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春秋戦国時代の略年表。 「[[春秋戦国三国志>>春秋戦国三国志解説]]」に登場する人物を中心にしている。 #areaedit() |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):周の東遷―春秋時代の幕開け| |前771年|周の幽王、申侯と結んだ犬戎の侵攻を受けて殺される。&br()※笑わない美女・褒姒の伝説。| |前770年|周の東遷。平王、洛邑に移る。以後を「東周」といい、春秋時代がはじまる。&br()※鄭の武公が、滅亡の淵からの王朝の再生を支えた。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):斉桓晋文―「覇者」の登場| |前685年|斉の桓公即位(~前642年)。&br()※宰相は、鮑叔との「管鮑の交わり」で知られる管仲。富国強兵を実現。| |前671年|楚の成王即位。&br()※宋の襄公に恥辱を与える一方、放浪中の重耳を厚くもてなした逸話を持つ。| |前660年|衛の懿公、翟(狄)の侵攻を受け戦死。&br()※鶴君主。| |前659年|秦の穆公即位(~前621年)。&br()※百里奚を宰相に迎え国力を蓄える。| |前657年|晋の公子重耳(のちの晋の文公)、国外に亡命。以後19年諸国をめぐる。&br()※趙衰・狐偃・先軫・魏犨・介子推など名臣たちが苦労を共にする。| |前651年|斉の桓公、諸侯を集めて会盟を牛耳る。「覇者」のはじまり。&br()宋の襄公即位(~前637年)。| |前645年|斉の宰相管仲没する。&br()※管仲死後桓公の政治は乱脈を極め、桓公が没すると(前642年)内乱発生。| |前638年|泓水の戦い。宋の襄公、楚の成公と対戦して敗戦。「宋襄の仁(笑)」。| |前636年|晋の文公即位(~前628年)。| |前632年|城濮の戦い。晋の文公、楚に攻められた宋を救援、覇者となる。「三舎を避く」。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):晋楚争覇―二大国の時代| |前614年|楚の荘王即位(~前591年)。&br()※同国最高の名君にして五覇の一人。「三年鳴かず飛ばず」。| |前607年|大棘の戦い。宋が鄭を迎撃。&br()※宋の宰相華元、食い物(羊肉)の恨みで捕虜になる。| |前606年|楚の荘王、洛邑近郊に進軍。「鼎の軽重を問う」。| |前605年|鄭の霊公、即位半年で殺される。「食指が動く」。&br()※原因は食い物(スッポン)の恨み。| |前597年|邲の戦い。楚の荘王、晋軍に大勝。覇権を確立。| |前579年|宋の宰相華元、晋と楚の停戦を成立させる(589年とも)。| |前575年|鄢陵の戦い。晋の厲公、楚の共王を破る。&br()※晋の軍師は苗賁皇、楚の軍師は伯州犂。| |前573年|晋の厲公殺され、悼公即位(~前559年)&br()※晋最後の名君。その死後、公家は衰微し、大夫の力が増大した。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):孔子をめぐる「古典」の時代―名宰相・思想家・復讐鬼| |前551年|孔子、魯に生まれる。| |前548年|斉の荘公、宰相崔杼に不倫のもつれで殺される。斉の景公即位(~前490年)。&br()※宰相晏嬰(晏子)や名将司馬穰苴のもとで斉は第二の全盛期を迎える。| |前536年|鄭の宰相子産、中国史上初めての成文法を作る。| |前528年|楚の平王即位(~前516年)。&br()※平王は伍一族を殺害、伍子胥の復讐フラグを立てる。| |前514年|呉王闔閭即位。&br()※彼のもとには兵聖孫武や復讐鬼伍子胥が仕え、呉を強国とした。| |前506年|呉軍、楚の都・郢を攻め落とす。伍子胥「死屍に鞭打つ」。| |前505年|陽虎、魯の実権を握る。&br()※陪臣から下克上。陽虎は孔子のそっくりさんだったとも。| |前500年|晏子没。| |前497年|孔子、魯を出て諸国を巡歴。