「地名(信長の野望)」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
地名(信長の野望)」を以下のとおり復元します。
ここは戦国時代の有名な都市・地名を動画内での状況などと併せて紹介していくページです。
史実の流れや各動画の軌跡を振り返ってみてはどうでしょう。


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**岩付城
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1547年、古河公方の牽制の為、扇谷上杉氏の命で太田道真、太田道灌親子によって作られたとされる。
しかし最近の研究によると、古河公方方が造った城らしい。
太田資正の居城だったが、北条氏に奪われる形となった。
流し雛の伝承があり、雛祭りの発祥地とされる。
地理的条件から古河公方、武田氏、北条氏、太田氏がぶつかり合う関東最大の激戦地の一つ。
・[[鍵山雛の野望>鍵山雛の野望解説]]
#region(close,激闘の地)
蠣崎、斯波、徳川がせめぎ合った激戦地。
ここで死んだ将兵は恐らく十数万に上るだろう。
太田道灌の覚醒フラグの一つに「岩槻城の巨城化」がある。
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**蝦夷(えぞ)
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現在の北海道。
アイヌ民族が住んでいたが、蠣崎氏が渡島半島南部を領有し、強い影響力を持つようになる。

・[[特産物の野望>特産物の野望解説]]
#region(close,始まりの地)
特産物解放の夢を持つ、魚介乃類・銘酒濁酒の二人が徳山館の蠣崎氏に仕官する。
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・[[教授の野望>教授の野望解説]]
#region(close,始まりの地)
岡崎夢美がちゆり尻拭いから仕方なく蠣崎氏に仕官、統一を目指す破目に。
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・やる夫の野望
#region(close,アッー!!)
蠣崎家の子達が色々と問題があった為、やる夫が養子となって統一を目指す。
ただ、一介の饅頭が大名の力を得るには、その代償は余りにも大き過ぎた。
後にやるおは奇策で新天地を目指した為、扱いが疎かになっている。
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**桶狭間(おけはざま)
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尾張国。現在の愛知県豊明市・名古屋市にある。
1560年、上洛のため(?)西進した今川義元の大軍の本隊を、織田信長はこの地で急襲し義元を討ち取る。

・[[氷精立志伝>氷精立志伝解説]]
#region(close,詳細を表示)
寡兵の博麗霊夢軍が伊吹萃香軍に奇襲を仕掛けた地。
暗黒大妖精の謀略により萃香本人および周りの将兵は無力化、戦いは霊夢軍の勝利に終わり、チルノは敵将捕縛の功を得た。
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**大坂城(おおさかじょう)
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摂津国。現在の大阪市にある城。
石山本願寺とほぼ同位置と伝わる。豊臣秀吉により天下一の巨城を目指して築かれたが、次代に落城し豊臣家は滅亡。
後に徳川家によって完全に壊され別の形に建て直された。

・[[豊臣家の盛衰>豊臣家の盛衰解説]]
#region(close,孤立の城塞)
秀頼母子が守る孤高の城。開始直後に周囲を大改造。摂津国全体を大要塞と化し徳川の猛攻に備えた。
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**小谷城(おだにじょう)
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近江国(現在の滋賀県)浅井郡にあった堅城。
最終的に、浅井家は織田家に攻められてここで包囲され、1573年に滅亡する。

・[[竹中半兵衛の憂鬱>竹中半兵衛の憂鬱解説]]
#region(close,因縁の地)
本来チュートリアルは、国を富ませるとか兵を集めるとか拠点を作るなど準備をしてこの小谷城を落とす、という流れのはずなのだが、この動画においてはやり直しも含めて5回も落とされた。
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**小田原城(おだわらじょう)
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相模国(現在の神奈川県)の城。
北条早雲が大森氏から強奪。それ以後5代に渡り、北条氏の政治的拠点となった。3代目北条氏康の代では上杉謙信・武田信玄の進撃を退けた。
1590年に豊臣秀吉が小田原城を落とし、秀吉の国内統一が完了した。

