伸ばす。
だが彼女の手がようやくマガジンへと届いた時である。
攻撃の隙を突いて黒服の紳士が、仕込みの鞘を持ったまま左手でノーヴェの胸倉をガッシリと掴み、そのまま彼女の身
体を高く持ち上げると振り返る様にして立ち位置を素早く変える。
すると激しくもがくノーヴェの背後で凄まじい音響と共に、目も眩むような閃光を放ちながら何かが弾けた。
驚いて顔を上げたウェンディの目に映ったものは、“怪物”の手で胸倉を掴まれて高く持ち上げられ、ぐったりと項垂
れて意識を失なうノーヴェの姿だった。
突然の事にパニックに陥った彼女が辺りを見回した時、そこに見えたのは通りを挟んだ向かい側に建つビルの屋上、そ
こで自身の相棒“イノーメスカノン”を構えたまま呆然とする姉ディエチの姿。
そう死闘の最中に黒服の紳士は、隣のビルから自身に向け照準を合わせる彼女の存在に気付き、すぐさまノーヴェの身
体を盾にして放たれた高エネルギー弾を防いだのだ。
「残念ですが、貴女が相手だと児戯にすらなりませんな」
そう語りかけると彼は目前で意識を失い、うつろな目を開いたままぐったりとするノーヴェの身体を、まるでゴミ屑の
様に傍らへと放り投げた。
「そこを動かぬように、お二人とも後でタップリとお相手いたします故……」
そう呟くような声で言い放つと黒服の紳士は、その射抜くかのような鋭い眼差しで次なる獲物の姿を捕えながら、ゆっ
くりとした仕草で前へと踏み出す。
その彼の視線を追ってウェンディが見たものは、誤って自身の姉を撃ってしまった事に大きなショックを受け、その場
に座り込んで力なく肩を落とすディエチの姿。
「 逃げるッス! ディエチ逃げるッス、早く逃げるッス!! 」
未だ我を失って項垂れる彼女に向かってウェンディが、その声を張り上げて必死に危機を知らせる。
だが時既に遅し!
彼女が叫んだ時、その凄まじい跳躍力で黒服の紳士は片側二車線の通りを飛び越え、今まさに隣のビル屋上へと降り立
たんとしていた。
****************************************
【 アイツが! アイツがこっちに来る!! 】
そのビルの最上階に到着しエレベーターを降りるチンクの元に、機人同士のリンクを通じて妹ディエチからの悲鳴のよ
うな叫びが響く。
【 ダメ、止められない! アイツを止められない!! 】
「 待ってろディエチ! 姉もすぐそっちへ行く!! 」
妹からの悲痛な叫びに必死で答えながらチンクは、屋上へと続く階段を探して死に物狂いで走る。
だが彼女が屋上を目指しフロアを走り回っている間にも、妹の物と思しき射撃音が立て続けに幾つも聞こえた。
そしてようやく見つけた屋上へと続く階段を駆け上っていた時、チンクの胸中に湧き上がって来たもの。
それは後悔の念......
