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用語解説「ウ」」を以下のとおり復元します。
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**ヴァモーキ
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[[馬超>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/243.html#id_bc23e387]]のこと。字で呼んだときの馬孟起(バモウキ)に由来する。
[[真・三國無双シリーズ>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/130.html#id_f9f658b6]]では馬超本人がよく馬孟起と名乗るため、そこから定着した愛称と思われる。
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**[[上様>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%A7%98]](ウエサマ)
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言葉としては、時代劇「暴れん坊将軍」等でよく耳にしていた人も多いと思うが、
元々はその時代の最も貴い人に対する尊称であり、古くは天皇そのものを意味していた。
室町の頃から他にも用いる様になったが、主に征夷大将軍のことを指す様になったのは江戸時代になってからである。

しかし歴戦界隈では、もっぱら十三代征夷大将軍、[[足利義輝>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/246.html#id_a1563a25]]のこと。
義輝公はこれ以外にも「将軍様」「剣豪将軍」とも呼ばれる。

また作品によっては、イベントでプレイヤーキャラが征夷大将軍になると、家臣からこう呼ばれるようになる。

★&u(){庶民にとっての上様}
 このように、言葉の元々が尊称という成り立ちであるために、
 庶民の目線で敬意を込めて呼ぶべきもの、は全て上様であるということが出来る。
 躾の行き届いた子供が両親の事を父上、母上と呼ぶのもこの辺に由来する。

 また貴人の妻を上様(かみさま)と呼ぶ文化がそのまま庶民にも受け継がれ、
 自分の奥さんの事をカミさん(上さん)と呼ぶようになったのも、奥さんを立ててのことである。
 全てにおいて男尊女卑と思われがちな時代でも、そういうところはしっかりしていたようだ。

 現代で領収書に上様と書く文化はいつごろからあったのかは定かではないが、
 「じょうさまが正しい」という説はおそらくは間違いである。


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**[[烏丸>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E6%A1%93]](ウガン)
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紀元前1世紀頃~紀元4世紀頃に、中国北方に住んでいた民族。
ツングース系ともテュルク系ともモンゴル系ともいうが、定かではない。
「烏桓」とも書く。[[からすま>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/125.html#id_5e27d0c5]]ではない。

匈奴の弱体化・後漢の衰退に伴い、漢の東北辺境に侵入した。三国志の時代には、丘力居(キュウリキキョ)が公孫瓚と争った。
丘力居の後継者・蹋頓(トウトツ)は袁紹と手を結び、その残党を受け入れたが、曹操によって討たれた。
その後は、移住や混血により、民族集団の活動は記録されなくなる。
コーエーの『三國志』でも、異民族の一つとして登場する。
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**受け弾正(ウケダンジョウ)
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[[三弾正>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/126.html#id_aac5e0d1]]の一人、[[高坂昌信>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/252.html#id_4e9ea6a4]]のこと。
異名は[[武田信玄との関係>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/128.html#id_4668eb56]]から。
案外攻め弾正だったかもしれないが、その辺はわからない。

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**動け戦国大名(ウゴケセンゴクダイミョウ)
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太閤立志伝Ⅴのイベントスクリプトの一つ。
戦国大名の合戦行動や浪人の仕官などを活発化させる。
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**うさみみ(ウサミミ)
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ウサギの耳状の被り物。バニーガールがよくかぶる。

★&u(){長尾(上杉)家の参謀、[[宇佐美定満>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/262.html#id_4227ec23]]のこと。}
 半ば伝説化している軍師・宇佐美定行のモデル。
 [[軍神>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/318.html#id_e571f933]]が「装備」すると、彼の唯一の弱点である計略への脆さが消え、部隊に同行されるとほぼ完全に詰む。
 最大の敵は長尾政景との舟遊び。

★&u(){東方キャラでは[[宇佐見蓮子>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/297.html#id_31c616c7]]のこと。}
 東方キャラでも、本当に兎耳である鈴仙・優曇華院・イナバや因幡てゐがこの名前で呼ばれることは、なぜか殆どない。

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**討死(ウチジニ)
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俗に言う[[戦死>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/354.html#id_515a8436]]。戦場で敵に討たれて死亡する事をいう。
作品によっては討死の確率を変更することが可能。

コーエー三国志では、ⅨPKはプレイヤー勢力やその相手国にしか影響はないが(CPU勢力による処断は除く)、
11ではCPU同士の衝突で死亡することがある(一騎討ちや部隊壊滅で発生)。Ⅹには戦死設定がない。
特に登録武将を入れている動画は、「討死なし」の設定にすることが多い。
(呂布や関羽、張飛など、猛将があっさり死ぬ確率も高いためもあるが……)