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**尾張国(おわりのくに)
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現在の愛知県西部。
織田信長が統一。清洲城がある。

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**帰雲城(かえりくもじょう)
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飛騨国白川郷保木脇村(現在の岐阜県大野郡白川村保木脇)の帰雲山にあった、内ヶ島氏の居城。
天正13年(1585年)の天正の大地震で、帰雲山の崩壊(大規模な土砂崩れ、あるいはそれに伴う土石流)に巻き込まれ、
城主や重臣はじめ、城下町や住人たちも全滅するという悲劇が起きた。城がどの地点にあったのかは現在もはっきりしない。
一部では[[日本のポンペイ>>http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090601/CK2009060102000015.html]]と呼ばれているとかいないとか。

内ヶ島氏が飛騨の鉱山を支配したことから、埋蔵金伝説もあったりする。
合掌造りのある「白川郷」(荻町地区)は、帰雲城の北約5kmにある。

信長の野望・烈風伝では「隠し支城」として登場する。
歴戦ゲープレイ動画的には、[[内ヶ島氏理>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/262.html#id_c1200a5e]]が登場するたびに言及される。

・[[ダメ君主の野望>ダメ君主の野望解説]]
#region(close,お約束の地)
当時の主人公一条兼定が内ヶ島氏理のことを気に入り、一条から内ヶ島に改姓。さらに居城筒井城も帰雲城に改名している。
ちなみに、本物の帰雲城は本編終了後に案の定、山崩れで埋まってしまう。
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**春日山城(かすがやまじょう)
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15~16世紀初、守護代長尾為景の居城として築かれる。守護上杉顕定を破り、戦国大名の居城となり、整備が進む。
その後上杉謙信・景勝の居城として栄えるが、景勝会津移封に伴い、堀秀治が入城。福島城築城によって廃城となる。
謙信の代には数万人が居住する城下町を抱えていたという。
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**清洲城(きよすじょう)
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守護代・守護織田家の本拠地。1582年に信長が本能寺に倒れて後、織田信雄が城主となり、大小天守を持つ近世城郭に改修された。
しかし、名古屋城の築城が始まると石垣は転用され、天守を初め主要な建物は名古屋に移された。
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**新発田(しばた)
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越後北東部の地名。現在の新潟県新発田市。戦国時代には揚北衆のひとり、新発田氏が治めていた。
上杉氏が会津に転封されると「こっち見んな」こと[[溝口秀勝>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/257.html#id_1341d177]]が6万石でこの地に入り、幕末まで溝口氏が治めるところとなった。

難しい字を使っていないのに読みにくい地名の一つ。
動画で新発田城を攻める際に、視聴者の間で今までにやった誤読の披露がされることがある。
「しんはつでん」とか「しんはった」とか「にいほった」とか、けっこうみんな読み間違えているようだ。

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**壇ノ浦(だんのうら)
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現在の山口、福岡県の間にある関門海峡内。流れが速く現在も難所の一つ。
因みに関門海峡中程に舟島(巌流島)がある。
平安末期、此処で平氏と源義経との戦いがあり、平氏が滅亡している。

・[[小早川の野望>小早川の野望解説]]
#region(close,壇ノ浦トライアングル)
伝説によれば以下の通り。
小早川の将、黒田如水の召喚により「うみうし」なる海獣が現れた。
海獣は数万の敵を船ごと飲込み、ほぼ一瞬にして水面下に消えた。
かくてこれより更に徳川の家は傾かん。奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
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**躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)
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甲斐国(現在の山梨県)にあった館。
武田氏の本拠地。信虎・信玄・勝頼の代まで60年余り使われた。

読みにくい地名の一つ。

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**土佐国(とさのくに)
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現在の高知県。
一条・長宗我部など「土佐七雄」と称される諸勢力が争っていたが、長宗我部元親が統一。さらに四国統一の足掛かりとする。
「革新」PKにおいて、東土佐は国人、水軍の拠点があるため、天然の要害ともなるが、協定してない状態で一揆が発生すると厄介な状況になることも。