| |前496年|越王勾践即位。呉王闔閭は越に攻め込むも、范蠡の奇策に敗れる。&br()闔閭の子・夫差と越王勾践の「臥薪嘗胆」| |前484年|伍子胥死を賜り自刎。| |前483年|孔子、故郷に帰り弟子の育成に専念(前479年没)。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):戦国の兆し―大国の衰亡と実力者たちの台頭| |前481年|斉の陳桓子(田恒、田常とも)、斉の簡公を殺害して平公を立てる。&br()田氏が斉の実権を握る。| |前473年|越王勾践、呉を滅ぼす。夫差自殺。| |前453年|晋の智伯、韓・魏・趙に滅ぼされる。&br()※智伯に仕えた豫譲は、主導者の趙無恤(趙襄子)暗殺を図る。| |前445年|魏の文侯即位(~前396年)。&br()※名政治家李克・迷信バスター西門豹・兵法家呉起らが仕え、戦国最初の覇権国となった。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):戦国時代の始まり―七雄の名君主たち| |前403年|韓・魏・趙、周より正式に諸侯として認められる。一般にこれを戦国時代の画期とする。| |前390年|この頃、墨子が没したという。| |前386年|斉の簒奪。田和、周より正式に諸侯と認められる。以後の斉を「田斉」とも言う。| |前369年|魏の恵王即位(~前319年)。&br()※孫臏や商鞅など優秀な人材が流出。| |前362年|韓の昭侯即位(~前333年)。&br()※法家の祖と言われる申不害が宰相を務め、法治主義で弱小の国をよく支えた。| |前361年|秦の孝公即位(~前338年)。&br()※孝公は商鞅を用い、飛躍の基盤を作った。| |前356年|斉の威王即位(~前320年)。&br()※「鳴かず飛ばず」2号。孫臏らを登用。人材は「千里を照らす」。| |前341年|馬陵の戦い。龐涓らが率いる魏軍、孫臏らが率いる斉軍に敗れる。&br()※魏は覇権を失い衰退の道をたどる。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):合従連衡―秦・斉の二大国と諸子百家の時代| |前326年|趙の武霊王即位(~前298年)。&br()※「胡服騎射」を導入、趙を軍事大国化する。ただし、末路は悲惨。| |前319年|斉の宣王即位(~前301年)&br()※孟嘗君を重用、学問を奨励。儒家の孟子、白馬非馬説の公孫竜などはこの時代。| |前313年|燕の昭王即位(~前279年)。斉の干渉による混乱を収め即位。&br()※「隗より始めよ」で楽毅などを得、国力を蓄えて斉に復讐。| |前311年|秦の武王即位(~前306年)&br()※武王には樗里疾・甘茂らが仕えた。鼎でリフティングをして死去。| |前306年|秦の昭襄王(~前251年)即位。&br()※武王没後の混乱時に魏冄(穣公)が擁立して支え、秦は強勢となる。| |前299年|斉の孟嘗君、秦に招かれ危うく逃れる。「鶏鳴狗盗」。| |前298年|趙の恵文王即位(~前266年)。&br()※「刎頸の交わり」藺相如と廉頗、名将趙奢らが仕えた。平原君は恵文王の弟。| |前293年|秦の将軍白起、韓・魏を攻め、伊闕で24万を斬首。&br()※白起無双の始まり。| |前288年|秦の昭襄王が西帝を、斉の湣王が東帝を称したという。&br()※間もなくやめたとも、提案だけで実現しなかったとも。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):大国秦の攻勢―諸国の名臣・名将たち| |前284年|燕の将軍楽毅、五国連合軍を率いて斉に進攻。その大半を占領。| |前279年|燕の昭王没し、斉の田単の反撃がはじまる。「火牛の計」。| |前278年|秦の将軍白起、楚の都・郢を陥落させる。| |~|楚の三閭大夫屈原、汨羅江に入水自殺。ちまき。| |前274年|楚の黄歇(のち春申君)、秦と和平を結ぶことに成功。| |前265年|秦の相国魏冄、罷免され追放。「遠交近攻」を唱えた范雎が宰相となる。