しかし、信長の野望(特に革新)に関しては全く別で、登録武将が含まれていても
討死設定を「標準(あり)」に設定する動画がかなり多い。(部隊壊滅、弓や鉄砲による狙撃で発生)
やはり日本では「戦場で散るのは華」ということなのだろうか……?
(猛将や知名度が高い武将がかなり多く、数人程度が死んでも問題ないということもあるが)

角度を変えて見てみれば、「寿命」がなしで「討死」があり、というのもおかしな話だが、
まぁ登録武将は年を取らんという設定と言う事だろう……(作品によるが)
因みに、討死する(させる)確率は、武勇パラメータに関係があるらしい。

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**[[うp(ウプ)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89]]
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ネットスラングで、「アップロード」のこと。「upする」のローマ字入力から派生。
ニコニコ動画では「動画の公開」といった意味合いでとらえられる。

「[[うp乙>>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/358.html#id_0e3e83bb]]」と言うはずが「乙」を入れ忘れてたりして最初のコメントあたりで「うp」が流れてたりするが御愛嬌。

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**うp主・うぷ主(ウプヌシ)
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動画を投稿した人。よその動画を転載したものでなければ、たいていの場合、動画作者と同一。
歴戦ゲープレイ動画界隈では、ふつう作者(=プレイヤー=動画編集者=ストーリー制作者)のことを指す。
「動画主」とも。

★&u(){歴戦界隈の名前事情}
 ニコニコ動画のアカウント名や、ブログなどに記されたハンドルなど、複数の名前を持つことがありうる。
 名前へのこだわりは人によって異なる。とくにニコニコ動画のアカウント名は変わったり複数あったりする。

 アイマス架空戦記界隈では[[P名>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/342.html#id_9fb0cb33]]の文化があるが、
 歴戦ゲー動画では「○○○(代表作、代表キャラ)のうp主」「○○○の人」と呼ばれることの方が多く、
 作品が有名でも、うp主の「名前」がぜんぜん知られてないこともしばしば。
 history-reproductionでは、そうした「うp主の名前」がまとまってクローズアップされたが、
 他界隈出身のうp主以外は、もっぱら代表作からとった「○○○の人」がタグに用いられている。

 動画によっては別の呼称が定着している場合もあり。たとえば、M主、S主等。

★&u(){うp主キャラ}
 動画中に、「うp主」が登場することもある。
 字幕・投コメ・説明文等で「うp主」の近況報告、動画中の作戦解説、時候の挨拶、性癖の開陳を行う人もおり、
 居合わせたキャラ(武将など)がうp主の代弁者を務めることもあるが、
 一部作品では「外見」を備えた「うp主キャラ」が登場する。
 うp主キャラは、紙芝居中に登場してストーリーに絡むこともある(例:劉度シリーズの「うぷぬし」)。
 特定の武将などの姿を借りることもあり(例:皇族劉虞の人の田疇)、
 架空戦記界隈の「P武将」が他動画に持ち越されることがあるように、「うp主武将」が他動画でネタにされることもある。

 操作勢力とは別に、一介の武将として右往左往することもある(例:もっこもこの「動画主」)。

→&bold(){[[うp主一覧]]}参照。
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**うぽつ/うp乙
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ネットスラングで、「アップロードおつかれさま」のこと。
「うp」(アップロード)+「乙」(おつかれさま)をあわせた「うp乙」の表現が
ローマ字入力をそのまま続けることにより転訛し、「うぽつ」になった。
通常、動画開始時にコメントされ、うp主をねぎらう。

戦国時代や三国志を扱う界隈らしく、
歴戦ゲ界隈では時代劇口調で「うぽつでござります」などとコメントする人もいる。

表現の仕方はともあれ、制作してくれた人への感謝の気持ちは大切である。
ちなみに、「また次回で」と動画が終了する時には「乙」と労ってやろう。

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**うみうし
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浜に棲む貝の仲間ではなく、革新で[[火牛計>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/125.html#id_5b042a6d]]を海上にて放つ事。[[小早川の野望>小早川の野望解説]]初出。
そののんびりとした雰囲気の呼称とは裏腹に、威力はクラーケンやリバイアサン顔負け。生き残れる者は数えるほどしか無い。
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**梅津政景日記(ウメヅマサカゲニッキ)
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戦国末期~江戸時代初期の佐竹家(秋田藩)家老・[[梅津政景>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/262.html#id_43ddcf98]]が書き残した、実在の日記。
現物は秋田県立図書館に所蔵されている。東京大学史料編纂所編集『大日本古記録』(〔第4〕第1~9)に活字化されて収められており、
大学図書館や公立図書館に行けば多分読める。当時の佐竹秋田藩政や、武士・庶民の生活を知る上での貴重な史料となっている。