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**鳥取城
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天下の堅城の一つ。その理由は「誰も力攻めを行わなかったから」
「ドM」こと山中幸盛が2度、吉川元春に2度、豊臣秀吉に2度(この内1度は兵糧攻め)落城させられた。
いつも2度落ちている。
武田氏→山名氏→毛利氏→宮部氏→池田氏と主を転々と変えた。
信長の野望では余り活躍はない。
・[[鍵山雛の野望>鍵山雛の野望解説]]
#region(close,九州の覇者、鳥取に消える。)
古明地さとり、ルルーシュ率いる相良家最後の居城。
徳川家は相良の誇る「銃火愚連隊」と迫り来る相良と斯波の停戦の期限切れに怯え続けながら、
徳川家の誇るエース達によって落城させた。
これにより、徳川家と斯波家による大決戦の幕が上がった。
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**中村御所(なかむらごしょ)
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土佐国幡多郡(現在の高知県四万十市)を治める土佐一条家の居城。

・[[蓮子とメリーの戦国旅日記>蓮子とメリーの戦国旅日記解説]]
#region(close,始まりの地)
領主一条兼定の暴政に対し、百姓の吾作らや家老の土居宗珊らの起こした一揆によって占領された。
一揆の際、作戦で機知を見せたマエリベリー・ハーンが新しい領主となる。
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・[[ダメ君主の野望>ダメ君主の野望解説]]
#region(close,始まりの地)
領主一条兼定がある日目覚めると、家臣団全員があいそをつかして出奔。
代わりに全国各地から追い出されたダメ君主たちが集まり、新たな家臣団を形成する。
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・[[鍵山雛の野望>鍵山雛の野望解説]]
#region(close,巨星の墜ちた場所)
神綺率いる波多野家10万の籠城した「決死伝説の地」
対抗するは波多野家を追いつめた相良家当主古明地さとり、兵力は九州より30万。そして鍵山雛、徳川家康率いる徳川家、土佐岡豊より10万。
40万対10万、誰もが「徳川と相良、どちらが波多野に引導を渡して波多野の将兵を得るかの競争となる」と思われた。
しかし、波多野が誇る攻撃力の強さをここで視聴者は見ることとなった。
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**美濃国(みののくに)
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現在の岐阜県南部。
元々土岐家の領国であったが斎藤道三が下剋上で乗っ取った。

・[[霧雨の野望>霧雨の野望解説]]
#region(close,弾幕要塞)
稲葉山城一帯は異常なまでの鉄砲櫓が立ち並ぶ弾幕要塞と化し、視聴者の度肝を抜く。
が、対武田の防衛戦勝利後は斎藤義龍が言ったように、櫓は取り壊される。
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**箕輪城(みのわじょう)
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1500年頃、長野尚業によって築かれたと言われ、戦国時代にはあの長野業正の居城となった城。上州攻略を目指す武田信玄の軍勢を7度も追い返したことで有名。
72歳で業正が病没した後は、業盛が継ぐが団結力が崩れ、1566年箕輪城は落城する。しかし滅ぼした武田方も被害も大きく、この戦いだけで兵士を3万5千人程失ったという。
その後、武田→織田(滝川一益)→徳川(井伊直政)と支配が変わり、1598年に直政が高崎に城を移したことで廃城となる。

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**吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)
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安芸国、現在の広島県安芸高田市にあった城。
長らく毛利家代々の居城として使われた。

・[[長宗我部家の野望>長宗我部家の野望・革新 解説]]
#region(close,失せ物)
当主、長宗我部国親が守っていたが、浦上家の猛攻により重大な危機に追いやられる。
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//行頭の「//」ははずして使ってください。次に登録する人のためにできれば残しておいてください。
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- 桶狭間、角が立たないよう改訂させていただきました。  -- 名無しさん  (2009-03-21 10:22:37)
- 様々なドラマが生まれたところも多いからなあ。「ひなやぼ」における中村御所とか。  -- 名無しさん  (2010-09-19 15:51:10)
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