&br()※范雎は復讐の人(復讐の主対象は魏の大夫・須賈)| |前262年|楚の考烈王即位(~前238年)。&br()※春申君が令尹として楚の再建を図った。| |前260年|長平の戦い。秦の名将白起、趙の名将(笑)趙括大先生を撃破。&br()※趙の捕虜40万が生き埋めに。趙は決定的に衰微。| |前259年|秦軍、趙都邯鄲を包囲。趙の平原君、楚に赴き援軍を要請。&br()※「嚢中の錐」毛遂が同行。| |前258年|魏の信陵君、候嬴の献策により晋鄙将軍を殺して兵権を奪い、出兵して趙を救援。&br()※しかしこの時の行為がのちに影を落とし、酒びたりになって死去(前244年)| |前257年|白起、死を賜る。&br()※宰相・范雎に警戒される。| |前255年|周王朝、ひっそり滅亡。| |前251年|秦の荘襄王即位(~前246年)。&br()※「奇貨居くべし」呂不韋による擁立。| |前246年|秦王政即位。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):始皇帝による統一へ| |前238年|楚の考烈王が没し、春申君も殺される。春申君老いたり。| |~|秦王政、呂不韋を追放。| |前234年|趙の将軍李牧、辺境から召還され、大将軍に任じられる。&br()※守戦の名将。秦軍を撃退し続けた。| |前233年|韓非、秦にて死す。法家の同門・李斯の毒殺という。&br()※李斯は始皇帝の統一国家建設に功績があったが、末路は悲惨だった(~前208年)。| |前229年|趙滅亡。&br()※讒言に惑わされた王が、李牧を処断してからわずか3か月であった。| |前227年|刺客荊軻、燕の太子の依頼を受け、秦王政の暗殺を図る。&br()※「壮士ひとたび去って復た還らず」。| |前225年|楚の将軍項燕、李信率いる秦軍を撃退。&br()※李牧とともに、統一戦期の秦軍を撃破した数少ない将軍。項羽の祖父。| |前223年|楚滅亡。| |前221年|斉滅亡。秦王政、天下を統一し始皇帝となる。| #areaedit(end)
春秋戦国時代の略年表。 「[[春秋戦国三国志>>春秋戦国三国志解説]]」に登場する人物を中心にしている。 #areaedit() |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):周の東遷―春秋時代の幕開け| |前771年|周の幽王、申侯と結んだ犬戎の侵攻を受けて殺される。&br()※笑わない美女・褒姒の伝説。| |前770年|周の東遷。平王、洛邑に移る。以後を「東周」といい、春秋時代がはじまる。&br()※鄭の武公が、滅亡の淵からの王朝の再生を支えた。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):斉桓晋文―「覇者」の登場| |前685年|斉の桓公即位(~前642年)。&br()※宰相は、鮑叔との「管鮑の交わり」で知られる管仲。富国強兵を実現。| |前671年|楚の成王即位。&br()※宋の襄公に恥辱を与える一方、放浪中の重耳を厚くもてなした逸話を持つ。| |前660年|衛の懿公、翟(狄)の侵攻を受け戦死。&br()※鶴君主。| |前659年|秦の穆公即位(~前621年)。&br()※百里奚を宰相に迎え国力を蓄える。| |前657年|晋の公子重耳(のちの晋の文公)、国外に亡命。以後19年諸国をめぐる。&br()※趙衰・狐偃・先軫・魏犨・介子推など名臣たちが苦労を共にする。| |前651年|斉の桓公、諸侯を集めて会盟を牛耳る。「覇者」のはじまり。&br()宋の襄公即位(~前637年)。| |前645年|斉の宰相管仲没する。&br()※管仲死後桓公の政治は乱脈を極め、桓公が没すると(前642年)内乱発生。| |前638年|泓水の戦い。宋の襄公、楚の成公と対戦して敗戦。「宋襄の仁(笑)」。| |前636年|晋の文公即位(~前628年)。| |前632年|城濮の戦い。晋の文公、楚に攻められた宋を救援、覇者となる。「三舎を避く」。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):晋楚争覇―二大国の時代| |前614年|楚の荘王即位(~前591年)。