徐晃

「徐晃」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

徐晃」(2023/07/13 (木) 14:43:33) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

//「SANGO FIGHTER」を書いた者です。『武将争覇2』に関連して修正させていただきました。 #image(left,XuHuang-sango-face.gif,float,title=徐晃) &sizex(7){&font(b,i,#C71585){「あ!」}} #image(left,あ!.jpg,float,title=「あ!」)  &bold(){徐晃}(じょこう、Xu Huang(シー・フアン)169年 -227年)は、  後漢末期から三国時代の魏にかけて生きた武将で、  三国志の時代において活躍した。  字(あざな)は&b(){公明}(こうめい、gong ming(ゴンミン))。  徐蓋の父であり、徐覇の祖父。河東郡楊県(現山西省洪洞県南部)出身。 『正史』と後の小説作品『三国志演義』とで人物像が大きく異なる人物。 『正史』では叩き上げだが武将としてトップクラスの戦術に長けた知将として描かれており、 間者を使った情報収集や、常に敗戦時の対策を念頭に置いて戦いを進めるなど堅実な戦い方を行った。 その一方で好機と見るや、配下に食事の暇も与えないほどの猛烈な追撃を行う事もあったという。 また武功を挙げても奢る素振りは見せず、部下には親身に接したために人望が厚かったと伝えられている。 ただし上司にはやや弱いらしく、戦闘を曹操に止められていたにも拘らず、血気に逸る曹洪を止めきれず戦闘をし大敗したりもしている。 この敗戦の責任の大半は曹洪ではあるが、君主の命に従えきれなかった徐晃にも責任はあるだろう。 この時の曹操の怒りは凄まじく、徐晃はおろか従兄弟である曹洪ですら死罪となる所だった。 『演義』では少々短気な性格ながらも、大斧を愛用する怪力の武将として登場する。 この大斧は徐晃のシンボルとして捉えられており、後の彼をモデルとしたキャラクターの多くが大斧使いとして描かれている。 樊城の戦い(219年)においての一騎打ちでは[[関羽]]と互角の戦いを繰り広げ、結果退けたという武勇伝を持つ。 ……当時、[[どちらも>三島一八]][[50代以上>李超狼]]だと思われるのに[[元気な事で>三島平八]]。 ちなみに「[[関羽]]とは同郷の友」という設定は、毛宗崗による改訂版(毛宗崗本)から付け加えられたもの (ただし史書でも蜀志「関羽伝」が引く『蜀記』によれば両者は旧知であったとされている)。 数ある『演義』の中で決定版とされる毛宗崗本では、徐晃に関する追加・改変は他にも存在するが、ここでは割愛する。&link_anchor(*1){*1} //「毛宗崗 徐晃」などで検索すると「Title 毛宗崗本『三国志演義』における魏の降将」などが見れるのでそちらも参照 『演義』の失敗談としては[[漢中を巡る蜀との戦争(217~219年)>夏侯淵]]において、 漢水の戦いにて背水の陣を敷くも[[黄忠]]・[[趙雲]]・諸葛亮に敗北。 //日本語で検索すると横山光輝三国志ばかりヒットするが、中国語でも背水の陣の記述が出るので横山版の創作ではないみたい この際に仲違いをしていた王平に罪を擦り付けようとするが、王平はそれを察知して蜀に帰順。 その後、王平は蜀の北伐において大活躍をし、諸葛亮の死後は蜀の軍事の中核の一人と呼べるほどにまで至る。 魏にとってかなり厄介な敵を作り出す原因となった。 #image(あ…?.jpg,title=「あ…?」,left,float)  ちなみに『正史』と『演義』では死に方が違う人物の一人。  『正史』では関羽の死から7年後の227年に病没しているが、  『演義』では1年延命され、孟達の反乱時に彼に眉間を射抜かれて死亡する。&link_anchor(*2){*2}  同じく関羽の死に関わった呂蒙も『正史』は病死だったが、  『演義』では&b(){関羽の亡霊の呪いにより狂死}する事になった。  関羽パワー(というか関羽[[信仰心>東風谷早苗]])恐るべしと[[言わざるを得ない>お覇王]]。 #clear ---- **格闘ゲームにおける徐晃 1993年に台湾の「熊猫軟體股扮有限公司(Panda Entertainment)」によって制作されたPCゲーム『[[SangoFighter>SANGO FIGHTER]](正式名『三國志 武將爭霸』)』、 および1995年に発売された続編の『SangoFighter2(『武將爭覇2』)』に登場している。 キャラとしては演義版に近く、自慢の大斧を振り回して攻撃する。 リーチが長めで[[必殺技]]は連続ヒットして相手の[[体力>ライフバー]]をガリガリ削っていくので、中々の強さを持つ。 ---- **MUGENにおける徐晃 『武將爭覇2』の韓国語版を元に、General Chicken氏が製作したものが存在。 残念ながら代理公開先であった海外サイト「Mugen Storehouse」は消滅してしまったが、 後述するolt-EDEN氏の外部[[AI]]に同梱されているため、現在も入手可能。 よく[[ポトレ>ポートレイト]]のハングルから[[韓国ゲー>ファイトフィーバー]]と勘違いされるが、これは氏がキャラ製作の際に韓国語版を使用したためで、 上記の通り台湾ゲーであり、元ゲーのポトレでは漢字で「徐晃(台湾は繁体字を使用)」と表示される。 ニコニコではいくつかのトーナメントに出場しているが、 中でも知名度を上げた[[超巨大タッグトーナメント>ゲージMAXタッグトーナメント【ゲジマユ2】]]では[[肉体派魔法少女>霧島佳乃]]と前衛後衛に分かれた優れた連携を見せ活躍した。 大斧を振り回しながら宙を舞うその姿から、コーエーの『無双OROCHI』における、 徐晃のジャンプチャージ攻撃バグを想起した人々により&b(){「ジョコプター」}の異名を与えられ、 [[勝利時>勝ちポーズ]]のセリフが&b(){「あ!」}と叫ぶだけ、というインパクトから勝利時には「あ!」コメントが絶えない。 語呂がいいのか&b(3){「ジョコタン」}という某アイドルと似た愛称で呼ばれてもいる。 これらのあだ名は(『[[真・三國無双]]』シリーズの)徐晃ファンの間では以前から使われていたものであり(JCのジョコプター自体の初出は『4』から)、 MUGENでの愛称もそちらから派生したものだと思われる。 AIはデフォルトで搭載されている他、前述の通りolt-EDEN氏が本体同梱で外部AIを公開している。 想定ランクは強~凶下位との事。 |[[プレイヤー操作]](4:00~)&br()&nicovideo(sm8870745)|参考:『無双OROCHI』の徐晃JCバグ&br()&nicovideo(sm84589)| #aa(){{                               |                            \     /                    ,.-'⌒ヽ,      /⌒\    ,.‐、,ノ⌒ヽ_        ノ     ヽ、 ― ( ゚ ∀ ゚ ) ―   ,ノ   ノ   ヽ__   (´  ,ノヽ    )    \_/  (´ (⌒´ _,.-――'  ,.-' (´     `)`ー-、/  ノ⌒ヽ、   `ー-―'´       (´   ,ヽ、 (⌒     ヽ、(    ,;ヽ               `ー-'´ ⌒'ー、,,,,,,,,..,,.-' ̄ ̄  `ー'´ ´}} #image(ジョコプター.gif,title=「これぞ武の極み」) ***出場大会 #region(一覧) #list_by_tagsearch_cache([大会],[徐晃],sort=hiduke,100) ''削除済み'' #list_by_tagsearch_cache([削除済み大会],[徐晃],sort=hiduke,100) #co(){ ''更新停止中'' #list_by_tagsearch_cache([更新停止中大会],[徐晃],sort=hiduke,100) } ''凍結'' #list_by_tagsearch_cache([凍結大会],[徐晃],sort=hiduke,100) #endregion ***出演ストーリー [[戦え!