二人が現場へと到着した際に、本部へ状況を報告する為とは言え妹を一人で先に行かせてしまった事。
その事に対する後悔が今胸中を埋め尽くそうとする中でチンクは、ハァハァと熱い息を吐いて汗だくになりながら階段
を死に物狂いで駆け上る。
そうしてやっと屋上にたどり着いた時、チンクがそこで見たもの。
それは自身の固有武装もろとも、その身体を“怪物”が振り下ろした両刃で袈裟掛けにバッサリと切り裂かれ、まるで
噴水の様に真っ赤な血飛沫を吹き上げて倒れる妹の姿だった。
「 ディエチィィィィィィィっ!!!! 」
その瞬間チンクの周りで世界が、ガラガラと音を立てて崩れて行った。
その命を代償にしてでも守り抜こうとしていた物がまた一つ、それも自身の目前で奪われたのだから。
ただでさえ上がり気味だった呼吸は限界を越え、その場にガックリと膝を落とした彼女は、そのまま倒れ込みそうにな
る己が身体を、階段の手摺を掴んだ左手だけで辛うじて支えていた。
その意識は混濁していき、目の前の光景がボンヤリと霞み始める中、またも眼帯の奥で重く疼き始めた右眼の痛みに押
し潰されそうになる。
“ いやまだだ、まだ倒れるには早い! ”
薄れかけた意識の中からチンクに向かって、何かが力強い言葉で語りかけた。
その言葉に押されるようにして彼女は、その重く圧し掛かる絶望と右眼の痛みを振り払う様にして、未だ震えの治まら
ぬ両脚でヨロヨロと立ち上がる。
そうしてチンクが滝の様な汗でグッショリになった顔を上げた時、その左眼に映ったものは血だまりの中で横たわる妹
の身体と、その傍らに立ち目深に被った山高帽の下から鋭い目で睨む背の高い“怪物”の姿。
「……許さぬ」
唇を震わせながら紡ぎだされる彼女の言葉。
それは自身の奥底から、湧き上がる様にして吐き出された“怒り”そのもの。
「 許さぬ、許さぬ、許さぬ!! 絶 対 に 許 さ ぬ っ !!! 」
凄まじい怒鳴り声を上げてチンクは、目に見えぬ大きな力に突き動かされる様にして、それまで居た踊り場から外に向
かって大きく踏み出す。
その両手に握り締めた全部で6本のダガーナイフを、薄闇の中でギラつかせて......
「 貴様が! 貴様の如きバケモノが、我が妹に近寄るなっ!! 」
その顔を涙混じりの汗で濡らしながら怒声を放つチンク。
そして彼女は左足を前に踏み出し、その武骨なロングコートを翻す様にして腕を大きく振り被ると、相手に向かって右
のダガー3本を渾身の力を込めて真っ直ぐに投擲。
だがそれを黒服の紳士は両刃の一振りが元に素早く弾き飛ばし、放たれたナイフは甲高い金属音を響かせ、全て粉々に
砕け散る。
「 ディエチから、 私 の 妹 か ら 離 れ ろ っ !!! 」
普段の物静かな彼女とは別人の様に、声を張り上げ野獣の如く猛り狂うチンク。
続けて左の3本を投擲! 更にまた右から、そして両手で6本......
青白い月の輝きが辺りを照らす中で彼女は、まるで舞を踊るかの様な身のこなしが元、その目前で刃を振う憎き殺人鬼
に向け、両手に持つダガーナイフを怒涛の如く叩き込む。
チンクが全身をバネにしてダガーを投擲する度に、その向こうでは黒服の紳士が優雅な身のこなしで刃を振い、そうし
て眩い火花が瞬く中で彼の周囲には粉々になったダガーの破片が無数に舞い散った。
そうして投擲を続ける合間に彼女は自身と相手の立ち位置、そして傷付いた妹が倒れている場所との距離を確認するや
両手に持つダガー6本を低めに狙って同時に投擲する。
それが全て黒服の紳士が足元に、カカカっ!という耳障りな音を立てて突き刺さるのを確認するや......
「 Runble !! 」
すぐさまチンクは自身のISを起動させるキーワードを叫ぶ。
「 Detonation !! 」
っと同時に黒服の紳士の足元に刺さったダガーナイフから、目も眩む程の閃光が迸り......
「 吹 っ 飛 べ ぇ ぇ ぇ ッ !!!!! 」
そして凄まじい轟音とともに真っ赤な火柱が立ち上り、それがチンクの居るビルの屋上全体、そしてビルの周辺を煌々
と照らしだした。
“ た、倒したのか!? ”
もうもうと立ち込める黒煙に咽かえりながらも彼女は、その生死を確認する為に爆発の中へと消えた相手の姿を、燃え
盛る炎を見透かす様にして探した。
だがその時である!