&br()※同国最高の名君にして五覇の一人。「三年鳴かず飛ばず」。| |前607年|大棘の戦い。宋が鄭を迎撃。&br()※宋の宰相華元、食い物(羊肉)の恨みで捕虜になる。| |前606年|楚の荘王、洛邑近郊に進軍。「鼎の軽重を問う」。| |前605年|鄭の霊公、即位半年で殺される。「食指が動く」。&br()※原因は食い物(スッポン)の恨み。| |前597年|邲の戦い。楚の荘王、晋軍に大勝。覇権を確立。| |前579年|宋の宰相華元、晋と楚の停戦を成立させる(589年とも)。| |前575年|鄢陵の戦い。晋の厲公、楚の共王を破る。&br()※晋の軍師は苗賁皇、楚の軍師は伯州犂。| |前573年|晋の厲公殺され、悼公即位(~前559年)&br()※晋最後の名君。その死後、公家は衰微し、大夫の力が増大した。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):孔子をめぐる「古典」の時代―名宰相・思想家・復讐鬼| |前551年|孔子、魯に生まれる。| |前548年|斉の荘公、宰相崔杼に不倫のもつれで殺される。斉の景公即位(~前490年)。&br()※宰相晏嬰(晏子)や名将司馬穰苴のもとで斉は第二の全盛期を迎える。| |前536年|鄭の宰相子産、中国史上初めての成文法を作る。| |前528年|楚の平王即位(~前516年)。&br()※平王は伍一族を殺害、伍子胥の復讐フラグを立てる。| |前514年|呉王闔閭即位。&br()※彼のもとには兵聖孫武や復讐鬼伍子胥が仕え、呉を強国とした。| |前506年|呉軍、楚の都・郢を攻め落とす。伍子胥「死屍に鞭打つ」。| |前505年|陽虎、魯の実権を握る。&br()※陪臣から下克上。陽虎は孔子のそっくりさんだったとも。| |前500年|晏子没。| |前497年|孔子、魯を出て諸国を巡歴。| |前496年|越王勾践即位。呉王闔閭は越に攻め込むも、范蠡の奇策に敗れる。&br()闔閭の子・夫差と越王勾践の「臥薪嘗胆」| |前484年|伍子胥死を賜り自刎。| |前483年|孔子、故郷に帰り弟子の育成に専念(前479年没)。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):戦国の兆し―大国の衰亡と実力者たちの台頭| |前481年|斉の陳桓子(田恒、田常とも)、斉の簡公を殺害して平公を立てる。&br()田氏が斉の実権を握る。| |前473年|越王勾践、呉を滅ぼす。夫差自殺。| |前453年|晋の智伯、韓・魏・趙に滅ぼされる。&br()※智伯に仕えた豫譲は、主導者の趙無恤(趙襄子)暗殺を図る。| |前445年|魏の文侯即位(~前396年)。&br()※名政治家李克・迷信バスター西門豹・兵法家呉起らが仕え、戦国最初の覇権国となった。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):戦国時代の始まり―七雄の名君主たち| |前403年|韓・魏・趙、周より正式に諸侯として認められる。一般にこれを戦国時代の画期とする。| |前390年|この頃、墨子が没したという。| |前386年|斉の簒奪。田和、周より正式に諸侯と認められる。以後の斉を「田斉」とも言う。| |前369年|魏の恵王即位(~前319年)。&br()※孫臏や商鞅など優秀な人材が流出。| |前362年|韓の昭侯即位(~前333年)。&br()※法家の祖と言われる申不害が宰相を務め、法治主義で弱小の国をよく支えた。| |前361年|秦の孝公即位(~前338年)。&br()※孝公は商鞅を用い、飛躍の基盤を作った。| |前356年|斉の威王即位(~前320年)。&br()※「鳴かず飛ばず」2号。孫臏らを登用。人材は「千里を照らす」。| |前341年|馬陵の戦い。龐涓らが率いる魏軍、孫臏らが率いる斉軍に敗れる。&br()※魏は覇権を失い衰退の道をたどる。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):合従連衡―秦・斉の二大国と諸子百家の時代| |前326年|趙の武霊王即位(~前298年)。