爆炎少女ヒロ]] ***プレイヤー操作 [[ランダムセレクトでサバイバルは制覇できるのかー]](part34操作キャラ) ---- &aname(*1,option=nolink){&color(red){*1}} 『演義』の改訂に関する徐晃以外の特筆事項は曹操の扱いだろう。 『三国志演義』における曹操は、『正史』の要素を取り入れた結果、 実は本家中国においても当初は悪役ながらも魅力のある大人物として描かれていた。 ただこのキャラクター像が当時の読者に受けなかったのか、その後時代を下って改訂されるにつれて「ヴィラン」としての描写が薄れ、 毛宗崗本系統になる頃には「[[ヒール>ジャック・ザ・リッパー]]」にまで格が下がった……という悲しい凋落を辿っている (まあこれでも正史曹操の要素がほぼ無いただの悪人として描かれていた民間創作時代と比べれば待遇は大いに向上しているが)。 一方、毛宗崗本以前に出版された李卓吾本ではこの点がまだ色濃く残っており、日本ではこの李卓吾本系統の日本語訳が江戸時代に流通。 そして昭和時代にこれを基に吉川英治が執筆した『三国志』が広く読まれた事により、日本における曹操ファンの獲得に一役買った。 &aname(*2,option=nolink){&color(red){*2}} #CO{ 談話室でも書いたことだが、「物語の展開上は徐晃をここで出す必要性は全く無かった」「関羽びいきの『演義』の筆者によって、関羽の死の原因の一つを作った徐晃は「超格下の孟達なんぞに殺される」という、悲惨な最期を遂げさせられたわけである」など、2023/01/11 (水) 14:00:53の記述は偏りも悪意も過ぎる。しかもこの時の編集者が古参のphoenix氏なので驚くしかない。自分でも書いてておかしいとは思わなかったのだろうか。 獣戦士(2023/02/05 (日) 13:56:38)の「日本国内の原作ファンにとっては&b(){獣王記は一作だけで続編など出ていない}」などもそうだが、ここ最近のphoenix氏の編集にはまるで煽りのような目を疑う例が散見されるし、このレベルまでには行かずともリュウの記事や波動拳の記事での貧乏記述など「これわざわざ追記する必要はあるのだろうか」と思わされるものも少なくない。 これを指摘したら「私怨」とすり替えてるあたりに人間性の限界を感じられる。積み重ねがあっての指摘であり、単なる嫌悪や恨みで糾弾するようなものではない。 もう新規の加筆はしないで誤字脱字の訂正だけやるか、あるいは編集に関わらないでほしい。 資料を調べてまで徐晃の酷い記述の尻拭いをさせられる身にもなってください。そもそもそんなことさせるくらいなら、初めから書くな。 } その後、孟達の反乱は司馬懿にあっさり鎮圧されている。 //孟達による徐晃射殺が演義の創作とは言え、正史でも猛将の部類に入る孫堅が「超格下なんぞの」名も無い兵士の矢で死んだり、本来は猛将ではないが夏侯惇も流れ矢で負傷したりしている記録があるのでゲーム上の数値を持ち出す意味がない。あくまで「史実や説話を基にゲームバランスも加味して能力値を設定される」なだけで、ゲームと現実を一緒にしてはいけない 元々『三国志演義』は古くからあった蜀漢正統論に基づく民間の説話や講談などの流れを汲んだ通俗歴史小説(一般民衆向けの歴史小説)で、 徐晃は関羽の死の原因の一つを作ったと言える事もあり、現代ではここで徐晃を出した事に疑問を呈される事も……。 とはいえ、『演義』は教養のある士大夫(知識人)向けの史書ではなく、上述したように&b(){一般民衆向け}の歴史小説。 当時の&s(){[[バカ>チルノ]]}大衆に好まれるのが史実の淡々としたお堅い記録よりも分かりやすいお話、 つまり勧善懲悪の物語であるのも、よくよく考えてみれば当然の事だろう。 #region(『三国志演義』の成立) 元を正せば魏と西晋を経た東晋の時代より「蜀漢正統論」が起こって以来、 遅くとも唐代(7世紀~9世紀初)から蜀漢を主人公とする説話や講談が存在していた。 折しも劉備が漢王朝の後継を自称していた事と劉備・関羽・[[張飛]]・諸葛亮ら蜀の人物の悲劇的要素、 その漢王朝を実質簒奪したも同然だった曹操の悪評が(強調・脚色もされて)伝わっていて、 //息子の曹丕の代に実際に禅譲が行われて漢王朝はなくなり、魏王朝に代わった 諸々の時代背景的にも劉備達に同情が引かれるのは無理も無かった。 //諸々の時代背景→東晋や南宋の時代は異民族に中原を支配され、南に逃れていた。