「 危ない、上ぇぇっ! 上に居るッスぅ!! 」
隣のビルから響くウェンディの叫びを聞きチンクが、すぐさま上空を見上げた瞬間そこには、まるで漆黒の大鴉が如く
外套を大きく翻し、右手に持つ両刃を高く振り上げて落下してくる“怪物”の姿。
自身の体重と落下速度を利用する様にして猛然と振り下ろされる刃を、ほぼ紙一重で避けたチンクだったが、それでも
完全には避け切れなかったのか自身の左腕に激痛が走る。
すぐさま視線を下げた彼女の目に見えたのは、肘の部分から皮一枚で繋がった状態で垂れ下がる自身の左腕。
そして更に追い打ちを掛けるが如く黒服の紳士は、その見上げる様な長身を捻り大きく右手を振り被るや、その鋭い切
っ先を何の躊躇いも無くチンクに向かって......
「 チ ン ク 姉 ぇ っ !!!! 」
青冷めた夜空に姉の名を呼ぶウェンディの痛々しい叫びが響き渡る中、その視線の先に見えたのは右肩に刀身の長い両
刃を突き立てられ、そのまま串刺しにされた姉の無残な姿だった。
****************************************
「 止めてぇぇっ!! 止めてくれッス!! 」
彼女は叫んだ。
自身の相棒ライディングボードを脇へと投げ出し、意識を失って倒れた姉ノーヴェの身体を抱きかかえながら、喉が枯
れる事さえ厭わずに叫び続けた。
その通りを挟んだの向こう側のビル屋上で、もう一人の姉チンクが今まさに忌むべき“怪物”の手によって、無残に嬲
り者にされようとしているのだから。
そう黒服の紳士は獲物に向かって己が刃を突き立てた際、わざと急所を外して相手の身体を貫いた上で、すぐには刀身
を引き抜かず串刺しにしたまま佇んでいたのだ。
「 もう止めてくれッス! チンク姉ぇを、チンク姉ぇを放してくれッス!! 」
今にも血を吐きそうな勢いで叫ぶウェンディ。
先に倒れたノーヴェの身体を、その腕にしっかりと抱いて叫び続けた。
そんな彼女の反応を楽しむかの如く黒服の紳士は屈む様な姿勢で、その目前にて自身が両刃によって貫かれて苦痛の呻
きを漏らし、苦悶の表情を浮かべる隻眼の少女の顔を覗き込む。
そして薄ら笑いを浮かべながら彼女に向かって、ボソボソと何かを囁きかけたかと思うと、不意に突き刺したままの両
刃を大きくグイッ!と捻り、それと同時にチンクの口から絶叫が響いた。
「 イヤァァァーーっ! もう、もう止めるッス。 そんな、もう、チンク姉ぇを……もう放してくれッス!! 」
彼女の口から響く悲鳴に打ちひしがれ、姉の救いを請いながら涙声で叫ぶウェンディ。
その二つの叫びが重なり合い、ユニゾンになるのを耳にするや黒服の紳士は、えも云われぬ様なうっとりとした表情を
浮かべると、またも何かを囁きくと更に獲物へ突き刺した両刃を大きく捻ろうとする。
だがその時である!
凄まじい突風が吹き荒れたかと思うや、驚くウェンディの目前に空気を震わすローター音とともに、その眼下より一機
のヘリコプターが姿を現し、向かいのビル屋上をサーチライトで照らしだした。
突然のことに事態が掴めぬまま呆然となる彼女の目に、中空でホバリングをしながら停止するヘリの機体、その横に大
きく描かれたエンブレムが映った。
「 我々はミッド地上本部の者です! そこの男、今すぐ人質を解放しなさい!! 」
ヘリに搭載された外部スピーカーより、力強く響き渡る怒気を孕んだ女性の声。
黒服の紳士が顔を上げれば、そこに見えたのは声の主たる女性の姿。
陸戦魔導師なのだろうか右手に槍型のデバイスを携え、黒っぽいコート型バリアジャケットを伊達に着込んだショート
ヘアの女性が、ヘリの後部席より彼を真直ぐに睨んでいた。
「 もう一度言います! 今すぐ人質を解放し、そして武器を下に置きなさい!! 」
口元のマイクに向かって彼女が声を張り上げると同時に、ドカドカと重い靴音を響かせながらビル屋上へと続く階段の