ニコニコ動画においては、「日記魔」梅津政景が書き残すさまざまなネタ。[[太閤佐竹>関東地方で頑張ってみる解説]]が発信源。
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**恨みフラグ(ウラミフラグ)
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プレイヤー武将が嫌悪武将に設定されること。
対象武将との相性が極めて悪くなる。
基本的に登用ができなかったりする。

★&u(){「信長の野望・革新」の恨みフラグ}
 プレイヤー大名が嫌悪武将に設定されると、直接本人と交渉しての登用ができない。
 (外交の「勧告」コマンドで勢力ごと登用することは可能)
 
 一番多いのは、「&bold(){自勢力の拠点から脱走に成功した捕虜}」というパターン。
 対処するために、
・「忍の里を増設して脱走を防ぐ」
・「将来の勧告吸収を見越して、こちらから解放してしまう(名声の素にもなる)」
・「登用できないなら処断してしまう」
 などの方法が取られる。
 
 また、脱走が発生するのは月末であるため、月末に城が陥落しそうな場合には攻撃の手を緩め、
 対策を講じられないままの捕虜を抱えないようにタイミングをずらす人もいる([[月またぎ>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/408.html#id_fbb02841]])。
 このほか、「&bold(){主家滅亡時に出陣しており、そのまま野に下った武将}」「&bold(){自勢力から他勢力に盗用された武将}」にも恨みフラグが立つ。
 「武将側からの登用志願を断る」でも立つが、時間経過や新しく所属した家で滅亡する等で消滅する。

ただし、仕えた後(元から所属も含む)の家臣を追放した場合は勧告で降伏させない限り&bold(){永遠}に嫌悪関係になるため要注意。

★&u(){「信長の野望・天下創世」の恨みフラグ}
 主に、滅ぼされた大名武将が滅ぼした大名武将を恨むように設定される。
 登用しづらくなるが、登用すること自体は不可能ではない。
 しかし、忠誠度が毎ターン低下するので、注意が必要。


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**[[温州蜜柑>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%B3]](ウンシュウミカン)
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柑橘類の一種。
ダイダイでもキンカンでもオレンジでもナツミカンでもない、日本で一般的に想像される「ミカン」のこと。
なお、温州(ウンシュウ)は中国浙江省の地名であり、古くから柑橘類の産地であった。

★&u(){横山三国志のモブキャラの一人}
 作中、蜜柑を巡る曹操と左慈の逸話のシーンにおいて、
 曹操に蜜柑を差し出して「温州蜜柑でございます」というセリフを発するモブキャラのこと。
 虹裏(ふたばちゃんねる:二次元裏)でコラージュ・パロディが行われて流行した。
 「温州蜜柑」が登場する動画に、[[中華武将祭り>中華武将祭り解説]]がある。

 下で述べるように現在日本で食べられている温州蜜柑は日本の原産種と推定されるものである。
 もちろん当時の中国に、現在日本で言う所の温州蜜柑はあるはずが無い。「温州で取れた蜜柑」なら話は別だが。

★&u(){余談:温州蜜柑の原産地}
 ちなみに蜜柑自体は日本にもかなり昔から自生していたとされ、大陸から何時どのようにして伝わってきたのかは定かではない。
 江戸時代に縁起物・風物として広まった蜜柑は紀州蜜柑という、小ぶりで種の多い、あまり美味しいものではなかった。
 その頃既に温州蜜柑は存在していたが、種が出来ない故に「種無し」と言われ、縁起の悪いものとされて好まれなかった。
 しかしその美味しさと種なしの利便性から続々と栽培が行われる様になり、明治時代以降徐々に広まっていった。
 温州蜜柑という呼称が広まったのもその頃である。実は比較的新しいものなのだ。

 なお、鹿児島県長島(現鹿児島県出水郡長島町)が温州蜜柑の原生地と考えられており、
 1936年に当地で推定樹齢300年の古木が発見されたことからこの説で疑いないとされるようになった。
 発見された木は接ぎ木されており、最初の原木は400~500年前に発生したと推察され
 中国から伝わった柑橘の中から突然変異して生まれたのではないかという説が濃厚である。
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//新規登録用テンプレ。名前を入れれば横線による分割、部分編集の作成まではやってくれます
//行頭の「//」ははずして使ってください。次に登録する人のためにできれば残しておいてください。
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