漢民族である中原から逃れた自分達を蜀漢、中原を支配する異民族を漢王朝を消滅させた曹魏になぞらえたとされる。『漢晋春秋』『四庫提要』など だからこそ『演義』の前身となる『三国志平話』などのような、 曹操やその配下達が強大で邪悪な[[魔王]]とその手先、劉備達が義と仁徳に篤いヒーローとして描かれ、 現実離れで荒唐無稽な設定や展開も多い民間創作が広く好まれるという事情があった。 そもそも当時の中国で小説は一昔前の漫画や[[アメコミ]]と同様「そんなものなんて大衆の読み物」と認識されていたのだ。 そんな民間創作を、元代末期~明代初期辺りに羅漢中ら士大夫層が『正史』を骨格に再構成・洗練・編集し、 「大衆の読み物」から「知識人が読むに堪える」小説に仕上げたのが『三国志演義』。 細かい所まで歴史書を読み込まれた上で書かれた『演義』はそれまでの作品と比較すると、 余りにも現実離れが過ぎる超常現象は極力削られているし (最大の見せ場として知られる「赤壁の戦い」で諸葛亮が東南の風を吹かせるべく祭壇で祈祷した話も、  本当に[[妖術>入雲龍公孫勝]]だったとまでは書かれてはなく、諸葛亮がその風の吹く時期を知っていてパフォーマンスをしたと解釈もできる)、 同小説で関公と称えられている関羽も性格的な欠点は包み隠さず書かれているし、 蜀以外の人物の扱いもある程度は良くなっていると言える。 徐晃の正史に無いオリジナルの失敗談や死に様の改変も、民間創作時代と比べれば&b(){むしろマシな方}である。 呂蒙にしてもこれは当てはまり、史実と変わらない人物として描かれている。 ……まあそれ故に、ホラー染みた末路が目立つわけでもあるのだが。 &s(){『三国志平話』では呪い殺されず長生きして夷陵の戦いにも参加していた?[[聞こえんなぁ>シン(北斗の拳)]]} 無論、あくまで民間説話ベースなので物語の構成としては蜀漢正統論が基本であり、 前述した蜀以外の人物の描写についても程度の差や逆に悪化した例もあるし、 更に毛宗崗など各改訂者の主観や信条によってさじ加減が変わったりもする。 上に挙げた呂蒙の最期や、史実(249年没)と違って夷陵の戦い(222年)で戦死した事になっている朱然はその最たる例であろう。 現代においても徐晃と関羽の友人設定に対し、 「関羽が敵味方問わず一目置かれる人物とするための演出で、徐晃が敵役である魏の武将だから」 と、冷めた見方を持たれる事もあったようだ。 だが、これは何も羅貫中やその他編者達が魏をこき下ろそうとしたり、呉を軽視したりしたわけではない。 『演義』は「通俗小説(分かりやすい小説)」というジャンルとして大衆層に膾炙する必要があり、 また、正史のように様々な人物に注目していく事はジャンル上困難である。 その上で、より多くの人々に感情移入してもらおうと思えば、 当時の儒教的価値観としても[[判官贔屓>牛若丸]]的にも、蜀が中心となるのは[[仕方の無い事であったと思われる>○○だからしょうがない]] (それ以前に当時の中国で、宦官の息子が様々な才に恵まれて軍閥化していく物語は受けが悪いだろうし、  兄貴の残した領土の専守に殆ど明け暮れ&s(){つつ酒浸りになって老害化し}た君主の物語も長編としてはつまらないだろう)。 なんだかんだ言われつつも『演義』は、それまでの荒唐無稽な民間の説話や講談などとは一線を画す、 当時としては画期的なほどに「史実に即した」小説とすら言えるのだ。 また、『正史』では病死した魏の徐晃や[[張遼]]、呉の呂蒙や太史慈などが『演義』で(延命してまで)死に様を改変されたのも、 当時の大衆向けに「蜀贔屓」需要を満たしつつ(張遼と太史慈は異なるが)、 「豪傑を[[地味>シュラ]]に終わらせず劇的な演出に」という物語を盛り上げるための結果(目を引く展開需要)だとすれば、 孟達の反乱に徐晃が駆り出された事にも一定の必要性はあったのかもしれない (現に漫画『蒼天航路』でも『演義』準拠またはオリジナルの最期を迎えた人物が複数存在する)。 華々しく活躍した英雄がひっそりと病死するのはどこか寂しいし、悲壮な花道を用意されたおかげで読者の印象に残ったと言えるしね。 #endregion &i(){(以上、ニコニコ大百科、アニヲタWiki、Wikipediaを参考に一部引用・改稿)} ---- //タグ管理用スペース(タグを変更した時は内容をこちらにコピペ上書きしてください) //武将,斧使い,鎧,中国人