踊り場より、十名以上は居るだろうか完全武装の魔導師達が姿を現す。
そして彼等は相手との距離を空けつつ半円形に陣を組み、いまだ右手に持つ両刃でチンクの右肩を貫いたまま佇む黒服
の紳士に対し、全員が杖型の汎用ストレージデバイスを一斉に構えた。
その状況に彼は幾分か不満げな表情を浮かべると、かなり腹立たしげな様子で突き刺していた両刃を相手の身体から素
早く一気に引く抜く。
すると苦痛から解放されたチンクの身体は、ビシャ! という湿った水音を立てながら、その足元に出来た血溜りの中
へと倒れ込んだ。
「 チンク姉ぇ!! 」
その様子を目の当たりにしたウェンディの叫びが響く中、彼女が居るビル屋上にもアサルトライフルやサブマシンガン
で武装した、約20名以上の陸士達が堅い靴音を立てて姿を見せる。
「クソッ! 何てこった。 おい誰か、救護班に連絡を! 大至急だ!!」
そこで傷付き倒れたウェンディとノーヴェの姿を見た陸士の一人が、他の同僚達に向かって救援を要請する声が響く。
だがその隣のビル屋上では駆け付けた陸戦魔導師たちと、未だ右手に両刃を握り締めたまま投降する様子を見せようと
しない黒服の紳士との間で、緊張感漂う睨み合いが続いていた。
そしてヘリに乗る女性魔導師が、その視線の向こうで外套を風に揺らしながら佇む殺人鬼に対し三度、警告の言葉を放
とうとした時である。
「 そこの黒服の男! 今すぐ武器を置いて投降なさい!! 」
殺人鬼が立つビル屋上付近の中空でホバリングを続けるヘリの更に上空より、また別の女性の声で投降を呼びかける言
葉が力強く響いた。
その声を聞き黒服の紳士が、その彼と対峙する陸戦魔導師たちとヘリに乗る女性魔導師が、そして隣のビル屋上で救護
員たちによって姉と共に応急処置を受けていたウェンディが空を見上げる。
その場に居た皆が上空を見上げる中、その視線の先に見えたのは右手に黒い斧型のデバイスを携え、空中に展開した魔
法陣の上に立つ女性執務官の“戦女神”の如き姿だった。
「 あなたを第一級殺人の現行犯で逮捕します! 今すぐ抵抗を止め、速やかに武器を下に置きなさい!! 」
雪の様に真っ白なマントを象ったバリアジャケットを翻し、およそでも20名以上は居る空戦魔導師たちの先頭に立つ
彼女は、その緋色の瞳で自身が立向うべき“怪物”を真直ぐに見据える。
「フェイト、さん? なんで、ここに?」
その様子を救護員の手当てを受けながら見ていたウェンディの口から、その執務官のものらしき名前が零れる。
だがそんな中でも黒服の紳士は動じる様子を一切見せず、それどころか新たに姿を見せた“女神”の姿を見上げ、仕込
みの鞘を持ったままの左手を帽子に添えて軽く会釈をした。
「 もう一度云います! 今すぐ武器を…… 」
あくまで態度を崩さず余裕すら見せる相手に対し、彼女フェイトが更に語気を強めながら今一度、殺人鬼に向かって警
告を発しようとした時である。
「 執務官! ハラオウン執務官! 待って下さい!! 」
その言葉を遮る様にして、あのヘリに乗った女性魔導師が外部スピーカーを通じ、上空のフェイトと本局の魔導師たち
に向けて叫び声を上げる。
「 あなたは!? 所属と氏名そして階級を……」
「 私はミッド地上本部諜報課のマーサ・フランケ! 階級は三等陸佐!! 」
フェイトからの問い掛けに対しヘリの外部スピーカーから、あのショートヘアの女性魔導師ことフランケ三佐の声が上
空に向かって高らかに響いた。
「 ここは我々地上本部の管轄です! 従って、あの男の逮捕権は我々に……」
「 いいえ! あの男は、あなた方の手に負える相手ではありません!! 」
現場での捜査権を主張するフランケ三佐に対し、その言葉をフェイトの声が切り捨てる様にして遮った。
「 ここから先はミッド海上の管轄となります! あとは私達に任せて下さい! 」