&br()※「胡服騎射」を導入、趙を軍事大国化する。ただし、末路は悲惨。| |前319年|斉の宣王即位(~前301年)&br()※孟嘗君を重用、学問を奨励。儒家の孟子、白馬非馬説の公孫竜などはこの時代。| |前313年|燕の昭王即位(~前279年)。斉の干渉による混乱を収め即位。&br()※「隗より始めよ」で楽毅などを得、国力を蓄えて斉に復讐。| |前311年|秦の武王即位(~前306年)&br()※武王には樗里疾・甘茂らが仕えた。鼎でリフティングをして死去。| |前306年|秦の昭襄王(~前251年)即位。&br()※武王没後の混乱時に魏冄(穣公)が擁立して支え、秦は強勢となる。| |前299年|斉の孟嘗君、秦に招かれ危うく逃れる。「鶏鳴狗盗」。| |前298年|趙の恵文王即位(~前266年)。&br()※「刎頸の交わり」藺相如と廉頗、名将趙奢らが仕えた。平原君は恵文王の弟。| |前293年|秦の将軍白起、韓・魏を攻め、伊闕で24万を斬首。&br()※白起無双の始まり。| |前288年|秦の昭襄王が西帝を、斉の湣王が東帝を称したという。&br()※間もなくやめたとも、提案だけで実現しなかったとも。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):大国秦の攻勢―諸国の名臣・名将たち| |前284年|燕の将軍楽毅、五国連合軍を率いて斉に進攻。その大半を占領。| |前279年|燕の昭王没し、楽毅亡命。斉の田単の反撃がはじまる。「火牛の計」。| |前278年|秦の将軍白起、楚の都・郢を陥落させる。| |~|楚の三閭大夫屈原、汨羅江に入水自殺。ちまき。| |前274年|楚の黄歇(のち春申君)、秦と和平を結ぶことに成功。| |前265年|秦の相国魏冄、罷免され追放。「遠交近攻」を唱えた范雎が宰相となる。&br()※范雎は復讐の人(復讐の主対象は魏の大夫・須賈)| |前262年|楚の考烈王即位(~前238年)。&br()※春申君が令尹として楚の再建を図った。| |前260年|長平の戦い。秦の名将白起、趙の名将(笑)趙括大先生を撃破。&br()※趙の捕虜40万が生き埋めに。趙は決定的に衰微。| |前259年|秦軍、趙都邯鄲を包囲。趙の平原君、楚に赴き援軍を要請。&br()※「嚢中の錐」毛遂が同行。| |前258年|魏の信陵君、候嬴の献策により晋鄙将軍を殺して兵権を奪い、出兵して趙を救援。&br()※しかしこの時の行為がのちに影を落とし、酒びたりになって死去(前244年)| |前257年|白起、死を賜る。&br()※宰相・范雎に警戒される。| |前255年|周王朝、ひっそり滅亡。| |前251年|秦の荘襄王即位(~前246年)。&br()※「奇貨居くべし」呂不韋による擁立。| |前246年|秦王政即位。| |>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):始皇帝による統一へ| |前238年|楚の考烈王が没し、春申君も殺される。春申君老いたり。| |~|秦王政、呂不韋を追放。| |前234年|趙の将軍李牧、辺境から召還され、大将軍に任じられる。&br()※守戦の名将。秦軍を撃退し続けた。| |前233年|韓非、秦にて死す。法家の同門・李斯の毒殺という。&br()※李斯は始皇帝の統一国家建設に功績があったが、末路は悲惨だった(~前208年)。| |前229年|趙滅亡。&br()※讒言に惑わされた王が、李牧を処断してからわずか3か月であった。| |前227年|刺客荊軻、燕の太子の依頼を受け、秦王政の暗殺を図る。&br()※「壮士ひとたび去って復た還らず」。| |前225年|楚の将軍項燕、李信率いる秦軍を撃退。&br()※李牧とともに、統一戦期の秦軍を撃破した数少ない将軍。項羽の祖父。| |前223年|楚滅亡。| |前221年|斉滅亡。秦王政、天下を統一し始皇帝となる。| #areaedit(end)

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