//「SANGO FIGHTER」を書いた者です。『武将争覇2』に関連して修正させていただきました。 #image(left,XuHuang-sango-face.gif,float,title=徐晃) &sizex(7){&font(b,i,#C71585){「あ!」}} #image(left,あ!.jpg,float,title=「あ!」)  &bold(){徐晃}(じょこう、Xu Huang(シー・フアン)169年 -227年)は、  後漢末期から三国時代の魏にかけて生きた武将で、  三国志の時代において活躍した。  字(あざな)は&b(){公明}(こうめい、gong ming(ゴンミン))。  徐蓋の父であり、徐覇の祖父。河東郡楊県(現山西省洪洞県南部)出身。 『正史』と後の小説作品『三国志演義』とで人物像が大きく異なる人物。 『正史』では叩き上げだが武将としてトップクラスの戦術に長けた知将として描かれており、 間者を使った情報収集や、常に敗戦時の対策を念頭に置いて戦いを進めるなど堅実な戦い方を行った。 その一方で好機と見るや、配下に食事の暇も与えないほどの猛烈な追撃を行う事もあったという。 また武功を挙げても奢る素振りは見せず、部下には親身に接したために人望が厚かったと伝えられている。 ただし上司にはやや弱いらしく、戦闘を曹操に止められていたにも拘らず、血気に逸る曹洪を止めきれず戦闘をし大敗したりもしている。 この敗戦の責任の大半は曹洪ではあるが、君主の命に従えきれなかった徐晃にも責任はあるだろう。 この時の曹操の怒りは凄まじく、徐晃はおろか従兄弟である曹洪ですら死罪となる所だった。 『演義』では少々短気な性格ながらも、大斧を愛用する怪力の武将として登場する。 この大斧は徐晃のシンボルとして捉えられており、後の彼をモデルとしたキャラクターの多くが大斧使いとして描かれている。 樊城の戦い(219年)においての一騎打ちでは[[関羽]]と互角の戦いを繰り広げ、結果退けたという武勇伝を持つ。 ……当時、[[どちらも>三島一八]][[50代以上>李超狼]]だと思われるのに[[元気な事で>三島平八]]。 ちなみに「[[関羽]]とは同郷の友」という設定は、毛宗崗による改訂版(毛宗崗本)から付け加えられたもの (ただし史書でも蜀志「関羽伝」が引く『蜀記』によれば両者は旧知であったとされている)。 数ある『演義』の中で決定版とされる毛宗崗本では、徐晃に関する追加・改変は他にも存在するが、ここでは割愛する。&link_anchor(*1){*1} //「毛宗崗 徐晃」などで検索すると「Title 毛宗崗本『三国志演義』における魏の降将」などが見れるのでそちらも参照 『演義』の失敗談としては[[漢中を巡る蜀との戦争(217~219年)>夏侯淵]]において、 漢水の戦いにて背水の陣を敷くも[[黄忠]]・[[趙雲]]・諸葛亮に敗北。 //日本語で検索すると横山光輝三国志ばかりヒットするが、中国語でも背水の陣の記述が出るので横山版の創作ではないみたい この際に仲違いをしていた王平に罪を擦り付けようとするが、王平はそれを察知して蜀に帰順。 その後、王平は蜀の北伐において大活躍をし、諸葛亮の死後は蜀の軍事の中核の一人と呼べるほどにまで至る。 魏にとってかなり厄介な敵を作り出す原因となった。 #image(あ…?.jpg,title=「あ…?」,left,float)  ちなみに『正史』と『演義』では死に方が違う人物の一人。  『正史』では関羽の死から7年後の227年に病没しているが、  『演義』では1年延命され、孟達の反乱時に彼に眉間を射抜かれて死亡する。&link_anchor(*2){*2}  同じく関羽の死に関わった呂蒙も『正史』は病死だったが、  『演義』では&b(){関羽の亡霊の呪いにより狂死}する事になった。  関羽パワー(というか関羽[[信仰心>東風谷早苗]])恐るべしと[[言わざるを得ない>お覇王]]。 #clear ---- **格闘ゲームにおける徐晃 1993年に台湾の「熊猫軟體股扮有限公司(Panda Entertainment)」によって制作されたPCゲーム『[[SangoFighter>SANGO FIGHTER]](正式名『三國志 武將爭霸』)』、 および1995年に発売された続編の『SangoFighter2(『武將爭覇2』)』に登場している。 