「 それは容認できません! 正式な手続きもなく捜査に介入すると言うのであれば、重大な越権行為になります! 」
声高に叫びながらフランケ三佐は右手に握り締めた槍型デバイスを射撃モードに設定し、またフェイトも相手に対し厳
しい視線を向けつつ、自身の相棒“バルディッシュ”を堅く握りしめる。
現場には張り詰めた緊張感が流れ、ともすれば双方のリーダー同士が皆の見ている前で、己が信念を掛け戦闘の火蓋を
切りかねない一色即発の空気が漂い始めた。
ビル屋上で犯人に向けてデバイスを構える陸戦魔導師たち、そしてビル上空にて包囲網を展開する空戦魔導師たち全員
が皆、身動ぎすら出来ずに互いの状況を見守る。
「なに、してんッスか! こんな時に、みんな何を……」
そんな中で遂に堪え切れなくなったのか、傷付いた身体を鞭打つかの如くウェンディが若い救護員に支えられながら立
ち上がり、そして現場で対立する双方に向かって声を上げようとする。
「 静粛に! どうか皆さん静粛に 」
が、しかしそこに意外な人物が割り込んだ。
「 どうやら、色々と事情が込み入って来たように、お見受けしますが? 」
深く良く通る声で双方の間に割って来たのは他ならぬ、この騒動の元凶たる黒服の紳士その人であった。
「 全く何もかも興醒め、これでは折角の余興も台無しですぞ 」
その場に居た全員が呆然と見守る中で彼は、その右手に持った両刃を落ち着いた仕草で鞘へと戻しながら、朗々とした
口調で話を続ける。
「 仕方が有りませんな、ではこうしましょう。 皆様のお相手は、また日を改めてということで 」
そう話し終えると黒服の紳士は、自身に向かってデバイスの照準を合わせる魔導師たち、そして射抜く様な眼差しで睨
むフェイトとフランケ三佐の二人へと静かに笑いかける。
「 それでは皆様。 今宵はこれにて、失・礼 」
そうして彼は気取った仕草、目深に被っていた山高帽を軽く右手で摘まんで持ち上げると、自身に対し武器を構える皆
に向かって会釈をするや......
「「 止まりなさい!! 」」
それは一瞬の出来事。
二人のリーダーが叫ぶ制止の声がユニゾンとなって響き、それを合図にビル屋上の陸戦魔導師そして上空の空戦魔導師
だちが一斉に攻撃魔法を発動させる。
色とりどりの魔力弾が数え切れぬほどに飛び交う中を黒服の紳士は、その大鴉の翼が如き外套を派手に翻すや正に風の
如き早さで駆け抜け、そのまま屋上の手摺を飛び越え大通りへと身を躍らせた。
実際には数秒間の、だが隣のビルで目撃していた彼女にとっては、それが何時間にも感じられただろう。
その眼下に広がる大通りへと飛び出した時に“怪物”は、その様子を瞬きもせずに凝視するウェンディに向け、したり
顔で笑いながら左眼を瞑ってウィンクをしたのだ。
まるで『お楽しみは、この次に』とでも告げるが如く。
「……見付けて、やるッス」
気が付けば彼女は救護員の手を振り払い、傷付いた右脚を痛みを堪えて引き摺りながら、つい今しがた隣のビルから黒
服の紳士が飛び降りた方へと走って行く。
そして手摺から身を乗り出す様な姿勢で眼下に広がる大通りを見下ろすとウェンディは、有らん限りの声を張り上げて
怒りの雄叫びをあげた。
「 見付けてやるッス! 絶対に見付けて、皆の借りを返してやるッス!! 忘れんなバケモノ野郎ォっ!!! 」
フェイトに率いられた空戦魔導師たちが、そしてフランケ三佐を乗せた地上本部のヘリが、まんまと皆の前から逃亡し
た殺人鬼を捕える為に追跡を始める中で、彼女の叫び声は風に乗って果てることなく響き渡る。
そして現場に残った陸士たち皆の上で、西の空が白々と明るみを増し夜の闇が薄れ始めていた。
そうそれは大都市クラナガンにとって、まるで血と酸臭に満ちた「惨劇の一夜」が明けた事を告げるように......
・・・・・・Until Next Time