キャラとしては演義版に近く、自慢の大斧を振り回して攻撃する。 リーチが長めで[[必殺技]]は連続ヒットして相手の[[体力>ライフバー]]をガリガリ削っていくので、中々の強さを持つ。 ---- **MUGENにおける徐晃 『武將爭覇2』の韓国語版を元に、General Chicken氏が製作したものが存在。 残念ながら代理公開先であった海外サイト「Mugen Storehouse」は消滅してしまったが、 後述するolt-EDEN氏の外部[[AI]]に同梱されているため、現在も入手可能。 よく[[ポトレ>ポートレイト]]のハングルから[[韓国ゲー>ファイトフィーバー]]と勘違いされるが、これは氏がキャラ製作の際に韓国語版を使用したためで、 上記の通り台湾ゲーであり、元ゲーのポトレでは漢字で「徐晃(台湾は繁体字を使用)」と表示される。 ニコニコではいくつかのトーナメントに出場しているが、 中でも知名度を上げた[[超巨大タッグトーナメント>ゲージMAXタッグトーナメント【ゲジマユ2】]]では[[肉体派魔法少女>霧島佳乃]]と前衛後衛に分かれた優れた連携を見せ活躍した。 大斧を振り回しながら宙を舞うその姿から、コーエーの『無双OROCHI』における、 徐晃のジャンプチャージ攻撃バグを想起した人々により&b(){「ジョコプター」}の異名を与えられ、 [[勝利時>勝ちポーズ]]のセリフが&b(){「あ!」}と叫ぶだけ、というインパクトから勝利時には「あ!」コメントが絶えない。 語呂がいいのか&b(3){「ジョコタン」}という某アイドルと似た愛称で呼ばれてもいる。 これらのあだ名は(『[[真・三國無双]]』シリーズの)徐晃ファンの間では以前から使われていたものであり(JCのジョコプター自体の初出は『4』から)、 MUGENでの愛称もそちらから派生したものだと思われる。 AIはデフォルトで搭載されている他、前述の通りolt-EDEN氏が本体同梱で外部AIを公開している。 想定ランクは強~凶下位との事。 |[[プレイヤー操作]](4:00~)&br()&nicovideo(sm8870745)|参考:『無双OROCHI』の徐晃JCバグ&br()&nicovideo(sm84589)| #aa(){{                               |                            \     /                    ,.-'⌒ヽ,      /⌒\    ,.‐、,ノ⌒ヽ_        ノ     ヽ、 ― ( ゚ ∀ ゚ ) ―   ,ノ   ノ   ヽ__   (´  ,ノヽ    )    \_/  (´ (⌒´ _,.-――'  ,.-' (´     `)`ー-、/  ノ⌒ヽ、   `ー-―'´       (´   ,ヽ、 (⌒     ヽ、(    ,;ヽ               `ー-'´ ⌒'ー、,,,,,,,,..,,.-' ̄ ̄  `ー'´ ´}} #image(ジョコプター.gif,title=「これぞ武の極み」) ***出場大会 #region(一覧) #list_by_tagsearch_cache([大会],[徐晃],sort=hiduke,100) ''削除済み'' #list_by_tagsearch_cache([削除済み大会],[徐晃],sort=hiduke,100) #co(){ ''更新停止中'' #list_by_tagsearch_cache([更新停止中大会],[徐晃],sort=hiduke,100) } ''凍結'' #list_by_tagsearch_cache([凍結大会],[徐晃],sort=hiduke,100) #endregion ***出演ストーリー [[戦え!爆炎少女ヒロ]] ***プレイヤー操作 [[ランダムセレクトでサバイバルは制覇できるのかー]](part34操作キャラ) ---- &aname(*1,option=nolink){&color(red){*1}} 『演義』の改訂に関する徐晃以外の特筆事項は曹操の扱いだろう。 『三国志演義』における曹操は、『正史』の要素を取り入れた結果、 実は本家中国においても当初は悪役ながらも魅力のある大人物として描かれていた。 ただこのキャラクター像が当時の読者に受けなかったのか、その後時代を下って改訂されるにつれて「ヴィラン」としての描写が薄れ、 毛宗崗本系統になる頃には「[[ヒール>ジャック・ザ・リッパー]]」にまで格が下がった……という悲しい凋落を辿っている (まあこれでも正史曹操の要素がほぼ無いただの悪人として描かれていた民間創作時代と比べれば待遇は大いに向上しているが)。 一方、毛宗崗本以前に出版された李卓吾本ではこの点がまだ色濃く残っており、日本ではこの李卓吾本系統の日本語訳が江戸時代に流通。 そして昭和時代にこれを基に吉川英治が執筆した『三国志』が広く読まれた事により、日本における曹操ファンの獲得に一役買った。 &aname(*2,option=nolink){&color(red){*2}} #CO{ 談話室でも書いたことだが、「物語の展開上は徐晃をここで出す必要性は全く無かった」「関羽びいきの『演義』の筆者によって、関羽の死の原因の一つを作った徐晃は「超格下の孟達なんぞに殺される」という、悲惨な最期を遂げさせられたわけである」など、2023/01/11 (水) 14:00:53の記述は偏りも悪意も過ぎる。しかもこの時の編集者が古参のphoenix氏なので驚くしかない。自分でも書いてておかしいとは思わなかったのだろうか。 獣戦士(2023/02/05 (日) 13:56:38)の「日本国内の原作ファンにとっては&b(){獣王記は一作だけで続編など出ていない}」などもそうだが、ここ最近のphoenix氏の編集にはまるで煽りのような目を疑う例が散見されるし、このレベルまでには行かずともリュウの記事や波動拳の記事での貧乏記述など「これわざわざ追記する必要はあるのだろうか」と思わされるものも少なくない。 これを指摘したら「私怨」とすり替えてるあたりに人間性の限界を感じられる。積み重ねがあっての指摘であり、単なる嫌悪や恨みで糾弾するようなものではない。 もう新規の加筆はしないで誤字脱字の訂正だけやるか、あるいは編集に関わらないでほしい。 資料を調べてまで徐晃の酷い記述の尻拭いをさせられる身にもなってください。そもそもそんなことさせるくらいなら、初めから書くな。 } その後、孟達の反乱は司馬懿にあっさり鎮圧されている。 //孟達による徐晃射殺が演義の創作とは言え、正史でも猛将の部類に入る孫堅が「超格下なんぞの」名も無い兵士の矢で死んだり、本来は猛将ではないが夏侯惇も流れ矢で負傷したりしている記録があるのでゲーム上の数値を持ち出す意味がない。あくまで「史実や説話を基にゲームバランスも加味して能力値を設定される」なだけで、ゲームと現実を一緒にしてはいけない 元々『三国志演義』は古くからあった蜀漢正統論に基づく民間の説話や講談などの流れを汲んだ通俗歴史小説(一般民衆向けの歴史小説)で、 徐晃は関羽の死の原因の一つを作ったと言える事もあり、現代ではここで徐晃を出した事に疑問を呈される事も……。 とはいえ、『演義』は教養のある士大夫(知識人)向けの史書ではなく、上述したように&b(){一般民衆向け}の歴史小説。 当時の&s(){[[バカ>チルノ]]}大衆に好まれるのが史実の淡々としたお堅い記録よりも分かりやすいお話、 つまり勧善懲悪の物語であるのも、よくよく考えてみれば当然の事だろう。 #region(『三国志演義』の成立) 元を正せば魏と西晋を経た東晋の時代より「蜀漢正統論」が起こって以来、 遅くとも唐代(7世紀~9世紀初)から蜀漢を主人公とする説話や講談が存在していた。 折しも劉備が漢王朝の後継を自称していた事や劉備・関羽・[[張飛]]・諸葛亮ら蜀の人物の悲劇的要素、 その漢王朝を実質簒奪したも同然だった曹操の悪評が(強調・脚色もされて)伝わっていて、 //息子の曹丕の代に実際に禅譲が行われて漢王朝はなくなり、魏王朝に代わった 諸々の時代背景的にも劉備達に同情が引かれるのは無理も無かった。 //諸々の時代背景→東晋や南宋の時代は異民族に中原を支配され、南に逃れていた。漢民族である中原から逃れた自分達を蜀漢、中原を支配する異民族を漢王朝を消滅させた曹魏になぞらえたとされる。『漢晋春秋』『四庫提要』など だからこそ『演義』の前身となる『三国志平話』などのような、 曹操やその配下達が強大で邪悪な[[魔王]]とその手先、劉備達が義と仁徳に篤いヒーローとして描かれ、 現実離れで荒唐無稽な設定や展開も多い民間創作が広く好まれるという事情があった。 そもそも当時の中国で小説は一昔前の漫画や[[アメコミ]]と同様「そんなものなんて大衆の読み物」と認識されていたのだ。 そんな民間創作を、元代末期~明代初期辺りに羅漢中ら士大夫層が『正史』を骨格に再構成・洗練・編集し、 「大衆の読み物」から「知識人が読むに堪える」小説に仕上げたのが『三国志演義』。 細かい所まで歴史書を読み込まれた上で書かれた『演義』はそれまでの作品と比較すると、 余りにも現実離れが過ぎる超常現象は極力削られているし (最大の見せ場として知られる「赤壁の戦い」で諸葛亮が東南の風を吹かせるべく祭壇で祈祷した話も、  本当に[[妖術>入雲龍公孫勝]]だったとまでは書かれてはなく、諸葛亮がその風の吹く時期を知っていてパフォーマンスをしたと解釈もできる)、 同小説で関公と称えられている関羽も性格的な欠点は包み隠さず書かれているし、 蜀以外の人物の扱いもある程度は良くなっていると言える。 徐晃の正史に無いオリジナルの失敗談や死に様の改変も、民間創作時代と比べれば&b(){むしろマシな方}である。 呂蒙にしてもこれは当てはまり、史実と変わらない人物として描かれている。 ……まあそれ故に、ホラー染みた末路が目立つわけでもあるのだが。 &s(){『三国志平話』では呪い殺されず長生きして夷陵の戦いにも参加していた?[[聞こえんなぁ>シン(北斗の拳)]]} 無論、あくまで民間説話ベースなので物語の構成としては蜀漢正統論が基本であり、 前述した蜀以外の人物の描写についても程度の差や逆に悪化した例もあるし、 更に毛宗崗など各改訂者の主観や信条によってさじ加減が変わったりもする。 上に挙げた呂蒙の最期や、史実(249年没)と違って夷陵の戦い(222年)で戦死した事になっている朱然はその最たる例であろう。 現代においても徐晃と関羽の友人設定に対し、 「関羽が敵味方問わず一目置かれる人物とするための演出で、徐晃が敵役である魏の武将だから」 と、冷めた見方を持たれる事もあったようだ。 だが、これは何も羅貫中やその他編者達が魏をこき下ろそうとしたり、呉を軽視したりしたわけではない。 『演義』は「通俗小説(分かりやすい小説)」というジャンルとして大衆層に膾炙する必要があり、 また、正史のように様々な人物に注目していく事はジャンル上困難である。 その上で、より多くの人々に感情移入してもらおうと思えば、 当時の儒教的価値観としても[[判官贔屓>牛若丸]]的にも、蜀が中心となるのは[[仕方の無い事であったと思われる>○○だからしょうがない]] (それ以前に当時の中国で、宦官の息子が様々な才に恵まれて軍閥化していく物語は受けが悪いだろうし、  兄貴の残した領土の専守に殆ど明け暮れ&s(){つつ酒浸りになって老害化し}た君主の物語も長編としてはつまらないだろう)。 なんだかんだ言われつつも『演義』は、それまでの荒唐無稽な民間の説話や講談などとは一線を画す、 当時としては画期的なほどに「史実に即した」小説とすら言えるのだ。 また、『正史』では病死した魏の徐晃や[[張遼]]、呉の呂蒙や太史慈などが『演義』で(延命してまで)死に様を改変されたのも、 当時の大衆向けに「蜀贔屓」需要を満たしつつ(張遼と太史慈は異なるが)、 「豪傑を[[地味>シュラ]]に終わらせず劇的な演出に」という物語を盛り上げるための結果(目を引く展開需要)だとすれば、 孟達の反乱に徐晃が駆り出された事にも一定の必要性はあったのかもしれない (現に漫画『蒼天航路』でも『演義』準拠またはオリジナルの最期を迎えた人物が複数存在する)。 華々しく活躍した英雄がひっそりと病死するのはどこか寂しいし、悲壮な花道を用意されたおかげで読者の印象に残ったと言えるしね。 #endregion &i(){(以上、ニコニコ大百科、アニヲタWiki、Wikipediaを参考に一部引用・改稿)} ---- //タグ管理用スペース(タグを変更した時は内容をこちらにコピペ上書きしてください) //武将,斧使い,鎧,中国人

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: